ぴんよろ日記
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2011年04月30日(土) 連休二日目。

 (備忘)昼、ダンナとヒコは、いまだ帰って来ないベンツくんの様子を見に行く。私は庭仕事。本日最終日の「母と子の写真展」を見たあと、夕方からは「中島川後あとのまつり」へ。私の父は、中島川の石橋を保存する運動をしていて、子どものころはたくさんの人が家に出入りしていた。そんな人たちが30年近くぶりに集まった。いろいろ思うところ多し。


2011年04月29日(金) 連休初日。

 (備忘)沖縄の妹&甥っ子来る。昼ごはんはうちで、夜は実家で四世代集まる。甥っ子、猫怖がる。




2011年04月28日(木) 草っぱらを断崖のように

 一週間は、あっという間。今朝はラジオだ。「グラバー『植物園』」について話した。グラバー園に行くことなんてほとんどないけど、たまに行くと、たくさんの木々や草花に目と心を奪われる。島津藩から贈られたという「ソテツ巨人」(勝手に命名)だけでも、ほかではなかなか見ることができない。そうやって、私にとってグラバー園は「植物園」だし、その他、この街に関することについては、自分の感覚で見ることに慣れているのだが、それがこうして「飯の種」になるってことは、そんなふうに見てない人がほとんどなんだろうな…ということを、今朝、いまさらながら実感した(本まで出しといて!)。四季折々のワークショップみたいなのをしてもおもしろいのかも。別に私のように見たり感じたりしなくてもいいんだけど、なんか「自分なりの長崎」を見つけられるような。まぁしかし、教えられることはあんまりない。まずはいつもの道を、できるだけ初めて歩く気持ちになれば、スイッチが入る。ずいぶん昔に、喫茶店で読んだ週刊誌かなんかで、開口健さんが「草っぱらにいながら、断崖絶壁の上を歩く気持ちで歩いているように、ものを見るのだ」というようなことを書いておられて、それを忘れられないのだが、そういうことだ。

 朝から時津に車の部品を届けたついでに、ホームセンターをはしご。いまいちばんアドレナリンが出る場所。レンガやボラ土、草花の苗、網戸ストッパー、庭用長靴などを買う。


2011年04月27日(水) はるか彼方の日々

 くもり空に、さまざまな新緑があざやか。ぐいぐいと目に迫ってくる。
 「1年1冊アルバム」の2009年版に着手。4次選考までかけて、ようやく170枚近くまで絞り込んだ写真たち。ミサキンはまだいない。貼りはじめると、2010年版とは全然違う空気が流れているのがおもしろい。切れ目なく続いているように見える日々だけれど、そこはやはり、まさに刻々と色を変える葉っぱたちのように、じつは毎日変化している。おなじ日などひとつもない、とよく言われつつ、しかし実感できないまま生きてしまうけれど、2年前というものは、なんとはるか彼方にあることだろうか。


2011年04月26日(火) 開けゴマ。

 昨日、母と子の写真展の取材に来た記者が、カリオカさんへのインタビューで「震災がらみ」のことを言わせよう言わせようとするので、知り合いだったこともあり、つい「誘導尋問じゃん!」とつっこんでしまった。この写真展は、震災の前に企画したことだし、震災が起こったからといって「家族の大切さ」をメッセージとして受け取らねばならぬものではない。めぐりめぐって、そういうこともあるかもしれないけれど、世に出ている企画やら作品やらがすべて、本人が意図したメッセージを伝えるために生まれたのだとしたら、世界はなんと窮屈なことだろう。あからさまなメッセージソングなんて聞きたくもない。
 彼女には、すべてにおいて確固たる彼女の世界がある…というか、あらねばならぬと思い込んでいるフシがあって、それがいい時もあれば、そうでないこともある。現場では冗談まじりにつっこんだけど、取材する人、一緒に仕事をする人…目の前の人のことをもっと信じてほしいな、と、以前から、わりと深く願っている。能力と情熱が高い人だけに、ことさら。世界や人間は、あなたが考えるストーリーに当てはまるほど単純ではないけれど、思ってもみなかった物語を見せてくれないほど貧しくもない。だからもっと開いてほしいな、と。


