ぴんよろ日記
DiaryINDEXpastwill


2009年11月29日(日) 切実な叫び

 あっ、もう11月も終わろうとしているではないか…。
 ちょうど2週間前に静養を言い渡され、1週間強制ゴロゴロして、この1週間は「動けるけど、カラータイマー時間短縮バージョン」だった。さすがに風呂やトイレに行くのもおっくう…ということはなかったが、いつもやってる家事が途方もない作業に思えたりはした。しかし昨日は普段の感覚で掃除機をかける気になったし、洗濯もできた。一度損なわれた体力と気力が回復するのには、それ相応の時間がかかるということを、あらためて実感した。「その気になれない」という、あやふやっぽい言い草が、時と場合によっては、切実な体の叫びだということも。
 昨日は大村の山の中にあるカフェのイベントに行く。11月末、全裸&泥だらけで池に入り、近所の山育ちの子どもたちの度肝を抜くヒコ。

 自分の主義信条に合わないことは、そりゃぁ世の中いっぱいあるだろう。その観点にだけ立てば、どんな些細なことであっても、前後にあるものを無視し、自分が気になるところだけを拡大して言い立て、良い悪いと斬って捨てられるだろう。でもそれを「絶対的に間違ってること」として取り扱うのは、どうなんだ。だいぶ前にうんざりして見るのをやめたブログをちらっと覗いてしまい、ほんと、もう二度と見ない…としみじみ思う。


2009年11月28日(土) あり、ですけど…。

 大村のワラナヤ(山の中のカフェ)であったクラフト市に行ったら、ついに、私が夏の間中つけていた、アンティークビーズと銀細工のネックレスを作ったお姉さんと会えた。こないだ雲仙であった同じようなイベントにも出品はあったものの、ご本人はいなかったのだ。想像していたよりも、ホンワリと気さくな人だった。「5月に雪の浦でネックレスを買って、夏中してました」って伝えられた。探すともなく探していた新しいピンキーリングを買う。お得意のシルバーと、ギラギラしてないゴールドが編み編みになったやつ。私の前に選んでいた女の人3人組が「これはないよね」「そうね。ないない。」と選択肢から外したやつ…。私には「あり」でした…。


2009年11月23日(月) すばらしき実践派たち

 佐世保でニホンミツバチを育てている方の講演会に行く。とても面白く、そしておそろしい話がたくさんだった。長崎県で、なぜか今年から使用が奨励されているという農薬の話を聞いたので、このところ「もうちょっとだけ田舎のほうに住んでもいいかな〜」なんて思いかけていたのだが、しばらくは街にとどまっておこう。それにしても、実際に体を動かして実践している人の話は、やはり面白い。言葉のすみずみに裏打ちがある。一見、なんてことない巣箱が、高さ、厚み、重ね方のすみずみに至るまで、試行錯誤を繰り返したミリ単位の設定であるところなど、本当に聴き入った。中国産ハチミツの「ハチミツ対オリゴ糖」の割合や有名ハチミツメーカーの「嘘」も…。
 うちでは今、外海の直売所で買ったミカンのハチミツを使っている。買う時にちょうど生産者のおじさんが「しぼったばかりですよ」と、売り場に並べているところだった。軽やかで、すっきりしていて、とてもおいしい。これもしかし、ハチたちがせっせと集めてくれたものなのだ。
 そしてその長崎のハチが、今年から撒かれはじめた農薬で危機的状況にある、という話であった。その先生が飼っているハチだけでも、ひどいところは50群が3群になったとか…。

 講演会を主催したのは、佐世保で甲野先生の講習会もお世話されている人たち(「させぼらへん」というトボケたグループ名がまたイカす…)。普通に仕事をしながら、武術もして、農業もして、音楽もやって、今回はこうやって「ミツバチ部」も立ち上げた。これもまさに実践派の人たち。私はこの2〜3年、甲野先生が来られる時に一緒に講習会に出て、打ち上げに参加するだけなのだけど、体を動かすことと飲み食いの時間を共有しているからか、そしてなにより行動派の気持ちのいい人たちだからか、いつの間にか、会うのがすごく楽しみな人たちになってしまった。日常の、長崎の人の付き合いの中には、ちょっとない感じ。いつもは着てるなにかを自然に脱いで話ができる。ほんともう、自分もふくめ、動かんヤツは何も言うな!と思う。


