ぴんよろ日記
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2011年09月30日(金) くるくると

 「研究所」の小さなパンフレットを、ようやく作り終えた。ずいぶん前から、ほぼ、できていたのだが、試作品を持って歩いて、何度も開いては、「うーん、まだもうちょっと、このへんになにか足りないような…。」と思って、それが何かを考えて、書き足して、時には削って、表紙もいろいろ変えて…と、だれに頼まれたわけでもないんだし、気が済むまでやった。果たしてそれができてみると、送ろうと思ってた人に会ったり、メールが来たり、思いがけない仕事の依頼が来たりと、スピリチュアル系な感じの展開になったので、ほほぅ…と軽く驚く。
 さらに勢いづいて、今度は「研究所月報」を作成中。毎月作るつもりなので、こちらはできるだけ気楽に。タイトルは「Spiral in the sky」。トンビがくるくる飛んでる感じ。この名前が付いてるものってなんかあるのかな、と思ってネットで検索してみたら、UFOの画像的なあやしいものがいろいろあった。タイトルロゴも版画で彫ろうかな、と思ったけど、気持ちにしっくりこなかったのでやめた。ベタすぎな気がして。民俗や歴史的なこと…昔っぽいものを盛り込んでいくからといって、別に「民芸調」とかにしなくってもいいわけだし。ある程度の「それっぽさ」は必要だろうけど、それが盛られすぎると辟易する。わざと線をぶらしたみたいな絵手紙とか、黒川温泉周辺の手書き(調?)の看板みたいで。手づくり・手仕事・ていねいな暮らし的なものって、私自身もそういう姿勢で書いたり作ったりしていこうとは思っているが、それが「いかにも手づくりテイスト」であるかどうかとは、まったく別のことだ。
 まぁしかし、パンフレットも月報も、どう見たって手作り感満点だが。家のプリンタで出してるし。

 とにかく、あらためて扉を開いてみている、というところ。


2011年09月26日(月) 運動会やら宴会やら

 ゲンパツ神についての続きも書きたいが、どんどん進む日々。またも備忘録。

 金曜日は、ヒコとミサキンの運動会。思い起こせば4年前、初めて参加したヒコは、人の多さやらなにやらに反応して、終始大泣きだった。それが、立派に和太鼓など叩いている。ちょうどヒコを生んだ時とそっくりな秋の空気もあいまって、目頭に熱いものがこみ上げてあふれそうに…。そしてミサキンは、いつ何時も、まったく動じず。お昼は、最近の疲労度を見かねたバーバがお弁当を作ってくれた。エビフライ、おにしめ、おにぎり五個などを、ひたすらおいしくいただく。ヒコにだけは、「(仮面ライダーオーズ)タジャドル弁当」を作った。ケチャップごはんにウインナーやプチトマト…タジャドルはとにかく赤いので、赤いものばかり。そして、その弁当を持って、ヒコはあっけなく友だちのところへ消えていった。すごい成長!
 
 その夜は、わらわらと人が集まり、ベランダで肉を焼いて飲み食い。しかし寄る年波には勝てず、ミサキンに乳をやりながら、途中で寝ていた。

 土曜日は、宿泊していたOK一家と(こう書くとなんか怪しい)、野母崎の伊勢えび祭りを目指す。食事のあと、脇岬の海で遊ぶ。ちびっこ男子3人がはだかんぼうで波打ち際を走り回っていて、ちょっと天国チックだった。

 その夜は、またもや8時くらいに寝てしまった。

 日曜日は、近くの公園に行ったりしながら過ごす。

 新しい仮面ライダーが、ようやく、ちょっと面白く思えはじめてきた。短ラン兄ちゃんもいい味出してるし、宇宙オタクのお姉ちゃんが笑える。でも、まだ消していないオーズの最終回をヒコが見る時には、つい一緒に見てしまい、ジンとする。ひび割れたアンクのメダルを使う最後の変身で、アンクが「タカ!クジャク!コンドル!」っていうところで、いつも泣きそうに…。

