ぴんよろ日記
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2010年11月29日(月) 約束

 風邪がガツンとぶり返した。頭が痛くて起き上がれないので、一日布団にいた。でも夕方はヒコと「てれびくん」を買いに行く約束をしたのでがんばらなくては…。朝から「きょうおやすみのひとがかってしまってなくなるかもしれん…」と心配していたので。


2010年11月27日(土) さるやまさるやま

 福岡・糸島で開催された、甲野先生のサバイバル鍛冶の会へ一家総出で参加。甲野先生とお会いする機会って、いつもそうなのだけど、言葉にできない情報のかたまりのようなものがドッカーン!と心身を直撃して、感想がうまく書けない。「言葉にできないものがこんなにも多い」という事実に殴られて、脳震盪を起こしているような状態なのである。一番最初に参加した講習会の後なんて、3日くらい口もうまくきけなかった。そしてしばらくすると、自分の中から言葉が出てくる「出てきかた」が変わっていることに気付くのだが、これもまた、なにがどう変わったということを言うことができない。できないけれど、とにかく変わっているとしか言いようがない。
 今回はいつもの武術的なものと違うのだが、(武術的素養のまったくない)私にとっては、むしろ開かれている感があったし、古い時代の職能の中でひときわ魅力と魔力を持っているように見える「鍛冶」が、どういう感触をしているのか体感してみたかった。果たして「鍛冶」は、そして「火」は…いや、簡単に書いてしまうのは止そう。鉄のように、もう少し火の中にくべていよう。
 会場は個人所有の山(!)だったのだけど、ヒコは一時も休むことなく走り回っていた。夜の懇親会の時、甲野先生から「ずっと走り回ってましたね。」とニコニコ話しかけていただいた。嬉しいと同時に「いつも『場』全体を捉えておられるのだな…」と、静かな戦慄がわき起こる。ほかにも「自分の背丈ほどのところから飛び降りるなんて、最近の子どもではなかなかないですよ。頼もしい」など、「ヒコ母」冥利に尽きるお話がいろいろあったが、最高だったのは「かつて…(たしか中井亀治郎)という達人は、10歳のころには山に入って猿の群れを相手に遊んでいたそうですよ」というエピソード紹介。ヒコを見てそれが思い出されたというのは、この上ないプレゼントをもらった気持ちだった。ヒコと日々を過ごすのは大変だけど、いい意味で「大変な人」と過ごさせてもらってるということを、これで時々思い出せる…はず。ヒコのエネルギー砲に倒れそうになったら、「つるかめつるかめ」ならぬ「さるやまさるやま」だ。


2010年11月25日(木) ウエルカム!

 少しでも庭を耕すと、すっとする。疲れも、いらだちも、あせりも、土を掘っている間だけは、どこかに行ってしまっている。今日は静かな曇り。後回しになっていた仕事をしよう。できることから、ひとつずつやっていくしか道はない。先のことはわからん!
 どこかのお宅で「いらない」って言われたという草木がやって来た。くたびれたプランターで窮屈そうにしている。でもまだぜんぜん枯れてない。こないだもホームセンターの植木売り場の片隅で「まだ元気になります」という張り紙とともに100円とか50円で売られていた方々を連れて帰って植えたところだった。みんなおいで〜!好きにしてていいよ〜!

 近くの公園の林から、彦山、愛宕山、唐八景、八郎山系へと続く山々の連なり。これを、日に何度となく見渡せるということが、思いのほか心身に染みている気がしてならない。これによって保たれているもの、更新されるもの…多いんだろうな。

 暗くなってきた。雨?


2010年11月24日(水) おやっさん!

 数日前に40歳になったが、最近いちばん「けっこう長く生きてるのかも」と思ったのは、ほかでもない仮面ライダーの映画を見ていたときだった。いまの「オーズ」は、もう、腹をくくって最初からはまって見ているのだが、前作の「W」は、ちゃんと見ていなかった。特に最初のほうなんてぜんぜん知らなくて、キーパーソンの1人である「おやっさん」が誰かなんて、気にもしていなかった。しかも「おやっさん」である。「どっかの劇団から引っ張ってきた宝田明みたいな顔の無名俳優」と、勝手にイメージしていた。そしたら、どうも見たことがある顔なのだ。記憶よりは少々痩せていて、年も取っているが、思っていたような「無名俳優のジイさん」ではない。見たことある…見たことある…っていうか、ひょっとして、あの人?えー、まさかー、だって私が中学生のときにはアイドルだったのに…チェッカーズのと2本立てだった映画も見たぞ…今はなきステラ劇場で…と、人生は走馬灯のようにめぐりつつ、なんと「おやっさん」は、吉川晃司だった…。おやっさん…。ヒコに「この人知ってるよ」と言うと、喜んでいた。「モニカ」のサビを歌ってあげたのは、ピンと来ないようだった。

