ぴんよろ日記
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2012年10月25日(木) ライブは、生。

 ステレオを下に移動。ヤナちゃん(柳原陽一郎さん)の唄を聴くために…。だってねぇ、四半世紀近く聴いてきた唄が、目の前で唄われたんですもの…そりゃ漬かりたい気持ちもわかるよ、自分。
 ライブの途中って、かなり好きな人のものでも、違うこと考えたりボーッと意識が飛んだりするのだけど、日曜日のライブは終始釘付け、心底「終わらないで〜!」と思った。世間的には「『たま』の人」であるヤナちゃんだが、ソロになってからのファンも増えているらしい。会場のライブハウスは超満員だった。開場時間に着いてみたら、すごい行列ができててあせったけれど、飲み物を買って、前の端っこのほうに座ろうとしたら、隣のお姉さんが「ここ、とっても体格のいい男の人が来るんです。だから、よかったらこちらにどうぞ」と言って、自分からは座りたくても座らないような「マジど正面!」の席を勧めてくれた。そのおかげで、もうほんと、目の前で!目の前で!

 (ライブのことは…書けない…とにかく…じーん…隣に座ってたお兄さんが泣いてた…)

 そしてライブのあと、CD(いちばんお気に入りの、でもお気に入りすぎて行方不明になったので2度買いの)と本を買って外に出て信号待ってたら、また違うお姉さんが話しかけてきた。「サインはもらいました?もらってないの?もらえばいいのに!してくれますよ!私、お金おろしてなくてCD買えなかったら、お金おろして来る!待ってて!」そう言って、ドドドーッとコンビニに走って行ってしまったので、ポカーンと待ってたら戻ってきたので、2人でまたライブハウスに戻ってみたら、たしかにヤナちゃんが、ギター磨きながらサインしていた!サインって、特に本にはぜんぜん欲しくないほうなのだが(だから自分が『サインして』って言われると、ほんとにほんとなのかなぁ、大丈夫かなぁ、って思う)、や、ヤナちゃんである。買ったCDを差し出すと、「お名前は?みどりさん。字は?あぁ、ひらがな、はいはい、みどりさん」なんて言いながら、ひょろ〜っとサインしてくれたので、「あの、もう、生きててよかったです!」って伝えると「それはそれは、これからも生きててくださいよ〜」と、あの声で…。
 いやー。すばらしかった。それまでがものすごいハードな日々だったので、風邪をひきかけてもいたのだけど、目の前でヤナちゃんの唄を浴びたら、そんなものは吹き飛んでいったのだった。

 ライブって、なるほど…「生」ってことか…。ものすごく納得。


2012年10月18日(木) 自然体

 ヒコの髪を切りに行くついでに、一緒に切ってもらえるなら切ろうかな、と思って美容院を予約。だいたい「ヒコのついでに」という時点でもう間違っているのかもしれない。かれこれ3ヶ月ほど美容院に行っていない。それも、なんとなくモヤモヤしているので、渋々行くって感じ。髪はもちろん、化粧品だの洋服だの、美容関係の優先順位がまったく低い。髪だってどうしたいこうしたいというのは全然ない。だからダンナに聞いてみた。「長いのと短いの、どっちがいいかね?」「まぁ、いまちょうど中途半端だけど…、あんまり切っても寒いとじゃ?」そして次の瞬間、根源的なアドバイスが。「まぁ、自然体すぎるのも、ね…」
 さてどうしたもんかなぁ。


2012年10月15日(月) カマキリのおばさんが

 ヒコ、7歳! おめでとう!

 7年前からの「年中行事」として、アミュのアフタヌーンティに行く。ここ数年姿を消していた、エビのグリーンクリームパスタが復活していた。7年前の10月14日のランチにこれを食べて、そのあと本屋さんで立ち読みしたりCD買ったりしてバスに乗ったら、どんどんお腹が痛くなって、夜中すぎにヒコが生まれたのだ。だから、まぁ正確には昨日行くべきなのだろうけど。
 そして7年前、アフタヌーンティに向かう途中、駅前の歩道橋を登りかけたら、目の前にお腹の大きなカマキリがいて、それを見た瞬間、自分も生まれそうな気がしたのだが、なんとさっき、部屋の窓を閉めようとしたら、網戸にお腹の大きなカマキリがしがみついてこっちを見ていた。こんなことって、あるんだ…!
 この7年は、たしかに大変な7年間だったが、「まぁ、ひと区切りだよ、がんばったんじゃない?」って言われているような気に…なっても、いいですよね、カマキリのおばさん。


