ぴんよろ日記
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2010年05月30日(日) あぶらぢち

 2度目の乳マッサージ。マズそうな乳をどっさりしぼってもらう。

 「ちなみに、出産前に食べてたものって、どのくらい前までさかのぼって影響しますか」
 「3ヶ月かな!」
 「!!!」

 そして、我が「揚げ物妊婦生活」を告白。

 「あー、なるほど。こないだも今日も、おっぱい、ベッタベタだもんねー」

 やっぱりあの揚げ物度は高すぎたな…。という話を迎えにきてくれたダンナにしたら、コッテリ好きのダンナでさえ、私の揚げ物&脂生活に付き合うのは飽きていたらしいという驚愕の事実も判明した。「あぶらぢち」が抜けてしまうのに、ひと月くらいかかるらしい。しくしく。まぁしかし、自分が食べさせた責任を取っているのか、それとも「脂星」からやってきたので、腹の中でもどこでも脂を摂取したいのか、飲んで飲んで飲みまくるポンコさん。しかしこの場合、感謝すべきなのかどうなのか…。


2010年05月29日(土) たまに書くとつらつらと

 ここ数日は、乳関係を中心に、体調がかなり低迷していたが、自他の力を総動員していろいろ調整してかなり持ち直した朝だ。今回また深く実感したことは「少々の痛みは息のしかたで治る」ってことであった。

 それにしてもポンコさん(さすがにそんな名前じゃないが、いまだにそう呼んでしまう)の乳能力の高さには恐れ入る。そしてすごく助かっている。乳関係のことも、ある程度のラインまでは、とにかく飲んでもらえれば解決するので。(出過ぎる人の場合)

 そう。世間的にクローズアップされる乳関係の悩みは「出ない」ことだが、出過ぎる人もまた、この世には存在する。現に、ここに。そして「詰まりやすい」と来れば、これまたなかなかつらいもんである。
 「過剰で詰まりやすい」…って、それ、そのまんま、自分の思考回路みたいだ、と気付いて苦笑いだった。

 最近読んでる蝶々さんのブログより。

 だいたい…
どんな時代であっても、たとえ天変地異がきても、2012年とか騒ぐ人いても、
現在の延長戦とか自分の日々強化でしか、
変わるも変わらないも、生きるも死ぬも、光も闇もないと思うけれど。

何事にかぎらず、恐れのほうに自らぐいぐい寄ってって、
固まったりセンサーゆがめてしまうのは、
ナンセンスすぎて、ほんと毛がぬけそうになる。

 まったくだー。

 そして内田先生のブログの「それ」に関する話にも、深く頷いた。

http://blog.tatsuru.com/2010/05/28_1008.php


 もうそろそろ、いろんな問題を自分の好きなようにゆがめて取り扱うのは、やめたらいいのに。産後ちゃんなので疲れるから、世の中に関してはとても限られた時間と分量の情報しか見たり聞いたりしないけど、だいたいが「そんなことでワーワーゆうても」「そんなふうに思うのがお好きなのね」というようなものばっかりだ。

 でも、宮崎の牛たちが、死ぬためだけにじっとしているのは、考えるだにつらすぎる。時と場合によっては神さまでもある牛たちよ…。今回のことが「日向の国」で起こったというのが、考えさせられる。牛…牛頭天王…スサノオ…。悪いことを「警鐘なのでしょうか!」と言い立てるのは趣味じゃないが、日向の国でスサノオが怒ってる…ような気もする。




2010年05月26日(水) なぜにまた!

 5月20日、ようやく娘を産み、昨日、退院。日記に書きたいこともたらふくあるが、まだ長く座ってられないので、寝床でメモを取りつつ、一回やすみ。
 ひとつ、とってもわかったことは、とにもかくにも、「一人目の出産」というものは強烈な体験だったのだな…ということ。

 もうひとつの「産みの苦しみ」を味わった2本の番組が、なんとまぁ、コンクールでWグランプリを取ったという知らせが届いた。うれしーい!が、人生の中でもかなり珍しいハイレベルの「飲めない」時に…。そういえば「太鼓山の夏」が授賞した時も、ヒコを産んだばかりだった…。どこの神さまか知りませんが、祝わせてくれ〜!


