ぴんよろ日記
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2011年10月30日(日) 低レベルの脱皮

 昨日は、意を決して福岡に買い物に行く。このところ、私とダンナの洋服事情があまりにも貧しかったので。おしゃれに気をつかう人から見れば、毎日寝間着で外に出てるとしか思えない状態だったはずだ。でも洋服を買うのって、ふたりともぜんぜん優先順位が高くないので、どんどん後回しにされて、しょぼいことになっていた。ダンナの仕事着ジーンズなんて、3本いっぺんに膝とお尻が破けていた。「くじけそうになったら鏡を見ろ!」を合い言葉に、売り場へ向かう。今までも気を抜くと「長崎で買ってもいいしな…お茶でも飲もう」という気持ちが襲ってきて、挙げ句の果て、長崎では店に行きもしない、というパターンだったのだ。鏡を見ろ!
 でも、いざ買うとなると、なにをどう買っていいのかわからない。まったく着ないようなヒラヒラの服を欲しいわけでもないし、スーツを着る仕事を始めるわけでもないから、選べそうなものなのだけど、あまりに慣れない行為なので、しばらくボーッとしてしまった。でも、ふと、「いつも着てる感じのものでいいから、それの、生地のいいようなやつ」という方針を思いついて、それでがんばってみた。ユニクロと無印とグローバルワーク(もちろんセール)からの脱皮という、あまりに低レベルのがんばりではあったが。しかもアウトレットだったが。
 帰りは、長々と買い物に付き合わせたお礼に、ヒコが大好きな「黒いお店」に行く。オタクの殿堂。ガンバライドカードと、フォーゼのスイッチをご購入。そして今の私が唯一食べられるトンコツラーメン「一蘭/脂なし」を食べて帰る。
 
 


2011年10月28日(金) 今は、今。

 新しい仕事のために、長崎についての本や、古写真や、川原慶賀さんの絵をあらためて読んだり眺めたり。すると、これまで気がつけなかったことや新しい面白さ、わからなかったことさえわからなかった謎を次々と発見する。やっぱり、すべては目の前にある。見えてるか見えてないかだけだ。

 日に日に表情や動作が増えていくミサキン。あまりにかわいすぎて、時々ムギュー!っと抱きしめてしまうが、そこにふと感じるヒコの視線…。あまりに次々とイチャモンやいたずらを繰り出すので、彼に対してはつい眉間にシワを寄せた顔がデフォルトになってしまっている。いかんいかん。でも、ヒコはどうしても、プリティにかわいい時期はもはや過ぎてしまっているので、自然とミサキンに…。いかんいかん。「ヒコが小さいときは、おなじようにかわいがってきた」という理屈は通じない。子どもにとって、今は、今なのだ。

 AKB48を見かけるたびに、「女工哀史」って思ってしまう。


2011年10月26日(水) ナマコ日和

 ソースとかジャムとか煮干しとか、いろんなものが同時多発的に切れてきている。仕事したり本を読みたいたい気持ちと、現実問題の折り合いが難しいが、麦茶パックの品切れは致命的なので、なんとかしなくては…。

 研究所の月報に、江戸時代の長崎のナマコ売りを紹介しようと思って、軽い気持ちでナマコのことを考えだしたら、とめどなく広がってしまい、頭の中がナマコだらけ。そういえば椎名誠さんって、ナマコ好きだったな。名前の中にも「なまこ」が入ってるのだ!と。たしかに。私は「もつ」「つまみ」など。たしかに好きだ。

 新しい月報ができたので、今日は配達。ナマコの話の1回目…。


2011年10月24日(月) かなわん

 できれば、組織的なものには属さないようにしながら生きているつもりだ。そして、むやみにネット上のなにかに登録したりすることもしないようにしている。それなのに、入らされてしまった。仮面ライダー・ガンバライド部に…。

 昨日はまたもやOK一家と釣りなどして子どもたちを遊ばせる。小さな子どもがいる家の休日は、どこも似たようなものだ。子どもを集めてだんごにして遊ばせてしまえば、大人は遠目で見ておけばいいので、ひとつの家で見るよりもらくちん。なにかやりたいことに熱中することはできないけれど、子どもたちを眺めつつ、とりとめもない話をしながら、ボーッとはできる。

