ぴんよろ日記
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2009年10月28日(水) たどり着こう

 知人が病気で手術したという知らせ。でも、なんとなく「やっぱり…」という感じがした。最近ちょっとご無沙汰していたが、以前よく会っていたころ、当時は自他ともに元気いっぱい!という時期だったのだけど、なぜか「近いうちに病気するんじゃないか…」と思ったことがある。でもそんなこと言うわけにもいかないまま、今日の知らせ。どうしてそんな予感がしたのか、今になって考えるのだけど、その人自身が望んで、まわりもそれがぴったりだと思って始めた新しい仕事(お店)が、実は合っていなかったのかもしれない。その人が得意なこととお店の内容は、これしかない、というくらい合っていたのだけど、それとはまったく別の「お店というものをやっていくための図太さ」を持ち合わせていないような気もする。きっとそういうことって、あると思う。でも、この病気が、きっといいほうに軌道修正してくれるような気も、なぜかまた、わけもなくするので、きっと大丈夫だ。幸か不幸か「『見える』ような霊感」はないと宣言されたが、こういうことは、時々わかる。

 そう。霊感はない。オバケが見えるとか、その手のこともだけど、たぶん、いわゆる「クリエイティブ」なことをしていくための雷に打たれるような「インスピレーション」や、ものごとの本質を瞬時につかみ取る能力(嗚呼、シャッターチャンスの弱さよ!)は、私にはない。誰もが知る天才と比べるまでもなく、身近に存在するハハやダンナを見ているだけでも、それはよくわかる。私はまったく天才肌ではない。コピーの仕事で何が苦手かって、ドカーンと一発のキャッチコピーだ。理屈のボディコピーはいくらでも書ける。でも、店の名前とか商品名とかイベントのタイトルとか、そういう大づかみなものを考える時、自分の才能のなさに愕然とする。ぜーんぜんわかんない。頭の中に霧が立ちこめる。そのかわり、枠のある細かなことは得意だ。グチグチと本を読んだり散歩しながら「これって、あれと結びつく!誰も気付いちゃいないだろうけど!」というようなインスピレーションはたびたび降ってくる。地道な職人へのごほうびだ。そして哀しき観察者人生。だから、ドカーンとはったりかますようなことはできないけれど、ほそぼそとこういうことを積み重ねていくのが私の道なのだ。スコーンと高みに降り立つ霊感はなくとも、別の入り口からめんどくさくて長い階段を休みなく登って、近い境地にたどり着こうという寸法だ。


2009年10月27日(火) ほんわか

 昨日、歩道橋で高校生とすれ違った瞬間、女の子が男の子に「ねー、今度の日曜さ〜」と話しているところだけが聞こえた。すっごく楽しそうだったので、彼らの「今度の日曜」の計画って、いったいどれだけ素晴らしいものなんだろう、と、ほんわか。

 今日は久々に原稿書き。


2009年10月26日(月) 片思い

 ここ数日の備忘録。

 金曜日、高校の時の同級生とお昼を食べる。自分がまったく覚えていない、高校時代の自分の態度や言動を聞いて妙な気分に。
 コッコデショの取材でお世話になった人が亡くなったという知らせ。土日は長崎にいないので、夜、仮通夜にお邪魔する。まだ棺にも入っていなくて、眠っているよう。ご主人にそう伝えると、本当に生きている人に言うように「おーい、起きろー、朝ぞー。」って呼びかけて、でも、すぐに、「…って言うても、起きんとさね…」と涙目になるので、こちらも涙がにじむ。5年前、町の打ち上げに、なんと司会で呼んでもらって、でも、司会のくせに会の最後に大号泣していたら、笑いながら慰めてくれたYさん。元気な時しか思い出せない。大好きだったゴルフウエアを着て眠っていた(葬儀屋さんから「まだお若いので生前好きだった格好で」と言われたそうだ)。どうぞまた元気にゴルフしてください。でも再来年、また一緒にコッコデショ見たかったのに!

