ぴんよろ日記
DiaryINDEXpastwill


2010年01月31日(日) 答え、か?

 昨日の夜は、一週間ぶりにやっと帰って来たダンナとヒコと若い友人まっつんと、江戸善で唐揚げ。お腹の不調とムカムカがまだ残っていたのに、あの独特の唐揚げが目の前に出てくると、つい勢いよく食べてしまった。5個ほど食べたところでふと我にかえり、腹に湯豆腐をしみ込ませる。
 その後、岡野さんの還暦ライブへ。もっとのんびり進んでいるかと思ったらそうではなく、人もぎっしり!ものすごい熱気だった。ライブの合間や終了後、知ってる人、初めて会う人、知ってたけど初めてしゃべる人などと言葉を交わしているうちに、なんだか元気になってしまい、打ち上げも途中まで参加。気付いたらおいしい薫製など、むしゃむしゃ食べていた。11時過ぎに帰宅したら、男3人が元気に飲んだり遊んだりしていたので、またしばらくしゃべる。

 物件探しも、どん詰まり。「おっ!」と思ったら、前に見て却下した物件だったりして、もう見尽くした感がある。昨日などは、家作りをお願いしようと思っているKさんから「こんなのありましたけど」とメールが来て色めきたったが、それはなんと、今回家探しを始めた時に、いちばん最初に見に行った物件だった(そのものは悪くなかったけど、そこに行くまでの道が泣きそうに狭い)。これまでも(実現に至らないまでも)イカした物件を探して来たKさんからそう来たということは、こりゃもう「一周した」ってことだ。そしてそんな今でも、ポツリと消えずにたたずんでいる「あの物件」が、つまりは「答え」なのかもしれないな、と思いはじめている。思ったところで、ローンが通るかどうかもわかりゃせんので、審査にかけるためにも、Kさんのラフプランを待つのみだ。
 それにしても、毎日通る「先を越された物件」は、何度見ても魅力的。しかもまだ「売物件」の看板がある。工事も始まっていない。奇跡がおこらないかしら!買った夫婦が転勤とか!


2010年01月30日(土) 釘付け

 昨日アップルから送られて来た発売予告メールを皮切りに、iPadに釘付け。そのままサイトを開いて、半分もわからないながらも、しばらくアメリカでの発表ビデオを見たりして。ううう…気になる〜。「ほぼフルサイズのキーボード」にグラグラだ。これなら、外に出て、スケッチするように、たくさんのメモや文章が書ける。500ドル…日本ではいくらになるんだろ。近日発表…ううう…。

 ヒコのウイルスがまわってきたのか、昨日は夕方からどんどん具合が悪くなった。子どもがいたら、病気リレーはしょうがない。休めってことだと、ありがたく寝込む。

 ダンナがようやく帰ってくる…。体調不良気味同士でヒコと2人の一週間は、長かった…。

 昨日ランチで食べたあったかいリンゴケーキがおいしかったので、リンゴとみかんをバターで炒めて、シナモンを振った。


2010年01月29日(金) 格闘

 夜中、夢の中に現実世界から聞き流せない音が届いたので確かめてみると…オウ!ヒコ氏が寝下痢…!!!まだ嘔吐下痢症を引きずっていたのだろうか…。がんばって洗ったり拭いたり。一段落して横になって、ヒコのお腹に手を当てていると、ぐるぐるぷちぷち…と、まだ格闘中の音がして、もういちどトイレへ。激しい夜だった。

 以前から気になっていた古道具屋さんで、ランプを買う。一度見て、忘れられなくて、しかも今日あらためて値段を聞いたら、なぜか最初聞いたのより6千円も下がっていたので、男前即決。玄関に良さそう…って、家も土地も決まってないじゃん!と、自分に突っ込む。

 初めて行くお店で、ランチを食べる。予想していたのよりもずいぶんおいしかった。


2010年01月26日(火) またもや

 朝起きたら、ヒコがまた不調。おとといは嘔吐下痢だったが、今日は風邪な感じ。私もなんだか重いので、2人して寝て過ごす。夜、ショウガのすりおろしを入れた熱いお風呂に入り、すぐ眠る。


