ぴんよろ日記
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2009年05月31日(日) …と書いてみたのは

 今日で5月も終わり。
 朝から洗濯機の風呂水ポンプが壊れてバケツで水をくんだり、網場のまるみ食堂にお好み焼きを食べにいったり、諫早の大きな公園でヒコを遊ばせたり、ナフコで新しい風呂水ポンプを買ったりする、日曜日らしい一日だった。あとは、お風呂に入って、冷蔵庫の中のこまごました残りものをおかずにビールを飲んで、また、明日からの1週間に備えて眠るのであろう。
 昼の公園には、たくさんの親子が来ていて、私も含め、ほとんどの人が自分の子どもだけを見ている。消防車の運転席は子どもたちに大人気だけど、それを遠くから見ている親の誰もが、自分の子どもが押しのけられたりすると、ムッとするが、それはお互いさまだ。それはしかし、まずは、それでいいと思う。それぞれの親が、それぞれの我が子をまずは一番だと思い、ちょっと余裕があれば、その気持ちを他の子にも広げていけばいいのだ…と書いてみたのは、遊ぶ子どもたちを眺めながら、ヒコ以外の子をかわいいと思う気持ちが、我ながら希薄だったので。時々いるのだ。憎たらしいのが…。
 
 諫早の雑貨屋さんに行くと、ナチュラルで可愛らしく、感じのいいものがたくさん売ってあった。リネンのなんとか、とか、手編みのカゴだとか、ホーローだとか、ひとつひとつていねいに作ってますだとか、そういうものが。たしかに手ざわりもいいし、気持ちもいいし、いい、いい、いいんだ、いいんだけど、う〜!もう、だからそれがいやなんだぁ!と言ってしまいたくなる。息苦しい。真綿で首を絞められていくようで。(この場合はオーガニックコットンであろうな。)
 どんなに「いいもの」でも、それが「決まり」になっちゃうと、途端につまらなくなる。「私らしさ」という制服。「心地よさ」という強制。「良すぎる気持ち悪さ」って、きっとあると思うんだけどなぁ。でも、なまじ「いい」もんだから、誰も文句は言えないのであった。



2009年05月30日(土) 吉野?

 ディズニーにまったく興味のない38年間を生きてきた者としては申し訳ないが、チケットをいただいたので、ヒコとディズニーのイベントへ。しかし、あの「超有名的鼠」が出てくると、たしかに目は引きつけられる。どうしてなんだろう?と考えたのだけど、ひとつには「生まれて間もない赤ちゃんでも反応する」という「赤と黒と白」の組み合わせだからか?と思ったりもした。そしてちょっと怖かったのは、ディズニーの代表的な歌の中の「世界は狭い」という歌詞。「だれもがこの世界を好きになるはず」というキラキラした前提に押しつぶされそうになり、思わず「ここにいて、すみません。」であった。
 保育園で見聞きしてくるのか、ディズニーのショーだというと、二つ返事で付いてきたヒコ。彼は「超有名的鼠」のことを「ミッキーさん」と呼ぶが、なんとなく、ミッキー吉野みたいに聞こえる。



2009年05月27日(水) 交信

 昨日、朝日屋に行ったら、「連絡していたわけではなかったが、話をしたかった人」が次々現れて驚いた。スピリチュアル屋台???しかもそのうちの一人は、これまで間接的にしか話をしておらず、でも一度は直接話した方がいいんだろうな…と思っていた人。先方もそうだったようで、その人と私の間にある人々や物事について、大量の考えや情報を、短い時間で交信しあう。そしてお互いのスタンスを確認して安心する。
 朝日屋。昨夜のナンバーワンは、アゲマキ。他のテーブルで話し込んでいる時に登場したので食べてあまりにもおいしかったので、元いたテーブルのそもそもの同行者に「アゲマキ!食べんね!」と叫んだら、「みどりさん、なんか目の輝いとったね…」という声が聞こえた。


 新聞の折り込みによくある「幸運念珠」や「風水財布」のチラシをつい読んでしまう。小さいころから読み続けているので、もう飽きたといえば飽きたのだが、つい見てしまう。そして今朝、かなり素敵な「体験談」があった。「ナンバーズで荒稼ぎ」したという、55歳会社員。

