ぴんよろ日記
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2011年11月29日(火) その果てに

 大阪の選挙のニュースを見るだに暗い気持ちになるのだが、それはそれとして、自分の暮らしを大事にしようと思う。思いつつ、いろいろ考える。インタビューに答える人たちは、「当選した人」が自分たちのために何かをスカッと変えてくれたり、これまで自分よりいい思いをしていたはずの誰かを気持ちよく罰したりしてくれるのではと思っているのだろうけど、たぶん、「当選した人」が真っ先に切り捨てるのは、自分のために誰かがなにかを変えてくれるだろうと待っているような、気持ちだけは「当選した人」側にいるような、そういう人のことだ。「当選した人」は、そういう人が「仲間」だとはこれっぽっちも思ってないと思う。まぁ、それは少々いじわるな言い方かもしれないけれど、なんというか、「小さい子どもがいる生き物」として、彼ら(と、彼らに『期待』している人たち)の顔を見ていると、「いざとなったら足手まといグループに入れられて切られるんだろうな」と思ってしまうのである。ジャングルや戦場ではきっと見殺しだろうな。子どもが泣いたら「敵に見つかる。『みんな』のためだ」って言われて撃たれるのだ。嘘かハッタリかしらんけど、自ら、独裁、ってアンタ…。ほぼおなじ歳ってのが、また暗い気持ちに拍車をかける。

 ざまーみろ、って、切り捨て合って、なにが残るんだろう?だれが残るんだろう?


 このところ、庭をまた、掘り返したりしている。すると、初めて掘った時より、明らかに優しい土になっている。なにか植えても大丈夫なような。やはり手をかける(というほどはぜんぜん掛けていないけれど)と、変わるものなのだなぁ…。頭の中には「こうしたい」という姿があるのだけど、(たぶん前世も含めて)ちっとも土に親しんでこなかったわが人生、いわゆる「猫の額」のような庭なのに、ちょっと掘っては途方に暮れる。コツコツやっていくしかない。


2011年11月27日(日) よもやま

 ヒコが来年から行く小学校で「くんち」があるので見に行く。本物の踊町「直伝」の演し物だけあって、なかなか本格的。ミサキンもコッコデショの時は「あ〜よ〜や〜さ」を連発していた。一年生から六年生まで、この日のために練習を重ねたとのこと。私が子どものころはなかったなぁ。青天の霹靂による引っ越しだったけど、自分の子どもが、はからずもくんちに縁のある小学校に行くことになった。住んでいるのは踊町ではないけれど、踊町の友だちがくんち(本物)に出る、あの晴れがましい気持ちを、ヒコもミサキンも味わってくれるといいな。自分が出なくても、本当にうれしかったものだ。
 午後は実家へ。ヒコはもうすっかり、近所の子と、どっか遠くの公園に行ったりするようになった。ミサキンはずっと昼寝。そのあいだ、母とよもやま話。人生いろいろ悲喜こもごも、げにむつかしきは人づきあいかな…というようなことなど。


2011年11月25日(金) シーグラス考

 朝から取材で野母崎へ。昼過ぎに終わったので、近くのお店でお刺身定食を食べて、脇岬の浜でボーッとした。このへんは、脇岬縄文人の骨が出たあたり。つまり縄文人とおなじ海を眺めてるんだなー、と思いながら、極力ぼんやりしようと思いつつ、気付いたらギラギラとシーグラスを拾っている貧乏性。
 シーグラスって、これまで拾いに拾ってるけど、それでなにかを作ったことはない。世の中にあるシーグラスで作ったもので、あんまり好きなものはないし、自分でもまだ好きなものを作れそうにない。シーグラスで作ったものって、一種独特の雰囲気があって、私はあまりそれが好きじゃないのだ。私にとっては余計な「自然派感」が漂ってるというか。流木と組み合わせたものなんて、もはや嫌いだ。お店やなにかにあるのはかまわないけど、自分の家には存在させないぞ…と言いつつ、ヒコやミサキンが保育園や学校で写真立てとか作ってきたりしたら、ありがたく飾るのだろうな。
 しかし今日のシーグラスは、私好みの小粒なものや、あまり見かけない色のもの、字が入ったものなど、収穫多し。シーグラスって不思議だ。元はと言えば人が作ったものなのに、波に洗われないと完成しないし、いつどこからやってきたものなのかもわからない。作ろうと思ってできるものでもない(世には作られた『養殖シーグラス』もあるみたいだが)。人と自然の間の波打ち際に現れるヘンなもの。どちらのものでもない、どちらにも帰れないというような、独特の存在感。木の箱にたくさんためてる彼らを使って、いつかなにか作りたい。


