ぴんよろ日記
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2009年04月30日(木) なり得ぬと

 子どもたちの嘔吐下痢がうつったのか、風邪なのか、焼き肉の食べ過ぎなのか、その前からの暴飲暴食が祟っているのか、とにかく体が腫れっぱなしのような感じで過ごす今週。お酒も一滴も飲んでいない。まぁしかし、季節の変わり目にはこういうこともあるだろう。
 日曜日のフリーマーケットでは、かなり寒かったにもかかわらず、石けんや料理の本がけっこう売れた。そしてお楽しみだった「スピリチュアル」なお姉さんからは、「今やっていることをコツコツ進めましょう」という「後ろの人」のアドバイスが。がんばります。
 考えていることや意識が変わると、目の前の風景がガラガラと変わっていく。いつものバスに乗っていても、あまりの光景に驚いたりするので忙しい。

 その一方では、吉村昭ブーム。

 これまで私が書いてきた歴史小説は、歴史の移行に強くかかわった事柄を対象としてきたが、…(中略)…編集者の中には、私に吉良邸に討入った赤穂浪士のことを書くようすすめる人もいた。繰返しすすめるので赤穂まで行ったこともあるが、所詮は私的な争いにすぎず、歴史そのものになんの関与もしていないのを感じ、小説の素材とはなり得ぬと結論づけた。(「歴史小説としての敵討」)

 こういうところにしびれる。

 ずいぶん前に読んだ「戦艦武蔵」の冒頭の、戦艦を作るときの目隠しにする棕櫚だったかが町から無くなるというところを、港の造船所を見るたびに思い出す。あそこにゾロリと巨大なむしろのようなものが垂れていたのかしら、と。進水した時に、対岸まで波が押し寄せたというような光景も。



2009年04月25日(土) 重ささえも

 何日か前の寝苦しかった夜、どうしても目が覚めてパソコンをつけてしまった時、ブックマークを半分以下に減らした。いつも見ていたページからリンクを飛んで行った先が、なんとも気持ちの悪い世界だったので、その勢いで、元のページやらなにやら、ザクザクと消した。もちろんそうやって、自分のページもある人の世界から削除されていることもあるのだろうから、ネットというのは、そういう意味では、重ささえも軽い。しかもブックマークから消したページが、検索すれば一瞬で現れるのだから、やっかいだ。見たくないものまで見えるし、でも、見るべきものが、その見たくないものを見ている時間で見えなくなっていたりする。

 ただ単に便利は便利だ。「猫 頻尿」と打ち込めば、はるちゃんを一度病院に連れて行った方がいいのかも、とわかったので。



2009年04月24日(金) 笑えるわけがない。

 朝起きたら声が出なかった。でも夕方は、ケーブルの中継のディレクター仕事。声のでないディレクターは、そのへんの棒切れと一緒なので、いそいそ病院へいき、いろいろ薬を出される。
 中継って、小さなお祭りのようで楽しい。突発的なことを一瞬で判断して乗り切る感じも。もちろん突発的なことが起こらないように準備はするのだけど、だいたいそれは起こる。

 「草彅くんを笑える酒飲みなんて一人もいないよね」と、全国の飲み屋で交わされているであろう会話をここでも交わしつつ、おにぎり屋さんで飲む。ワーワー責めてる人や、質問してる人の中で、本当にその資格がある人が何人いるんだろう? それが彼らの仕事なんだろうけど、見てる方には「じゃぁあんたがどんだけ偉いのよ!」としか映らない。
 芸能人のどうしたこうしたなんて、いつもはどうでもいいのだが、これは身につまされた。お気の毒。合掌。



2009年04月23日(木) よろしくないのが

 スギもヒノキも終わったはずなのに、なぜか鼻炎症状が出まくりのここ数日。昨日くらいからは、それがノドにも下ってきた感じで、今朝は起きたら声が出なくなっていた。具合も悪い。でも、寝ててもしょうがない気がして、ミーティングへ出かける。お昼を食べに町家へ行ったら、町家関係の人々にもそういう症状が出ているとの由。そしてどうも「大陸の方からよろしくない物質が飛んできている」らしい。