2012年10月12日(金) 街道をゆく

 エタリの取材が来週あたり、最後の山場を迎えるので、これまで撮ったテープをプレビューしに行く。インタビューの使いたいところなどを書き起こしたり、好きなカットをメモっておいたり。自分にしかわからない思いつきのキーワードなどをどんどん書きつける。やっぱり手で書くのはいいなぁ。頭の中のモヤモヤが、スッと消えていく。そして新しいことをいろいろ思いつく。まだまだ大量に残っているが、なんか楽しみになってきた。…というよりも、「取材は苦手だが、作るのは好き」というだけか(構成だけの注文来ないかな)。そして「手でメモ」というのがやけに新鮮で、これから別のこともこのスタイルでやる気になってしまう。

 こないだ買ったフィルムカメラ(ナチュラクラシカ)で撮った写真ができてきた。こ、これは…いい…。ほんの何日か前の光景なのに、カメラ屋さんの店先で見ながら泣きそうになってしまった。こんな世界を、むざむざと捨てて来たのか…。

 手書きにフィルムに、アナログ街道まっしぐら。


2012年10月11日(木) ラジオ仕事

 包丁を研いだり、まとまった料理の仕込みをしたり、草むしりをしたり、手づくり本の製本をしたり…そんな時にラジオを聞くのが好きだ。ラジオを聞きながらできる仕事の時間って、多くの場合、人間らしい気がする。これが「好きな音楽」だと、ちょっと違う。自分の世界に入りすぎる。手を動かしながら耳に入ってくる、ちょっといい話や、知らなかった人の曲。世界が少しだけ、広がる。
 また、ラジオを聞きながら、というのは、けっこう時間が区切られる、ということでもある。やろうと思えば際限なくやってしまいがちな(特に私のような『一人蟻地獄』人間は)状況に、ニュースや時報で、やさしく水を差してくれる。その、ふと我にかえって、お茶飲んだり、ひと区切りして違うことに向かったりできる、その「現実味」も好きだ。
 無心に手と目を動かしながら形あるものを作って、気持ちは自由。時間が来たら終わって、お風呂に入って、ビールを飲む。ラジオを聞きながらするタイプの仕事を、今よりもっとたくさんの人がしているような世の中になると、きっといいんじゃないかと思ったりする。


2012年10月10日(水) ちゃんと。

 久しぶりに、静かな一日。みんなを送り出したあと、ここ数日で散らかっていた部屋を片付け、ここ数日外食ばっかりだったので、いろんな野菜を刻んでスープを作る。
 10月に入って、ぜんぜん落ち着かなかった。でもそれは、素晴らしい出来事や、祭りや、楽しい時間がめまぐるしく行き来していたからで、体は疲れたが、気持ちはチャージされている。いや、体の疲れも、今朝起きてみたらほとんどなかったのだ。足を上げて寝たのも良かったか。

 ところで「いつものカメラ」をフィルムカメラにして、思っていたよりもずいぶん、心のある部分が静かだ。「むやみに撮らない」「ひとつのシーンでだいたい1枚だけ」「その場で見られない」「やがて物体として手にできる」というようなことは、精神衛生上、かなり「効く」ようだ(心配性の現代では反対に思われているが)。私は「仕事柄」ということもあり、10年以上、デジカメで山のように写真を撮ってきた。それによって、思いがけず失ってきたこと、そこねてきたものが、どうやら確実にあるようだ。世の流れからはまったくもって逆行だし、仕事の中でデジカメを使うことは当然あるが、もう「戻る」ことはないと思う。

 写真といえば、今年も「いとう写真館」で家族写真を撮った。去年とおととしは、まったく普通の格好だったけれど、今年は、子どもらはくんちの衣装、私は着物、ダンナも一応それなりに。みんなでカメラの前に立ったら、写真家の伊東さんのいつものニコニコが、ふっと静かに引き締まって、「これはちゃんと撮ろう。これはちゃんとだ。ちゃんと行きましょう」と、なにやらレンズも交換して、ふたたび「ちゃんとがいい。これはちゃんとで」と、撮ってくれた。
 装束が「絵になる」とか、そういうことでは、ちょっと説明がつかない感じだった。祭りが持つ、一種の「凄み」みたいなもの…も、たぶん、作用していたと思う。その、祭りの時間が持つ長い長い縦糸に、小さい子どものいる家族の極めてはかない横糸がバシーンとスパークした瞬間だったのだろう。このところ、写真の力の大きさにあらためて驚いたりしているのだが、それを仕事にするということは、永遠と一瞬を司る、じつに恐ろしい立ち位置だと思う。ひと目でクセのある人や、やたらいい人が多いのも納得だ…。


