ぴんよろ日記
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2011年08月31日(水) 「キリ」は…?

 「仮面ライダーを見る時期も今だけだ」と、腹をくくって「オーズ」を見たこの1年。最後にはすっかり大好きになってしまい、最終回が寂しくて、ヒコになぐさめられる始末。アンクの絵も描いてくれた。人生で(たぶん)いちばんしっかり見た仮面ライダーが「オーズ」で良かったと思う。設定やら何やら、とっても好きだった。
 なのに。
 ヒコから「メダル(になってる生き物)で弱いのはなに?」と聞かれ(いろんな動物のメダルがあって、その力を借りて闘うのです)、「うーん、やっぱり昆虫は絶対的に弱いよね。昆虫の中では強くても、サイとかゾウにグシャって踏まれたら終わりだもん」「そうかー。じゃぁ昆虫の中で弱いのは?」「『ガタキリバ』ねー、ガタはクワガタ、バはバッタ、あー、バッタは弱いかも。キリは…あれ?キリ、なんだっけ、キリギリスやったかな」「…キリギリスって、…何?キリはカマキリばい」「!!!」
 一年間みっちり見てきたというのに、「キリ」が「キリギリス」だなんて…。しかも弱すぎ…。

 8月も終わり。おすわさんにコッコデショを見に行く。まだまだ荒削りだったが、秋も近いな、と思う。


2011年08月30日(火) 懐かしい場所を

 気がつけば火曜日。またも備忘録。

 土日は小国の友人宅へ。…いや、友人宅に泊まったのは私とミサキン。ダンナとヒコは、坂本善三美術館の庭に作られた「善三庵」というアート小屋に泊まった。ぷぷ。善三庵は窓のない小屋で、その代わりというか何というか、坂本善三さんの絵に出てくるような細い切れ込みがあちこちにあるので、つまりは、暗闇の中に善三チックな切れ込みが光で浮かび上がって、微妙に三次元化した絵に取り囲まれているような気分になる。基本は闇なんだけど、光が少しだけ漏れてくる世界。外の音が、板を一枚隔てた向こう側で聞こえている。夜になって、ミサキンとふたりで入ってみたら、ミサキンがすーっと静かになって、私がごろんと寝転ぶと、お腹の上にピタッとくっついて眠りそうになっている。うっすらした光が射してくる闇、一枚隔てて聞こえてくる音、私の体温と鼓動…懐かしい場所を思い出していたのかもしれない。

 明けて月曜、ヒコは疲れたと言って休む。朝は確かに疲れた顔してたが、昼からはもちろん通常営業。ミサキンも少々疲れ気味。あまりごはんを食べないぶん、乳を吸われまくる。

 火曜日、ハハとばあちゃんと、三世代昼食会。お上品な和食のコースを食べながら、昔、近所に住んでいた人が死んだ話や、糸ようじの使い方、ムカデの怖さについてなど。




2011年08月26日(金) どんぶらこ〜

 年寄りの冷や水、っていうけれど、とびきり冷たい川で遊んで一週間、腰が痛かったり頭が痛かったり熱っぽかったり、いろいろだった。昨日汗かいて抜けたと思っていたが、今朝も起きてみたら頭が痛くて、ぼんやり。しかし用事もあったので、外に出る。晴れているのに大雨洪水警報が出されていて、遠くには真っ黒い雲。いつ降るかいつ降るかと思っていたが、ついに降らなかった。警報はそのまま解除された。日が落ちると、気が抜けたように涼しくなった。頭痛もだいぶやわらいだので、根性で中国盆を見に行く。最終日ではないので、人影もまばらだったが、この時の境内にしかない空気を胸いっぱいに吸い込む。そして無性にわき起こる懐かしさ。自分の魂のかけらのひとつは、絶対に、中国の南のほうの海っぺたの小さな村からどんぶらこ〜とやってきたと思う。沖縄で海を眺めていた時に「ここ、通ったことある」って思った時の懐かしさとおなじ。
 帰りにはちゃんぽんを食べて、「冷や水」の冷えが、今度こそ本当になくなった。黒潮のぬくもりに揺られて。