 昨日は、それも含め、みっちりヒコday。夜、意識朦朧としつつ布団に倒れ込んだら、ものすごい動悸に見舞われた。劇物ヒコ。長時間の服用は危険です。

 この家に住んでもうすぐ4ヶ月。陽の射し方って、こんなにも変化するんだなー、と驚いているところ。

 備忘。17日は、長崎新聞広告賞の授賞式に行った。夏に関わらせてもらったペーロンの新聞広告(デザイナー/九広・矢倉氏、写真/松尾順造氏)が、最優秀賞だった。写真がさすがの迫力と味わい深さ&大見出しのコピーはデザイナーさん作なので、地の文を書いただけの「コピーライター」としては「どぉもすいやせん」と頭をかきつつではあるが、まぁ、15年近く広告の仕事をしてきて、こういうことは初めてだったので、ごほうびとして素直に喜んでおこう。審査員長の原研哉さん(無印などのデザインをしておられる方)のお話がとても面白く、興味深かった。祝賀会で、勇気を出してちょっと話しかけたりしてみた。ぜんぜん偉そうにしてなくて、素敵だった。


2010年11月22日(月) にぎり派

 週末は誕生日プレゼントとして風邪を引き、脚湯したりして、贅沢に眠りこけた。風邪で寝込むなんて、なんという贅沢だ〜!お寿司買って来てもらったりもして。でも、なぜか魔が差してちらし寿司にしてしまったが、やっぱり「にぎり」が好きだ。これからは、なにはなくともにぎりにしよう。純にぎり派として生きていくのだ。しかもこれまた魔が差して、助六まで頼んでしまい、ごはんまみれに。さすがに助六は残したが、翌朝の朝食として、巻き3個いなり3個を一気食い。風邪引いてるはずなのに、さすがは哺乳類だ。
 今日は乳マッサージ。このところの忙しさと寝不足と風邪で、かなり改良の余地ありだったようだ。

 でも、眠ると、頭の働きが全然違う。ダイレクトすぎて怖いくらい。しかし今週もなかなかどうしていろいろあるのでがんばらなくては…。

 ミサキンも6ヶ月。髪がちょっと伸びてきた。あ〜う〜話が上手になった。昼と夜が、少しずつはっきりしてきた。相変わらず重い。




2010年11月19日(金) 突入!

 ついに四十路圏に突入した。今週は仕事も用事もいろいろあった上、おとといくらいから風邪っぽくもあり、なんとか今日にたどり着いた感じだ。ケーブルに「ペコロスの唄地図」を納品して、スタッフの編集を見て、そのまま家で眠ろうかと思ったが、天気もいいし、いつもの直売所へ。ピカピカの野菜や手づくり味噌などを買う。お昼はアジの一夜干し、昨日どっさり作った具だくさん味噌汁、最近鍋で炊くようになったごはん、きんぴら、など。このところお昼ごはんは慌ただしく済ませていたので、ニコニコ笑うミサキングさんを愛でながら、しみじみと食べる。おいしいものって幸せだ。たべものは大事だ。少々の心身の不調は、まず、その時食べたいおいしいものを食べて、よく寝て起きてみて、それでもダメだと思ったら治療を考えればいい。
 ということで、これから1時間ほど眠ろう。夜はダンナが上海蟹をごちそうしてくれるので、体調を整えるのだ。
 40年か…。なんか、持ち重りがする感じでいいなぁ。目標はいかしたバアさんなので、まだまだこれから仕込みに入るというところだ。さっき車を運転しながら「5〜60代は旅また旅」とひらめいたのだが、実現のほどやいかに。

 秋が深まってきて、あちこちに「おおきな柑橘の実」がなっている。そして、次に見たときには収穫されていたりするのだが、けっこうな確率で「おまもりの1個」が残されている。また、あるときには、道ばた墓場の脇に、誰のものでもなく植わっているドラセナの葉を、近所のおばさんらしき人が、とても真剣に丁寧に整えているのを見かけた。日々のいやなニュースよりも、こういうもののほうを信じていきたい。


2010年11月16日(火) 支え

 乳飲み子抱えた四十路寸前の秋の一日、今日はたくさんの人と打ち合わせやらなにやらドンドコドン。時に分刻みのスケジュールで、自分で自分を呆然と見つめながら、目の前のことを打ち返し続けた。何年後か何十年後か知らないけれど、いまのことを懐かしく思い出すのだろうな、というようなことを、ひとつの支えにしながら。


