ぴんよろ日記
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2010年06月28日(月) 知りもしなかったのに

 久しぶりに立ち読み。買おうと思っていた本を2冊買うために行ったのだが、結局それは買わず、違う本を2冊買った。これぞ立ち読みの醍醐味。「本屋さんに入るまではその存在を知りもしなかったのに、買わずにおれなかった本」と出会うことこそが。

 出産前から依頼されていた、大きなボリュームの仕事をそろそろやらなくては。とにかく量が多い。家ができるまでには、ひとまずの目処をつけたい。

 朝からちらっと家を見に行ったら、仕事部屋のガラスブロックの窓ができていた。遠目に見ただけだけど、いい感じだった。ふふふ…。


2010年06月26日(土) いい意味でのまとも

 サッカー。ポンちゃんに乳をやったついでに見てみようかと思ったけど、3時と6時に起こされたので、起きたら終わっていた。ダンナとジージが2人して観るの図、だったようだ。
 サッカー。よくわからないけど、ニュースで見るかぎりの選手の顔が、ひと昔前のそれと全然違ってるのはわかる。「いい顔してますねぇ」っていう言い方って嫌いなんだけど、まぁ、そんな感じ。いい顔、っていうか、(悲しいかな少なくなってしまった)まともな顔。さらにはイヤな意味での「オレオレ感」もあまり漂ってない。いい意味での「みんな」を感じさせる。…と、こういうことを考えるときに、いちいち「いい意味での」「イヤな意味での」ということを断らなくてはならない気がしてしまうところが、今の日本のダメなとこなのか。でも、悪いことばっかりじゃない、悪くなっていくばかりじゃない、ひとりが努力したってムダ、ってわけじゃない、ほんとはそっからしか始まらない…というようなことが、いくらかの人たちの心の中にポツリと種火のように灯ったのであれば、いいのかもしれない。

 ポンちゃん…あまりに「どすこい!」な顔になってしまっている。「野球賭博しよらんやろうね…」と声をかけられる始末。そして付いた渾名が「琴岬」…。ごめん。


2010年06月24日(木) 継ぎ目なし

 終日1〜2〜3時間おきに乳をやりながら、仕事したり本読んだり買いものに行ったりごはんを食べたり赤ん坊抱っこして揺らしたりしていると、「一日」という単位がだんだん崩れてきて、シームレスっていうか、ノンリニアっていうか、あれ?いつから今日だっけ?いつの間におとといは済んでしまったの?というような時間の流れかたになってしまっているような気がする。基本はいつも赤ん坊がいて、その人が、今日ヒコの母子手帳を見てみたら、同じ時期のヒコよりも1キロ重かった。首が据わっていないグニャグニャさんが1キロ重いというのは、そりゃ背中も凝るわなぁ。よく寝てくれるから助かるとは言っても。

 そんな中、久しぶりに髪を切った。いつものお兄さんとこで。特にどうしたいっていう方針はないままに、量を減らしてもらう。iPadは必要か?というような話をしながら。結論としては、私には必要なし…。iPadも、たぶんツイッターの大きな部分も、それらに似合う「移動」が発生している人たちのものじゃないかなーという気がしている。「移動の他に何もすることができない」不自由さと、その中での行動の自由さがある人たちのための。iPodも全然聞けない生活スタイルなのに、iPadを活用できるとは到底思えない…。


2010年06月21日(月) 来てる来てる

 一ヶ月検診。
 ポン女史の成長が著し…過ぎ?という指摘はなきにしもあらずだったが、母子ともに、特に問題なし。普通の生活に戻って良いとは言われたものの、年相応にはくたびれているので、のんびりしたい…が、やるべき仕事も、じっとこちらをうかがっている。
 「町家」でごはんを食べて、こまごました買いものなど。「町家」では、いつもならごはん1杯でお腹いっぱいになるのに、2杯が軽く入っていった。来てる来てる、哺乳類。