2011年11月19日(土) 船漕ぐ人

 朝から雨、41歳。

 41歳なのに、小さい子どもと暮らしている面白い人生。体力的にはつらく、いまも口の中には「お疲れヘルペス」がドカーンとできているが、気にしない。日々は必死だが、ひとたび…トンビのように、びゅうと俯瞰で見てみると、面白いじゃないか!がんばれよ!と思う。がんばれよ!

 以前から、自分の魂のようなもののルーツ、というか、たどってきた道筋のようなものがあるとするならば、田んぼや畑には縁がなかった気がしてきたのだが、こないだ、ひょんなことから行った稲刈りイベントみたいなところで、それをあらためて確信した。「日本人の懐かしい風景」の代表格である田んぼに足を踏み入れても、あいかわらずぜんぜん懐かしくないのもさることながら、稲刈り体験もまったくやる気になれない。目の前にある「面白そうなこと」は、だいたいやるほうなのに、気持ちも手も動かず…。もちろんそれをやってらっしゃる方たちは真剣なので、こんな気持ちでやるのは失礼だと思い、遠巻きに眺めていた。こんな時代だし、さらには、石けん作ったり重曹で掃除したりのなんちゃってエコ野郎だから、「土」に対して自分がもっと親しい気持ちになったり、庭も畑にしたりしてみてもいいのに、それが湧いてこないのである。田んぼで走り回るひときわ大きいヒコの声を聞きながら、レジャーシートにミサキンとゴローンとしていたら、その答えであろう、なにものかの声が頭をよぎった。

 「米?魚と換えればいいじゃん」

 やっぱりか…。
 「海から海へ〜私はゆくよ〜」というどんとの歌を聴くと、いつも泣きそうになるが、どうやら本当にそうやって生を重ねているようだ。なにはともあれ41歳。ギーコギーコと船を漕ぐのである。


2011年11月18日(金) 今日は二回目。

 KHAKIさん(http://khaki.coffee-hitomachi.com/)による「陶で作るアクセサリー教室」、二回目。こないだ、こねて丸めて作ったパーツが、今日はきれいに焼き上がっていた。細くて平たい輪っかの蛇を作っていたのだけど、それがなんともいい感じの色とたたずまいに焼き上がっていて、それだけでも、もう、じーんとうれしかった。
 今日は、それらのパーツと麻ひもを使って、ペンダントを作る。簡単なはずの結び目が、ぜーんぜんできない。私は、もはや才能と言っていいくらい、右と左とか、上と下とか、そういう「二者択一」的なことを覚えられないのだが(10年住んだマンションの入り口のドアの『押し』『引き』を、最後まで間違っていた)、その才能が存分に発揮される分野なのである。軽く自分に絶望しつつ、なんとかがんばってみた。
 前回に引き続き、いかにも自分が作りそうな配色と構成。しかし、ふだんはしないこうした手作業に黙々と集中するのって、心にとっては大変にいいような気がする。できたものは、そりゃー初めてだったからガタガタしていたけど、気持ちがすーっと落ち着いた。いい気分のまま家に帰って、しばし「本業」に集中した。