2011年04月25日(月) 点が線になって踊る

 昨日の充実感を抱きつつ、日常生活。出島の日新ビルで開催中の「母と子の写真展」を、友人カメラマンが取材に行くという情報を小耳に挟んだので、プレッシャーをかけに押しかける。というようなことはどうでもいいが、この写真展は、なんともじわじわ「来る」。いま現在の「親子」と、その「親」が、そのまた「親」と写っている30年前の写真とか、つまりは「家族の現在と過去の写真」を並べたものなのだけど、それが、耳で聞いて想像するよりはるかにたくさんの作用を、見る人の気持ちにもたらすのだ。「人んちの写真を見て面白いのかな」と思うかもしれないけれど、これがまたとっても面白いし、いい。写真って、まさしく「ある瞬間」という「点」を焼き付けたものだけど、新旧のそれが並ぶと、びゅーーーんと「線」ができて、いきいきと踊りはじめる。そして思う。「なーんだ、ばあちゃんはお母さんに似てるし、娘は私に似てる。『いま』『ここ』で、『私らしい』『本当の自分』なんて探さなくても、ずーっと昔から私はいたし、たとえ死んでしまっても、またずーっと生きているんだ。そして、だれもがみんなそうなんだ」っていうようなことを。で、ちょっと気が楽になる。肩の力が抜けるっていうか。それと同時に、数えきれないほどこの世に存在する似たり寄ったりの「線」の中で、自分が「この人たちに連なる線」に生まれてきたことのかけがえのなさ、のようなものも、あらためて思われる。…なんてことを書いていたら、取材で撮影した映像を会社で見たダンナから「あなたの小さいとき、ミサキンやん!」というメールが。まったくその通り。この写真展のために引き延ばさなかったらわからなかった。

 いつもの岩川町の米屋さんに米を買いに行ったら、なんと岩川飯店が再開していた!あまりにもうれしくて、乳のことも考えず、油にまみれた「とり皿」をかきこんだ。米屋さんの話では4月から、4年ぶりの再開らしい。店内には「街の小さなちゃんぽん屋」にあるとは思えない立派な胡蝶蘭などが、再開祝いに贈られていた。でもその気持ちわかる!


2011年04月24日(日) どこ行きですか?

 お昼すぎ、JRで佐世保へ。ほんとうはもっと早い時間に車で行きたかったのだけど、雨だったし、とても高速を走れそうにない代車なので、子ども2人抱え、おそるおそるJRに乗る。お目当てのひとつめ、アースデイのイベントは、そんなこんなで、すっかり撤収状態だった。そんな中、ジャグリングの道具を買うと言って聞かないヒコ。なぜかご機嫌なピンク色の棒を持って、甲野先生の講習会へ。
 震災以降、目の前の町や生活はなんら変わらないのに、心や頭は、日々動揺していた。それはいろんなことによって慰められたりしたが、甲野先生の時々刻々、正々堂々苦悩されているツイートに、かなり支えられた。…というような話をはじめ、今日もまた「あまりにもお話ししてみたいことがありすぎて何も話せず」状態で終わってしまった。
 まぁしかし、それは私の修行不足ってことで、日々あれこれと考え、せっせと「みちのく山道」を踏みつつ、次の機会を待つことにして、ふたたび今日もまた、ヒコをかわいがっていただいた。会場の壁は、板がでこぼこに積み上がっていて、ちょうどロッククライミングのように登れてしまうのだが、それをひょいひょいと登るヒコに気付いた参加者のみなさんが「!」となっていると、甲野先生は「あぁ、彼はあれくらいの高さなら飛び降りれますから大丈夫ですよ」と仰ってくださった。その後も肩車してもらったり、子どもの抱っこし方のデモンストレーションに呼んでくださったりと、もはやこの場においては私よりもはるかに先をゆく存在。これからは「師匠」と呼ばせてもらわなくては…。
 にしても、武術も介護もなーんにもとっかかりを持たないまま、しかも多動気味の5歳児と乳飲み子を決死の覚悟で連れて電車に揺られ、甲野先生の講習会に参加しなくてはいられないこの衝動は、いったいどこ行きなのだろうか。
 


