ぴんよろ日記
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2009年07月31日(金) 綱渡りと胸騒ぎ

 あれ?なんで今日は金曜なんだろう?

 という具合に過ぎてしまった今週。なにかいろいろやってたような気はするが、すぐには思い出せない。今日もビデオを編集しつつ、本を読みつつ、写真を撮りつつ…なにがなにやら。しかも朝の5時ごろから起きているので、一日が異様に長い。余裕で終わると思っていたビデオの編集だが、しかし、朝早く目が覚めて「やるべきだ」という胸騒ぎがしたので着手したら、案の定、パソコンに入れている写真などのデータが多すぎ、いつも使う機能が使えなくなったり、仕上げてDVDに落として「コーヒーでも飲むか…」と思ってプレビューしたら、データが壊れていて、焼き直すことになったりして、結局は綱渡り。仕事上の「綱渡り」の場数はけっこう踏んでいるので、こういう「胸騒ぎ」は的中する。今日も助けられた。


2009年07月27日(月) 準備はできていません!

 2年に1度くらいのペースで会う人と午後中話す。なぜ2年に1度かと言えば、その人が日本にいないからだが、会うたびに「謎の東洋人度」が上がっていく。パッと見、ものすごく違う人生を歩んでいるが、ある面では恐ろしくおなじ部分があり、今回も「なぜ私たちは旅行先でも現地の人と間違われて道を聞かれたりするのか」という点などで、すっきり腑に落ちる答えが得られたりした。
 それにしても、新しくできた見晴らしの良い某ホテルでランチを食べたのだが、テレビでちらっと見かけて想像していたよりもかなり困った味だった。気付いたら4時まで話し込んでいたのだが「この値段であの味かい!しかしまぁ街で話し込んで駐車場代を払ったと思えば腹も立たないってことで」と、言うともなく言いながら出る。あのクオリティでメインを2品出すなら、1品にしてもうちょっとマシなものを出してほしいです。4649。

 そして事件はヒコとお風呂に入ったあとに起きた。
 こんな日に限って、ダンナは出張。
 ヒコの体をふいてやり、自分は洗面所で化粧水などつけていたら、部屋に行ったはずのヒコが「おかあさ〜ん、これあったよ〜」と持ってきたのはスズメの死骸っ!!!「ふひゃ〜っ!」ともなんともつかない声を上げて驚いたら、ヒコも急に怖くなってしまったみたいで私の方に放り投げてくれた。どうやら網戸が壊れていたこともあり、ベランダで往生したか、ひょっとしたら弱っていたその方を、(たぶん)はるちゃんが「おみやげ」として部屋に置いていたのだろう。お風呂に入るまでバタバタしていたので気付かなかったに違いない。決死の覚悟で新聞紙に回収し、ベランダから送り出す。さらにこの「事件」で上がってしまった息と汗が覚めやらぬうちに、またもやもぎくんとはるちゃんが何かを追いかけている。虫っぽい。カナブンはよく飛んでくるので、それかな?と思って見たら、うわ〜ん!茶色い「ご」のつくやつ〜!またもや汗をかきながら撃退。
 ヘトヘトになって肉を炒め、ビールを空ける。
 「ドアを開けると、ナチュラルに大トカゲやでかいインコみたいなのがいた」というブラジル帰りの人と話して、そういうものに対する意識がオープンになっていたのかもしれない…と思い至り、いつもは絶対にしない「エアコンつけっぱなし」によって、スピリチュアル界のみなさん(?)に「私にはこの部屋で野生動物を受け入れる準備はできていません」と宣言し、窓を閉め切って眠る。


