ぴんよろ日記
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2011年03月25日(金) 成仏

 ケーブルの打ち上げ。4年間、番組のアドバイザーというものをやってきたのだけど、この3月でひとくぎり。最初は番組の形を整えたり、新しい中継を始めたり、特番を作ったりといろいろあったけど、去年の後半からは、ミサキンを抱えていたこともあり、なんとなくやることもなく、長く居すぎた来訪神みたいになってて、あやうくいじけてまつろわぬ神になるところだった。自分でももう、潮時だなー、とは思ってたので、3月限りと言われた時は、むしろホッとした。今日は、いろいろ嬉しい言葉もいただいて、ワインもいただいて、なんだか供養されてるみたいだった。あるいは芸能を奉納される神様なんかの気持ちって、こんな感じなんだろうか。現実世界ではいろんな縁や事情があって、目に見える人間関係は移りかわってゆく。昨日必要とされていた人や物が、今日は持て余されることがいくらもある。すったもんだの末、出雲大社に祀られた大国主命をはじめ、この世にもあの世にもいろいろとそういう事例があるが、なんか、すごーく身をもってわかったというか、実感した。今日の打ち上げも気が進まなかったけど、最後だと思って行って良かった。ケーブルでの自分が成仏できた感じ。みなさんどうもありがとう。おつかれさまでした。やれることは、やったと思う。チーン。南無南無。合掌。


2011年03月24日(木) もうひとりいる

 4月から、読んだり書いたり作ったりする時間が、少しずつ戻ってくる。でも、今度の震災があったことで、「書くに足るものか?」「作るに足るものか?」という自分への問いが、今まで以上に生まれるのだろうと思う。かといって、堅苦しく、小難しくしたいわけでは全然ないし、むしろ、もっと何気なくなるかもしれないのだが。
 庭を、少しずつ耕したり、草を引っこ抜いたりしている。本当に少しずつなのだけど、それでも、目に見えて庭が生き生きしてきた。気をかけているということが、ダイレクトに伝わってるのがわかる。これからあたたかくなるのが楽しみ。まずは好きなハーブやちょっとした野菜の自給自足を目指すのだ。そのうち鶏でも飼うか。コケコケ…。そういえば鳥インフルエンザはどうなったのだろう。
 もうすぐ伊王島に橋で行けるようになる。船で行くのがいいんだけど、車で行けるようになってしまうと、つい車で行っちゃうんだろうな。伊王島の温泉が大好きだ。海のそばの露天風呂が。たいていのイヤなことは、しばし忘れられる。忘れたいほどのイヤなこともないけれど、4月になったら入りにいこう。
 保育園で使うひらがなの練習帳を見て意欲がわいたのか、家でもやりたいというヒコ。つ、ついに字を覚える気に?学習ノートと仮面ライダーの下敷きを買い、私がお手本の字を書き、さぁどうぞ!まずは「ひ」からチャレンジしたが、じーっと見て、ちょこちょこっと鉛筆を動かしたものの、30秒ほどで放り出してしまった。ふふっ。「頭は悪くないが、学校の勉強はまるで苦手」ヒコくん、うちにはもうひとりいるよ、そういう人が。だから大丈夫だよ。そして君のエネルギーと人なつこさなら、どこでも、どんな時代でも生きていけるよ!


2011年03月23日(水) 止まったり楽しんだり片付けたり

 昨日はケーブルのお姉さんたちがうちにいらした。そのためにいろいろ料理を作ろうと思っていたのだが、昼過ぎにミサキンの保育園の面接が終わり、買い物に向かっていたら、県警の前で車が突然止まった。何度もエンジンをかけなおすのだけど、かからない。車を降りて、後ろの車に頭を下げつつ、ダンナに連絡。会社を一瞬抜け出して来てもらうと、なぜかエンジンはかかった(嫌われてるのか…?)。でもアイドリングは超不安定だったので、夢彩都に行くのはもちろん、どのルートを使っても急な坂を上らなくてはならない帰宅もあきらめ、おすわさんの駐車場までなんとかたどり着く。車を止めたところで、エンジンは落ちた。でも、最善の策だったと思う。お腹が減ったので月見茶屋でうどんといなりを食べ、たけやまでカフェオレを飲み、なんだかもう、ここまできたら、のんびりしてやった。そしてトラックで運ばれるベンツさん。そんなに難しい故障ではないらしいのだが、無事に帰ってきてほしい。
 それにしても、県警の目の前で止まっているとき、警察の人から何か言われたりしないかとドキドキしていたが、そしてパトカーだって通り過ぎていったのだが、声すらもかけられなかった。私としてはいらぬ気を使わなくて済んだので良かったが、交通量の多い道路で明らかに立ち往生していたし、車もちょっと押せば邪魔にならないところに移動できたのだけど、そういうものは管轄外なのだろうか。おもしろいなー、と思った。
 おもしろいといえば、車を運ぶトラックのおじさんがおもしろかった。車が積まれるとき、携帯で写真を撮っていたら「お、その携帯、もう3年も4年も前のモトローラですね」と鋭い指摘をしたことに始まり、ベンツのことや、これまで運んだ車のことなど、修理工場までいろいろ話した。「車が壊れた」というトラブルの中にあっても、こうして楽しい時間はみつかるものだ。
 そんなこんなで、代車に乗ってギリギリに帰り着き、あわてて掃除して料理して、女子たちを待つ。この年になってようやく、そしてとてもいいお嬢さんたちばかりなので、これまで避けながら人生過ごしてきた「女子会」というものの楽しさをしばし味わう。そしてみんな帰ってしまったあと、寂しくなったヒコが大泣き。