2011年04月23日(土) 待たれる葉、刈られる葉。

 夜、雨が降ったので庭がみずみずしい。昨日植え替えたスミレや、直売所で買ってきて植えた苗も元気だ。
 この冬は雪が、しかも(長崎にしては)大雪が何度も降ったので、南方系のものを中心に、すっかり凍えて変色したり、枯れてしまったりした。手のひらくらいの苗から育てて、けっこうな大きさになっていたシェフレラも、ひどく疲れ果てている。街のあちこちにあるシェフレラの観察は、もはや私のライフワークだが、近所にあるデッカいのや、「長崎迷宮旅暦」にも載せている「人町」近くのものも、葉を落としている。しかし、もともと図太い彼らだから、きっと新しい葉を次々に繰り出してくれると信じている。
 うちの二方に接する土地は草っぱらなのだが、持ち主がなぜか、我が家の庭の前の大きな薮を放置している。そのすぐそばまでは、時々草刈り機で刈っているのだが、庭の前だけはどうしたことか…。蔓が何層にもからみつきまくった木が、ガチャピンとムックのムックを巨大化させたような存在と化して恐ろしく視界を遮り、早くも蚊柱をわきたたせている。何日か前に庭にいたら、持ち主のおばさんが草を刈っていたので「こんにちは!」とにこやかに挨拶してみたが、やはり薮には手をつけずに今回の草刈りを終えてしまった。薮オバケ、こっちで退治するしかないのだろうか…。


2011年04月22日(金) 根こそぎ

 図書館に本を返しにいく。市立図書館のあるところは、私が6年間通った小学校があったところだ。だから、そこに立つと、ふうっと素直な感覚になる。「子どもに返る」という言葉から受ける印象とは、ちょっと違う。そんな「大人の自分の頭の疲れをしばし取る」といったケチな話じゃなくて、笑ったり泣いたり、そういうことがまるごと存在できていた空間にあって、体のレベルで感じる安心感。小学校の建物がなくなるときは悲しかったけれど、こうして「そこ」に立ってみると、ちゃんと、ほっとできる。それは「ここに小学校があった」という頭の理屈によるものではなくて、土地と体の結びつきのような気がしてならない。
 人間と土地の関係については、いまも通っているおっぱいマッサージの先生から聞いた「土地の食べ物と母乳」の話から、現代人の見積もりよりもはるかに強く結びついていると考えている。長崎の人が食べてもオッケーな魚が、2〜30キロ離れた土地では、微妙に母乳を不味くするとか。人間は、自分たちが気取っているほど根無し草ではなく、もっともっと「植物」な生き物なのだ。世界のどこかに、人間の形をした草が生えていて、毒薬作りかなんかに使われるんだけど、引っこ抜く時の悲鳴を聞いたら死んでしまうとか、そういうやつがあったと思うのだけど、本当はだいたいの人間が、そういうものなんだろう。だからこそ「根無し草」という言葉が「変人」の一種として存在するのではないか。
 だから今回の震災で、生まれ育った土地から多くの人が引っこ抜かれ、引きはがされていること、その土地自体が放射能に侵され続けようとしていることは、単に「代わりの家や土地はどこにしよう」とか、また、「目に見えるふるさと」が失われてしまう、という問題よりも、もっと深いところで、彼らを傷つけ、損なっているのかもしれない。仮に家がなくなり、木が倒れ、地形が変わってしまっても、「地球上におけるそのポイント、エリア」に立つことさえできれば、そこに根を持つ人間の体や心のエネルギーの大切な部分はチャージできるのではないか。だとしたら、そのポイントを、エリアを、何十キロ四方にも渡り、大勢の人が一度に奪われる(しかも目には見えない放射能によって)今回の事態は、地球上のどんな生き物も体験したことがない「喪失」なのではないだろうか。
 ちなみにその私の小学校は、原爆の時は救護所となっていたので、現在は小学校の内装の一部が血まみれの被爆者の写真とともに展示されているが、私にとっては楽しかった6年間の思い出そのものである。その校舎で何人の被爆者が死んだか知らないけれど、そこに通った私にとって、あの場所はかけがえのない、自分の「根」があるところだ。どんなにひどいことが起こったとしても、それは変えられない。だからそれを、しかも町ごと「根こそぎ」奪われることが、どれだけ悲しいことなのだろうと、本を返した帰りに、気が遠くなってしまった。


