ぴんよろ日記
DiaryINDEXpastwill


2011年01月27日(木) 空振の朝に

 さすがにアクセル踏みっぱなしの日々、ツイッターでポツリとつぶやく程度で力尽きてしまっていた。疲れが進むと、日常の動作のいろんなことにつっかかるようになってしまってせつなくなるが、今回は「コンタクトをはずそうとして、指で鼻の穴を広げた」という、症状としては重いけれど、笑うしかない事例が発生。眉間に寄っていたであろうシワがのびたってことでプラマイゼロとしよう。
 今朝は…とは言えないほどの朝早く、ミサキンのおっぱいで起きて、そのままウトウトしていたら、静かだけど無視もできないくらいに「どどーーーーん、どどーーーーん」という音がしばらく続いて、窓も揺れているような気がした。工事でもやってるのかな…と、またウトウト眠ってしまったのだが、どうやらそれは霧島の新燃岳の火山活動による「空振」によるものかもしれない、とのこと。なるほどー、と思ってテレビを見つつ、ふと窓の外を見たら、ちょうど霧島の方角からまっすぐな雲がのびていて、さらにちょうど目の前で虹色になっていた。これを見て、なにか思わずにいるということって、むつかしい。自然を眺めている時にわき起こる、感情とも気持ちとも考えともつかないものって、自分の脳味噌や遺伝子の、奥底〜の部分から来るんだろうな、と思う。

 さて、今日の夜中、ようやくダンナが帰ってくる。昨日電話がかかってきて「3時に東京に着いて、5時の飛行機で福岡に飛んで、片付けもあるから帰りは10時か11時くらいかな」と言われて、その道のりを想像したら、想像できたので、なぜだか涙が出てきた。アメリカにいる時のことは、いざ想像してみようとしても、行ったことがないし、どんな感じの空気なのかもわからないし、マイナス20度なんて言われてもますますわかんないから、うまく想像できなくて、淡々と日々を過ごすしかなかった。それが、想像できたとたん、ジワッと熱いものがこみ上げてきた。「想像してごらん」とはよく言われることだけれど、本当にそれをすることは、とてもむつかしい。身体に近いところにある気持ちを動かすほどには。

 …って、ダンナがいなくなってすぐのころに書いたこととはまったく反対のような気もするが、どっちも実感なのでしかたない。こういう「矛盾」を、今後もいろんな方面で見つけていきたい。そして「矛盾が矛盾でなくなるところ」まで持っていきたい。

 新燃岳…すごい噴火だ。


2011年01月18日(火) 1年1冊

 去年はあまりにもいろいろあったので、アルバムを作っておきたいと思い、写真を選んだ。10枚の台紙がある大きめのアルバムを買って「これに収めるんだ!」という気持ちで選びはじめたが「1ページ4枚か5枚→ぜんぶで100枚くらい」という夢は「5月」あたりですっかり破れ去り、一次選考では200枚強、それを3次選考までがんばって、160枚にした。1ページ8枚である。L版の半分くらいでようやく収まる。今回は写真屋さんで焼いてもらおうと思っていたので、浜の町の「フォーカス」で相談して、携帯の写真用によく使われるという、L版に2枚収めるサイズで焼いてもらった。そして160枚、貼って貼って、貼りまくった。小さいサイズの、でも濃い写真がドドドーッと並ぶ。とにもかくにも、物体として1年が1冊に収まっている。…と、これがもう、すごーくいいのだ。写真も絞りに絞ってあるし、何度見ても飽きない。そしてなにより写真がきれい!デジカメで撮ったのをギュッと小さなサイズに焼いてるので密度が高いし、やっぱりプリンタとは違う。ちょっと前に、こないだの大雪の日の写真で小さなアルバムを1冊作ったのだけど、その写真はプリンタで焼いた。補正も何もしなかったのもあるけど、おなじ写真がまったく違う仕上がり…。そして、これには「科学的根拠」なんて何もないんだけど、写真屋さんの目と手を一回通っているかいないかということって、写真のたたずまいみたいなものに微妙に作用するんじゃないかと思う。さらに、デジカメで撮ってパソコンに入ってるままの写真に至っては、まだこの世に誕生してないんだろう。そう思うと、なんかつらい。せめてヒコが生まれる年からのは「1年1冊」を作っておきたくなった。
 それにしても、絞りに絞ったはずなのに、傘鉾パレードだって外したのに、県知事選の「トンデモ候補」の写真(しかも2枚)を外せなかった自分に幸あれ…。


2011年01月16日(日) それぞれの日曜

 この2〜3日で、あっという間に長く座るようになり、たくさん食べるようになったミサキン。すると、表情も発する声も、うんこも、どんどん変わってきた。外はこの冬一番の寒さと雪。パワーをもてあましたヒコが、オリに閉じ込められた犬のようにぐるぐるぐるぐる回っている。私はどうやらこのところの疲れで蓄膿将軍が薄目を開けてこちらをうかがっているようなので、チクナイン(byネーミングの魔王・小林製薬)で迎撃しておく。


2011年01月14日(金) 一心同体

 すべてのことはメッセージ…って、ユーミンが歌ってた気がするけど、朝、ヒコと「とうさんカレンダー(帰ってくる日までのカウントダウン日めくり)」をめくって、「とうさん、どうしてるかなー」と話して、ふと、おとといもらったミサキンの予防接種の注意書きメモを見たら、それを監修した小児科のお医者さんの名前が「加藤達夫」だった。「加藤」はダンナの名字、「達夫」は一緒に行った記者の名前である。一心同体…?