2011年11月17日(木) 平常心こっぱみじん

 今日はいよいよ、ヒコの就学前検診で小学校へ行く。春から小学生なのだ。小学生!「小」さいながらも、あのヒコが「学生」なのである。学生!ひょ〜。まだ字が読めないんですけど〜(保育園のクラスで一人らしい)。午前中にやろうと思っていたことが、そんなこんなで、そわそわしてしまって、手をつけないで終わってしまった。そのかわり、とあるアイデアに関するメモを書き付けたりして。とにかく落ち着かない。
 ヒコがよくここまで育ったとか、そういう感慨も大きいが、自分自身が「学校に行く」というのも、これまた落ち着かないのである。たとえ小学校とはいえ「学校」という空間に足を踏み入れ、先生たちの話を聞く、あるいはほかの子のお母さんと話さなくてはならないということに、ちっぽけな平常心などガタガタである。こないだの保育参観のときに、隣りにいたお母さん同士が、入学後の心配とか、「大学に入れるなら中高一貫の学校がいいのかしら」とか、そういうことを話してるのが聞こえて、もうそれだけで座り込みそうに疲れてしまった。この手のことが、ほんとに苦手。どうしてなのだ。子どものころに、学校が嫌いだったというわけではない。まぁ、ひとりで本を読んだり絵を描いたりすることが好きだったから、できれば時々は休んで好きなことばっかりしたかったけど、行きたくないと身をよじったことはない。だけどもう、それを通り過ぎてしまったいま、当時に戻りたいかときかれたら、100%ノーである。そして通り過ぎてはじめて気付いた理不尽さや、正しさの顔をした無意味な規則や罰などが、すぎたからいいものの、二度とごめんだ、と思うのである。それがヒコには、1から始まる。いやいや、もちろん、楽しいこと、素晴らしいことも多いということも、重々承知の上で、だ。あ〜、ややこしい。
 でも、こういう気持ちになる親を選んで、ヒコは我が家にやってきたのだろうから、無理のない範囲でがんばろう。ああドキドキ。


2011年11月16日(水) 美容室難民

 我が家の全員が10年以上通っている美容院が、今年いっぱいで閉店してしまう。大ショック。経営上の問題ではなく、お父さんがやってる焼き鳥屋さんを継ぐらしいのだが、我が家にとっても一大事である。オシャレな美容院がとっても苦手な私たち。もとは長崎の大手オシャレ美容院にいたお兄さんは、いい感じに仕上げてくれつつ、しかし、オシャレを強要しないし、トークも気楽で、ヒコが仮面ライダーの人の髪にしてほしいと言えば、なんとかやってくれたし、ダンナの強いくせ毛もいろんな秘策であしらってくれたし、ほんと、我が家には最高のお店だったのだが、今年いっぱいである。うーん、どうしよう。初めて行く美容院って、私にとっては苦行以外のなにものでもない。オシャレな美容院の「シャンプーのあと、店内の全員から『おつかれさまでしたー!』コール」を受けると疲れてなくてもドッと疲れてしまう…。こうなったら、友だちのお母さんがやってるおばちゃん美容室にでも行こうかしらとさえ思う。完全に難民なのである。


2011年11月15日(火) 彼の休日

 制服着て保育園まで行ったのに、ヒコが具合が悪いという。「どうしたと?」と聞くと、「頭が痛い…いや、お腹が…」と、なにやら定まらない答えなのだが(あぁ、いま思えばあやしかった…)、とにかくいつもよりシケた顔しているので、ひょっとして本当に具合が悪かったらかわいそうだな、と思って休ませた。
 家に帰って、布団に入ったのは5分間。熱を測ったら6度4分。あっためた牛乳飲んでウンコしたら、あっという間にカード屋さんが開店して、午後はなんだかんだと夢彩都に連行され、そのまま夕方まで。
 まぁ、最近ミサキンへの軽いやきもちがつのっていたので、良しとしよう。