 とにかく「よりみち病」のヒコ。保育園に迎えに行くと、すかさず「今日どこ行く?」と聞いてくる。彼の理想としては、ガンバライドなどのゲームをすることや、私の実家に行って王様になることだが、それじゃなくても、どこかに行きたくてたまらない。なんと予防注射だっていいのだから、重症である。今朝も「放課後」の予定を案じていたが、ゲームは週に一度と決められている上、今日は行かないと言ってるし、実家は旅行中。そこで彼は提案した。「ミサキンのさ、13センチの靴、もうひとつあったほうがよかって言いよったよね。今日買いに行く?」たしかにそんなこと、話したかもしれない(忘れてた)。でもすぐに買うなんて言ってない。今日行くなんて、考えもしなかった。なのに人の話をしっかりと聞き覚えていて、自己の利益に変換しようとするその才覚!なんかもう、笑うしかなかった。たぶん買いに行くだろう。アンタにゃかなわん、というところだ。ちなみにあしたは注射だ。あさっては空手。しばらくは安泰。


2011年10月21日(金) おだんごから

 日々「1から10まで自分」のものばっかり作ってると、あまり風通しもよろしくないので、「小さな粘土のおだんごからアクセサリーを作る」という教室に行った。先生は珈琲人町さんの妻・Rさん。出島のビルで、工房とギャラリーをされているが、ミサキンが熱愛するシフォンケーキなど、人町のお菓子もRさんが焼いている。
 おだんごの作り方や、穴の開け方、形の整え方など、基本的なことを教わって、製作タイム。全部で3人の参加者が、それぞれに3時間熱中して作った。今日はあえて「こんなの作ろう」なんてことは考えず、「その場で出てきた形を楽しもう!」「おおらかに作ろう!」と思って行ったのだが、出てきたものは皆、いかにも自分が作りそうな形だったし、後半は、やたら細かいサブパーツ作りに走ってしまった。そしてつい、細部の面取りなどに執心。やりすぎないように注意するのがやっとだった。あとの2人のを見ると、それもやっぱり、その人たちに似ていた。
 うわぐすりの見本と、できたパーツを見比べながら色を決めて、今日はおしまい。来月は、それをいろんな紐と結び方でネックレスやチョーカーにする。どんなのができるのか、とっても楽しみ。いつもやってると言えば言える「ものづくり」ではあるけれど、これで飯を食うわけではない無責任な楽しさに包まれる。
 手作業に集中したあとならではの充実感に満たされて、ギャラリーコーナーを見ると、Rさん作の素敵なものたちが並んでいた。やはり本職は違う…。本職と趣味は、たとえ似たようなものを作ったとしても、まったく違うものだ。

 午後は、ついに今の仕事をやめる決心をしたF嬢とランチ&お茶。深々と話す。どんどんやりたいようにやってほしい。もう誰も止めないから。

 めでたく復活しつつある料理心で、本日はハンバーグ。


2011年10月19日(水) 塩が

 やっと塩が焼けた。
 ミサキンが生まれる前…そう、お腹の大きい年末に引っ越しが決まり、家を探し、土地を探し、家を考え、引っ越しをし、ミサキンを産み、家を建て、また引っ越して、ヒコを追いかけまわし、仕事もしつつ、乳も出しつつ、と、思えばこの2年、かけずり回っている。時間はもちろん、財布の余裕もまったくなくなってしまうと(無給の産休プラス家!そりゃなくなるわ)、自動的に心の余裕もなくなった。たぶん、それが理由だと思うのだけど、料理も作りたくなくなった。不思議なもんだと思う。あれだけ好きだったのに、日々の料理がまったく楽しくない。買い物もしたくない。たまにお客さんが来ると、それは非日常だから、これ幸いに、取り返すかのように楽しんだ。でも、日々の料理を、ちっとも作りたくなかった。さすがに食べないと死んじゃうから、必要最低限のものを、やっとの思いで作ってはいたけれど。
 それがようやく、少しずつだけど、作りたくなってきた。朝から米をといで、みそ汁の煮干しを鍋に浸けておくことが、苦にならなくなった。そして、塩をようやく焼いたのだ。
 塩はいつも、ほどほどの自然塩を、一度フライパンで火を通して、サラサラの焼き塩にして使っていた。毎日の作業じゃない。ごくたまに、一袋の半分を、たった10分間くらい火にかけて、木べらでかき混ぜ、新聞紙に広げてさますだけだ。でもそれができなかった。塩がなくなったら「あぁ、焼かなきゃ…」と思いつつ、間に合わないから、湿り気を帯びたままの塩を塩壷にザザーッと入れた。もちろん使いづらい。そして使うたびに、軽い自己嫌悪。塩ひとつとっても哀しき悪循環であった。
 そして昨日、やっと塩を焼いたのだ。サラサラの塩は、料理にも、おにぎりにも使いやすい。サラサラパラパラ。
 やっと塩が焼けた。