2009年07月26日(日) 焦げ目の才能

 年々ペーロンへの思いがつのる。朝、まだ雨もやまないのに、港からは太鼓の音が響いてくる。そうか!そうじゃん!と思いついてしまい、夕暮れにするつもりだった「ペコロスの唄地図」収録を、ペーロン会場でできないかと岡野さんに打診。快諾をもらったはいいが、マイクを取りに行ってたら大雨がぶりかえす。しかし、その時になってみれば、なんとか明けた。ペーロンについては、私も、そして岡野さんも、ちっとも知らないのだけど、くんちや精霊流しとおなじく「長崎のまつり」とひとくくりにされながら、当の私らさえも「ちっとも知らない」その感じってのは何なのだ!というところを、ヒコ助に邪魔されつつ、ひたひたと話す。マイクが一波なぜかダメになっていたので、ワイヤレスをちまちまとやり取りしつつ。
 夜は花火を見に行くことにして、その前に腹ごしらえ!と、電車通りの宝雲亭へ。長崎の餃子好きにはそれぞれのフェイバリット一口餃子店があると思うが、我が家は今のところ、ヒコの居やすさなども含め、ここで安定中。最近は1階席が多かったが、今日は2階へ。キモニラと餃子を5人前頼んだら、ピッとしたお兄ちゃんが「まず3人前です」と持ってきた餃子が!きゃ〜なんですかこれはっ!素晴らしい色!そして焼き加減!これまでの一口餃子人生の中で(そういえば何個食べたんだろうか)最高のものだった。腹の焦げ目の絶妙さに加え、餃子の皮のエッジのとこが、後一歩で揚げ餃子になりかけているようなカリッと具合。その上、具と皮の間にはふんわりとした空間があって、食べた時にパフゥ〜と幸せなため息になる。これはもう、他の人には申し訳ないけど、勤続年数でどうにかなるもんでもなくて、あのお兄ちゃんの才能だと思う。そもそも最初に「3人前です」と持ってきてくれた時に、それが「3→2と分けて持ってきた方がきっとおいしいですからね!」という意味だということがビビッと伝わってきたので、おおっ?と思わされたのだ。ヒコもどんどん食べて、ごはんも一緒に押し込んだというのにどんどん食べてくれちゃって、追加で頼んだ一人前をダンナとしみじみ味わっていたら、最後の2個ずつを無情にも手づかみで強奪されて、泣きそうに途方に暮れた。

 肝心の花火は風向きが悪く、あれよあれよと煙に隠され、音だけに。


2009年07月25日(土) 久しぶりというほどではないけれど

 まる1日、ヒコと過ごす。夕方くらいになると、その要求の多さと、なによりも「せっかちビート」に脳も体もついていけず「ヒコ中毒」とでも言うべき症状(倦怠感、吐き気、思考停止など)が襲ってくるのだが、なんとかやり過ごす。
 夜は保育園の夏祭り。ヒコ助所属のちゅうりっぷ組が壇上で挨拶をしたが、ヒコ助はモジモジと何も言わず。しかし壇上で泣かずに立っていられたことだけでも大進歩だ。去年の夏祭りでは人の多さにやられ、壇上におらずとも、会場にいるだけで泣きっぱなしだったものだ。
 夏祭りでは、今年度50カ所くらいの保育園や老人ホームをボランティアで回っているという、いっちゃんのミニコンサートが!テレビに毎日出ていたころからすれば「昔の人」と言えなくもないが、こうやってオーボエを吹いたり歌ったりしゃべったりしながら「動く」ってことは、見てる方が思ってるよりも(私の後ろに座ってた保護者が『老けたよねぇ』と意地悪く言っていた。私、タメ年ですけど何か?)大きな力を必要とするし、難しいことだと思う。増してや小さなこの町で、一度はスター扱いだってされてたような彼が。
 ヒコを縁日ゲームで遊ばせつつ、久しぶりに話す。私は「久しぶり」と言うほど話したこともないけれど、テレビの仕事をしていたころ、時々ご一緒したものだ。彼について人づてに聞くことの中には、いいことも悪いことも、そんなことも!というものまであったけれど、直接話す限り、「よく知りあってない人にはとりあえず小さめに出ておく」感じはあいかわらずだった。ご多幸を心よりお祈り申し上げます。いやほんとに。世間的には不安定なことで自分の人生を構築している者同士として、心から。ステージ、みんな楽しんでたよ!体を大事にがんばってください!(数日前には声が出なくなって点滴を受けてこの日を迎えたらしい)