2011年08月25日(木) 全身のもの

 夜中、半分目が覚めて、半分無意識のまま、体中のいろんなところを伸ばしたりほぐしたり、息を吸ったり吐いたりした。その時はすっきりして寝た。しかし朝起きると、またもやフラフラしている。ラジオと保育園送りをなんとかがんばり、午前中は横になって本を読む。そしたら珍しく暑かったのもあって、なにやら気持ちの悪い汗がジクジクとしみだしてきて、ごはんを食べて体が温まったら、ますます変な汗がわいてきて、しばらくしたら、妙な軽さというか、爽快感に包まれた。風邪が通り過ぎたのかな。あるいは、このところの雨や川遊びでの冷えが抜けていったのか。脱皮…みたいなことかも。でも、半分ぼんやりしながら、体のあちこちに「どう?ここ、もう少し伸ばしたほうがいい?」なんてことを問いかけながら調整するのは、とっても気持ちがいい。これをやっていくと、決まった動作の体操って、あんまり効果ないんじゃないかと思う。そして、たとえばノドの不調ひとつ取っても、ノドだけの問題では絶対にないから、どんな部分的な痛みや不調も、全身を整えなくては、モグラたたきとおなじ結果になるはず。こないだ「情熱大陸」で出てたボディなんとかのお姉さんが、バレー選手の膝に水がたまったのを、短い時間の「体操」でみるみる治しちゃったのを見て、その思いを一層強くした。万人に有効なメニューなどないということも。

 (今日の「もしドラにゅ〜」:「トンビ軒」オープンの案内ハガキを作る。)


2011年08月24日(水) 原因と現象

 土曜日の夜のキャンプファイヤーで、虫に刺された。花火大会やプレゼント交換でなにをやってるのかわからなくなるほどかゆくて、エンドレスでウナを塗り続けた。その日も、次の日も大層かゆくて、でも「山の蚊は強いなぁ」くらいに思っていたのだけど、昨日見たら、かゆみこそだいぶ治まったけれど、刺されたところが火傷の痕みたいに赤黒くなった。「これって、さすがに蚊じゃないよね…」と話したが、なんだったのだろう。
 なんに刺されたのかはわからないけれど、私の足首には、強力なかゆみと腫れを経て、赤黒い痣がある。なんに刺されたのかはわからないのに。
 世の中の現象って、おおよそこんなものなのだろうな。ほんとうのとこの原因はわかんない。

 そういえばキャンプに行く何日か前に、何匹もの黒い蛇が足首に巻き付く夢を見た。蛇信仰の本の読みすぎだろうと思っていたが…。
 というような関連づけも、世の常人の常であろう。

 長崎の古い歳時記を読みながら、しばらく眠ってしまっていた。ひどく寝汗をかきつつ、朝買った揚げドーナツが猛烈に食べたくなって起きた。汗を拭き、ドーナツとアイスコーヒーとイチジクと梨を食べたら、スッキリ目が覚めた。足首のこともあり、昨日おとといと取れていなかった体のモヤモヤも軽くなった。よしよし。そしてまた、民俗関係の本を読みふける「所長」な昼下がり。

 風はもう、秋の匂い。


2011年08月23日(火) 「の」じゃなくて「は」

 昨日の日記で書いた、「鳥肌は立たなかったけど涙が出てしまった」コッコデショの「なにものか」に関連して、このところ考えていたこと。

 どうもここ数年、くんちの奉納踊りをする人たちは、「踊り」あるいは「祭り」と「自分たち」の関係を低く設定しすぎているような気がする。自分たちの感動や達成感を第一目標に置いてしまっているというか。祭りのものごとは、たとえそれをしている人がどんな大変な思いをしていようとも、その人たち個人のものではない。個人が楽しむ祭りももちろんあるけれど(よさこいとかは、これ。たぶん。)くんちは違うと思う。その始まりは「キリシタン禁制がどうのこうの」「町の人に散財させるために華やかにした」云々…言えば言うほど長崎お得意の「自虐的自慢話」になりそうなことだとされているが、たとえそうだったとしても、そういう「マイナス縁起」からスタートして、400年近い年月をかけ、本来「まつり」というものが持っている意味と力を獲得していると、私は強く思っている。その上で、そういう「まつり」には、「個人」が顔を出すもんじゃないんだけどなー、と思うのだ。
 変なたとえかもしれないけど、なまはげが、その中に入ってる「個人」を出してくることはない。まつりを演じる人は、あくまでまつりの魂を「受肉」した存在であって、「どこのなにがし」さんではないのだ。だから、このところ、やたら奉納踊りの中で激しい表情を見せたり、「俺たちの」なんて言ってみたりする風潮にしっくりこなくて(そう明言したのは去年出た某町だが、意識としては他の町にも多々ある)、自分でもその理由を考えていた。
 くんちは、まつりは、個人とか「俺たち」が「所有」できるようなものじゃない。もっと大きな次元のものだ。だから、「俺たち」って言いたいのであれば、「俺たち『の』」じゃなくて、もっと上を見て、大きな存在と一体になるつもりで「俺たち『は』」というレベルを目指すべきなのではないだろうか。


