ぴんよろ日記
DiaryINDEXpastwill


2011年06月30日(木) ついて行けなくて

 こないだ母に、庭で蛇を見たというばあちゃんから、興奮冷めやらぬ電話がかかってきたとか。蛇…。最近、蛇信仰についての本を読みはまっていたので、その、ばあちゃんの反応に心打たれる。

 昨日は、降り積もっていた肩こりや腰の不調、寝不足などなどで、大変に頭が痛かった。昼寝してもお風呂に入ってもごはんを食べても治らなくて、「もうだめだ、脳内出血で死んでしまうかも」などと騒ぎ立てたら、ダンナが「倒れられたら困る」とマッサージ代をくれたので、ありがたく揉まれに行く。頭痛は寝たら治っていたが、体はなかなかどうして固まりまくっていた。
 でも、寝る前に頭が痛かった時は、ミサキンの寝顔を見て「これだけかわいい子も産んだし、ひとまずは良しとしよう…」とまで思った。人間は、なんと単純で弱いものであろうか。
 
 マッサージ、よく似た症状の人が、このところ多かったらしい。続いた雨と、いきなりの暑さ。みんなついて行けてないのだな…。


2011年06月28日(火) 気にすると気になる

 晴れた風に、洗濯物がはためいている。なんと幸せな光景。朝からミサキンのウンコが大洪水を起こし、マットも毛布もやられてしまった。でも大丈夫。今日は梅雨の晴れ間。

 ところで、どうして女の人の肌は白くないといけないのだろう。そして「年齢肌」って何だ?「年相応」を「異常」にしてしまえば、そりゃ化粧品も売れるだろうが。
 肌のこと…気にしたことない。テレビに出てるころ、がっつり日焼けして「そんなことしていいの?」みたいなことを聞かれたことあるけど、何がダメなのかわかんない。肌って、わりと精神状態と直結してるから、「肌のことを気にすると『気になる肌』になる」ってことが、ほとんどだと思う。化粧水は自作のラベンダー&ローズマリー水。作った精製水のボトルのまま使ってて、これはまぁ、たしかに、もうちょっと色気のあるものに入れとこうよ、と思うけど。クリームはマンゴーバターとオリーブオイルなど。

 夏が特別に気持ちのいい我が家。風が通り抜ける。



2011年06月27日(月) 悪魔の血

 昨日は一日雨に降り込められたので、ヒコの恐ろしいエネルギーをどうしようかと思ったが、積み木とトランプでなんとかやりすごした。体を動かさなくても発散できるようになったことに、深い感慨。そしてトランプは、長いことポーカーだったが、私が大好きなセブンブリッジを教えてみた。ポーカーよりはちょっと複雑なので、どうかな?と思ったけど、案外やれた(ポーカーもセブンブリッジも、カードはぜんぶ見せあい、アドバイスしながらではあるが)。しかも一回目で勝ったもんだから、おやつをもらった犬みたいに興奮して、何度も何度もやりたがる。
 勝負師ヒコ。アナログ、デジタルにかかわらず、ゲームの類いが大好き。「雨の日とか、一緒に体を動かせるのならそれもありかな」と思って、ちらっと「Wiiって、どんなのがあるの?」って聞くと(実家の近所の子どもの家で遊ばせてもらったことがある)、「え!ひょっとして購入を検討されておられますか?」という気持ちを体一杯にギラギラとみなぎらせて、いろいろ説明してくれた。
 あ、いま書きながら気付いたが、その時ヒコは「買って」とは一言も言わなかった。「買ってほしい」という気持ちは、ものすごいオーラとして漂ってはいたが、直接「買って」とは言わなかった。そのかわり「Wiiがあると、どんなに楽しいか、どんなことができるのか」というようなことを、切々と語っていた。これって…ダンナが人に大きなものを買わせる時のやりかたそのままだ!強引に背中を押すんじゃなくて、自発的に「飛んだら楽しいかも〜」と思わせて清水の舞台に歩かせる、悪魔の営業マン。これまでも、何人もの「被害者」が、車やバイク、パソコンなどを買ったものだ…。悪魔の血が受け継がれた。


