ぴんよろ日記
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2010年03月28日(日) 抹消じゃ!

 お昼は、そのあと仕事もあるし、トルコライスをかき込もう!と思ってアストリアに行ったが、人が並んでいたので、スタンダードに「Tる茶N(一部仮名)」へ。2階に上がったら、前は厨房だったところまで客席になっていて、龍馬関係的観光客っぽい人たちで満杯だった。それはそれで結構なことだが、トルコライスは30分待った。しかしピラフもスパゲティも冷えていた。ピラフは…ピラフと呼べないくらいの薄さだった。全体的に量も減っていた。大盛りが、以前の普通盛りチョイ増しってとこ。どうした、Tる茶N(一部仮名)!龍馬ファンで有名なマスターよ、客席回って観光案内しとる場合じゃないぞ!…ということで、我が家の「トルコライス選択肢」からは抹消。来年、龍馬ブームが去ったころ、正気に戻ることをお祈りしております。

 その後「トルコライスを食べたばかりなのに小腹が空いている」という異常事態を、珈琲人町のいちごマフィンで修復しつつ、番組の編集と構成を夜までがっつり見る。最後はみるみる集中力が途切れてしまい、さっき見たはずのシーンやインタビューの内容が思い出せなくなってしまった。でも、なんとか、なんとか、なんとかなるんじゃないかという気がしてきた。番組は、くんちと子どもたちについて見つめてみた「シャギリに育つ」と、現川分校の一年間といわゆる「難病」を持つ女の子の日常(でも決してつらくないのです)を取材した「菜のはな咲いて」。放送は長崎ケーブルメディアのコミュニティチャンネルにて、2本とも(!)31日水曜日の午後5時、7時、11時、4月1日午前11時の計4回。…まだどっちもできてないですけど〜!


2010年03月27日(土) 草刈り。

 土地の草刈りと花見の日。ささーっと草刈りしてあったかいうちに花見をしようと思っていたが、そうは問屋がおろしませんで、以前に刈ったと思われる草の堆積の奥底から、年代物の空き缶空き瓶は可愛いもんで、出るわ出るわのこんにちは。自転車、ポット、鍋のふた、やかん、トタン、コンクリの固まり、塗装屋の看板、工事の看板…って、ポイ捨てゴミの範疇は完全に超えとるやんっ!みんなの目がしだいに遠くなって、花見の時間もどんどんずれ込み、すっかり陽もかげったころにようやくスタート。あんまりの寒さに早期撤収となってしまった。それは残念だったけど、ひとまず土地の片鱗が見えて、はじまったんだなぁ、と思う。そしてゴミはともかく、家を建てるためにたくさんの草や、これから伸びようとしていた木を切りまくったので、その青い匂いをかぎながら、ありがとう、よろしくお願いします、と思う。


2010年03月26日(金) 今日のこと

 朝から集中して「ペコロスの唄地図」編集。なんとかたどりつく。駅前食堂でとり天定食を食べて納品して、番組の編集をちょっと見て、家に帰って掃除や明日の草刈り&花見の準備など。


2010年03月25日(木) タイムマシン

 つらいことや苦しいことは、だいたい時間が解決してくれる。今つらいことは、未来にポジションをとって、そこから振り返ってみれば、だいたいが楽しいことだ。未来に訪れるかもしれない哀しみは、過去とオーバーラップさせれば、ほのかな幸せに変わる。岡野さんの漫画を撮影用に切り貼りしながら、その魅力について考えた…りしてる場合じゃないかもしれない、明日編集&オンエア。集中してがんばろう。


2010年03月24日(水) ふかふかと

 火曜日までに、30分番組を2本仕上げる予定。自分が編集するわけじゃないが、かなり突っ込んで関わるので、鼻血が出そう。1本はほぼ形が見えてきたが、1本は、構成上は、どちらかといえば白紙に近い。その合間に、家の打ち合わせや印鑑証明書を取りに行ったりや車検上がりのベンツくんのお迎えやヒコの送り迎えや炊事洗濯や猫のウンコ掃除。しかし、猫はいい。彼らを見ていると、ほんの一瞬だが、ふんわりとなごむ。ありがとう、いつもふかふか眠そうでいてくれて。