 「私は自他ともに認める真面目で手堅い性格の持ち主なのですが、ただ一つ困ったことにギャンブル好きで、競輪や競馬に手を出し、借金を作ってしまいました。」

 「自」はともかく「他」は認めないと思いますが…。そして「手堅い」って言葉を使ってる時点で、ギャンブラー臭が。

 この手のチラシって、このご時世にあって紙質もいいけど、それだけ「元が取れる」んだろうなぁ。



2009年05月26日(火) いい車

 長かった代車生活も終わり、またベンツさんとの日々。日曜日には、雲仙であったクラシックカーのイベントに行ったのだが、そこには私と同じ歳の車たちが、立派な「クラシックカー」として並んでいた。ベンツさんは、その半分以下の歳ではあるが、車としてはそう若くはない。これに乗っている人はすでに、ちょっと趣味が入ったような人たちだ。数日前にも、まったくおなじ型のものとすれ違ったが、ナンバーを「124」にしていた(124という型なので)。これはミニクーパーのナンバーが「3298」だったり、ポルシェ911のそれが「911」だったりするようなものだ。もう、そういう人が乗っているような車になってしまっているのだ。時々はカタギじゃないような人もいるけど、ワゴンではない。
 カップホルダーも付いちゃいないし、左ハンドルだからスーパーの駐車場ではいちいち降りて券を取りにいかなくちゃいけないし、いろいろ不便なところもあるけれど、乗っていれば情がわく。たしかにいい車だと思う。年相応のガタピシも少々の不便さも帳消しにしてしまえるだけの空気は持っている。私は「情」レベルだが、ダンナにとっては夢にまで見たあこがれの車だったわけで、「愛」である。乗ってるだけで、洗ってるだけで、嬉しいらしい。
 「車なんて動けばいいじゃないか、名のある車に乗りたがるのはくだらない俗物根性だ」というようなことを、ある人が書いていたのを思い出す。でもその人は、いい本や音楽は大切に、ともよく言っていた。それって、その人が車に興味がないだけで、だからといって、いい車を大切にすることがくだらないなんてことはないはずなのに、なんか変な話だな、と、車好きのダンナがいる私は、寂しい気持ちになったものだ。そして、ダンナのおかげで、ある種の「いい車(もちろん値段ではない。15年前のベンツさんは、国産の軽よりも安い)」に乗っていると、やはり、いい車はいい。
 こないだ、街の駐車場にベンツさんを駐め、用事を済ませて帰ってきたら、彼がなんだか「ふくふく」しているように見えた。去年の秋に来たときよりも、ふっくらと潤っているような感じだ。それはたぶん、見間違いではない。この半年の間に、彼には相当の「愛」と「情」がそそがれているので、それが彼をふんわりと包んでいるのだと思う。中古車屋さんに行くと、それぞれの車に「前の所有者の車に対する気持ち」がなんとなく漂っている気がしていたけれど、これで確信した。車にも気持ちは伝わっているのだ。
 好きな車が好き。その「好き」が、車の顔をおだやかにする。そしてまた、その車がいとおしくなる。うちの車は、いい車だ。ボンネットには「俗物根性」を背負わされがちなマークが輝いているけれど、そんなんじゃなくて、いい車なのだ。彼はいま走行8万キロくらいだけど、故郷のドイツでは、タクシーとして100万キロ走ったりするのも普通らしい。いいじゃないか、100万キロ。頼むよ!




2009年05月23日(土) アンチエイジング層と、前世は僧。

 昨晩は、豆ちゃんで行われた谷本光というギタリストのライブへ。高校のときは、高校に行ってる時間が睡眠時間で、あとはずっとギターを練習していたらしい。演奏は…良くも悪くもハウステンボスみたいだった。だから、ハウステンボスの曲なんか作って、あそこで演奏するといいかもしれない。そうすれば、客の3分の1くらいを占めていた、「ポジティブシンキングで人生を謳歌!オシャレもカルチャーも楽しまなきゃね!心も身体もアンチエイジング!」的な、ちょっと小金を持ってそうなおばさんたちがたくさん来ると思う。いちばんうしろの席でひっそりと座っていた私は、たしかにスゴいっちゃスゴい演奏よりも、「こういう層」が長崎にいることが面白くなってしまい、さらにはそれとはまた別の濃い客層もおり、そっちに見入ってしまった。哀しきかな観察者人生。そして休憩時間に、あまりの空気の濃さに酸欠状態になって外に出たら、おなじく外に出ていた人の会話から、あのオバさまがたがどういうつながりの人々なのかを知り、ズドーンと納得。ふふ。見た瞬間、なんかしらんけど「アメリカ人みたい」って思ったのは正解だったな…。
 アンチエイジング、必要数値を超えていそうなポジティブシンキング…見事に興味なし。オシャレ方面も含めて、この「興味のなさ加減」は、どういうことなんだろう?と、時々チラッと思っていたが、こないだの小国での「スピリチュアル」な鑑定によれば、前世(実はこれにもまったく興味はなかったが)は修行僧だったらしいと聞いて、そりゃそうか、と思った。これまでの人生、なにか困ったことが続いても「修行だなぁ」と思ってきたし、自分がそれまで考えもしなかった仕事を引き受ける時も「これも修行だから」というのが、正直で自然な気持ちだった。「前世は修行僧」でいちばん腑に落ちたのは、あれこれつらいことが続いた時、決まって思いつくのが「出家したら楽だろうな〜」ということで、これが、なんというか、現実から逃げるっていうよりも、「慣れてるから、ある意味、楽だし」みたいな感覚だったのだ。
 だからどうしたい、ということではないのだけど、とにかくは、自分の道を進もう、ということだ。