2011年01月12日(水) いないからいる

 ダンナがアメリカに行って、どこにいるかも何をしているかも寝ているのか起きているのかもわからないことで、いくつかのことが実感できて、なるほどなー、と思う。
 ひとつには、あまりにも遠くてどこにいるのかわからないと、逆に、いつでもその辺にいるような気がすること。物質として、びよ〜〜〜〜〜ん、と、離れてしまったことで、それと入れ替わるかのように、「気配」のようなものが、あちこちに漂っているような感じなのだ。どこから来るのかはわからない。残していった洋服なのか、いつも使っている焼酎グラスなのか、そういうものからじわじわとしみだしているのかもしれない。
 もうひとつは、これまで縁がなかった土地や、あるいは漠然とした「遠いところ」をイメージするとき、たとえその地のどこにいるかはわからなくても、知っている人間が「具体的に」いるのだと思うと、ロッククライミングの金具みたいな役割を果たすのか、自分の意識のようなものが、そこに向かってスーッと届く感覚がわかった。ちょっと違うけど、「ご神体」って、こんなことなのかな、と思ったりした。
 いないってことは、いるってことなんだ。ほんとに。


2011年01月11日(火) たかいとこから

 法事とかパブリックビューイングとかダンナの渡米とか、そのための買いものとか、なんだかもう、ワヤワヤしていたここ数日。ミサキンが「あ〜」とうなってしゃべるようになったのが楽しい。顔を見合わせて「あ〜」と言いあう。「あ〜」だけなんだけど、会話。本人も意味ありげに「あ〜」と言うのが楽しいらしく、おしゃべりにとどまらず、法事のお経に合わせて「あ〜」を連発していた。

 ヒコになにか習わせようかなー、と思わせられるのだが(あまりにもエネルギーその他がありあまっているので)、本人に「どんなのがいい?」って聞くと、「たかいところからとぶようなやつ」というので、「それは大きくなってからスタントマン養成所にでも行けばいいよ。空手かなんかやってみる?」と返事。近くでなにか探してみよう。

 日曜日には、牡蠣を食べたくなって、西海方面に買い出しに行った。「竹の家」という直売所に寄ってみると、お店の人がみなさん感じよくて、牡蠣も焼いてくれて、それがまたおいしくて、たくさん買ってしまった。ベランダで炭を起こして…というのは寒いのであきらめて、ためしに「牡蠣 ホットプレート」と軟弱な検索をかけてみたら、なかなか良さそうだったので焼いてみると、それがまたまた大ヒット。アルミホイルを敷いて蒸し焼きにするのだが、炭火にありがちな「悲しき超ウエルダン」も発生することなく、すべてがぷるるんの食べごろ。20個くらい食べた。残ったのも焼いて、オリーブオイル漬けに。ちなみに15個くらいが1袋で380円。あぁ、また食べなくちゃ。

 このところ、トランプ大好きなヒコ。毎日お呼びがかかる。ババ抜きか神経衰弱。子どものころって、私も神経衰弱大好きだった。そして親から面倒くさがられた。その時は「どうしてこんなに面白いのにめんどくさがるの?」って思ってたけど、今はわかる。そして神経衰弱のこと、何度教えても「けんこうしんじゃく」っていうのがおかしい。


2011年01月07日(金) 幸せってなんだっけなんだっけ…って、昔ありましたけども

 今年のテーマは、元旦に頭の中に降ってきた「突破」と、これまた元旦のイチローと糸井さんの対談で印象深かった「持続可能性」ということ。「きれいな部屋」「きれいな風呂場」も、それを維持できる規模だとやりやすい…と、小さめのお風呂を掃除しながらしみじみ思う。10畳の部屋を毎日きれいにしておくのと、30畳のそれとでは、やはり「持続可能性」にかなりの開きがあるだろうから。そういう意味で、我が家はとても「サスティナブル」だ。
 ということで(?)、「白川静常用字解」を買う。いきなりドカーン!「字通」!というのが本当なのかもしれないが、ここはひとつ、いつも手許に、持続可能な方向で。パラリめくるだけで、めくるめく漢字のなりたち。奥に隠れている意味…。お約束で子どもたちの名前の字を引いてみたりして。そしたら「岬」の隣が「幸」。「幸」は手枷の形らしい。「手枷って、刑罰じゃん!ぜんぜん幸せじゃないじゃん!」と思って読むと、「手枷だけの刑罰ですむのは、僥倖(思いがけない幸せ)であり、重い刑罰を免れるというので『幸』というのであろう」…ですって。手枷があるくらいが幸せなのか、手枷があるから、それを手がかりに幸せを感じられるのか…とにかく世界は深いです。