 朝、残っていた片付けや掃除をする。たくさんの人が来たあとの片付けをするのって、けっこう好きだ。こういう時って、いつもの掃除の後とは違う輝きが部屋に漂っている。来た人のエネルギーや楽しかった時間の見えないつぶつぶは残ったまま、部屋がきれいになっている。パワースポットとか聖地とかって、そもそもの力や素質もあるだろうけど、そこに絶え間なく人が訪れたり祈ったり、そしていつもきれいに掃除されていたり、ということの積み重ねも大きいのだろうと思う。


2011年03月22日(火) 弔い

 今度の地震で、特に情報というものに対して、たくさんの人が思いを新たにしたのではないだろうか。どういう媒体や発言者にどういう特色(良くも悪くも)があり、どの程度までを信じたり参考にしたりするべきなのか、というようなこと。そして、情報に限らず、さまざまなものごとに対する「優先順位」が見えたのではないか。それを声高に宣言したりあげつらうこともない。これからの生活の中で、そっと実践していけばいいのだ。
 近所の「さくらまつり」が中止になった。私は今回の地震に関しては何の被害も受けていないけれど、長崎大水害の時のことなど思い起こして考えてみるにつけ、「あなたたちのことを思って花見をやめました」と言われても、たぶん「はぁ?」という感じではないだろうか。「春になったら家族や友だちと花見をする」というようなことこそが、どれだけ大切で得難い幸せだったかと思っているところに、したり顔で「それ、やめてみました」って言われたら、やめるほうはいいことした気になるかもしれないが、むしろ腹が立つのではないだろうか。もし、水害のときに、「被災地の子どもたちのことを思って、プールに行くのやめました」って言われてたら、かなり「???」だったと思う。「それとこれと、何の関係があるの?」って。水害の時は無責任な子どもだったから、むしろ楽しくさえあったし、当事者は、どうあがいたって当事者なので、当事者として、その「悲劇」の中にも光を見つけようとするものだ。うわべだけで悲しみや苦しみを共有するのは、何の役にも立たない。今後、被災地に桜が咲けば、できる人は花見をするだろう。(そしてカメラは、すかさずそれを撮るだろう。アナウンサーは「ひととき、震災の悲しみを忘れ…」とかなんとか言うだろう。)
 今年の花見では、きっと地震の話になる。そうじゃなくても、それぞれの心によぎるだろう「花が咲いて花見ができるのって、なんて幸せなことだったんだ」って。それこそが当事者ではない人間の「弔い」というものだと思う。


2011年03月21日(月) 等しく

 時々ふと不思議になることがある。20歳のお母さんに生まれても、40歳のお母さんに生まれても、赤ちゃんは等しく0歳であるということ。…そう、ぜんぜん不思議なことでもなんでもないのだけど、なぜか時々どうしようもなく不思議になるのだ。それだけでも、赤ちゃんってすごいなぁ、と思う。40歳で生んでも、ぴちぴちの0歳でやってきてくれる。
 いろんな意味で…特にほっぺたとあごあたりがピチピチのミサキン、つかまり立ち絶好調な10ヶ月ガール。


