ぴんよろ日記
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2010年08月30日(月) 効用

 先週の木曜日、だったか、次の日ダンナが休み、ということもあって気と体がゆるんだのか、夜、どーーーっと具合が悪くなった。これまでのいろんなタイプの疲れやらなにやらが、吹き出した感じだった。夕ごはんをひとくち食べたところで、もう、ダメになって、毛布をかぶって眠った。眠るのだけど、体の奥の方から出ようとしてまだ出られない何かがうごめいて具合が悪くて眠れないので、足湯してまた毛布かぶって、ひたすら汗が出るのを待つ。汗を待ってたら吐き気がやってきて、ほとんど吐くものもないのだけど、何回か吐いて、そのあいだに汗かいて、ひたすら朝まで。朝になってもいまいち治ってなかったので、マッサージに行ってとどめを刺しつつ、結局は夕方、ヒコと公園で大量の汗をかいて、それで終わった。分類としては風邪なんだろうけど、なるほど、風邪の効用である。すっきりして、体もよく動くようになった。ありがたやありがたや。そしてこの間も、授乳は変わらず遂行されていたわけだから、人間って、タフだな〜。

 今日からまた、あの仕事をがんばろう。コツコツ。


2010年08月29日(日) そういえば産後

 どんどんパソコンから遠ざかってしまうこの部屋。気付いたら鍋を磨いたり、雲を眺めたりしながら時間が過ぎ去って行く。
 ようやく少し涼しくなってきたので、ヒコを連れて近所の公園へ。せっかくここに住んでいるのに、近くの公園に行かないのはもったいない…と思いつつ、あまりの暑さと蚊の恐怖に、行かずじまいだった。そしておとといと今日、行ってみっちり汗かいて遊んだのだが、がっちり筋肉痛になってしまった。そして筋肉痛ならまだしも、ものすごいスピードの出るすべり台を何度も滑っていたら、骨盤まわりに不穏な痛み。そ、そういえば、まだ産後と言えなくもない。6ヶ月あたりに変わり目が来るということだから、つまりそれまでは、まだまだ「産後」なはずじゃないか!と、痛くなって気付いた。
 しかし、こどもと一緒に楽しく遊ぶって、なにか、とっても「基本」なことのような気が、ひしひしとする。でもヒコには激しすぎてついていきにくい。

 


2010年08月26日(木) こんにちは〜に溺れる夜

 昨日の夜はダンナが飲み会だったので、ヒコとふたりだった。もちろんミサキングさんもいるのだが、彼女はまったくと言っていいほど手がかからないし、むしろエネルギーをくれる人なので「ヒコとふたり」なのである。ヒコ…大好きなんだけど、どうしてもリズムというか、ピッチというか、密度というか、彼が持つそういうものの速さや濃さや過剰さについていけない時がある。疲れてしまって体が動かなくもなるけれど、呼吸が苦しくなったり、思考能力がギューーーンと低下したりで、そうなると、デフレスパイラルじゃないけど、つまりは悪循環におちいってしまう。
 でも、だいたいがその時その瞬間に追いつめられているだけで、あとで思い返したり、人に話したりすると、笑い話にしかならない。

 中学の時、水泳部に入っていて、練習のときにはいろんな泳ぎ方をためしてみるのだけど、よくやってたのは、どこまで息つぎしないで行けるかということ。息つぎをすれば、1キロだって泳いでいられるけど、しなければ25メートルがやっと。
 そう、ヒコといる時って、息つぎできないで泳いでいるときの感覚に似てる。私が知ってる感覚の中では、それといちばん似ている。

 で、昨日の夜は、仮面ライダーの絵本を読んでいて「そういえば石ノ森章太郎って、生きてたっけ」と思ってパソコンで調べて、そしたら「あ、そういえば三波春夫が生きてたかどうか、こないだJちゃんと話してたとき、わかんなかったままだったな」と思って調べたら、とっくの昔に亡くなってて、そんでもって「そうだ、ヒコに『こんにちわ〜』の歌を聴かせたら受けるだろうな」と思って、あの、三波春夫の万博の歌をyoutubeで探して見せたら大ヒットして、ほかにも思いつくままに「チャンチキおけさ」やジュリーの「TOKIO」や八代亜紀の「雨の慕情」やジュディオングの袖を広げるやつなど、子ども心をつかみそうなものを見せたり、どんとを見て涙ぐみそうになったり、しばらくはなごやかに過ごしていた。しかし、三波春夫の「こんにちは〜こんにちは〜」が、ヒコのなにかをあまりにも強くつかんで揺さぶったらしく、結局何を見ても「こんにちは〜」の連続再生を要求される。11時を過ぎ、何度寝ようと言ってももちろん聞かず、しまいにゃ再生のしかたを習得されてしまい、ヒコと三波春夫の「こんにちは〜こんにちは〜」の合唱と踊りが部屋の中に渦を巻く中、私は意識を失っていた。

