ぴんよろ日記
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2013年02月28日(木) コンビニと小店のあいだ

 去年、近所にできたコンビニ。なんか感じがいい。店長らしきオバさんがしっかりしているようで、店内外の掃除はもちろん、店員さんもロボット的じゃないし、どう見たって二十歳を超えている人間に「年齢確認ボタンを押せ」なんて野暮なことは言わない。クリスマスの日には店の前にテントを張って、寒い中、とても楽しそうにチキンを売っていた。コンビニというより、近所の小店(こみせ)的なあたたかさがある。
 でも、これはコンビニなのだ。どれだけ手書きのPOPになごもうと、お兄さんやお姉さんが心のこもった挨拶をしてくれようと、その土台や大枠は大手コンビニ、全国チェーンなのである。
 本当なら、それぞれの才覚で切り盛りする、これくらいの個人商店がたくさん栄えれば、どんなにいいだろうと思う。しかしそれは、そういう自由は、ここ数十年でほぼ失われた。「町の○○屋」が担っていた役割は、よほどの覚悟や差別化でもない限り、大手スーパーやコンビニやドラッグストアや百円ショップに、ギューーーーンと吸収され、一国一城の「店主」は、似合いもしない制服を着た「店長」になった。
 それを時代の流れとして、仕方ないということもできる。だけどやっぱり、それは違うんじゃないかとも思う。思うし、こうして近所のコンビニの「小店化」を見ていると、それはまた逆に、どれだけ大枠が決められていても、人には、自分の日常空間をあたたかく、人間的にしようという本能のようなものがあるはず、と信じずにはいられないし、ひいてはそれこそが、これからの社会だか日本だかを本当の意味でやりなおすための、大きな要素のひとつだと思う。


2013年02月27日(水) 思い出させるもの

 そういえばおとといは結婚記念日だったが、結婚して13年、その前に約5年。なんとまぁ、もうすぐ「ざっくり20年」の付き合いに近づきつつあるダンナが、数日前、私に関する新事実を知って驚いていた。それは「おこげ嫌い」。ごはんとか、クレームブリュレの、あの、歯に付くガリガリ。ぜーんぜん好きじゃない。でも、一般的には「おいしいものが好きな人なら、目を細める部分」であるからか、大好きだと思っていたらしい。石焼ビビンバは絶対頼まないし、デザートがブリュレだったら「焼かないでください」って頼む。その理由も言ってたはずだけどなぁ。まぁ、そんなことを真剣に聞いてる夫というものもいないだろうが。焼きそばの麺にわざと焼き目を付けてるのも嫌い。
 ほんとに好きならいいんだけど、テレビのレポーターさんが「…ってことは、おこげですかぁ〜!」って大げさにありがたがってみせるのって、なんなんだろう。焦げ目って、そんなにみんな好きなものなのかな。マグロみたいなもん?「おいしさがわかってる人」の記号?

 ここ2週間ほど咳が止まらないので、昨日はついに観念して耳鼻科へ。去年も一昨年も、おなじような症状をおなじように悪化させて来ていたようで、診察室に「学習しねぇなぁ、この人」的ニュアンスが漂う。普段は足もみだの足湯だのと偉そうにしのいでいるが、年に一度は、こうして西洋医学と薬に頼ってしまう哀しさよ。おかげで久々によく眠れた。「今はお薬で落ち着いています。」なんて医療ドラマみたいなセリフを思い浮かべながら。
 薬って、症状を抑えるとか無くすってこともだけど、その症状が無い快適な状態を、体と意識に思い出させる役割が大きいのかな、と思う。特に徐々に悪くなった症状って、ある面では「慣れて」いるから、やり過ごせる範囲ならそれが「標準」になってしまう。あるいは「かわいそうな私」の小道具として、手放したくないものにさえなってしまう。でも実際は、心身の能力は著しく削がれているので、それを「違う!ほんとはこんだけ動く!」などと思い出させる役割。


2013年02月26日(火) 影は見えているが

 書こうとしているエッセイが、なかなか捕まえられない。確実に自分の中を泳いでいるんだけど、心の奥〜のほうにいる大きな深海魚みたいな感じのものなので、なかなか。表面近くを泳いでいるものは、ひょいと網ですくってささっと盛りつけられるのだが、いま書こうとしているものは、そうじゃない。ゆら〜っと泳いでいる影は見えているのだけど。

 毎日通る桜並木が、ほんのり赤みを帯びてきた。まだ黒くて固い枝だが、全体で見ると、ほんのり赤い。


2013年02月25日(月) デビュー

 咳が止まらないというのに、「スパイスは漢方」との言い訳とともに、昼はタイカレー。スーパーに売ってるペーストとココナツミルクとナンプラーがあれば、かなり適当な材料で作れるのに、長崎にはどうしてこの程度のものも出す店がないのだ…。知らないだけか…?