2010年06月19日(土) 「運動」した。

 一ヶ月ぶりに風呂に入った。
 …と書くと、すごく異臭がしそうだけど、もちろんシャワーは毎日使っていて、湯船に入るのが一ヶ月ぶりだった、ということだ。ヒコの時は秋がどんどん進んでいく時期だったので寒かったけど、今回はさほどつらくもなかった。
 それにしても、お湯に入る、ということは、普段は意識しないけれど、思っているよりも大きな作用があると思う。強い温泉では、それがわかりやすいけど、普段のお風呂だって充分、インパクト強し、だ。お湯に入る、というか、身体をあたたかい水に浸す、というか。水というものが持っている力が、しみじみと身体を包み、入ってきて、たとえば疲れを押し出してくれるし、力を与えてくれたりもする。「お風呂って、こんなにすごいもんだったんだー」と、あらためて思った。断食のあとのごはんの味が、ビシバシ伝わってくるようなものかもしれない。そして同時に、お風呂というものが一種の「運動」であるということも、強く実感した。そういえば切迫流産しかかったとき、何日もお風呂に入る気がしなかったことを思い出した。汚いとかそういうこと以前に、弱った身体には大きすぎる「運動量」だったのだ。


2010年06月18日(金) ちょっとお話を…

 版画ついでに、ヒコのウケを狙って仮面ライダーのスタンプを彫る。なかなかの出来だけど、ちょっと骸骨にも見える。ま、いいでしょう。これって、これを押したものをフリマで売ったりしたら密告されたりするんだろうか。そしてある日、背広を着た2人組の男がやってきて「ちょっとお話を伺いたいのですが、いえいえ、そのままで…」なんて言われたりするんだろうか。
 でも、こないだテレビで、アメリカの「映画」は、国を代表する「産業」のひとつだから、公開前の映画のことを、特に外国に漏らしてしまうとFBIがつかまえにきて、国外追放されたりするって言ってた。仮面ライダーのスタンプもヤバいぞ!

 梅雨らしいジメジメ。版画を刷る紙がモヨモヨするのでやりにくい。バレンのすべりもすこぶる悪い。そんな日でも、元気に乳を飲み、眠りまくるポンちゃん。昨日の乳マッサージの時に体重を計ったら、なんと4200gを超えていた。重いはずだ…。「あぶらぢち」はだいぶ改善されたらしいが、今度は過剰供給に悩まされている。先生から「ほんとだ…すごいたまってて、奥まで手が入らない…。抜いとこ〜」と言われてしまった。


2010年06月17日(木) 岬。

 今日で4週間。4週間前の今ごろは…痛かった…。
 新生児って、造形的にはかなりブサイクで、どっちかというとハゲデブなオッサンに形も(そして匂いも!)近いのに、どうして可愛く思えるのだろうか。時々「関取!」と呼んでしまうポンちゃんも、そんな「オッサン」のひとりだが、果てしなく可愛い。それだけに、交通事故で「生後一ヶ月の女の子」が死んでしまったというニュースに、ものすごく落ち込んだ。赤ん坊は助手席。チャイルドシートに乗せずに、母親が運転していたらしい。この場合、母親を責めるのはとても簡単だけど、まわりの人は、せめて今は、どうか責めないでやってほしいと思う。

 今日は版画を作る。次号の「樂」のためのもの。文章は、産む前の日に書き上げた。長崎で、昔も今も一番メジャーな通りについての考察。タイトルは「岬をめざすもの」。そして、ポンちゃんの名前は…岬。その時期にその文章を書くことは、スケジュール的にわかっていたのだけど、それにしても、生まれる前の日に書き上がるとは…と、めぐり合わせを思う。


2010年06月16日(水) むらさきの、飲まれる、

 徐々に外に出ている母子。市役所で書類を取っていたら、私の中では史上最高に長いメールが、佐世保のNさんより届いた。なんでも、山火事寸前のボヤさわぎを起こしたという…。すごすぎる。それって、規模としては立派な火事では???そばにあったプラスチックは溶けたけど、肌は日焼け程度だったとか、身を挺した人体実験???しかもそれを消している間、生きているという実感が満ちあふれたという、ワイドショー的倫理観では絶対アウトな感想も添えてあった。でも、そうだろうなぁ。私もメールの途中で「大変だ〜」から「楽しそう…」に変わったもの。