2011年06月25日(土) 4チーム

 保育園のお昼寝バスタオル2人分4枚、すでに昨日、洗濯機に投入していた冬物布団マットおよび取材で汗かいたから是非とも洗うべきダンナのズボン、そこに、朝起きたらミサキンが乳を吐いていたので、昨日出したばかりの夏の布団マットが加算され、そしてもちろんいつもの洗濯物(暑かったから多め)。午後から天気が崩れる(そして台風)ということだったので、とにかく昼までに洗濯と乾燥の目鼻をつけなくては大変なことになる!と、大忙し。昨日発売された「日本版ナショナル・ストーリー・プロジェクト」114ページの「洗濯バサミ」の舞台となったベランダは、洗濯物だらけ。ひとつの球場で、4チームが試合してるみたいな眺めだった。おおかた乾いたころに、雨が降り始めた。かろうじて、セーフ。

 ほんと、太陽って偉大。土ってすごい。家に住むようになって、ますますそう思う。太陽を神様と思う気持ちや、土をお母さんに見立てる気持ち、王様が太陽と自分を重ねあわせたい気持ちが、洗濯物ひとつ、雑草の勢いひとつ取っても、強い実感として迫ってくる。

 夕方、みんなはダンナ母を買い物に連れて行った。「土曜日の夕方に、ひとり」は、なんともいい気分に満たされる。ちょっと本を読んで、雨がひどくなかったらビールを一杯飲みに行こうかな。


2011年06月23日(木) 「トンビ軒」設立。

 一晩中深く眠れず、ぼーっと起きたら、青空!洗濯機を2回まわす。昨日も雨ではなかったので、1週間か10日ぶりにベランダに洗濯物を干したが、ベランダに干す時の「作法」が、体からスッと出て来なかった。ベランダでは、手すりに掛けて干すタオルを、ついハンガーに掛けたりして。
 もういいかげん、フリーライターという肩書きも飽きてきたし、茫洋としているので、「フリー」じゃなくて、もちょっと絞り込もうかと思案。「民俗ライター」や「長崎をフィールドとする地元人類学研究者」など怪しいものが浮かぶし、まぁ、これからますますやっていきたいのはそんなようなものなのだが、名称として決定打には至らず。しかしいずれにしても隙間産業な感じだ。

 というようなことを、お昼にカレーを食べながら考えていたら、心の中に「長崎生活文化研究所・トンビ軒」という機関が突如立ち上がったので、今後は「所長」として活動することにし、さしあたって研究所のロゴを版画で制作した。今日は記念すべき日であった。


2011年06月22日(水) 突き動かされながら日々は

 もう10日ほど日記を書いていなかった。日々があまりにも勢いよく過ぎてゆく。。1日にひとつふたつ、日記に書いておきたいことをメモしてはいるのだが。「ワインを買いに行ったらタイムリーな資料を渡された」とか「カメを助けた」とか「別のカメが死んでいた」とか「保育士体験で読まされた紙芝居がやたら民俗学ネタだった」など、あずかり知らぬ力に突き動かされながら、日々は過ぎゆく。
 今日はヒコの空手の日。もう家を出る時間なのに、もぎくんが帰って来ない…。


2011年06月10日(金) 好きな空間

 朝起きると、昨日の宴の楽しい空気が、まだ部屋に漂っている。たくさんの人が3つ4つにわかれて、あるいは別の部屋に行ったりして、それぞれに盛り上がってしゃべってる空間にいるのって、すごくうれしい。そして、年齢層がけっこう高かったのもあり、「『みちのく山道』コーナー」ができていたのがおかしかった。ハンモックも人気だった。ひとりや家族で過ごす毎日もいいけれど、人が来ても楽しい家だ。庭ができれば、もっといいだろうな。のんびりがんばろう。それにしても草の生長は早い。