2012年10月06日(土) そうか、珍しいか。

 最近、朝から抹茶を飲む。ある日「青汁」的なものが飲みたくなって、パックのジュースみたいなのを買ったのだが、ぜんぜん「青」くなくて、なんか「青いもの」ないなかー、と思いついたのが、冷蔵庫に眠っていた、賞味期限切れの抹茶だった。「青」だ!真っ青だ!(お茶を習ったことはないので、果てしなく適当に)立てて飲むと、これがストライク。心も体も妙にさわやか。
 ベランダに出て、朝の彦山を眺めながら飲む。「ご来光」の時もあれば、今朝はまだ早いので、朝焼けだった。空が焼けている色って、どうしてこんなに心をつかむのだろう。前住んでいた部屋は南西向きだったから、ものすごい夕焼けを何度も見たけれど、いまの家は東向きなので夕焼けは見られない。そのかわり、朝焼けと「ご来光」なのだが、いかんせん、朝。そして朝焼けは、もろい。暮れる時も明ける時も、お日さまの早さはおなじはずだろうと思うのに。

 備忘。

 3日、くんち御神幸お供の清祓い。なんの心の準備もなくお諏訪さんに行ったら、突然!いつもは入れない本殿のそばまでの「お庭踏み」だった!違う意味でドキドキ!いつもうっとり眺めている木々が目の前に!暑い中、ツルツルすべる衣装のミサキンをずっと抱っこして延々と歩いて、体力的にはかなり疲れたが、本当にまったく思いがけない瞬間だった。ここに連れてきてくれた子どもらに感謝するほかない。
 夜は庭見せ。思っていたよりもはるかに多い人出。「庭見せにたくさんの人が歩いている」っていうことに、大きな希望を感じる。この「現象」には、あらゆる希望と可能性が秘められている。

 4日、ペコロスおかのさんと、わがトンビ軒で「ペコトン書店」。カメラのフォーカスさん主催の「いとう写真館」の「小さな市」で、「長崎でいちばんゆるい本屋」を開店した。それぞれの本を、しみじみ売る2人。岡野さんはすごーくていねいに、絵もいっぱい描いてサインしている。私はレシピ本とポストカードをプレゼント&「行者」「泥棒」「魚売り」「大道芸人」などの消しゴムスタンプを押し放題。バカバカしいかと思ったが、スタンプ押し放題を喜んでくれる人がけっこういた。たしかに普通の大人はあんまりしないから、楽しいのかも。そして、本についての話しかけや質問より、スタンプについて「これ、あなたが作ったの?」と聞かれるほうが断然多かった。たしかに、普通の大人は手のひら大の魚売りとか彫らないから、珍しいのかも。

 そしてついに、小さなフィルムカメラを購入。これから、ふだんの写真はフィルムだ。このところ、デジカメにずっと落ち着かなかった気持ちがおさまった。


2012年10月03日(水) プレゼント

 気づけば、今日はもう「庭見せ」。そして踊町は明日だが、年番町の「人数揃い」は今日なので、御神幸のお供をつとめる我が家の2人は、学校も保育園もお休み。私は朝からミサキンの着物の肩上げなどする(早くやっとけ〜!)。ヒコの着物はダンナの、ミサキンの着物は私の母の小さいころのもの。ダンナの着物は保管状態が悪くて、七五三にはとてもじゃないけど着られなかったのだが、今回は着物の上にすっぽりと狩衣や袴を着るので大丈夫。これで「成仏」できる気がして、ダンナも嬉しそう。ダンナは諸事情により、子どものころの思い出に対する扱いが難しいようで、そういう気持ちも、ひとつ「成仏」できたのかもしれない。勝手な想像だけど。
 ミサキンの着物は、つまり60年もの。母に始まり、私も妹も、いとこ姉妹もみんな着て、それぞれの写真がばあちゃんの部屋にまとめて飾ってある。違う年の、違う顔が、おなじ着物を着ている写真たち。こういうことって、とても大きな贈りものだと思う。自分が思いついてやれるものじゃない、長い長い時間をかけたプレゼント。
 着物って、デザインも変わらないし、サイズの調整も簡単だし、そういうことができやすい「もの」なんだなぁ、と思う。


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