 今朝はとにかく、銅座の「ゴチャゴチャ」をなくすっていうニュースにがっかりしすぎた。「大阪アースダイバー」を読んだばっかり(去年から持ち越し。涙)だったのでなおさら。そして昨日は「大阪アースダイバー」を読んだばっかりだったので「ミナミの帝王」を観て、妙に深くうなずく。

 朝から散歩に出るもぎくんを、窓の外に見つけた。近所の猫と、一定の距離を置いて、じーっと座っていた。集会デビュー!


2013年02月22日(金) こもり魔

 最近、やたらと仕事をしている気がする。1月があまりに(本当に不安になるくらい)仕事がなかったので、そう思うだけかもしれない。今日はひとまず急ぎのものは終わったので、これから気分転換にお皿を洗って洗濯物を取り込んで、その後、じっくり書きたいエッセイに着手予定。そして来週こそは、ずーーーーっと持ち越している、長崎の歳時記についての作業をしなくては。(あっ、確定申告も)
 本当に、家で仕事しているのが大好き。もうぜんぜん出たくない。でも、文章に添える写真を撮るために出たりすると、またいろんなものを見て、考えも湧いてきて、つまり書くべきことが降ってきてワクワクしてしまって、時々は出なきゃいけないなぁ、と思う。でもほっとくと、またこもる。家の窓を大きく作ったので、ちょっと外を眺めると「こもり感」は飛んで行くので、これがまた、こもりを助長する。いつも気付いたら夕方。

 なにがどんだけ飛んでいるのか知らないけれど、山の上の我が家から見渡す町が真っ白。つるかめつるかめ。


2013年02月13日(水) ワルモノさん

 中国からいろいろ飛んできているようで、鼻だのノドだの、花粉症が悪化するだの言われはじめた。それはそれで深刻な問題だろうし、私自身、鼻やノドの弱さに関してはそこそこの自信があるのだが、なんとなく「あぁ、またワルモノ見つけて嬉しそうだな」と思って見ている。
 20年来悩んできた花粉症を、わりと簡単な方法でほぼ克服して、そのメカニズムが身をもってわかったので(『あくまで個人の感想です』ってのは、こういう時に使うのかな)、たぶん、世の大部分の花粉症やアレルギー的なものは、そう深刻ぶらずとも治る(あるいはかなり軽減できる)。でも、これもたぶん、世の大部分の「アレルギー」は、無意識あるいは「よかれと思ったことが裏目に」ということが引き寄せているので、それがある限りは治らない。「鈍感な私」より「繊細な私」のほうが素敵っぽいものだし。私にも覚えがあるが、「来ちゃいましたよ〜、今年も」「え!早いね!」なんて会話をしている時は、わりと楽しいものだ。風物詩を楽しめるオレ、みたいな。
 ずいぶん前にテレビで見た、アレルギーの子供を持つ母親は、本当に正義感にあふれていた。「すべての者たちよ、私の子供のアレルギーに配慮せよ!」…とまでは言わないけれど、なんと言えばいいか…表面上はもちろん違うし、絶対的に否定されるだろうけど、彼女は困っていないように見えた。むしろ、子供のアレルギーと、そのことに対処することが、彼女を生き生きとさせていた。もし、子供のアレルギーが、ポンと治ったら…次の何かを探すだろう。たとえば受験とか。
 ワルモノによって生き生きしてしまう、というのは、日本人の、人間の悲しい性ではあるけれど、もうちょっとそれに対して自覚的であったほうがいいんじゃないかと、新しいワルモノが嬉々として迎えられている様子を見て思う。
 そして「ワルモノ」の数値的なものは、機械的に体に作用するわけではなくて、それを受ける体のコンディション次第だし、受けたとしても、中和したり排泄したりする力が、思っているよりもある、ということも、もうちょっと信じてやってもいいと思う。体に対して。

