ぴんよろ日記
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2010年07月29日(木) ゴールテープ

 倉庫に保管していた家財を、新しい家に…結果としてはかなり強引に移す。結果としてはかなり強引に、ほんと、はたから見たらかなり強引な結果になったが、気持ちは前に進んだ。まだ目の前ではないけれど、ゴールテープが見えてきた。体はかなり疲れているが、心はふわり。

 荷物が運ばれているあいだ、倉庫の管理のおじさんと話し込む。知らない人があまり得意でないのだが、この人は不思議と話しやすかった。トランクルーム…奥深い世界だ…。でも、あまり明るいほうには奥深くならない。やはりそこに人がいないからだろうか。人がいない、いないぶんの人の形をした寂しさのようなものが、そこにある物たちによって浮かび上がっているという世界だ。

 いらないのに、捨てられもしない、という哀しさ。これが男女の仲であれば、最悪の状態ではなかろうか。


2010年07月28日(水) 狭い世間

 あっ。
 気付いたらまた日記を書きそびれている。
 赤んぼうがいるとき特有の、一日の時間の流れ。途方もなく長く感じるのに、気付いたら夜。

 ほぼ毎日、ちらりと家を見に行っている。今日はハンモックを吊るす金具の打ち合わせ。家を造ってくれてる人に相談したら、取引している金物屋さん…つまり我が家に使われている金具はそこからやってきているのだが…に相談してみましょうということになったのだが、名前を聞いてビックリ、小中学生の時の同級生の実家だった。近所だったから、子どもんとき遊びに行ったこともある。ということで、同級生のダンナさんに現場に来てもらう。世間は狭い。

 明日は、まだ工事中ではあるが、倉庫の荷物を運び込みに。8月に入ると倉庫代が発生するので。


2010年07月23日(金) こんなことを書くようになったら年配か

 水害の日。もう28年も前らしい。たしかに。私も小学6年生だったな。夕方「珈琲人町」に寄って「ここはどれくらい浸かったんでしょうね」って聞いたら「2mくらいだったそうです。年配の方が必ず言うんですよ。『ここは浸かるから危ない』って。」言われても困るだろうなぁ。でも水害の話をした自分もついに「年配」か?

 ヒコも保育園で水害の話をいろいろ聞いたらしい。先生の身内にも、亡くなった方や、土砂崩れの被害にあった方がいたようで、生々しい話を伝えてくれた。首まで埋まったけど翌日助けられた、とか…。私も聞いた話や、自分自身が体験したことを話した。こういう話への食いつきがいいヒコだ。そして「コンビニも流されたと?」って聞かれたので「コンビニ?ない。コンビニっていう店が、その時はなかった。携帯もなかったよ」と答えたことにかなり驚いていた。想像できないみたい。

 ほんと、コンビニも携帯もパソコンも、なかったんだ。書類のサイズだってA4になったのは、そんな昔じゃない。水もお茶も自動販売機では売ってなくて、ペットボトルだってなくて、売ってあったのは缶ジュースか缶コーヒーだった。ネクター、とか! ポカリスエットが発売されたとき、大人たちは怪訝な顔をした。他のものが100円だったのに120円だったのにも眉をひそめていた。「あんな薄いものでお金取るなんて」という感じ。お茶も水も、そのころはまだ、家の台所のものだったのだ。


2010年07月22日(木) 偉大なり

 どうやらダンナが会社で「私が永ちゃんにはまっている」と吹聴しているようで、ダンナの周辺でも筋金入りの永ちゃんファンが、本を貸してくださった。話を聞いて数時間後には渡されたという、その熱いスピーディさこそが「永ちゃんパワーだ!」と納得。しかもその本のたたずまいが「とても大切にされつつ、でも、流れた年月と読み込みによる貫禄は付いている」という、これまた永ちゃんとファンとの「絆」のようなものを感じさせてくれた。偉大なり、永ちゃん…。そして保育園の行き帰り、毎日聴いてしまってます、永ちゃん…。

 今日から帆船まつりだというのに、外に出る気がしない。自分だけならまだしも、赤んぼう連れて出るのは、まさしく殺人行為。今年は「海フェスタ」だったから仕方なかったんだろうけど、帆船まつりはやっぱり4月のほうがいいと思う。炎天下の埠頭でボーッとしたい人なんていないから。

 眠り続けるポン女史。

 引っ越しの日がだいぶ見えてきた…。


2010年07月21日(水) ピンク!

