ぴんよろ日記
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2013年01月28日(月) 正しい人が寝坊

 寒くて眠くて朝寝坊。ヒコは7時35分集合、40分出発なのに、二度寝して時計を見たら7時33分だった。びゃーん!と飛び起きて、ヒコに「ごめん!33分!」と言ったら、さすがのヒコもびゃーん!と起きて着替えた。ドーナツを一口大に切って押し込んだりしながら、なんとかどうにか、39分ごろ家を出した。
 たしかにあわてたけど、気持ちや意識の居場所としては、こうしていろんなことを一緒にやっていくのがいいと思った。自分がまずダメだったから、ヒコのことをもちろん怒れない。いつものように、早く起きて準備万端な私が、あれしろこれしろ早くしろって命令して、それができなかったり反発されたりしながら、双方イライラぐったり…という、いつもの「正しさ」がなくて、お互いのできることを協力している感じ。だからって毎朝寝坊していては身が持たないけれど、とにかく、もうちょっと自分から「正しさ」を抜きたいと強く思った。
 正しさは人を救わない、っていうのは、ずいぶん前からの私の人生訓のひとつでもあるのに、子供、特にヒコと接するときには、どうしてもそれを使わざるをえないことが多々、多々、あって、それが本当にきつい。正しくもない人間が正しくあらねばならないというのは、自分で自分を精神の袋小路に追いつめているようなもの。見方を変えれば、自分を裏切り続けているということで、それがもう、精神的にかなりきつい。だからといって、言われるがままに毎日毎日ゲーセンに行ってカードゲームを10回も20回もさせたり、宿題もしないままDSをさせ続けたり、夜中まで暴れ回るがままにするということに対するには、どうしても「正しい」要素が立ち現れてしまう。そしてそれを出しているうちに、どんどん自分が「正しい人」になって、ヒコが「間違った人」になって、二人の溝は深まるばかり。ぜんぜん気持ちのいいことでもなんでもないから、その問題が(一見)解決したあとも、心はすさみ、次に会う時も身構えてしまう。なにを言われても許せなくなる。
 もう、正しい人に飽きた。正しいって、ほんと疲れる。冷たく固くなる。でもそう思って、ちょっと甘くすると、これがまたヤツは信じられないくらいの早さとパワーでつけ込んでくるのだ。「絶対に1回でいいから」と念仏のように食い下がるからゲームをさせると、次の瞬間には「どうして3回、5回はさせてくれないのか」と猛烈に怒り散らす。やくざというものに接したことがないが、きっとこんな感じなんだろうな、と思う。
 介護のつらさって、自分が「鬼」になってしまうことに直面せざるをえないつらさだという話に、「子育てもそうだ!」と、その時はすごくうなずいたんだけど、私の場合はひょっとしたらちょっと違ったかもしれない。自分とはかけはなれた「正しい人」にならなくてはならないつらさだ。自分自身は2ヶ月先の当てのない収入を当てにしてキャッシングしてるくせに、子供には小遣いの使い方についてガーガー言ってるという、正しさの裏にある大嘘が、果てしなく自分をヘトヘトにするのだ。
 正しい人を休みたい。
 正しくなくても、もう少し、お互いうまく行く方法を探りたい、それはきっとあるはずだ。と思った、大寝坊の朝。