 昨日プリントした「ナガサキッチン」を40回分くらいまとめて読んだら、自分で言うのもなんだが面白くて、「本にするならこんなページもほしいな」といういろんなアイデアもわいてきた。いいぞ〜、なんだか。


2011年11月14日(月) すでに「実物」は

 ながさきプレスで連載中の「ナガサキッチン」。「とりあえず自家製本書籍化計画」を進めるべく、いままでの文章とイラストをハードディスクやらメールボックスからコツコツ探して、とにかく全部、プリントアウトしてみた。イラストなんか、ちいさーくしたのに、A4で70枚越え。よく書いたものだ。付け足したいこともたくさんあるし、大半のイラストも描きなおしたい。まぁ、誰に頼まれてるわけでもないから、納得いくまでやってみよう。本の「実物」は、もう頭の中にある。持った感じも、手の中にある。それが現実のものとなるには、相当の道のりがあるだろうけど、作るのは楽しい。まずは、中身をどんな順番で並べるかに、かなり悩みそうな予感だ。

 昨日は、何年か前に行ったことのある、佐賀の塩田町の旧車フェスティバルに。もちろんダンナの趣味だが、けっこう面白いのだ。車だけじゃなくて、その車に乗ってる人たちが、いまではなかなかお目にかかれないリーゼントだったりして…。サテンのスカジャンを着せられた赤ん坊がいたりして…。会場で売ってあったお弁当やだご汁を食べてのんびりする。

 おとといは、ヒコとミサキンの保育参観だった。ふたりとも、よく育ったなぁ…。先は長いけど。


2011年11月10日(木) 否定は快感

 いまではもう、あまり知る人もいなくなったかもしれない、消息不明のある人のことが、2〜3日前に頭をよぎった。今朝、「この人だったら消息を知ってるかも」と思う人と話したので、ちょっと聞いてみたが、ぜんぜん知らないとのこと。そしてその人も、2〜3日前に、彼のことが頭をよぎったとのこと。……。なにもなければいいが。

 やっと晩秋らしい寒さ。これくらいがちょうど好きだ。

 ここ数日で、ミサキンが「ダメ〜」と言うようになった。最初はたまたまそんなふうに聞こえたのかな?と思ったのだが、的確な状況で発せられているようなので、どうやら本当に「ダメ〜」らしい。ヒコがぎゅーぎゅー抱き上げたりする時はもちろんだが、自分が持っているものを渡すそぶりをして、受け取ろうとすると、「ダメ〜」と言って手を引っ込めることもある。そんな時は、とてもうれしそうな顔をする。なるほど「否定」とは、とても本能的な快感なのだ。「まんま」「はい〜(おっぱいのこと)」「あーちゃん(家族を呼ぶ)」「こ、こ(あらゆる要求)」「あ〜よ〜や〜さ(コッコデショのかけ声)」の次に出てきた言葉が「ダメ〜」なのである。人がやろうとすることをすぐ否定する人がいるけれど、そしてけっこう地位も名誉もあるような人に多い気もするけれど、こうしてみると乳幼児的快感に身をまかせている場合も少なからずあるんじゃないだろうか。政治家、とか…。「おまえ(のすること)はダメだ」というとき、そこには「オレの正しさ」という「気持ちよさ」があることを、人の振り見て我が振りなおせ、である。
 しかし、オッサンたちの否定ごっこは腹立つが、ミサキンの「ダメ〜」は「ダメ!」じゃなくて、ちょっと甘い感じの「ダんメ〜」。言われてもぜんぜん腹が立たない。