2011年08月22日(月) 空模様のようにめまぐるしく

 朝起きて青空が見えたかと思えば出るころには小雨が落ちてきて、昼前にはまた晴れ間が見えたと思ったら、みるみる恐ろしく曇ってきて、ごっつい雨粒が狂ったように落ちてくる…というように毎日まったく気を抜けない天気が続くが、それに負けじといろいろある毎日の備忘録。

 19日。夜は五島町の夏祭りへ。コッコデショが「サプライズゲスト」として登場。「まだ8月、練習見せてちやほやされてていいのかのう…」という老婆心を抱きつつも見る。なんだかまだ「重み」もなく、コッコデショには付きものの鳥肌も立たなかったのだが、しばらく見ていると、なぜか涙がにじんだ。目の前の演技に感動したというよりも、コッコデショの姿を借り、時を超えて現れ続けている「なにものか」の「かたじけなさに涙こぼるる」という感じだった。

 20、21日は、気がついたら毎年恒例になってきたキャンプ。山鹿の山奥の渓谷へ。天気がよくなくて、川遊びが寒かったり大雨だったりしたけど、たくさんの人たちがわーっと過ごす楽しさを味わった。これまでずっと集団行動が苦手な人生を送ってきたし、いまでもその傾向が強いけれど、小さい子どもがいると、時々こういうことがとても楽しい。自分のペースやら静かな生活やら整理整頓やら、そういうことは二の次にして、みんなが楽しいとか、子どもたちが笑ってるとか、そういうことを優先させると、めぐりめぐって、自分も楽しくなるのがおもしろい。

 22日、空模様を気にしながら、キャンプで生産された大量の洗濯物を出したり入れたり乾燥機にかけたり。そして「研究所」の計画をあれやらこれやらノートに書きつけて、静かに鼻息荒くなったり。

 23日。キャンプの写真をさっそくアルバムに。イベントごとのアルバムはスピードが肝心だ。大きな理由のひとつは、起こった出来事の記憶が恐ろしいくらいのスピードで失われていくから。おとといのことなのに、お昼に温泉に行ったのが先か、ごはんが先だったか、しばらく思い出せなかった…。


2011年08月18日(木) もしどらにゅ〜

 これからグイッと、ますます好きな仕事をしたいので、「長崎生活文化研究所/トンビ軒」をしっかり「経営」しようと思い、ドラッカーの「マネジメント」を買って「もしトンビ軒の主宰者がドラッカーの『マネジメント』を読んだら」なんて洒落込むか、と「マネジメント」を店頭で見たら、字がびっしりで(物書きが言うことじゃないが)挫折しそうだったので、その横にあった入門書(その名も「世界一やさしいドラッカーの教科書」)を買ってみた。なのでこの場合は「もしトンビ軒の主宰者がドラッカーの『マネジメント』の入門書を読んだら」ということになり「もしドラ入(にゅう)」という、なんとも情けない響きである。もしどらにゅ〜。
 しかし、成果を上げるとか、最善を尽くすこと、時間の使い方や、集中が大切ということなど、いろいろと力づけられた。「集中」ということについては、また別の見地からもその大切さを教えてもらっていたところなので、特に深く頷いた。
 ということで、がんばります。


2011年08月17日(水) 彼女の幸せ

 今年は本当に珍しいお盆だった。こんなに雨が降ったお盆は初めて。母もそう言っていたので、かれこれ60年分くらいは珍しいのだと思う。しかしなんとか雨の合間を縫い、超短縮バージョンながらも、墓参りと精霊流し見物は決行した。ヒコは興奮しすぎてわけがわからなくなり、ミサキンはまったく動じず、人それぞれである。

