ぴんよろ日記
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2012年09月28日(金) ぼうえんくん


 夏休み、「宿題は…」と言おうものなら身をよじってイヤがるか、突然ぐったりと疲れを訴えるか、怒りだしていたヒコ(あ、いまもだ)。「じゃぁ工作は…」との提案に対し、3分後に持ってきた「作品」は、スケッチブックから破った「ぼろぼろ部分」もそのままに、1枚の画用紙を丸めて、3ヶ所くらいマスキングテープで止めただけの「自称・望遠鏡」であった。その時はあまりのことにヘナヘナと意見する気にもなれず、そのまま提出となった。美術館学芸員の友人に問い合わせたが、それを「作品」とみなすかどうかというのは、とても難しい問題であるとの見解だったが、学校の「夏休み作品展」には、もちろん「アンデパンダン」ではあるが、展示されたという。そして、その展示されたブツが、先日返ってきた。はじめに見た時よりも、テープが補強されていた(いつの間に!)。そして本人と先生のコメントが添えられていた。


 「ぼうえんくん」
 あせかいてつくりました。
 つくるのがたのしかたです。
 がんばりました。


 暑かっただけじゃん!3分だったじゃん!楽しんでもがんばってもいなかったじゃん!
 心の中で猛烈に突っ込んだところに、先生の赤ペンが。


 かみをくるくるとまるめると、つつのかたちになっておもしろいですね。
 「ぼうえんくん」でどんなものがみれるかな…?


 ほえ〜〜〜。さすがプロ…。褒めて育てるとかって、私には絶対ムリ!

 でも、なんかいろんなことを考えた。ぼうえんくん、いいじゃん。なんか、もう、なんか、せつないような気持ちになって、いつも机に置いて、時々、ぼうえんくんを覗いている。


2012年09月26日(水) 自画自賛

 呆然と、日々は過ぎゆく。自分がなにをどうやって暮らしているのか見失っている感あり。
 とりあえず、1週間くらい前に買った本が袋に入ったまま。


 私がミサキンに作った歌。その1

 かわいいひ〜と〜 みさきさん〜 みさきさんですか〜 ほい
 すてきなひ〜と〜 みさきさん〜 みさきさんですか〜 ほい

 その2

 かわいいちゃん す〜てきさん み〜さきさん
 かわいいちゃん す〜てきさん み〜さきさん

 赤ちゃんのころから歌っていたら、最近、自分で歌うようになった。
 なかなかハイレベルな自画自賛ソングだ。


2012年09月22日(土) よしわるし

 昨日、ようやく小冊子を100冊納入。まだあと70冊くらいあるが、もう、印刷はすっかり終わって、あとは製本するだけなので、この山はすっかり乗り超えた。32ページの小冊子、世の中にはこんなもの、気にも止まらないくらいあふれかえっているし、そのほとんどが機械によるものだから、これが付いていたからなんだというわけでもないだろうが、自分の手で作るとなると、わりとややこしいし、数が多くなると、けっこうな時間もかかる。私はこれまで何冊もこういうものを作ってきたので、今回の「よりぬきレシピ」程度なら、ほぼ「作業時間」だけで作れるけれど、初めて作る人は、たぶん途方に暮れると思う。しかしその「作業」が、ガラスの背中の四十路女にはこたえる。なんかのCMじゃないが、目、肩、腰が崩壊寸前で、昨日はついに見かねたダンナから「オヤユビ指令」が出て、キング氏に揉まれて笑われた(『肩甲骨が家出してますよ』とのこと)のだが、それでもこれは作り上げたかった。とにかく今回の本を手に取ってほしいし、ちょっとでも自分の生活を楽しんでもらえれば、と。そして、こないだ見たテレビで高倉健さんが話されていた「気持ちは映る」ということ、私も信じている。
 これに限らず、世の中に、普通にあふれかえっているものって、いざ「作る」となると大変だけど、本来はすべてのものが「手づくり」だったはず。それはもう、そんな世界に戻るには、大変な主義主張や浮世離れが必要だし、私自身そんなことをしようとは思わないが、それにしても、良し悪しだな、と思う。

 今日はミサキンの運動会。おなじ歳の時のヒコは、この運動会で大泣きして、私にしがみついて離れなかった。ミサキンはたぶん、私のこと見向きもせず、みんなのほうに走って行くだろうな。


2012年09月18日(火) 追い越せ…なさそうだな。

 おお…。1週間日記を書いていなかった。備忘備忘。

 11日。西日本新聞長崎版で「ながさきのみつけかた」連載開始。

 12日。ひたすら小冊子(「長崎おいしい歳時記」書店初回注文分おまけ)づくり。

 13日。朝からラジオ。ひたすら小冊子づくり。そしてついに「長崎おいしい歳時記」到着!