 ついに塗りはじめられた、家の外壁、バラガン・ピンク。「ここはメキシコじゃねえっ!」という声も聞こえてきそうな強烈さだった。塗ってくれてる職人さんが「目がチカチカするね〜」と冷静におっしゃっていたのが、事実の大きさを感じさせる。とはいえ、もちろん家の全体じゃないし、おいおい植物がかぶさってくるので、ショッキングなのは(きっと、たぶん)今だけである。
 住みはじめるかどうかは別にして、今月中には、倉庫に預けている荷物を搬入するということに決まった。ついに、ついに!

 夕方は、岡野さんと打ち合わせ。でも、いつもながらどんどん話が脱線していって、約1時間の会話の中で、何度も「で、何の話だったっけ?」と思い出しあう。

 あいかわらずの暴力的な暑さ。胸ぐらつかんで殴られているよう。


2010年07月19日(月) キジさん

 朝からはるちゃん(猫。黒茶まだら。雌2歳)が家を出たまま帰って来ず、夕方の雨にも帰って来ず、夜になっても帰らないので、探して回った。いったん家に戻って途方に暮れていたら、外で怒った猫の声がしたので、懐中電灯であっちピカピカ、こっちピカピカ。見つけたのはダンナで、裏の家の狭い隙間の奥でうなり声を上げていたらしい。手前には猫がいて、ケンカしていたのかと思いきや、はるちゃんが一方的に怒っていただけで、その猫はダンナが近づいたら「あ、それじゃ私はこれで、さようなら」という感じで去っていったとか。
 「どんな猫やった?」「あんまり大きくない、わりときれいな」「模様は?」「キジ」「やっぱり!」
 夕方、私が近所を探して歩いたとき、すらりとしたキジ猫がいたので「こんにちは。はるちゃんがいなくなったんだけど、知らない?黒と茶色のまだら。もしいたら、帰っておいでって言ってくれるかな」と、ハタから見たら「キ…?」と思われるくらい真剣に頼んでおいたのだ。きっと伝えてくれていたに違いない。ありがとう、キジさん。

 そんな不思議な終わりかたをした今日は、久しぶりにドライブ。波佐見のカフェにハンモックを買いに行った。


2010年07月17日(土) 感慨ゼロ

 トランクルームに預けている、前の部屋の荷物。エアコンや照明器具など、新しい家に取り付けるものを、取り出せれば取り出そうかな、と、初めて見に行ってみた。入れるときに立ち会う余裕がなかったので、ほんとうに初めての対面だ。引っ越しの日から、あまりにもいろんなことがあった3か月。「トランクルームのドアを開いて、懐かしい物たちを目にしたとたん、熱いものがこみ上げてきたりするのかも…」と思いきや、ひとつ目の部屋(荷物が多すぎて2部屋借りている)のドアを開けて、目についたのは「引っ越し作業が間に合わず猫の毛だらけの状態のまま運び込まれてしまっていた仕事椅子(毛を取ったからって、そもそも爪とぎ傷だらけ)」。お目当てのエアコンも照明器具もそこにはなく、パタンと閉めて、次の扉へ。こちらの部屋にほとんどのものがあるはずなので「こっちを開けたら感慨が押し寄せるのか…」と身構えて開いてみたら、視界いっぱいに段ボールが積み上げられていて、ひと目見ただけで「無理!こっから探すの無理!」とわかり、そのあまりの無理っぽさに、ダンナと2人して大笑い。心配していた感慨の目盛りはピクリともせず、むしろすべてが色あせて見えて、「ここにあるもの、ぜんぶ捨てちゃいたい!」とさえ思った。もともと整理が追いつかないままの引っ越しだったので「新居で荷ほどきしながらの不要品仕分け」は予定されていたのだが、こりゃかなり捨てることになりそうだ。少なくともトランクルームの「二部屋目」分くらいは軽く捨てるだろう。「人にはいらないものが多すぎる」ということの、高い授業料であった。