 雨の降りかたが、もはや温帯ではない気がする。あーだこーだ憂うのもいいけど、現実生活レベルでは、もう、そんなもんだと思うしかない。洗濯物対策など。

 昨日はうっかり、ネガティブシンキング女王でもあるダンナ母の買い物に同行したら、これまたけっこうなレベルの波動が放出されていて、一夜明けてもダメージが去らない。なので、スピリチュアル関係の本を引っぱりだして読んでみたり…。とにかくまぁ、なんというか、不幸になりたがってる人に勝てる人はいないなぁ、ということなのだが、でも、それをこのままにしておくのも、イヤでも付き合わなくてはならない人だけに、どうなんだか。これまでもずーっと、どうにかして少しでも明るく考えてみてはくれないかな、と、思ってきたし、それとなく提案したこともあるのだけど、そんなことしようものなら、何倍ものパワーで「若い人はそう言うかもしれないけど、いまさら変えられない」というような反撃をされてきたので、最近はもう、とにかく当たらずさわらずを心がけてきた。しかしやっぱり、それじゃ誰のためにもならないような気がする。昨日は「どれだけ自分がまわりの人のために我慢してきたか、それなのになぜ私はこんなに不幸なのか」的なことを念仏のように唱えだしたので、ヘタに口を開いたら、必要以上にきつい言葉が出てきそうだったので、最大限の対応として無視してしまったのだが、ほんと、やっぱり、誰のためにもなってない。
 幸せになってもらいたいのだ。ほんとに。でも、彼女は自分の中に幸せを見ようとはしていない。むしろつらいこと、苦しいこと、悲しいことを見つけ出して噛みしめることこそが、生きることなのだと思っているフシがある、っていうか、そう。台風が来るときの心配っぷりときたら、そりゃーもう、「嬉々として」としか言いようがない、生命のほとばしりだ。そして絶対に現状に満足しようとしない。家を建てて初めて呼んだ時の第一声が「おめでとう」でも「いい家ね」でもなく、「『あー、ここはこうしとけばよかった』って思うところはどこね?」だったのには、あらためて驚いたものだ。たしかにそれはもう、長年のあいだに、骨の髄までしみついた彼女の思考パターンだと思う。でも、でも、それでも、ほんの少しでも、いまの自分を幸せだと感じてはもらえないか、とも強く思う。…ということをうまく伝えられて、受け取ってくれたらいいのだけど。

 ふぅ。


2011年08月14日(日) とある真実

 ヒコとの暮らし、ありすぎるくらい、いろいろあるけど、ひとつだけ確実なのは、私が酔っぱらうと、ふたりはすごーくうまく行く、ということだ。


2011年08月13日(土) お盆は花火

 お盆なので、「長崎の子どもに生まれたからにゃ〜」ということで、ヒコを花火屋さんに連れて行った。一抱えもあるカゴに、どんどん花火を入れていく幸せなひととき。いつもはライダーおよびレンジャー関係のおもちゃを、数量制限されながら買っているので、私のほうをチラチラ見ながら「これもいい?これも?」と気をつかっているが、お盆の花火はまったく別次元のものなので「よかよか〜、好いたとば買わんね〜!ほら、こいも」と、むしろ私のほうが「『ドラゴン』わしづかみ投入」な感じで買い物は進む。この「一瞬で燃え尽きてしまう実生活にはまったく役に立たないもの」を意気揚々と買う時間のかけがえのなさは、本当に素晴らしいものだ。私の小さいころは、大音寺の山門のところにも花火屋さんが出ていて、とにかくもう、久々に会う親戚のおじちゃんおばちゃんにもらった小遣いを使いまくっていたものだ。じーじばーばにもらった「花火代」も合わせて5000円分くらい買いまくって店を出たら、スクーターの荷台に爆竹の段ボールを載せたおじさんが走り去っていった。段ボールひとつぶんの爆竹…他の地方の人は、一生かかっても火をつけることはないかもしれないけれど、長崎では…うーん、「家族でしんみり送る小さな精霊船の分かな?もちろん爆竹以外の花火は別だよね」といったところ。大きい船では、ちょっとハイになった若い人なら「段ボールいっぱいに爆竹をほぐし入れて頭上運搬&タコ踊りしながら爆発させ続ける」という技もよく見かけるものなので、量としてはまったく多いものではない。鳥取県境港出身のダンナは、毎年「長崎人は狂ってる」と言う。
 ということで、今日買った5000円分の花火と、事前にもらっていた2000円分くらいの花火は、明日の夕方、我が家の5歳児がほぼひとりで消費するはずだ。ほんとかどうかしらないけれど、日本の家庭用花火の9割くらいが、長崎の、しかもお盆で燃え尽きてしまうらしいのだけど、さてどうなんでしょうか。9割はオーバーでも、7割なら自信あるかも。


