ぴんよろ日記
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2010年04月29日(木) つながらない。産まれてはいない。

 実家のネット環境とつながらない。暮らしの変わり目でいろいろあるので、日記は手書き。(これは親のパソコンで書いてます。ウインドウズだし、さわった感じがなじめないので、うまく文章が書けない…)
 ポンコちゃんは、なんかどんどん下がってきつつあるような気が。でもまだ産まれてません…。


2010年04月24日(土) 起動

 朝から地鎮祭。きれいに片付いた土地に注連縄が張られて、祭壇が設けられていた。いい天気。まさか自分がそういうことの当事者になるとは思ってもみなかった。神主さんが祝詞やらなにやらを唱えてくださる。神さまと交信するときの、ホーミーみたいな声も聞けた。祝詞を上げたあとと、神さまをお送りしたとき、風がひときわ強く吹いたので「あぁ、来てくださったんだ」と思うことにした。地鎮祭って、地を鎮める、って書くけど、今日の実感としては、そういう「オソロシイものをなだめる」って感じじゃなくて、むしろ、その土地の神さま(あるいは力)を、すこやかに起動させるための働きかけという印象だった。「起きてくださーい。力を貸してくださーい。一緒に過ごしてくださーい」って呼びかけてるというような。

 お昼からは、ささっとラーメンを食べて、とにかく引っ越しの荷造り。このところの状況が、事前の片付けを許さなかったとは言え、とにかく果てしない。お姉さんが3人来て、テキパキやってくださったけど、それでも終わらなかった。本、本、本…。私の部屋の、魔の押し入れは、まだ手つかず。明日とにかくがんばろう。これ、妊婦じゃなくて、つまりおまかせパックじゃなくて、自分でやってたら、到底できなかったかも。やっぱり来るべきときに来たのだ。

 最後の夜は、いつもの店に焼き鳥を食べにいく。帰ってお風呂に入って、しみじみ。でも悲しくはない。楽しい10年でした。本当にありがとう。夜景の光が、やっぱりきれい。ゆらゆらと揺れている。


2010年04月22日(木) 奥のほうにパタリと

 今回の引っ越しを機に、いろんなものとお別れをしている。部屋だってそうだし、景色だってそうだし、使ってきたものたちも。こと、使ってきたもの…昨日までは使っていたのに、今日は捨てるもの…というものとの別れを大量に迫られるここ数日。特に、リサイクル券など買ってしまうと、あとに引けない。自分で決めてるような、決めてないような、でも決まってしまうと、そうするしかなくて、運ばれていくものに、ただ手を振るだけ。そういったものたちと過ごした時間の記憶を、脳味噌のずーっと奥のほうにパタリとしまって、忘れてしまって、新しい日々を送るだけ。

 午前中は、家の打ち合わせ。外装の色についてなどなど。


2010年04月21日(水) がんばれはるちゃん。

 朝、はるちゃんを迎えにいく。完全にへこんでいる。「2〜3日はしょんぼりしているかもしれません」と言われた。たしかにしょんぼりしている。私はそのまま仕事だったので、休みのダンナが家に連れて帰ってくれた。まだ麻酔が残ってるのか、極度の「しょんぼり」なのか、よたよたと歩き、それをもぎくんが毛をなめたりしてフォローしてくれているとの由。昼過ぎに家に帰ってみたら、いつも「黒い弾丸」と呼ばれるくらいの激しさで出迎えるはるちゃんはおらず、代わりにもぎくんが突進してきて、私に向かってずーっと鳴き続け、はるちゃんについての報告をしてくれる。「はるちゃんが帰ってきたんだよ!でもおかしいんだよ!しょんぼりなんだ。ぜんぜん元気なくて、よたよたしてて、おかしいんだ!みてあげて!」…そんな感じ。肝心のはるちゃんは、物陰に隠れてしまっていた。話しかけて撫でると、ちょっと出てきて、しばらく撫でられた。その間も、もぎくんがなめてくれている。そしてすぐまた、引っ込んだ。
 私もそれからなんだか起きていられなくなって、2時間くらい眠った。汗びっしょり。はるちゃんとシンクロしちゃったのかもしれない。目が覚めたら、私はすっきりしてたけど、はるちゃんはまだ引っ込んだまま。きっと大丈夫なんだけど、時間は必要そう。とにかく、もぎくんがいてくれてよかった。人間だけでは限界がある。

