ぴんよろ日記
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2013年04月23日(火) 十二段ソフトはもう舐めない

 隣の土地の、大好きだった木が根こそぎになったので、喪中。
 どうして切っちゃったんだろう。家を建てるにはぜんぜん邪魔にならないところにあるのに。土もぜーんぶコンクリートで固めて、その上に安っぽいプランターとか並べるのかな。人の土地だからなんにも言えないけれど、ただただ悲しい。

 切られた木とシンクロ、というわけでもないが、長崎の版画家・田川憲さんの画集。その長崎についての文章が、なかなか刺さる。

 「今後この風景も、私の版画の中だけに生きてゆくのであろうか。」
 「私が幼かったころの思い出を、いま書きとめておかなければ、その影は永久にとらえようもなくなってしまう。そうすることは私にあたえられた恩恵であるのかもしれない。もしそうであるならば、私はそれを次代に伝える義務があるようだ。」
 「私はこの(洋館の)保護を叫んで年久しいが、さっぱり反応がないので、今は言うことを止めた。今後は私一人で、画になり得る限り版画として残す方針に切り替えた。」
 「ある時期が来たら私は長崎を見棄てるだろうという予感がある。現在よりも、もっと違った愛し方で長崎を愛するために。」

 でも、それはそれとして「私はもっと、その先に行こう」と思った。長崎は、どうしたって江戸時代や幕末、明治が最高潮。マツダの十二段ソフト(注:長崎の子どもたちが市民プールの帰りによく食べる、マツダというお好み焼き屋の、とても背の高いソフトクリーム)のようなもので、あとは溶ける前に食べるしかない。あるいは「あっ」と思った瞬間にバランスを崩して5段分くらいがドサッと地面に叩き付けられるかもしれない。(原爆の衝撃は、いったい『何段分』だったろう。)
 だから、いわゆる「長崎」、だれもが思っている一般的なイメージの「長崎」は、明治以降、崩れ、薄まり、失われるしかない。それを食い止めたかったら、もう一度鎖国するとか、日本中の外国人を長崎に住まわせるとか、5つくらいの国際貿易港のひとつにするとか、住民の税金をなくしてお小遣いをやるとか、信じている宗教を禁じてみるとか、それくらいしないとできないだろうし、それはもちろん、できないことだ。だからといって、昔の建物や街並みが大切にされているかというと、それはむしろ逆としか言いようがない。(ひょっとしたら、この土地の無意識は「いわゆる長崎」なんて壊してしまいたいのかもしれないと思うことさえある。)

 だけど、どれだけ「十二段ソフト」が溶けようと落ちようと流れようと、違う次元に存在し決して薄れることのない「長崎」もまた、あるような気がしてならない。田川氏をはじめ、長崎の魅力に気付いた人間は、どうしても「失われゆくものを嘆く」傾向にあるし、たとえ前向きなものであっても「失われたものを思い出す、記録しておく、再現する」というスタンスにとどまってしまう。でも、いやいや、この土地や街の「正体」は、ちょっとやそっとでは目減りしないものではないか、と思えてならないのだ。「いわゆる長崎」を作り上げたのも、その力が大きく作用しているのだけど、目に見える「いわゆる」が大変におもしろく興味深く、そうは言ってもなかなか食い尽くされないので、それが減っていく過程に心が奪われがちなのだが、それはあくまで亀の甲羅の上に生えためずらしい苔の群れのようなもので、「本体」は別にあるのでは、と。

 悲観的な引用ばかりしたけれど、田川さんの文章には、長崎の官能とでもいうべき魅力がいくつも記されている。たとえば、ちょうど今ごろの風景。諏訪の杜のクスノキたち。

 「おそらくは三、四百年の風雪を経、天を靡し、どっしりと大地を踏んまえ、自由奔放に枝をのばしている。見ていると、世の常のこせこせした想念など吹っとび、堂々たる屈たくのなさに、巨人の姿を思うがごとくである。その巨人たちが年に一度、全精力を集中して新芽をふきださせる。時期は、だいたい四月二十日を中心とする一週間、筆舌につくしがたい『緑の響宴』の大壮観に私は酔いしれてしまうのが常である。」