2010年03月23日(火) なのに、否、だから。

 あまりにいろんな用件が吹き荒れていて、なにがなにやら、自分がもう、なにをやってんだかわかんない。その瞬間ごとに的確に判断して動くしかない。妊婦なのに!と思っていたけど、ひょっとしたら妊婦だからやれるのかもしれない。あんまり考えられないから。だからこの時期にいろいろ来たのかも。考えずに行動する訓練だ。…と思えば、納得。
 夜は突然、タレをつけて食べるラーメンが食べたくなった。買い物してて、気付いたらカゴに入っていた。思った通りの味で、満足。


2010年03月21日(日) 35はまだですよ

 こないだ熊本の立ち飲み屋さんで、ほんのり酔っぱらったおじさんが、ヒコと私のお腹を見ながらちょっと涙ぐんで「私も孫が欲しかとですよ。でもねー、息子は、結婚はしとるんだけど、もうお嫁さんが35歳で…無理だろうなぁ…」というので、「あらー!私は今年40ですよ!この人(ヒコ)だって、34で産んだんですよー」って言ったら、ちょっと申し訳なさを交えつつ、驚き、喜んでいた。おじさんのとこのお嫁さんがどういう人かもわかんないから、それ以上は何とも言えなかったけど、おじさんが絶望しているよりは、ほんの少し多めに、可能性があるということは伝わったと思う。


2010年03月20日(土) 餅まきまで

 洗面所の電気が切れた。10年も暮らしていたから、部屋もわかってるのだ。越路吹雪さんが亡くなった時、ずっとリサイタルをしてきた劇場の電気が一斉に落ちたという話を思い出した。こうして少しずつ、さよならなのだ。
 昨日、トンカツを食べたというのに、また揚げ物が食べたい。今回のポンコちゃんによる嗜好変化は、結局最後まで続いた。焼き魚も食べたくないままだ。来週には9ヶ月突入。さっきようやく、引っ越し見積もり依頼のメールを送った。自分で払うわけじゃないので、一社だけ。らくちん。
 今日は残っている仕事をやってしまおう。そして来週からは、産休中の原稿を書いていこう。家の打ち合わせなどもあれこれ増えてくるだろう。ポンコちゃんに「餅まき終わってからね!」とお願いしながら。餅まきまで、たぶん、あと2ヶ月弱。


2010年03月19日(金) 鋭き人

 土地の契約。たくさん名前を書いて、たくさんハンコを押した。売り主は、高校の同級生のお姉さんだった…。あまりにも長崎らしい「狭さ」。えげつなく値切らなくて良かった。東京のパンをおみやげにもらった。

 こないだの土曜日に、十数年ぶりに会った「恩師」は、ヒヨヒヨの私が初めて見るタイプの「大人」だった。「大人には、こんな人もいるんだ…。」と思った。眼光鋭く、さらにそれと同じか、もっと鋭い舌鋒で、それまで思ってもみなかったこと、自覚していなかったことを、ザクザクと言い当てられたりした。先生と会えたことが、大学に行った大きな意味のひとつだったと思う。最終講義に登場した先生は、一見、以前のギラつきが消え、白髪も増えたし、一回り小さくなった気がしたが、口を開けば相変わらずの鋭さだった。教室を出る時、2つ下の女の子(といっても37、8だが…)たちが「先生、ちっともお変わりなくて〜」と言っていて、先生が苦笑いしてたので、横から「どう見たって変わったでしょ〜!」と突っ込んだら、先生がニカッと笑って、その瞬間、先生と私の間にあった大学当時の空気が戻って来た(たぶん)。講義は、とってもおもしろかった。私がこれから考えていきたいことへのヒントもたくさんあったし、むしろこれから先生とやり取りしていかなくてはと思った。慰労会ではさらに、ほんの数分の会話の中で、少しの無駄もなく痛いところをザクザクしていただき、痛いながらも、ありがたくすっきり。猪木にビンタしてもらう人って、こんな気分なのか…?