2011年11月08日(火) 前掛けしめて

 昼間、家にいる時はだいたいエプロンというか、前掛けのようなものをしている。家事をする時もだけど、パソコンに向かって文章を書くという、およそ必要なさそうな時も。これは以前、いつも愛用しているポーチを作ったタイの女性の制作風景の写真を見たことと、大いに関係がある。家のそばとおぼしき木々の下で、豆をむいたりスパイスを潰すような感じで、針を動かす彼女。それを見たとき、私も、ごはんを作ったり掃除したり、草むしりをしたりするように、考えたり書いたり作ったりしたいと強く思ったのだ。頭の中と机の上だけで考えない、(さしあたっては長崎の)歴史とか民俗とか、そんなようなもの。観念や趣味じゃない、身体で感じる、生活の肌ざわりを持ったもの。
 民俗学って、本来はそういう世界のことを扱っているはずなのだろうけど、「学」になっちゃうと、どうしてもそこから遠ざかる。しっかりした記録で残されていないものを扱うことが多いから、どうしても「いろんな事象の『由来・意味不明』のままの羅列」で終わることも多いし、さらには、その空白部分に夢や理想や空想や妄想やロマンが「正解」として充填されてしまうこともある。柳田国男や折口信夫、南方熊楠なんていう、民俗学の初めのほうの「巨人」たちが、あんまりにも天才だったものだから、それもありだったのだろうけど、普通の人にはできない。そしていくら天才たちでも、大勢の人が暮らしと人生の中で少しずつつちかってきたものを、もてあそんでいいわけがない。私はただ、前掛けをしめて、ごはんを作ったりお母ちゃんをしたりしながら、なるべく妄想に走らないように、あれこれ考えたり作ったりしていこうと思う。

 あいかわらず、トイレ関係でこまったさんのはるちゃん。しつけの方法を検索しても、すでに試した方法しか見つからない。でも昨日見つけたサイトに、「生まれつき縄張り意識の強い猫や、愛されたがりの猫は、後から来た猫であっても性別を問わず粗相しまくる」というようなことが書いてあって、これか…と納得。そして「そういう猫は多頭飼いに向きません」とのこと。「向きません」って言われても…。


2011年11月07日(月) 悪魔の切符

 昨日なにげなく見たNHKの「孤立集落 どっこい生きる」が、ずっと心に残っている。見ようと思って見たわけじゃないのにどんどん引き込まれ、後半はぐっと集中した。震災で孤立した村の避難所が、4ヶ月経って解散するあたりから。その村の人たちは、とにかく、いろんなことを待っててもしょうがないので、自分たちで動いてやっていくのだ。はじめはもちろん、行政とかそういうところに「なんとかしろ」って言ってたのだけど、これがもう、どうにも動かないから、自分たちで港に沈んだ車を上げ、高台に集落を作るために必要な道路を切り拓いていく。その様子は逐一ネットにアップされ、それを見た「必要な物資や人手」が、どこからともなくやってきたり。ワカメ養殖のための船も、どうにかこうにか調達して、ペンキを塗る。
 自分たちに起こった災難を、自分たちの手でなんとかしているその顔は、本当に力強くて生き生きしていた。日本人はずいぶん、いろんなことについて行政やらなにやらに「してもらう」ことが当然になってしまっているけれど、もちろん、そうすることが必要なこともたくさんあるけれど、それで失ったものも、けっこう多いのだ。双方骨抜き、っていうか。
 自分で動くことが「損」っていう思考回路は、これを機に捨てたほうがいいと思う。それはたぶん、永遠に幸せになれない悪魔の切符だ。


2011年11月05日(土) 思ってるほど

 ミサキンの指が突っ込んだ右目に違和感が残るので、まだメガネ生活。実家に行ったら「アンジェラ・アキみたい」と言われる。
 慢性的なヒコのやきもちが、時々噴火してつらい。ミサキンに手がかかるのはどうしようもないし…。ヒコもミサキンも絶対にいなくなってほしくないけど、それとは別に、自分が子育てに向いてるかどうか聞かれたら、向いてないと即答すると思う。でも、向いてない人もするのが子育てなんだろうと思うようにもなってきた。「あなたは生きるのに向いてますか」と聞かれて、胸を張れる人もなかなかいないんじゃないかというようなことだ。生きてるから生きてるし、いるから育てる、というような。そこに、向いてるとかいないとか、間違いとか正解とかいうものは、思ってるほど存在しないんじゃないか、と。