 それにしても、部屋を片付けなくては…。


2010年04月20日(火) はるちゃん…。

 はるちゃんを、ついに手術に連れて行く。自分はもうすぐ子どもを産もうとしておきながら、はるちゃんのその機会は奪ってしまうというのが、生き物として、チクリと痛い。ごめんね、はるちゃん。今日は病院にお泊まり。明日、早く迎えに行くからね。
 電気とかガスとか、リサイクル券とか、とにかく、思いつくかぎりの手続き関係をあれこれ片付ける。


2010年04月19日(月) 許すかぎり?

 いま住んでいるビルは、私たちが(たぶん最後に)出て行ったあと、老人福祉系の施設になるのだけど、それを思うと、私たちが最後に出て行くことになったのは、変な話だが、このビルの気持ちも作用していたのかな、と思ったりする。おじいさんおばあさんが静かに暮らすことは、もちろん悪いことじゃないんだけど、子どもの声や勢いやエネルギーって、やっぱり場所や空間をピカピカにするから、許すかぎり、小さい子どもを手もとに置いておきたかったんじゃないかな、なんて。エレベーターを下りて、わーっと廊下を走るヒコの声がこだまするとき、なんとなく、ビルが嬉しそうにしている気がして。

 そんな妄想系な朝。今日からついに10ヶ月に突入。昨日と比べても、椅子に座っているとすぐへこたれる。産休中の仕事…どうする〜。

 でも昨日の夜中、ちょっとお腹が痛くなったとき、現実的な予定(土地の引き渡し決済とか地鎮祭とか引っ越しとか!)があまりにもあるという意味で「せめてあと一週間!」と強く思ったけれど、純粋に、お腹が痛くなったこと…つまり出産という肉体的なことに関しては「あ〜、こうやって、これがどんどん強烈になって、そうなったらもう、産むだけだもんな〜。産まれるまで産むだけなんだよな〜。まぁ、極限まで行ったら、気も失えるし、とにかく何時間かを朦朧と乗り越えればいいんだから、がんばりましょうや」という気持ちが湧いてきて、たいして怖くもなかった。ほんと、だって、始まっちゃったら産まれるまで産むしかないんだもんな。


2010年04月18日(日) メッセージ届く

 夜中、ちょっとお腹が痛くなって目が覚めて「えっ…まさか…もう!?」と思った。ぼんやりしてたので不安になって「ポンコさん、せめてあと1週間待ってくれるとうれしいんだけど」などと、心の中で話しかけてみたりする。ダンナもトイレに起きたので「ちょっとお腹が痛くなった」と訴えると「大丈夫。ポンコは待ってくれるさ」と言ってくれて、その瞬間、とても気が軽くなった。やはり一人で思い悩むのは良くない。もういちど眠って起きてみたら、なんともなくなっていた。
 でも「もういいかげん、部屋、片付けたほうがいいんじゃない?せめて自分の机んとこと、台所はさ。」というポンコ女史からのメッセージだとは思った。すんません。がんばります。だから地鎮祭と引っ越しまでは待って〜。

 とりあえず、大量の洗濯。やれることから、コツコツと。しばらく天気悪いらしいから。



2010年04月17日(土) いよいよ、いやはや。

 ついに同じ階のおじさんが引っ越し。私らが入ってきた時から住んでいて、でも、こないだ初めてしゃべりかけてきた彼。ポツリ、「ここ、よかったのにですね」と。よほど気に入っていたのだ。昨日、他の階の事務所みたいなところも引っ越していたらしいし、いよいよ私たちが最後かもしれない。それもあと1週間。

