ぴんよろ日記
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2009年12月31日(木) 港の汽笛を聞きながら

 この部屋で迎える最後の大晦日は、雪。
 お昼までぼんやりして、新大工でうどんを食べて買い物して、予約していた年越し蕎麦や焼豚を受け取って…と、のんびり過ごす。夜はこれからお風呂に入って、紅白を観ながら鴨鍋などをつつき、「ゆく年くる年」の鐘の音を聴いて、…そうだ、この部屋では最後の「新年あけましておめでとう!と、港の船たちが一斉に鳴らす汽笛」を聞くのが楽しみ。花火よりもなによりも、これが本当に大好きだ。だからやっぱり新しい家は、港が見えるところがいいな。

 ゆく年…どう過ごしてきたか、パッとは思い出せないくらい、高密度。
 くる年…どうなっていくのか、パッとは思いつかないくらい、高密度の予定。

 よいお年を!


2009年12月30日(水) 一日。

 朝起きて、なぜか原稿を書き、またなぜか昼まで二度寝。スパゲティを作って食べ、いつものオヤユビキングでマッサージ。ごってり揉まれて目が開いて、明日から銀行が休みなのでお金をおろし、いつもの肉屋さんで角煮用の肉を買い、いつものたけやまでワインを買い、角煮を仕込みながら、家で焼きしゃぶ。大根おろしが食べたくてたまらなかったのだ。食べたくてたまらなかったものは、やはりおいしかった、というような、平和な年の暮れ。今年も明日で終わり。


2009年12月29日(火) おさめる

 な、なんとか仕事納めにたどり着いた…。

 昨日の夜中、勢いで年賀状を作り、今日のお昼の収録もどうにかこうにか乗り切って、夜は「女子飲み」に参加。ぷぷ…。かなりこの単語と自分の間に距離があることはわかっているが、40年近く生きる中では、こうして、かなり奇跡的ではあるが、進んで参加したくなるメンバー構成に巡りあうこともある。ということで、3時間ほどのんびりおいしいものを食べながら、楽しいガールズトーク(ぷぷぷ…最年少は31歳だが)。

 マッサージも予約した。明日は休みなのだ!


2009年12月28日(月) 九州喫茶散歩

 おととい彫った版画にオッケーが出たら、なんかもう、スイッチが切れて(本当は明日またひとつ大きめのものがあるし、ね、年賀状…)、今年も終わり感にあふれてしまい、今日はほぼ寝込んでしまった。

 昨日は、このたび「九州喫茶散歩」(書肆侃侃房刊)を出版した小坂章子さんがイベントをやってるというので、福岡へ。前に出した「福岡喫茶散歩」も良かったけど、今度のはいろんな意味でずっしり感にあふれていて、いい仕事したな〜、と思う。誰に頼まれたのでもなく、営業もからませず、自分の足で取材したいと思える店を探し、通って、話を聞いて、写真を撮って、書く。それって当然のことのように聞こえるけど、その当然のことこそが、地方のライターにおいては、「趣味でなく仕事として」実際にやるとなると難しい(しかもそれを九州全県バージョンで!車なしで!)。私は同業者なので、それがグッと来る。もっと簡単なやり方で、似たようなものを作る方法を知ってるから(いま世の中にあふれている「情報」は、悲しいかなそういうものばかりだ)。でも、彼女はそれをしなかった。この本に載っている店の主たちが、ただひたすら豆を焼き、店を掃除し、身なりを整え、1杯ずつお客に出したのとおなじようような心構えで、取材し、悩み、文章を書いた。書かれたお店の人たちは、この本、うれしいだろうなー、と思う。それは、いいこと書かれたとか、カッコよく書かれたとか、そういうことじゃなくて、お店とお店の人たちと小坂さんのあいだに生まれた「共鳴」がしっかりと焼き付けられているからだ。それと似たような共鳴が、お客さんとの間には生まれることがあるだろうし、それこそをめざして彼らは店を開け、コーヒーをいれているのだと思うのだけど、その幸せはいつも、コーヒーの湯気とともに消えていく運命にある。こうして手に取って残しておけることがあるなんて、たぶん思ってもみなかったプレゼントなのではないだろうか。
 いますぐコーヒーを飲みたくなる「九州喫茶散歩」。人ごとながらどうぞよろしく。