2010年01月25日(月) 草木の緑はすべて

 家について、考えないようでいて、やはり考える。いくつか「こうしたいな」というものも浮かぶので、書きとめたりしながら。しかしダンナはもっと夢にあふれている。「10坪から建てられるガレージのある家」という本を、夜な夜な開いては妄想にふけっている。この本には他にもいくつかシリーズがあるようで…というか、そもそも「ガレージのある家」「Garage Life」という雑誌が存在していて、その別冊らしい。世界は広い。
 私が「ガレージハウス?したいんならすれば」というスタンスを取っていることに対して、時に「とても寛容な妻」という称号が贈られることがあるのだが、そうなのか? 一緒に暮らす人が、楽しい暮らしを送るために熱望しているスペースを確保することが、そんなに贅沢なことなんだろうか。「家の中にガレージを作るくらいなら、お客さんが泊まる部屋ができるじゃない!」なんて言われるのかな。そんなに毎日、客が泊まるのか?それよりも、一緒に住む人が毎日「うれしいな」って思うほうが大事なんじゃないか?「ダンナの好きにさせない」というのが「妻の甲斐性」なのだとすれば、それはなんて寂しいことだろう。
 「家作りって楽しいな〜」と「10坪から…」を眺めていたダンナが思わずつぶやいていた。私には相変わらず、そこまでの思い入れはない。狭くてもいいので一人の空間が確保できていて、なにかひとつのテイストに染まり過ぎていなければ、それでいい。幸い現時点で「建てるにしてもリフォームするにしても、たぶんこの人にまかせるだろう」という人が見つかったので、彼にいくつかのポイントを告げて、提案してもらって、選択する、というやりかたになるだろう。だからこそ「家作りって、楽しいな〜」と思う人が、どんどんやってくれたらいいと思う。
 それでもまぁ、自分が毎日過ごす場所だから、気になるのは気になる。本屋さんでも、その手の本を眺めてみるようになった。いまのところ「心のベストワン」は、「とんぼの本」シリーズで見つけた「ルイス・バラガンの家」。どうやら大変な建築家の家で世界遺産にも登録されているらしいが、気取りすぎず、所帯くさくなく、静かそうで、でもかわいらしい色味も差していて、庭もすてき。もちろん真似できない部分や、私には必要ないものもあるけれど、基調はこれで!という気持ちだ。
 この本には、バラガンさんの言葉や考え方がいくつも紹介されているが、いちばん好きなのは、

 バラガンは花よりも、葉の緑を愛した人だった。草木の緑はすべてちがう色だ、ということを、くりかえし語っていた。

 という一文。これだけでもう、私はバラガンさんに大きな信頼を寄せた。



2010年01月24日(日) 「番」が来たことの

 昨日は、数年ぶりの結婚式出席だった。ドン腹さんに着物で。新郎新婦ともに放送関係者だったので、それぞれの職場の人たちが「特番」を作っていて、それをみんなが見ているあいだ、料理を食べるのがどんどん滞り、最後にはローストビーフと角煮饅頭と赤飯と中華スープとマンゴープリンとお汁粉が並んでいるという無法っぷりだった。卓袱料理は長崎の定番宴会料理だが、結婚式場にはこれに輪をかけた「和洋中卓袱」というコースがある。そもそも卓袱料理自体「和華蘭」なものという意味を含んでいるのに、これじゃ「頭痛が痛い」どころか「頭痛の頭が痛い」状態である。いきなり、洋風のオードブルと中華クラゲと舟盛りが出てくるのだ。慣れているからなんとも思っていなかったが、冷静に考えるとかなりおかしい。
 結婚式は、式場のパンフレットにどれだけ「お2人らしいウエディング!」なんて書いてあっても、だいたい似たようなものだが、それでいいんじゃない?と、年を取るごとに思う。ほとんどの人は、みんながやるようなことをやるから「あぁ、自分も結婚したんだな」と思えるのかもしれないし、なによりも当人たちにとっては、形はどうであれ、その日その時しかない、とても大切なものなのだから。それを「似てる」という理由で小馬鹿にしても始まらない。「誰もがやること」について、ほかでもない「自分の番」「親しい人の番」が来たことのすごさや素晴らしさを祝うことの方が先だろう。