 今日は、いつも石けんを売っている小国のフリーマーケットの日。1ヶ月前なら行ってたけど、そして、ヒコの時なら行ってただろうけど、今の私には、もう遠出する自信がない…。なんとなく下がってきてるような気もするポンコちゃん。ちょうど一ヶ月後の予定日までは…持たないに1000点。20年近く皆勤賞の陶器市も…さすがに無理だなぁ…。こないだ大きなポットが割れちゃったので、深川のチャイナオンザパークだけでも行きたい気もするが…。いやはや。

 ダンナとヒコともぎくんが、いつもかたまって眠っている。「男布団」と命名。


2010年04月16日(金) ラスト10日

 気付いたら、この部屋に住むのも、あと10日もない。しみじみ。いろんなことがあった。10年かー。10年間の、ラスト10日だ。
 のんきに構えているが、片付けなくちゃ。長期保管だと、冷蔵庫はもう乾かし始めないとカビると聞いたので、食材も使ってしまわなくては。
 不思議…。引っ越すんだ…。ひたすら不思議…。


2010年04月15日(木) 緑色あれこれ

 毎日モクモクと勢いを増す山の木々たち。それもぜんぶおなじ緑色じゃなくて、春ならではの、渋い緑、ほろ苦い色、なんの悩みもなさそうな黄緑、など、いろいろだ。川原慶賀さんの長崎のパノラマ絵図の山肌に、ちょうどこんな色合いのものがあったのを思い出す。

 ちょっとだけ、のんびり過ごせるようになったのでうれしい。頼まれていたカードを作り、それを届けつつ、豆ちゃんでティラミスを食べたり、揚げるばかりのチキンカツやコロッケを買ったり。こんな暮らしも、あとひと月くらいで、しばしお休みだ。

 一度、たずねたことのある不動産屋さんからファクスが来ていた。売一戸建。1階に車庫のある小ぶりなビル。3ヶ月前だったら、すぐに見に行っただろうな。でももう建てちゃうんです。お知らせありがとうございました。


2010年04月13日(火) 過ぎゆく

 検診。ヒコの生まれる前よりも、すでに大きいおなか。いろんなところにつっかえる。そしてポンコちゃんも、ヒコより大きめと言われるが、それは生まれてみないとわからない。だってヒコだって、直前の検診で3000gって書いてあったけど、生まれてみたら2600ちょっとだった。そして生まれた日だって、直前の検診で「あと2週間後くらいかも」って言われたけど、3日後だった。さらに分娩室に入ってからも「明日の明け方くらいでしょう」って言われたけど、夜中だった。でも、そんな先生がむしろ頼もしい。アバウトな感覚でも、生まれるものは生まれる。かえって気楽だ。正確すぎる予言は、時におそろしい。
 久々に差し迫った仕事が無い日なので、検診のあとは本屋さんで立ち読みして、マッサージに行き、紅灯記で麻婆豆腐を食べて、平井でコーヒーを飲んで、家に帰って本を読みながら昼寝した。夜はおいしいお肉をじゅーっと焼いて食べた。いつもの感じの、よくある時間。でも、この部屋での暮らしは、あと2週間もない。信じられないけど、そうなんだろうな。すべては過ぎゆく。



2010年04月11日(日) 清算

 朝からナレーション。こっぱずかしかったが、がんばった。虚脱状態に陥ったので、もう、今日やるはずだったことすべてを放棄し、拓どんでうどんを食べ、六音窯の窯開きへ。しばしボーッとして、塩壷にするべく、梅干し壷を買った。拓どんから窯に行くあいだは、眠りこけた。

 明日は引っ越しの見積もり。それまでにちょっと片付けなくては。そして仕事も。

 ダンナの部屋から、10年間開けていなかったいろんなものが大量に発掘された。結婚式のあと、3日間沖縄に行っているあいだに、ダンナの両親がよかれと思って運び込んでいた引き出物の器など…。ううう…。