2009年12月26日(土) 着地点

 なんとか今年の仕事も終わりが見えてきた…と言いたいところだが、まだまだ。ピンホール写真でいける!と思った新連載が、デジタルピンホールならではの画面のホコリが強すぎてボツに。今日明日にでももういちどチャレンジしつつ、ここはひとつ方向性を変えて、版画も彫ってみようと思う。ということで、年賀状は百万光年の彼方だ…。編集の方は、他のカメラマンの写真でも十分おもしろいのでは、など提案してくださったが、私としては「なんかわけありなボンヤリ」ならいいってわけじゃないので、なんとなくピンと来なかった。こんどの連載のそういう部分はどうしても妥協したくないので、とにかくいい着地点を見つけたいし、見つかると思う。


 そしてピンホールはやはり失敗の巻に終わり、版画が完成した。編集の方がどう思うかはわからないが、私の中ではこういうイメージだった、というものが出てきてくれたので、これがボツだったら、もうそれはそれでいいや、って思う。自分の中では決着したから。


2009年12月25日(金) 10連発だなんて反則だ…。

 昨日は人並みにヒコのクリスマスプレゼントを買いに行ったり、ローストビーフを焼いたりした。ステーキや焼肉もいいけど、ローストビーフって妙においしい。今回はグレービーソースがなかなかおいしかったので、それをつけてばかりだったけど、途中で塩だけ振りかけてみたら、そっちのほうがおいしかった…。おいしいことはうれしいが、ちょっぴり敗北感。
 なかなかいい感じでディナーを楽しんでいたが、ヒコがどうしても昨日録画していた怖いテレビを見たいと言い出した。私も見たかったので、つい少しだけ見たら、いきなり番組の初めから、頭が痺れるほど怖い心霊映像が次々に登場して、わけのわからないクリスマスの夜となってしまった…。


2009年12月23日(水) 蓋をはずす

 新しい家のことをいろいろ考える。家のこと、というより、そこで過ごしてみたい時間のこと。猫が飛び乗らないところに小さな花を飾りたいとか(今、そういうスペースがない)、ちょっとした土の部分にベランダの木を植えてやりたいとか、まったく使ってないオーディオの機械を生き返らせようとか、なによりも、テレビがついてるのと別の部屋で過ごすこともできる!とか。そしてこうしてみると、今の部屋での生活は、ダンナと2人プラスもぎくんのときまでは良かったけど、そうでなくなってから、ちょっとずつひずんだりよどんだりしていたんだな、と思う。昨日、妹にあらためて「沖縄の占い師さんはどうして『すぐにでも引っ越したほうがいい』って思ったのかな」って聞いたら、「気が流れてない」って言ってたと教えてくれた。暮らしはじめたころの快適さや楽しさで塗り込めていたけど、本当は少しずつ我慢や無理をしていたのだろう。占い師さんによると、新しい家は「玄関が広くて、家との段差があまりない」ところがいいらしい。占いや風水って、こういう「それって、常識とか感覚の問題で、占いじゃないのでは?」っていうアドバイスや提案があることも多いけど、でも、それを薄々わかってても、頭の理屈で蓋をしたり、わかっててもしないことが多いから、人の言葉としてあらためて聞くのが占いの効用というものだと思う。だから「ええっ!意外!」っていうことよりも「そうそう、そうなんです。それは自分でもわかってるんですけど」ということを言ってくれるほうがいい占いと言えるかもしれない。おもしろくはないだろうが。

 昨日、ノストラダムスの大予言のテレビがあっていたけど、みんな選挙だのなんだのになると「変わらなきゃ!」とうわごとのように叫ぶのに、こういう変化は受け入れないんだな、と思う。不安ごっこ。そんときゃそんときじゃん。地震や火山の大噴火やウイルスは、そりゃー本当に起これば怖いけど、マヤのカレンダーが「終わる」ことにしたって、ひとつの大きなサイクルがめぐる…つまりは「大きくあけましておめでとう!」かもしれないのになぁ。変わることこそが、おもしろいのに。そんなに変わりたくないんだったら、もう「チェンジ!」とか「新しい風を!」なんて言わず、「無風人生万歳!」「ビバ!事なかれ」ってことにしといてほしい。お好み焼きを食べながら「ぜーんぜん怖くないね。いいほうに変わるかもしんないのに。恐怖の大王だってうやむやに終わったじゃん!不安にさせといて『だからこそ、今、愉快に過ごしましょう!物をじゃんじゃん買ってください』って言ってるんだよ」などと、4歳児に向かって毒づく。