2011年04月21日(木) ティーバッグ一枚分の話

 6時半ごろ目が覚めたので、ジャスミンティーとあんぱんを持って庭に出た。猫たちも。昇る朝日がどんどん強くなっていくのを浴びながら、時に写真を撮りながら、お茶とあんぱん。好みの雑草を残しているだけの庭だけど、いいぞ、庭。
 8時25分、ラジオ。今日からはじまる帆船まつりについて。長崎の港は、帆船まつりの時が本来の姿で、あとの一年は仮の姿かも、という話。前回、前々回と、用意していた話が多すぎたので、今回は減らして準備。3分は長いようで短いようで。さっき飲んだジャスミンティーのティーバッグの紙に、要点だけメモしておいたら、それがちょうどよかった。平松さんとのおしゃべりもできたし、来週からは、これで行こう。


2011年04月20日(水) マグロ、コーヒー、新生児。

 朝から雀鬼会のHPを見て目頭が発熱。マグロを被災地に届ける桜井会長と道場のみなさん。避難所暮らしの中で食べるマグロは、どれだけおいしく、元気づけられるだろう。私自身は「マグロ文化圏」に生まれ育ってないので、マグロそのものは一生食べなくても平気だが、もしも震災に遭遇し、避難所で暮らしているところに「大好きな刺身」が届いたら、涙なしには食べられないと思う。ましてや海のそばで暮らしてきた人たち。空気のように、食卓にお刺身が乗っていたに違いない。生命を維持するだけなら刺身はいらないだろうが、「刺身を食べるうれしい瞬間」が心身を作ってきた人間にとっては、そんな理屈じゃない次元での話だ。
 「生命維持」の観点からは二の次にされるであろうコーヒーも、そういう状況にあっては、大変に大切なものだろうな、と、コーヒーを入れながら思う。ちょうどいつもの豆が終わるところで、今日「人町」に買いに行くつもりだけど、そのあいだに何か大変なことが起きて「最後」になったら…と想像したところで、また目頭が発熱。かといって、長い期間のぶんの買い置きはできない。おいしくない。その日の刺身、その週のコーヒーを、ありがたく味わっていくしかない。

 ミサキン、今日で11ヶ月。山の木々が、それぞれにしぶい色味で盛り上がってきているが、人も木も、生まれたてはしぶいなー、と思う。大きくなれば鮮やかな緑になる若葉も、生まれたては茶色がかって、しぶい。新生児もまた、赤黒く、湿っぽく、汗臭いような匂いさえ放ちながら、しぶく重く、力をためている。いまの葉っぱたちの色も「新生児」だと思うと、納得だ。それがどんどんほどけて、のびのびと、ピカピカと笑うようになる。手を伸ばして、世界をつかむ。人も木も、気持ちのいい風に吹かれて育ってほしいと願うばかり。


