ぴんよろ日記
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2011年05月30日(月) ライフワーク

 小さいころから、長崎の町を「立山〜立神」のバスが行き来するのが気になっていた。その一方に住むに至ったこともあって、ますますバスの表示を見てしまう。しかも最近読んでる本が「山の神」。つい「おお、山と神を行き来しているのか…」と、民俗的深読み。でも、あながち遠くもないと思う。長崎では、山に降り立つ系の神様のポイントとして最重要な金比羅山(=立山)と、海からやってくる系の神様がたどりつくにはおなじくらい重要なポイントであろう「立神」なので、そのあいだを行ったり来たりしているバスは、なかなか素敵な存在である。

 これまでの「シェフレラ観察人生」を、ちょっとまとめておこうかという「ひとりワークショップ」を、本日現像するフィルム2本をもって、ひとまずひと区切り。あまりにも同じ葉っぱの植物が写っているからか、さすがにフォーカスの奥さんから「これはライフワークですか」と聞かれた。その通りです。
 家に帰って写真を眺めていたら、脳内物質がびゅうううう〜と出るのがわかって、自分でもおかしかった。あきらかに体温が上がるんだもの…。
 でも「シェフレラ」で検索しても「ザ・シェフレラ」「シェフレリアンライフ」「シェフレラのある風景」「シェフレラとともに」みたいなサイトはない。ひょっとして、ひとり荒野に立ってる?



2011年05月29日(日) ついに見た!

(備忘)

 みんなはダンナ母の買い物に行き、私はオヤユビキングへ。こないだ痛めた左腰のおかげ(?)で、いつも右のほうが悪い体の「悪さ」が揃っていた。あくまでマイナス値での揃い。ぜんぜんうれしくないが、なんとかほぐしてもらう。
 夕暮れ、大きな虹が出ていた。この家に住んでいればいつかは見られるのかな、と思っていた、彦山を包む大きな虹。大興奮で写真やらビデオやら撮りまくる。でも、目で見る虹には、まったく及ばない。とにかく大きくて素晴らしかったので、しばらくはこれで大丈夫、という気持ちになった。
 それにしても、カメラのフィルムが数枚余っていて、「ひとりシェフレラ撮影ワークショップ」の仕上げとして、何ヶ所か「名所」を回ったのだが、なんか撮る気がしなくて帰ってきていたら、虹が出た。撮りながら、このためだったのか…とスピリチュアルに合点。



2011年05月28日(土) 科学館のちアウトレット

 (備忘)

 雨。武雄の宇宙科学館へ行く。ヒコはなかなか楽しんでいた。その後、鳥栖のアウトレットへ。1000円のスカートと2000円のシャツを、すごーーーーく悩んだ挙げ句に買う40歳。


2011年05月27日(金) そうまでして?

 朝から車を引き取りにいく。もう、いったい何度通えばいいのだ…。びゅーんと家に戻り、掃除。去年手伝った番組がコンクールで賞をもらったとのことで、ディレクター&カメラマンが報告に来てくれた。おめでとうありがとう。トロフィーが金属でできてないのにびっくりした。想定していた重さで受け取ったら、がくっとなるくらい軽かった。
 昨日の残りでお昼。レバーのさっと煮が、作りたての昨日より5倍くらいおいしくなっていた。もっと残しておけばよかった…。しかしレバーなんか特にそうだけど、いろんな手間をかけて「くさみ」や「くせ」を抜いたり消したりしなくてはその食材が食べられないのなら、無理して食べなきゃいいのに、と思う。特に子ども向けの料理。粉砕してこねくり回してカレー味付けてケチャップかけなきゃ食べられないものを、どうして「体にいいから」ってねじ込まなきゃいけないんだろう?それに「これからアンタの個性も気配も消すからな」と宣告された食べ物が、いい作用をしてくれるとは到底思えないのだが。


2011年05月26日(木) ノスタルジア

 朝からラジオ。「野良ビワ」について。そろそろあちこちでビワが色づきはじめている。袋がけされるでもなく、実がなった暁に食べられるでもない、そのへんの木、としてのビワたち。