2010年05月19日(水) 23世紀には

 赤ん坊を産むときには、自分が産まれた土地のほうに顔を向けるといい。
 
 らしい。

 「合理的現代人」ならとっさに湧き出てくるであろう「なぜ?」「どうして?」「どんなふうにいいの?」はさておいて、このことは「土地と人」を考えるときに、時々立ち返ってみるべきことだという気がする。そして丁寧に検証していけば、ひょっとしたらとても細やかで正確な数式で表されるようなことかもしれない。23世紀ごろに証明されるような。

 夜中、ものすごい雨と雷。そして2度ほど、お腹の張り。しかし起きてみたら、相変わらず。昨日よりは少々きついかな、という感じではあるが。

 明日のことはもちろん、夕飯のことを聞かれても「産まれてなければ…」としか言いようがない日々。ある意味、自由。そして本来的かも、と思う。「運命は100%決まっているけれど、同時に100%自由」と言われることが、すこーしだけ実感される。

 外は深い霧。

 前住んでいたところよりも、圧倒的に木々の気配が近い。窓からも、すぐ前の水源地の桜の木が見える。青々とした葉っぱ。その一枚一枚についた水滴。こういうものをいつも目や耳に入れ、肌で感じることが、本当はとても必要なことなんだ…と、わかる。目の前にあって初めて。そうじゃないところから移ってきて、あらためて。でも、人間の良くないところは、そうじゃなくても、頭で納得させてしまえるところ。身体を、一時的には頭で制御できてしまうところ。そっちのほうが偉かったり、カッコいいと思ってしまうところ。


2010年05月18日(火) 大丸前で!

 昨日一日家にのんびりしていたら、もはや恒例となっていたはずの「陣痛開始かと見まごう早朝の腹の張り」すらもなく、猫たちの騒動で起床。こりゃー、今日は歩かないと。「遅ればせながらの産休」と称してのんびりできるのはうれしいけれど、ポンコさんが育ちすぎてきつくなっちゃうのもどうかと思われるし。でも、雨が降り出してきた。

 「2人目は早い」って言うけど、つまりは2人目だとつい動いてしまうから、それで早くなっちゃうというのもあるのかと思う。結局はそれぞれのケースが、それぞれの実情だ。「一般的」なことなんて、自分が違ってたら、もう違うのだ。昨日はダンナの同僚に2人目が産まれたそうな。予定日より10日遅れで!それもなんだかなぁ!

 麻婆豆腐でも食べに行こうかな。

 またひとつ「産休貯金」しようと思って、次の「樂」の原稿を書いてたら、いささか世界に入り込みすぎたので、麻婆豆腐を食べに出る。人町でカフェオレを飲んで、コーヒー豆を買って、ヒコの枕カバーのために仮面ライダーの布を買っていたら、佐世保のHさんより電話。「甲野先生がいま、長崎にいらっしゃいますよ〜。浜の町あたりじゃないかなー。お会いできるんだったら連絡しましょうか?」えええええ!昨日まで長崎におられるのは知っていたし、土曜日の福岡の講演会と日曜日の佐世保の講習会は、さすがに泣く泣く断念していたというのに、今日の今、長崎にですか!そして私、浜の町におるんですけどっ!
 そしてあれよあれよと10分後、甲野先生ご一行さまを、長崎のコテコテの待ち合わせスポット「大丸前」で待つことに。ちょっとニュアンスは違うけど「甲野先生と大丸前で待ち合わせ」である。クラクラ…。
 浜の町から栄町の駐車場までをご一緒させてもらい、時々お話もして、講演会に向かわれる先生を見送った。我が妊婦人生に一分の悔いもなし!ポンコちゃん、あなたやっぱり、すごいです!


2010年05月17日(月) 確変とリーチ

 さて、予定日。
 今朝の痛みは5時に来た。そしてまた「空振り」。なんかもう、よくわかんないので、料理をしたり、連載の原稿の次回分を書いたりしてみる。ぼんやりしたいと思いながら、これだけ(もっと早くに生まれると思っていた)予定がずれ込んできたということは、必要最小限の「産休」もずれ込んでいくということで、「産んでからでいいや〜」と思っていた仕事に無理が生じるということだ。それもつらいので、つい書いてしまった。
 「17日が予定日」というのは、ヒコ(10月)もだったのだけど、そういえば自分もそうだったのを思い出した。私は(11月)17日が予定日で、19日に生まれた。ヒコは15日。昨晩「ポンコちゃんが17日なら確変突入だね。リーチ!」という、わけのわからない会話をダンナと交わしたが、なんだったのだろう。15、17、19…何の確変で、何のリーチだ。何が出るのだ。


2010年05月16日(日) 明日だったら…うーむ。

 また朝方「いてててて…」と来たので、一応時間を確認して(陣痛の間隔を計るため)、もう一眠りしたら、またもや「空振り」だった。しかし、腹は昨日より明らかに、さらに下がっている。頭もぼんやりしている。近いのは近いんだろうけど…。ぼーっと新聞をめくっていたら「5月17日は高血圧の日です」という石田純一が減塩を考えている広告が。明日だったら「高血圧の日」か…。それもなんだかなぁ。