2013年01月24日(木) なつかしの粕汁

 いつもの酒屋さん「たけやま」に、出雲の酒「十旭日」の酒粕があったので買ってみた。「十旭日」はとってもおいしい。3年前に山陰に行ったとき、つい蔵元を訪ねたほど。酒粕を料理するのは初めてだが、粕汁というものになんとなく憧れていたので、たけやまさんに作り方を聞いて、作ってみた。シャケと野菜いろいろ入り。初めての粕汁…なるほど…優しいけれど奥底に何かを隠し持っている、ふんわりした味噌汁という感じ。そしてやたらとあったまる。すべてにスタンダード好きなヒコの反応はいまひとつ。しかし、ダンナが食べる食べる。大きな鍋に作ったのだが、何度もおかわりしていた。もともと「汁物好き」だから不思議には思わなかったのだけど、ポツリ「なつかしい」と言った。
 山陰の味噌汁は、酒粕を入れることが多いらしい。だから、境港生まれのダンナには懐かしの味だったのだ。中学に上がる時から長崎に暮らしてはいるが、味はやはり、三つ子の魂百まで。どうやらとても久しぶりに、思いがけず、懐かしの味を食べたのだ。山陰のお酒の酒粕だったのも、作用しているのかもしれない。こないだ下関に行って、私が違和感を感じたサバの味噌煮も、やはり味噌が山陰のものに近かったらしく、とても懐かしがっていた。味噌とか醤油とか、酒とか、発酵食品系は特に、味覚の根っこを作るのだろう。
 そして、育った土地を遠く離れるというのは、やはりどこかせつないな、と思った。


2013年01月23日(水) 3年ぶりの東松さん

 「ながさきのみつけかた」(西日本新聞長崎版連載)で、東松照明さんについてのことを書こうと思った。東松さんの写真からは、いまだ大量に消化しきれない、あまりにもいろいろなことをいただいたので、亡くなったと聞いても、日記にもツイッターにも書く気がしなかった。いまでもぜんぜん書ききれないのだけど、連載の読者と想定されている若い人たちにも東松さんの写真を見てほしいので、書けることだけ書いた。そのために、3年前の写真展の図録を確かめたかったのだけど、持っていない。なんで買わなかったんだろう、ひどい金欠だったのかな、などと思いつつ、昨日、美術館に行った。あったら買おうと思ったけど、もう売っていなかった。閲覧用の図録を開き、確かめたかった写真を探して、ほかのページもパラパラとめくった。そしてわかった。どうして図録を持っていなかったかが。その時の気持ちがよみがえってきた。
 買えなかったのだ。
 写真展が、写真が、あまりにすごすぎて、その写真を束ねて抱えて持って帰ることが、生理的にできなかったのだ。その時の日記を見たら、めまいがして座り込みそうになったと書いてあった。「もういい、この写真展を見ただけで、もういい、生の写真を見ただけで、もう、抱えきれない、立っていられない」と、会場をフラフラとあとにした気持ちを思い出した。
 でも、3年経ったいま、やはりそれは、手もとに置いておくべきものだった。そう思って探したら、Amazonにもなかったので、オークションを見たら1冊あって、しかも残り15分だった。即落札。
 届くのが怖い。またしばらくフラフラだ…。


2013年01月17日(木) もめ〜。

 「世界一痛い足もみ」の本を買って、自分やダンナや子供の足をもみまくったら、毒が浮いて出まくっているらしく、それぞれに風邪ひいたり眠かったり腹が痛いと言い出したりして面白い。私は久しぶりにガツンとおなかが減って、焼き肉定食でごはんおかわりした。

 どうやら雪。


2013年01月11日(金) かぶりかぶらず

 おなじ親のはずの子供二人。眠るとき、ひとりは布団を頭までかぶり、ひとりはかぶらない。ほぼ毎日。特にミサキンの「かぶりっぷり」は、見ていて息苦しくなるほど。苦しくないんだろうか。

 寒いので、猫が離れない。


2013年01月09日(水) 生活目標南無南無

 もうちょっとちゃんと地味なごはんを作ろう、というのが今年の生活目標。あと、一生ものと思えるフライパンを手に入れて育てたい。
 そんな気持ちで、朝からシュウマイのたねを仕込む。よく練って。

 ヒコをあんまり怒り散らしたくない、というのも生活目標ではあるが、もちろん元旦から挫折。毎日挫折。南無南無。


2013年01月08日(火) きれた

 どうしてだかはよくわからない。去年後半の、あるいはもっと前から取りきれていなかった疲れが、だいぶ取れてきたのかもしれないのだけど、この年末年始にかけて、ずっと曇っていた心の中のなにかが晴れて、軽くなってきた。いろんなことができそうな気がしてきた。ただの新年気分にすぎないのかもしれないけれど、なんだか、やれそうなのだ。なんだろう、これ。
 と思っていたある朝、ここ3年くらいつけていた指輪が切れた。細い金属で編まれたものだから、ずっとつけてればいつかは切れたのだろうけど、それが今だったので、なんとも意味ありげだ。