 人ごととして想像すると笑うしかないが、その時は苦しい。息つぎできず、アップアップと溺れかけている人が、体の動きとしては滑稽なのとおなじである。

 でも、あんだけ連続して聞いたのに、そしていかにもクドそうなのに、三波春夫の歌声って、イヤなこびりつきがない。それは発見だった。


2010年08月25日(水) 高地にて

 ようやく風に涼しさ成分が混じりはじめたので、クーラーをつけない昼間の我が家。気持ちよすぎる…。さすが山の上だ。一足お先に涼しいのだ。冬はおなじ原理で寒いだろうが、冬はどこでも寒いのである。この時期の「高地」の快適さは、ここにしかないものだ。夏の終わりかけの、ひなたは暑いけれど、陰は涼しくて、そこに少しだけ秋まじりの風が吹き抜けていく…という瞬間は、日本の四季の気持ちよさランクで、どのくらいのところにあるだろうか。
 
 気持ちいいな〜、この家。まだ一回も払ってないけど。

 そんな中で昼寝をしたら、このところ心に影さしていたネガティブな気持ちの芽が、すっかりつまれていた。背中にあったコリも軽くなっていた。昼寝、ワンダフル。ミサキングさんもずっと寝ていた。


2010年08月22日(日) 日本月並党

 今年はダンナの仕事で行けないかもな〜、と思っていたキャンプに急遽参加。去年まではホットプレートまであるようなコテージだったのに、諸事情あり、今年は会場が変わった。それがいきなり、クーラーはもちろん、扇風機もないワイルドな雑魚寝部屋。バーベキューの時の虻&蚊の襲来と蒸し暑さもなかなかだった。でも、森の中でまとまった時間、ボーッとできた。ここ半年、長い時間ボーッとすることがなかったので(唯一ボーッとしたのは、ミサキングさんを産んですぐ、病院で…)、とても貴重な時間だった。それであまりにボーッとしてしまい、8時ごろ眠ってしまって、大人の語りタイムに参加できなかったのが残念。
 今回のメンバーでのキャンプは3度目だけど、年々子どもが増える。10年くらい前には、それぞれが独身で、なにやら小難しいことを飲んで語っていたような気もするのに、結婚して子どもがいてキャンプなんかして、非常に月並みな感じである。でも、妙にいい光景で、月並みの何が悪い、むしろ月並みなことをするために生まれてきたんじゃないか?それが生きるってことじゃないのか?多少の変わったことなんて、だいたいが月並みの範疇じゃないか!日本月並党でも作るか?というような気持ちにさえなった。
 昼過ぎ、愛すべき我が家に戻り、盛大に洗濯。クーラーをかけてビール。


2010年08月18日(水) 山ごもり

 少しずつ、静かな日々。まだ1階の片付けは手つかずだが、生活部分の2階はなんとか落ち着きつつある。これで明日、靴箱や棚類が設置されたら、ほぼ収まる。身体の動線も、これまた少しずつだが、作られつつある。目をつぶっていてもいろんなことができるまでには、まだしばらくかかるかもしれないけれど。
 重くのしかかっていた仕事も、コツコツとやりはじめたら、こうしてコツコツやるしか道はないのだから、と、むしろ心が静まる。これが終わったら、ますます家で読んだり書いたりしよう。表向きは山ごもりのようだが、私にとってそれは、ようやく訪れる「エネルギー大放出期」なのだ。
 ダンナは編集、実家は旅行なので、幼子ふたりとみっちりの今週だ。でもミサキングさん(ポン女史改め。女の子だけど、キングの風格)は、ほとんど眠っているか、機嫌良く起きているかなので、「重たい!首が据わってないのに重たい!ぐにゃぐにゃしてるのに重たい!」以外は困ることはない。
 さて、米でもといで、洗濯物を取り込もう。


2010年08月17日(火) こまごま/こまぎれ

 今日も台所まわりのものなど、こまごまとした買いもの。使いやすいように、でも、便利優先の好きじゃないものを置かないように、細心の注意を払いつつ。
 量の多い仕事を、ひとつ、やらないでいることが、心に重くのしかかっている。こまぎれにでもやっていこう。