 港には、帆船。しばらくは、大好きな風景。



2009年04月22日(水) 寝苦しい夜。

 昨日、コーヒーやビールを飲み過ぎたのかなんなのか、夜中、具合が悪くなった。じーっと体の中を観察していたら、自分がコンクリートの固まりになったように重くなって、いろいろと妙な映像も見えだして、かなり気持ちが悪くなった。しばらくしたら、それらはなんとか抜けて行ったが、どっかで変なものでも拾ってしまったのだろうか。そのあと、ヒーリングのようなものを受ける夢を見た。目が覚めたら、ほぼ良くなっていた。なんなのだ。ごはんのとき、生月の海(タイムリーすぎるが…)で見た、無数のオーブ状の発光体について語ってしまったからだろうか。呼んじゃったのだろうか。しかしあれは怖かった。今でもありありと、その時の映像を思い出すことができる。



2009年04月21日(火) そのたたずまいを

 幸か不幸か仕事が忙しくないので、学生さんのように本を読んだりノートを取ったりコピーを切ったり貼ったりしている。とても楽しい。家でコツコツと、時々は録画していたNHKスペシャルなどを見ながら。父が好きなのもあり、子どものころからドキュメンタリーやルポをよく見ていた。NHKのあの手の番組の質感というか空気感って、それで育ってしまったので、深刻なテーマのものでもホッとしてしまう。妙な体質になってしまったものだ。
 今日見たものには、このたびの不況を引き起こしたとされるアメリカの銀行の人々が出てきた。テレビのいいところは、やっぱり「実物を見られる」ってことだ。今回も「これまで一切テレビには出て来ませんでしたが、今回初めてNHKの取材に応じました」というような人が登場した。たとえ、たいしたことは喋ってくれなくても、その目つき顔つき、たたずまいを見たいのだ。すんごい大金持ちの人が、(一見)なんでもない部屋に住んでいたりとか、そういうところ。

 午後は「ペコロスの唄地図」撮影。思ってもみなかった話が出てきて、これまたこういうのが一番おもしろい。歌も急遽変更したが、話にピッタリだった。毎度のことながら、決めすぎずに始めても、必ずいいほうに転がって行くコーナーである。


2009年04月19日(日) 超エネルギー体。

 ヒコとお弁当もって実家へ。近くの公園で遊び、飯森の大きな公園でも足もとがふらつくまで遊び、お風呂でも遊び、吉宗の茶碗蒸し(の、蒸し寿司のみ)もお腹いっぱい食べて、帰りの車の中で眠るに違いないと思っていたが、遠回りしても一向に眠る気配はなく、家に着いてもハイテンション、11時近くになったかならないか、ついには私が気を失っていた。恐るべし。


2009年04月18日(土) ふたつの水。

 修理に出すとき、パソコンのデスクトップをまっさらにした。いま、急な仕事もないので、そのままにしているが、まっさらなデスクトップというのは、ちょっと不気味な感じもする。ベースの画面が「水の揺らぎ」みたいなやつなのでなおさら。神社の玉砂利というか、寺の枯山水というか、そういう、生活の場には向かない「静けさ」だ。シンプルでなにもない部屋って、住みにくそう…。トミカのあふれかえった我が家には、ハナから望むべくもないが。
 中通りから出島に移転した手ぬぐい屋さん「カリオカ」に寄って、しばし話す。ジャンルは違うけれど、自分を頼りになにかを作って暮らしている者同士の目配せしあい、という感じ。おなじ病院で出産していたことが判明したりもした。百年に一度の不況だというが、こつこつとおいしいコーヒーを入れたり、料理を作ったり、タルトを焼いたり、手ぬぐいを縫ったりしている人々は、それぞれにちゃんと生き生きと繁盛している。いろんな巡り合わせや、どうしようもない噛み合わなさでつらい思いをしている人も多いだろうけど、「他人や社会が悪いから自分の仕事がない」という思い違いをしている人もまた、かなりの数だろう。そういう人は、百年に一度の好景気の時も「オレの取り分はもっと多いはずなのに」と、恨みがましい顔をしているに違いない。