 私も毎日、身悶えしながら眺めている。そんでもって、「『十二段ソフト』の溶け残りを未練たらしく舐める」以外の「長崎」を見つけたい。

 ミサキンを送っていったら、保育園の駐車場から見える家のそばに、切られた木とおなじ木があることに気付いた。甘っちょろい感傷ではあるが、「あ、あそこにいる」と思った。これは昔一緒に住んでいたゴルさんという変わった猫が死んだ翌朝にも生じた感覚で、なんというか、死んで肉体を失ったことによって、おなじ種にその存在(まぁ、魂のようなものですか)が、パーーーーっと拡散した、っていうような感じ。

 だから、「失われた長崎」も、そう心配しなくったって「拡散」しているんだろうと思う。


2013年04月22日(月) 謝った。

 今朝の夢は、思いがけない人に、ずいぶん前のできごとを謝る夢だった。それを謝ることもないまま30年近くが過ぎてしまったが、こうして夢で見て、本当は謝りたかったんだとわかったし、その、謝るべきことがまた、そうあるべくしてあった…その後、その人がらみだとは思っていなかった問題が起こったけれど、それがじつは、その人がらみの問題であり、それもまた、あるべくしてあったのだと、異様に腑に落ちた。人生に無駄なことはひとつもないというか、シナリオってあるんだな、と実感。そして夢だったけど、謝れて良かったし、たぶん、これでもう、いいんだと思う。ひょっとしたら、向こうもおなじ夢を見たんじゃないかと思うくらいリアルだったから。

(なんのことやら。今日はとにかく自分メモ。あしからず)


2013年04月21日(日) 今日も野母崎へ

 野母崎の温泉に入って、脇岬で子どもらと遊ぶ。ヒコが風船を波に飛ばしてしまい、私が靴を脱いで、一度は拾った。でもすぐにまた飛ばして、またまた拾いに行こうとしたけれど、あっけにとられるくらいあっという間に風に吹かれて波のむこうに進んでしまい、ただ見送るしかなかった。本当にあまりのあっけなさで、感情が起こる間もなかった。

 野母崎に行く途中に、数年前にすっかりまわりを埋め立てられた小島があって、それ自体はいかにも波の気配が濃厚な岩でありながら、空き地の真ん中に、ぽつんと居心地悪そうにしている。それが昨日は、何十匹もの鯉のぼりに囲まれていて、風もじゃんじゃん吹いていて、ちょっとだけ浮かばれていた。

 いつかどっさりお金持ちになったら…というタイプの夢ってあんまりないけど、野母崎の海のそばに小さな休暇小屋があったらいいな。すたすた歩いていって泳げるような。


2013年04月17日(水) のどかな部長

 ロクに会社勤めもしたこと無い人生だというのに、いきなり部長になった。係長も課長も部長補佐も通り越して、いきなり部長である。といっても、町内会の、しかも班分けされた、たった13軒のグループの「部長」で、むしろ「班長」くらいでちょうどいいのに、なぜか「部長」。
 そんな1年ぽっきりの部長の、最初にして最大の任務は、町内会費集め。ひとりじゃ心細いので、子どもらを連れて、1軒1軒訪ねる。「町内会費?チッ、あんたがかわりに払っとってよ」なんてことを言い出すような人がいないかとドキドキしたが、そんなことはまったくなく、みなさんニコニコと迎えてくれた。そして私にしてはかなり必死に「こんにちは〜、町内会です〜」とまわっていたら、ヒコから「おかあさん、知らない人が苦手なのに、よくがんばっとるね」と、あまりにも正確にほめられた。

 でも、そうやって近所をまわっていたあいだ、たしかに「知らない人が苦手」ゆえのドキドキはあったにせよ、なんだかとっても楽な気持ちだった。たぶん、ぜんぜん自分のためのことじゃないからだと思う。「人のためになにかをするというエゴ」さえ入らない、なんとものどかな「みんなのため」のはたらき。こういうことを持ち寄るような形で世の中がまわっていけば、ずいぶん幸せなんだろうけどなぁ。のどかすぎかなぁ。