 そしてあいかわらず、頭の中は「原始古代信仰&陰陽五行」の世界がモリモリ。「アンクが『鳥』で『赤』っていうの、朱雀だよな〜」「戦隊ものって、陰陽五行以外のなにものでもないじゃん!」などと、それなりに現実世界と折り合いをつけつつ。ついてないか。


2011年09月21日(水) ヘトマト、トンデモ、ゲンパツ

 乳の吸われすぎが続行中で、どうやら軽い栄養失調なのか、味覚障害があらわれた。いろんなものが苦い。
 そんな中でも意識の大半は原始や古代の信仰の世界にあるが、そっちの原理で見ると、いわゆる「トンデモ祭り」や「奇祭」と呼ばれるものが、全然「トンデモ」でも「奇」妙でもないのがよくわかる。五島のヘトマトだって、不思議でも不可解でもなんでもない。古の人々にとって、祭りは切実かつダイレクトに生活や生命とつながっていたのだから、その始まりに「ウケ狙い」や「悪ふざけ」が入っているはずがないのだ。ましてや見物人をたくさん呼ぼうとか、観光の起爆剤にとか、そういうものはカケラもない。
 でも、その一方で、トンデモはトンデモのままでもいいと思う。とにかく生の祭りに参加して、体や心の奥底が、言いようもなく揺さぶられた、というので充分だ。理屈はわからなくても、それが祭りの生命に触れるということだと思うから。ヘトマトの種明かしをしたところで、幸せな人が増えるとも思えない。事実、私は少し寂しい。でも、観察者人生なので、それは積極的に受け入れる。だけど本当は、なんやらわからんけど炭を塗ったくられて、デッカい草鞋に揺さぶられて、羽根つきをする新婦さんを見てゲラゲラ笑った、というので、もう、いいのだ。イヤなのは、頭でわかって鼻で笑うことである。笑うなら、心から参加して腹から笑わなくちゃ。

 しかしなにが「トンデモ」って、原発よりトンデモなものがあるかいや、と、前々回のDASH村を録画しといたのを見ながら思った。思い起こせばかなり初期から見続けてきたDASH村。福島原発からたった25km…。あっけなく荒れ地になっていたのはまだしも、焼けたわけでも水没したわけでもないのに、見ることもさわることもできない恐ろしいものがあふれ、縁側に座ってお茶を飲みながら、ぼんやり風に吹かれることもできない。

 「トンデモつながり」ってわけじゃないけれど、原発のことを、古代の信仰になぞらえて考えてみると、これが案外、自分の中では腑に落ちた。水がたゆたう原子炉の映像を見るたびによぎった感覚も、あながち遠くはなかったのかもしれない。

 まあるい空間に棒状のものを立てることで、カミは現れる。「ゲンシ炉」に「ネンリョーボー」を突っ込むと、たいへんに大きな力を持つゲンパツ神が現れる。人々はその力のひとつを「デンキ」として大いに使っていたのだが、大変な地震と津波で、祭祀の場がひどく乱れてしまい、これまでなんとか加減しながら封じてきたはずの「ホウシャノー」という、とても障りのある、もうひとつの力が大量に発生してしまった。ゲンパツ神を祀ってきたのは「ゲンシ村」の神官たちだが、これにより、自分たちが縛り首になるのではないか、はたまたゲンパツ神が零落することで憑物筋として貶められるのではないかと恐れ、むしろ強気に、これまでより偉そうにする道を選ぼうとしている。

 …と、書いたところで時間切れ。続きはまた次回。


 
 


2011年09月20日(火) 長坂に座ってとめどなく

 今日も今日とて古代の信仰と唐紙のアイデアで、頭の容量9割5分がいっぱい。いきなり寒いほどに涼しくなったことだし、子どもらを送っておすわさんに行く。くんちの桟敷が建設中なので、作業する人の「なんがよかや〜?」「爽健美茶〜」「テイスティ!」「オイはモナ王にしよ」などという声がこだまする中、「斎庭と神池があそこにあるのは、そういうことだったのか…」「大楠の神様が少名彦命で、疱瘡にご利益があって、絵馬が赤エイって、やっぱり…」「向かい側に若宮稲荷があるけど、あれは…」「松森神社ってつまり…」などと、長坂に座って、考えはとめどなく続く。ボーッとしたまま「たけやま」に寄って、コーヒータイム。しんぺーさんといろいろ話す。どっさり積もった考えの断片があちこちに出てきてしまい、なんだかチンプンカンプンだったと思う。半分古代人なので勘弁してください。