 「雨もしょっちゅう降り、蛇口をひねればジャージャー水が出てくるところに住む人」がいるとしよう。その人が「いかに水の恩恵に包まれているか」ということを「砂漠にポツリとある井戸の水を、押し頂くようにして使っている人」の感覚で語られても、それは、突き詰めれば真実かもしれないけれど、現実的には無理があるだろう。使ってるその人は「え、だって、ひねれば出てくるじゃん」という感覚かもしれないのに、「あの、どんな苦労をしてでも手に入れたい、かけがえのないすばらしい水をザブザブ使う、それこそが真のあるべき姿だ」と言われても(「水のかけがえのなさ」はちょっと脇に置かせてもらって)、それはちょっと思い込み過ぎなのではなかろうか。
 お金持ちがサラリといい感じでお金を使うことについて、ある貧乏人が「あんなふうに使うことこそいいのだ」と言ったところで、サラリと使う当の本人は、それがサラリなのかなんなのか意識もしないうちにサラリと使えてしまっているのだから、その貧乏人がそれを望むのはかまわないけれど、人にまで「サラリと使えなければ嘘だ」と言い立てるのは、なんだかなぁ、御説ごもっともですけど…。


2009年04月17日(金) それよりももっとだいじなことは

 パソコンが帰ってきた。頭も真っ白にはなっていなくて、そのままだった。ディスクドライブが交換されている。うれしいので、CDをじゃんじゃん読み込ませる。
 髪がなんだかうっとうしかったので、切ってパーマをかけた。これでしばらく持つだろう。「持つ」などという発想が、あいかわらずオシャレ指数ゼロ。発想としてはオバちゃんの大仏パーマとおなじである。パーマの機械がぐるぐる回っているあいだ、昨日の本の続きを読む。またもや海での遭難の話が出てきたあと、こんな文章が。

 人々はひろい海のかなたへ、きけんもかえりみずに出かけていくのはなぜでしょう。海の漁がほんとうに男らしい仕事だからでしょうが、それよりももっとだいじなことは、じぶんのふるさとをよくしたいという気持ちがつよいからです。(宮本常一「海をひらいたひとびと」)

 ぐるぐる頭のまま、ちょっと泣きそうになった。



2009年04月16日(木) 海の子

 ダンナの父は、イカ釣りの漁師だった。一隻持っていた船で景気よかったもんだから二隻に増やしたところで…という、どの世界にもよくある話で船を降りざるを得なくなったのだが、それから二十数年経って亡くなるまで、その風貌は「どう見たって漁師」であり、テレビで「マグロ釣り漁に密着!」的番組があれば、主人公もしくは「仲間の漁師」に、必ずそっくりの人がいる。
 「イカ釣り船の息子」だったころのダンナの話を聞くのが好きだ。「長い漁に出る時は、港の防波堤の一番はしっこまで、走っていって見送った。船は、鳥羽一郎を大音量で鳴らしていた」とか「港に帰ってきている船にこっそり乗って船員さんたちの部屋に行くと、たくさんエロ本があって、ドキドキした」とか。
 生月の船が沈んでしまって、私はそれを「悲しいニュース」として見ていたけれど、ダンナにはもっと近しいものだったようだ。昨日、洗濯物を広げながら、突然、ひとりごとのように話しだした。「もう、寝とったとなら、……。狭かとさ。カプセルホテルのごたる部屋っていうか、上に食堂とかのあるとけど、そこに行くとは、穴っていうか、こうやって(煙突の中みたいに)登って行くような感じさね。だけん、そっから水の入って来る時に、そいに逆らって出るっていうとは、まず無理やし、暗かけん、傾いてしもうたら上も下もわからんし…、寝台車のごたる、シャーッて閉めるカーテンの一人一人にあるくらいのもんさ、そいでそのベッドの下にエロ本の挟まっとっとさ、……だけん、狭かし、出られんと…」
 沈んだ船は135トン。ダンナの家の船は、100トンで申告してたけど、実際はもうちょっとあったらしい(様々な大人の事情があるようだ。「ズル?」って聞いたら「原付の免許で125に乗るようなもんさ」とのこと)。つまり、ちょうどおなじくらいの船。漁の種類が違うから、まったくおなじ造りではないだろうけど、「漁」に関する部分はそれぞれに工夫されていても、「居住区域」については、似たり寄ったりだろう。だから、ダンナの中では、かつて自分が「家の船」としてこっそりエロ本を探していた船が沈んでしまったような感覚だったのだろう。
 金子知事が視察に行っていたけれど、さすがに「職務上」という雰囲気ではなかった。船に乗っていた人の大半を知っていると、新聞にはあった。生月出身の、金子水産の金子さん…島ではきっと「金子さまのおぼっちゃま」なんだろうけど、そこでは、海に生きる者たちのみが知る、あきらめの入った受け入れるしかない悲しみを、目を合わせただけで共有していたのかもしれない。