2011年08月11日(木) 成仏のすすめ

 いつどこでどうやって開催するのかもわからない「たのしい小冊子づくり〜リトルプレスワークショップ」のテキストを、コツコツ作成。でも、作っていると楽しいし、どうにかなるような気がする。なんでこんなこと思いついたのだろうと考えるのだが、なんか、ここらで自分にできることを世のため人のためにお返ししたいというようなことかな、と思う。いま、情報も体験も、それにともなう「パソコンにたまった写真」などなどもどっさり持っている人が(自分も含め)多くて、なんとなく「頭ばっかり大きくなって、しかもその中の風通しが悪い」状態があちこちで発生しているような気がする。それが、小冊子を作ると片付くのだ。片付くというか、成仏する感じ。私自身が、雑誌での長年の連載群を、いわゆる「リトルプレス」にして、それが幸運にも出版に結びついたのだけど、「これで成仏した…」というのが、本当に大きな気持ちだった。人や物にかぎらず、写真のデータや旅の思い出など、「いつか整理しなくちゃな…」と気にかけけられたり忘れられたりを繰り返しているものたちは、成仏できないまま、パソコンや頭の中でうごめいているのだ。もちろん、ハナから写真を撮らない人や、撮りっぱなしでもまったく平気な人、文章を書くなんて思いもつかない…私のダンナのような人はそれでいいのだけど、なんとなく「心の倉庫の荷物が増えていっている」人は多いと思う。それらは現実の物体とおなじで、心の動きをどんどん鈍くしてしまう。だから、少しずつでも、手に取れる形あるものに「成仏」させることで(「成物」か!?)、荷物を軽くし、風通しを良くする手助けができればと思うのだ。頭の中やデジタルデータのままで世に生まれでていないものの「重さ」を軽んじてはいけない。それは実際に小冊子を作った時の爽快感を味わうと、とってもよくわかる。「あぁ、背負ってたんだ…」と。写真だったらアルバムを作るといいし、私もアルバム作りは時々するのだけど、たとえば、ちょっとした考察を交えた歴史探訪の記録など、どちらかといえば字が多くなるようなものや、同好の人たちに渡してみたいものなどは、小冊子が向いていると思うし、なにより私が微力ながらアドバイスできるのは、そのようなものなので、とにかくテキストを仕上げてみよう。
 「産婆役」が好きなんだな、とも思う。自分が考えたいものや書きたいものもいろいろあるけれど、誰かがその人の世界をかたちにする時に、手を添えて産まれやすくする、っていうようなことにも心ひかれる。春までケーブルTVでやってたのは、そういうことだった。まぁ、前世では坊さんだったそうだから、あの世とこの世の方向が逆になっただけで、この世では産婆なのかもしれない。境目で立ち会う人という意味ではおなじだから。


2011年08月07日(日) 風がゴーゴー吹く中で

 ここ数日、講演を聞きに行ったり、水辺の音楽祭に行ったり、気合いを入れて文章を書いたり、その他当然家事育児をしたりしながら日々は過ぎたが、遠くでじわじわ動いていた台風の風が、いつも強く吹いていた(沖縄にいる妹は、小さな息子とふたりで家に封じ込められて大変だったろうと思う)。遠くの台風の風は…しかしこの上なく気持ちがいい。私にとっては「快適」とか、そういうことよりももっと、生命や魂の奥底がふるふるする気分になれる瞬間である。南の海のほうにいたことが、絶対にあると確信できる。
 昨日は仮面ライダーの映画を、封切初日の朝っぱらから見に行った。「暴れん坊将軍」が登場する今回の映画。思ったよりも…面白かった…。そして次の仮面ライダーがカッコ悪すぎ&チャラすぎて笑えた。「屈折した今風ヒッピー」から「超短ランの高校生」と、幼児が感情移入するには少々無理感の強い設定が続くが、こうなるともはや、おもちゃを売るための設定を押し付けてくるバンダイサイドへの、制作陣のささやかな抵抗とさえ思えてきた。

 今日は実家で2時間近く気を失っていた。40歳にして、子どもが5歳と1歳というのは、そういうことなのであろう。

 昨日の「水辺の音楽祭」に出てた、佐世保の「オトヒトツ」というバンド、とりわけボーカルの人が強力だった。曲の感じや、そもそも性別だって違うのだけど、歌への入り込み方とか、トークの感じなど、なんかちょっと、どんとってこんなだったのかも、と思った。

 そういえば、この素晴らしい家に引っ越して、ちょうど1年だ。しかし2日続けて、ダンナと私の足に、小さなムカデが這い登ってきた(刺されなかったけど)。気持ちのいい山の風が吹く我が家は、ときーどき、一発で酔いの覚める恐怖の館でもある…。