2013年04月16日(火) 帰るところ

 なんとなく、いろんなことが始まりはじめたような、このところ。なにかが動きだす予感や、動き出しても大丈夫な自信のようなものが、ポツポツと自分の中に湧いたり、目の前に現れたり。そのひとつがインドで作られた「夜の木」という絵本。黒くて深い紙から漉いてあって、そこに、インドの画家たちが描いた、木とも蛇とも動物とも植物とも人間とも土とも空ともつかないような、でも強いて言えば「木」が、シルクスクリーンで印刷されている。これが、最近、賑橋の近くにできた「眼銀珈琲店」という、いろんな意味で「ぬぬぅ…やるな…」というお店にあって、パラッとめくったところでズドーンと来たのだが、そのときはぜんぜんお金を持っていなかったので、2日後くらいに買いにいった。
 我慢できずに車の中で包みを開けると、いきなり塗料っぽい匂いがあふれる。(「小学生のころ、アスファルト工事のそばを深呼吸しながら通った」人なら、これでもう、この本の虜だろう)。そんな趣向はさておき、ページをめくる。あざやかな「夜の木」がつぎつぎと現れるごとに思ったのは「あぁ、帰るところができた…」ということ。陳腐に言えば「ふるさとを見つけた」ということだった。自分がやりたいことや、そのやりかたや、心の立ち位置とか、その他もろもろ、いろんなことが、この本ではもう、ひとつのありかたとして実現されていて、「いつでもこの本に帰ればいい」という、不思議な安心感に包まれた。だからといってもちろん、紙を漉いて本を作りたいとか、シルクスクリーンで印刷したいというわけではなく(性格的にはやりかねないが)、あくまで「ありよう」の問題なのだが、とにかく、よし、と思った。

 そんな、わけもない自信を秘めつつ、しかし現実はまだ追いついていないのう…と、久しぶりに丸山あたりをあてどなく歩き、梅園天満宮でおみくじを引いたら大吉だった。歌がよかった。前半部分など、いまの「トボトボ感」をまさしく言い当てられていた。後半もよろしくお願いします!

 さびしさに 何とはなくて 来て見れば うれし桜の 花ざかりかな


2013年04月11日(木) ギコギコしくしく

 この家に住んで、はや3年近く。草っ原だった隣の土地に、ついに家が建つ。毎日見てきた木が、今朝、測量のために切られはじめた。春の新しい葉っぱが、どんどん伸びてきているというのに。いまは「邪魔な」枝だけを、小さなのこぎりで切っているが、遠からず、根こそぎになるだろう。悲しいけれど、どうすることもできない。目の前にあるのに、目の前で切られているのに、私が止めることはできない。この家だって、おなじように「邪魔な」木を切り、土の息吹をふさいだ上に立っているのだし。
 しかし3年近く眺めてきた木が切られるのは、やはり理屈抜きの悲しさだ。しょんぼり。

 ずいぶん前の「すいか」というドラマを借りてきて、楽しみに見ている我が家。小林聡美やともさかりえ、小泉今日子もいいけれど、やはり浅丘ルリ子がすばらしい…。別格。

 雨が降ってきたので洗濯物を室内乾燥にしたら、思いっきり晴れてきた。「時々不安定、ヒョウも降るかも」との予報。また出すべきか否か?


2013年04月09日(火) 囲まれている…。

 最近、ミサキンは立場や都合が悪くなると「わかんな〜い」とローラ化。「ミサキン、ローラよ〜」などと言いながら。ローラさんとはまったく正反対の顔なので、憎めないというか苦笑いというか。
 さらに最近、ダンナがますます韓流ドラマを熱心に見ている。はじめは、仕事柄、職場でテレビがつきっぱなしなので、チラッと見たやつの続きが気になる、という程度だったのだが、どうも深入りしている模様。しかしお気に入りのものが昨日終わってしまい、うなだれていた。そして、ソウルに行きたいだの、東京出張の時に新大久保に行ってグッズを買いたいなどと言い出す始末。
 ヒコはヒコでドラゴンボールにはまってしまい、ケーブルテレビで毎日再放送を見ている。道を歩くときも、前後をよく見ずかめはめ波を繰り出したりして危険。