2010年08月16日(月) 電器屋ヒロちゃん

 昨日磨いたドラえもんのポットを見て、ヒコが「あっ!ドラえもんがついてる」と言った。つまり今まではあまりにもの状態だったので、ドラえもんと認識されていなかったということだ。

 さだまさし家のお盆を取材してきたダンナ。昨夜は死にそうに疲れて深夜に帰ってきたが、今朝は10時ごろダンナ母から電話があり「テレビが壊れたのでどうにかしてくれ」とのこと。「あぁ、またオレの冬のボーナスが…」という金銭的な嘆きも深かったようだが、「昼の2時から好きな番組がある。見られないのは悲しい」との訴えに、ひときわガックリしていた。10時に電話してきて2時までに見えるようにしろって、そりゃ酷な注文である。電器屋でもムリ。

 盆も明けたし、いい加減、放置しているあの仕事をしなくては…。しかしその前に買いものと片付け。


2010年08月15日(日) ここにいるだけで

 今日も起きたら、頭の上を雲が流れている。動きの速い雲、ほとんど動かないように見える雲、いろんな雲があるが、動かないように見えた雲でも、いつしか形を変え、姿を消している。近い空から気持ちのいい風が通り抜けていく。遠くの山が見える。公園の木々が揺れている。雲が絶え間ない。ここにいるだけで、どこにでも行ける。焦げついていた黄色いホーローポットを磨いて、熱いコーヒーがおいしくなる日に備えた。

 このポットは、もう10年以上前に買った。ドラえもんの。スペースワールドで、ドラえもん展(藤子不二雄ワールド、だったかもしれない)と、プリンセステンコーのショーを取材した時のもの。いま思えば、すごい組み合わせだ。ドラえもんの後姿が描かれているのがたまらなく好きで、つい買ってしまった。コーヒーをいれるには注ぎ口がちょっと鈍いのだが、ずっと使い続けている。これまでに何度か、業務用のものや月兎印のものなどにグラついたが、結局はこれ。後姿、後姿に離れられないのだ…。取れないと思っていた焦げまで、重曹と根気づよい手作業によって磨き上げた。まるで別物…。

 今夜は精霊流し。ボーン、ボーンと、銅鑼の試し叩き?という音が、街から上がってきた。こんな銅鑼を使うなんて、そうとう立派な船に違いない(さだ家?)。夕方にはお世話になった方の精霊船にごあいさつに行こう。そして、送り三味線もあるという、さだまさし家の精霊船の出発を見に行こう。精霊流し見物は、さすがに今年は「県庁坂かぶりつき」ってわけにはいかないので、ほどほどに帰らなくては。でもポン女史、昨日の墓参りでは、爆竹の音にもまったく動じず。さすがだ。


2010年08月14日(土) 怒濤家族

 お盆。お盆が大好き。お盆の街が大好き。それも、こればっかりは、長崎じゃないといけないと思う。花火の煙の立ちこめる墓場。みんなが楽しそうな墓場。飲み食いしてくつろいでる墓場。赤ん坊や小さな子どもが、光って見える墓場。爆竹、やびや、ドンパチドンパチ。寺町では、地図を持った観光客らしき親子連れが、不可解な表情でオドオド歩いていた。15日の明日ならば「精霊流し」だからある程度の覚悟はして来るのだろうけど、墓地が賑やかなのは、14日。きっと「普通」の感覚では「異様」を通り越して「異常」な光景であろう。でも、生者と死者が混ぜこぜになったこの境地って、ほんとうに気持ちいいのだ。あ、そうか、これ、いわゆる「天国」に近い状態か…。
 そんな中、家族写真を撮ってもらうというイベントに参加した。怒濤の時期を乗り越えた、今の私ら、どんなふうに写ってるんだろう?楽しみ。今日は仕事だったダンナが来れるかどうかわからなかったけど、奇跡的に参加できた。さすが怒濤家族だ。たくましい。


2010年08月12日(木) はじめが肝心

 日用のいろいろなものを、あちこちでガンガン買いもの。こんなにいっぺんにいろんなものを買うこともないだろう。でもちゃんと、ひとつひとつを吟味している。「デザインはいまいちだけど便利そう」というものは買わない。ちょっとでも置きたくないものは置かない。「はじめが肝心」と、売り場で目をこらしている。だから「機能としてはすぐにでも必要で、見かけを問わなければいくらでも売ってあるけれど、買わなかった」ものも多々。シェイプシェイプ、だ。