2011年11月04日(金) そっと

 唐津くんち見物。唐津くんちの曳山を見ても、ミサキンが「あ〜よ〜や〜さ」と言うのが面白い。形やらなにやらは違うけれど、共通するものをちゃんと感じ取るのだろうな。
 およばれした唐津の知人・Tさん宅で、長崎の諏訪神社の話をしていて「初めの青木某さんは唐津の鏡神社と関わりがあるっていう説も…」とTさんに話したら、テーブルの向こうのお兄さんを指差して「あぁ、あの人、鏡神社の禰宜さん」。ひゃー。九鬼水軍の末裔というおばさまもいらして、しばし神功皇后の話などで盛り上がる。そばにいたはずのダンナが、そっといなくなっていた。


2011年11月03日(木) みんな裸

 今日はこれからラジオで3分間お話しして、すぐに唐津くんち見物へ…行くはずだったが、その前に眼科に行かなくてはっ!昨日の夜、すでにコンタクトを外した目に、ミサキンの、ちょっと爪ののびた指が突っ込んできた。その時も絶叫したけど、寝て起きてもまだ強力な異物感がある。ネットで見たら「とにかくすぐ病院に行け」と書いてあったので、目のことなので、恐ろしいけど、がんばって行こう。
 でも、休日当番医を探したら、15年以上前に監視員のバイトをしてた「高級フィットネスクラブのプール」によく来てた先生のようだ。まぁ、覚えちゃいないだろうけど。別に覚えられててもいいけど。いま思えば、おもしろいバイトだった。クラブの入会金は100万円。長崎のお医者や社長や三菱の偉い人たちがみんな裸。町で会うと、服を着てるのがなんかおかしかった。「あ、裸じゃないんだ」って。そりゃそうだろうよ。


2011年11月02日(水) 「こ!こ!」

 朝、私からはちょうどテーブルの陰に隠れて見えないミサキンが「こ!こ!」と、なにかを訴えておられる。「こ!こ!」は、万能訴え機。「だっこ!」「うんこでた!」「ここにいたくない!」など、彼女にとって「いま置かれている状況を変えたい」分野での、あらゆる訴えが可能となっている。こちらはその状況と文脈を読んで対処させていただくわけだが、今朝の「こ!こ!」は、よくわからなかった。しかし「現場」に行ってびっくり。小さな指が示す先には、もぎくんのゲロが!触るでもなく、無視するでもなく、それを「処理すべきもの」として教えてくれたのだ。すごい…。そして最近、どんどん「世話焼きおばちゃん」になっているミサキン。配膳や戸棚の整理などに高い興味を示されている。
 しかしミサキンには、どうして敬語を使いたくなっちゃうんだろう…。保育園では「ミサキングちゃん」と呼ばれている。女子なのに、王者の風格。


2011年11月01日(火) 11月のはじまり

 朝いちばんにハハから電話が鳴って、なにかと思えば、研究所月報にスペルのミス発見(informationの"r"が抜けとる!)とのこと。素敵な11月のスタート。英語に弱い「所長」は、今月で41歳。手もとにある分にせっせと「r」を書き足す41歳。研究所のしおりもなくなっていたので、表紙の「唐紙」から作成。画用紙とコピー用紙のサイズって絶妙に合わないので、どうしても大量の「はぎれ」が出る。なので、割り切って「はぎれ」は「パッチワーク」にした。「行者」と「魚売り」と「桃」と「泥棒」と「大道芸人」がそれぞれにスタンプされた色画用紙たち。脈絡もなく入り交じり、2冊とおなじものはない。
 11月分の研究所の「出勤簿」も作る。今月の「新事業」としては「ながさきプレス」で連載している、食べものについてのページを、本のかたちに作ってみたいということ。もう何十回分もあるので、まとめてみたい。ひとまず、またもや、例によって「自家製本」を作ってみよう。


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