 今日はヒコと2人。マイケルジャクソンの映画が最終日だったから「観に行こうか」と話していたけれど、お互いいろんな疲れをためていたのか、2人して寝込む。ヒコは軽い嘔吐下痢症だった様子。でも夜にはすっかり復活していた。



 


2010年01月22日(金) 廃人物件

 「ひょ、ひょっとして、もう飛んでるんですか…???」と思ったりするほど、とめどなく生産される鼻水とともに、物件探しや妊婦疲れなどと格闘する日々。でも時々笑っちゃうような物件があって、疲れを癒してくれる。今日の大ヒットは「時々行く立ち飲み屋さんの横の家」というもの。ダメダメ!廃人決定!…なんて、楽しんでいる場合ではないのだが、楽しむしかないもんなぁ。
 そんな中、昨日から妹一家が帰って来ている。甥っ子くんが育っていてかわいい。ヒコとはまったく違うタイプ。動きも笑い方も。子どもって、ほんと違う。


2010年01月19日(火) 化ける、という想像力。

 家についての打ち合わせ。
 家探し…結局はもう、自分たちと「似た人種」の人を探すしかない、それがいちばんの近道だ!と思った。有能とかやり手とかマメとか、評価基準はいろいろあるんだろうけど、どういう土地や家でどんな暮らしをしたいかをピンと来てもらえなければ、100軒紹介してもらっても見つからない。だから、もちろん私たちに合う人が誰にでも合うとは限らないけれど、雑誌やHPを見て「この人なら、あるいは…」とメールして今日会った人は、いきなりグッと来る物件を探していてくれた。とにかく眺めがすんばらしい!でも普通の宅地として見ればかなり狭いし、クリアできるかどうか調査中の難点もいろいろあるのだけど、それを超えて「ここ、うまくやれば化ける!」と思いつく人だった。たぶん「正統派」の不動産屋さんなら、今日の物件は絶対に持ってこなかっただろう。
 さぁ、どうなるだろう。ひところのあてどない状態からは抜け出せた気がするが…。


2010年01月18日(月) 探しにくくても

 お昼ごはんの用意をしていたら、突然、頭の中に「ベリアル」という言葉が浮かんで来て、なんだろうと考えたら、昨日ヒコと観に行ったウルトラマンの映画の、悪いウルトラマンの名前だった…。ウルトラマン…着ぐるみってだけで、ほぼ全編カンフー映画みたいだった。オチは人情話だし。ウルトラマンやウルトラセブンが、人間の姿になった時、オッサンだったのがおもしろかった。そして「カンフー映画」らしく、ひとりはチャイナカラーの服だった。やっぱりか!

 昨日のショックが覚めやらないまま、なんとなく良さそうだと思った物件を見に行こうとしたら、道が細くて断念。私は細い道や離合や車庫入れが、ヘタな男よりは間違いなく得意だが、今日のは完全に無理だった。冷や汗かきながらバックで戻った。いくつか気になる物件に電話もしてみたけど、やはり「車」がネックだ。でも、ダメにはなったけれど、昨日まで願っていたあの家(土地)のような物件だって、ある。だからきっと、どこかにあるのだ。探しにくいけれど、見つけるしかない。

