ぴんよろ日記
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2011年02月27日(日) 「病」

 備忘。

 25日、ダンナが休みになったので、ヒコも休んでなぜか吉野ケ里遺跡へ。前から行ってみたかった。施設のことは、まぁ、おいといて、気持ちのいい風が吹くところだということがわかったので良かった。結婚記念日に吉野ヶ里っていうのもしぶい。夜はグレープナッツにふられちゃったので、大野城の大きなホームセンターに行ったあと、今の私が唯一かろうじて食べられるトンコツラーメン「一蘭/脂抜き」を食べて帰る。

 26日、アルバムづくりのワークショップ。今回はランタンの写真を一冊にした。フィルムカメラ(しかもISO1600)で撮った写真がメインなので、すでに昔のアルバムのようだ。いままで何冊か作ったアルバムは家族の写真ばっかりだけど、次は、次の本の元になるようなものを作ってみたい。アルバムを作りつつ、カリオカさんと、この先やってみたい写真展のことなど話す。すると、話しながら、その手でスケッチブックになにやら描きはじめたので「でっかいメモだな…」と思っていたら、それがもう、話している写真展のポスターになっていた。次々といろんなことをやってのける彼女だが、なるほど、こういうことだったのか…。
 夜は、グレープナッツにて、1日遅れの結婚記念日ディナー。

 本日は、花粉(とその薬)によりダウン。

 花粉。花粉症について、昨日お風呂に入りながら「花粉症は『人間らしく』あろうとすると発症する」んだなー、などと、ボーッと考えた。その「人間らしく」というのがクセモノで、それこそが「病」であろう、というところ。

 あと「アルバム作りって、成仏だな」ということも思った。シャッターを押したくなるような「いい瞬間」だからこそ、ちゃんと成仏させないと次に行けない。この世のパソコンやハードディスクの中には、いったいどれほどの…。
 インプットばかりが脅迫的に増え、アウトプットが追いつかなくて一層あせっちゃうっていうこの感じ、現代そのもの。

 あ、これが「病」?





2011年02月23日(水) 証明は難しいが

 このところ、できるだけ部屋を片付けておいたり、花を絶やさなかったり、「みちのく山道」に乗って身体を整えたりしていたら、「もう潮時かな」と思っていた仕事が発展的に解消したり、新しく、そしてやりたかった仕事が入ったり入りそうになっていたりしている。前者と後者の因果関係は証明できないけれど、でも、そういうことなんじゃないかな、と思う。


2011年02月22日(火) 春測定基準梅

 ヒコを保育園へ送る。なじみの(一方的な感情だが)梅が咲いている。毎年その梅で春の到来度を測定しているが、この2〜3日で、ほぼ満開となった。引っ越しても保育園への道はほぼおなじなので、今年もまた、その梅が春を実感させてくれる。もうひとつの「春測定」は、梅の近くの「天空菜の花畑」。長崎らしい急斜面の狭い畑の一枚に、びっしりと咲く菜の花だ。ほかにもいくつかあるのだが、毎年、毎日見ているのに、いつも運転しているもんだから、写真にはなかなか撮れない。いつか撮りに来ようと思いつつ、家に帰ったら忘れているし、送り迎えの朝夕の光の中でこそ…という美しさがあるので、カメラを持ってお昼に通りかかっても、気持ちが動かないことも多い。

 昨日、心待ちにしていた「みちのく山道(http://www.m-bbb.com/products/michinoku.html)」が届いた。いくつも穴の開いたボードに、形も大きさも違ういろんなパーツをはめこんで、その上に乗る。すると、不安定になって、おっとっと…という状態がいつも身体の中に生まれるのだけど、これが身体の偏りをなおしてくれるらしい。一見、足ツボ刺激板のでっかいやつだが、そう思っていた予想をふわっと上回る乗り心地。身体の中にめぐっている「なにものか」たちの道が広がって、楽しそうに走り出しているような感じ。いろんな変化が現れるらしいが、早くも驚いたのは、今までなぜかやりにくかった左側の授乳姿勢が変わったこと。身体っておもしろいな。

 年を取るほどに、春が好きになる。若い頃はむしろ嫌いだった。これで花粉がなければ…。

 相撲とかパンダとか政局とかその他もろもろ、新聞とかテレビの人たちって、気は確かなのか?と思うことが最近やたらと増えているのだけど、いや、ほんと、やけっぱちでやってくれてるのならまだ救われるんだけど、本気なんだろうなぁ〜。とほ。


