ぴんよろ日記
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2013年03月28日(木) たまにはパーツで

 咳のしすぎとミサキンの重さに耐えかねた肋骨を診てもらいに病院へ。いちおうレントゲンなど撮られたが、取り立ててなにも写らず。先生は写す前からすでに「たぶん何も写りませんよ。」と仰っていたが、その通りだった。できた写真を見ながら「やっぱり何もないですね。人によっては、たとえばこんな影を『ヒビです』なんて言ったりもするんですが、だから何をするかって、せいぜいバンドを巻いたり、痛けりゃ痛み止めを出してもいいですが、基本的に何もできないし、しなくたっていいんです。ヒビどころか、昔、炭坑の医者をしてたときなんかは、このへん(あばら3〜4本を指しながら)バサーッと折れて、息ができないくらい痛くても、なんもせんかったですからね。」バサーッと3、4本折れても…って…。先生はかなり高齢なので、戦中戦後の話…?
 痛いのは痛いのだが、こうして「なにもしようがない」ということがしっかり指摘されると、ちょっと楽になった。自分でも子どもでも、病院に行くまではイヤなのだが、お医者さんにクール&ドライな指摘をされるのは大好き。西洋医学について「パーツでしかとらえていない」とか「病気しか見てない」という欠点がしばし挙げられるが、考え方を変えれば、それがむしろ「効く」ケースもあると思う。ぐだぐだ「生命全体の営み」とか「病気も生きることの一部」なんてことを言いたがる(私のような)人間が、たまに、あえて「鼻」「あばら骨」だけで捉えられると、むしろ清々しく目が覚めるとでもいおうか。

 昨日、人生初の「カード買い取り」を体験したヒコ。200枚近いカードを売って、たったの292円! 世の中の厳しさを、すこーしだけ感じた模様。

 


2013年03月25日(月) まってくれ〜

 美容院を変え(ざるをえなくなっ)てから、なんとなく短い髪が続いているが、どうも落ち着かない。似合うか似合わないかはよくわからないし(そもそも美容方面への関心極薄)、長〜くしたいわけでもないのだが、鏡を見るたび「こんなさっぱりした人間じゃないのになぁ」と思う。もっとぼーっとした感じになるまで伸ばしたい。今度はゆるーいパーマかけようかな。よりぼんやり度を上げるため。輪郭がはっきりしない感じで。

 この春の強力&長期間の咳と、だっこ魔ミサキンの重さに耐えかねて、脇腹の骨がおかしいことになっている模様。ちょっと調べたら、咳のし過ぎで疲労骨折って、よくあることらしい。先週の中ごろからじわじわ痛かったのだが、金曜日にスーパーで、牛乳やらなにやら入った重い袋とミサキンを両手に抱えた時に「ぐぎぅ」と痛んで、それから明らかに痛い。…ということを説いても、抱っこを要求してくる厳しいミサキン。

 古代長崎のジオラマを作りたいと思いついてしまったので、思いやられる。行動&熱中派の自分について行くしかない、この感じ…。まって〜。置いて行かないで〜。私にも日々の生活が〜。
(ちょっと検索してみたら、やはり作り方のサイトがあった。『やってみようかな、と思った時がスタートラインです』だって。『草三昧リアル』なんて商品も…あぁ…)