 とにかくすっきりさせよう。清算月間だ。


2010年04月10日(土) さすがにおいしいものを

 午前中はヒコの親子遠足。午後はローン関係の、司法書士さんまで交えた手続き。夜は番組の仕上げとナレーション入れ(と思いきや、機械のコードかなんかが足りなくて明日に…)。さすがにおいしいものが食べたくなったので、グレープナッツでダンナとヒコと待ち合わせて夕ごはん。夜のナッツ(特に週末)には、時々変な客がいるが、今日もいた。どう見ても勤め人じゃない男(ロン毛中年)と女(わかりやすいシャネル感)。フランス語で注文したり、「ハーブってのはね、もともと雑草なんだよ」などと、浅い蘊蓄を語ったりして忙しそうだった。こういうのを見ると、私には客商売は無理だなー、と思う。お姉さんは(腹の中はどうかしらないけど)ニコニコ同調できるので偉い。偉いといえば、あの店の偉いところは、ここだ!と判断した瞬間に、たとえオーダストップ2分前でも、サッと閉めるところだと思う。そうじゃない店もあるし、店によってはそれが必要なことも多々あるけど、ああいう店を、若い夫婦が続けていくためには、「サッと閉める」積み重ねが大切なのでは、と思う。
 そしてまた、おいしいスコーンを朝の楽しみ用に買って帰る。


2010年04月08日(木) まかせつつ

 今日も綱渡り。しかし新たな用件が次々舞い込んできて、どうなっているのかわからない。どうしてなんだろう。ひとつ、突然急ぎの仕事を頼んできた人に「これだけやってから休んでね(産休)」というようなことを言われてしまい、「いや〜、まだ他にもいろいろあるんで休めないんですよ〜」と答えた自分の声は、(極力抑えたので気付かれなかったようだが)かなりムッとしていた。いかんいかん。

 でも、見渡すかぎりのクスノキが、もりもりしてきて、それを見るだけでも救われる。

 お産について、その痛さなどにブルーな気持ちを覚えていたが、しかしそういえば、朦朧としているうちに終わったと言えば終わったな…ということを思い出し、(もともとそうするしかないけど)やってくる事態に身をまかせるしかないと思いなおす。立ち向かったり闘ったりしてもしょうがない。身をまかせつつ、できるだけは、気持ちを前に持って行く、というようなことだろう。


2010年04月07日(水) 拡散中

 拡散。とにかく自分が拡散している。そして、いま考えたことが、次の瞬間には霧散している。散、々…? おもしろいなー。動物って、こんなふうに「刹那」な感じなのかな。ヒコの時はここまでなかったなぁ。
 土地の引き渡しや、地鎮祭や、引っ越しの日程が次々と決まっていく。この「決まっていく」過程が、文字通り「決めていく」ではなく「決まっていく」のがまたおもしろい。売り主さんの都合や、六曜や、営業日や、ダンナの休みや、実家の都合や、そういうものがモザイクのように寄せ集まってきて、もう、ここしかない、っていう日取りが「ハイ、わたくしです〜」と現れる。そういうのには、よほど強い意志でもないかぎり逆らわないほうがいいし、たぶん、逆らえない。そうなるように、なっているのである。家を建てることになったことじたいも、あれよあれよのことだったし、しかしそうなってみると、そうなるしかなかったんだねー、と思う。

 家の、建物のことも楽しみだけど、最近は庭のことばっかり考えている。庭…深い…。


 いまふと見たら、昨日もおなじようなことを書いていた…。拡散しすぎだ。


2010年04月06日(火) 納得の偶然

 会うべき人には会えるし、見るべきものは見ることになっている…ということをわりと本気で信じている。こないだも、出かけた先でほんの少し時間が空いたので、たまにしか読まない新聞を開いた。そしたら、小さいころ絵を習っていた先生が亡くなっていたらしく、その追悼文が載っていた。さらにその先生のことは、中通り商店街のHPのコラムで、こないだ書いたばっかりだった。コラムでは…そんなに絶賛一辺倒で書いてたわけじゃないので、なんともいやはや、であるが、とにかくそういう「偶然」のことは納得するし、大事だな、と思う。