2011年10月16日(日) 神女たち

 おなじ歳ごろの子どもがいるOK一家と、お昼はなぜか稲刈りイベント(?)へ。夜は高島で開催されていた屋台アート(?)のイベントへ。イベント好き?
 それはさておき、昼にはナチュラル&スロー系の、夜にはヒッピー&アート系の、それぞれに純粋な人たちをたくさん見た。私はそのどちらにもなりそこねた感ありの人生だが、「見るからにそんな人」ってのも…なんというか、芸がないなぁ、と思わなくもない。サザンの桑田さんが「ベストテン」に初めて出たときのことを、なぜか妙におぼえているのだが、黒柳さんが、中継先の桑田さんに「あなたはアーティストですか〜?」って(いま思えばなんでそんな質問を?)聞いたのだが、それに対する桑田さんの答えは「いいえ〜!ただのお祭り好きの芸人で〜す」というものだった。その後、特にサザンを好きになったわけではなかったが、その時の桑田氏の答えは、ずーっと心に残り続けた。
 高島の屋台のイベントは、たしかにとっても面白かったし、楽しかったし、行って良かったし、アートなんだろうと思う。「これで、アートって言わなきゃ、もっとアートなのに」っていうのは、ないものねだりというものか。

 それはさておき、ボーッとイベントを楽しもうと思って訪れた高島では、いきなりビロウの木に迎えられた。このところずーっと読み続けている古代信仰と、それに連なる様々な風俗や祭礼にとって、欠かすことのできない木なのだが、なかなか「これぞ!」という実物を探せないでいた。似たような南方系の木は長崎の街中にもあるのだが、いまひとつ確信が持てないままだった。それが、ぐいぐい生えていたので、ドキドキした。さらには、イベントに遊びにきていた高島のおばちゃんらしき人々が、すごい存在感だった。ホワイトニングとは縁遠い感じの肌の色に、なんともいえないおおらかな雰囲気。そして、長く黒い洗い髪。これがまさに、沖縄の久高島のイザイホー(古代を色濃く残していたはずのお祭り。今は途絶えている)の神女たちもかくや!というものだった。日々、こんなことばかり考えているから、どっかの神さまが「ほれ」と見せてくれたのかもしれない。

 昼夜、あまりに「純粋」な人を見すぎたからか、家に帰って、コンビニで買った揚げ煎餅とチキンラーメンを食べて中和。そういえば、昼のイベントに、昨日のヒコの誕生日ケーキ(仮面ライダーフォーゼ)を持っていったのだけど、自然素材のお菓子屋さんの子に「食べない?」って言ったら「ケーキ、嫌いなんです」って言われてしまった…しゅーん。


2011年10月13日(木) あこがれの地へ走る、そして6年

 ダンナの黄色いスクーターに乗って町へ。久々にバイクに乗って、それだけで、違うステージに上がった気がする(単純…)。なんて自由なんだ〜!郵便局とか、買い物とか、図書館とか、ケーキ屋さんなどなど、あちこちのチョコチョコした用事が、どんどん片付いていった。さっそく気になっていた近所の丘の上の小さな神社を覗いたりした。大切な郵便物を出したあと、市役所から県庁にかけての「岬の道」を走る時、頭の中に、ゴーンと、どんとの声が聞こえてきた。