 産んで初めて、カフェ平井へ。やっとポンちゃんを見せられた。何も考えず平井に行けるかどうかが、私の「普通の生活」基準なので(出産!とまでは行かなくても、ものすごく忙しかったりすると行けなくなる)、あ〜、ようやく戻ってきたか〜、と、しみじみ、紫蘇ジュースを飲む。そういえば昨日、ヒコが保育園で紫蘇ジュースを仕込んだらしく、「むらさきの、飲まれる、葉っぱばね、ジュースにしたと。それ、なん(何)?」と聞くので、一瞬わかんなかったけど、「あ!紫蘇だね!母さんも作ったことあるよ」って言ったら、話が通じたうれしさでニッコリしていた。いいなぁ「むらさきの、飲まれる葉っぱ」。そうだよねー、ほんと、そうだよねー。紫蘇って言うより、よっぽど紫蘇だね。言葉は、いつも少しだけ、そのものを取り逃がしているのだね…。
 


2010年06月12日(土) まだ読んでない

 まだ、本を読んでいない。ポンちゃんを産んで、まだ本を読んでいない。料理の本とか、家に関する本をパラパラと眺めることはあったし、新聞も、これまたパラリと読まなくはないが、意識的な「読書」は、まだしていない。一度読み出してしまうと、もう、このあとはよほどのことがないかぎり、長いあいだ本を読まない状態に身を置くことが(下手したら死ぬまで)ないかもしれないから、なかば楽しみつつ「産後は眼を使うな」と自分に言ってきた。でももう、出産から3週間以上も経って、体もだいぶ戻ってきてしまい、骨盤ベルトやマタニティズボンにもわずらわしさを覚えてきてしまうと、頭のほうも「そろそろまとまった量の字を注入してくれませんか」ということに、自然となってしまってきたようだ。

 おなじ時期、本も読まなかったが、なるべく、いつもよりはパソコンにも向かわないようにした。そして手でメモをした。はじめは断片的な言葉しか書きとめられなくて、手書き能力の低下に愕然としたのだが、そのうち、書ける文章の「息継ぎ」が長くなってきた。だからといって、すべての文章を「まずは一度手で書いてから」にシフトするほど「人物」ではないのだが、少なくとも、思いついたものを手で書いておくことくらいはしていこう。

 梅雨入りしたらしい。その湿気を食べものに、もりもりと横溢している植物たち。生ぬるい風。これだけでも、この町での住み甲斐があるというものだ。


2010年06月10日(木) つかの間の

 3週間経った。早いのか遅いのか、よくわからないけれど、とにかく3週間だ。バスに乗って乳マッサージへ。まだまだ「産前脂食い」の尻拭いをしているようで、本日もベタベタの乳がドロドロと…。でも、また一段階軽くなった。夕方はついに初運転してヒコを迎えに。思ってたよりぜんぜん平気だった。まさか私が来るとは思ってみなかったみたいで、びっくりしてたヒコ。家に帰るまでのあいだ、つかの間のデートだった。なんとなく、話に花が咲いた。


2010年06月09日(水) わずらわしく感じたら

 床上げというものをしてみた。そしたら急ぎの仕事が2つも3つも…。こういう時、誰か見てんじゃない!?と思いつつ、今回はそういう人生なのであるから、粛々と仕事するのである。
 そして朝っぱらから、大きなムカデが出現。恐怖におののく。夜は夜で、部屋の中にトカゲがいたのだが、ダンナが外に出そうとすると、背中に「猫の爪のようなもの」が刺さっているうえ、かなり衰弱していた模様。誰だ…もちろんはるちゃんに決まっている。草木が多い実家に越してから、毎日、虫に眼をぎらつかせているはるちゃん。もう何匹も死の淵に追い込んだはるちゃん。近所のノラ猫が時々エサをねらいにやってくるのだが、その時も果敢にうなり声を上げているのは、はるちゃん。もぎくんは、黙ってしっぽを膨らませるだけだ。
 家の中では骨盤ベルトをしなくても平気になった。ベルトを取る目安として挙げられていた「付けているのがわずらわしく感じたら」というのって、一見、無責任に見えるけど、ほんとだ。痛い時や違和感があるときは、多少わずらわしくても付けていたいものだ。そういう感覚って、頼りになると思う。今だって「家の中ではわずらわしいけど、外には付けていこう」と思うし、それがきっと、もっと良くなれば「外でももういいや〜」と、自然に思うんだと思う。