 保育園に送った帰り道から、いつも、片淵中学校に登る道が見えていて、ちょうどこの時期は並木の色がバラバラで楽しい。桜がずらーっと植えてあって、もうちょっと季節が進めば緑色だけになるのだが、今の時期だけは、桜色あり、茶色がかったのあり、もう緑になったのあり、と、さまざま。遠目からの写真はこれまでも撮っていたのだが、今日は大きなカメラも持ってきたし、近くに行ってみようと思って、登る(もちろん車で)。でも、近づいてしまうと、遠目に楽しかったバラバラ感はあまりなかった。そのかわり、港から立山までの景色を、今までと違ったアングルで見られたし、その近辺の土地の感じがちょっとわかって、またいろいろ考えた。

 そのあと「ノスドール」の入り口の写真を撮りに行き、そのまま家に帰って、頼まれていた案内状を作る。とにかくやるべきことはササッとやっておかないと、いつどうなるかわからない。写真を撮る仕事は久しぶりだったけど、文章と組み合わせたり、レイアウトをするのが楽しい。本当にササッと作ったけど、その「ササッ」の間に、どんどんいろんなことがひらめいたり起こったりして、始めにイメージしていたのよりもずいぶん好きな感じに仕上がった。


2010年04月05日(月) あとは自分のものに

 半分無理矢理、ほぼ12時間眠った。起きてみたら、出産までの道のりの、また新たな曲がり角を曲がっている気がした。ということで、いっそうぼんやりしている。ちっとも考えが続かない。どなたさまも私に複雑なことを尋ねたり頼むのはやめてください。ただいまの頭の回転率は、当社比30%くらいです。
 気付くと意識が飛んでいる…。

 という感じで「生き死にの沼地」が近いので、保育園に行く道すがら、どんとの歌を聴いてみたりする。しっくりとしみる。ヒコが「この人だれ?」っていうので、死んじゃったときの状況など説明すると、けっこう興味津々。「妖怪なの?」とか。うーん、ちがうけど、遠いとも言い切れないなぁ…。
 2枚組の「スーパーベスト」の、そのさらに2枚目が、ほんとにほんとに濃すぎるスーパーベストなのだけど、あえて1枚目を聴くと、むしろその選曲と配列の絶妙さに感じ入る。この2枚は、どんとが死んじゃったあと、奥さんが「ベスト盤、作らなきゃ」と思って、今までの曲を聞き直そうとして家のステレオをつけたら、どんと自身が作ったベスト盤のDATがレコーダーに入ってた、というものだ。でも、次元はちがうと思うけど、「沼地」に近い今、その「どんとは遠からず自分が死ぬことがわかっていた」という感覚はわかる。そしてそれを、世間で思われている「死」に対する感じほど、悲しんでいなかったであろうということも。あの世が近いってこと、わかるから、わかる。そんでもって、やれることはやっとくか、という感じだろう。

 ただでさえ記憶力はないのに、それにも増していろんなことを覚えていられないので、特に家作りのことでヒントになった本のページなどに、付箋を貼りまくる。そしてやはり、考えれば考えるほど「新築住宅」の概念からは遠ざかってゆく。
 でも今回、家のことを考えるのは、それだけじゃないいろんなことを考えたり確認したりすることになって、とてもよかった。自分になにがいるのかいらないのか、わかったつもりにしていたことに、背骨が入っていく感じ。あと、自分でも最近ちょっとイヤだな、と思ってた「そんなもんにはこだわらねぇぞ、というこだわり(特にナチュラル系に対する)」もやわらいだ。いいって感じたものは、多少気恥ずかしくても取り入れて、あとは自分のものにすればいいんだから、という方向へ。
 そして庭への思いがふくらむ。