 読みかけの本を開いたら、こんな時に、なぜかこの頁に行き当たった。江戸時代、五島、有川の鯨組。今回の現場とは、おなじ海だとひっくるめてもいいくらいのところでの話。

 そこへ、西の空からまっ黒な雲がまるで墨を流したように、サーッと空一面ひろがってきました。波がみるみる大きくなって突風がサッと海面へふきつけてきました。そしてあられまじりの雨がたたきつけるようにふってきました。
「しまった」
と気のついたときは、もうおそかったのです。クジラは網をつきやぶり、モリのつなをきってにげてゆきましたが、いまはおいかけることもできません。波が高くなってみるみるクジラを見うしないました。
「ひきかえせ」
と親方船はあいずしましたが、もう船はみんなばらばらになり、大きい白い波がザーッとよせてくるたびに、船はつぎつぎにくつがえります。いまはそれをすくうこともできません。
  (宮本常一「海をひらいた人びと」)

 結局それがきっかけでその鯨組は廃されるが、ほかの鯨組もまた外国の捕鯨船にはまったく打ち勝てず、ほどなく終わりを迎えた。しかしその後、西洋式のやりかたで日本の捕鯨は再興する。「クジラとり」の章は、この文で終わる。

 ところが、南氷洋へでかけていく人たちは、昔からクジラをとっていた五島の有川や、山口県の仙崎の人が一ばん多いということです。そしてまたそこの人たちが、一ばん上手でもあるのです。こうして海の子として勇敢にはたらいているのです。

 海の子。
 海の前では、どんな豪傑も、知恵者も、だれもが「子」にすぎない。息子を探す女性が繰り返した「海が広すぎて…」という言葉が、そのままなのだろうと思う。


2009年04月15日(水) もう2歳ではない

 アップルから「修理中」のメールが届く。がんばれ。
 今日はヒコの3歳検診。2歳の時は任意だったけど、今回は必ず行かなくてはならないようだ。2歳の時は「検診が終わったら2人きりで数時間過ごさなくてはならない」のが恐ろしくて、結局行けなかった。「自分の子どもとたった数時間過ごすのが、なんでそんなに恐ろしいのか」と言われたら「とにかく恐ろしかった」としか言いようがなく、どうしても身体が動かなかったのだ。しかし、今日はまぁ、なんとかなりそうな気がするので「もう、魔の2歳ではないんだな」と深く実感。港の遊覧船にでも乗りに行こうかな、なんて、楽しみでさえある。ううう…ようやくここまで…。


2009年04月14日(火) 麻痺してないんですけど…。

 夜中の雨で葉っぱたちがなにかを吹き込まれたらしく、一夜にして木々の緑がモリモリに。山も一回り大きくなったみたいだ。お昼から晴れるとの予報に望みをかけて、洗濯と掃除。
 