 飛んでゆ〜け〜 あこがれ〜の地へ!  (ボ・ガンボス「あこがれの地へ」)

 そう。あさってはヒコの誕生日。今年のケーキは「仮面ライダー/フォーゼ」だ。去年は「オーズ」で、すぐに受け付けられたが、フォーゼは注文があまりないらしく、資料が欲しいとのこと。現行ライダーだというのに、ケーキ屋さんのおばちゃんから認識されていないフォーゼ。大丈夫か、フォーゼ。
 フォーゼ…あの人はいったい、なんだろう。オーズのお兄ちゃんも、自分探しさえできなかった時代遅れのヒッピーもどきの好青年だったが、今度のフォーゼさんときたら、よくわかんないリーゼントと、ビーバップを彷彿させる超短ランで現れて「この学校の全員と友だちになる」と豪語し、たとえ裏切られても「そのゆがんだところも全部引き受けるのが友情だ!」と言い放つ。その悟りは、もはや宗教者の域。…いや、オーズの兄ちゃんもフォーゼの兄ちゃんも、とっても好きなんだけど、子どもにはどう映るんだろう。面白いなぁ。これでおもちゃ販売攻撃さえなければ、もっと楽しめるのだが…。番組本編でカッコよく戦った直後に、その時使ったおもちゃのCMがすかさず流れる。欲しくならないわけない。果たして、買って買ってとわめき散らす5歳児。

 6年前と、曜日が一緒だ。14日の金曜日の夕方にお腹が痛くなってきて、日付が変わった15日の深夜に、ヒコは生まれたのだ。だからむしろ「10月14日金曜日」のほうが、私にとってはヒコの誕生日な感じだ。6年か…。これまでもずっと思ったけど、6年経たないと、6歳にはならないんだ。そして6年経てば、6歳になる。明日はしみじみしよう。


2011年10月11日(火) またボソボソと次の

 不覚にも、くんち中日の夜から急激に風邪を引き、寝込んだり起きたりのここ数日。それでも昨日は「いとう写真館」とそのイベントに行ってなごんだ。去年も撮った、手焼きの家族写真。いつも「写真」として見慣れているものとは、キメのこまやかさがまったく違う写真だ。去年撮って、しばらくして送られてきて、その時も「ほほ〜っ」と思ったけれど、驚いたのは半年くらい経ってから見た時だった。ミサキンが赤ん坊だったこともあり、その、写真が持つ、あまりの「せつな」さに、じんわりと熱いものがこみ上げた。「その時」というのは、本当に「その時」しかないのだと、愕然とした。まぁ、だからといって、ヒコを怒らなくなるかというとそうではないけれど。

 久々のひとり。くんちが終わったおすわさんへ。桟敷の片付け作業が進む中、長坂を登りきった門のところに、桟敷の仮設トイレの「中身」を処理するためのバキュームカーが、ブッ駐まっていた!神社とバキュームカーって、すごい絵だった。しかも長坂の上に!しかしそんなことは気にすることもなく、おすわさんは、くんちでチャージしたエネルギーに満ちているかのごとく、ピカピカだった。
 そのまま「たけやま」でカフェオレ。これから形にしていきたい長崎についての推論のさわりを、ボソボソとしんぺーさんに話す。最近、ひと区切りしては、ここでボソボソ「次のこと」を語っているような気がする。たぶんなんだかわからないであろう話に、お付き合いいただきありがとうございます。


2011年10月07日(金) 続くかぎりは

 眠たいと思ったら、朝5時の「くんち開始決定花火」と、それにともなう「ダンナ出勤」から起きてたんだった。
 今年のくんちは中継で観覧。7年前は諏訪神社にいたなぁ〜、と思いながら。川船の網打ち船頭を見ながら、ヒコは「おれもやりたい!」と言っていた。でも、コッコデショの采振が、やっぱりサイコーにカッコいいよなぁ…。次回、ドンピシャで采振の年齢なんだけどなぁ…。「研究所」を樺島町の安アパートかなんかに借りるとか…?広がる野望…。