2009年12月22日(火) 話を進める

 昨日はダンナと不動産屋さんへ。「時間がない!ほんとに探してる!」となると、がぜん話がくっきりと楽しくなる。不動産屋さんのYさんは、遊びっぽい感覚をわかってくれつつ、曖昧さも全然ないプロ、という感じの人なので、安心して思いの丈をぶつける。今回の収穫は、私らが望む「眺めのいい場所」が、一般的には「平地じゃないとこなので敬遠され、比較的安い」ということ。もちろん「ここ2〜30年で開発されたきれいなニュータウンはこの限りではないですけどね」というので「そういうとこには、むしろぜんぜん住みたくないです」とお答えする。話の中でひとつ「かなり古い家だけど駐車スペースは広くて、目の前はブワ〜っと長崎港なんです。ただし!お風呂が玄関の外!」という、へんてこで魅力的な物件があったが「賃貸物件なんですよ。あの家主さんは…売らないだろうな〜」とのことだった(売って〜!)。でも、そういうものに私らが食いつくってわかってもらえてるという安心感は、また湧いた。家のことって、ちっとも興味なかったけど、こうして現実のものとなると、あれこれ考えるのが楽しい。
 まだ見ぬ家に思いを馳せながら、本日もお仕事。


2009年12月21日(月) ひとつずつ

 とにかく日々がどんどん過ぎていく。いろんなことが起こったりやらなくちゃいけなかったり耳にしたりびっくりしたり考え込んだり…と、どんどんどんどん。その時々にはボーッと運転してたりお茶飲んでたりするのだけど、今日を過ごすのが精一杯という感じだ。
 車でふとついていたラジオから、前後のしゃべりがどんなだったのかは知らないけれど、「とにかく目の前のことをひとつずつがんばりましょ〜う」というコメントだけが耳に飛び込んできて、静かに頷く。まったくその通り。ひとまず明日の朝に送る仕事をがんばろう。



2009年12月18日(金) ひとまずここまで

 ついに、雪。
 この部屋のなにが良かったかって、港をぐるりと囲む町の天気の移り変わりが見られることだった。雨や雪の降り始めがどんどん広がるところなどが、刻一刻と目に入ってくるのだ。広がりのある眺めと別れることはいやなので、不動産屋さんにも「できれば長崎港が見えるところで」とお願いしている。

 新しい連載のための文章を書いているが、ついに、これほど本当に自分が大好きな感じのものを、お金をいただいて書けるところまで来たんだ…と思う。これまでも興味のあることや、長崎のことを自分なりに(誰がどういうイメージを持っているかは知らないけれど)、あえて言ってしまえば「私っぽく」書く、ということはしてきたけれど、こんどのは何の注文も受けず、ウケも考えず、とにかく書いてみたかったことを、書いてみたかったように書いている。もちろんこれが最高地点ってわけじゃない。もっとうまく、深く書きたい…という気持ちは、書けば書くほど湧いてくるけれど、とにかく、私自身がいちばん心ひかれているのはこういうとこなんだ、というものは、どうにかこうにか取り出せつつあるような気がする。第一回目の完成まで、あとひといき。あまりにもダメ出しされなければ、次号の「樂」から載る予定。


2009年12月17日(木) 自信家

 今年もあと2週間。いつも年のはじまりや終わりや、誕生日などには「来年の今ごろはどうしているかわからない」と思うけれど、この先のそれは笑っちゃうくらいわからない。1年どころか4ヶ月後にはどこに住んでるかもわからないし、5ヶ月後にはどんな顔した小さい人が横に寝てるかもわからない。男か女さえも。でも不安だけは皆無。楽しみな気持ちだけがある。なんだろう、この自信は。

 そういえば昨日の朝はよく晴れていたので、新しい連載のために、女神大橋に写真を撮りにでかけた。デジカメによるなんちゃってピンホール。あまりの寒さに電池がなくなってしまったのだが、帰ろうとして歩き出したら、ちょうどいい具合に船が来たので、「たのむ、たのむ〜!」と電池をこすってあたためて入れなおしたら撮れた。嬉しくなって、カメラと景色に「ありがと〜!」とけっこう大きな声で何度も言ってたら、ウォーキングのおじさんが横を追い越していった。


2009年12月16日(水) そう来たか!

