ぴんよろ日記
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片付いた部屋で、ぐーっと集中しつつ「ちょっとした物語を書く」という、私にはあまりないタイプの仕事をした。今日が〆切。なんとか間に合った。物語のようなものを書く仕事は、前にも何度かしたことがあるけれど、これとテレビのナレーションだけは、不思議と手書きじゃないと出て来ない。頭とつながった指先ではなく、体とつながった手から出すしかないようだ。
どんどんいろんなことがわかりはじめて、表情も発声も豊かになってきたミサキン。あまりにもかわいく、面白い。言葉をしゃべるようになったら、いったいどれだけ楽しいだろう?赤ちゃんで、しかも自分の子どもではあるけれど、本当に、ただの、ひとりの女の子として、すごーく心ひかれて大好きだ。
明日は保育園の夏祭り。ヒコは歌をうたったり、マジックショーをしたりするらしい。
「あしたオレががんばったらね…」さっそく、その「がんばり」と、ゲームのカードやメダルとの交換を画策中。こちらは知能犯。
ようやく仕事スペースが整備された。まだこまごまとした整理は必要だが、とにかく段ボールがなくなり、資料や道具があるべきところに収まった。家の中の使っていないものには「動きのないヘビーなエネルギー」が宿っているという。動きのないエネルギーに囲まれていると、自分自身もまた、そのような生命体になってしまうのだと。しかしそのことは、そういうものを意識してなくしてしまわないとわからない。捨てて初めて、それらが重いエネルギーを発していて、自分も影響を受けていたのだということがわかる。特に今回は、はじめっから段ボールを積んでいたので、「あるべき姿」がわからないまま来てしまっていた。昨日、段ボールの見えない仕事スペースを初めて(!)見て、おぉ、これか!と思った。そして心も軽くなり、いろんなことがやれる気がしてきたのだ。
あいかわらず、片付けと家事の日々。仕事も…あんまりないし、というか、これから新しいことを始めるつもりだけど、それもとにかく仕事部屋を作ってからなので、とにかく片付け。しかし片付けのしすぎや、まだまだ抱っこざかりのミサキンの重さで、腰や背中が時々崩壊しそうに。あまりにたまらず、金曜日にはオヤユビキングに駆け込んだ。いろんなところが癒着したりなんだりで、体に申し訳なく思いつつ、とにかく片付けをやりとげるのである。うおー!
最近、フレッシュな青い唐辛子が大流行中。なんともすがすがしく、みずみずしい辛さ!そしてこれまたしょっちゅう買ってしまうカツオのたたきや刺身にもぴったり。カツオは、わさびよりもショウガよりも、だんぜん唐辛子だと思う。今日は、買ったはいいがちょっと甘かったイカの塩辛に、刻んで大量投入した。その他、醤油とオリーブオイルにも漬けている。子どもたちがいるので、どうしても調理の段階ではパンチを効かせられない我が家の食卓に、なにかと重宝。
「たのしい小冊子づくりワークショップ」のこともあれこれ考えながら、仕事部屋の片付けを続行中。けっこう先が見えてきた。もうひと息だ!