 「次の人」がやってくる前にということなのか、手ぬぐい&写真のカリオカさんに触発されたのか何なのか、ヒコの赤ちゃんの時の写真をアルバム化中だが、我ながら膨大な写真の数だ。選んでプリントしたはずなのに、誕生から半年分が1冊に収まらない。しかもその次の半年は、座ったり立ったりと動きが出てくるので、もっと多くなってしまっている(いま見たら、400枚近く)。果てしない作業…。でも、たしかにアルバムになると楽しい。こうしてみると、パソコンやディスクの中にあるものは「ある」とは言えないとわかった。あまりに写真の数が多いから、とにかく無印の増やせるアルバムに貼りまくっているだけだが、ヒコも何度も見ている。保育園に持って行って、みんなにも見せていた。



2010年01月17日(日) しょんぼり。

 毎日通るたびに「うちにおいで〜」と呼びかけていたあの家(というか土地。家はいわゆる『古家付』の代物)だったが、問い合わせていた不動産屋さんから「明日、契約です」というメールが来た。しょんぼり。
 見れば見るほど好きになり、間取りどころか、壁に塗るペンキの色まで考えていたあの家は、ほどなく壊されるだろう。玄関のタイルやガラスブロックも粉々になるのだ。そしてピカピカの立派な家が建つのだろう(ひょんなことから、小金持ちの夫婦に買われていくということも知ってしまった。たぶん家だけで2000万以上はかけると思う)。「あの木とあのへんの草は残そう」と思っていた庭も、たぶん、ぜーんぶ掘り繰り返されて、取って付けたような「ガーデン」ができるのだろう。しょんぼり。
 気を取り直して…と思うが、しばらくは、かなり落ち込む。あてどなく次の物件を探すためにパソコンをぼんやり見ていたら、ヒコから遠慮がちに「おなかへった…」と訴えが。ごめんごめんと、シャケのバター焼きを作る。

 昨日今日とダンナは泊まり。今日はそうでもなかったが、ヒコが「父の不在」をすごく寂しがった。昨日の夜などは、電話で話しながらボロボロと大泣きしていた。こないだはこないだで、私の実家に泊まろうとしたけれど、寂しくなったらしく「小学生までは泊まらない」といって帰って来た。頭や心の中の「寂しさセンサー」が発達したのかもしれない。


2010年01月15日(金) 意外に、木が。

 そうは言っても家のことを考えてしまうので、雑誌で気になった建築の人にメールしてみたりする。家や暮らし方って、しみじみ千差万別十人十色だから、「ピカピカのニュータウンの新築一戸建てが最上」と思ってる人(不動産屋さんとか)には、「古い建物にペンキを塗って…」というような気持ちが、どうしても伝わらない。表面的には「フンフン、なるほどですね」と言ってもらえても、心の中で「なにワケわかんないこと言ってんだか…」とクエスチョンマークが飛んでるのが見えてしまう。
 今回の家についてのあれこれで、自分の好みというか、傾向や考え方がいくつも浮かび上がってくるのがおもしろい。雑誌や広告などで出てきがちな「家と子育て」の関係についても、思うところいろいろあったが、これは「子育てブログ」の方に書くとして、けっこう意外だったことのひとつが、「木があんまり好きじゃない」ってことだった。「木のぬくもりを大切にしました」とか「無垢材使ってます!」っていう売り文句をよく目にして、最初は「なるほど、いいんだろうな」って思いこんでいたのだが、日に日にピンと来ない気持ちが大きくなる。床が木なのは大好きなのだけど、壁も天井も手すりも、というのは、これはもう、はっきりと嫌いだ。そして床の木も、木目が目立っている材質はいやだ。そしてたぶん「木が嫌い」ってわけではなくて、「ひとつの素材ばっかりが威張っている」というのが、なにより苦手なんだろうと思う。なんにしても「それだけ!」っていうありかたに魅力を感じない。食べ物で言えば、エビは大好きだけど「エビづくしコース」は絶対に注文しないということだ。だから、いくら健康に良かろうが子どもがキレずに育とうが、見渡すかぎり木目ってのは、ノーサンキューなのである。
 


2010年01月13日(水) 雪の一日

 雪、雪、大雪!
 車はもちろん運転不能。山間部の我が家を通るバスも、昼過ぎまで運休。
 腹ぼてさんなので、凍った階段を降りるのもためらわれるし、雪遊びってわけにもいかず、もったいないけど、ヒコと2人、家に塗り込められる。時々雪を見ながら。