 家。私の本棚の背面のペンキ塗り。ほとんど本や棚に隠れてしまうし…と、思いきって真っ赤にしてみた。いまは塗りたてで全面見えてるので、すごいことになっている。ここに限らず全体的に「店?」と問われてもきっぱり否定はできない。でも「いかにも『マイホーム』な家や空間って、ほんとうに快適なのかな?」と、工事中で塗料の缶やコテや養生テープや作りかけの建具があふれているにもかかわらず、ついなごんでしまって立ち去りがたい我が家にたたずむにつけ思う。みんなでお昼ごはんを食べていると、そのまま宴会したくなってしまう。
 今日はほかにも、2階の壁塗りや洗面台のタイル、ベランダの塗装などが進んでいた。月末にはなんとか引っ越せそうな気配。もうひといきだ!


2010年07月16日(金) 生々しさと空々しさのあいだに

 蝉が本気鳴き。たぶん梅雨明けなんだろう。お昼のサンドイッチのおともにカップスープを作っていたら、勢いよくかき混ぜすぎて飛び出して、指をやけどした。
 何年かに一度、こうした小さいやけどをするたびに、原爆のやけどって、いったいどれくらい熱くて痛いものだったのかと思う。男か女かわからなくなるくらい焼けるって、それでも生きてるって、あるいは死んでしまうって、どれくらいのことなんだろう。
 原爆のことって、物心ついた時からあまりにも普通にありすぎて、ピンと来ないところがある。夏になったらニュースで増える話題…というような。そして大きすぎてまた、ピンと来ない。やけどのように。
 でも、このところいろいろ思うところあって、何らかのとらえどころがきっと見つかる時が来るような気もしてきた。直接体験した人の想像を絶する話や姿、あるいは、やみくもに汗だけかきながら「平和平和」と唱える…ことではなくて、いまを生きる人たちの生活や感覚の中で、ポツポツと足がかりになるようなこと…を、自分が何らかの形あるもので示せることもあるのかもしれない、まだぜんぜんわからないけれど、いま現在、原爆を語るときに付いてまわりがちな「生々しさ」と「空々しさ」のあいだに、なにか、なにかまだ、やりようがあるんじゃないか、と。

 昨日ついに、永ちゃんのCDを買った。矢沢永吉という人が同時代に生きていることについては、みんなもうちょっと真剣に、その「恵み」について自覚したほうがいいのかもしれない。まだ筋道立てては、うまく言えないのだけど、これまでちょっとだけバカにしてた感もある「永ちゃんががんばるから、オレもがんばれる」というようなことが、車の窓あけてガンガンに永ちゃんを聴いてると、「いや、それ、あるかも。よろしく!」っていう気持ちになるから不思議だ…。いや、これは、なんとも言いようがない。永ちゃんの音楽が好きかって聴かれたら、それはまた微妙なんだけど、聴いてるのは音楽のようで音楽じゃないっていうか、ほんともう、それは、永ちゃんが存在するってことの「恵み」の一環であり、恵みに触れるための何か、というような。音楽って、ひょっとしたらみんなそうなのかもしれないのだけど、とにかく不思議な感覚だ。


2010年07月14日(水) ヒマはないぞ!