 そんなこんなで、ローラと韓流オバハンと孫悟空に囲まれて暮らしている。


2013年04月08日(月) 微粒物質としての記憶

 こないだの沖縄旅行のいろんなできごとの中で、ずーっと心を離れないのは、ローズガーデンでよぎった感覚。ローズガーデンというのは、米軍基地の人とその家族御用達のお店なのだが、名物の朝食セット(トーストとカリカリのでっかいベーコンとスクランブルエッグとでっかいマグカップに入ったコーヒー)を食べている時、味わったことのない感覚に包まれてしまった。それは、簡単に言ってしまえば「なつかしさ」の一種だと思うのだけど、ガイドブックやタウン誌の三流コピーにありがちな「初めてなのに、どこか懐かしい雰囲気」っていうようなものではなく、自分の中に存在する「なにか」が、この店にある「なにか」と「久しぶりに会えてとってもうれしい!」とよろこんでいる感じだった。
 アメリカ的なものにほんの少しの影響も受けていない日本人は、まず存在しないだろう。だから、たとえアメリカに行ったことのない私のようなものでも、音楽やらなにやらを通じて、心と体のあちこちに「アメリカ」がインプットされているには違いないのだが、そのとき「反応」した「なにか」は、もっと違っていて「実際に触れたことがある」という感覚をともなった「なにか」だった。
 で、これってなんだろう…ひょっとしたら…と思いついたのは「記憶というものは、本当は微粒物質で、子や孫にも物理的に伝わっていく」というトンデモ感あふれる考え。というのも、私のひいじいちゃんは、長い間アメリカにいたことがあるからだ。ひいじいちゃんは私が小学校に上がる前に亡くなって、しかも寝たきりの姿しか覚えていない。でも「いぬは?」「dog」「ねこは?」「cat」「はなは?」「flower」というやりとりを、100回はした。あまり長くは話せない寝たきりの老人と、なにを話していいかわからない小さな子どもだから、たとえばアメリカでどういう暮らしをしていたとか、どんなものを食べていたとか、どんなところに住んでいたとか、そういうことはまったく聞いたことがない。「ほら、今はおじいちゃん起きとんなるよ。また聞いてみたら?」と言われて「いぬは?」「ねこは?」「はなは?」を繰り返しながら、柱に登って見せたりしただけだ。けれどそんな時間の中で、ひいじいちゃんが持っていた「アメリカで過ごした記憶の粒子」が私の中にも潜り込んだのかもしれないと思うのだ。だから、翻訳されたものではない「生のアメリカ粒子」が濃厚に漂うローズガーデンで、私の中に眠っていたひいじいちゃんの記憶が「Oh!」と目覚めたのではないかと。
 もちろん真偽のほどはまったく不明だが、感覚としては、極めてそんなふうな体験であった。

 でも「記憶は微粒物質」というのは、案外そうなんじゃないかと思う。そしてそれが積もりやすい、残りやすい土地と、そうでない土地があって、長崎は絶対的に前者なので、私のように「見える人」から「霊感はありません」と宣言された人間でも、街のあちらこちらに、まさしく「重箱の隅」に吹きだまり、こびりついている気配を手がかりにして、昔のことを考えたりしたい人には助かります。(ということは、そんな趣味もなく、ただ『見える』人にとってはきつい土地ということか…。)
 


2013年04月02日(火) 花見見

 今朝の雨にとどめを刺された桜たち。でも、近所なのをいいことに、今年はけっこう花見した。ビールとつまみだけ持って、とか。そしてよくわかった。私は花見というより、楽しそうに花見をする人たちを見るのが好きなのだと。私がしていることはつまり「花見見」なのだった。まぁ、これはすべてにおいて言えることなので、いまさら驚きもしないが。
 そして最近、いくつかの心躍る提案があって、気もそぞろ。どれも実現したらびっくり。新しい扉が開く感じ。わくわく。


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