2010年03月18日(木) わかっている

 ローンの審査に通った…!やったー!心おきなくスタートできる。この部屋にはもう、あとひと月もいない。それもピンと来ないが、半年もしないうちに新しい家が建ってて、ポンコちゃんもいる。そのピンと来なさと言ったらないが、でも、そうだろうな、という確かな気持ちもある。理屈ではピンと来ないけど、心では、もうわかっている。明日は土地の契約だ。おっと、その前に、大量のお仕事…。でもがんばれる!



2010年03月17日(水) びっくら

 心苦しくも〆切を過ぎていた原稿と版画を完成させ、心苦しくも提出期限を過ぎていた確定申告を完成させ、ヒコを迎えに行ったら、いつものように「今日はどこも行かん?」と、探りを入れて来た。誕生日に買ってもらいたい仮面ライダーのなんとやらを教えるだけだという。でも最近は、おもちゃ屋さんに行っても、けっこう買わずに帰ることも多い。今日も何も買わずに、しばらくおもちゃを見て、トミカのカタログをもらって、地下で買い物。こういう場所にありがちな安っぽいアレンジのBGMが相変わらず流れているのだが、なんか耳に引っかかるので、何の曲だったかな…と数秒音を追っかけて苦笑い。だってそれは、YMO散開のあと行き場をなくしたテクノ少女が、なにをどう青春していたのか、高校生のころ聴きはまっていたセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」だったんですもの〜。ジョン・ライドンもびっくら。

 今日もなんとか乗り切った。明日もがんばろう。


2010年03月16日(火) 純粋

13日…熊本へ。安田先生最終講義&慰労会。慰労会の前にちょっと立ち飲み屋へ。
14日…小国へ。お昼は大観峰でだご汁。温泉&焼肉&深夜まで友だちと話し込む。
15日…長崎へ。お昼は雨の久住のドライブインでボルシチ。7時ごろ帰り着き、小国で買ったチーズとソーセージ。
16日…検診へ。ま、た、も、や、「頭が大きいですね〜」と言われる。ま、兄妹ですから。夜は実家へ。

純粋備忘録だ…。


2010年03月13日(土) 役に…あ、立ってたりして…

 今日は大学の先生の退官最終講義と慰労会で熊本へ。雨だが。
 大学で、具体的な「使える」勉強をしたという記憶は薄いが(文学部にそんなもの求めるのもどうかと思うが…)、行って良かったなーとは強く思うし、いまの自分はないと思う。よく大学が役に立たないとかなんとか言われることがあるけれど、具体的に「この講義はこれに役に立った」というものばかりが「役に立つ」ものじゃない。4年間、講義に行ったり行かなかったり、散歩したり本を読んだりお酒飲んだりしゃべったり、バイクに乗ったり…。
 高校一年生の現代社会(これもまた「役に立たない」とカテゴライズされがち)の授業で、資料集の片隅に載ってた「民俗学」っていうコラムに心ひかれてから、なんと四半世紀!おとなりの県の大学に「民俗学コース」をみつけて、入って、出てから20年。ふと気付いてみれば今、そのころ研究室でみかけていたような本を読むようになっていたりして、めぐりめぐっている。もっと言うなら、それで文章を書いて、いくばくかの生活の糧を得たりしているのだから「役に立ってる」わけだ。そんなつもりじゃなかったのに、はからずも。安田先生、ありがとうございます。
 ということで、今日は熊本、明日は小国。帰ったらまたジェットコースターの日々だし、温泉に入って、ちょっとひとやすみ。