 昨日は佐世保に。ずいぶん前に行ったタイ料理屋さんで眺めのいい席に座ろうとしたら、子ども連れはダメだと言われ、入り口のそばのごちゃごちゃ落ち着かないテーブルで食べた。私も別に子ども好きじゃないから、ダメならダメでいいんだけど、そう広くもない店の中で子どもが座っていい席とそうでない席があるのなら、嘘でもいいから、そのわけを用意しといたほうがいいと思う。窓際にいろいろ飾ってますからとかなんとか。そうでないと、漠然と意地悪された気になる。眺めのいい席に座ったのは、ケータイとタブレットをそれぞれに取り出して眺めなど誰も見ないおっさん4人だった。そしてますます、エスニックものは自分で作るしかないと決意。長崎にはないからなぁ。好きな味が。(カレーはマドゥバニがあるけど!)

 気を取り直して、お目当ての豆粒紋土器を見にいった。その勢いで、泉福寺洞穴と眼鏡岩も見に行って、いろいろ思う。土器、いいわぁ〜。


2013年01月06日(日) だ〜いじょうぶぅ〜

 年末年始の特番って、やたら長くて(家族がテレビ好きで半強制的に見せられる身としては)泣きそうだが、寝てしまったことを唯一後悔したのは「黄金伝説」だった。無人島生活のあれ。とにかくローラさんの神々しいまでの明るさと行動力がすばらしくて、これはもう、人間とは思えなかった。「ポジティブ」なんて安っちょろい概念にはまったく収まりきれない光り輝くエネルギー!あれを見るまではもちろん、まぁ…ちょっと…かわいいだけの足りない人かと思っていたが、いまやすっかり私の女神さまである。録画しといて昨日見たお笑い番組にも出ていたが、猛烈なコメントを炸裂させておられた。昨日引いたおみくじは、ほんと、さえないことばかりが書き付けられた「末吉」だったが、私の心には、あの時のローラさんの光り輝く「だ〜いじょうぶぅ〜、ぜんぜん疲れてなーい!」がこだましているので、大丈夫なのである。
 それにしてもさえないことばかりのおみくじだったが、「学問」だけは「安心して勉学せよ」だった。今年やりたいのはそれなので、それでじゅうぶんだ。大吉だ。


2013年01月04日(金) 開けゴマ

 暴飲暴食系年末年始を過ごしたが、それは同時に(私にしては珍しく)大勢の人たちと楽しい時間を過ごした結果なので、元旦早々休肝日にしつつ、すばらしきこと哉。とにかくこの1週間は、家族だけで過ごす夜がめずらしいほどだった。
 昨日は小浜の温泉に入りにドライブ。去年つくったエタリの番組(明日放送!)の、いちばんハードだった漁の取材明けに、ドライバーさんに連れて行ってもらった古ーい共同浴場。脇の浜温泉。疲れていたからか、ちょっとしょっぱいお湯がものすごく効いて、それからずっとまた行きたいと思っていた。とにかく映画のセットのような古さ。いつの看板だか「大人三銭」なんて書いてある。道中、ヒコがいまお気に入りの「千と千尋の神隠し」を見ながらだったので、そのままあの世界に入り込んだかと思うほどだ。
 そして昨日は、雲仙の山々が、あまりに美しかった。これまで、こんなにくっきり美しい雲仙を見たことはないと思う。普賢岳の上のほうには雪がかかっていて、それがもう、上等なお菓子にかかった粉糖のよう。思わず仁田峠までのぼってみると、「下界」がこれまた、こんなに遠くまで見渡せるんだというくらい、遠く遠く広がっていた。それだけでもう、わけもなく、いい年になると思わざるをえない。

 今年の目標は、いろんな意味で「ケチらない」。あとはとにかく勉強をすること。ミサキンも3歳になるし、閉じていた回路やアンテナを、ぐっと開いていきたい。


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