2013年03月19日(火) 戻ったが戻れない。

 沖縄から戻った。土曜日から昨日まで。2日晴れて、3日目は嵐。朝の嵐が夜だったら、飛行機はどうなっていただろうというくらいのものだったが、沖縄の人にとっては、あれくらいなんてことないものなのだろうか。
 沖縄は相変わらず、どんなに立派だったりしゃれた建物が続いていても、やがていつかは、昼間でも引きずり込まれそうな大小の緑の茂みがあって、さらにその何割かに大きな墓があって、どうしても人間の好き勝手にできる土地ではない。地球の体のツボみたいな島。だから、縁あって住んでる人は、よほどタフか疲れているかどっちかかもしれないと思う。輪廻転生がもしあるとすれば、この人生は沖縄に来るために来た、というような感じ。ミサキンが、去年に引き続き熱が出たりしてなぜか調子が悪かった、ということも、そういうことがあるのでは…と思わせた。
 そんなミサキン、土曜の夜の国際通りを歩いていたら、キラキラしたお土産物屋さんのあいだに時々口を開けている路地が気になるようで、立ち止まってじーっと見ている。私もどちらかといえばそっちが気になるので、その気持ちは、ものすごくよくわかる。ヒコはまったくそんなことはなく、全身銀色に塗ってパントマイムをするシルバーマンなどに釘付け。
 今回の沖縄みやげ(自分用)は、イエラム。伊江島のサトウキビで作られているラム酒で、居酒屋さんで飲んだのがものすごくおいしかったので。
 そういえばなんのために沖縄に行ったかというと、玉三郎さんの沖縄の踊りを観にだった。あいかわらず恐ろしいほどの美しさだったが、どうして男が女を演じるのか、ここへきて自分なりに腑に落ちた。あと、玉三郎さんの声の魅力のようなもの。ある種の倍音みたいな。それが沖縄の調べによって強められていた。あと、翌日の新聞で「再演を望む声が高まっているとの質問に『また来ます。踊りはもう覚えましたので』」ということが書いてあって、たった数回の公演(もちろん稽古は含むが)で「もう覚えましたので」って、すごいな…いったいどれくらいの「データ」が彼の体の中には収められているのだろう…と、異次元に連れて行かれるほどの途方もなさだった。

 …などと書きつつ、まだ心身が旅から戻れない。


2013年03月11日(月) ざぶーん

 保育園の送り迎え、ヒコの時からすると、おなじ道をもう7年目だ。ここ数日で、花がどんどん咲いている。車を運転しているので、写真を撮れない。通る時は「あ、今年もここの花が咲いたな。今度バイクで来て写真撮ろう」と思っても、そのあと保育園に着いて、重〜いミサキンを抱っこして階段を上ったら、もう忘れている。そしてまた翌日「あ、咲いてるうちに撮りたい」と思いつつ、重〜いミサキンを抱っこすると…以下同文で季節はめぐる。

 昨日もおとといも、外の公園で遊んだ。でも「あたたかい春の休日」にしては、どちらも人が少ない気がした。黄砂やらなにやら、いろいろ飛んでるからだろうし、全員マスクで遊んでいる家族もいた。私らはアバウトに過ごしていたが、それでも時々、「なんか飛んでんのかな〜」とよぎったり、のどがチカチカする気がしたりしてしまう。なんともジワリと薄気味悪いストレス。福島の人たちは、これのもっと強いものに、2年間も取り巻かれ、しめつけられているのだ。

 こまごました仕事も先週で一段落。今日からしばし、長崎の歳時記の世界に浸かる予定。ざぶーん。


2013年03月04日(月) ごっこ

 親しんできたお店が、このところ相次いで閉じたり休業したりしている。なかでも、人生最初で最後かもしれない個展というものをさせてもらった「カフェ豆ちゃん」と、子どものころからことあるごとに家族で行っていた「樹」はびっくりだった。どちらもいわゆる「つぶれた」わけではないし、その決断とこれからに、心から「幸あれ」と思うのだが、飲み食いというものは確実に体に刻まれるものなので、やはり寂しい。
 ということで、数日前、自分なりに分析し、これまで見つめてきた鉄板ワークを思い出しながら「樹ごっこ」をしてみた。樹っぽいハンバーグをこねて、いつもはフライパンで焼くのをホットプレートにして、樹のおじさんになったつもりでヘラを使ってぎゅーーーとつぶして伸ばして、すぐにフタをして焼いて、8等分に切って、それぞれの前に置いた四角い皿にひょいと乗せる。付け合わせはインゲンとなすとイモのバター焼き。問題はタレで、リンゴだれはそれほど難しくなかったが、ダンナと私が大好きな辛いタレをどうやって作っていいのか悩んだ。2〜3日、いつも頭に置いておいたら、なんとなくできるような気になってきて、思う材料を少しずつ混ぜたら、けっこう近いものができた。実際に食べてみると、ハンバーグもタレも、いろいろ改良点が見えた。精度を上げてさらなる「樹ごっこ」に臨みたい。今度はホタテのバター焼きも付けたい。
 …コピーバンドって、こんな気分なのかな。


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