2009年11月22日(日) おばちゃん

 昨日今日と、シャバ・リハビリ。咲いてなかったとこに、冬の野菊が咲いていたりして、1週間で変わる季節を実感。昨日はヒコがお泊まりだったので、夕方、king小林氏にごってりマッサージを受けたあと(普通に仕事で疲れたときとはまったく違うところが詰まっていたりして面白かった。寝たきりは寝たきりで疲れるのだな…)、知り合いのお店においしいものを食べに行った。今回は悲しいことに「ことごとく好物が食べられなくなるつわり」なので、当然、好物筆頭に挙げられる刺身が全然だめになっていたのだが、二日三日前から(これまた刺身の中の好物であるヒラスや青ものではなく)、赤身の刺身が食べたくなっていたので、「松浦のヤイトガツオ」を注文。おいしかった!2ヶ月ぶりくらいの刺身を堪能した。行ったのは古川町の「on.」というお店なのだが、以前ダンナのとこでバイトしていたTくんが、もう一人のお兄さんと共同経営している。彼がきびきびと料理を作ったりワインをサーブしたりしている姿を見て、ダンナがいちいち感心しているのがオッサンというよりおばちゃんみたいでおかしかった。「立派になっとる〜」とか言いながら。これに限らず、ダンナは時々おばちゃんくさい。行きつけのお店のお姉さんの姿がちょっと見えなかったりすると「おめでたかな?」とか。

 昨日だったかおとといだったか、ジブリのアニメがTVであっていたが、あいかわらず「なにか高尚なメッセージを受け取らなくてはいけないのでは…」とリラックスできず、疲れているのもあって途中で寝た。ヒコは最後まで見ていたようだ。ジブリアニメ好きの人って、それが「常識」だと思っているのか、「これって、ラピュタの○○みたいですよね〜!」「あの人ってほら、千と千尋の△△に似てるじゃないですか〜」みたいなことを言うので困る。ごめん、わからん。これまで観た中でいちばん気楽だったのは、タヌキ合戦のやつ。これまたすみません。


2009年11月21日(土) ノーカット

 今回の不調でよくわかったのは、日常生活の何気ない行動にも、それ相応の体力がいるのだな、ということだった。きつい時には、ごはんを食べてもトイレに行っても、たったそれだけで、ぐったり疲れて眠ってしまえる。お風呂なんて、ものすごい数値が必要。大丈夫な気がしたので昨日一週間ぶりに湯船につかったが、ちょっとハードルが高かったみたいだ。その後、ごはんまでのあいだ眠らざるをえなかったし、ごはんを食べたあともすぐに眠った。でも不思議だったのは、土曜日に調子を崩してから休み続け、シャワーに入ったのはなんと5日ぶりの水曜日だったのだが(人生最長に風呂に入らなかった)、だからといって元気な時のような新陳代謝はないっていうか、体の内部にエネルギーが必要だったようで、表面を不潔にする分までは回らない、って感じで、気持ち悪いことはあまりなかった(いちおう蒸しタオルで拭いたりしてたけど)。そもそも、自分が「立ってシャワーを浴びる」ことを想像するだけで疲れちゃって、もう一眠りできるのだ(うなぎの匂いでごはんが食べられるみたいな)。
 でもそれも、皮が一枚一枚むけるように、軽くなってきた。体のことには、時間がかかる。理屈がわかってても、時間がかかる。ノーカットで行くしか方法がない。もし無理にカットしたら、きっとまたどこかに「無理」が来る。今回の場合は「1週間寝てれば治る」が不調へのシンプルな「答え」だったが、それを得るにはイヤでも「1週間」が必要だし、一人の人間が1週間ゴロゴロするためには、その人がいつもやってることを、まわりの人がしなくちゃいけないってことだ。今回は家事のあれこれとヒコの送り迎えなどをダンナが、ごはんはなんと父が作ってくれた。材料の切り方、焼き方、味付け…なかなか「男の料理」であったが、そのぶん、我が家の男たちには大好評だったのが笑えた。私では考えられない量の肉が入ったカレーとか、超パンチの効いた塩加減の厚切り豚バラ焼きとか。みなさん、どうもありがとう。