 お昼ごはんを食べながら、録画しておいたカズオ・イシグロの番組を見る。なんと…福岡伸一さんが長崎に来ていた!カズオ・イシグロが幼少期を過ごしたという町は、こないだ散歩したばかりのところだったし、背景に映っているすべての場所が、どこかわかった。長崎をあらわす言葉はこの世にたくさんあるけれど、私の中ではカズオ・イシグロの小説のタイトルである「a pale view of hills/遠い山なみの光」が最高峰だ。長崎を形作っているさまざまなもの…風土や歴史や人々の息づかい、そのすべてを言い尽くしているような気がする。この文字の連なりを見ていると、自分の心と身体の奥底にある長崎が、じわっと泣きたいような気持ちになる。番組では「ノスタルジア」についても考えられていたが、私の長崎に関するノスタルジアは、まさにこの言葉で起動されてしまう。

 昨日の「ひとりワークショップ」は、微妙に雨に降られつつ、収穫は多かった。銅座あたりに「名品」があると睨んでいたが、まったくその通りだった。


2011年05月25日(水) ひとりワークショップ(シェフレラ編)

 朝起きたら青空。しかし、みるみる雲は広がった。すぐに降りそうにもないけれど、空はもう「オレはしばらく晴れないぜ」と言っている。梅雨のお出ましだ。
 だけど、曇りの光で世界の色があざやか。特に植物たちの緑色がきわだつ。昨日も少し撮ったけれど、今日も写真を撮りに出よう。街のシェフレラたちをカメラにおさめるワークショップだ。
 それにしても昨日は、朝の時点ではひとりでボソボソと過ごす予定だったのだが、ランチに誘われたり、次々にバッタリ会ったりして、結局しゃべりっぱなしだったような気がする。今日はどうだろうか。とりあえずは、ひとりワークショップ。雨が降りだせば家での作業はいくらでもできるので、降らないうちは外に出ておこう。


2011年05月24日(火) 気配

 庭を掘っていると「なんかイヤだな…」というとこが時々あって、そういうとこからは、大抵いつから埋まってるのかわからないような、分解不能なゴミが出てくる。見た目は、まったくの地面なんだけど、なんとなく「ここは掘り返しておきたい…」と思うと、缶カンとか、ビニールひもとかが顔を出す。物の気配みたいなものって、本当にあるんだな、と思う。
 いよいよ梅雨。これまで植えた木々や草花たちよ、思う存分育ちたまえ!


2011年05月23日(月) 帰ってきた!

 「迷い猫 はるちゃん メス 3歳 黒茶まだら ちょっと太り気味 小さな鈴のついた赤い首輪をしています 人見知り おこりんぼう こわがり 5月21日の朝から行方不明です 見かけた方はどうぞお知らせください!」

 起きたら雨。昨日の夜作った貼紙を、ビニールに入れただけでいいかな、キンコーズにラミネートしにいくべきかな、と思っていたら、庭に出る窓に、黒い影!!!
 泣いた。ほんとにもう!本人はいたってケロリとしている。汚れてもおらず、オドオドするふうでもなく、えさの食いつきも通常レベル。まるで半時間くらい、庭を散歩してた風。でもよかった。とにかくよかった。ヒコ(夜も一緒に探しまわってくれた)に教えたら、絵に描いたように飛び起きた。

 休みのダンナと、岩川飯店でお昼。2回連続で「とり皿」を食べたので、今日はちゃんぽん。ううう、おいしい…。現在修行中の甥っ子さんが成長して後継者となることを切に願いつつ、乳腺的にはアウトなスープをけっこうな量、すすってしまった…。

 いつものツチノコみたいな後姿に「はるちゃん!」と声をかけるが、耳の先っぽすら振り向きもせず。…あ、そうだった、はるちゃんって、自分のこと「はるちゃん」だっていう自覚がないんだった。「はるちゃーん」って探して回ったの、意味なかった、とか?


2011年05月22日(日) どちらの真顔を

 依然として、はるちゃん行方不明。

 何日か前に庭を整地していたら、とんでもない太さの枯れ木の枝が発掘された。そしてそのまわりは、土壌改良的いきものばんざい王国になっていて、もちろんよろこぶべきことではあるが、小蛇くらいのミミズにはさすがに腰が引けた。