2010年03月11日(木) その時々を

 身動き取れず、気付いたら、夕方。時間単位で振り返ると、なんかよくわからないスピード。お昼も食べそびれた。でも、その瞬間瞬間は、わりと静かに判断している。
 ゆっくり考える時間はないけれど、むしろ、そうしないほうがいいから、そうならない状況にあるのかもしれない。その場その時の反射神経的判断のほうが、いい答えを出してくれることだって多い。そうじゃないと、子どもを産むことと家を建てることが、いっぺんにやってくるはずがない。
 そんなこんなで、自分の中のものがどんどんサバサバと取捨選択されていっているが、この5年ほどの悩みのようなものにも、一応の答えめいたものが出た。それを、夢の中で、夢の中の自分の口から言っていたのがおもしろかった。目が覚めて「あぁ、そうだよね、それでいい!それしかないじゃん!」と、ひとつ、脱皮した気がした。
 ようやくローンの本申請の書類が出そろった。テーブルにそれを広げながら、さて、担当の人に電話しようかな、と思っていたら、その人から掛かってきた。お〜、ほんとに動いてるなぁ〜。そう、動いているのだ。動いているから、ごちゃごちゃ考えたって仕方ないのだ。ポンコちゃんだって、待ってって言っても待ってくれるわけでもなく、産まれる時には産まれるのだ。家だって、建つ時には建つ。その時自分にやれることをやっていくしかないではないか!書類を間違いなく書いたり、印影濃くはんこを押したり、真剣に壁紙の色を決めたり、陣痛をやりすごしたり、時間の間隔をメモしたり、いきんだりするとかしながら!
 今日は1週間ぶりにダンナも出張から帰ってくるし、夜は少しだけホッとしよう。


2010年03月10日(水) 猛獣使い

 最近聞いた中で、とっても腑に落ちた言葉と言えば「地主さんって、変わってる人多いんです」だ。「土地」と人間の関係ってたぶん、一般的に思われているよりももっと深くて複雑で、わかりたくてもついぞわからない、というようなものが横たわっていると思うのだけど、「地主」っていうありかたはつまり、「土地」の力を「不動産」というほんの一面で見切ったつもりになって「私にはわかっている。」と、言い切ることなのだろうから、やはりどこかに無理が来るのかもしれない。もっと言うと、人間の範疇を超えた部分に触れてしまうので、一種、妖怪チックになるというか。「『自然』を把握し、コントロールできている」と思い込んでいる点では、猛獣使いのようなものだから、そうでない人からは、いささか魔境の人に近く見えるのかな、と思う。偏見?

 突然、雪。今日だけ冬に戻るらしい。ポンコちゃんがお腹の中にいて見る雪は、さすがにこれが最後だろう。


2010年03月09日(火) 無ければ無いで思ひ出しても見ない…

 午前中、家についての打ち合わせ。「カフェ平井」で書類を見たり、話し込んだり。気付いたらお昼。帰ろうかな、とも思ったけれど、なんか落ち着かなくて、そうしたほうがいいような気がして、「紅灯記」でエビワンタン麺を食べて、ふたたび平井でコーヒーを飲む。そしていつもは「週刊文春」を読むのに、なんとなく「家庭画報」を開くと、大好きな(と言うにはちょっと畏れ多いが)青山二郎さんの言葉が大書きで紹介されていた。

 「眼の引っ越し」

 おおおー!いま、まさに、現実的な引っ越しをしようとしているこの時期に!と、ありがたく胆に命じなおす。そして、これをタイトルにした文章の中で彼が書いていた一文をあらためて噛みしめる。

 引っ越しの時、私は夥しい無用の物を発見して驚きました。単に無用の物、今後無用の物、すでに無用だつたもの、役に立ちさうで立つた事の無い、欲しければ何処にでもある、無ければ無いで思ひ出しても見ない、今捨てなければ切りの無い無用の物……私は毎日、家に火がつきさうになる程、燃やし続けたのを思ひ出します。(青山二郎「眼の引っ越し」)


2010年03月07日(日) 輪郭

 9時過ぎに起きて、洗濯して、掃除して、ヒコを実家に送って、初めて行くカフェでごはんを食べて、ちょっと街を歩いて、家に帰って読みかけの本を読んだりして、今日は休んだ。明日からはまた1日に2つくらいずつの懸案事項があるが、明日は、明日。