 たしかに「まぁ、『新しい家』ってのも面白そうだな」とは思っていた。秋にダンナが、車雑誌に載ってた「倉庫を改造したガレージハウス」を見て大興奮して、そういうのもアリかもな〜、なんて、1回だけ住宅情報を買ったり(でも見てるだけでヘトヘトになって放棄)、コーヒー屋さんで聞きつけた「あんまり普通じゃない物件のイメージにピンと来てくれる不動産屋さん」に「ぜんぜん急がないですけど、なんかあったら」教えてくれるようにお願いしてたりはした。
 そしたら、突然、「マジで急ぐ」ことになった。いま住んでるマンションが、商売替え(老人施設系か?)するので、来年の4月までに出て行かなくちゃならないことになった。あまりにもすぐなので、もちろん引っ越し代はあっちが持つとか、普通は戻ってこないようなお金が戻って来るとか、そういうことはちゃんとあるのだが、それよりなにより、「新しい家もアリかも…」と考えだしたとたん、そして「そうはいってもこの部屋が大好きだから、自分たちでは踏ん切り付かないよな〜」とも思ってたら、有無を言わせず!
 でも、ぜんぜん悲しくない。この部屋を、もう「住みきった」のだな、と思うし、次に誰かがこの部屋に住居として生活するのではないというのも、せつなくならないで済む。あまりにもおもしろい展開に、わくわくするばかり。4月といえば…臨月じゃん!と思うけど、それだって、どうにかなるはずだから、こうしてこのことは起こったのだと思う。おもしろいなー、おもしろいなー、どうなるんだろう!いろんなことよ、ウエルカム!だ。さっそく今日、あの、「すぐそばに趣味っぽいガレージがあって、古くてもいいんです、ちょっとリフォームしたりして…」とブツブツ言う私に「所さんのナントカベースみたいなのですね」と、いきなりストライクをくれた不動産屋さんに「マジで急ぎます!」って言いにいこう。


 午後、妹からのメール。こないだ沖縄の占いの人に見てもらったとき、「お姉さんはいますぐにでも引っ越した方がいい」と言われたらしい。そういえば、今年の春に「見えるお姉さん」と話したときも「引っ越したいと思ってませんか?」って言われて、その時はピンと来なかったが、どうやらなにかが動いていたのだなぁ。おもしろすぎる…。


2009年12月15日(火) 新境地

 おととい、ユニクロでヒコのダウンを買って、それだけじゃ色気がないのでワッペンを付けた。フエルトで、名前とか消防車とか適当に作るつもりだったが、案の定、ガッツリ刺繍したりして根を詰めてしまった。昨日、保育園にお迎えにいったら、去年の担任の先生から「よーく見たらヒコちゃんの名前になってて、びっくりしました〜!」という仕上がりに…。パッと見は既製品だと思われたようだ。よく見るとボソボソしてるとこもあるが、遠目には。

 それでちょっとフエルトアップリケに目覚めてしまい、ちょうどヒコが大洪水を起こして廃棄したトイレのスリッパを無印で買い、なんか縫い付けようと思案中。あぁ、でも仕事が…年賀状が…。

 今年もあと半月。


2009年12月13日(日) よろしくニコン

 朝から、カメラが届く。うれしい。ダンナが誕生祝いとクリスマスとお年玉とホワイトデーまでを合わせ技して(そこまでも…?)買ってくれるというので、ありがたく買ってもらった。
 いま持ち歩いている小さいカメラが、小ささ軽さは素晴らしいのだけど、やはり映像的に難ありだった。昼間、部屋の中のはるちゃん(黒猫)にピントが合わないというのは、やっぱりちょっと。そしてそれよりも何よりも「ファインダーを覗いて撮りたいんじゃ〜!」という、突き詰めていけばもはやそんな生理的欲求に集約されてしまった今回のカメラ選び。選択肢はものすごく限られた、っていうか、3台。キャノンの小さいやつと、大きいやつ。ニコンの大きいやつ。そんだけ。他のコンパクトカメラでも、外付けファインダーでよければいろいろあったが、それだと目玉オヤジがピョコンと乗ってるみたいでいまいちかっこ悪い。それに、特にリコーだと、そのものは嫌いじゃないんだけど、なんかもう「サライを読んでるオヤジ臭」が漂ってる気が。そしておのずと絞られた。検討の結果「キャノン小→もちょっと機能が欲しいな」「キャノン大→いいけど重いよ〜。」ということで、フイルム、デジタル合わせても、人生初のニコンに決定。
 ニコンといえば「必要以上に肩で風を斬って歩く新聞記者様のもの」という大偏見があって敬遠していたのだが、こうなったのもなにかの縁。よろしくお願いします。工事現場用のカメラみたいな無骨なデザインもなかなか渋い。前のカメラと比べたら倍くらい重いけど、ヒコが知らないうちにトミカを2台バッグに入れたと思えば気にならない。そして室内のヒコやはるちゃんが撮れる。
 またいろんなものを撮っていこう。