 こないだ住所変更をしたドコモショップで、かなり真顔で機種変更を勧められた。そりゃまぁ、3年も4年も前のしかもモトローラだが、なんにも不自由してないし、金属感が大好きなので壊れるまでは使うつもりでいる。まぁしかし、次に変えるなら、思いきってiPhoneにしてもいいかな、なんてことを、行きつけの美容院のお兄さん(iPhoneユーザー)にしたら、こちらもかなりな真顔で「入りませんよ。電話してる途中で切れますよ」って言われたので、どっちの真顔を立てればいいのかわからない。
 でも、どうやら電化製品マニアでもあるお兄さんによれば、きっと近い将来にドコモでもiPhoneが使えるようになるはず、とのこと。とりあえずいま使っているのが壊れるまでは保留。

 はるちゃんを探して、近所をぐるぐる。


2011年05月21日(土) スタートラインにすぎない

 朝からはるちゃんが行方不明。

 夕方から大学の先輩Oさんと飲んだり食べたりベランダで肉や魚を焼いたり話したり。列挙していけば、なんだかすごすぎる経験値と能力を持つOさんだが、ヒコは殺人的な積み木の家の制作に付き合わせたりしていた。ヒコのパワーにみんなげんなりしつつ、長崎の「文化業界(?)」事情から、「どんなにおいしい店でも、こだわりやうんちくを語るところは、それだけで2割減」というようなことまで、いろいろ話す。人にものを食べさせたり売ったりするのに、「こだわる」のはむしろ当たり前だし、スタートラインだろう、と、いつも思う。聞かれたら答えればいいレベルの話だ。まぁしかし「この店のこだわりはココ!」がインプットされないと食べた気になれないのが「賢い消費者」なので、両者痛み分けであろう。


2011年05月20日(金) ミサキン1歳!

 ミサキン1歳!!!
 ヒコの時は「1歳…それって100年くらいかかるの?」と思ってたけど、今回はむしろ「0歳が終わっちゃう…ちょっと寂しいかも…」とさえ。なにがどう違うのだろう。いろいろ違うのだろう。産むだけなら、もう一人二人産んでもいいとさえ。人類の/神秘を思う/ミサキン1歳
 誕生会をしてもらったり、お祝いをもらったりしつつ、夜は久々のグレープナッツで家族の宴。

 ミサキン。今週に入って、立つ時間が日ごとに倍増。そしてすごく嬉しそう。二足歩行が人間の「哀しみ」を作り出しているのだというが、それだからこその歓びもまた、確実にある。そうでなきゃ、こんなにも嬉しそうな顔はできない。哀しさを含んでいるからこそ、歓びは深い。


2011年05月19日(木) なにもないこと

 やるべきこと、したいこと、あまりにごちゃごちゃしてきたので、おすわさんへ。大きなクスノキの杜。すーっとする。たけやまでコーヒー飲んで、ついいろいろと話し込んでしまう。
 おすわさんでは、祓所が立ち入り禁止になっていた。こよりを巻き付ける狛犬も移動していた。祓所でぼーっとするのが好きだったのだけど、これでよかったと思う。すっきりしていた。祓所に、常に願い事が渦巻くのも、そういえば違和感ありだ。いなくなってみると、それが本来の姿だったとわかる。「なにもない」状態や「意味のない」ことを、どれだけ真剣に、こまやかに作ったりキープできるかって、かなり大切なことのような気がする。


2011年05月18日(水) 心の準備

 ヒコ空手。休みのダンナが「見に行こうかな」というと、突然顔が曇り、黙りこくってしまった。どうやら恥ずかしいらしい。この件に関しては、大変な心の準備というものがいるようだ。ということで、ダンナの見学はかなわず。彼にもいろいろあるんだなぁ。

 家の前の道路、アスファルトを破壊して成長していた頑丈な雑草をむしる。根も掘り起こす。ちょうど窓から見えるところなので、土と肥料を入れて、こっそり千日紅の種をまく。ふふふ…。


2011年05月16日(月) は、初めて!