 とても梅雨らしい雨。しとしとしとしと。


2011年06月09日(木) 老幼の力

 ミサキンの初誕生と、遅ればせながらの新居お披露目ということで、母方、というか祖母方の親戚のみなさんをお招き。子どもも入れると20人近くの宴で、もはや我が家はお祭り会場であった。私が小さいころから盆や正月には集まっていた祖母方の親戚も、近年なかなか揃うことは少なく、なんとなく寂しかった。今回もフルメンバーではなかったけれど、「黒い服」以外で集まることができてよかったと思う。そういえば以前は、私のひいばあちゃんを囲むようにして集まっていたのが、今回はミサキンがきっかけになってくれた。老幼の力は、とても大きい。死者には負けるが、これだとゲラゲラ笑って飲み食いはできない。
 ダンナがしきりに「皿うどんも取ろうよ」と言っては私に却下されたが、結局は宴の最中にダンナが強硬突破。しかしいざ届いてみると、みんなひととおりお腹は満たされていたはずで、その証拠に、おひたしなどのシブい料理は残っていたというのに、あっという間になくなった。やはり長崎人にとって、皿うどんは別腹なのか…。



2011年06月07日(火) 総動員で

(7日、朝、ツイート。http://twitter.com/tonbigreen)

くんち桟敷席、今朝発売開始。諏訪神社の7日の朝のぶんは、すでに完売したらしい。遠くの席だと、踊りは見えない。だけどやっぱり、あの日、あの時にしか立ちのぼらない「気」みたいなものがある。もちろん、そこにいないと、その恩恵には浴せません。

さらにその真ん中、踊り馬場には、もはや「結界」という感じの、異質な空気が存在しています。3年前、ヒコの手をひいて歩いたときのその感触には驚きました。前回のコッコデショは、取材だったので、お客さんよりも近いところ…「結界」のすぐそばにはいたけれど、わからなかった。

中に入らないとわからないもの、見えないもの、触れないものは、絶対的に存在している。外からなにかを言う時は、それはそれでいいし、外にいるからわかることもあるだろうけれど、「そういうものが存在している」ということを、片時も忘れてはいけないと思います。

ヒコと手をつないで歩きながら感じた、あの、ほんの1分くらいのあいだの「結界の感触」が、これから書こうと思っている「くんち論」を支えてくれるでしょう。



 ふと、ツイッターで決意表明。ツイッターって、こういうのがポロンと出てくるから、好きだ。そうかー、やっぱり「くんち論」書きたいんだ…と、あらためて自覚。
 「論」は「論」なんだけど、「学者」でもないし、「在野の研究者」ですらない。どこで発表するのかしないのか、それともまた自家製本なのか、それすらもわからないけれど、とにかく、いつでも生身の自分と生活の実感に立ち返りつつの、ひとつの「論」を書こうと思う。イラストや写真もいっぱい入れて。「字ばかり」も好きだけど、自分が作るものとしては「総動員」が大好き。文章にもイラストにも写真にも、個別の「オレが一番だ!」的な自信がないかわりに、「総動員」なら、そうそう負けないぞ、と思う。



2011年06月04日(土) 太陽の旗

 晴れ。暑い。どの家も、盛大に洗濯物が干してある。もちろん、我が家も。2回洗濯機をまわした。冬の掛け布団も干す。ベランダに洗濯物をおいた瞬間から、強い日に照らされて、ほわーっと水気が蒸発していくのが感じられる。太陽ってすごい。掃除も終えて、昼ごはんを食べていたら、近くの学校の屋上に、日の丸の旗がはためいている。あぁ、あれも太陽だったなー。白地に赤く、この上なくシンプルに、太陽。素材もデザインも、なんて素敵なんだろう。右や左の旦那さま、あの旗に必要以上の意味を込めるのはやめて〜、と思う。