 人に死をもたらす、あるいは大きなダメージを与える、ということで「病」と「犯罪」は共通しているが、これを取り扱うに当たっては、いわゆる「難関大学」で得る膨大な知識や技術や、時に社会的地位なども伴わせつつ、それを専門とする人が任を負ってきた。こないだ同窓会で、お医者さんになった人と話していて「ある種の感覚が麻痺していないとできることではない」ということを聞いた。これは「患者を人と思わない」というような次元のことではなくて、「すごい傷口にいちいちゲロ吐いてたら務まらない」という、とても単純で生理的なことだ。でも、これは、毎日救急現場で次から次に大変な状態の患者を処置している彼にしても、長い時間と志をもって「麻痺」を獲得したのだ。これからも、この先も、医療現場に素人が連れてこられて、「さぁ、病巣切除を!」とか「足の切断面にガーゼを!」なんてことは、よほどの天変地異でもないかぎりないのだろうけど、裁判員になるってことは、つまり、「人の心の『異様な臭気を放つ病巣』」とか、「生活の『血まみれ切断面』」を、特別な「麻痺訓練」を経ていない「普通の人の感覚」のまま直視し、場合によっては執刀しなくてはならないということだ。新聞やニュースに現れる殺人犯のうつろな顔を見るだけでもイヤな気持ちになるのに、それを生で見せられ、犯罪の経過や状況写真を事細かに突きつけられたら、かなりのダメージを受けそうだ。裁判が終わったらきれいサッパリ忘れるなんて絶対にできず、暗い気持ちのまま暮らしていくことになるだろう。たしかに犯罪は社会的なものかもしれないし、「普通の人」にも関係のあるものだろうし、法曹関係者にはない「一般市民の感覚」が取り入れられてしかるべき、という考え方もあるだろう。でも、メディアというガラス越しではなく、「生(なま)の犯罪」に直接手を触れるってことは、音楽を音の悪いラジオで聞くか、ライブに行くかの違いくらいは軽くあるだろうし、ひょっとしたら、お産のシーンをテレビで見るか、実際に産むかというレベルで違うかもしれない。そりゃ痛い!それほどまでにヘビーなことを、無作為に選ばれたくらいでやるべきなのであろうか。私は、申し訳ないけれど、できることならば一生、事故でぐちゃぐちゃになった手足の手術には立ち会いたくない。もちろんそれを治療することは必要なことであるし、尊い仕事であるし、もし身近な人がそういう目に遭えば、輸血でも移植でも、できるだけのことはしようと思う。けれど、私は「人のケガや病気を治す」という任を志してこなかったし、これからもすることはないだろう。それは「犯罪」に関してもおなじだ。できれば人殺しの顔は見たくないし、殺人現場の写真は目に焼き付けたくない。「そんな生理的なレベルではなくて、もっと高尚な理想のもとに進められるのだ」と言われればそれまでだが、「生の犯罪」が「普通の人」に与えるダメージを、すでに「職業的麻痺」を手に入れた人たちが低く見積もっているのなら、それはとても危ないことなのではないだろうか。


2009年04月13日(月) 転がすな

 朝、パソコンが旅立っていった。ヒコを送っていっている間に、回収されていったようだ。いってらっしゃい。

 昨日の「情熱大陸」を見ながら毒づいていたら、ダンナから「いいねぇ〜、そのクールさ!」と褒められた。せっかく大好きな「料理人もの」だったのに、ストーリーができすぎててイヤらしかったのだ。「イタリアの貴族の家でも作る出張料理人が子どもたちの給食メニューを考えて、野菜嫌いの子どもたちが残さず食べてくれた」とか「別の小学校では料理教室を開いて目玉焼きを作らせて、その目玉焼きってのは、出張料理人が子どものころ家庭科の実習で作って褒められて料理人を志したきっかけだった」など。もちろんそれは事実なのかもしれないが(野菜は残してる子どもがチラッと映っていたが、もちろんチラッと)、それを作り手が「手の上で転がしてる」感じがいやなのである。あと、まったく違う次元で「料理人さんが汗かきなので、その額の汗が料理に落ちないか心配」というハラハラドキドキもあった。貴族の家でも給食室でも、とにかく落ちそうだったので。

 眠るはるちゃん。かわいい。もぎくん、今年で6歳。立派なおじさん。

 