 土曜日は小国へ。途中、阿蘇の展望台でトウモロコシを食べたが、生でも食べられるのを炭火でサッと焼いてあって、サックサクで甘くてジューシー。人生最高の焼きトウモロコシ。
 今回はいつも行く焼き肉屋さんが満席だったので、他の名店からホルモンや唐揚げなどをテイクアウトし、つまりはどっちにしても「肉々しい」宴が繰り広げられた。テーブルがほぼ茶色。
 日曜日はフリーマーケットで石けん屋さん。雨が降ってしまって人も少なかったけど、石けんは30個以上売れた。いちばん自分が使いたかったものまで、売れるのが面白くて、うっかり全部売ってしまった。そしてもうひとつのお楽しみ…「スピリチュアルアート」。今回も「見える」お姉さんの話に釘付け。いろいろ聞いたが、ひょんなことから「霊感あるかどうか見てみましょうか」という流れになったので見てもらったら「あー、見える、とかってわけじゃないですね」と言われたのがいちばんおかしかった。見えなくても別にいいのだが、すこーしだけ、がっかりしたのも否定できない。「そういうことに強い興味はあるようですけどね」とも。嗚呼、霊界に片思い。
 ダンナはちょうど見えるところに車を駐めていたので「あの車、どうですかね…」って聞いたら、ズバリ「電気系統が弱いみたいだから、バッテリーをつなぐケーブルは積んどいたほうがいいですよ」と、スピリチュアルなのかメカニカルなのかわからないアドバイスをもらっていた。
 そして夕方、どうしても我慢できず、焼肉屋さんへ。レバー集中鉄分摂取。友人一家と「でも良かったよねー、車見てもらって『あ〜、3人見えますね』とか言われなくて!」などと笑いながら、それぞれの「スピリチュアル報告会」をする。

 本日は「ペコロスの唄地図」撮影。中通りの端から端まで歩きつつ、ちょうど20分語る。唄は眼鏡橋バックで。今度CDを出すという岡野さんだが、ジャケ写にしたいくらいの眼鏡橋ショットであった。



 


2009年10月20日(火) はしくれ

 ついうっかり、石けん作りのサイトをいくつか見てしまった。材料、色、デザイン、型…すごすぎる世界…。私など、ヒヨッコもいいとこだ。そして、石けん作りをする人のことを「ソーパー」と呼ぶらしい。「他のソーパーさんのサイトで、こんなカワイイの見つけました☆」的な記述が、「ソーパーさん」のブログにはあふれていた。ううう…。しかし石けん作りはやめられない。間が空いてしまうと作りだすのがおっくうになるのだが、一種類作ってしまうと、次から次に作りたいものが湧いてきてしまう。ネットに広がる禁断の世界を垣間見てしまったこともあり、今、まさにその状態。今朝などは夢の中でも配合を考えていた。石けんのことを考えている時って、他のことでは得られない多幸感に包まれるのだが、職業の選択を間違ったのだろうか…。
 そこまで思い詰める必要もないのであろうが、ソーパーのはしくれは、今日も今日とてぐるぐるとタネをかき混ぜるのである。





2009年10月19日(月) ババーday

 日曜日の小国のフリマに向けて、久々に石けんを仕込む石けんババーday。色合い、香りづけなど、いろいろ考えつつ。今回は熟成期間が全然間に合わないので、それならば、「買った人が家で熟成させつつ、その間は香りも楽しんでもらう」という方針で作る。クリスマスっぽく。熟成の頃合いとしても、クリスマスまで飾って、それから使うとちょうどいいくらいなので。レッドパーム油が鮮やかな、オレンジ色のツリーなど。売れるといいな。
 


2009年10月15日(木) 4回目!

 ヒコの誕生日。朝からハイテンション!午後3時、お誕生日会のため保育園に行くと、先生から「テンション高すぎて注意されっぱなしでした〜」と言われた。
 約束通り、夢彩都で「トミカのおおきいひこうき」を買い、ディナーは主役の強いリクエストにお応えしてグレープナッツへ。「しろいスパゲティ(カルボナーラ)」をもりもり食べ、お店のお兄さんとお姉さんに買ったばかりの飛行機を見せて上機嫌。
 保育園の帰り道には、どこからともなくポンプ車とレスキュー車が現れた4回目の誕生日。一日中はしゃいでいたヒコを見ていて、そうだよねー、誕生日って、うれしいものだよねー、とあらためて思う。


2009年10月13日(火) 冬を越す前に

 夜中、「日本海側と太平洋側から吹く風を嗅ぎ分けられる窓を開けたり閉めたりして鼻をクンクンさせる」夢を見ていたら、現実世界のヒコ方面から「布団上大放尿」を申告する声がしたので、ホカホカタオルでお尻を拭いたり、着替えさせたり。そうやってヒコが私の布団に着て、さらに「いつものメンバー」であるもぎくんとはるちゃんも乗っかってきて、生物密度の異様に高いシングル布団が完成した。さすがに身動きが取れずに目が覚め、お腹もすかすかしたので、このところ大流行中の、出雲の「生姜糖」を一片入れて、ホットミルクを作る。上等の砂糖と、熱を加えても辛みが飛びにくい出西生姜のエキスを、昔ながらの製法で練り固めたというもの。出雲地方では、ちょっとした名物のようだ。はじめはでっかい板チョコみたいな固まりなので、一片ずつに割って、キャンディみたいに包んでおいているのだが、こうやってホットミルクに入れたり、紅茶に入れたりすると、ほんのり甘い生姜味になるし、なんだか体も温まる。寒い日の山登りなんかにいいかもしれない。パッケージも昔のままでかっこいい。出雲大社のそばのお土産屋さんで買う時は「こんなにあっても余るかも…」と思っていたが、箱欲しさに箱入りのを買った。でもこの調子だと、冬を越す前になくなるだろう。