2011年04月19日(火) 「アラブの愉快なヒゲのオッサン×2」

 日月は小国の友だち一家のとこでのんびり。フリマで恒例の石けん屋さんもした。そして恒例の「見えるお姉さん」のブースへ…。今回は、かなり現実的なお金の話から、これからの仕事の話など、とても10分とは思えない濃さの内容だった。「毎日日記を書いて、考えをリセットしなはれ」ということも言われたので、書いていこう。しかし今回いちばん傑作だったのは「うしろの人」が伝えたい映像をイラスト化したもの。お姉さんがクスクス笑いながら描いてくれたのは、アラブ方面のような格好をした、なんか愉快そうなヒゲのオッサン。「誰なんだろう?ちょっと聞いてみますね」と、その答えは、私の魂の以前の姿…前世のひとつみたいなもんなのだろうけど、これが「アラブの愉快なヒゲのオッサン」で、しかも双子らしい。「仕事とか家のこととかたくさんやること…自分の役割があって、1人じゃ大変!って思うだろうけど、もともと2人分の魂なのでそれは当然だし、やっていけるから大丈夫」という「うしろの人」からのメッセージらしい。なるほど。なんかすごくよくわかる。2人分なんだ。そりゃいろいろあるわ。妙に気が楽になった。なにがあっても「アラブの愉快なヒゲのオッサン×2」なのである。なんとかなるだろう。それにしても、以前伝えられた「前世」は「イケメン修行僧」だったし、どこまで男なんだ…。今回の人生は「お母ちゃん修行」なのかもしれない。

 2日ぶりに長崎に帰ってきたら、風景の緑色の度合いが上がっていた。桜色だったところも、すっかり若葉色に。クスノキたちも、モクモクと盛り上がってきている。

 市議選のポスターが貼られていて、カラフル。選挙に出ようと思う人って、それだけでもう、精神構造にある種の尋常じゃない部分があると思う。自分の顔と名前を大きく印刷して無数に貼り出すなんてことだけでも、「普通の人」には考えもつかない。だから、そのへんを踏まえての「みんなの代表」であるのだということを、お互いにわかっていたほうがいいと思う。少なくとも「顔と名前を出してなにかをしたい人」なのか、「なにかをしたいから顔と名前を出すことを選んだ人」なのかは、気がけて見ておきたい。

 にしても、昨日の帰り道ですっかり眠っていて、ふと起きたら国会中継のラジオがあっていて、管総理が地震の直後にヘリで視察に行ったことについて不適切だったと認めろとかなんとかいうことを大問題のようにやりとりしていたので、あんまりのことに目が覚めた。おねがいだー、これからの話をしておくれ。


2011年04月08日(金) 似てた!

 私ともダンナともあんまり似てないなー、と思っていたミサキン。しかし自分の子どものころのアルバムを見ていたら、ものすごくそっくりな表情&質感のものがあった。なんだか泣きそうにうれしかった。大好きなミサキンと似てるなんて、なんとありがたや…。
 今日からお迎えは3時。朝から仕事がはかどりすぎて気持ちが悪いほど。短いものを2つ仕上げて、ごはんを食べて、次のに取りかかっても、まだ1時すぎ。これまたありがたやありがたや…。

 子どもはかわいい。仕事も大事だ。しかし、人間にはひとりの静かな時間が絶対に必要だと思う。それはたやすく削られるけど、パッと見は削ったほうが「効率いい」かもしれないけれど、それはじわじわと心身をむしばむ。長い時間、働こうと思えば働ける。いろんなものを後まわしにして、ゆっくりお茶も飲まず、子どもの世話をすることもできる。でも、それではきっと、いつの間にか「痩せて」しまうだろう。「こんなにやってるのに」と、恩着せがましさやむなしさがチラチラと現れるだろう。