2009年05月22日(金) 異様に!

 なにがなにやら、全身がコリの固まり。あまりに視界が暗く、右目は見えにくく、呼吸もしづらくなっていたので、オヤユビキングへ駆け込む。もまれている、というよりは、解体されているという感じだった。腑分け、とでも言うべきか。内臓も軽くなり、ぐっお腹が減ったので、みほさんとこでお昼を食べる。本日はポークピカタとすいとん。すいとんは、ゆずごしょうとあいまって、しみわたるうまさ。ポークピカタと言えば、こないだポークピカタだった時に、お客さんの一人が「この、異様においしいものは何ですか?」とみほさんに尋ねていておかしかった。よほどおいしかったのだろうな…。そこまでおいしいと思えるものと出会えるというのは、幸せなことだ。
 


2009年05月21日(木) 軽い嵐

 軽い嵐。
 雨、
 風。
 本を読みながら眠るのに最適な午後である。


2009年05月20日(水) 傍目には。

 このところ、自分の心身にドライブモードがかかっていて、自分のことなのだけど…傍目で見ながら、オオオオオー、ッという感じで、過ぎる今日このごろ。今日も読みたかった本が一冊届いて、またたぶん、ビューンと旅立ってしまうのだろう。でも、さらにその傍目には、単にボーーーーッとしている人なんだろうなぁ。


2009年05月16日(土) 会えた。

 朝、おくやみ欄を見ていたら、見覚えのある名前があった。小学校4年生のときの担任の先生。すごく可愛がってもらった。どこか先生っぽくなくて、近所の気のいいおじさんみたいな人だった。すごくおじさんだと思っていたが、享年75。当時は45歳。もはや今の私とたいして変わらない。長崎新聞なら、以前の職業などが載っていたりするので、会社に行ったダンナに見てもらったが、なにも書いていなかったらしい。でも、どうしても気になって、斎場に電話したら、「そこまではお聞きしないのです…」とのことだったけど、ご家族に尋ねてくれた。「やはり、小学校の先生をされていたそうです」あぁ!その瞬間、じわっと涙がこみ上げた。そのころいつも一緒にいて、先生のことも大好きだった福岡の友だちにメールしたら、即座に電話がかかって来て、しばし話す。そして、お葬式の時間には予定が入っていたけれど、しかしとにかくいてもたってもいられなくて、斎場へ。やっぱり、やっぱり、先生の写真が飾ってあった。30年前とあんまり変わってない。ニコニコ顔。奥さんにご挨拶したら、「顔を見てやってください!」と言われてどぎまぎしたけど、ほんと、みんなに見せたくなるような、優しく眠った顔だった。「まだ柔らかいんですよ」と、おでこをさわる奥さんの指は、たしかに先生のおでこに小さくプニプニと入り込んでいて、これで起きてくれたら会えるのにな、と思ったけど、先生はわかってると思う。「しもちゃん、来てくれたとね〜」って。亡くなったから会えたんだけど、生きて会うのとあんまり違う気はしなかった。「亡くなった!」という気持ちよりも、「とっても久しぶりに会えた!」という気持ちの方が、ずいぶん強かった。「ご病気されてたんですか?」と尋ねたら、ちょうど1年前くらいに転んで頭を打ってしまって、それが脳挫傷になってしまったとのことだった。思わず、死んでる先生に向かって、奥さんもいるというのに、「転んだけんって!もう!」と、叱ってしまった。先生の顔のまわりには、奥さんやお孫さんからの手紙が何通も置いてあって、死体なのに幸せそうだった。私も、生きているうちに渡せれば良かったのだろうけど、本をお渡しして、もういちど写真を見て、お別れした。先生が体育の時に叩いていた、でんでん太鼓の音が、今日はずーっと頭の中から離れない。佐藤先生、さようなら。でも、会えてよかったです!