2011年02月21日(月) 準備と助走

 金曜日、長く心をふさいでいた(その仕事がイヤだったのではなく、その仕事に集中できない生活の中でその仕事をする難しさによる)仕事が、ようやく一応の「終点」までたどりついた。そして土曜日は、福岡での「この日の学校」。甲野先生と若き数学者・森田氏のセミナーに参加。ミサキンを静かに、しかし絶え間なくあやしつつ、このところ全く使ってなかった部分の脳味噌を再起動&稼働させて話を聞く。思うところいろいろありすぎて、帰りの車の中で目と頭が冴え冴えしてしまい、それはそのまま家でも続き、眠るに眠られず、メモなどしつつ、乳もやりつつ。

 4月から、ミサキンは保育園に行くことになった。ひとりの時間を熱望している一方で、かわいいミサキンと離れたくない気持ちもないわけじゃなく、なんとなくずるずると申し込んでいなかったが、ヒコと一緒に行けるのは今年だけということもあり、申し込んでみた。ダメならダメでいいや、と思っていたら、早くも入園の知らせが。寂しい気もしないでもない…が、仕事のことを気にしながら一緒にいるよりもお互いに幸せなのだと思って、めりはりつけてがんばろうと思う。

 さて、腹もでかくなく、土地探しや家作りのことも考えず、赤ん坊の世話もない、およそ1年半ぶりにめぐってくる「ひとりの時間」。なにをどこからやろう。この1ヶ月は、その準備&助走期間だ。まずはホコリかぶってたとこを掃除掃除、と、パソコンのデータ整理などする。コピーしておいた高橋源一郎さんの「小説ラジオ(5夜連続版)」をまとめ読みしつつ涙。

 あっ、確定申告…。


2011年02月14日(月) 書けるときに、長々と。

 気付くと日記がどーんと空く。いかんいかん。そして幼児と赤ん坊と過ごす時間が圧倒的に多いので、大人と会話する言葉がたなざらしにされており、使おうとすると口ごもる。いちいち探しだしてきて、ほこりを払って取り出すというような感じ。

 前回の日記の日…なんたることだ、先々週の土曜じゃないか…は、ヒコのおゆうぎ会だった。例年、本番での弱さを遺憾なく発揮しているが、今回も「箱根八里の半次郎」を、ほとんど踊らなかった。終始こちらを見てニヤニヤ。でもマジックショーは一応やれていたので良しとしよう。そもそもこの週はインフルエンザで休んでいた。なんとかギリギリ出られたのだ。出られただけでも良しとしよう。

 ミサキンも寝てることだし、書けるときに書いておこう。わっしょいわっしょい。

 こないだの土曜日は、なぜか地学方面に興味があるヒコが楽しみにしていた天体観望会に行った。まずシリウスが見えて、オリオン座を見て、木星を見て、月を見た。科学館の人がいろいろ説明してくれる。お医者さんもだけど、理系の人が「普通の人にもわかるよう」かみ砕いてくれる話が大好き。この日は「オリオン座って呼ばれているけれど、それはあくまで『便宜上』なので、誰がどんな星をどんなふうに結んで何座って呼んでもかまわない」という話がおもしろかった。「僕(ヒコ)がリボンに見えたら『リボン座』でいいし、蝶々に見えたら『ちょうちょ座』でもいいんだよ」と。星はひとつひとつに住所のようなものが割り振られていて、天文学の専門家などはそちらを使うので、かなりメジャーな星座も知らない人がけっこういるらしい。ほかにも「お〜、今日は月が高いですね。この時期の月は太陽より高く上がりますからね」という、なんだか時空がぐにゃりとダリの絵みたいになっちゃうような話もあって、興味津々。ヒコもいくつもの望遠鏡を何度も行き来して堪能していた。科学館の方々も小さい子が来るのは嬉しいようで「来月は土星が見えるからおいでね〜」と誘われていた。
 「便宜上に過ぎない星座を絶対の常識と思い込む」ようなことって、いっぱいありそうだ。