 14日。フォーカスさんとカリオカさんと「チャイナガサキ撮影会」で崇福寺へ。夜も崇福寺へ。

 15日。朝、猛烈に買い物。昼、ヒコ空手稽古。夕、昨日バスに忘れたシャッターのリモコンを取りに行ったり、本を配ったり、実家に寄ったり。

 16日。朝、ヒコの空手の昇級試験。昼、ヒコとミサキンのくんち行列の着付け講習。夜、OK家と「嵐の中のジンギスカン大会(略称『アラジン』)」開催。

 17日。続く嵐の中、荒れる子どもらにまみれる。

 本日は、遅れていた原稿やら何やらに追いつけ追い越せ〜!の日。しかしまだ、小冊子が200冊…。背中にもあやしい気配が立ちこめているが…。


2012年09月11日(火) 種になって

 土曜日は、「たけやま」での岡野さんのライブが、いろんな意味ですごかった。その余韻を引きずったまま、日曜月曜は、山口への小旅行。これまた、長く濃かった夏を踏まえての気持ちの解放やらなにやらがあいまって、濃い旅。見たもの、感じたことについては、これからゆっくり考えよう。いつものドライブインに車をとめて寝たら、強烈な蚊に何箇所も喰われて、左腕が腫れて熱ぼったい。子どもらじゃなくてよかった。

 今日はひたすら小冊子づくりや、贈呈リストの作成などなどなどなど。

 朝から、あさがおを学校に送った。スクーターに乗せて。せつない別れ。毎日水をやったから、いまも、いくつも花をつけている。でもヒコはきっと、すぐに枯らすだろう。うちに来た時がそうだったように。ありがとう、あさがお。種になって戻っておいで。

 西日本新聞の長崎版のジュニア面で、連載スタート。「ながさきのみつけかた」。朝から新聞買って切り抜いて、ちょうどあさがお送りに学校行くし、小学校高学年も対象だから、貼ってもらったりしてもいいかも、と思って学校の横のコンビニでコピーして、無理矢理そこにいた先生に渡して帰ってきたら、コンビニに切り抜きを忘れてきたことに気づいた。


2012年09月07日(金) 「取材」

 新しい本の発売に向け、ひたすら、おまけの小冊子や広報資料作り、書店営業などする日々。前の「長崎迷宮旅暦」で、なんとなく不完全燃焼のまま終わった分野なので、今回はしっかりやろうと決めている。大切に作った本だから、ちゃんと売りたい。たくさんの人に読んでもらいたい。

 何日か前に、ヒコとくんちの稽古を見に行った。ダンナとミサキンは家に残し、スクーターに乗って、祭り好きの2人で、ぷらりと。
 そしたら、いかにも「取材です」という雰囲気を漂わせた人がちらほらいて、「あぁ、私もああだったんだろうな…」と思う。ノートやらバインダーやら抱え、「なにかをつかまえなければ!」と、ギラついている、あの感じ。時に「取材だから、入れないところにも入れてください、ここだけの話も聞かせてください」という、なんらかの特権を手にしているかのような空気をまとった、あの感じ…。
 そして思った。私はもう、「取材」はしない。
 生活者として、あるいは旅行者として、見ることができるもの、聞くことができたものだけをもとに、考えたりしていきたい。「取材」すれば、たしかに何かしらのことをつかまえ、形にすることはできる。でも「取材」することで、見えなくなるもの、とりこぼしてしまうものが、絶対にある。いかにも「取材です」って、ギラギラしている人からは、サッとその身を隠すものが、間違いなくいるのだ。私のこれからは、そういうものと、そっと対話することだと思っている。
 …なんてことも、さんざん「取材」しつらかしてきたから言えることなので、若い人たちはがんばってください。「取材」だから得られるものも、もちろん、あるので。そしてきっとその先が、またあるので。


2012年09月03日(月) 井戸掘り

 おわった…本当におわっただよ、夏休みが…。(大感慨)

 静かな朝、ミサキンもちょっと早めに送って、おすわさんへ。ずいぶん昔に買った中古のフィルムカメラを持って。たしかレンズが傷ついてて、常にソフトフォーカスな感じでしか撮れないのだけど、あらためて試し撮り。
 また、長崎について、ゼロから歩いてみたいという気持ちがあって、その時の写真はもう、デジカメじゃないような気がした。デジカメで写るものを見ようとはしていないというか、写真としてはハッキリとさえ写っていなくていいというか。
 こういう時の「そんな気がする」感じって、まったくもってあやふやで説明不能なのに、絶対ゆずらない強さがある。だからついて行くしかない。

 本の作業やらなにやらで、日記が追いつかなかったのだが、この夏は、大切なひとことに出会うことができた。岡野さんの映画(「ペコロスの母に会いにいく」)の「総決起集会」で、監督の森崎東さんが、ある質問の最後に、ボソリと付け足して言われたことば。質問者さえ、聞いてはいなかったかもしれない、ひとりごとのような、ひとこと。パーティなんて苦手なはずなのに、しかもダンナが仕事だったから子ども2人も連れて行かなくてはいけなかったのに、これまた「行った方がいいような気がする」と「内なる頑固者」が言い張るので従ったのだが、つまりはこのひとことを受け取るためだったのだ!とわかった。

 「長崎ほど深い井戸はない」

 井の中の蛙、結構。私は井戸掘りである。



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