 新聞といえば、実家に越してから久しぶりに新聞のある生活だが、ぜんぜん読む気になれない。朝のリフレッシュした目と頭に、どうして真っ先に人殺しとかオッサンたちの足の引っぱり合いとか、そういうものを読み込ませなくてはならないのだろう。見ると具合が悪くなってしまうので、結局見ない。本の広告だけそっと見て、あとは気が向いたら、夕方パラリとめくる程度。さらに実家の新聞は「morning sun」なので、そのエラソー&すべてが他人事っぷりが、これまたつらい。入試によく出るとご自慢の一面下のコラムに至っては、毎日毎日なにを言いたいのかさっぱりわかんない。いちいち自分の教養を披露してからじゃないと本題に入れないのは、もはや病気の域だと思う。あれが「名文」なのなら、世も末である。

 それにしてもいい天気。


 午前中1回と、午後1回、ぐっすり眠った。午後は、ちょうどもぎくんが仙骨のところを温めてくれていたからか、起きたとき、どっさり汗をかいていた。体を、ちゃんと整えてからお産みなさい、ということか。
 「次はこんなことを、こんなスタイルでやろう」という、わりとはっきりした形のイメージが、ほわーっと体の奥からわいてきた。それは、こうして思いついてみたら全然なんでもないことなのだけど、だからこそ、あぁ、そうか〜、それでいいよね〜、としみじみした。たぶんまた、手づくりのダミー本みたいなものから出発すると思うけど、すごくワクワクする。新しい家の、新しい部屋で、時々ポンコ女史と庭に出たりしながら作っていこう。


2010年05月15日(土) すごい人

 今朝も「その時」が近づいているようでいて、そうでもなく、気付いたら9時半まで眠っていた。でも別にあせって産む必要なんてないよな〜、とも思う。ヒコが生まれてからバタバタの4年半、そして、特に家の問題が持ち上がってからのこの半年は、なにもするべきことのない、思い煩うことのない休みなんて、本当に本当に、一日たりともなかった。最後の最後まで、いいこと悪いこと簡単なこと難しいこと予想がついたこと思いもかけなかったこと…様々に取り混ぜていろんなことがわき起こっては解決を迫られた。そしてポンコさんの協力もあり、一応みんな、片付けた。なんとかスッキリした。だから2〜3日ボンヤリしてから産んだって、バチは当たらないだろう。こうしてみるとポンコさんは、ほっといたらウダウダ惰性で過ごしてしまっていた私とその人生を、かなり覚醒させてくれたのだと思う。驚くほど多くのものごとを呼び寄せ、行動させ、整理させ、仕切りなおさせてくれてた。ひょっとしたらすごい人かもしれない…。(これも親バカに入るのだろうか?)今後をありがたく生きていこう。

 噂によれば、よその猫が侵入してきて、もぎくんとはるちゃんのエサを食べていたらしい。なるほど。数日前の、彼らの異様な雰囲気はそれだったか。


2010年05月14日(金) 総括牛かつ

 朝4時ごろ、お腹が痛くなった。このまま来るか〜?本格的に痛くなる前に一眠りしておこう!と思って寝て起きたら、またもや落ち着いていた。午前中、検診。「まだ産まれませんでしたね〜」と言われる。ふふふ、先生が「今週早いうち」って言うからですよ〜。でもさすがにポンコさんも増々下がってきているらしく「どんどん歩いてください。安静にしないでくださいね。今日の夕方か、土日、でしょうね」と言われるが、またまた先生がそう言えば当然それは外れるってことで「こりゃ来週にずれ込むかな?」と思ったりする。まぁしかし、来週の検診にはもう行かないだろう。…たぶん。

 車の窓が開かなくなったので、いつもの工場へ向かっていたら、見覚えのある後ろ姿が…あっ!ばあちゃんだ!1分…いや、30秒でもお互いの行動がズレていたら会えなかった、奇跡的としか言えないタイミング。バスに乗ろうとして整理券を取った瞬間のところに追いついて、行き先の病院まで送る。今日明日にでも産まれようかという、この日この時に巡りあわせる不思議さよ!