2009年04月12日(日) 5ミクロンとスコップ法。

 佐世保で「韓氏意拳」の講座を受ける。「身体を使う何か新しいこと」をしたいと思いつつ、その「何か」がピンと来ないままだったが、甲野先生の講座をお世話されている方が新しく「韓氏意拳」の講座もされるというお誘いを受け、気づいたら申し込みメールを送っていた。この「気づいたら」という自分の行動様式を信頼しているので、素直に従う。講座では、激しい動きとか、具体的に敵をやっつけるとか、そういうことはまったくなくて、ハタから見てる分には、ただ手を上げ下げするとか、何かを持ってるみたいに立ってるとか、それだけなのだけど、その上げ方とか立ち方の中にいろいろあって、時々自分の中で「あっ!」「こ、これは…」と思えることがあって、えもいわれぬ面白さだった。甲野先生が「これは不思議なことでもなんでもないんですけど…」と言いながら見せてくれる「あまりにも不思議なこと」が、ほんの少しだけ「ひょっとして、この感覚の延長線上にあるようなことなのだろうか?」と、本当にほんの少しなんだけど、5ミクロンくらいわかったというか、実感として納得した。
 これに先立ち(?)、日常の中で身体の使い方を意識するために「スコップに乗せたもぎくんのトイレの固まった砂やウンコをこぼさずにトイレまで運ぶ」ことを修練していたのだが、今日の講座の中に「『水の入った紙コップを落とさないように両手に持って安定させる感じ』でやるとよい動き」というものがあって、この感覚が、実に「スコップ法」と近かったので、ますます精進しようと思う。昔の人が、武術の達人みたいな人に入門して、何年かは掃除だけやらされる、っていうような話も、なんとなくわかる。犬猫を飼ってる方、スコップ法をおためしください。

 講座のあとは、朝っぱらから送ってくれたダンナとヒコと合流して、佐世保なのでレモンステーキを食べて、動物園へ。長崎には大きな動物園がないので寂しい。ゾウやライオンって、見ているだけで、やっぱり無条件に心が動かされるし、整えられる気がする。でもトンビが檻の中にいるのは、せつなかった。ゾウやライオンも、もちろんそうなんだけど、トンビはその檻の上でも飛んでいるので、なおさら。


2009年04月11日(土) ついに修理

 ついにあさって、Macを修理に出すことが決定。思い起こせば去年の夏以来、自分のディスクの不具合かと思い続けて現在に至ってしまったが、どうやらディスクドライブがおかしかったようで、サポートセンターとのやり取りののち、修理との結論に達した。しくしく。そうだったのか…。あの苦労も、あの困惑も、つまりは徒労であったか…。
 サポートセンターは、大賑わいのようだった。お姉さんのうしろで、いろんな声が飛び交っていた。大変なことも多いのだろうなぁ。「私に当たってホッとした」くらいは思ってほしいので、感謝を込めつつ話す。サービスとしては当然かもしれないけど、そして言ってることの大半はマニュアルだろうけど、目の前の問題を助けてくれることに変わりはない。お兄さんもお姉さんも、とても感じのいい人だった。ありがとうございました。よろしくお願いします。

 しかし、自分も空っぽになっているこの時期に、パソコンもリセットされるというのは、なかなか意味深である。月曜日が〆切の原稿を、なんとなくそうした方がいいような気がして、昨日仕上げて送ったのだが(これまでにこんなことは、片手にも足りないくらいしかない)、予兆だったのだろうか。旅立つ君よ、たぶん真っ白になって帰ってくる君よ、元気に帰っておいで!君とやりたいことがいろいろあるんだよ〜!



2009年04月10日(金) ようやくスパゲティが

 そういえば昔は、ひとりの時でも「ラーメン食べたいな」と思っていたものだったが、私よりもはるかにラーメン好きの父子と暮らしていることで、すっかり「自発的ラーメン欲」は枯れてしまった。たまに、ごくたまに「食べたいな」と思っても「この『欲』を無駄遣いしてはもったいない」と引っ込める。ラーメンだけでなく、その他の「麺欲」も引きずられるように衰退しており、同時に作るのも下手になってしまった。ひとりで家にいる時のお昼には、よくスパゲティを作る。たいていのお店よりは自分のものの方が好きだったのに、ここ一年ほど、ちっともおいしくなかった。食べきれなくて捨てたことだって何度もある。私にはもう、スパゲティは作れないのかしら…と悲嘆にくれていたら、今日、ようやく、ソーセージとアスパラのトマトソースでおいしくできた。トマトソースがおいしければおいしいはずなのだが(一応、自家製)、それでも自信がなかったのだ。一度スランプにはまり込んだスポーツ選手もかくや、という自信のなさと絶望を噛み締めた時期であった。いままでできていたはずのことができなくなるって、最初からできないよりもつらいんだな…。たかがスパゲティであるが、私にとっては結構な問題であった。次は醤油味をがんばってみよう。
 それにしても「飽きている」というだけで、会得しているはずの能力がこれほどまでに低下するとは…。