 大粒、そして時々強烈なビートを刻みながら、早い朝の雨。急ぎの仕事があるので、おっぱいを機に起きる。夜中や早朝の授乳は、するほうも話を聞くほうも「大変」って思ったり言ったりしがちだけど、案外そうでもないし、目覚ましいらず、こういう時は便利だ。
 昨日は、家の配管などが、かなり進んでいたらしい。いよいよ近いぞ!2階に大きく取った窓の予想を超えた素晴らしさに、こうして大雨が降ったり風が強かったりすると「あそこからは今、どう見えるのかな…」と思ってしまう。どんな日もいいだろうな。そして楽しみなのは、トイレのドア。作ってもらうことになったので、アンティークのステンドグラスを買ってはめてもらうことにしたのだ。ずっと前に、古道具屋さんで見て好きだったもの。「そういえば…」と思って行ってみたら、一枚だけ残っていたので、ちょっとだけ贅沢してみた。
 洗面所の鏡もそのお店で買った。「古道具屋さん」と書いたが、メインは「古着」屋さんだ( http://freestrain.ocnk.net/)。着るものにあまり興味がない私には古道具屋さんなのだが、私よりちょっと若いくらいの(たぶん…)お兄さんが熱心にやっている。景気が悪いとか就職がないとか文句をいう人はいくらでもいるけれど、長崎の街をちょっと歩いただけでも、ちゃんと自分の世界を自分の手と足と頭で作ってる人がいる。人をうらやんだり、社会のせいにしてブーたれているヒマは、人生にはないと思う。
 (実は『私と同年代の男たちが、全国各地でしょっちゅうわけのわからん身勝手な理由の人殺しをしているので情けない』という話)


2010年07月13日(火) 漕ぐ。

 なんだかんだとありつつも、できるだけ積極的に休み中(いちおう高齢出産後だし)。いつもの自分にはないレベルで、あえて昼寝に引きずり込まれたり、無理してしそうなことをしなかったり。すると、そのぶん「この期間を抜けたらやりたいこと」がひたひたと浮かび上がってくる。
 新しい家のことを思うと、自分があそこに住むことになったのには、ひょっとしたら私も最後まで気付かない理由みたいなものがあるのかもしれないとさえ思う(たとえば…人柱のようなものになってるとか)。前の家に住めなくなって、あちこち住むところを探して、家を建てることになって、結局ここに落ち着いたけれど、その中での自分の意志のパーセンテージは極めて低い。大きな流れの中で必死にボートを漕いでる感じ。「なんとかボートをひっくり返さない」「ちょっとした漕ぎかたの工夫」「目の前にある複数の小さい流れのどれに突っ込むかを選ぶ」ことはできるけれど、大きな流れは抜け出しようがないし、自分というボートも、当面は取り替えがきかない。ということで、生きるという川の、現在急流まっただ中。休んでるけど。(…って書いてたら、急ぎの仕事が。これだからおもしろい。)


2010年07月11日(日) 空、増量。

 今日も壁塗り。とはいえ、私はポン女史がいるので、ほとんど作業ができない。今回の家づくりでかなり心残りな部分だ。この情熱は住みながら活かそう。雨が降ると言いながら、結局あまり降らなかった。風は強かった。夕方、ガレージになるところに立っていると、雲のかたまりがどんどん流れていく。まえ住んでいたところよりも、空の広がりが大きい。毎日この空を眺めて暮らすんだなぁ、と思う。

 たくましいアジサイが、あちこちでたわわ。花に「たわわ」っていうのは変だけど、大振りなアジサイには、たわわ、って言いたくなる。アジサイを見るといつも思い出すのは、いま住んでいる実家の近くの道沿いにあった家の、道ゆく人や車に対して惜しみなく咲き誇っていた、おじいさんのアジサイ。どうして「おじいさんの」かというと、妹が病院の待合室で一緒になったおじいさんに「近所にアジサイのきれいな家があるんです」と話したら「それはうちです!」と。その家も、もうない。…って、なんだか岡野さんの漫画みたいだな。
 でも、ヒコといるときに、街のあちこちで「ここは、かあさんが小さいころはこんなだったよ」と話していると、街って、ほんとうに変わっていくのだな、と思う。何年も何十年もかけてそれがわかることが、街で暮らすということなのだろうし。だからこそ(というのは少し強引かもしれないけれど)、昔と今は、ぜんぜん途切れていないと思う。変わっていくものだからこそ、途切れないのだ。均質な時代や街が、ある日、あるきっかけでスパッと違うものに変わるなんてことはない(終戦だって、そうではなかったと思う)。ムニョムニョとグラデーションにまみれたものがうごめきながら、いつしか変容していく。すべてのものの成り立ちは、もっと複雑で、割り切れなくて、あらゆる要素が混じりあっているはず。…という感じで、でも、空を眺める分量を今までよりももっと増やして、あの家で、いろんなことを考えていくのだろう。