 時々、イギリスの若いお兄ちゃん料理家・ジェイミー・オリバーの番組を見たが、ずーーーーっとハイテンションにしゃべりっぱなし、動きっぱなしで、ヒコを見ているようだった。料理も豪快で細かいことは気にせず面白い。バターとハーブなどを手でぐしゃぐしゃに混ぜて、ローストチキンの身と皮の間に塗り付けて焼くところなど。「こうすることで本当だったら油を掛けながら焼くとこなんだけどバターが勝手にやってくれるんだ。いい風味もつくし、ホント、ワオ!サイコー!」って感じで、延々。ビデオの編集もめまぐるしいので、これまた療養人間には15分見るのがやっとなのだが、彼の人気があるのがよくわかった。ヒコもあんなふうにおしゃべりや多動を活かせればいいかも。これまでは「走りっぱなしの宅急便のお兄さん」が一番合うような気がしていたが、こういう道もあるな…。


2009年11月20日(金) 南ですよ〜。

 本格療養生活も、今日が最終日だという気が強くする。明日は少しだけ外に出ようと思う。だから今日はまた、もぎくんとゴロゴロ横になる。はるちゃんは決定的に野生種なので人に心を許さないから、足下にしか寝ない。もぎくんはかなり人間に近いので、枕に頭を乗せて添い寝してくれる。この療養生活、もぎくんが横に寝ててくれなかったら、こんなふうにおだやかな気持ちは過ごせなかっただろう。感謝感謝である。

 この1週間くらい、なぜかうちでは「Dr.コトー」の再放送を録画しておき、熱心に観た。そもそもダンナとヒコはドラマや映画が大好き。ヒコはしかしさすがに、自分から見ようと言ってはおきながら、複雑なシーンが続くと遊びだす(アクションものや妖怪が出てくるようなもの、自分もわかる話は熱心に見る)。
 私が映画やドラマで好きなシーンは、「いろんなことが波瀾万丈あったあと、プロフェッショナルな男2人が言葉少なに気持ちをやり取りする」ようなところ。おととい観た「コトー」にもあった。柴咲コウ(コトー先生が大切に思う看護士)の手術がいろいろあって終わり、コトー先生が島に帰ろうとするときに堺雅人(クールで優秀な外科医。でも自分が手術した奥さんは5年前から寝たきり)と病院の廊下で静かに話すシーンに、いちばん見入った。普段は感情などないかのようにふるまっている堺雅人の目が一瞬うるむ…そんなところに釘付け。CMになったとき、ダンナに「こういうシーンがいちばんグッと来る」と言うと、「オイはさっきの診療所でみんなが入ってきたとき、やばかった〜。」らしい。柴咲コウの手術が心配で、島のみんなが診療所に集まって成功を願うところだ。わかりやすっ!私はそういうシーンには、まったく振れない。ゼロパーセントだと言い切ってもいい。その時、ダンナは目ヤニを拭くふりをしていたが、実は涙がにじんでいたらしい。次に「柴咲コウの手術が成功したとの知らせを聞いて沸きかえり、踊りだす人も出る診療所」のシーンでは、私の顔をチラ見して涙を抑えていた模様だ。割れ鍋に綴じ蓋。
 でも、堺雅人が演じたような役どころ(クール&プロフェッショナル)ってすごく好きなのに、出てくるたびに「あ、北極探検隊」というので、感情移入を邪魔された(こないだ一緒に、堺雅人主演『南極料理人』を観に行った)。



2009年11月19日(木) サンキュー!

 39歳。
 昨日のヒコとの会話。
 「母さん、明日誕生日だよ」
 「なんさい?」
 「39歳」
 「ギャッ!」
 どういう意味だ、その「ギャッ!」は。ヒコはまだ、せいぜい20の手前くらいまでしか数えられないので、「とにかくたくさん」ってとこだろうか。「『サンキュー』ってことでいいじゃん」って言ってみたけど、いまいち反応なし。となると昨日までは「三八ラーメン(長崎の老舗ラーメン店。つわりの人はそばを通れない)」だったのか。気付くのが遅すぎた。
 サンキューな一年で行くとするか。
 とりあえず、寝たきり布団をあたためてくれる猫たちにサンキュー。