2011年03月18日(金) 任せとけ!と。

 地震から一週間。地震のニュースや映像を見ると、なんだかもう、頭がビリビリする。そしてこれでもかと流れるACのおりこうさんCMが、無性に腹立たしくなる。だから定時のニュースだけちょっとつけて消す。新聞はもともと取ってないからいいけど、何日か前に実家で見て、黒ベタの見出しだけで具合が悪くなってしまった。
 原発は、そのものも怖いけれど、テレビに出てきてそれを語る人々の様子や内容もまた怖い。どんだけ裏を読めばいいのか…と。「直ちに健康被害出るレベルではない」かもしれない。でも、原爆の体験記など読めば「元気だった人、見た目ではけがも何もしていなかったような人が、バタバタと倒れていきました」というようなことがいくらでも出てくる。血が止まらないとか、斑点が浮き出るとか、年頃の娘さんの髪がごっそり抜けるとか、そういうようなのがいっぱい出てくるのだ。放射能の怖さとはそういうことなのだから、「直ちに」というひとことだけ取っても、疑ってかかるほかない。そしてこれから恐ろしいのは、よそから見ればおなじ町の「長崎」の中でも、原爆や被曝者に対する差別的な感情が深く強く存在したというようなことだ。そういうことについて、悲しいかな日本人は「得意」なので、ボランティアや義援金も大切だろうけど、心しておかなくては、と思う。

 しかし、なにはともあれ日常生活。昨日はヒコの髪を切りにいった。どんなオーダー(だいたい仮面ライダーの登場人物)をするかと思えば、意外にも「仮面ライダーバースをやってる男くさい人」だった。上部がツンツン立った短髪。これまで長髪ベースの要セットなもの(つまり不可能なもの)ばかり注文されていた美容師のお兄さん(いつもiPhoneで「仮面ライダー」と検索させられる)が「おっ!これなら任せとけ!」と、バシバシ切ってくれて、本当にそっくりになった。ヒコ大喜び。
 それにしてもこないだ私もそこで髪を切ったが、そのとき「このへんの飲食店事情」の話になり、「お寿司屋さんも結構なくなりましたよね」「あぁ…店で吊っちゃった…っていうのもありましたよ…」という、かなりつらい話も聞いた。「たぶんあの店だ…」と思うところがあるのだが、そこには、私のような素人でもわかるような、なんとも言えない空気が漂ってしまっている。一段暗くてよどんでいるような…。早くお清めしたほうがいいのでは…。
 


2011年03月15日(火) ショッキングピンクですみません

 原発に最悪のもしも、ということになると、それは原爆だということだから、長崎育ちの人間としては、たちまち心も身体もひきしまる。誰か縁ある人が逃れてくれば、これはもう当然、ショッキングピンクの壁ではあるが、我が家に滞在していただく気持ちでいる。
 そのような気持ちをかたわらに置きつつ、今日は無理矢理ゆっくり過ごした。地震による驚きと緊張もだが、そもそもこの1年以上、心身ともにアクセル踏みっぱなしで、だましだましやっては来たけれど、時々自分でも「あれっ?」と思うような精神状態になることがあり、休め!と思うのだけど、ミサキンも這い回りだして息つく間もないので、とにかくは4月の保育園が始まるまではたどり着かなくては。
 そんな時にいちばんホッとするのは、庭の草取り。土の匂い、草の感触。知らない猫が、片隅にいた。


2011年03月14日(月) 大切な機能

 地震の次の日の夜、テレビがずーっと地震一色で、私はそれでもいい(or消す)と思っていたのだけど、なにを思ったのか(たぶん深い意味はない)ダンナが大晦日に録画しておいた「笑ってはいけない」の続きを見はじめた。6時間もあるので、これまでちょっとずつ見ていて、その残り。私はそれまでのぶんを見る時は、ぜんぜん真面目に見てなくて、むしろ「またしょーもないものを…」というノリだったのだが、この時は、気がついたら食い入るように見て、笑っていた。いつもは笑わないようなとこでもおかしくてたまらなかった。たぶん、それまでずーっと、恐ろしい事実や映像を見続けていたから、笑いたかったのだろう。自分の身に直接なにかが起こったわけではないけれど、あまりにものことだったから、心身が緊張しっぱなしだったみたいだ。「笑い」っていうのは、生きるということにとって、娯楽でもおまけでもなんでもなくて、命を支える大切な機能のひとつなのだろうと思った。

 それにしても福島の原発が気になるし、おそろしい。テレビを見れば見るほど「どんだけ言ってないことあるんだよ!」としか思いようがないし、それじゃなくても知るべき、考えるべきことは山ほどあろうに、早くも被災地で「いまのお気持ちは?」とかやってるし!もうっ!犬でももっとマシなもん拾ってくるぞ!