 下の土地が相続がらみで測量中。うちとの境界も測りなおすらしい。そして家が建つかもしれないらしい。あぁ、この手の面倒は避けたい…。うちの庭のテラス(?)が、けっこう敷地ギリギリに作られているようなのだが、どうかイチャモン付けられませんように。そして家はできるだけ離して建ててほしい…。


 そしてまた、とにかく、本を作ろう。


2011年09月19日(月) 長過ぎる備忘録

 うっかりしていたわけじゃないんだが、日記を書けなかった日々。朱色にもえる鳳凰や虹色にかがやく龍を見たりしてしまい、パソコンやネットのデジタルな世界に向かうのがどうも…あぁ、いかん、また古代人化が進んどる…。

 とにかく備忘録。

 9月7〜8日、山口へ(6日夜、その日取材した仕事を必死で終わらせたのち、出発。下関のドライブイン「みちしお」泊)。ダンナがずっと行きたかった角島などをのんびりめぐる。沖縄の城(ぐすく)を小さくしたような神社や複雑に打ち寄せる波を見たり、海で遊んだり。千畳敷のレストランでおいしいものを食べ、景色を見渡し、すぐ近くにあるという「竜宮の潮吹」というところへ。聖地以外のなにものでもなく、虹色の龍が…あぁ、ただの備忘録が妄想録に…。夜は一之股温泉泊。翌日は「おはようラジオ」で初めての「中継」をしたあと、弥生人の骨が大量出土したという土井が浜の人類学ミュージアムへ。でも、いきなり長崎の脇岬の縄文人の頭蓋骨が展示されたりしていて、またもや意識は遠い世界へ。昼は下関で焼き肉。タコキムチを買って、北九州の平尾台を通ってのんびり帰る。平尾台のあたりは鉱山らしく、工場がたくさんあった。そして山陰によくある赤茶色の石州瓦の家が多い。ひょっとしたら石見銀山あたりの人たちが、その技術をもって移り住んだ名残りかも、と思ったりする。石見銀山もそうだったけど、鉱山のある土地の雰囲気って、私にはちょっとつらい。押さえ込まれている感じ。

 9日、打ち合わせ。夜は、新しくできた「グレープナッツ」の姉妹店「ローズとマリー」へ。かなり「隠れ家」度の高い場所だが、前住んでたとこのすぐ近くなので、懐かしい気持ちで路地を歩く。「本店」にはないピザがおいしかった。広いし、景色もいいが、どちらかというと食事寄り。飲み助の我が家は、やはり「本店」だな。なによりあのお兄さんとお姉さんが好きなので(特にヒコは)。そんなヒコ、いると思ってたお姉さんがいなかったので「おねえさんはどうしてますか」と尋ねていた。すると「今日は家でカレー作って待ってるよ。旅行にでもいけば、って言ったんだけど。ここにもごはん食べに来たりするけどね〜」との答え。新しいお店には、基本、タッチしてないんだ…。おもしろすぎる〜。
 
 10日、年に一度の狂言鑑賞。朝っぱらから福岡へ。妹と甥っ子も沖縄からやってきた。昼は妹が結婚式をしたレストランに行くのが恒例行事となっているが、さすがにちびっ子3人がいると、おいしさもうやむやに。エビ風味のトウモロコシのスープがおいしかったような記憶。狂言はあいかわらずの面白さ。そして、どんなことが起こっても、演者がいなくなると、たちどころになにもなくなる舞台のクールさ。あの「そしてまた、なんにもなくなった」のを味わいたくて観てるのかもしれないとさえ思えてくる。