2009年07月24日(金) 人生最大の

 またもやヒコ助にトミカを買わされた帰り道、「もー、明日は絶対買わんけんね!」「はーい。買いませーん」と、ダメ夫婦のような会話を交わしながら車で走っていると、突然激しい風雨が吹き荒れ、距離にしてどれくらいなんだろう?、目の前ではないんだけど、それが見えるにはかなり近いところに、ビカッ!と、ぶっとい稲妻が落ちた。あまりの光景に「ダメ夫婦」は顔を見合わせ、「見た?」「うん!」「すごかったね!」「ね!」と大興奮。鬱々としていた車内は一気に沸き立った。あんな稲妻、見たことない。少なくともこれまで生きて来た中で、最大の稲妻だった。これを3歳にして見たヒコ助よ!これはすごいんだぞ!
 おとといは日食も見たし、ありがたいやら、おそろしいやら。
 そしてこの時ダンナは、私の電話が一歩間に合わなかったようで、バイクでずぶぬれになりながらおなじ稲妻を見て、恐怖に震えていたらしい…。
 夜も雷はやまず。


2009年07月22日(水) ひとり、大昔。

 前から行ってみたかった西山の左近神社へ、日食観測がてら歩く。日食って、太陽が欠けるのにも見入るけど、やはりあの「暗さ」がたまらない。夜でもなく、曇ったからでもなく、日食の時にしか現れない「暗さ」、そして空気のひんやり感。大昔の人が多大な感慨を持って見つめたであろう瞬間を、これまた大昔の人が祈りを捧げたであろう空間で過ごせたのが不思議だった。午前中だけで、おすわさん、左近神社、妙見神社にお参りしたからか、午後はなんだかやる気になって、バリバリと寝室を片付けてすっきりした。


2009年07月21日(火) 巻き戻しの空

 巻き戻したかのように、梅雨空。自然派を気取る私(?)もエアコン頼み。この、湿気ていて暑いのに、なおかつ冷える感じはつらい。
 昨日は降って湧いたように卓袱を食べた。お昼だったので軽めのコースだったのがよかった。卓袱を食べるときの、あの、お腹のはちきれ具合は、もはや罪悪感すら覚える。でも長崎は「かぶり」という立派なお持ち帰り文化があるので、そもそも、持ち帰って家族が喜ぶ量に設定されているのかもしれない。そういえば小さいころ、ハハが仕事で行った料亭の料理などを「かぶり」で持ってきてくれてたのって、すごく楽しみだった。通訳という職種ゆえ、ぜんぜん食べられなかったこともあろうと察するが、おかげでおいしいものが食べられた。そんなハハは今日、どんなに食べ残しても大丈夫なくらい大量にタッパーを持参していたが、みんな結構たいらげてしまい、いちばん小さなタッパーに、角煮半切れとキュウリの漬け物だけが詰められることとなった。

 食後はみんなと別れ、ヒコと二人「たけやま」でひとやすみ。「いつものやつでーす」と言い放って、ソフトクリームを頼むヒコ。早くもおっさん。最近お気に入りの山陰のお酒を買う。そう思って飲むからなんだろうけど、山陰のお酒は、なんとなく山陰の匂いがする。

 マンションがスズメのたまり場になっていて、楽しそうなさえずりが聞こえる。でも、雨の日に共用部分の窓が閉められていたからか、外への出方がわからなくなったであろうスズメが一羽、階段のところで力つきていた…。

 そういえばもうすぐ人前で話す仕事があるんだった…準備しよう…緊張する…。


2009年07月20日(月) 儀式

 昨日、難儀な状態の腰をほぐされながら、なぜか「飲み屋での出入り禁止話」になり、オヤユビキング氏の「武勇伝」を聞く。
 「あー、専門学校のころ、先輩とかと居酒屋で飲んでてですねー、その日ちょうど、尾崎豊が死んでしまって悲しかったんで、みんなむちゃくちゃ飲んでですねー、アジの活き造りの頭と骨のとこがあるでしょう?あれをみんな頭の上に乗せてですね、尾崎豊の歌を歌って、それで、他の知らないお客さんのテーブルにも行って、尾崎豊の歌を歌えって強要したりですねー、そしたら出入り禁止になりましたねー」
 「死んだシャーマンの魂を、アジの頭部に宿る霊力をもって送り出そうとした儀式」と言えなくもないが、ま、出入り禁止でしょうね。合掌。