 風邪とか胃が痛いとか、そういう時の薬は終わる前に「もういいか」で飲まなくなるけど、さすがに今回は最後まで飲んでおこうという気になった。それがあと1個。今日のお昼で終わり。来週からは、ぼちぼち日常生活だ。無理は禁物ということも学んだし。

 誕生日の朝の夢は、大小二羽の鴨をもらう、というものだった。鴨肉は好きだが、この場合、撃たれた状態のものを渡されたので「鳥」から「肉」にするのは自分である。「鴨は吊るしておいて目に蛆がわいたころが食べごろ」というのを聞いたことがあったので、こわごわとベランダの物干に首をくくって吊るそうとしている…という夢。「料理はせっかくだから、グレープナッツ(近所のパスタ屋さん)に持ち込んでやってもらったほうがいいかな…」とか悩みながら。


2009年11月18日(水) ポツポツ

 安静生活も、たしか4日目。どこにも行かず、椅子にさえ長く座らず、一日の大半は布団で猫と過ごしている。メールやファクスで仕事がポツポツやってくるのが、現世との数少ないつながり。時間はあるので、これまたポツポツやる。
 このところ、というよりも、ヒコが生まれる前後からの5年分くらいの疲れも精算中なのか、いくらでも眠れる。リセットせよということなのだろう。ありがたく休んでいる。外に出ないのがぜんぜん苦じゃないのは、体調以前のことのような気もするが。
 明日は誕生日。寝たきり…珍しい誕生日だ…。

 ニュースをゆっくり見たりする。20億円くらいの背任かなんかしたデブッチョの社長、絵に描いたような悪商ヅラ。水戸黄門に即出演オッケー。


2009年11月16日(月) エンジョイ

 強制休日2日目。冬空がよく似合う。
 土曜日に「お腹にいる謎の人(ただいま4ヶ月)」関係の具合が悪くなり、しばらく安静を言い渡された。まー、たしかにこのところハードだった。ヒコも仕事も。いま思えば、時にしゃがみ込みたくなるくらいきつかったり、腰やお尻に変な痛みがあったりというのは、つわりや単なる疲れを超えていたのだろう。一日横になっていて、それでもやつれ顔だったはずの昨日の夜、ダンナから「最近の顔からしたら、すっきりしとる」と言われた。どんな顔だったんだ…。
 でもこうなったら、プレゼントだと思って安静生活をエンジョイしよう。


2009年11月12日(木) 38×2=76

 なんとはなしにつけていたニュースで「76歳でミュージカルに挑戦する草笛光子さん」が特集されていた。草笛さんがなじんできた「一曲を歌い上げ」ながら進むものではなく、曲の間に芝居やセリフがめまぐるしく入り乱れるスタイルに、稽古のあいだは戸惑いの連続。そして「できると思ってることができない」という、否応ない「老い」の現実があるのだけど、でも、草笛さんはとにかく稽古をし、自宅でもバランスボールを転がし、腹筋を鍛え、稽古場で誕生日を祝われたりしながら、初日を迎える。結果は、(VTRで見る限りでは…)もちろん大喝采なのだが、これは「舞台」なのだ。TVを見ている人は「よかったねー、すごいねー」で、ポチリとリモコンを切れば終わりだし、舞台を観る人も「よかったねー、すごかったねー」と劇場を後にすれば、明日はまた違う日だ。でも、草笛さんはこれをあとひと月、76歳の生身の体でやるのである。
 それにしても、草笛さんの…もちろん、あらわにした肩や腕は「あの歳にしては」の美しさで、多少のシワやたるみはあるのだが(当然だ〜!38歳一般人のそれだって自慢できない〜)、おなじ画面に映っていた大竹しのぶさんや宮本亜門さんと並んでも、その生命エネルギーのようなものは、いちばんにピカピカで表面張力がきいていた。自身の「老い」について語るときなんて、目がもう、ピカピカどころか、ビッカビカなのだ。あれはたぶん、その「『できると思ってることができない』状態さえも、芸の味にできるはずだ」というような気持ちで、歓迎し、招き入れているのだろう。
 私の大きな夢は「おもろいばあさんになること」であるが、とびきりの「ばあさん」の姿を見せてもらって、その思いがますますふくらんでしまった。あ、38×2=76。ちょうど倍だ!がんばろう!