2009年12月10日(木) 歴史的瞬間焼きそば編

 ヒコが好きなこともあり、最近よく焼きそばを作る。今日は、昼に食べたハンバーグがずっともたれていたので、申し訳ないが買い物にも料理にも気が向かず、キャベツを持って帰るのも重荷だったので、ちゃんぽん麺と豚バラとモヤシだけ買って、焼きそばを作ることにした。
 豚バラを油を引かずにじっくり焼いて、モヤシを一袋入れて、天ぷら屋さんからもらってた天かすを入れて、麺も入れて、蓋をして蒸らし焼き。ホワッと開けて、軽く塩こしょう、金蝶ソースと醤油と焼肉のタレで炒め合わせる。私はまだ、なんだかつわりが戻ったみたいにムカムカしていたので、食べないつもりだった。大皿にドカンと山盛り盛って、お風呂に入った。
 上がってみると、ヒコがかなりたいらげていた。
 なんとなく、ひとくちつまむ。ひゃ〜!うまい!突然食欲に火がついて、けっこう食べてしまった。いままでキャペツやカマボコや、その他の具材を入れていたのは何だったのだ!ここにキャベツが入ったら台無しだ!と、我が家の焼きそばの具が、豚バラとモヤシと天かすのみに決定した、歴史的瞬間であった。


2009年12月09日(水) 奇跡の2時間

 あまり片付けが得意でない性分だが、昨日読んでいた本に「自分が身を置きたい生活空間を思い浮かべ、そこにそぐわないものは、どれだけ執着があっても捨てる」というようなことが書いてあって、なんだか異様に頷けたので、そのときできる範囲で掃除したり、整理したり、捨てたりした。ただやみくもに捨てましょう、きれいにしましょうというのじゃなくて、「ある空間を思い浮かべた時に違和感を感じるもの」「どんなに執着していても」というのが、グッと来たツボだった。
 そのおかげかなんなのか、自分の中も、どこかすっきりした気がして、ネットをついだらだら見てしまったり、仕事を不本意な感じで先延ばしに(前向きな先延ばしもある)したりすることが減った。1日2日だけだけど、この先を見守りたい。

 昨日はなんと、初めてヒコと映画を観に行った。途中「もう行こうか」と小声でささやくので「やっぱり…」と思ったが、それはただ、暑かったのと椅子の座り心地が悪かっただけで、上着を脱がせて膝の上に座らせたら、そのまま2時間、黙って観ていた!こんな日が来るなんてすごすぎる。ヒコと映画!ヒコと映画を観ることがあるなんて!感無量。どなたか知りませんが、ありがとうございます。

 そして昨日はお腹の人の検診だった。5ヶ月。いま「見えない」ってことは、女の子の可能性が高まってきた感じあり、とのこと。私に女の子…というのがいまいちピンと来なかったけど、こないだ女の子を産んだばかりの友だちにメールしたら「女の子もおもろいよ〜。生まれながらのおばさん気質!」というすばらしい返答があったので、俄然楽しみになってきた。(正確にはまだわからないが)


2009年12月07日(月) つい2回

 昨日録っていた「情熱大陸」を見る。音楽プロデューサーの亀田さんという人。私でも聴いたことのある曲にいくつも関わっている。どんなときも、悩んでいる時も、いつでも楽しそうだ。「楽しむ」っていう言い方が時にすごく嫌いだが、この人の「楽しさ」は気持ちがよかった。苦しそうにしたり眉間にシワを寄せたほうが勝ち、っていう、あのイヤな感じがみじんもない。仮にも「第一線」にいるので、他の存在を「あれはダメだね」とねたむ気配がない。そんなバカバカしいことしてるヒマがない。「自分だけが、まず、わかる、些細といわれても仕方ない小さなこと」をとても大切にしていて、それが実は、「いまは誰もわかっていない、でも、目の前に見せられたらきっとそれ以外には考えられなくなっちゃう」ことなのだということを信じられる、その強さ。さらには、現場に出た時の柔軟さ。そして、彼が若いアーティストたちに手渡したいもの、味わってほしい気持ちは、たぶん、私がケーブルの若い人たちの編集を手伝うときに手渡したいもの、味わってほしい気持ちと(次元はちょいと違うのかもしれないけれど)、たぶんおなじようなものだ。
 つい2回見てしまった。