 こうして、くんちくんちと言ってるが、長崎に生まれ育ったからといって、くんちに熱くない人のほうがむしろ多いことくらいは知っている。でも、人生にひとつくらいは、心と身体がわけもなく熱くなる祭りがあるほうが幸せじゃないかとも思う。熱くなれなくてもいいから、自分がいつも住んでいる土地の力を、バカになって寿ぎ、揺らし、増幅させてくれている人がいることを、少なくともイヤなものだとは思わないでほしい。船やコッコデショが来るのを待ってると、人の波をかき分け、流れとは逆のほうに向かい「忌々しい!」という顔をして(時に怒りの言葉をまき散らしながら)歩く人をよく見つけてしまうので(哀しき観察者人生)。

 お下りを見に行ったら、いつにない人出だった。いつもは車がぎっしりの4車線の道路が、御神輿と行列と人間でいっぱい。見えもしない「神さま」のために、秋の晴れた日の貴重な時間を割いて、ごった返す人たち。ほとんどは、いつもは1円でも安い店を探して買い物したりする「合理的」な人たちなんだろうけどなぁ。

 ニラレバ定食を食べてコーヒーを飲んでいたら、マスターから「今年(のコッコデショ)はどう?」って聞かれたので「その年その年で、人も違うし、いろいろありますよ…」と答えつつ、マスターが小耳に挟んだ「コッコデショ評」各種を聞く。まぁ、似たようなことを感じている人もいるし、だからといって、いつが良かったとか、今年がどうだとか、そういうもんでもない気がする。私にとっては、前回があまりに思い出深いので、それはそれで特別だし、いろいろ言えばキリがないけれど、そういう目に見える部分の問題だけではないから、続くかぎりは続いていくだろう、というしかない。前が良かった、昔が良かった、というのは、いつの時代の年寄りも言うものだ。

 今朝、「『研究所』のパンフレットと月報を送ろう。住所、どこに書いてたっけ」と思い浮かんだ人のダンナさんとバッタリ会って驚く。もちろん渡す。


2011年10月05日(水) 祭りパソコンで再構成

 朝はだいたい、ミサキンの「ハイ〜(乳やれ〜の意)」攻撃で起きる。7時前くらい。この時間、乳を吸われながら、用意していた本を読むことが多い。今朝は、プリントアウトした甲野先生のメルマガ(「夜間飛行(http://yakan-hiko.com/)」の「風の先、風の跡」)。そしたら、昨日書いた「祭りの片鱗」について、甲野先生のメルマガ内で連載されている、数学者の森田真生さんの文章の中で、共通しているような気がするものを見つけた。時々、自分の脳味噌が沸騰しかける音が聞こえてくるような気もするが、なんとか乗り越え(あるいは前向きにスルーし)つつ読む。
 「『ゲーデルの不完全性定理』を様々なアナロジーを駆使しながら巧みに解説した、歴史的名著」である「ゲーデル、エッシャー、バッハ〜あるいは不思議の環」を書いたという、ホフスタッターというアメリカの学者。残念ながらその「歴史的名著」をまったく知らなかった私だが、ホフスタッターの妻が1歳と3歳の子どもを残して亡くなったのち、彼女のことを深く深く思い続け、それが彼の研究となって立ちあらわれたという話だ。

 (以下引用。)

 ホフスタッターは途方に暮れ、自分が妻を失ったということ以上に、妻が失ったものを想い、悩み、苦しむ。自分が失ってしまったものならばまだしも、今は亡き妻が失ってしまったもの…子どもたちが小学校に入学する姿や、大きくなって恋人を作ったり、孫が生まれたり…本当はやって来るはずだった時間、本当は目にすることができたはずの光景、そうした妻が失ってしまったものを想い、ホフスタッターは悲しみに暮れる。

 様々なカウンセラーのもとを訪れてみても傷が癒えることはなく、やがてホフスタッターは再び研究に熱中しはじめる。それは、妻が失ってしまったものを取り返すためにである。あるいは、妻はなにも失っていなかったのだと、納得するためにである。(引用終わり)