2009年11月08日(日) 全力疾走

 ヒコと二人の日曜日。強いリクエストにお応えして、近所のパスタ屋さんでお昼を食べ、おすわさんの公園へ。しばらく遊んでいたら、なんと、ヒコが大好きだったけど、この春、卒園してしまったお姉ちゃんとそのお母さん(実はお母さんのほうが好きだったという噂も)が現れた。「どうしてもおすわさんの公園に行く」と言い張ったヒコ。予感がしたのだろうか。1時間近く追いかけっこをしたりして、至福の時間を過ごしていた。もともとは公園をスルーして境内のほうにのぼってしまっていた二人を、彼は全力疾走で追いかけたのだ。年齢と状況が違えば…。彼の人生に幸あれ。
 夜はシチュー。ホワイトソースが簡単に作れるようになって、シチューやグラタンの素を買わなくなったが、そうなるとどうしてああいうものが売ってあるのかわからなくなるが、カレーはジャワカレーを買ったりしているので、おなじ穴のむじなである。そんなシチュー気分の一方、おにぎりも食べたくなってしまって握ったが、ふたつを並べると、ちょっと違和感はあった…。
 


2009年11月07日(土) 禊ぎ。

 暖かく晴れて気持ちよく、弁当買って釣りにでも行ってみようか。
 そんなのどかな休みの日。防波堤の上にのぼって、お弁当を広げようとしていたら、さっき買ったオキアミの箱が、ポーンポーンとテトラポットにぶつかって、2つの弧を描きながら下に落ちていった。「えさが落ちたよ」とダンナに言うと、「えさは持って来とらんよ」「でも、白くて四角いのが」「…え!あ!ケータイ!」半袖になれるくらいの陽気とはいえ、パンツ一丁で11月の海に入る男がひとり。禊ぎ?「ヒコが落ちたと思えば!」と慰める。合掌。


2009年11月06日(金) 見積もり?

 直接間接に、人が死んだり病気したりということが続いたからか、なんとなく、久しぶりにどんとを聴く。こないだ本を整理した時も、どんと追悼特集の雑誌が出てきて読みふけったりした。どんとを聴きはじめたのは、飼っていた猫が死んでしまった10年近く前。それから3年くらい集中して聴いて、イベントなどにも行ったものだったが、そのときすでにどんとは死んでいた。イベントは、ラブ&ピース&スピリチュアルな感じにも飽いてきたし、さらにはよくどんとの歌を歌ってた兄ちゃんから、(どんとファンになる前から着てた私の原色系の服を見て)「いかにもどんとファンだね」と言われたのにも(そのどんとを真似してチンタラ飯食ってんのは誰なんだよ!)と嫌気がさしたりして、行くのをやめた。そのうち、どんとの歌も、すっかり自分の血肉化してしまった気がしたので、いつもいつもは聴かなくなった。そして最近、どんとのことを思い出してみたら、いつの間にか自分が、どんとが死んだ年を2つも超えていることに気が付いて驚いた。最後のほうはおじいさんみたいな風貌になっていたのに、私よりも若かったのだ。人の年は、ある面では、あってないようなものだ。でもやはり、一瞬でも肉体を持って「生きて」いたということの大切さは計り知れない。それがないことには、その人の魂を目撃したり耳にしたりということは、それこそ特殊にスピリチュアルな能力がなければ、まずできないのだから。…にしても、やはり(常人の感覚において)若くして亡くなったり、自ら命を絶つということは、つらいことだ。私が通った幼稚園の先生がどこかの山小屋で自殺してしまったことは、子ども心にも大きな衝撃で、今でも年に何回か頭をよぎる。ヒコが保育園に通いだしてからはなおさらだ。
 どんとの歌にはたびたび死の気配が漂っていて、それについて「自分が早く死ぬことをわかってたんだ」というようなことを言う人もいるけれど、「死なない人」もまたいなくて、それを見ないふりにしてるだけのことだから、どんとはただ、それをちゃんと見てただけなんだと思う。ぜんぜん喩えにならないかもしれないけど、まだ生きてるうちに、お葬式の見積もりを出してもらった、というようなことなのかな、と。