2010年01月12日(火) 飽きてきた…

 そしてまた、夢の中でまで家についてばかり考えているが…正直なところ、ちょっと疲れてきた。なんにもなければ、この部屋を出ることも考えなかったし、もともとあんまり興味のある分野でもない。私の望みは、バスの便は1時間に2本でいいから眺めが良くて、仕事部屋があって、少々の薬味が植えられる土があったら嬉しいな、というくらい。大きな家に至ってはむしろ住みたくない。施行例に登場する「奥様」たちのように「家事動線が考え抜かれた使い勝手の良いアイランドキッチン」や「家族の笑顔と気配が感じられる開放的なリビング」に憧れたこともなかった。「ガレージ」という夢があるダンナのほうが、よほど家に対しては「理想」があると思うし、具体的にもブツブツひとりごちている。私はそれについて自他ともに「寛大に受け入れている」状況だが、「受け入れる」も何も、自分自身にたいした希望がないから、不動産屋さんに説明したりする時にも、本心では助かっている。いま「小さな土地に小さな家を建てる作戦」も急浮上しているが、そうなった場合、ハウスメーカーだか工務店だかの人に「奥様のこだわり」を何と言ったらいいんだろう。もちろん「こんなのやだ〜」ってのはあるんだが(やたら木目だらけとか、超スタイリッシュとか)、突き詰めたら譲れない「こだわり」なんてない。もし「あげるから住みなよ」って言われたら、木目でもロココでもコンクリ打ちっぱなしでもなんでも住むと思う。つまりは自分の仕事部屋があればいい。そんだけ。今回のことで「どんな家に住みたいのか考える」ってことは、「『価値観』や『ライフスタイル』を見つめなおす」ってことなんだ、ということがよくわかったけれど、それでわかった自分の「価値観」や「ライフスタイル」は、案外シンプルなものだった。さすが前世は修行僧。起きて半畳寝て一畳とまではいかないが、「9坪ハウス」がやけに心にしっくり迫るのも、そういうことかもしれない。
 しかしとにかく「巣」を変えなくてはならないのが現実なので、子どもを産みつつ(ついでにやることか?)勢いでやってしまいたい。そして早く落ち着いて、本来好きなことを考えたり書いたりしたい。


2010年01月11日(月) 今日もささやく

 家のことなんていままで考えたこともなかったから、つまりは未知の世界が広がっているわけで、非常におもしろい。やるべき仕事もあるというのに、ついつい、DIYの本や物件情報、はたまた建材オークションのページを見たりしてしまう。ほんの1ヶ月前まで、自分が「ガルバリウム鋼板」なんて検索をかけるなんて、夢にも思わなかった。「アンティークドア」でオークションページを開いたら、「最近検索したキーワード」として「ガレージ キット」「車庫 ガレージ」などが並んでいた。ダンナの頭の中でも夢が広がりっぱなしのようだ。(でも、どんなものかと開いてみたら、アニメの人形の「キット」が並んでいた。彼の困惑顔が浮かぶ…。)

 成人式の人たちが、ゾロゾロと歩いていた。あまりにもおなじような格好をしているので、オバハンには、まったく見分けがつかない。制服みたい。でも彼らのほとんどが自分のことを「ちょっと変わってるんですぅ」と思い、なおかつ「より私らしく」ありたいと思ってるんだろうなぁ…。

 そしてまた、あの家に寄り、「うちにおいでよ…」とささやいておく。


2010年01月10日(日) 神頼み。

 「あの家がうちに来ますように!」と、おすわさんに神頼みに行ったら、なぜかたくさん人がいて、車も行列していた。さらには結婚式も執り行われていた。なんとなくいい感じ。開いてないと思っていた「たけやま」も開いてて、カフェオレであたたまりつつ、家や大工仕事の話などする。帰りにはまた「当該物件」に寄って愛でたあと、「うちにおいで〜」と呼びかけておく。

 毎年楽しみな「福男」のニュース。どっかの神社で、男たちが全力疾走する、あれ。ヒコに見せたら、案の定がっつり食いつき、部屋中を走り回っていた。そんな我が家の福男くんは、本日お泊まり。いるとぐったりするが、いないと部屋がスカースカする。

 福男のニュース、なぜか3回も見た。いいことあるか!?