2009年10月12日(月) なんか違う…

 長い休み。
 山陰に行く前に、頭の中が考え過ぎやらなにやらで煮えていたので、旅行を機に、もう、本当に腹の底からふたたび考えだしたくなるまで、何も読まず、何も考えないことにして、はや2週間。ぐるぐる渦巻いて濁っていた頭の中が、だいぶ静かになって、上澄みが上がってきた気もする。誰が待ってるわけでもないので、まだしばらく放置しておこう。

 オバマさんのノーベル平和賞も、広島と長崎のオリンピック誘致も、なんか違うんじゃ…と思う。それを良しとする人から詰め寄られたら口ごもらざるを得ないけれど、しかし、違和感はぬぐえない。なにはともあれ、「ノーベル賞」「オリンピック」って、もちょっと違う次元にあるものじゃないのかな。高い次元とは言わないけど、違うところにあるものだと思ってたけどな。街頭インタビューでは、「ぜひ開催を!」派と「お金がないから無理じゃ?」派で分けてたけど(こう言う時のローカル局って、ため息が出るほど安直…)、問題はぜんぜんそんなとこにはないはず。「広島/長崎」が、そういうことに使われるべきものなのか、使ってしまったらどういうことを引き起こしてしまうのか、そのへんをまず考えた方がいいと思う。広島や長崎(ひいては日本)の人は、「広島/長崎」に慣れてしまっているから、変な話、軽い気持ちで「オリンピックで平和を考えましょ〜。資料館にも来てちょ」って言えるだろうけど、「広島/長崎」が手を挙げた同じ理由で「アウシュビッツ大会」とか「ベトナム五輪」とか「南京オリンピック」って言われたら、どうだろう。スポーツ以外の部分が悶々とし過ぎてるってことが、すぐにわかる。原爆とか戦争とか、そういうことを考えるのはもちろん大切だけど、ひとまずそれを置いといて、いま一度、体の付き合いをしてみる、ってのがオリンピック(これまた商業主義だとかなんだとかいう問題はあろうが)だと思ってたけど、違ったのだろうか。



2009年10月08日(木) 毒々チキン!

 突然寒くなったので、昨日の夜は、お旅所に行くのにフリースを着込んだ。お目当ては、去年食べて感動した、変なチキン。毒々しくクリスプな衣のモモ肉一枚揚げに、これまた恐ろしい味のタレをどっぷりしみ込ませ、お好みでマヨネーズや唐辛子をトッピングしてあるというもの。毎日食べたら、間違いなく病気になりそうなやつ。私もダンナも一口食べた瞬間、ミスター味っ子のように瞳孔が開いて、虜になってしまい、今年も食べるのだと意気込んでいたのだ。ダンナは昨日一日、それを楽しみに生きていたという。
 意気揚々とお旅所に乗り込んだが、しかし…毒々チキンは見つからず。魔が差したようにでかい焼き鳥を買い、私がコンビニに行っている…目を話した隙に、ダンナは史上最強に粉っぽくて具が無くてマズいはしまきを買っていた。あんなマズいはしまきはいまだかつて食べたことがないというくらいの、だ。意気消沈しつつ、朝日屋でおでんとラーメンを食べて帰る。
 お旅所にいる間、唐津に住む編集者のTさんから、何度も電話がかかってきた。どうやらケーブルで中継している「くんちの夕べ」を見て感動しているらしい。そうじゃろうそうじゃろう。雑踏の中で声を張り上げて解説する。
 今日は中央橋方面で「毒々チキン」を探してみよう。


 数日前、たまたまつけたTVで「バカ殿」をやっていた。そしてヒコががっちり食いついてしまって、やっぱり子どもはドリフ系が好きなんだな〜、自分もそうだったし、と思っていたら、ヒコが一言。