 朝からヒコの調子が悪い。昨日、実家の近所の子どもたちと遊びまくり、そのあと暗くなってからも公園で遊んで、さすがに疲れたようだ。テレビゲームもした模様。こないだ初めて「ういー」とやらをして帰ってきた時は、あまりに集中しっぱなしだったのか、目の焦点が合っていなかった。ゲームはおもしろい。でも、その様子を見ていると、小さい子にはどれだけの強い刺激なんだろうと思う。放射性物質だって、大人と子どもでは浴びていい量が違うけれど、それと同じなのだろう。
 ということで、休ませることにした。でも打ち合わせがあったので実家へ。連れて行った時には「布団敷いて寝とく」レベルだったのに、お昼に電話したら「自転車で遊びに行きたいって言いよるけど」。彼はその後、むしろいつもより激しく遊んだらしい。やれやれ。

 それならまぁいいか、と思い、久しぶりに家で本を読む。「本読み場」として設定した一階のソファで寝転んで。あぁ!これがしたかったのだ!これなのだ!…そう、この家に住みだしてから、初めてここで本を読めた。どんだけ読めない生活なのだ。


2011年05月15日(日) なんのことはない

 朝から仮面ライダーとゴーカイジャー。ゴーカイジャーはさておき、仮面ライダーは楽しみになってしまっている自分が笑える。今日はなかなかいい回だった…。
 お昼は実家でごちそうになり、ヒコはそのまま託して、家で庭仕事など。「一掃する気はないが生い茂りすぎが気になっていた草木」をさっぱりさせる。そして帰宅したダンナが、こないだ刈り込んだ「巨大オバケムック薮」の蔓や枝を燃やす。ミサキンをおんぶして雑草をむしっていると、なんだか素朴な気持ちになった。そしてたき火のにおいで焼き鳥が食べたくなり、ヒコを迎えにいった帰りに、初めて買うお持ち帰り専門店で買ってみたら、なんのことはない、新大工の玉屋の焼き鳥屋さんの支店だった。「どんな味かな」とドアを開けたら、思いっきり子どものころから見慣れた焼き鳥が並んでいた。

 昨日の朝、珍しく本を読んでいたら、長年考えていたことの一面が、ドミノを倒すようにガラガラと音を立てんばかりにわかってしまって痛快だった。なーんだぁ、そりゃそうだよなー、できすぎなくらいだー!という感じで。


2011年05月14日(土) ビジネスチャンス…惜しい!

 午前中は保育園で「母の日の集い」。まさかそんなことするとは思ってなかったが、なんとミサキンが舞台でおゆうぎを!…と言っても、衣装を着せられて座っていただけなのだけど、思わず興奮してしまった私も人の子であるようだ。ヒコからは詩の贈りもの。ヒコが読んでたら目頭発熱だったかもしれないが、赤ちゃんしゃべりみたいな口調の先生が読んだので大丈夫だった。
 昨日、なし崩し的に一時帰宅したベンツさん。マフラーがちょっと不完全なままなので、走り屋みたいな音がする以外は、至って快調。ダンナがむずむずしてしまい、急遽「高速道路テスト走行」と称して太宰府へ。現在、唯一かろうじて食べられるトンコツラーメン「一蘭の脂なし、あっさり味(涙)」をありがたくすすったのち、「行けたらいいな」と買っていた国立博物館の「黄檗展」チケットが、残り一週間で生かされることに!長崎の仏像たちが、なんかカッコよく展示されていてドキドキした。聖福寺の布袋さんなんて、ほんと、ホコリかぶったようにしてるのになぁ。そして「長崎迷宮旅暦」の、またとないビジネスチャンスだったのでは…と悔やまれる。長崎の唐寺、みんな載ってるよ〜う。でもこんどの日曜で終わり。
 こんな機会もない、と、来た時からノドがかわいていたのに、お茶の一杯も飲まず、常設展までガツガツ見て、いろいろ考える。ミサキンはほとんど寝ていた。ダンナとヒコは、それぞれのお目当ての工具屋さんやトイザラスがどちらもつぶれていて、来た甲斐があまりなかったようだ。


2011年05月11日(水) アチョー!

 朝から髪を切って、昼ごはんに親子丼を作って、3年前のヒコ龍踊り出場のアルバム作ったら、背後にお迎えの時間が…。でも、ひとつ修正の仕事をして持っていって、ヒコを空手に連れて行こう。ついに空手を始めたヒコ。ウォーミングアップはこちらをチラチラうかがいながらやっているが、サンドバッグを前にすると、一心不乱に殴る蹴る。よかったのか悪かったのか。合っていることだけは確実そうだが。
 しかしその空手、長年格闘技をやっている親戚のK兄ちゃんがよく知ってる道場を紹介してもらったのだが、どうやらK兄ちゃんはなかなか偉いらしく、師範代さえも後輩だった。紹介者のところに軽い気持ちで名前を書いていたら、それを見た瞬間、師範代の背中が伸びて「せ、先輩の、どのような?…はっ、ご親戚ですか!」と姿勢を正されてしまった。いまでもモリモリと本部道場に通うK兄ちゃん。そういえば、かなり昔にブルースリーのポスターが貼ってあったり、お正月に遊びに行った時などは、脛でビール瓶を割ったりしてくれていたなぁ…。