2010年01月09日(土) 来〜い!

 今日はヒコと物件探索。気になるところを4軒ほど、住所を教えてもらって、ナビに入れて出発。エリアとしては「このへん、いいな〜」と思っても、いざ該当物件にたどり着くと「こりゃちょっと…」ということの繰返しだった。そんな中、ダンナから電話。いま住んでいるところの近くに良さそうなものが!たしかに魅力的だったが、問い合わせたら「検討中のお客さんが近日中に返事をしてくるところです(たぶん買いそう)」とのこと。う〜ん、そうか。でも来ないかな、こっちに。こっち来〜い。きっと愉快に住ませてもらいますよ〜。


2010年01月08日(金) ピント合わせ行脚

 ダンナが休みだったので、コツコツと物件探し。こればっかりは、ほんと、コツコツと、だ。しかしまぁ、世の中にはいろんな物件がある。今日などは、あやうく古くて小さいビルのオーナーになるところだった…。車のことがなければ、景色も良くて安いところがたくさんあるが、車好きには厳しい長崎の住宅事情。でもきっといいところに落ち着くはず。こないだ「豆ちゃん」でランチを食べていた時に、私の本の隣に並んでいた「9坪ハウス」にもかなり心ひかれたりして、けっこう楽しんでいる今日このごろだ。
 いろいろ「こういうのもありかな〜」「こんなのもおもしろいかも!」なんて間口を広げてみるのだけど、実際に足を運んでみると、う〜ん、と頭を抱えたり、苦笑いしたりして、自分たちが家や暮らしに何を求めているのかがクッキリとしてくる。それが大事なんだろうな、と思う。そのピントが合った時に、きっと、現れるのだ。


2010年01月07日(木) 七肉の日

 世間は七草がゆで胃腸を休める日だが、我が家はダンナの誕生日なので、夜は焼肉。ちょうど7種類くらいの肉を食べたんではなかろうか。
 昼はヒコ隊長を早退きさせて、長崎市消防出初め式に臨席。
 男二人、ご満悦の日。


2010年01月06日(水) 直結感

 ケーブルで編集のサポート。ライブハウスとそのマスターを取材してきたようなのだが、それを見ながら「リアルタイムって、やっぱり強烈だよな〜」と思う。ビートルズのコピーをしているおじさんたちが映っていた。彼らの今だけを見るなら「懐かしがりやさん」でしかないのだけど、彼らはビートルズの新譜を待ちに待ってたりしたことがあったんだな、と思うと、そりゃー、その気分だけは一生もんだよな、と思う。そしてその「ときめき」は、やっぱりリアルタイムのめぐり合わせでないと味わえない。だからいつの世も新しいものは現れるし、それを心待ちにする気持ちも存在する。たとえそのクオリティが、別の世代の人から見れば焼き直しのくだらないものでも、「まだ見ぬもの」「待ちわびて手に入れるもの」という、「古典」には肩代わりできない役割がある。なんてことをボーッと考えた自分自身、いま「若き日の細野さんの歌声」がブーム。YMOですらない頃の。
 リアルタイム、ってことは、後世に残らない「雑多なもの」も一緒に吸い込むってことだ。その人のゴシップ記事とか、番組のゲストに出たとか、雑誌に書いた短いエッセイとか。そういうものは、よほどのことがないと残らない。でも、それこそが空気だし、妙に覚えてることだし、自分と時代とその人たちの細かい接点だ。「古典」となる「作品」の素晴らしさは、それによっては揺るがないけれど、それがあるのとないのでは、その「古典」を味わう味蕾の数に、格段の差をもたらすだろう。もちろんそれが「価値そのもの」を曇らせたりゆがませたりしてしまうことも多々あるだろうが(別れ話を切り出された時に流れていた曲を、平常心で聴くことは難しそうだ)、ほとんどの人にとっては、それでいいのだと思う。
 しかし困るのは、自分たちが熱き青春時代にリアルタイムで聴いていたものを、後の世の人がおなじ熱狂を持って聴き込まないことを嘆く人がいることだ。そんなことできるわけないでしょ!