2009年05月13日(水) 予告編

 数日前から、裸足生活。いちど裸足&サンダルになってしまうと、少々寒くても、靴を履くのがどうもおっくうになってしまう野蛮人だ。家の中では、保育園おすすめの健康草履…。

 昨日の夜の湿気の立ちこめかたや、それによる山の隠れかた、空気の感じなどが、「何かに似てるなー」と思ってよく考えてみたら、それは「梅雨」だった。ついこないだまで寒かったから、梅雨だなんてだいぶ先のことかと思っていたけれど、もはや5月も半ば。梅雨の予告編が上映されても不思議はないのだな。

 


2009年05月12日(火) ここはひとつ

 ぎゅうぎゅう詰めな一日かと思っていたら、ひとつ、午後の予定がポコンと落ちて、早いバスに乗れた。こういうのって、ただのヒマな日よりもずいぶんと嬉しい。本が読める。

 今日の「まったくその通り」。(ヤナちゃんのブログより)

 こだわりのそば屋としてよく知られる店に行ったんだけど、「こだわり」ってのが、なんだかもうどうでもよくてね。そんなことだまって仕事すりゃいいんだから。

 ほんともう、「こだわり」を自慢したりもてはやしたりするのは、そろそろ止めにしたいところだ。


 「政治の偉いポストになっては、お金の問題で突っ込まれて辞めて…」というのが、飽きもせず続くので、「ここはひとつ、これから2年間は、お互い、そういう問題は言いっこなし。それよりも解決すべき問題をしっかりやりましょう」っていうようなことにして、やってみたらどうだろう。それとも、そういう問題を突っつきあうことこそが政治なのだろうか。自民党と民主党って、でも、私なんかには「でっかい自民党」にしか見えない。小沢さんが「野党」って言われても、結局最後までピンと来なかった。あれが自民党の顔じゃなくて、どれが自民党なんだ?


2009年05月11日(月) 道の友。

 こないだ雪の浦ウイークで買ったネックレスが好きで、あれからほぼ毎日つけている。コロンとしたガラスの玉と、細かいシルバーと、これまた細かいビーズでできている。ガラスの玉とビーズは、それぞれ「ナガランド蜜柑玉 1900年初期」「マリ発掘ビーズ 1400年頃」だと、付いてきたタグには書いてある。蜜柑玉が、ちょうど首の下のくぼみのところにあり、ビーズは首のうしろの付け根の出っ張りのところから垂れている。「蜜柑玉」は、たしかに、皮をむいたみかんのような形をしている。ナガランドとは、インドの東の方の地方らしい。マリはアフリカのマリなのだろうけど、それにしても「1400年頃」だなんて、600年以上も前である。でも、(いろんな意味で)重いことなんてひとつもなく、とてもなじんでくれている。いま頭の中にあることが…600年前…ちょうどそれくらいか、それよりも、もっともっと前かもしれない、というあたりのことなので、そのビーズがとても心強い友であり、道しるべのようにも感じられる。たぶん、いま、この道を歩いているのは、私だけだと思う。細い道。どこへ行くかもわからない道。だけどこの道こそが、私にとっては、ひとまず、私が行ってみたい場所へつながっているのだという妙な確信だけはあるので、ポツポツと歩いているところなのだ。



2009年05月10日(日) 読ませてくれ〜

 自然な流れの中で、本を読んだり、勉強をする時間がまったく取れないこのごろ。本屋に入るのが悲しいので、ダンナが行くときも外で待っている。もちろん寝る時間を削ったり、大きな声で宣言して部屋にこもったりすればできるのだが、その無理は、結局自分に帰ってくることがわかっているので、できない。ヒコが私よりも少しだけ早く眠ってくれれば、ここまでつらくないのだが、「本を読みながら眠る」という、物心ついて以来の「幸せタイム」がほぼなきに等しい日々の積み重ねが、どうも、心を蝕みはじめているといっても過言ではない気がして来たが、どうしようもないので、こうして生きていくしかない。とかなんとか、とにかくどうでもいいから、ゆっくり本が読みたい…!
 