2011年05月10日(火) 削る、戻る。

 雨、大雨、雨音。降り込められて過ごす時間が大好きだ。仕事をするのも。
 読みたい本、考えてみたいこと、形にしたいもの…たっぷりある。日々の生活も、あまりにも、ある。これをバーンとほっぽり出して「前者」ばかりできればいいのに、と思うこともたびたびだ。つまりは「後者」が「前者」を浸蝕しているのだと。しかし「後者」にあっぷあっぷしつつ、息もたえだえ、たまに「前者」に立ち返ってみると、以前とは違う風景がそこには広がっていて、しかもそれが、悪くない。
 目に見える意識の中ではもどかしくあるけれど、むしろこれが正しいのかもしれない。「浸蝕」は、あるべきものを奪っているのではなく、考えすぎやいらない知識その他、余計なものを削ってくれていたのだ。

 ミサキンを産んで、もうすぐ1年。1年前は、土偶みたいな体だったな…。そして退院のとき、助産士さんから「本当に体が戻るのには、1年くらいかかります」と言われた。その時は「ふーん」と思ったけど、最近、たしかに体のなにかが「きゅーん」とどこかに戻っていっているような感じがあって、その話を思い出した。どこに行ってたんだろうか。


2011年05月09日(月) 1本の。

 気を許すと、日々が飛び去る…。

 5日、6日は庭仕事。ぜんぜん終わりは見えないけれど、やれば、その、やっただけのぶんはきれいになったり、いい感じになったりする。6日の午後には、植木市で買ったケヤキとヒトツバタゴとヤマモミジが到着。とぐろを巻いて眠っていたムカデを剪定バサミで殺戮したりしながら植え付けをがんばった。
 7日、8日は、その疲れが出て、体のあちこちが痛くなったが、保育園は容赦なく休み。こちらもとにかくがんばる。

 まだ細くて小さくて頼りないのに、たった数本の木が植わっただけで、庭はもちろん、家の空気もがらりと変わった。1本の木が持つ力は、なんと大きいことだろう。そしてそのへんの街路樹や庭先の木が、なんと立派なことだろう。この世界が、彼らからどれだけ多くの素晴らしいものを空気のように受け取ってしまっているのか、それはそれは膨大なものだろう。ひょっとしたら工夫次第で切らなくてもよかったかもしれない木々が、工事などでバサバサ切られているのを見ると、ギューンとへこんでしまうようになってしまった。

 まだ途方もなく発展途上な我が庭だが、そばの道をよく通るらしいおばさんが「ひとつひとつ植えられているのを楽しみにしてますよ」とのこと。木が来る日だったので「あとで木が届くんですよ〜!」と答える。そして届いた後に作業していたら、帰り道のおばさんが「届きましたね!」と声をかけてくれた。

 昨日から突然、暑い。梅雨がこちらをうかがっている感じ。ぬるい空気の中、嬉々として家の窓をあちこち開け放つ。この家でやりたかったことの、大きなひとつ!


(昨日の夜は、連休の疲れを取るべく、早くから寝た。そしたらたくさんの夢を見た。ダンナが軽トラを買うと言い張る夢とか、長崎にも津波が来る夢とか、なにやらかにやら、おかしいような苦しいような、たぶん心の疲れを整理しているような夢を続々と…)