2010年06月08日(火) セルフ孫の意外な難点

 最近のヒコ、世界のほとんどすべてが仮面ライダー。行動や言動も、カレンダーさえも(テレビの新しい回まで、あるいは、映画の公開まで「あと何回寝たら」というのが、進行の基準)、すべてが仮面ライダー。まぁ、それだけ好きなものがあるというのは良きこと哉。

 ポンちゃんがあまりに乳を飲むので、ついに来たかもしれない「食べたごはんが異次元に吸い込まれていくよ〜う」感。たまらず夜中に豆乳をあっためて飲んだりしている。私の身体は、いったいどこまでが私のものなのであろうか。うっかりしてたら、数百グラム単位で、日々体重が落ちてきたので、ごはんの量を増やさなくては。ヒコの時は42キロまで落ちたからなぁ…。さすがにあのころは自分が風にもよろめきそうだった。

 40で赤ん坊を産むってことには、いいことも悪いこともいろいろあるが、思ってもみなかったことがひとつ。どうやらひょっとしたら、ごく軽くはあるし、日常生活にはぜんぜん支障がないんだけど、「近くのものが見えにくくなる」眼の状態になっているようで、ポンちゃんの小さくてかわいい顔を近くで見続けられないという難点が!もっと近くで見たいのに、ピントが!
 でも、若い時だったら、ここまでかわいくて、ずっと見ていたいと思えなかったかもしれないので、これもまた、良きこと哉。だって、結婚と出産がすごく早い人ばっかりの家系だったら…お母さんと娘が、それぞれ19歳と20歳で産んでたら、ちょうど孫だもん!セルフ孫!


2010年06月05日(土) もちまきのつぶやき

 じつはポツポツとツイッターをしていたりするが、通勤とか通学とか移動時間とか、そういう都会的・社会的な隙間の時間がないので、いまひとつこの日記との差別化がはかれないような、やっぱり違うような…まぁしかし、とても短く書く、という大前提があるので、考えのとっかかりのようなものを自分の中だけで閉じないでメモできるのは便利だな、と思う。
 そして今日、家の上棟式だった。これについての「つぶやき」。

上棟式、晴れました。やって良かったな、と思うことはいろいろあるけど、五色の吹き流しが青空にひるがえっているのがきれいで、それだけで新しい気持ちになりました。やっぱり、こういうことには意味があるのです。意味なんてないよ、というようなレベルの「意味」を超えた意味が。

 ツイッターに書いたことをコピーペーストしてどうすんだ、とも思うが、今日の感想は、これに尽きるなぁ。餅もたくさんまいた。来てくださった方、ありがとうございます。

 意味がない、って言って、なんでも切り捨てる人、やだ。それって、突き詰めていったら、生きてること自体が無駄で意味のないものになってしまう。

 家…。2階から、思っていたよりも八郎岳の山並みが見えることがわかってうれしかった。前に住んでいた部屋からも見えていて、そういえば、わりとそこに意識を飛ばして考えごとをすることが多かったのだ。彦山とか稲佐山とか、そういうわかりやすく個性的な山よりも、ほわーっと気持ちを受け止めてくれているような存在。またお世話になります。


2010年06月04日(金) 時間をかける

 朝、赤ん坊をずーっと眺めていたら、やってみたい新しいことを思いついたので、「産休」が終わったら、形にしていこうと思う。何日か前にグッと来たことば。「時間のかかることを、時間をかけてやっていきたい」そうだよなー。なにかを形にするには、それに必要な時間がかかる。すばやく作ることを要求するものもあれば、じっくり編み上げていくタイプのものもある。生まれ出でようとしているものが持っているスピードと性質に合わせた時間を、こっちの都合に合わせるんじゃなくて、ちゃんとかけていくことが大切なはずだ。赤ん坊だって、1週間じゃ首は座らない。


2010年06月03日(木) 臆せずたゆまず

 3回目の乳マッサージ。「あぶらぢち」がだいぶ取れたようで、体も軽くなった。
 ポンちゃんは日に日にプクプクして、表情も増えている。
 赤ん坊は、目に見えて、毎日変わっていく。
 でも、本当は大人だって、こんなふうに変わっているのだと思う。生きてる日数の分母が大きいから、つい小さいものだと思ってしまうけれど、本当は毎日毎日、赤ん坊がひとつずつ新しい表情を獲得するのとおなじように変わっていけてるのだ。だから毎日を臆せずたゆまず、どんどん生きていけばいいのだ。


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