 11日、お昼に「四世代」で集まる予定が、ミサキンの様子がおかしく、どうやら手足口病。ばあちゃんだけ実家に送って、家に籠る。

 12日、ミサキンを病院に連れて行く。手足口ビンゴ!だったが、軽いタイプだった。そしてかなり「流行遅れ」らしく、「遅かったね〜」と言われる。

 13日、熱もないのでミサキンも保育園に送り出し、研究所のしおりや「長崎唐紙」づくり。

 14日、まだ口の中が若干気持ち悪いのか、乳ばかり要求するミサキン。通常の5倍くらい吸われるために、脳味噌も乳になって出て行ってるのじゃないかという感じでフラフラ。フラフラしつつも、唐紙づくり。

 15日、16日、あいかわらずの大量授乳でダシガラと化しつつ、頭の中は唐紙のプランでいっぱい。ついにエンボス加工のためのヒーターも購入し、作業は泥沼化。いまのところ一銭にもなりゃしないが、まったく自分を止められない。川原慶賀さんの描く人々を消しゴムに彫る。「『トヨスキー・シリーズ』の展開だ!」と意気揚々だが、ほんともう、いつ、どうやって、なんになるのか、ぜんぜんわからない。16日のお昼は、F嬢とランチ。いろいろ大変そうだが、その時々で思うように生きるしかない。まぁ、40にもなって「魚売り」や「泥棒」を消しゴムに彫ってる人間を前にすれば、気も楽になるだろう。できたばかりの研究所のしおりもプレゼント。いろんなパターンの唐紙で作った表紙を選んでもらったら、ピンクの紙で作った桃カステラのを「女子力が上がりそうな」という理由で手に取ってくれた。なるほど…。作った本人は「女子力」なんて考えもしなかった。「桃カステラって、エロいよなぁ〜、まったくどこの誰だよ、これ作ったの」とか思いながら彫っていた。まぁ、それこそが「女子力」の源ではあろうが。
 夕方、彦山の横に虹が立つ。そのまた横に、龍みたいな雲が。友だちんとこに遊びに来たみたいな。

 17日、さらにあいかわらずの大量授乳は続いており、たぶん、貧血なんだろう。長く立っていられない。ついにユンケルを飲む。ダンナが昼から休みだったので、野母崎へ海を見に行く。古代の信仰のことなどでいっぱいの頭と目に、野母崎の風土がぐいぐい迫ってくる。前来た時とは、見え方がまったく違うのにびっくり。世界はほんとに、自分次第。

 18、19日。両日とも、倒れ込むように実家へ。いつも目の回りに星が飛んでる状態。40で乳飲み子を抱えるのは、やはり体力的には難儀だ…。


2011年09月05日(月) 男祭り化

 起きたら、秋。いい匂い。心から秋が好きだ。ヒコは、はりきって長袖長ズボンで登園。今ごろ暑いだろうな。彼なりの美学なのであろうが、長袖長ズボン、今はまだ暑いと思うぞ。そして跡が付くくらい、ズボンの腰回りをビチビチに調節する男。もちろんパンツもピッチピチがお好み。そういうのって、どっから来るんだろうか。ミサキンはウンコ包んでてもニコニコさん。

 昨日はすべり込みで「えびすリアリズム展」を観た。カラフルな蛭子さんの絵を見ながら、ずーっと「わんわん!わんわん!」と叫ぶミサキン。子どもに見せる絵だったかどうかはさておき、蛭子さんの絵は、思っていたよりも透明感があってきれいだった。漫画の原画もスッキリとしてて。テーマや画風はなんであれ、世に出て行くものにはある種の「にごりのなさ」があるのかな、と思う。本物の大村ボートの船をもらったという「エビ号」も、部屋が広かったら飾っておきたいくらいだった。

 そのあと、くんちの神輿の練習を見におすわさんへ寄る。奉納踊りとくらべると、もちろん地味なんだけど、三体の神輿が長坂を駆け上がっていくところには、踊りとはまた違ったドキドキがある。くんち当日、本番が終わったあとの、ほどよく熱気が抜けた桟敷に100円払い、お下りやお上りを見るのは、それはそれで、じんわりと祭りの日を感じるひとときなのである。