2010年11月13日(土) 開いとく

 夕ごはんを食べていたら、奥歯が割れた。虫歯になっているのはわかっていて、食べる時もちょっと痛い日々だったが、割れるとは…。お好み焼きだったのに。子どもを一人産んだら一本歯がなくなるとはよく言うたもんじゃ。
 今日はヒコの保育参観だった。その後、うちの近くの公園におなじ組の子が遊びに来るという情報を聞きつけ、自分も参加したいとわめき散らすヒコ。勝てるわけもなく、夕方まで遊び、しまいにゃ(公園に行くと言いだした時、強力に念を押していたにもかかわらず…)うちに連れて来るとわめき散らし…。でもまぁ、隠すようなもんもないし、と、お母さん2人と子ども3人来訪。それぞれの息子たちが、ピッチリパンツが好きかユルいのが好きか、なんて話でなごやかに過ごす。むかしは「子どもの友だちとかその親と付き合うなんて苦手だ」なんて思いこんでいたけど、いまはもうそんなことない。…というよりも、そういう「規定」をすることがどうでもいい。その場その時その人を目の前にして判断すれば、それでいい。
 しかし1日のうちには逆のパターンも起こりうる。ずいぶん前から細く長い付き合いのある人から、以前だったらワクワクしていた類いのメールが来たが、今日はもう、すっかりピンと来なくて、(すぐにじゃないかもしれないけれど)終わりが見えた気がした。でもこれも、今の時点での話だから、お互いに変化した未来の地点では、また出会うことがあるかもしれない。
 つまりは、開いとく、ってことで。


2010年11月08日(月) あの瞬間

 朝から乳マッサージ。その後、打ち合わせして仕事して、夕方には数ヶ月ぶりのオヤユビキング。このところの疲れやらなにやらで、わかっちゃいたけど、乳も体もステキな状態だった。ここ数日は「人間、こんなに疲れられるんだ…」と、妙な感慨さえあった。
 そういえば1年前のちょうど今ごろは、切迫流産で絶対安静だった。それ以降、妊婦生活、立ち退き通告、不動産屋めぐりに土地探しに売買契約にローン審査に家造り、引っ越し、出産、そんでもって産休なしの仕事、ふたたび引っ越し、絶え間ない家事育児…少なくとも360日くらいは心身ともに全開バリバリで走りっぱなしのような気がする。われながらやりすぎだ。そう若くもないのに。
 そんな中「体はすごくきついけど、いま、とっても心は安らか」という瞬間を時々思い出す。それは、ミサキンを産んだ翌日か翌々日に、病室でミサキンとふたり、雨音を聞いていたときだ。とてもとても静かで、満ち足りていた。少しだけ開いた窓から、まだ梅雨ではない爽やかな雨の匂いがしていて、隣にはほやほやの赤ん坊のかすかな寝息。すべてがひそかで、みずみずしかった。空気の粒までが見えるようだった。


2010年11月07日(日) 「なにもない」

 あさって、久々に「ペコロスの唄地図」の収録をするのだが、専属カメラマン・メルシェデスK氏が「どこに行くと?」と聞くので「小島あたりだよ」と答えると「…なんか撮れるようなもんあったっけ」と言うので、すごーく「そうか!」と思った。ペコロス氏との電話では「小島あたり、どうですかね」「お、いいねー」(その後、アレとコレとあそこも行ける、あ、あれも、的な話が続く)だったので、自分の中では「うわー、当日、どんだけ盛り上がるんだ!一回分の放送じゃ話が入りきらんかも。2回に分けるか」とさえ思っていて「なにもない」なんて考えもしなかった。でも、たしかに、ある種の「空気」に興味がない人には「なにもない」場所なのだ。相変わらず「すべてのものは初めっから目の前にある」なぁ。がぜんやる気になった。

 あー、山陰行きたい。
 最近、そんな気持ちでいたら、昨日はうっかり鳥取の窯元の湯のみを買ってしまった。


2010年11月06日(土)

 夜、雨。

 思いもしなかった雨音に救われる思い。

 思いとは、何だ?いやに気取った奴だなぁ。


 …うーむ。こんなことを書き付けるとは、どうやら完全に電池切れ。そんな時の薬は「たのまれもしない冊子づくり」しかないので、「樂」の連載を小さな本にしてみる。Wordでチョコチョコと。


2010年11月01日(月) 圧倒的朝日(って書くとなんかイデオロギッシュですね。全然違う話だけど)

 かなりの確率で朝焼けを見る日々。朝焼けと夕焼けって、進むスピードはきっとおなじはずなのに、朝焼けのほうがはかなく移ろいやすくあっけない気がするのはなぜだろう。沈む夕日はずいぶん長い時間、見つめたり語らったりすることを許してくれるのに、朝日ときたら、山の稜線から離れる前から、こちらの語りかけを強い光でさえぎり、ただ圧倒的に輝き、現実生活へ背中を押し出しにかかる。その、やたらと密度の高いエネルギーに満ちた感じと変化の早さは、たしかに赤ん坊に似ている。老いと夕日が重なるように。


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