今日からくんちの本格練習が始まるので、つい、コッコデショを見に行く。もちろんまだ、太鼓山の上げ下ろしと、歩くことくらいしかしない。7年前に担ぎ手だった人が棒先(ぼうばな)だったり、いなかった人がいたり、いた人がいなかったり、白髪が増えていたり痩せていたり。前回とてもお世話になった前の会長さんとYさんは、この7年の間に亡くなった。そして私は、この7年の間に2人の子どもを産んだ。そのことに改めて気付いて、しばし感慨の深みに漂った。 くんちは毎年見ているけれど、7年前のコッコデショはとても濃く見たので、かけ声を聞いていると、今であって7年前でもあるような、ワープ空間にいるような気持ちになった。そばについていただけの私でさえこうなのだから、町のみなさんはもっとその「らせん時間」を強く体に感じるだろうと思う。祭は、本当に、それをする人たちのものだ。まわりの人間や、ましてや観客が思っているよりもはるかに濃密で異質な時空の中に、彼らは身を置いている。あれこれ意見を言うのは構わないし、取材したり観察したり記録したりするのもいいだろう。でも、実際にやる人間にしか絶対にわからないことがあることだけは忘れないようにしないと、お互いに不幸だ。 なんかふと、女だったからコッコデショを取材できたのかも、と思う。「オレが担ぐとこ」をまったく想像できないから。
土曜日、ヒコと恐竜展に行く。数日前に保育園からも行ったヒコだが、また行きたいとのことで。そしたら「かつて長崎を闊歩していたであろう恐竜の骨」があって、さらにはそれとおなじような恐竜の骨格標本があって、それがあまりにデッカくて、頭には変なツノみたいなのまで生えていたので、あまりにおもしろく、写真を撮りまくった。ほかにも、わりとリアル(ほんとの恐竜見たことないから、こんな言いかたはヘンなのかな?)に動くトリケラトプスに釘付けになったりして、むしろ親が大興奮だった。帰りにソフビ恐竜を買おうかどうか、真剣に悩んだ。
日曜日は、これまたヒコ様のご提案により、朝イチで夢彩都へ。10時半前に着いたのに、屋内駐車場はギリギリだった。危なかった。仮面ライダーとゴーカイジャーとポケモンのゲームを一回ずつ。小銭を巻き上げられる腹立たしさはあるけれど、カードそれぞれの強さとか性質とか、その組み合わせなどを真剣な顔で考えきれているヒコを見ていると、ここまで成長したんだな…という気持ちも大きい。どのライダーにどんな強さがあるとか、私にはまったくわからない世界を把握している。字も読めないのに!
ヒコの字の読めなさに関して、ついにダンナが「教えたほうがいいとかな…」とつぶやいていたが、あとちょっとしたら保育園での「おべんきょう」も始まるらしいし、別にいいんじゃないのか。そのことに関して、育児の百科に「(字を読みたい子が読むことは)ふせぎようのないもの」と書いてあったのがおかしかった。つまり、読みたい子は、たとえ禁じられても読んでしまう、というようなこと。字が読めるようになることは、まぁ、今の社会を生きる上では必要なことだけれど、「幼児が字を読めること」が、すなわち善であるとは、私は思わない。
でも「がっこうって、イヤだなー、めんどくさい」ってヒコがいうので、「学校はどうかわかんないけど、勉強は楽しいよ」と言っておいた。「勉強してればいいなんて、最高すぎる!母さんも学校行きたい!」と。ま、学校には、ほんとはもう行きたくないけどね。
字もかけず、学校もめんどくさそうな気がしているヒコの「夢」は宇宙飛行士。でも、野口さんとか向井さんとか、宇宙飛行士がテレビに出ていたりするのを見ると、もちろん勉強ができなくては話にならないだろうけど、プラス、誰とでも友だちになったり、その場を愉快にする才能がある人が多いような気がする。それだったら、ヒコは天才的に向いているのかもしれない。
月曜日は海の日、だからというわけではないけれど、橋がタダになった大島に渡って、あらかぶ定食を食べ、海で遊んだ。島特有の緑の濃さ、それにともなう、なにものかの気配の濃さが漂っている。思いきり吸い込む。
ほんとうなら、東京で「日本版ナショナルストーリープロジェクト」のイベントがある日だった(私の「洗濯バサミ」が掲載されている)。ミサキンを抱えて酷暑の東京に行く勇気がなかったのだけど、「『長崎生活文化研究所/トンビ軒』を心の中で設立して、消しゴムスタンプでロゴを作って悦に入っていたら、ほしよりこさんがトンビの挿絵を描いてくれた掲載本が送られてきた悦び」を綴ったメールは紹介されたかもしれない。 イベントがあっていた時間、ちょうど、虹が出ていた。
昨日の片付けで猛烈に発生した洗濯物をベランダいっぱいに干したら、空がゆっくりと曇ってきた。失敗の巻?