 カフェのごはんはおいしかったけど、オバハンはもう、そういうところではあまりくつろげないのかも…と思った。自分や自分たちのことを、おしゃれというか、いけてる(どっちも死語?)というか、あるいは自分らしく生きてるとか、そういうふうに思ってるんだか思いたいんだか、自分を探したりしてるんだか、そんな感じの若い人たちのふるまいやおしゃべりが、ちょっと痛々しくて、せつなくなってしまう。そういう時期や状態をまったく否定しないし、ほとんどの人が通る道なのだからいいのだけど、居合わせるのは、ちょっとつらい。

 つまりは「自分」「私」のウエイトが高い、あるいは、高くあらねばならないと思っている人の横が、とみに居心地が悪いということか…。自分自身のそういう部分が、最近、加速度的に滅却してるしなぁ…。そもそも、腹ん中に違う人いるし。でも、その「違う人」の「違う」さえも、どっからどこまでかよくわからない。

 この傾向はいつからだろう…ひとつ思い当たるのは、前に「見える」お姉さんに、「胸のあたりに、紫色の光がある」と言われたこと。それが何かについてもいろいろ話したのだけど、「そういうものがあるのはわかる気がする。それがあると仮定すれば、それさえ大切にして、この先やっていければいい」と思ってから、さらに、目に見える自分の輪郭がぼやけだした気がする。

 だから目に見える輪郭のはっきりした…自覚的にはっきりさせようとしている人がそばにいると、なんか「ごめんなさい」なのだ。これは「なにかやりたいことがあって、それに向けて努力している」というような「輪郭」ではないのだけど(それは私だって持ちたい)、油断すると「似て非なるもの」とすり替わりがちになるので気をつけなくてはならない。

 ヘタにのんびりすると、話がややこしくなるな…。さ、ヒコを迎えにいこう。


2010年03月06日(土) 嵐は過ぎ…てるか?

 わかっちゃいたけど、ひときわ嵐のようだったこの3日。とても妊婦が向き合うべきスケジュールではなかったが、なんとか、あとひと息のところまで来たのがわかったので、オヤユビキングを予約。
 今日見た夢は「これから先やれることも、希望がいっぱいってこともわかってるんだけど、まわりの人がそれぞれの道に進んだので、いまはひとりぼっちになってしまった」というもの。過去だったのかなんなのか、ヒコもダンナもいない設定だった。しくしく泣きながら目を覚ましたら、ちょうどトイレに起きたダンナに気付かれたのが、ちょっと恥ずかしかった。こうやって時々、夢を見て泣いてしまう。
 今朝も、上の階の人が引っ越していったようだ。ひょっとしたらうちが最後かもしれないが、3月いっぱいは、とても動けそうにない。3月分の家賃も払ってるし。昨日の帰りがけ、車を降りていたら、ちょうど大家さんがいて「みなさん3月には出て行かれるので、4月から工事を始めます…大きい音がすると思いますけど…」と牽制球が飛んで来た。そう言われても、そもそも引っ越し話がある前から「3月は大忙し」ってわかってたので、無理なのである。
 さぁ、とにかく今日の分を終わらそう。来週も仕事&新居関係のことがテンコもりもりだけど、自由業者に産休なし!なので、できるうちにやっとこう。そして週末は、定年退職する大学の先生の最終講義と慰労会で熊本へ。腹ボテで行くとは思わなかったな…。


2010年03月03日(水) なかったようであった

 家を探しはじめて、いちばんにグッと来て縁あることを願った家が、取り壊し中。毎日通るので、イヤでも見なくてはいけない。入れるギリギリまで入って写真を撮って、ひなたぼっこしてた猫にもあいさつして、間取りや庭や、外側をどんな色に塗ろうかなんてことまで妄想してたので、やっぱりちょっと寂しい。寂しいけれど、あの家と少しの間だけでもめぐりあって、いろいろ考えたからこそ、今度の新しい家についても、いくつもアイデアが生まれた。そういう意味では、縁がなかったようであったとも言える。今日はこのあと、設計プランの打ち合わせ。こないだ「こんなのは?あんなのは?」と言いたい放題ぶつけたことが、どう形になってくるのだろう。楽しみ。