2009年11月04日(水) 見た目は

 片付け。やってきて以来、送られてきた箱から出したり入れたりしていた柳田全集を、ようやく本棚をこじあけて収納した。ホコリで鼻がやられた。
 段ボールに6箱送った古本、2箱分は値段(10円さえも!)がつかなかったということで、出戻ってくることに…。世知辛いのう。捨てられるのはしのびないので、図書館リサイクルにまわそう。
 でも、これだけがんばっても、部屋の見た目はぜんぜん変わらず…。


2009年11月03日(火) おまもり

 くっきりと晴れ。そしていろんな意味で体調が戻っている。昨日の夜は、ヒコが唐津くんち見物に連れて行ってもらっていることもあり、ついに本が1冊読めた。一ヶ月以上できなかったことが、するりと。「あ〜、こうだったよな〜、こんなふうにページをめくるのが止まらなかったりするんだよな〜」などと感慨にふけりながら。それと同時に、「こんなこと考えてどうしようっていうんだろう…だれに頼まれたわけでもないのに…そもそも意味あんのか?」とクサりかけていた一連の考えについても、「とりあえず自分が読んだり見たりしてみたいんだから、とにかくいっぺん形にしてみよう」という気持ちに上昇してくれた。やっと来た。けっこう長かった。このままそのまま阿呆になって行くのかも、その程度のものだったのかも、と、しぶい気持ちだったから。

 それにしても晴れ。でも、1年前に野母崎から船に乗った時のほうが、濁りない晴れだった。あの日からずっと、きれいに晴れるたびにあの日と比べるけれど、まだ一度もあの日より透明度が高い日はない。たった一度、思うところあって船に乗れた日がそのような日だったことだけでも、「自分が考えようとしていることがつまらないものではない」と信じていくための「おまもり」にしていいのかもしれない。

 今日は女神大橋からピンホール撮ってみようかな。


2009年11月02日(月) 考えない人

 10年近く使っているイスの背もたれ調節レバーをヒコに壊され、5年くらいはめていた指輪を外したくなり、大きい段ボール6箱分の本を買い取りに出したりしていたら、そもそも生まれて初めてわき起こっていた「なーんにも読みたくないし考えたくないし書きたくもない気分」の最後の波も合わさって、ほぼ2日間寝込んだ。寝ても寝ても寝られる。たぶん両日とも猫並みに寝た。そしたらようやく写真を撮ったり本を買いたくなったので、ピンホールカメラを持っておすわさんに行き、たけやまでカフェオレを飲んで、本を2冊と「樂」を買い、このところ作りたかったおでんの材料も仕入れた。
 新しい「樂」には、私の文章は載っていないが(しくしく)、NBCの広告ページに、仕事をしているダンナの姿が、なにやら格好よさそうな文章とともに写っている。ぷぷ。この撮影の時、「本当は他のカメラマンだったが、なぜか自分になった」と、なにか言いたげに言うので、「濃すぎず、軽すぎず、オッサン具合がちょうど良かったんじゃ?」と指摘したら「オッサン言うな、福山より若い!」と返された。まぁ、この広告を見る人にとってはどうでもいいだろうが。
 コピーには「『写す』ではなく『撮る』カメラマンでいたい」とか「思いを込めて『撮る』」とか書いてあるが、ここに写っているダンナは(コピーを書いてくれた人には申し訳ないが)そういう思考回路のもとには撮影していないと思う。多数の人が「良質なカメラマンに備わっているべきもの」として想像するような「考え」とか「思い」というのは、たぶん彼にはない。文章で書き表されるようなたぐいの「その人の境遇」に「思いを馳せ」たりとか、そういうことは一切していないと思う。だからといって機械的に撮影しているとか、いわゆる「絵づくり」だけで撮っているというのとは全然違うのだが、試しに本人に「どう思って撮ったの?」と聞いても、気のきいた答えはひとつも返って来ないのである。10年ほど一緒に暮らしているが、ダンナのそういう部分はまったくの「謎の闇」に包まれている。そしてこないだ、小国で「見える」お姉さんから、こんなことを言われたと聞いて、猛烈に納得した。
 「今回は『考えない人生』を選んでますね」
 そう!それ!考えてない!
 「考える」ことが正しいって思われる今の世の中では、かなり不利な立場(時にバカ扱い)に立たされたりするけど、それができるのは大きな才能だと思うので、これからも「考えない道」を突き進んでいってほしいと切に願う。



トンビ |MAILHomePage