 昨日、包丁で指を切って痛い。けっこう深かったので、キズパワーパッドがパンパンにふくれている。血もいっぱい出て動揺したのだが、その動揺がストレートにヒコにシンクロしたので、グッとこらえた。ニコニコピカピカの顔が、瞬時に曇った。これは「傷を見て痛そうと思った」とか、そういう目に見える次元の話ではなく、もっと、テレパシーというか、意識のあずかり知らないところでつながっているパイプがある、というような感覚だ。直結感。これはヒコが赤ん坊の時にはよく感じていたし、おっぱいをあげながら暗いことを考えた瞬間に泣き出すなんてこともあったけど、最近は忘れていた。ほんとうは、まだつながってたんだ…。

 すごいこじつけかもしれないけど、親子、特に母子って、究極の「リアルタイム」だ。だから、まだ自分が柔らかい時に聴いた曲を「なんでこの良さがわからないんだ!」ってわめくのは、「オレの母ちゃんのコロッケがいちばんうまいに決まってるだろ!」ってダダこねてるようなものなのかもしれない。そういう人と遭遇したら、今度からそう思えば腹も立たないだろう。


2010年01月05日(火) 似てる…。

 検診。またもや女子の可能性がグンと高まる。というか、ほぼ、女子。そして顔も真正面に見えたが、生まれた時のヒコそっくり。赤ん坊の顔なんて皆おなじとも言えるだろうが、見た瞬間「似てる!」と思ったので、似ているのだろう。元気だったので良かった。前は、自分に子どもが生まれることが信じられなかったけど、今回は女の子ということがピンと来ない。そんなものなのだろう。
 相変わらず家も決まらないのに、また、リフォームの本を買ってしまった。
 本屋で、店員さんに対して、ものすごく怒り狂っている人がいた。「店長を出せ!」ってわめいて店長が出てきたら「お前じゃ話にならん!社長を出せ!」と、お店の人には気の毒だけど「こんな人、ほんとにいるんだ…」と感心したほどのコテコテっぷり。なにか不具合があった商品を突き返そうとして、買った時のレシートを見せてくださいと言われたことにブチ切れたらしい。そのエネルギーを違うところへ!

 お昼は「紅灯記」で麻婆豆腐を食べ、「平井」でコーヒー。まるっきり日常生活。


2010年01月04日(月) 新年風景

 11時まで眠っていた2日の初夢は、「今年はたくさん文章を書きたいので、小さなパソコンを探している。ちょっと型落ちなんだけど、なぜか『ymo』のロゴがデカデカとついたものがあり『やっぱりこれ、買いだろうなぁ…』と思いつつ、お腹が減ったのでナポリタンを食べに行く」「みかんを入れておくのに適当なザルが見つかる」の2本立てだった。まぁ、「見つかる」感じでいいだろう。この調子で家もお願いします!
 午後はおばちゃんちに行き、ばあちゃんたちと過ごす。お盆のお墓でも思ったけれど、子どもが放つ「光量」ってすごい。そしてそれに引き寄せられるばあちゃんたちの様子も。でも決して一方向じゃない。ヒコもばあちゃんたちから、いろんなもの(お年玉だけじゃなく)を受け取っていた。お互いにチャージしているのだ。赤ん坊や犬猫が「いるだけでいい」っていうのも、このへんにつながっていると思う。