 きのう、車で走っていたら、魯山人によく似たおじさんが自転車に乗っていたのが見えて、不思議な気分になった。

 


2010年03月02日(火) あれもこれもごった煮の

 明け方、自分の「ぎゃあ!」という声で目が覚める。ダンナもビックリしていた。とにかくもう、いま抱えているありとあらゆる気になることや心配事をごった煮にしたような夢を見ていたのだ。でも、大掃除、って感じだ。「そうか、このことも気になってたんだな」と、あらためて自覚できたような気がした。
 2週間ぶりの検診。逆子は治っていた。ポンコちゃんは元気そう。よかったよかった。いつも「なにか気になることはありませんか」って聞かれるけど、そんなにない。花粉はやり過ごすしかないし、疲れたら腹は張るけど、休めば治る。でも「病院」という場所で「なにか気になること」を聞かれたら、答えなくちゃいけないかと思ってしまう。だけどやっぱりなにもない。そしてそれは、とてもありがたいことだ。40目前妊婦が、つつがなく妊婦生活を送れるというのは、ほんとうにありがたいことなのだ。
 といいつつ、3日分ほどの料理を仕込んだり、たまっている仕事をしたり(ついに様子をうかがう電話が!)。そして当然、腹は張る。でも、きっとなんとかなる。
 そんな中、最近ヒコが大好きな、教育テレビの番組に出てくるトータス松本さんのタマゴの唄(「みいつけた!」というらしい。さっき知った)が入ったCDを、電話して取り置きしてもらった。iTuneで探したら、その曲だけはダウンロードで買えなくて、でも、他の曲もいくつか聴いたら良さそうだったので、買うことにした。ヒコはこの曲がテレビで流れるのをいつも楽しみにしていて、ところどころ、一緒に歌っている。帰りの車で、突然聴かせたら喜ぶだろうな。どんな顔するだろう。ふふふ。


2010年03月01日(月) ボルトとナットをきゅきゅきゅ。

 こつこつと仕事。今日やっているのは、2月中に目鼻を付けたかったもの。家のことやらなにやらで、ちっともできなかったので、その分を取り戻したい。
 その仕事の中で、三菱のことが結構なボリュームで出てくるのだが、そういえば私の「じじ(じいちゃんのことをなぜかこう呼んでいた)」も三菱の下請けだか孫請けだかの鉄工所を営んでいた(私はその時代を知らないけど)。鉄工所を畳んでからも…そう、亡くなる数年前に倒れちゃった日だって、香焼の工場に通っていたのだ。じじは手先が器用だった。ちょこちょこ壊れたものを直すのはもちろんのこと(中古カメラ屋だってしてたことがあるらしい!ほぼ趣味の!)、なにかしら、細かいものを作ったりしていた。宝くじのハズレ券を小さくてカラフルな屏風に仕立てたりとか。ぷぷ。あれ、捨てちゃったのかな。
 こないだヒコが、知り合いにいただいた工具のおもちゃで遊んでいたとき、母が「じじが見たら泣いて喜ぶばい!」と言ったので「なんで?」って聞いたら、どうやらじじの鉄工所では、三菱に納入するための、とっても精密なボルトとナットを作っていたらしい。ヒコはそのとき、けっこう器用に、そして几帳面に、ボルトとナットをずらりと取り付ける「作業」にいそしんでいたのだ。
 こうして、たくさんの小さな工場や鉄工所や、機械油の匂いのする職人たちや、その子どもや孫たちが、知ってか知らずか長崎には生活している。三菱がいいとか悪いとか、そういうことはひとまず置いといて、手を動かして物を作ることが息づいているのは、悪くないな、と思う。


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