2010年04月04日(日) ぐったり…

 のんびり休もうと思ったら、逆にぐったり疲れて9時前に眠った日。なぜだ…理由はバッチリわかっているが、書き記すと、その気持ちやエネルギーの向きが増幅して固定されそうなので、書かずに流しておく。ひとつ言えることは、スーパー銭湯が心底苦手、ってことだ。初めて行くとこだったのだが、外の露天風呂に大型テレビがあり、音量もガンガン。正気か?と思った。たくさん人はいたけど、あんまり幸せそうな顔をした人はいなかった。でもなんだかんだで、少なくとも一人2〜3000円は使うシステムになっている。間違ってる…。世の中のある部分のこの傾向を、私一人ではどうしようもないけれど、とにかくこの先「旅先で純粋にお風呂に入るだけ」を除いては、こういうとこに行かないでおこうとは思う。


2010年04月03日(土) いるようでいないような

 数日前にマッサージしたことによって、一枚、急性の重い物がはがれ、それによって、下にあった慢性のものがモヨモヨと浮かび上がってきたような落ち着かなさだったので、間を空けずに行ってみる。今日は足関係の長いコースにした。いつもは全身コースの前に足の裏でもほぐしとくか、という感じで短いコースを選ぶのだが、長いコースはやはり、それはそれでまた別のものだった。なにがちがうって、太ももあたりまでほぐすのが大違い。その左足が終わって、右の足の裏からまたもまれていたとき、背骨の左側の真ん中あたりに、グレーの雲のようなモヤモヤがもわーっと現れて、しばらくモヤモヤしたあと、どこかへ消えていった。あれはやはり、太ももまでほぐしたことによる、なにかの流れの成果であろう。

 夜はハハの退職お祝い会。この歳になってこんなこと言うのもなんだが、子どものころからハハは毎日勤めに出ていたので、退職に関しては「えー!おかあさん、いまから、まいにちいえにいるの〜?」と、なんか、ひらがな感あふれる不思議な気分になる。なにはともあれ、お疲れさまでした。

 てことは、ヒコやポンコちゃんにとって、私はどういう感じに映るんだろう。「いちおう家にはいるんだけど、部屋にこもってブツブツ読んだり書いたり作ったりして、家にいるようでいないようなこともある人」だろうか…。


2010年04月01日(木) 透けていく

 腹がデカい。そしてなにをしててもうっすら息苦しい。
 このままあと一ヶ月半…持つのだろうか。おとといの検診で「5月の上旬か中旬に餅まきがあって、それが終わってから、なんて思ってるんですけど」って助産士さんに言ったら、実に微妙な顔をして「持つといいですけどね…とにかくあと3週間は持たせてほしいのですが」と言われた。「10ヶ月に入ったら出てきても大丈夫ですからね」っていうニュアンスで。一ヶ月半なんて、あははははは、寝ぼけてる?って感じ。
 たしかにもう、苦しくて、これが最近の疲れによるものなのかなんなのかは、これから「産休用」にやろうと思ってた仕事をあきらめることになっても、生活をペースダウンしてみないとわからないのだけど、予定日よりはきっと早いんだろうな…。餅まきも「退院帰りに車から見る」くらいに思っといたほうがいいのかもしれない。

 そんなこんなで、それにしたって予定日まで1ヶ月半だからか、ますます自分の輪郭が透けてる気がする。気付いたらまわりの空気にショワーッとにじんでる感じだ。そのぶん、また「ちがう世界」とのリンク感があるんだけど、これってつまり「生き死にがドロドロ溶け合っているとこ」で、その景色を、こないだヒコを産む時に、朦朧とした意識の中で見て、触ったから、ヒコが生まれた、という実感があった場所だろうと思う。その、静かなマグマのようなところの風景、いまでもよく覚えている。…ってことは、死ぬ前の人も、そこに近づいてるってことは、こんなふうに輪郭がにじんで、透けていって、それがある程度臨界点を超えたら、肉体を離れる、ということなのかもしれない。

 というような考えが、会議中にボーッと頭を通り過ぎていった。


 お昼、本当に久しぶりに本屋さんで過ごした。それこそずっと立っていられないので30分ほどだったけど、うれしかった。うれしくて…買いすぎた…。


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