2011年08月03日(水) 特盛女

 スケジュール帳を見たら、明日はおっぱいマッサージ(母乳管理のです。念のため)だったので、「こ、これは…ラムのクスクスだのう、多少、乳が詰まっても明日には解消するけんのう」とひとりごちながら、午前の部の仕事の目標を決めてクリアしたのち、江戸町のソリレスへ。いつもぜんぜん足りないので、大盛りを頼んでみた。パクパク食べていたら、お兄さんが「たりなかったら足しますよ」と言ってくれたので、ついつい追加。大盛りなんて頼む人はいないようで、頼んだ時には「ご予算に応じます」とか言われたので、大盛りプラス追加なんて、すごい値段になってたらどうしようと思ったが、たったの200円増しだった。「今度来られたらたっぷりつぎますね」って言われたので、あの店では「クスクス特盛女」の称号を得てしまったのかもしれない。その通りだけど。
 それにしても、いつものことながら店内に掲げられた夜のメニューには、魅惑的においしそうなものが、これでもかこれでもかこれでもか、と並んでいる。そしてその大半が乳が詰まりそうなものであるし、そもそも子連れでは無理だ。というわけで、最短でも哺乳類を卒業するまでは、あの店のディナーはお預けであるが、こうしていつ見てもおいしそうなものの名前が並んでいるのは、それだけでうれしい。そして、毎日ちゃんと店を開けて、おいしいものを作り続けているような人って、本当に尊敬する。「この仕事が終わったら、あの店のあれを食べるんだ!」っていう気持ちは、少なくとも私にとっては、大きな力の源だから。


2011年08月02日(火) ふたつの「中心地」

 原爆中心碑に献花されると聞きつけて、オノヨーコさんを見に行く。どんな空気をまとった人なのだろうかと。
 近くのパーキングに車を駐めて爆心地公園に近づくと、降りようとした階段の下に、市長さんたちがおられた。ちょっと離れたところに降りて待っていたら、黒々と偉そうなハイヤーが到着した。
 白い服を着たヨーコさんは、想像していた通り「思っていたよりも小さく」て、しかし、想像していたよりももっと深く乾いた静けさが漂っていた。中心碑を見上げて、献花して、手を合わせる…そのほんの短い時間の後先にも、絶え間なく話しかけられ、説明され、カメラを向けられていたので、自分の野次馬は棚に上げて「私の『ひとり加減』と代わってあげたいなぁ」と思った。
 ジョンレノンが撃たれたあと、現場にはたくさんの人が集まった。それは、のちに起こった「9・11」のそれとよく似ていたような印象がある。ということは、ヨーコさんはいつも、彼女自身が小さな「グラウンドゼロ」をたずさえて生きているのかもしれない。撃たれたジョンレノンのそばにいたということは、原爆であれば、ほぼ「落下中心地」にいたということだ。だから、ヨーコさんが献花しているとき、ふたつの「中心地」が重なってる…と思った。
 66年経っても「オノヨーコ」を呼び寄せるほどのことが、ここでは起こったのだ。

 ところで、かつて中心碑に取って代わろうとした「母子像」の前でも説明はなされていたが、ヨーコさんはまさに「一瞥」で立ち去った。そうだろうな…。お口汚しですみません…。


2011年08月01日(月) 夕食のスパイスかなんか砕くみたいにして

 出島のカリオカさんとこへ、刺し子のバッグや小物を見に行く。チェンマイのふたりの女性が、ひと針ひと針、ここにあるものぜんぶを1年くらいかけて作ったという、すばらしきバッグやポーチ!あまりのすばらしさに、ほとんど泣きそうになりながら見た。あれもこれも連れて帰りたかったが、どうしても、何度も手がのびてしまった台形のポーチを買った。紫色、花の模様、ビーズの飾り、ちょっと変わった形、見かけより軽い感じ…ロイヤルストレートフラッシュ並みに「いかにも自分が好きそう」だったので、一抹の悔しささえおぼえたが、こういうときは素直になるに限る。
 そして、これを作っているピェオさんの制作現場の写真に、さらなる感動。大きなはっぱがワサワサと茂る木の下で、小さな椅子に座って、黄色いシャツ着て、夕食のスパイスかなんか砕くみたいにして、針を動かしているピェオさん。その写真を見た瞬間、私もこんなふうに文章を書いたりものを作ったりしたい!と、心から思った。

 帰りの車の中でも、家に着いてからも、しばしポーチを手に取り、しみじみ見つめた。


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