2009年12月06日(日) シグナル

 冬空。

 こないだ調子を崩す前に時々襲われていた「体の奥底に意識が引きずり込まれるような眠気」が来たので、これは「休めシグナル」だと思って、昼寝する。日常レベルの不調や不快は、とにかく寝て治す方針。
 今週もあれこれあるなぁ…。ゆっくり行こう。


2009年12月04日(金) お好きにどうぞ

 一日、綱渡り感あふれつつ、みっちり仕事。お昼は3時ごろ、ごぼう天うどん。昨日もうどんだったような気もするが、今回のつわり人生、やたらとうどんが食べたい。
 数日前に発生した腹立たしいことが今も時々頭をよぎるが、よぎりたいならよぎれ!力尽きるまでよぎり倒せ!と、そのままにしておく。まぁ、いいさ。道はすでに分かれている。もう関わるつもりもない。

 腹の人の動きが、時々伝わってくるようになった。ふふふ…ごにょごにょ…。


2009年12月03日(木) とろろに熱弁。

 元気になったらなったで、つい動いてしまう日々。うぬぼれかもしれないが、長めに家を空けて戻ると、もぎくんがよそよそしい(はるちゃんは常にマイペース)。ご機嫌を取るように撫でたりしても、ふ〜ん、というリアクションだ。
 でもやはり、動けるというのはありがたい。ありがたく動いている。そう思ったとたん、ポツポツと仕事が入ってきて、これまたありがたい。自他のリズムというのは案外同調するもので、自分が不調なとき…ほんとに無理なときは入ってこない。だからここ数日、仕事が入ってきたので、あぁ、やっぱり回復してたんだな、と教えてもらってる感じ。

 夜はなぜか突然、屋台へ。おでんに「うどん巾着」という新ネタが登場していた。一瞬「?」と思ったけど、つまりは「つつみきつねうどん」である。ねぎととろろ昆布が添えられて、ほんのり甘いおでんのダシ、「大切に食べなきゃ」と思わせる絶妙な量…非常においしかった。上等な(安いのはグズグズになるとのこと)五島うどんが入っているらしい。それを最初に食べて、いろいろ食べて、また最後に頼んだが、残念ながら「漬かってない」ということで入れてもらえなかった…。とにかくまた行こう。とろろがいいんだよなぁ、とろろが。

 明日もありがたく仕事しよう。


2009年12月02日(水) 返ってきた。

 ヒコが保育園から折り紙の手裏剣をもってきた。とても気に入っているようで、布団にも持って入っていた。むかーし作ったことがあるなぁ、と、ちょっと解体して、折り方を思い出す。保育園のより大きいのを作って見せたら、ピカーーーン!と尊敬のまなざしが!
 こないだも、ヒコが実家に行った時に買ってもらって、だれもふくらませきれなかったプラバルーン(チューブに入った透明なゼリーみたいなのをストローにくっつけて、割れないシャボン玉みたいなのを作るやつ)を簡単にふくらませたら、これまたピカーーーン!だった。そりゃそうだ。プラバルーンに関しては、小さいころ研究に研究を重ね、コツをつかんでいるのだから…。
 お菓子作りとか、少々のわがままにも根気づよく付き合うとか、そういう「母性あふれる」的なことは今ひとつできないが、私の道は、こちらにだったら開けているな…と、あらためて思う。クッキーは焼けないけれど、ミニカーの修理はできる。それもまた、ひとつの母親像であろう。開き直りかもしれないが。
 小さいころに、ちゃんと子どもの遊びで遊んでおくということは、2〜30年後に、自分の子どもと遊べるということでもあるみたいだ。狂ったようにプラバルーンをふくらませていたことが、こんなよろこびになって返ってくるなんて、思いもしなかった。ありがとう、子どものころの自分!


2009年12月01日(火) コーヒーを取り戻す。

 「お腹に人間がいる状態」も五ヶ月目に入り、変わり果てていた嗜好もだいぶ戻って来た。コーヒーが飲めるようになったのが嬉しい。「妊婦がコーヒーなんて!」と言う人もいるのだろうが、私にとってコーヒーとそれを飲む時間は、「余人をもって代えがたい」的な存在なので、いいのだ。だいたい1日1杯だし。お刺身も、時々は食べたくなってきた。あとは「香ばしく焼いた鶏や魚」が逃げ出したままだ。

 もう12月。喪中はがきが毎日のように届く。時々、若くして亡くなった方のものがあり、心が痛む。たとえ「天命」があるのだとしても、やはり、やりきれない。


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