2009年05月06日(水) もらすくらい

 ヒコと福岡のかしいかえんへ。半日遊びたおす。ダンナとヒコにフリーパスを買って、私は行列要員。並んでいるあいだ、思いがけず、本を読めた。毎日毎日、99%読む機会はないとわかっていても、本だけはどうしても持ち歩く。そう、こんな時に悔しい思いをしないで済むように…。
 ヒコは、人生初の遊園地。ジェットコースターとか、きっと好きだろうな、と思ったら案の定で、カップがぐるぐる回るやつなんて、5回も6回も乗っていた。そのカップは、優雅に回るだけじゃなくて、乗っている人がハンドルで回転を加速できるタイプのもので、ダンナがひとたび回してやったらツボにはまったらしく、ハタから見ていても異常なスピンがかかっていた。あとで聞いたら、「うんこもらすくらいまわして!」と頼まれてのことらしい。
 帰りに「一蘭」に寄ったが、唐辛子ダレもニンニクも入れないスープ(ヒコの)を味見したら、こんなに間抜け&マズかったっけ?と思った。一蘭の味は、あの辛いタレの味なんだな…。客すらライン上のパーツのひとつにしか過ぎないラーメン工場。あの仕切りのカウンターに座っていると、ブロイラーの気持ちがよくわかる。でも時々行ってしまう不思議な店。



2009年05月05日(火) よく晴れた日、ただ、外へ。

 この上ないビューティフルディ。雪の浦ウイークへ。お店を回るよりも、海にいた時間の方が長かったけれど、ものすごく楽しくて幸せだった。1回目に行った時には人が多すぎて出て来た店に、なぜかまた迷い込んでしまって、そしたら、600年くらい前のビーズを使ったネックレスあって、どうしても買ってしまったりして、実り多い一日だった。工事中で入れなかった、我が家御用達の外海の大野浜も無事オープンしていて、しばらく石を投げたりして遊んだ。ほんとにもう、しばらくは心がけて外へ出よう。3月の大沖縄展で買ったサンダルも、予想以上に歩きやすくて、「痛くない裸足」って感じだったし、とにかく、外の空気を吸うのだ!
 夜はエビのにんにくバター焼きや、直売所で買ったイワシの丸干しや、サラダをもりもり。ヒコはしかし、ひたすら牛丼を食べていた。肉、飯、甘辛味…ヒコが大好きな要素がすべて入った牛丼。脇目も振らず、腹はパッツンパッツンに。



2009年05月04日(月) 雨。そしてそれが生きるという…

 久しぶりの雨。
 ホッとするが、この雨の日を、ヒコとどう過ごせばいいのか、途方に暮れる朝。

 昼前に、岡野さんと会って、漫画を受け取る。そして思いがけず話し込む。キヨシローさんのことから、その他もろもろ。

 母に助けられつつ、なんとか夕方までたどり着いたら、ダンナとヒコが帰省中の友人宅へお邪魔することになって、ひょうたんから駒のように、一人の時間が降って来た。熱いシャワーとビールと新大工の焼き鳥、ツワの煮物、みどりとうふ、自家製ぬか漬け、ヤナちゃんのライブ盤で、至福のひととき。
 どんなにすごい地鶏と炭と料理人がかかってきても、もし、死ぬ前に、新大工の焼き鳥とどっちか選べと言われたら、迷うことなく新大工の焼き鳥だと思う。ものすごく大げさだけど、それが生きるということだと思う。

 今日は妹の誕生日。おめでとう。32年前は「5月4日」は休みではなくて(今ではなぜか『「みどり」の日』になってしまって、我が家としては変な感じだが)、でも、当時は父が一生懸命やっていた「中島川まつり」の真っ最中で、小学一年生だった私はたぶん、昼ごはんに出店のカレーかなんか食べていた。そしたら産まれたって知らせが来て、川を渡ったとこの病院に見に行ったら、小さくて赤黒い人がウゴウゴとケースの中で動いていた。「赤ちゃん」とか、「妹」とか、よくわからなかったけど、その時のことは、こうして今でも鮮明に覚えている。その妹は、いまや沖縄に住んでしまっているが、あと何日かしたら、赤ん坊を連れて帰ってくる。半月くらい長崎にいるそうだ。楽しみ。