2011年05月04日(水) 雲上人

 今日は陶器市。去年はあまりにお腹が大きくて断念したので、2年ぶりだ。買う気ムンムン、売る気ギラギラの初日と違い、物見遊山成分多しのおだやかな人の波。こちらとて、母と2人の決戦編隊ではなく、器などまったく興味のないダンナとヒコ(後日「おれ、おちゃわんとか、ぜーんぜんおもしろくなかった」との苦情あり。そりゃわかってましたが)、そして眠るばかりのベビーカーミサキンの大所帯だ。しかしこうして陶器市に来られたことを噛みしめながら、しみじみと昔の深川の皿や花瓶、六音窯の中鉢、なぜか木のお椀など買う。例年より「器以外の店」が増えていたのが楽しかった。20年ほど前に通いだしたころには、食べ物すら売っていなかったのに。もともとある寿司屋の助六が売り切れたら、もう食べるものは無し、というような。
 そういえば、関西方面っぽいお客さんが多かったような気がする。しかもあんまり買う気がなくて、値切ることだけやってみてる、みたいな人を何人も見かけた。
 最後はチャイナオンザパークへ。今年も深川製磁の偉い人(最初は雰囲気で『偉い人なんだろうな』と思っていたが、後年、新聞に載っていて、ほんとに偉い人だと確認)がいた。楳図かずおをやわらか〜くしたような偉い人。いい意味での「雲上人」感があり、ひそかに毎年お見かけするのを楽しみにしている。ステレオを丁寧に調節しておられた。


2011年05月03日(火) パン屋さんには

 ついに念願の植木市へ。ちょっとでも頭の中に隙間ができると庭のことを考えてしまう今日このごろ、通りすがりのホームセンターでちょこちょこと苗や種を買っていたが、しかし大きな木は「植木市まで待とう」をモットーに押さえてきた。そして今日。背ばかり大きなケヤキと、もうちょっと小さなケヤキ、ヒトツバタゴ、モミジを買う。ケヤキ二本は、配達のおじちゃんが「…?これ、一桁間違ってないかな」と首を傾げていたが、そもそも植木の相場などよくわからないので、とにかく買った。
 夜は、「今日か明日か…」というメールが来たので「明日は陶器市だから今日!」ということで、突然Jちゃんが来訪。最近、あまりできなかった方面の話をしたりしながら、ちょっと飲む。「パン屋さんになれない哀しさ」のような話。なんだそれは。でも「誰にでもわかるような話」も大切で、もちろん私もJちゃんも作ったものを世に出す時にはそのようなものになるよう心がけるけれど、おなじようなことを営んだり考えたりしている人と「誰にでもする話じゃない話」をするのも、自分のためには必要なのだな、と、話したあとの気持ちのすっきりさにしばし驚く。
 なんか最近、驚いてばっかりだ。


2011年05月02日(月) 戻れる。

 日常のカメラが、フィルムに「戻った」感ありの今日このごろ。思い起こせば「ちょっと撮っとく」ためにデジカメを使いはじめ、それがいつしか仕事の撮影でもデジカメ一辺倒になり、ついにはコンタックスのレンズを「せめてレンズだけでも」とEOSで使うために部品を買い、ボディをカメラバッグに入れながら「もう、これを使うこともないのかな」なんて思っていた。でも最近、カリオカさんやフォーカスさんのこころみに参加したり、なによりもアルバムを作っているうちに、それこそヒコやミサキンの写真は生まれてこのかたデジタルだけだったので、フィルムで撮った写真の「息づかい」にびっくりしてしまったのだ。これからももちろん、特に仕事関連ではデジカメを使うし、日常の写真にもデジタルでしか撮れないシーンもあるのだけど、ベースはフィルムに「戻った」ような気がする。そして、こういうことって「戻れる」んだ、と驚いている。


2011年05月01日(日) 普通のこと

 雨そして濃霧。下界どころか、いちばん近い電信柱さえ白く煙っている。洗濯物を干しても乾く見込みはゼロだが、ちびっ子2人のいる家庭の洗濯は、たとえ浴室乾燥を使ってでもしなくてはならない。いま着ているものをいま洗濯することはできないし、昨日の洗濯を明日に回すこともできない。今日の洗濯は、今日のものだ。

 中島川のことを、いろいろ考える。小さいころは、自分が暮らす環境が「普通」だと思うものだ。しかし、運動に関わった学生さんや先生や、その他大勢の人がわらわらと出入りし、ごはんを食べ、話し合いを重ねていた我が家の環境は、およそ世に言う「普通」ではまったくなかったみたいだ(なんか最近、今さら気付くことばかり)。そして私は、私が育った「普通」から、とても多くのことを学んでいたようだし、私が長崎のことを考えたり書いたりすることは、主義主張とか理想とか使命とかメッセージとか、そういうものでは全然なくて、この町でごはん食べたり買い物したりっていうようなこととおなじ「普通」のことだったんだなぁ、とわかった。

 雨。子ども2人と、さて、どうしよう。


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