 久しぶりの雨。花散らしの雨。昨日、花とハーブの種をまいたので、恵みの雨。晴耕雨読をちょっぴり実感。


2011年04月07日(木) チャネラー魂

 朝からラジオ。今日から毎週木曜日に、3分間だけラジオに出ることになった。平松誠四郎さんの「おはようラジオ」。平松さんは、10年前に番組(「週刊ブーメラン」)でご一緒していたので、そういう意味で緊張は無し。でもたった3分で終わってしまうので、話そうと思っていたことが半分も入らなかった。「長崎迷宮旅暦」をベースに、季節の話題をあれこれと。今日は、かつて存在した「中川カルルス」についての「タイムマシンでお花見を」。昨日はこのために中川を少し歩いた。料亭「橋本」の桜がすばらしく見頃だった。「旅暦」にはカルルスの「面影はない」って書いたが、ちょっと乱暴だったかもしれない。カルルスとしては無いと言っていいのだけど、料亭と、その桜と、かろうじて残っている川底の自然石部分、見上げた山の形など…かすかな手がかりというか「見る手ざわり」みたいなものがある。私としては、それで充分「チャネリング」できる修行を積んでいるつもりなので、しばしぼんやりした。
 それでチャネラー魂に火がついてしまったのか、今朝は保育園の帰りに、うっかり片淵中学校周辺をうろついてしまい、またいろんなものが頭の中に流れ込んできた。長崎のこと、まだどっさり書けることがある。今日のようにうっかりチャネリングしないようにしないと、時間と体が足りなくなりすぎて悲しくなるので気をつけよう。
 ラジオ。かつての「相方」でもある平松さんは、大人なのに無邪気で、しかもそれが人を傷つけないという、めずらしい人格者。人を傷つけない無邪気さを持った人って、ちょっとほかに思いつかない。

 さて、今日のお迎えは1時。掃除してごはん食べて少々仕事したらもう終了。でも、ほんの少しだけでもひとりの時間が持てることがありがたい。
 にしても、もうちょっと休んでいようかと思ったのだが、これまたありがたいことに仕事がポツポツと入ってきてしまった。あぁ、アルバム整理が…。


2011年04月06日(水) そういえば真似しない

 連日、桜が満開。満開の桜のトンネルを、毎日何度も通る。たぶん、これからずっと。それだけでも、ここに住んでよかったと思う。
 昨日は岡野さんと我が家一同でお花見。一段下にいたおじさん3人組がドリフみたいに酔っぱらっていて目が離せなくなり、長引く。本当に、絵に描いたようなかわいらしい酔っぱらいで、あまりにも楽しそうだったが、最後にはみんな転んだりしていたので、たぶん今日明日は体中が痛いだろうと思う。その後、我が家でちょっと飲み、なぜか岡野さんのラジオに出演。ヒコも仮面ライダーや戦隊ものや星の名前を念仏のようにつぶやいていた。
 そう、昨日は朝からヒコと仮面ライダーの映画を観に行ったのだった。ひたすら繰りひろげられる正義と悪の対立と爆発炎上だが、現行ライダーのオーズが現れるたびに、そのへなちょこっぷりで風穴を空けてくれるのがなごみのひととき。電王シリーズの赤鬼青鬼みたいな人たちも、初めてちゃんと見たけど楽しかった。お気に入りのアンクさんも、今回は出番が多くて笑えた。そして、ひとつ前の「W」の2人も一瞬出てきたが、驚くほど輝きが失せていて、ああ無情…と思う。
 「どんなライダーを見て育つか」。幼児の「1年」は大人のそれとは比べ物にならないほど大きいはずだから、「明日のパンツと小銭があればいい」というオーズさんは、ヒコにとってどうなんだろうか。でも、そういえば、生身の時のオーズさんの真似はしないような気もする。たしかに真似しても面白くないかも。「まずは今日やれることをがんばります!」とか言っても、ヒーロー変身願望は満たされないだろうし。
 にしても、「物欲や大規模な正義感は持たず、しかし、目の前の人は救いたいと強く願う人間が、生きものたち(自然)のパワーを借りて、欲望の化身と闘う」っていう「オーズ」の設定は、(それが子どもたちの欲望を暴力的にかき立てているという矛盾も抱えつつではあるが)いまの時期、なかなかしみる。