2010年08月11日(水) あれやらこれやら

 6日に引っ越して夜は岡野さんのライブで打ち上げ、7日は片付けとヒコの保育園の夏祭りと、初めての泊まり客。8日は片付けを強制一休みして、アルバムワークショップ。9日と10日は、それぞれにまったくやってなかった仕事の〆切だったので、なんとか仕上げてお送りする。そして今朝は台風。窓を大きく作ったので、雨風がよく見えてうれしい。工事のおがくずが散っていたベランダが、どんどんきれいになっていく。
 余計なもの、あまり好きじゃないものを置かない、持たないことにしたこの家。前の家から持ってきた物も、いろいろ捨てている。物としてはまだ使えるものもあって、これまでなら捨てられなかっただろうけど、そういうものたちには「これまでの余計なものや考えや暮らしぶりを、持って行ってもらうのだ」と感謝しながら、ゴミ袋に入れている。その役割を担っていただく、という気持ちで。
 猫たちがだいぶ我が物顔になってきた。はるちゃんは案の定、玄関で…。早急にタイルの目地の防水対策をしてもらわなければ…。

 たった数日だけど、濃い。心身のいろんな点がスッキリしたり変わったり、おもしろい。

 今日はミーティングと、この先の家についての打ち合わせ。


2010年08月05日(木) ペリペリと剥がして

 今日は、私にとっては特別な唄うたい…どんととヤナちゃんの誕生日だ。だから今日引っ越せるといいな、と思っていたのだけど、ダンナも仕事だったし、まだいろいろあって、明日になった。明日は広島の原爆の日だから、ちょっとドキリとしてしまうけれど。
 原爆は、とても特殊で強烈なことなのに、長崎で育ってしまうと、それが空気の一部であることは否めない。大人になって長崎に住みはじめればまた違うのだろうけど、小さいころから、しかも一族郎党も長崎だと、じいちゃんやひいじいちゃん世代の身内には当然のように原爆で死んだ人や被爆した人がいて、学校でも原爆のことを習うし、8月9日は登校日なのだから、そんな子どもにとって、原爆がなかった世の中のことを想像するほうが難しい。
 しかし最近なぜだか、年取ったのか、原爆はやはりとても特殊で強烈なことなんじゃなかろうか、と、ようやく考えるようになった。これまでどんだけ鈍かったんだ!と言われても仕方ないが、空気だったんだもの。原爆のことを見聞きしない夏が、まったく想像つかないんだもの。だからこそ、原爆のことを考えずにいられたのだ。あってあたりまえの、肌にしみ込んでしまっているものだったから。それを自分がこの先、どんなふうにペリペリと剥がして、なんらかの形にするのかしないのか、よくはわからないのだけど、あたりまえの空気だと思っていたものを、もういちど見直してみることは、するんじゃないかという気はしてきた。ま、シュプレヒコール上げたりタオル巻いて歩いたり鶴折ったりはしないと思うけど…。

 それにしても、65年経ってもまだ、新しい資料や写真が出てくるって、どういうことなんだろう。今日テレビであった「終戦後3ヶ月ころに録られた長崎市民の原爆についてのインタビュー」も初めて聞いた。その人たちの声には、恐ろしいとか悲しいとか、そういうのは漂ってなかった。原爆とその被害があんまりすごすぎたのか、まだなんだかよくわかんなくて、ポカンとしている感じだった。


 今日は冷蔵庫を掃除した。せっせと磨いていたら、現場のラジオから「サヨナラCOLOR」が流れてきた。この人の歌は、歌も歌いかたも「いかにもいい歌」なところが少し苦手なのだけど、この日このシチュエーションで流れてくるには最高の曲だった。「サヨナラからはじまることがたくさんあるんだよ」というところで、引っ越しの荷物を、より鬼の心で整理していこうと思った。ぜんぜん色気のない解釈と活用ですみません。

 さぁ!明日は引っ越し!