 中通りの昆布屋さんで、松葉昆布と山葵の葉の佃煮を買う。ここ最近、そういうものがないと落ち着かなくなってしまった。桃屋のいかの塩辛も常備。塩辛はまだしも、お茶漬け用の昆布や佃煮を自分で買う日が来るなんて、びっくりだ。体か心のどこかがおばちゃんになったんだと思う。そのうち墓を建てたくなったりするのだろうか?それはともかく、それぞれの年齢に応じた需要と供給があるわけで、順番に年取って行くんだし、取った先にはそれまでとは違う楽しみや世界が広がっているのだから、なんで年取ることに「アンチ」な態度が必要なのかわからない。この人生、1日分たりとも過去に戻りたいと思ったことはない。男になりたいと思ったこともない。目標が「ばあさんになること」な人間が、そんなこと思うわけはないが。まぁしかし、昆布は買うようになったが、赤ん坊もいることだし「ばあさん」にはまだまだ長い道のりである。たぶん。

 ランタンを、久しぶりのフィルムカメラで撮った。ふんわりとした雰囲気になるというISO1600で撮ったというのもあるのだろうけど、出来上がってきた写真を見て、なんだか妙に感動してしまった。デジカメの写真が写真じゃないとはもちろん言わないけれど、写真というものは…やっぱり、こっちなんじゃないのか?と。世の中には、じゃんじゃんデジカメでいい写真もたくさんあるし、デジカメでなきゃ撮れないものもあるだろう。メモがわりに使うことだってある。でも、普通の人が普通に家族を撮る写真こそは、フィルムのほうがいいと思ってしまったのだ。デジカメのほうが気楽だし、安くつくし…と、もちろん私も思っていたから、なぜ「フィルムだ」と思ってしまったのか、うーむ、考えた。
 撮る時の気持ち、現像を待つ気持ち、できあがってきた時の気持ち、みんなで見る時の気持ち…そういうものがやはり、手に取れる「物体」だと喚起されやすい、というのが、まず思いつく理由ではある。それと、こないだ「1年1冊アルバム」を写真屋さんで現像して作ったときに感じたのは、「人の手で現像され、プリントされる」ことが、まったくプライベートな写真であっても、なにかひとつ「世に生まれ出た」感をプラスしてくれるということ。さらに今回思ったのは、家族や友だちが肉体を持った人間だからこそのものであるように、彼らと過ごす時間を焼き付けた写真もまたフィルムや印画紙という「肉体」を必要としているのではないかということだ。それは妙な理屈なんだけど、理屈で割り切れないのが家族やら肉体やら人間関係やらである。家族はデジタルに割り切れない。だいたいどうして私にこのダンナがいて、この息子がいて、娘まで生まれたのかわからない。わからないけれど、目の前にいて、一緒に暮らして、ごはんを食べて、眠っている。そういうものだから、デジタルではないほうのものと「親和性」があるのだ。物体として残るという大切さもあるけれど、それ以前に、家族やら友だちやらそういう存在のありかたと「フィルム」がなじむのだと思う。
 もうひょっとしたら使うことはないんじゃないかと思っていたカメラと、がんばって買ったレンズが、がぜん復活。



2011年02月05日(土) 禍福はあざなえる縄のごとし

 ランタン。始まって最初の土曜の夜ということで、人が多すぎたのもあり、歩いていてもあまり楽しくなかった。なんというか、もう、ランタンフェスティバルに関するいろんな点が針を振り切っていて、ある部分はくたびれ、ある部分は空しく、ある部分は水増しになっており、しかしここまで来てしまっているので後戻りもできず、ただ、人ばかりが携帯をかざしている。
 いささか寂しい気持ちになりつつ、立ち飲み屋さんでビールと〆鯖。お店のおじちゃんが「お金を入れとくコップ」からお勘定しているとき、ダンナがタイミング悪く話しかけてしまって、おじちゃんがお釣りの500円玉を入れ忘れてしまった。私はそのとき気がつかなくて、ダンナもなんだか言いそびれてしまったまま、もちょっと飲んで店を出た。
 唐人屋敷の「ランタン限定魚屋の野外飲み屋」に行ったけれど、お目当ての茹で海老がなかったので、知人がやってるお店「on」へ。前もおいしかったけど、おいしさが進化していた。ミサキンもいろんなものを食べ続けていた。若い人の素直でまっすぐな向上心が、みっちりとお皿から立ちのぼってるのって、それだけでうれしい。水増しランタンがションボリだっただけに、なんだか心にしみた。そして、ダンナが頼んだ焼酎が2回続けて「ビンにちょこっと残った状態で品切れ」だったので、グラスに8分目の焼酎が2杯サービスされた。立ち飲み屋さんの500円を思い出し、禍福はあざなえる縄のごとしな夜。


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