2011年06月03日(金) 呆然と

 普賢岳の日。大火砕流の映像は、何度見ても恐ろしい。私は熊本で大学4年生をしていた。5時限ぶん、フルに残っていた教養(普通は3年までに取る。そして取らなくては卒業できない)の日だった。授業が終わって外に出たら、茶色い雨が降っていた。あたり一面が茶色だった。黄緑色のシャツを着ていたのだけど、それにも茶色が付いた。
 ダンナは、当日こそ現場にはいなかったけれど、そのころは連日、学生バイトとして取材に入っていた。背後に迫り来る火砕流から、車で猛ダッシュで逃げたこともあるらしい。大火砕流の時は、テレビクルーのアルバイトも亡くなっている。火砕流は、バイトだからって、もちろん容赦しない。気軽に入ったアルバイトで死ぬことになるなんて、彼らは思ってもみなかっただろう。
 私はその3年後に、そんなことは考えもせず、テレビのプロダクションにバイトに入った。そういえば、「島原復興」に関する工事の記録ビデオのバイトに入ったこともある。そんな中、6月3日の島原取材に入ったカメラマンが「これだけは行きたくなかった…」とつぶやいた。3年前(そう。たった3年前だったのだ!)、彼は現地にいて、たまたま死ななかっただけなのだ。
 ダンナの取材中になにかあって、「焼けこげたカメラ」とか「泥まみれの時計」を前に呆然としなくちゃならないことが、絶対にないということは言い切れない。そうなったら、どうするだろう。やっぱり呆然とするんだろうな…。


2011年06月02日(木) そういえばダンナを!

 つまらないプライドを持った「男グループ」と付き合わなくてはいけないことほど、やっかいなことはない。私自身は、あらゆるグループや組織とはいつでも好きな距離を取れるように人生を運営してきたけれど、それはけっこう心もとないものでもあるから、なかなかそうはいかない人のほうが多い。昨日もひとつ、気の毒な話を聞いてしまって、あまりのバカバカしさにポカンとしたけれど、まったくどうしたもんだろう。「そっと立ち去る」ことができれば一番いいのだけど、そうはいかないから悩ましいのであって。

 6月か…。

 「ザ・ながさき」が休刊(今後の見通し立たず)するとのこと。もっともらしい理屈はいくらでも付けられるだろうけど、他人はなんとでも言える。「ザなが」から受け取ったものに感謝しつつ、今はただ合掌。そういえば「ザなが」は受けて落ちたけど、「ザなが」の求人欄で見つけたバイト先で、ダンナとその後の仕事の糸口を見つけたのだった!ほんとありがとうございました。


2011年06月01日(水) 原動力

 くんち小屋入り。つい保育園帰りにお諏訪さんへ。明け方から出勤のダンナ(番組取材中)や、熱烈コッコデショファンのS子さんがいた。しばらく小屋入りの空気を堪能したあと、S子さんとたけやまで、コッコデショについて深く話し込む。
 午後はまた、打ち込み見物へ。7年前は取材だったが、今日はただの「馬鹿」。長崎は「坂・墓・馬鹿」の「三つの『か』」だと言われることもあるが「馬鹿」は「くんち馬鹿」の「馬鹿」である。くんちについては自分なりに解きたい問題があるし、それは「くんち好き」の人には受け入れがたいものになりそうな気もするけれど、その一方ではただ純粋にワクワクとくんちが好きな自分もいる。「謎解き」の原動力もそこにあるのだから、それはそれで、きょろきょろと追っかけるのであった。
 7年ぶりのコッコデショのかけ声。これまた取材してあんな面こんな面も見たので、いろいろ思うところあるのだけど、やはりジーンとした。7年経ったんだな…。担ぎ手の人に挨拶してたら、今年は(撮影クルーとして)ついて回れんけん、寂しかね〜」と声をかけられた。いえいえ、そう言ってもらえただけで充分です。今回はただの追っかけです。
 山の上の家に帰ったら、なんと、打ち込みの声が聞こえてきた。町で生まれた音はこうして、たとえ聞こえないくらいになっていても上がってきているのだな。山に囲まれた「うつわ」のような町に、いつも音は満ちていたのだ。


トンビ |MAILHomePage