2010年08月04日(水) 白日仕様

 複数の生き死にの知らせが飛び交ったここ数日だった。なかには、何度も聞き返してしまったほど、意外な人もおられた。ちょっと具合が悪いから寝てくるね…と、そのまま、だったそう。私もこないだ道で会ったばかりだったから、ほんとうに驚いた。ポン女史も見せたのに。

 まだちょっと家を片付けられる状態には至ってないので、引っ越し作業はあさって以降だ。でも冷蔵庫だけは、明日、無理矢理拭きに行くことを宣言した。今日見たら、これは拭いとかないと…という生活感がまとわりついていたので。つまり汚れだけど。毎日使っていて、少しずつ汚れていくと目が慣れてしまうけれど、こうして間を置いてみると、こりゃまぁびっくりものであった。いくら腹ボテで片付けが追いつかなかったとは言え…。前の家では部屋からは直接見えない物陰にあったけれど、今度は白日の下にモロ見えであるから、こまめな掃除が期待されることだよ。


2010年08月03日(火) 湿気大魔神

 今日もまた、すごい暑さ。梅雨が開けたその日から殴りつけてくるような夏日だったけれど、あれはいま思えば、単細胞な斬り込み隊長だった。ここ数日は、不敵な笑みを浮かべながら、毛むくじゃらの湿気大魔神が幾何級数的に増殖しながら世界を包囲している。

 朝から乳マッサージ。何か甘いものを摂りすぎていないかな?と聞かれ、記憶をたぐり寄せた結果、梅シロップの水割りをがぶ飲みしたことを思い出した。いくら薄めても、いくら梅が体に良さそうでも、どろりとした砂糖水がベースだからなぁ…。

 ヒコが興味を持ったから、ということで、バーバが大きな日本地図を買ってくれた。トイレに貼ってあるので、しみじみ眺める。この「大きな」というのは、かなり大きなポイントだと感動。本の中の地図ではわからない距離感や関係性が伝わってくる。ある土地や町のことを考えるときに、実際にそこに立つことがとても大切だけれど、また違うスケールのことを考えるときには、地図を見ることになる。そう…地図を…「見る」しかないんだけど、しかし「見ている地図そのもの」が物質として大きいと、ほんの少しだけ「現地に立つ」感覚に近くなるというか、脳味噌だけでの処理に終わることなく、身体を使った「見る」になるような気がする。神の目の俯瞰状態から、地図の中に降り立てる、というか。

 とにかく「頭」だけにいろんなものごとを任せきりにするな、ということだ。


2010年08月02日(月) 実体ある湿気

 びっくりするほどの湿気。熊本で暮らしていたとき、夕方の湿気のものすごさにショックを受けたけど、それに匹敵するくらいの、長崎ではなかなかないレベルのものだった。熊本のは、ほんとうにすごい。自分のまわりを取り巻く湿気が、クッションくらいの実体を持って迫ってくるような感じで、呼吸する息が吐きにくくさえあった。目には見えないけれど、確実に実体のある「湿気マット」に体を簀巻きにされているような。そして夕方にドカーンと大粒の雨が降るのだけど、それが降ったからって、ぜんぜん爽やかにならなくて、いっそう湿気るという困ったさん。
 そう。熊本って、長崎と比べると、暑さも寒さも骨太だった。さすが火の国だ。暑さも寒さも、熱い。

 引っ越しに向けて、洗濯機を注文したり、ケーブルの手続きをしたり、電話の移転を申し込んだり…おお!具体的だ!いよいよ感があふれている!明日は、おそるおそる冷蔵庫を開けに行ってみようか…。まぁ、快適倉庫に預けていたから大丈夫だろうけど…。


2010年08月01日(日) 現れないと

 さて、8月。いよいよ今週は引っ越しだ。「1階に恐ろしい高さの荷物が積み上げられている」との情報にびびっていたが、昨日見たら予想&覚悟した量の3分の2だったし、積み上がっている箱の大部分が、かなりゆとりある箱詰めだと知っているので、ひと安心。あとは、ここからさらに捨てるべし捨てるべし、だ。前の家を立つときには洋服をぜんぜん捨てられなかったけど、だいぶ決心がついた。(と書いておこう)
 
 家。まだ仕上げる部分はあちこちあるけれど、ほぼ見えてきた。自分の身体との関係がつかめてきた。頭で考えても、紙の上で見ても、骨組みができても、やっぱりほんとのとこはわからない。家の「肉体」と「肌ざわり」が現れないと、わからない。もちろんそこに至るまでは想像でやっていくしかないんだけど、現れてみないとわからないことは、多々ある。

 そしてこれはたぶん、いろんなことに共通することなんだろう。

 それにしても、なんとも見たことない感じの、でも、かなり居心地よい家なのだ。作りも色も変わってるけど、でも、居心地のよい家なのだ。不思議だ。ほんの数ヶ月前まではこの世になかったのに。空間って…作れるんだな。


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