2009年07月19日(日) 二十年越しの再会

 朝起きたらものすごい腰痛だったので、速攻でオヤユビキングを予約。そしたら「これから妹さんが来られますよ」とのこと。どんな姉妹だ。

 今、読んだり考えたり進めたりしていることや本が、めぐりめぐって、大学で専攻した(というほど勉強しなかったのが悔やまれるが)民俗学やら人類学的なジャンルにたどり着いてしまった。たどり着いたというよりもむしろ、これまであえて封印していたような気もする。まわり道をしたいと思っていたのか、それとも、好きなことだからこそ、たとえば飯の種にするのははばかられる、と思っていたのか、本を手に取るにしても「もう学生じゃあるまいし」と照れくさかったのか、とにかくほんのり避けてきた感がある。しかし何が好きとか、読んでいてドキドキするか、考えの展開にターボがかかるかということは、もはや自分の意志ではどうしようもない領域だ。
 去年の秋に本を出して、春に展示をして、そこで、それまでのものがひとまず清算されて、さてこれから何をどうするべ?と考えたり本を読み出したりしてみたところ、かつて親しんだことのあるものたちが「久しぶりだのう」と出迎えてくれたような気もする。ちっとも勉強しなかったから、実際に読んではいないんだけど、名前だけは研究室の本棚でいつも見ていた人の本を読んだり、読んだことはあるんだけど、若い時にはちっとも読めなかったものが、でも、一度でも目を通したことのある親しみを持って頭の中に入ってきたり。そしてなにより、当時、わけもわからず、半分はカッコつけて買っていた本がありがたい。
 およそ20年越しの再会を楽しみつつ、これが自分の仕事としてどう展開していくのかが、我ながら楽しみ。そしていま、あまりにも頭の中が楽しいので、いつにも増して傍目にはボンヤリしていることだろう。だいたいそっちの時空に旅立っているから。

 高校1年の「現代社会」の資料集の、ほんの小さな囲み記事だった。「生活を学問にする」というようなキャッチフレーズだったと思う。古いどてらのような着物や、農村の家の土間みたいな写真があったようななかったような。そこで初めて「民俗学」という文字を見て、「これじゃん!」とハッとした。そんな、ひと目惚れにも近い気持ちになった「民俗学」について、結局授業で取り扱われることはなかったのだが、退屈まぎれにパラパラめくって出会ってしまった「その瞬間」のことは、今でもよく覚えている。ページの片隅のその部分だけが、グーンと目に吸い付いたのだ。

 最近よく冗談めかして「120歳まで生きる」と宣言しているが、けっこう本気。生きてると、こんなにも面白いことがいっぱいあるから。年を取らないとわからないこともたくさんあるし、120歳まで生きていられたらどんな世界が広がってるんだろうと思う。さすがに120歳はつらいだろうが、90超えたくらいまでは、ひいばあちゃんもシャッキリ生きてたし、狙っていきたい。


2009年07月18日(土) それでも銅座は生きるのだ。

 毎年の恒例行事、福岡へ狂言を見に行く。その間、妹の赤ちゃん・S坊とダンナは、キャナルシティをうろうろ。S坊は、妹がいる時は後追いの訴えの泣き声も高らかだったりするが、ダンナといる時は「こいつに訴えてもしょうがない」と思っているのか、それとも気を使っているのか、3時間ほどをまったくトラブルなしで過ごしたらしい。わかってるんだなぁ〜。
 夜は、江戸善の唐揚げと桃太呂の餃子をお持ち帰り。ヒコと二人、蒸し暑い夕暮れの銅座迷路を歩く。不景気不景気と念仏のように言ってはいるが、それはそれで安くで飲めそうな、若い人がやってるようなお店がいくつもできていた。そうさ!しけてばかりはいられないよね!生きていくしかないんだもの!それだったら楽しもうよ!そんな感じの銅座だった。
 一口餃子は店で焼きたてを食べないとおいしくないけど、桃太呂の餃子は持ち帰りが前提だからか、とてもおいしかった。この年にして「あ、そうか、餃子と言っても中身は豚まんと一緒か」ということに、ようやく気付いた。


2009年07月16日(木) 大集合!