2010年07月10日(土) 2,5軒目

 家の壁塗り。私もポン女史をスリングに入れて、パテ埋めなどする。こういう作業って好きだ。最初のおぼつかなさから、自分なりの法則を見つけて追求し、あるとき、手がスッとコツをつかんでステップアップ…そんな道行きが楽しい。そして現場で聞くラジオの音!これがたまらなくいい。遠くのほうで、大きい音で鳴ってる現場のラジオ。時報がわりの「スジャータ」のCMに「えっ、もう1時間経ったのか…」と、自分の集中具合にあきれたりして。
 まだまだ「部屋」じゃなくて「現場」な我が家だけど、長い時間いたのは初めてだ。そして、予想をはるかに超えて、いい家になりそう。「現場」なのに、うっかりするとなごんでしまう。一段高くした畳スペースが最高で、ほとんど飲み屋の「小上がり」だけど、広さも眺めも絶妙だった。「家は3軒建てないと納得いくものができない」なんて言うけれど、それはきっと、特に一軒目は漠然と「普通の家」を建てがちだからなのだろう。でも人はそれぞれに違う性格と生活と価値観があり、必要な空間も違う。私はもう、自分のそれをある程度判断できる段階で建てたし、なにより不要な物欲や見栄を持たないので、たぶん「初めてにして2,5軒目」くらいのレベルの満足度なんだと思う。はやく住みた〜い!「小上がり」でぼんやりしたーい!


2010年07月08日(木) 流れ

 仕事を断ってしまった。15年ほど前から今のような生活を始めて以来、「仕事を断る」ということを、まず、してこなかったし(記憶をたどっても、片手に余る…というより、たった1度しか思い出せない)、「どう無理したって無理!」という仕事の話は来たことがなかった。なんとかどうにか綱渡りでやってきた。でも今日の話は「3ヶ月後くらいに、県内(離島含む)にあちこち行かなくてはならなくなるかもしれない取材」だったので、さすが「できます」とは答えられなかった。
 しかしこれには驚いた。
 というのも今朝、もちろんこの電話がかかってくる前、ヒコを送りながら「いままではすべてが『千にひとつの無駄も無し』でやってきたし、事実、そうだったけど、これからはやむなく仕事を断ることも出てくるだろう。それは…こういう意識が頭をもたげてきたということは…もっと濃い仕事をしていくために必要なこととして『仕事を断る』ことが現れてくるのだろう」と考えたばかりだったからだ。「スピリチュアル界」ではむしろ「常識的」な現象であろうが、自分の身に起こってみると、やはり不思議な気持ちになる。そういえば昨日は昨日で、すでに受けていた仕事について「私がやるべきことが、これくらいの守備範囲と分量になるといいのだけど…」と思っていたのが、実際にそうなった。
 だからといって「スピリチュアル界」の人だと思われても困るし、仕事の依頼はよろしくお願いします、なのだが、自分の身や心の「流れ」には気を遣っていかなければ、と思う。


2010年07月06日(火) すべては

 今日は晴れると聞いていたが、起きてみたらまたもや霧の中。まぁしかし、こればかりはいかんともしがたいものであるから、舞い込んできた急ぎの仕事などしよう。
 昨日の夜中には、うまくゲップができなかったポン女史がドカーーーーン!と乳を吐いた。過去何回分なのかわからないけど、かなり大量だった。服やシーツはもちろん、パンツまでしみていて、ここまでくるともう、ゲロがどうのこうのというよりも、自分からこんなに大量の乳が出ていたのか…と感無量。そりゃ痩せるわ…。そして、私が着替えている間にダンナが寝かしつけたので、次の乳までそのまま眠ったが、「素」がぜんぶ出ていたからか、いつもはタプタプなはずのおむつがぜんぜん濡れていなかった。それもまた納得。すべては乳から摂ってるんだなぁ…。