 いまのところの心配は、長崎の精霊流しへの「なんだその花火の量は!大気汚染だ!規制しろ!」という、佐賀や福岡あたりの「善良な市民」からの投書だが、まぁ、PMナントカさんも夏までには忘れられているだろう。


2013年02月08日(金) 殺風景か殺伐か

 パン屑やしなびたみかんを庭にまいておくと、鳥が来るようになった。最初はスズメたちだったのが、ムクドリだかヒヨドリだか、だんだん大きいのも来るようになって、かわいらしい。鳥のことはよく知らないので、名前もあんまりわからないが、一度、メジロとおぼしきものを、もぎくんがくわえてきてしまったが、ショックを受けていただけで、枯れ草の上に置くと飛んでいった。トンビがパン屑をつついているのも見た。節分の豆も、最後にはみんな鳥たちが食べた。
 まだまだ殺風景な庭なので、鳥たちが遊んでいるとうれしい。
 …と思っていたら、今朝、異変が起こった。これまで来ていた鳥たちは、パン屑にしてもみかんにしても、その場でツンツンつついたり、ひとつだけくわえて近くの枝に飛んでいってゆっくり食べたりしていた。しかし今朝来ていた奴らは、くちばしの長さいっぱいに4つも5つもパン屑をくわえ、ほかの鳥ににらみを利かせている。スズメやヒヨドリたちは、ほかの種類の鳥がいても仲良く一緒に食べているが、奴らがいる時は、ほかの鳥は寄り付かない。

 カラス…カラス…やはり奴らは別格なんだな…。奴らに目をつけられたということは、いままでのかわいらしい庭は、もう戻ってこないのだろうか?くーっ。見守るしかない。ふたたび、違った意味で殺風景あるいは殺伐とした庭になるのだろうか。
 でも、カラスの黒って、すばらしくかっこいい美しさ。それだけは惚れ惚れと眺めた。


2013年02月05日(火) 筋肉質

 連載している西日本新聞の担当者さんに「下妻さんの文章は筋肉質ですね」と言われた。ちょっと飲んでたので詳細には覚えていないのだが、お母さんが家庭で作るチャーハンじゃなくて、店の親父が100杯も200杯も作ってるチャーハンのような…つまり数をこなしているという意味での「筋肉質」というようなことを言われて、とてもうれしかった。自分が「天才シェフ」でないことはよーくわかっているが、なんとかどうにか、町の料理屋としてチャーハンやスーパイコをひたすら作ってきた自信だけはあるので(もちろんそれで一生を終わりたいわけではないが)。小中高、どんなにがんばったはずでも体育は万年「3」、マッチョのマの字もない人生だが、こんな形で「筋肉質」と言われる日が来ようとは!

 バッグ効果か、やはりいろんなことが底を打ってくれた模様。仕事もポツポツ入ってきた。


2013年02月04日(月) バッグ、おかえり

 修理に出していたいつものバッグが、米子のすばらしいお店「ミントチュチュレザー」から帰ってきた。今回はかなり大掛かり。職人のお兄さんと何度もメールでやり取りして決めた。底と口の縁がそれぞれボロボロになって穴もあいていたので、下3分の一は新しい帆布に張り替え、口の縁は革で縁取り、持ち手の付け根もがっちり補強してもらった。もはや別物の風格さえ漂わせている。
 張り替え部分はおなじ色の帆布なはずなのに、もとのバッグは3年のあいだに色あせていて、ツートンどころの話ではない。大きなポケットは一度ていねいに外され、張り替えた上からまた付けられている。古い帆布と革、新しい帆布と革、その4色が、しっくりと同居。3年使いに使ったからこその大規模補修が、この世に2つとないバッグを生み出したのだな…と、ほれぼれ眺める。

 このバッグ持って、また新しいことをがんばろう。
 最近、新しくやってみたいことが頭をもたげつつ、気持ちの波は谷間をさまよっていたのだが、バッグがあまりにもすばらしく生まれ変わってきてくれたので、よし、と底を打った。

 感情的な「がんばれ」「絆!」みたいなのより、こんなふうに、それぞれが自分の仕事をきっちりやることのほうが、お互いを励ますと思う。


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