2009年05月03日(日) みっちり。

 朝から晩まで、ヒコとみっちり過ごす。過ごしすぎて、寝ようと思っても腰が痛くて寝られないので、ストレッチなどする。町は人が多くて驚いた。高速1000円だから?軽い気持ちでちゃんぽんを食べようと思っていたら、どこへ行っても行列で、行列なんて見たことない店まで行列で、思案橋ラーメンなんて、2列でドドーッと並んでるし、結局、リンガーで食べた。思案橋ラーメンなんて、(いい意味で)並んで食べるような店ではないのに…。
 いま世間では、地元の人が「ふだん使い」している店が、ガイドブックやネットのターゲットになっていて、なんかいびつだ。たとえば時間がないお昼に、「あそこのちゃんぽんでもかきこんどくか!」と行った先に、ガイドブックを丸めてニヤニヤしている人がずらり、という悲しさ。その時の「あそこのちゃんぽんでも」の「でも」は、決して否定的なものではなく、その時点での持ち時間や前後の行動のルートや店の空き具合の予測が複雑に組み合わさった「これまでの生活の中で培われた最高のチョイス」という意味である。商売繁盛はもちろんいいことだろうけど、昼のちゃんぽん屋で食べきれないほど頼んでダラダラするのは、金払ってるからいいだろ、という問題ではまったくないのである。
 図書館に行ったら行ったで、消防車の本ばかり。しかもおなじ本を4冊もって来て、延々と読まされる。「はい、つぎはこれね」って、おなじなんですが!
 夜はおうち焼き肉。数日前に薄味で炊いていた鯛の真子をバター焼きしたら、予想をはるかに超えるうまさであった。



2009年05月02日(土) 渇いている。

 陶器市へ。29日早朝からギラギラして行く「戦闘モード」ではなく、ダンナもヒコも一緒のレジャー気分で。今年でたぶん17〜8回連続だと思う陶器市。すっかり枯淡の境地だが、でも、いざ好きな店を見るとギラギラッとしてしまう。今年はお皿を数枚とカップ2つ。小さな蓋物、など。日常の生活においては、もはや急を要するものはないので、本当に好きなものだけを、ポツポツと。
 夜は母と町家へ。お刺身やチーズ春巻きやタマネギ入りの納豆など。そしてついにビールを飲んだ。おいしかった。ビールや食べ物がおいしいって、なんてすばらしいことなのだろうか!

 チャイナオンザパークで、土の道をさくさくと歩いていたら、踏みしめている葉っぱや土からブワ〜っと精気のようなものが立ちのぼって来て足にまとわりついているような気がした。たしか「もののけ姫」にそういうカットがあったけれど、まさにあんな感じ。足が、すごい量の情報を受け取っているような。それまで、陶器市の会場でアスファルトの道を歩き続けたのもあるのだろうけど、ちょっとした衝撃だった。少し前から、「田舎暮らしをしたい」とまでは思わないけれど、これまでよりももう少し「自分には自然が必要だ」と感じるようになった。樹々の葉っぱや、風や、海や川、そういうものに接することに関して、喉が渇いているな、と。


2009年05月01日(金) 萩と小鳥。

 時々通る道沿いのお宅に、萩が植わっている。季節になれば噴水のように葉っぱと花が茂るのだが、ある日バッサリと、ほぼ根元から切られている。それを初めて見た時は、そこの人がもう、萩のことを捨ててしまうのだと思った。しかし翌年になると、また緑の噴水が湧いた。初めて気付いたのが3年ほど前だったか、今日通りがかって「また湧いてきたなぁ」と思ったら、そのお宅の奥さんが他の植木の手入れをしていたので、思いきって聞いてみた。
 「私も、おなじ萩を植えているんですが、なんとなく切ることができないままに、ひょろひょろしてるんです」と。奥さんは、そりゃーもう、いさぎよくバッサリ切るのが大切だとアドバイスしてくれた。「くんちごろ見に来なさいよ〜。そのころがいちばん咲いとるけん」らしい。ずっとベランダで育てていた萩は、ヒコが歩くようになって実家の裏庭に移植した。今年の秋には、バッサリ切ってみよう。

 午前中からの仕事を済ませ、平井でチキンサンドを食べ、今週初のコーヒー(ようやく胃の痛いのが治った)を飲んで帰ったら、マンションのドアの前に、小鳥がいた。ちょっと弱っているようで、近づくと逃げるのだが、高く飛んで行ってはしまえない。何枚か写真を撮らせてもらって、しかしこのままコンクリートの上にいても埒はあかないだろうから、彼の運を信じて建物の外へ飛び立たせた。あまり長くはないだろうけれど、せめて葉っぱや土の上にたどりつけば、と祈る。

 さて、今日は今週初のビールでも飲もうかな。


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