2011年04月04日(月) このごろ。近所の桜は満開。

 地震が起きて、パソコンやテレビの前で緊張することが続いたのもあり、ダンナも忙しいから家事育児一切がのしかかり、累積疲労はモンスター化し、蓄膿もぶり返し、背中は岩盤となり、そもそも乳は吸われ、おまけに収入の端境期で泣きたいほどお金もなく、と、「倒れながら立っている」状態の半月ほどだった。
 1日、ミサキンが初登園したその足で、晴れてマッサージに行く。しかし、これまで感じたことのなかった不気味な状態だった。グイッと押されているのはわかるんだけど、体が、それに対してまったく応答しない。しばらくすると「あれ?なんか押されてますか?」という感じで、しぶしぶ目を覚ます。オヤユビキング氏からも「なんか、体の中が『ねちゃっ』としてますね」「コリ同士がスクラム組んでます」「一気にほぐすと熱が出たりします」と、素晴らしい指摘の数々が。確かにその日の夕方も、次の日の昼も、ぼわーっと気を失って眠ってしまった。
 しかしそれで少しでも老廃物が流れたことで前向きになれたのか、土曜日の夜には、実は本当に久しぶりに、ちゃんとごはんを作ろうという気になった。このところ、義務感だけで作っていたので、あんまりおいしくもなかったし、みんなには申し訳なかった。丁寧にビビンパを作った。おいしかった。
 そしたら、目に見えて気分が良くなって、ヒコへのイライラも減った。子どもが言うことを聞かない、っていうのは、たぶん大部分が親の問題なのだと、またもや申し訳なく思う。火曜日には保育園を休んで、仮面ライダーの映画を観に行くことにした。もっと楽しくしよう。映画のあとは、お花見だ。

 地震は起こったけれど、長崎に暮らす私の生活はまったく変わらない。近所の「さくらまつり」が自粛されて、ピンクのぼんぼりが灯らないことくらいだ。これだって、そのおかげで桜の淡い色が堪能できて、良かったとすら思う。東北や関東は確かに大変だと思うけれど、そうじゃないところは、必要以上に大変がらずに、しっかりと毎日を暮らしたほうがいい。そして体力を温存&向上させて、必要な時に出せるようにしたほうがいい。遠く離れた人間までもが、つらいニュースにどっぷり浸かって眉間にシワを寄せてヒソヒソと暗い顔をするのは、百害あって一利なしだ。長丁場なのだから、それぞれの力を、それぞれのやりかたで、必要ならばいつでも出すつもりで、ちゃんと養っておけばいいのだと思う。だから、やみくもに「みんな一緒に」とか言わないでほしい。そういうのが大変に苦手な人間もこの世には生きているし、そういう人も、それなりに考えたり行動したりするので。

 そんなこんなで日記がお留守になってしまった。こうして書き出すと止まらなくなる…が、ミサキンはしばらく「ならし保育」。もうお迎えの時間だ〜。


以下、ツイッター再録。どんと、とても人間に見えない。

ペコロス/岡野さんのHPにて「サマータイムブルース〜ラブミーテンダー」http://p.tl/DYMg。キヨシロー、しびれます。ちなみにどんとはこんな唄を歌っていた。「目が覚めた」http://p.tl/Q5ik。いま聴くにはキツいけれど、直接の被災者ではない人は、これくらいの気持ちでいたほうがいいのだと思う。

でも、さすがにちょっとキツいだろう…と思う人は、これくらいから「BUUUUUN!」http://p.tl/0bhf。


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