 この後、アラン・チューリングという数学者が1936年に示したという、のちの「ソフトウエア」に通じる考え方(『自分自身について語れる形式体系を構成することができるならば、「計算機を計算する計算機」、すなわち『他のあらゆる計算機をシミュレートする計算機(universal machine)」が作れるはずだ)が紹介される。つまりは、その仕組みは到底わからないけど、こうして毎日使っているパソコンも、その考え方に深く関わるものだという。そしてホフスタッターは「私たち人間自身、チューリングのuniversal machine とおなじ意味で、まさにuniversalな存在ではないだろうか」という考えに至ったのだと。

 (以下引用)

 私たちの心の本質は、私たちの脳というハードウエアの上で、他者の心をシミュレートすることができることにある。子どもたちの笑顔を見ているときに、時に、妻の心が自分の脳を乗っ取り、自分が妻の心そのものになって子どもたちを眺めていることがある、とホフスタッターはいう。あるいは、友人と食事をして盛り上がっているときに、私や友人たちの脳の間に、妻の姿が立ち上がってくることがある、と。

 すなわち、本来、奥さんの存在は、決して奥さんの肉体の内側だけに限定されていたものではなかったのではないか。はじめから、奥さんの存在は、彼女の肉体の上で実現したり、ときにはホフスタッターの脳を乗っ取って存在したり、あるいはホフスタッターとその友人たちのあいだに存在していたのであって、そういうハードウエアとは独立な、なにか抽象的なパターンそのものが、奥さんの奥さんらしさの本質だったのではないか。そのようにホフスタッターは考えはじめるのである。(引用終わり)

 これって、まさしくおとといの「庭見せ」のときに感じた、あるいは昨日の「人数揃い(本番さながらのリハーサル)」を見ながら感じた感覚そのものだ。祭りの場に立つということは、ふだん使っているのとは違う、特別な「パソコン」に、自分をつないで走らせるということなのかもしれない。さらにその「祭りパソコン」は、「日常パソコン」よりも、いわゆる「自分/私」というものが薄まるのがひとつの特徴なのではないか。

 (以下引用)

 ここでホフスタッターがやろうとしているのは、「私」という概念の再構成である。「私」という存在が肉体の中に束縛された、死とともに消えいく存在だとしたら、妻が失ったものを一生取り返すことができない。しかし、「私」という概念を再構成して、肉体という束縛から解放してやることができないか。私たちがお互いに映りあい、写しあう、そのあいだに存在するなにかであるということを、もっとヴィヴィッドに感じることはできないか。そこに、ホフスタッターは数学を投入して、全身全霊の思索を展開していくのである。(引用終わり)

 この状態、「日常パソコン」ではなかなか感じにくいけど、「祭りパソコン」ではいける、というより、それこそが祭りという気がする。

 コッコデショは、くんちの奉納踊りの中でも、とびぬけて「自由」がない。前回と今回を見比べると(そしてもちろん、これまでもずっとそうだったのだろうけど)、演出やかけ声など、よく見ると変わっている部分があるが、それはあくまで「よく見る(聞く)と」であり、よほど好きな人でもほとんどわからないと思う。私は前回、番組を作り、練習、本番、そして編集と、何百回も見て、聞いたので「あれっ?」と気がついただけだ。ちなみに彼らが歩くときのかけ声は、前にもどこかで書いたかもしれないけれど、少なくとも「30分の1秒」単位では正確に刻まれている。編集するときに、声だけ残して別の映像を貼りかえても、完全にリップシンクロしていた(7年前はまだ『リニア編集』だったのです。1シーン変更するのに、ダビングを繰り返したものでした…)。最近、他の町では(特に船もの)、どんどん新しい演出をしたり、激しい表情を作ったり、気合いだとか魂だとか叫んでみたりしているけれど、コッコデショにはそれがない。というか、できない。ずいぶん前に、宝塚だったかなんだったかの大層な演出家がコッコデショを見て「完璧ですね…」と言われたらしいが、長い年月の間に、無数の人によって隅々まで磨き込まれたものなので、いじりようもないのだ(そして、いらんことを叫ぶ余地もない。担ぎながら、走りながら、大音量のかけ声を途切れることなく出し続けなくてはならないのだから)。担ぎ手一人分のスペースは60センチほど。内側の棒にいたっては、顔も見えやしない。みっしり、ぎっしり、息を合わせ、声を合わせて、とにかく動く。
 昨日、そんなコッコデショを見ながら思ったのは「なんだ!この、とてつもなく大きくて自由なエネルギーは!」ということだった。いつもの「私」が消えたところにあらわれる、また別の次元の私、あるいはそれを超えたもの。再構成される、人と町。