 お昼は、今回の揚げ物妊婦人生を総括する意味も含め、休みのダンナと「牛かつ」を食べに行く。県庁近くのステーキ屋さんの「敬天」の「牛かつ支店」のようなものができていて、気になっていたのだ。思っていたよりもあっさりしていて、おいしかった。いい意味で、必要以上に期待してなかったのもあったのだろうけど、かなり好きだった。最後は「敬天」のステーキにも敷いてある薄い食パンで「カツサンド」を作ることを勧められるのだが、こういうことに熱い情熱を持ってしまう私は、パンを2つに分けて、付け合わせの野菜やソースの組み合わせを変え、2種類のカツサンドを作ったりして、大いに楽しんだ。

 さて、ポンコさんはいつおいでなさることやら!


2010年05月13日(木) 悔いなし

 昨日の夜はけっこう張ったが、今日もまた、朝起きてみたら落ち着いていた。ヒコを送って土地を見に行き、ケーブルの部会に出席。まさか出席するとは…。そしてスッキリさせたいことをスッキリさせるためのあれこれを片付ける作業を進める。もう、本当に、やれることはやった。答えが得られなくたっていいとさえ思うほどに。わが産前人生に悔いなし。


2010年05月12日(水) 野良臭

 久しぶりのケーブルで「えへへ〜、まだ産まれてませんでした〜」とミーティング。そして編集など見る。帰りに「たけやま」に寄ったら、これまた驚かれた。「まだだったの〜!」という意味で…。さんざん産まれると吹聴し続けたこの一ヶ月。すっかり狼オバハンとなってしまった。

 実家暮らしも、はや2週間を超えた。予想に反して、庭やベランダに出っぱなしなのがもぎくん。はるちゃんは部屋にこもりがち。もぎくんはもはや、野良猫みたいな匂いがする。


2010年05月11日(火) それぞれに

 ずんずん腹は重くなり、行動はのろまになっていくものの、なぜか産まれるって感じでもなく、よくわからない。ヒコを送って家に帰ってみると、もぎくんとはるちゃんがうなりあって喧嘩している。普段からさほど仲がいいわけではないふたりだが、今日はなにがあったのだろうか???温厚なもぎくんが、かなりご立腹の様子だ。まぁ、人も猫も、みんなそれぞれ、環境の変化に追いつくことに必死なのだろう。

 それにしても産まれそうにないから、どこかおいしいランチでも食べに行くとするかな。

 昨日、寝る前にヒコから「今日ね、体操教室やったよ…」とポツリ、つぶやかれた。がーーーん!ごめん!体操服入れるの忘れてました!「ごめんねー」とあやまる。みんなが着替えてるとき、寂しかっただろうと思ったら、申し訳なくて悲しくなった。それをまた、寝る前にポツリと言うところがまた、泣かせる…。次は忘れないようにしないと!


2010年05月10日(月) キリよく…?

 予定日まで、ついにあと一週間!えっちらおっちらヒコを送って、えっちらおっちらアミュで買いもの。アロマディフューザーや、薄手のポカーンとした服などを買う。ヒコを産んだ日もアミュで買いものしたけど、今日はどうだろう。今日じゃないかもしれないけど、ほんともう、お腹が重たくてボンヤリする。いよいよ長くも座っていられない。ヒコが2005年の10月15日だったので、ポンコさんもキリよく2010年5月10日じゃないかと予想していたのだが…。今はまだお昼。ヒコの時も、夕方から痛くなったから、まだまだわからない。
 お昼は、どうしても食べたくなって、UFO。最後の最後まで、変な味覚のままであったことだよ。

 そして夜。今日はもう産まれないみたいだが、かなり苦しくなってきたことは確か。しかしそんな中、家の工事の契約を敢行。いやいや、それは予定していたことだからいいのだけど、まったく考えもしなかった方面から、思ってもみなかった問題というか、対処すべきことが舞い込んできて、もう、どどどどどうして〜?と、口があんぐり。いやー、ここまで来ると、我が人生に乾杯!である。でも、譲りたくない問題なので、またもや猛烈妊婦道を突き進むのだ。もうたいがいのことは怖くないもーん。


2010年05月09日(日) カーネーション

 昨日は母の日おゆうぎ会で、今日はダンナが気をきかせて(?)ヒコからカーネーションが手渡された。保育園のはいかにもの赤だったけど、ダンナが買ったほうは、ヒコが選んだとかで、アンティークみたいな赤と鮮やかな水色!かなり斬新な組み合わせだった。
 カーネーションって、好きでもなんでもなかったけど、ヒコがくれるようになって、好きになった。好き嫌いなんて、そういうもんなんだろうな。