 先日より帰ってきている妹&その息子、小国より友人一家、そして我が家で、子どもだらけな大集合。3歳児2人、赤ん坊2人。まぁ、ほとんど大人の話はできない。でも、それぞれの子どもが本当にそれぞれで、こんなにもそれぞれなものなのかと見入るよりなし。昼は吉宗で茶碗蒸し。夜はいつもの焼き鳥屋さんへ。あまりにも嵐のような時間だったのか、なにをどうやって過ごしていたのか、いまひとつ思い出せない…。


2009年07月14日(火) ガム

 昨日の重労働が体にこたえないわけがなく、朝イチでオヤユビキングへ。もむ方ももまれる方も、今までで最高(最悪?)レベルだと言いあう。「すごくイヤなたとえなんですけど、背骨に筋肉が張り付いてて、それが、ほら、人がかんだ後のガムが道に落ちてて踏んじゃったらベッッターーー!ってするじゃないですか。あんな感じです。」とのこと。でもいいのだ。よく働いてスッキリしたから。体を痛めないために何もしない方がよほど不健康ってものだ!
 沖縄の妹が、息子と帰ってきた。前回よりも、グンと妹似になっていた。でも後追いなどがかなり激しくて、妹は少々お疲れ気味であった。ヒコとはまた違う大変さだ。


2009年07月13日(月) 捨てに捨てた。

 思い立って、猛烈に片付け。押し入れを占領していた古い布団や着なくなった服などを、心を鬼にしてまとめ、ゴミセンターまで持っていった。帰り道に後悔の念にさいなまれるくらい捨てた。ものを捨てるということは、殺してしまうということでもあるのだとよくわかった。センターの空間の感じにも、いろんなことを思った。後悔するほどの「捨てる」ことと引き換えに、そういうことを肌で感じさせてもらったので、捨ててしまった物たちには感謝の念を捧げることで成仏していただければ、と祈る。


2009年07月11日(土) 色とサイズは合ってたのだが…

 朝、台所で片付けものをしているとき、視界の片隅にずーっとはるちゃんが座っているので、「も〜、はるちゃん、なぁに?ごはんはさっきあげたよ」と見たら、一升瓶だった。

 今日は素敵な天気の中、キャンプに行く予定。去年も行ったが、この、本当ならばとても苦手なはずの「ダンナの職場の方&そのご家族と」という設定だが、なぜかとても楽しかった。ので、今日も楽しみ。雨が上がるといいのだが…。


2009年07月07日(火) 向いてない…。

 突然、裁縫熱発症。ヒコやダンナの寝間着短パンや袋物などを縫いまくる。そしてよくよくわかったのは、悲しいかな、この方面にはあまり向いていないということ…。色気を出して「企画もの」を作ろうとすると、途端に「これ、使わないだろうな…」というイマイチ感あふれるものができてしまう。これからはもう、おとなしく、ただのズボンとかプレーンな手提げしか作らないようにしよう。紙系の工作物では(人がどう思うかはともかく)作れば作るほど自信と達成感に包まれるのだが、この人生、どうやら布には愛されていないようだ。今回の裁縫熱、奮発気味に買ってしまったリネン生地で涼しいズボンを作って決着としたい。


2009年07月05日(日) 蕎麦屋かっ!

 おととい「自宅前遭難」の危機に逢ったが、それは本当にありがたいことであった。思い出すたびに、あの、たった20分くらいのできごとの中から、まさしく汲めども尽きぬものを受け取っている。身体があって生きてるって、なんて面白いんだろう。

 夜、ヒコを早く寝かせたいと思って、9時過ぎにお布団部屋を暗くして、ヒコを横にするまでは成功したが、「おしっこ」と言うので行かせたのが運の尽き。ダンナが「TAXI」を見始めていた。画面からあふれる「車とスリルとアクション」にヒコが魅入られないわけがない。何度呼んでも「いま来よるよ〜」と、町の蕎麦屋のような返事ばかり。そのうち私が眠ったと思ったのか、ダンナがこっそりふすまを閉める音が。男二人のパラダイス。