 3日も結局起きたら10時過ぎ。ダンナの友だち一家と新年の挨拶を交わし、諫早の「拓どん」でうどんを食べ、祐徳稲荷へ初詣。祐徳稲荷に特別な思い入れがあるわけではないが、なんとなく、距離がちょうど良かったので。着いたのは夕方だったが、人は多かった。丘があって、川があって、大きな岩があって、その上に建物がある。今は祐徳稲荷で有名なのだろうけど、もともとは「気持ちいいプラスなんかありがたい」土地だったんだろう。
 武雄まで回り道して、ホワイト餃子を買い、家で焼いて食べた。「餃子を食べたあと、口の中を火傷してなかったら、達成感に欠けるよね」とダンナに言ってみたけど、もちろん「意味が分からない」と返される。

 今朝はヒコを送り、おすわさんへ。毎年恒例の仕事始め参拝だ。自分の商売繁盛と安産祈願もあるが、この日に集まっている参拝客を見るのがかなりの目的。会社関係の人がわらわらとスーツを着込んで、なんというか、会社風を吹き散らしながら束になって歩いているのが、お祭りみたいでいいのだ。この人生で私が選ばなかった世界の人たちが、「会社世界」の匂いをムンムンさせている。普段は静かな銭洗いの狛犬(彼が口から出している水でお金をゆすぐと倍になるというふれこみ)のとこにも一群がいて「これでウチも倍々ばい」と和気あいあい。みんな楽しそう。ここ数年、この日に通っているけど、いちばん賑やかだったような気もする。「たけやま」で甘酒をすすりながら話していると(大晦日に福山が日本酒を買いにきたというビックリ話含む)、おすわさんの人が「今年はひとりひとりのお参りする時間が長い気がする」と話しておられたそうな。それを「社会派!」な人ならば「切実な世相の反映」と捉えるんだろうけど、今日お参りしていた人たちの顔を見るかぎりでは「深刻な顔して『不況』だ『不景気だ』とブツブツ言うても始まらん。そんならひとまず、神さまにでも参って、普通に仕事してみっかな、健康第一、家庭円満、パチ、パチ、あれ?2回で良かったっけ?」っていうような感じなのではないだろうか。
 そういえば年末のアメ横中継で、絶対に「悪い答え」を期待していたと思われるアナウンサーが、お店の人に「今年は去年と比べてどうですか?」って質問して「あ〜、去年よりはいいよ」と返され、完全に言葉に詰まっていたが、特に紋切り型マスコミのみなさんなど、ほんとうに世の中を住み良くしたいのなら、必要以上に深刻ぶることからやめれば?と思う。彼らが言うほど、みんな不幸せでもないし、世知辛くもないし、おいしいものも食べてるんじゃないかな。

 昼過ぎから、にわかに曇り。雨になるらしい。

 家も決まってないのに、DIYリフォームの本を買う。妊婦大工への道。


2010年01月01日(金) せめて正月くらいはこれくらいゆるくても。

 元旦。
 なんと起きたら11時だった。おとといマッサージに行ったから、深く眠れたのかもしれない。このところ、眠りがとっても浅かった。眠れたのは良かったけど、「今朝の夢は初夢じゃないんだよね。これが初夢でも、ぜんぜん嬉しくないっていうか、もはや『夢』じゃないし!」と思いながら起きる。そんな今朝の夢は、ケーブルの人に編集を教えてる光景…。
 お昼から実家へ行き、のんびりおせちなど食べる。親のパソコンの設定にチャレンジして結局うまくいかなかったり、ソファでゴロゴロしていたら夜になり、またすき焼きまで食べさせてもらう。
 「新しい家に襖があったら、京都の唐紙を貼ったりするなんて素敵だわ」とネットで調べたら、1枚6万円とか書いてあって苦笑い。

 今は冬。
 でもどうして、うちの男二人は半袖なんだろう。

 うちの男といえば、ダンナは本気で年末ジャンボ2億円が当たるつもりだったらしい。そういう人、いるんだ〜、と、むしろほのぼのとした気持ちになった。


トンビ |MAILHomePage