 午後はなぜか3人で釣り。暑くも寒くもなく、カワハギが一匹釣れた。アイス、グレープフルーツゼリー、チップスター、レモンジュース…と、それぞれが買ったおやつを食べながら、なごやかに。過ごす時間が、こうしてなごやかなほど、なにをしていても「ポンコちゃんが生まれる前では、これで最後かな…」と思う。と思いながら、人町でも平井でも、もう何度もコーヒーを飲んだのだが。思ったより粘るポンコちゃんの巻であった。


2010年05月06日(木) ほぐれる

 久しぶりに、ヒコを送る。そしてつい、本屋さんに行く。「産まれたらまたしばらく行けなくなるから」とかなんとか自分に言い訳しながら、本を買う。まだ読んでない本もあるというのに…。大橋歩さんの「アルネの作り方」も買ってしまう。そしてベンチに座って読む。「長崎迷宮旅暦」のもとになった「ながさきエッセンス」という手づくり本は、かなり「アルネ」に触発されて作った。だから、大橋さんが手づくりしたというダミー本を見たとき、自分のそれを思い出して、ちょっと泣きそうになった。おなじようなものを私も作ったから。そしてこないだの引っ越しで、それ、ぜーんぶ捨てちゃったから。取っておこうかどうしようかかなり迷ったけど、前向きに捨てたのだ。これからまた、新しいものを作っていくのだという気持ちで。だから一瞬、捨てなければ良かったかな、と思って悲しくなったけれど、この本の中に、自分の分も一緒にあるような気がして、これでいいのだ、と思い直した。大橋さん、ありがとうございます。

 しばらくのんびりしているので、身体が少しずつほぐれてきた。ここ数ヶ月、あまりにも背中がかたまっていて、息が苦しくて寝付けなかったり、眠りが浅かったりしたのが、昨日起きてみたら、背中の真ん中上あたりを残して、他のところはだいぶ動くようになっていた。いままで「固まり」がもはや「標準」だったので、こうして一部分を残すのみ、にならないと、それが「異状」だったとわからない。ここまできたら「ストレッチなんかすれば、気持ちいいかも」と思いつけて、伸ばしたり動かしたりしたら、またもやよく眠れた。じゃぁ、いちばん疲れていたときにそれをすれば良かったのに、と思うけれど、そのときは、それすらも思いつかないし、思いついてもやる気にならないのだ。疲れるって、そういうことだ。心の可動域が狭くなるってことだ。ヒコが産まれる前、産後のブルーにいいですよ、ともらったアロマオイルを、それさえ嗅ぐ気にならなかったことを思い出す。頭ではわかってるのに、行動に移せないのだ。

 ようやくポンコさんの産着を買った。小さい。小さいよ〜。またこんな人が〜。


2010年05月04日(火) 正直

※お知らせ。

明日5日、長崎のケーブルテレビで、3月に手伝った番組が2本まとめて再放送予定。うち1本は、初出の放送とは違う、私のナレーションバージョン!たしか11時、17時、19時、23時。「菜のはな咲いて〜現川分校の子どもたち」と「シャギリに育つ」です。

 …そうだ。そういえば作ったなぁ…。かれこれ一ヶ月前の話だが、かなり遠い日のできごとに思える。

 今日はよく眠れた。お腹も痛くならなかった。昨日ゆっくりしたからだ。身体は正直。というか、ほんとうはすべてのものごとが正直なんだけど、受けとる側が、それを見ないふりしたり、曲げたりしているだけなんだろう。


2010年05月02日(日) キュウリパックでも

 友だちが福岡から帰ってきてるので会う。その友だちも半年前に女の子を産んだ。ということで、「臨月妊婦と授乳婦が昼間っから出島ワーフでビール飲みながら話し込む」というすごい光景に。小学中学と一緒に過ごしつつ、別の高校に進んでから、ほんの数年前まで接点なく暮らしてきたのに、なぜかほとんどの話が何の説明も必要とせずに展開できるので、ものすごい密度と展開であらゆる話をした。いわゆる友だちの絶対数が非常に少ないこの人生であるが、私にはもったいないほど充分だ。

 そういえばこないだ、身近な人が、絵に描いたような中傷の手紙を送りつけられていた。「こんなことする人、いまどきいるんだ…」と思いつつ、ほんと、ばかみたい。つまりは、ヒマな人のとるに足らないねたみなんだけど、投げつけられると、当人はそりゃへこむ。こんなことしても、ますますブスになるだけだ!妙な憶測と妄想でダンナの心配をしているようだが、それよりなにより、そういうことをするあなた自身の性根が、ダンナを遠ざけるのだよ。妙な手紙を書く時間があるなら、キュウリパックでもしてなさい。

 でも、人のことをあれこれ言う人って、どうして正しくなっちゃうんだろ。


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