 その後、御座船が来るというので、つい見る。やっぱり最近の曳きもの担ぎものって、どうも「男祭り化」してるなぁ…。「魂入れろ〜っ!」「気合い見せんや〜!」なんて、叫ばれれば叫ばれるほど、個人的には冷めてしまうのだが、世の流れとしては、こういうものを求めているのだな…と思う。コッコデショだって、ほんの3〜4回前までは、ここまで熱狂的に追い回されていなかったし、くんち全般に関しても「感動をありがとう!」的な扱いではなかったような気がする。とにかく、その時代を生きる人々の心のありようが祭りには反映されるのだと思えば、つまり今は、そういうものを求める人が多いのだな、と思うばかりだ。個人的には苦手でも。しかし、だからといって、ふんどしや裸はごめんだよ〜ぅ。

 もし龍踊りの龍衆が、やたら「わめき」出したら、なんか違和感感じないだろうか。龍衆は、龍が泳ぐ「雲」であり「稲妻」で、龍を生かすためにいるのだ。そんでもって、根曳き担ぎ手だって「波」なんだから、そんなに自己主張しなくてもなぁ…というのが、研究所の所長兼掃除のオバちゃんの主張なのである。


2011年09月04日(日) ここにはある

 昨日はペコロスこと岡野さんのライブに行った。会場はいつもお酒を買ったり、おすわさんにお参りしたあとコーヒーを飲む「たけやま」。昨日今日は、福岡で甲野先生をはじめ、そうそうたるメンバーが登場するイベントがずいぶん前から予定されていて、私だったら行きそうなものなのだけど、子連れではちょっと…という現実的問題と、なにか今回は「呼ばれてない」気がしたので行かないつもりにしていたが、きっとすごく、すごい時間だろうな…と寂しい気持ちもしていたところの、ライブだった。しかもたけやまで。
 ということで、がぜんはりきってしまい、「一品持ち寄り」のところを「ケータリングかよ!」と突っ込まれてもしょうがないくらいあれこれ作りまくり、家族全員で突入。そしたらもう、会場は超満員で、異様な熱気に包まれていた。どれくらいの熱気かというと、時に岡野さんの歌が聞こえないくらい!って、みんな何しにきたんだ〜!…でも、ミサキンがごねごねしだしたので、抱っこして外に出てみると、こぬか雨が降っていて、そこには、喧噪を通り抜けた岡野さんの歌が聞こえてきた。「こんな世の中」と言われがちな世の中の片隅には、愛すべき熱気に包まれたところがあって、みんなとても楽しそうにしている。そしてそのそばに立つと、手づくりの歌が聞こえてくる。どんな世の中か知らないが、ここにはしっかり幸せがある。…なんてことを噛みしめていたら、仮面ライダー・ヒコが、あいかわらずのうるささで撹乱。


2011年09月02日(金) 扉、そこにはきっと。

 なにをしていてもずーっと、頭の中では「研究所」のしおりを作っている毎日。ちょっと書いたり作ったりしては、なんか違う…もちょっとこんなふうに、あんなふうに…と、少しずつ進めている。そう、少しずつではあるけれど、少しずつ姿を現してきてくれている。できてしまえば、たぶん、なんてことはない、トボケた小さなリーフレットなのだけど、本当に自分がこれからやっていきたいことを伝えてくれるものだから、大切に作っている。

 猫のえさとか、トイレットペーパーとか、そういう「MrMaxもの」って、どうして揃ってなくなるんだろうか。ということで、午前中は買い物。ほかにもいろいろ用事を済ませ、紅灯記のニラレバと平井のコーヒーでエネルギー充填。

 昨日、私の好きなお店を閉めるという電話があった。お店が閉まることは寂しいし、オーナーの体のことも心配ではあるけれど、でも、きっと次の世界への扉だと思うし、私もまたなにか一緒にできるんじゃないかと思う。それがなにかは、今はわからないけれど、なにかを一緒に作るんじゃないかということは、たしかなものに感じられる。


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