2009年07月04日(土) 神話界の人

 福岡へ。甲野先生と桜井章一氏という濃すぎる組み合わせのトークライブ。九大の「感性ナントカ…」という新しい大学院だかなんだかの先生がコーディネーターだったが、気の毒なくらい「格負け」していて、たぶん彼の人生の中でも最悪の2時間だったろうと思う。そして会場にいる誰もが、その、偉そうな「感性ナントカ…」学科が、どれだけつまんないところか案じただろう。最初と最後に司会と称して登場した深町某(「ドォーモ」にずっと出てた、ひょろっとした人)に至っては、「これでもいっぱしの人ってことで世の中渡って行けるんだ…」と気が遠くなるくらいの薄っぺらさだった。
 それにしても、甲野先生は何度かお会いしたこともあるので、まだショックは小さかったが、桜井氏の存在感と来たらすさまじかった。別の次元に生きてるのに、奇跡的にこちらと同じ言葉を話すこともできる、という感じ。海でサメと戯れるというのも、さもありなん、であった。だからといって、目の前の人を叩きのめすとか斬り倒すとか、そういうのではない。これは甲野先生もだけど、高いレベルの「自然」を、その身体に行き渡らせることができる人ならば、たとえ「戦い」という形を取って向き合ったとしても、結果的にはむしろ「治療」になってしまうのだ。前々回の甲野先生の講習会で技を体験させてもらった瞬間、肩の深いところにあったコリが、薄緑色のらせん状の半物体になってクルクルっと出て行ったのがわかったのだけど(こんなこと書くとかなり怪しいものみたいだが)、桜井氏もよく人を「治す」とのこと。イエスさまとか、そういう人たちって、案外こういう人だったんじゃないだろうか…と思いながら見入る。「相手が欲しがっている牌を捨てる」というのも衝撃的。神話の世界にいるような気がした。
 


2009年07月03日(金) 遭難寸前

 またもやお昼はパスタ屋さんへ。帰り道、気になっていた小さな神社に寄ったあと、軽い気持ちで階段を上っていたら、自分ちのビルは見えているのにどう進めばいいのか完全に道を見失い、ふと気付くとビルはどんどん遠ざかり、こっちだと思ったら行き止まり、急な溝からはさっきまで降っていた雨があふれ、しまいにゃ蛇までこんにちは。自宅を前に遭難寸前。ほんの30分足らずで斜面都市長崎の恐怖をこってり味わう。


2009年07月02日(木) ファンシー諸行無常

 文房具屋さんをゆっくり見てみる。手づくり界も日々進んでいるようで、透明な粘土とか、木のようになる粘土とか(「モックン」という名前もイカす!)、お湯であっためて形を作ってまた冷やすとスーパーボールにもなる消しゴムとか、もう、クラクラしそうだった。粘土・消しゴムものは今後必要があれば手を出すことにしてカタログだけもらい、今日のところはガラスにも書けるモコモコペンみたいなやつと、版画用の消しゴムを仕入れる。3月の「旅暦展」で大活躍した装飾糊の「デコパッチ」は、もはや人気薄なのか、いい場所にはなかった。この世界も諸行無常である。


2009年07月01日(水) 理想。

 何年か前、外海の海で浮かんでいたら、ちょっと離れたところにある岩にトンビが止まった。しばらく見ていたら、大きな波があちらにもこちらにもザブンとやってきた。次の瞬間、顔を上げてトンビを見たら、いなかった。飛んで行く姿は見えていない。飛んで行った姿が見えないほどの距離ではないし、波にもまれた時間も長くない。だからたぶん、彼あるいは彼女の「最期の瞬間」に立ち会ったのだとわかった。ふわりと海の岩にたどりついて、静かに波にさらわれていく。きっと、苦しくもなんともない、自然の終わり。これ以上の死にかたはないだろう。人のことをうらやましいと思うことはほとんどないけれど、これだけはうらやましい。さすが師匠だ。私も120歳くらいまで生きて(夢は長生き)、元気なまま泳ぎながら、そのまま波にまぎれたい。


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