 「このおとこ、おもしろいなぁ。」

 志村けんを日本一「上から目線」で見る幼児…。


2009年10月07日(水) めまい。

 早起きして、昨日から準備していたサンドイッチを食べながら、くんち中継を見る。一番町の傘鉾が出てくる時に目頭が熱くなってしまうのは、年を取ったということであろう…。前半ではけっこう雨が降っていて、傘鉾や船が滑らないかとハラハラしたが、どの町も無事終わった。しかしほんと、くんちって密度が高くてめまいがする。

 めまいといえば、昨日、東松照明さんの展覧会に行ったのだが、これもまたあまりの濃さに、時々座り込みたくなった。会場中にむせかえるほどの「死臭」が満ち満ちている。写真展のタイトルは「色相と肌触り」だが「死相と肌触り」と言われても納得するだろうし、死を空だと思えば、色即是空である。「死臭」は、決して悪い意味ではなく、生があるからこそのもの。その証拠に、写っている「生者」「有機物」に強い死の影が漂っているのに対し、「死者」や「無機物」が今にも命あるものとして動き出しそうなのだ。生と死のあわいが、もう、ゆらゆらのぐらぐら。そして、それはそのまま、長崎という町の特性でもあるのだが、それがあまりにも濃厚に抽出されていて、本当にもう、立っていられなくなる。図録を、もちろん買おうと思っていたのだが、あの写真をずっしりと持って帰るのがつらいというか、今日はちょっと勘弁してください…という気持ちになって、買うことができなかった。時間をおいて、もういちど見に行くつもりだから、そのときは、きっと買うのだろうけど…。

 余談。
 1枚だけ、一瞬、「なんで私の写真が?」と驚いたものがあったのだが、もちろん私の写真ではない。でも、おなじものを、きっと同じ時期に同じような角度から撮ったのだと思う。そしてそれはもう、東松さんと私が撮った写真のようには存在しない。
 畏れ多くも、東松さんと私が同じように撮ったもの…取り壊し直前の新興善小学校の小便小僧…。よりによって〜!


2009年10月06日(火) 米子のバック屋さん

 今回の山陰の旅での、いちばんの買い物はバッグだった。鳥取の本屋さんにあった、ちょうど出たばかりの「クウネル系」山陰ガイドブックを見ていると、米子のバッグ屋さんが目に飛び込んできて、「ここへ行くに違いない。そして買うだろう」と確信した。
 米子の町はずれにある「ミントチュチュレザー」は、お店の半分が作業台とごっついミシンが並ぶ工房、半分がお店。二人のお兄さんと4匹の猫がいて、革と帆布のバッグや小物が並んでいる。そのどれもがていねいに、様々なことに思いめぐらし、楽しんで作られていることがわかる。本に写っていたのはすべてが帆布のトートバッグで、実物も素敵ではあったが、私の日常には少し大きすぎた。そこで、あのタイプ、この形、そっちの色、と、行きつ戻りつ、肩にかけたり、出してもらったり、一回かけたのをもう一度かけたり、二度かけたり、三度かけたり、よーしこれにしよう!と決めかけたり、でもふと見ると決めかけたそのバッグの後ろに置いてあったのが、めぐりめぐってランニングホームラン!。革の持ち手の、オリーブグリーンの帆布トート。私にしては渋いが、とにかく、これに決まりなのだ。お兄さんに渡すと、持ち手にワックスを塗ってくれた。ヒコにはチョロQをいただいた。ヒコがなついてずーっと話しかけられていたお兄さんは、「生の九州弁を初めて聞きました〜」と笑っていた。
 あの場所で、あの二人のお店が、ああいうものを作りつつ繁盛(フルオーダーは1年待ち!)できるなんて、不況だかなんだか知らないけど、世の中捨てたもんじゃない。あれから毎日使っているけど、いつもの生活のいろんな場面を想定して、選んで選んで買っただけに、過不足なし。どんどん好きになる。今度山陰に行く時には「こんなに使いましたよ〜」って見せたい。そしてダンナは毎日のように「何か買いたかった…次は絶対なんか買う…」とうわごとのようにつぶやいている。


2009年10月05日(月) ますます

 旅から戻り、頭も体もポカーーンとしてしまっている。本を読む気に全然ならないが、まぁ、そういうことは一年のうちでもあまりないので、積極的にボーッとしている。
 基本的に「来るものは拒まず、去るものは追わない」方針だが、旅から戻って来てみたら、ある仕事上のことで、やんわりと「あなたとはご縁がないかもです」的メールが届いていて、そうかー、と思いつつ、まぁ、意外な気もしたけど、いや、案外そうなのかもしんないな、なまじ近いと思ってただけに、実は遠かったんだな、と、ますます自分の道を行くことにする。


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