2011年01月06日(木) 日常通常営業

 日々忙しいと言うのも癪だし、無理矢理ゆとり感を醸し出そうと、ヒコのマフラーを編むことにした。中通りの同級生んちの編み物屋さんで毛糸と編み棒を買ったら、なぜだか編み物の本をおまけに付けてくれた。同級生は店にはいなかった。
 ダンナとヒコは福岡に旅立ったので、お昼はひとり、吉宗で茶碗蒸しを食べ、今度は仕事始め感を醸し出す。仕事は2日からやってるが、官公庁や企業気分で茶碗蒸し。…あれ?茶碗蒸しは仕事納めだっけ?
 まぁしかし、人町でコーヒーを飲んだり、イチゴや豚肉や鶏肉や餃子や水仙やパンを買ったりして、日常の通常営業体制へ。そう。今年は部屋の花もなるべく欠かさないようにしたい。しばらくは水仙。

 吉宗で、海老がこれでもかと盛られた天ぷら定食が運ばれていくのを見て驚いたが、それを食べていたのがおばあさんだったので、これまた驚いた。でもそのおばあさんが…というより「老女」って感じの人だったのだが、冷蔵庫の裏のシブい一人席に座り、真剣に海老天を味わっていて…うーむ、なんというか、数十年後の自分をちらっと垣間見た気がした正月六日である。私の夢は「ばあさん」になることなので、初夢としてはふさわしいかもしれない。

 初夢。今年の初夢は、なにか手づくりするものの材料(本っぽかった)がどっさり届く、というものだった。あまりに現実的だ…。


2011年01月04日(火) 年末年始。

 年末年始の備忘録。もうすでに忘れてるのもあると思うが。

 31日。雪。大雪。川原慶賀さんが描いた江戸時代の長崎の雪景色そのままの空の色。山の家々の屋根が、慶賀さんの絵における畑に見えて、本当にタイムスリップな感じ。写真を撮って昨日ばったりお会いしたYさんにメール。もう10年ほど前にYさんが慶賀さんの番組を作るときにくっついて回ったことは私の財産だし、こうして慶賀さんのことを思う時、その気持ちはぜひとも分かち合いたいと思う。お返事メールで、眼鏡橋の雪の写真が届く。慶賀さんはこのあたりに住んでいた。
 ヒコとダンナはベランダで雪だるまづくり。こんな立派な雪だるま、私も作ったことない!というほどの。そして家にいればいいものを、つい「蕎麦も買ってないし…」などと言いつつ、トレッキングシューズを履いて雪の町へくだる。モスバーガーでランチ。中島川沿いを散歩していたらノドがかわいたので、おすわさんまで歩いて「たけやま」でビール立ち飲み。そして父とバッタリ会う。私にはわりと、ハイレベルな「バッタリ」が多い。
 夜は「紅白かドリフか」で、ヒコと大険悪ムードになってしまった。最近のいろいろあれこれがマグマのようにたまっていたのだった。「紅白かドリフか」…くーっ、くだらねぇ!「生さだ」を見ながら夜はふけゆく。

 1日。まだ雪。遅くまで眠る。車は出せないので、タクシーで実家へ。乳に出ないことを祈りつつ、そっと鯨など食べる。夜はイチローのインタビュー番組に引き込まれる。

 2日。雪がだいぶ溶けだす。晴れて久しぶりに洗濯物を外に干す。雪でダメになっていないかかなり心配していたパクチーも元気だ。ダンナは仕事。ヒコはジジババとジャスコの「オーズショー」にでかけた。もちろんミサキンはいるものの、これまた久しぶりのひとり。お昼ごはんは、もう何度目かの「ふたり」を見ながら食べる。2人の料理人の番組。何度見てもすべてがツボで大好きで、自分もがんばろうと思える。でも、この日やろうと思っていた仕事は、ミサキンがほとんど眠らなかったのでできず。集中して仕事しないと毒が回ってしまう体質なので、精神的にかなり苦しい。1〜2時間でも集中できれば、ヒコにだってウソのように優しくなれるのだが。

 3日。雪はもう、ほとんどない。でも雪だるまの胴体は、ドッジボールくらいになって残っている。お昼には友人一家が、夜はダンナ母が来た。夜中まで仕事。とにかく今週中に目鼻を付けたい。

 そういえば年末、アメリカ出張があるからとかなんとか理屈をこねて、ダンナがスマートフォンとやらに変えた。そしてドコモショップに行って「iPhoneありますか」と言い放ったら、「いえ、ありません。スマートフォンならありますが」と返されたらしい。そしてiPhoneは現在放送中の「仮面ライダー」で小道具として登場するので、ヒコがさわりたくてさわりたくて、そわそわギラギラ。でもなぜかiPhoneではなく「アイポン」と呼んでいる。性能低そう…。


トンビ |MAILHomePage