2010年07月05日(月) カンファタブル

 おとといから昨日にかけて、永ちゃんの「成りあがり」と「アー・ユー・ハッピー?」を立てつづけに読む。ヒコが将来「本読み」になる可能性は今のところ薄いが、これは彼の本立て(本棚は形成されないかも…)に忍ばせておこう。そして永ちゃん言うところの「カンファタブル」の積み重ねを、私も実践していこう。これまでも漠然とはそうしてきたけれど、もっときっちり「キメて」いくのだ!

 久しぶりの晴れ間と、湿っていない空気。ありがたや!猫もベランダでごろり。


2010年07月04日(日) 梅雨の日々の中で

 ふと気付くと、日が経っている。そういう中でも、たまたま見たテレビの中のひとことなどが、ひっかかって離れないことがある。

 帰ってきたばかりの岡田監督のインタビュー。「相変わらず、マスコミの評判は気にされませんか?」という質問。「世界で闘ったことのない人が言うことは聞きません」…す、すばらしい。

 さて、ポン女史に乳でも…というときに、沖縄戦についての番組が始まってしまった。当時赤ちゃんだった弟を亡くしたおばあさんの証言。たくさんの人が身をひそめる狭い洞窟の中で、赤ちゃんがむずがった。いらつく空気。日本兵が地元の義勇軍の青年に殺せと命じたけれど、青年はできなかった。その青年を、日本兵がリンチしだした。赤ちゃんの母親は、おっぱいに赤ちゃんをおしつけて窒息させた…。
 おっぱいの時間に、いちばん聞きたくない話ナンバーワンであろう。その後しばらく、おっぱいのたびにつらくなった。赤ちゃんが一番うれしいもので、赤ちゃんを殺さなくてはならないなんて、お母さんも赤ちゃんも、どんな気持ちだったろう。…うう…いま書きながらでも涙が…。でも、その時のお母さんにとっては、それが、最悪の、だけど最高の選択だったのだ。目の前で、他人に殺されるよりは、自分の胸の中で、せめて最後におっぱいを。…うう…ダメだ…かわいそうすぎる…。

 毎日、あまりに梅雨らしい梅雨。今日は深い深い霧。でもなぜか永ちゃんの「成りあがり」を読んでいて、気持ちは爽快。


2010年07月01日(木) おかあちゃんとしてなら

 おぉ!7月!

 朝から乳マッサージに行き、浜の町周辺でいろいろな用事をこなす。10月にアミュで展示されるという写真展にも応募してきた。一片の家族の風景。私が撮る写真にしては珍しく、なーんにも考えず、そして、かけがえのない一瞬(自分のシャッターチャンスの弱さには、年に何度も絶望する)を撮ることができた。他にも10枚くらい候補があって、お店の人とも相談したけれど、私もお店の人も、結局はそれを選んだ。
 写真…日々いろんな写真を撮っているけれど、その大半は写真そのものが目的ではなく「その場所やその瞬間に感じたり考えたことを思い出すためのメモ」としてが多い。だからなんとなく、写真、というものに対して、ほのかな後ろめたさがある。「写真の人」は、ちょっとまわりを見渡してみても、ほんとにもう、プロアマを問わず「写真の人」に生まれついていて、私はというと、全然そうじゃない。本に載せたりしてはいるけれど、それは自分の文章を補うのに手っ取り早いという理由が大きいからであって、それだけで勝負できない「いさぎわるさ」や不足感が漂っている。なんか理屈っぽくてもどかしい。しかし「おかあちゃん」としてなら、私にしか撮れないものもあるわけで、今日応募したのはそういう写真だった。妙な話、自分も一応、人間だったんだな、と思わせてもらった。だから、そういう意味も含めて、写っている3人に感謝した。


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