ダンナに指摘された、恐ろしい事態。「パソコンのバッテリーの膨らみよるよ」。ネットで調べたら、その膨張でトラックパッドが効かなくなったり、最悪、発火することもあるようだ。Appleストア、長崎には無し。ひとまずバックアップを取る。
保育園に送った帰り、やけに道が混んでるなーと思ったら、事故。現場の横を通り過ぎるとしきりに謝っていたのは、保育園のお迎えで、時々一緒になるお母さんだった。彼女はいつも「そりゃないんじゃないか…」というスピードでぶっ飛ばして来るのだ。さもありなん…。
さて、今日も片付けだ。ようやく仕事エリアの改善に着手だ。作業用の机も導入しよう。版画を作りたい。
連日、ガンガン片付け。今朝はゴミ出し。6袋も! 日々の忙しさにかまけて手をつけていなかった引っ越しの段ボールを開けると、そこには「無いなら無いで思い出してもみない無用の物(by青山二郎)」たちがぎっしり。そして、この梅雨を経過したことでカビが生えたものも多数。「このカビを丁寧に取ってまで残しておきたいか?」という、非常に強固な「選考基準」が設定されたおかげで、どんどん思い切りがついた。 ベンツさんのエンジン洗浄ではないけれど、「研究所」の活動もなにもかも、なにはともあれ、まずは掃除をしてから始めよう。新しくやりたいことも思いついているので、あれこれ楽しく想像しながら。
土曜日には、車のエンジンを掃除しに行った。古いベンツさんのそれを「洗って」くれるところは少ないらしいが、太宰府インターを降りたあたりに、その工場はある。ややこしそうな外車ばっかり並んでいた。キャデラックだか、ロールスロイスだか、そういう「すごいの」も整備を待っている。おじさんと、お兄さんと、おばさんが3人でやっていた。工場も事務所もきれいに掃除されていて、イメージしてた油くささとかホコリっぽさとかは全然ない。 17年に渡って溜まってしまっている、エンジンの中のカーボンだのなんだのを取る。そして気になる不調を相談すると、何百、何千の車を見て来たであろうおじさんは、ふむふむ、と、また違うところを掃除してくれたそうだ。そうして2時間半くらいかけて、エンジンが掃除された。 エンジンをかける。軽い…。私にもわかる軽さ。スタート時のかかりにくさもないし、アクセルを踏んだ時の「よっこらしょ…」という鈍さもなくなっている。気にしなければ気にしないで済ませられないこともなかった数々の不調が、すっきりとなくなっていた。こないだヤナセで診断したとき「悪くなってます」と言われ、換えるとしたら10万くらいかかるはずだったパーツも、まったく悪くなかったらしい。ただ、掃除が必要だっただけ。まぁ、ヤナセの判断がすこぶる頼りない&すぐ「法外な定価」で交換しようとするのは今に始まったことじゃないのでほっといて、掃除って、大事なんだなー、と、しみじみエンジンの静けさを味わうのであった。車を始めとする「機械」って、なんか不調だと、つい「どっか悪い?修理?交換?」って思うけど、まず掃除してみる、っていうの、大切かも。…あ、人間の体もだな。きっと。
どしゃぶり。降りおさめのような気もするが、梅雨が空けるとなると、雷のひとつも鳴らないと、物足りないような気がする。どうだろうか。
ずーっと引きずってきた仕事が、ようやく終わりそうでうれしい。こちらも梅雨明けと行こう。そしていよいよ「長崎生活文化研究所/トンビ軒」としての執筆や制作をはじめよう。なにがどうなって行くのかはわからないけれど、自分がこれと思うものを作っていこう。ずっと「当然」「常識」と思われてきたことをとっかかりにして、生活の実感を忘れず、いつもの風景がまるで違った姿で立ち顕われてくるようなものを。
天気予報は大雨だと言っていたけど、起きてみたら青空。意気揚々と洗濯する。子らを送って、お諏訪さんへ。ちょうど、井戸の神様のお祭りがあっていた。大好きな大楠のてっぺんにはトンビがとまっていて、とにかく気持ちがいい。たけやまでコーヒー飲んで、オリオンビール買って、すがすがしく帰宅。蝉が鳴いてる。でも、梅雨明けと思うには、いまひとつ空の色が頼りない。 昨日は、以前なら受けていたであろう大きめの仕事を断ってしまった。長期間に渡りそうだし、実際に動く時間が多いものだったので断念。ちびっこたちとの生活、限られた時間…優先順位を大切にしなければ、たとえお金が入ってきても、心がつらくなる。すると、あらゆる方面がつらくなる。なにより、ずっと思いめぐらしてきたことが、ようやく形にできそうな実感がわいてきたので、やはりそちらを優先しよう。
土曜日は小国から友だち一家が泊まりにきて、日曜日の夕方からは、また大勢の人たちが家に来た。賑やかな週末だった。それぞれに、ほぼ同じ歳の子どもがいたので、かなりはりきって遊んだヒコ。時々はケンカもしつつ。
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