 と、どこまでも考えは続くのであったが、せっかく今日は休みのダンナが、風邪引いて気の毒。チャーハンが食べたいと訴える声が聞こえてきた。ごはんがないのでどっか食べにいくことにしよう。


2011年10月04日(火) 片鱗。

 昨日は庭見せだった。保育園帰りに車で浜の町に行って本古川町と東古川町を見て、一度家に帰ってバスでくだり、樺島町へ。たくさんの人人人…。そんな中、ふいと道の脇に入ったら、樺島町のMさんと会った。飾られた太鼓山と人の波を前に、しばらく話す。7年経ったね、とか、かけ声やリズムって、その年ごとにずいぶん変わるものなんですね、など。そしてなにより、亡くなったMさんの妻…私もとってもお世話になったYさんのこと。
 まさに昨日もだったのだけど、ここ数日、Yさんによく似た人を何度も見かけて、そのたびに「いやいや、Yさんはもう…」と思っていたところだった。このようなことは以前、ダンナ父のバージョン(お盆前)も体験したことがあるのだが、ただ単に似てる人がいただけかもしれないし、私が心のどこかで気にしてるだけとも、もちろん言える。その人にゆかりのあるできごとがあるから、おのずと思い出された、というのが、だいたいのところだろう。だけど、昨日Mさんと「この何日か、Yさんによく似た人を何度も見たんですよ…だから、きっと見に来られてるんですよね」「うん。そうかもわからんねー。」と話した瞬間だけは、それが「真実」として成立していたと思う。
 その証拠に、かどうかはわからないのだけど、Mさんと話していた数分間は、なんというか…時間の感覚が、普通とはまったく違っていて、それは既視感ともまた違う、これまでに一度も経験したことのない感覚だった。むりやり言葉にするならば、7年前とおなじ日、ほぼおなじ時間におなじ場所でおなじ光景を見ながら、それらが完璧に違うものであることがわかりつつ、それと同時に、また別の次元では、完璧におなじなんらかの存在が顕われ、それに触れている、というようなものだった。時間のない場所があるとするならば、一瞬だけ、そこに立つことができたような感じ。かつて「見える」お姉さんから「霊感は…ありませんね」と言われたが、この瞬間だけは、そんながさつな私でも、どこか別の領域に「つながった」ことがわかった。祭り、というものの正体の片鱗にタッチできたのかもしれない。
 くんちという祭りは、だから、私にとっては「生きて」いるものだとわかった。それにどこまで触れられて、書きあらわすことができるだろうか、と気持ちを新たにする。


2011年10月01日(土) ヒコ天狗

 休み。ずいぶん前からダンナが行ってみたいと言っていた天山に行ってみる。途中の道の駅でお弁当食べたりしながら。ダンナとふたりの頃は、よく下の道で福岡まで行っていたので、有明海沿い、鹿島あたりがなつかしい。なくなった店や、変わってしまった道など、いろいろだ。
 天山は、頂上のずいぶん近くまで車で行けた。すぐに登れそうだったので、登ってみる。車の中でエネルギーを持て余していたヒコが、はりきって登っている。頂上の石にも「霊山」と書いてあるだけあって、たしかになにかがスコーンと抜けている。「アクセス権あり」って感じ。しばらくいたかったけど、けっこう寒かった。特に、ミサキンを抱っこして汗かいて、しかも半袖だったダンナが寒そうだったので、後ろ髪ひかれつつ降りる。頂上の広場も素敵だけど、山道がいい。歩きやすいけど、人工のものがほとんどなくて、静かで、気持ちがいい。下りもヒョイヒョイと…走るなと言われても小走りで駆け下りるヒコ。途中、3回コケて、そのうち1回は尖った石にお尻を突き刺して泣いていたけど、すぐまたヒョイヒョイ。この人はやっぱり、閉じ込められるとダメなのだ。天狗って、こんな感じなのかもしれない。天狗が息子。名前のヒコは、猿田彦のヒコかも。


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