 今度の地震では、ほんとうにいろんなことがいろんなレベルで試されるのだと思う。そして、これまで「必要だと思われつつ存在していた余計なもの」が、これまたあらゆるレベルでどんどん浮かび上がってくるはずだし、その一方では、久しく顧みられなかった大切なものも、現れてくる。


2011年03月13日(日) この木がいつの間にか

 遠くで地震が起きたが、あまりにすさまじいものだったから、遠くで起きたという気があまりしない。気付いたら懐中電灯や缶詰を買ったりしている。原発が、思っているよりとても大変なことになってしまったら、それこそ、本当に、東の人たちを西の人たちが迎え入れて…というような事態にもなるのでは、と思う。その時はその時だが、とにかくいまは、日々を、日々のまま感謝してすごしていこう。ということで、昨日は植木を買い、今日、庭に植えた。この木が、いつのも日々の中で、いつの間にか大きくなりますように。


2011年03月03日(木) 事情であって武器ではない

 何日か前のニュースで、子どものアレルギーのことを特集していた。そこに一組の親子が出ていて、卵アレルギーを持って暮らすことが、とても大変そうだった。とにかくお菓子やら何やら、卵の気配を感じないようなものにまで、卵の成分が入ってたりするのだ。こりゃたまらんだろうな、と思った。しかし、東京から来たらしいその母親が、長崎(のような田舎)はアレルギーに対する認識や理解が遅れている、ということを、(正しさビーム全開で)語るんだけど、(素敵な私が暮らしていた)東京のデパートともなれば、試食品を渡す時にも「アレルギーはありませんか?」って聞いてから渡すんだと。申し訳ないけど、そればっかりは「げー」と思った(あぁ…どんどん不穏に…)。大変なのはわかるけど、そこまで人に「正しさ」を求めるのはどうなのだ。
 昨日は昨日で、本屋さんのレジの列(5人くらいいた)に並んでいたら、車いすのおじさんが「オレもここに並ばんといけんとかね」と、聞こえよがしに言っていた。まぁ確かにレジのテーブルは高いから、彼について配慮は必要だろう。でも、その言いかたはないんじゃないかな。あなたなりに「元気に」本屋に来て本を「立ち読み」して買おうとしてるのに、レジの時だけ声高に「弱者」であることを威張るのは。
 前にツイッターにも書いたけど、長崎はまだ「急ぐ人のためにエスカレーターのどっち側かを空けておく」習慣がない。時々、都会から来たっぽい人が、「なんでこいつら空けてねーんだよ、ったく田舎モンが」的に舌打ちしながらグイグイ進んでることがある。都会では「不機嫌そうに急いでる人」のほうが偉いんだなぁ、と思うし、人が多い街ならではの知恵なんだろうとも思うけど、すべての人や街がそうである必要も、まったくない。それに「都会的」って本当は、誰かに決めてもらったり、ましてやそれをしないと罰を受けるからなにかをするってことじゃなくて、急ぐ人が「ちょっとすみません」って言えば、「どうぞ」ってよける、あるいは、それが暗黙のうちに行われるようなことなんじゃないのかしら。
 弱さは、配慮されるべき事情ではあっても、人を責める武器ではない、と、誰かが言ってたようないないような。


2011年03月02日(水) 備忘つづき。

 またもや備忘。

 何日か前、灯油を買って帰ったらタンクが倒れていて、車のトランクに大量にぶちまけてがっくり。ついでにタイヤのホイルもこすって涙。

 月曜日、夕方、保育園から呼び出し。ヒコ、青い顔してぐったり。昼間、なぜかやっておいたほうがいいような気がして、次の日にするはずだったビデオ編集を大部分やっておいたので、火曜日は休ませる。このところ遠出や興奮や夜ふかしが続いていて、顔がやつれていたのは気になっていた。しかし、ヒコの性格上、倒れるまで走り続けたというわけだ。もちろん休んだ日も、人並みのパワーは発揮しておられる。そもそもダンナの番組編集が始まり、毎日帰宅は夜中。倒れたいのはこっちじゃ!と思いつつ、母はなんとやらで、ひたすら涌き出ずる家事と子どもと猫の世話。
 水曜日、もうお役御免なので行くまいかと思っていたが「ペコロスの唄地図」納品その他のため、ケーブルへ。そのままMさんとお昼を食べていろいろ話し、次の仕事までの時間つぶしにアミュにいたら、今度は「ケーブル女子部(?)」がアミュにいるというので、お茶する。そしてニュー長で撮影。明日も。

 そんなこんなで、明日はひなまつり。桃カステラ買わなきゃ。


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