2009年04月09日(木) ハチキューだと!?

 日に日に青葉の勢いが増し、渋い諧調を見せていた春の色が駆逐されつつある。今日は宅急便のお兄さん以外に、半袖の人を3人も見た。たしかにシャツを2枚着て歩いていると汗ばみそうになる。
 このところの、バスから降りたお楽しみは、カモミール。バス停からうちまでの坂道に、完璧な「雑草」としてカモミールが咲いているので、それをさわって匂いを嗅ぐのだ。どう見ても誰の所有でもなさそうなので、摘んで帰ってお湯を注いで飲んでも良さそうだが、どれだけの排気ガスを浴びているかと思うと、さすがにそれはする気になれない。でも、匂いはすてき。昨日、夜はヒコと二人だったので近くのパスタ屋さんへ行き、バスで帰ってきたので、ヒコにも嗅がせたら喜んでいた。匂い、といえば、パスタ屋さんで頼んだチーズがおいしくてフォークを付けるのがしのびなく、途中からは手で食べていたのだが、これまたすてきにかぐわしい逸品であったので、指に匂いが残っていた。それがもう、それだけ嗅ぐと、どう考えてもトンコツ。ヒコの鼻に「これはなんでしょう?」とくっつけたら、即「ラーメン!」と返ってきた。
 パスタ屋さんには、「オレはできるぜ的ビジネスマン」がおり、ワインを飲む傍ら、特に急な用件でもなさそうなのに、パソコンを広げたりしていた。忙しいので、ごはんはだいたい一日一食とかも言ってたけど、それって、忙しがり過ぎ…もっと言うならば、忙しがり過ぎたいだけなんじゃないか? 少なくとも、自分の忙しさに酔ってることだけは確かそうだった。
 彼に限らず、飲食店などで、仕事の顔がダダ洩れしてる人って、こっちが恥ずかしくなる。こないだも持ち帰りのお寿司を待っていたら、放送関係者らしき人々が声高に話していてつらかった。原爆関係の取材の話をしていたようなのだが、「ハチキューまでに、なんか『人モノ』ってことで、その語り部のやつをさ、突っ込んどこうってことなんだよ」うぅ…。なんて品のないことよ。「8月9日」を「ハチキュー」なんて言ってる時点でガックリするが、そういう心持ちの彼らに取材されようとしている「語り部」の方よ、どなたか知りませんが、断ってしまってください!いまどき珍しいロン毛の人でした!




2009年04月08日(水) 鎮魂?

 昨日のコンサート(ryuichi sakamoto playing the piano 2009)は実に渋かった。私の隣には、たぶん「知ってるのはYMOのメジャーな曲と戦メリ。あと、リゲインのCM」であろうおばさんが、体中に退屈をみなぎらせて、足を組み替えたり、腕を組み直したり、後頭部をボリボリ掻いたりしていた。そういう人が、ほかにもいっぱいいたのであろう、新しいアルバムからの数曲ののち、「ラストエンペラー」が弾かれた時には、「よかった!ようやく知ってる曲が!」という熱い拍手がわき起こった。やたら咳をする人が多かったり、「この曲は携帯で撮り放題!」のコーナーの次の曲でもまだ撮ってる人がいて、その時はさすがに坂本さんは演奏を中断。「約束は守りましょうよ…」と、さとしていた。若かりしころならば「うるせーぞこのやろー!」と言われかねない。そんなこんなで、ツアーで回った町の中でも、ひょっとしたらワースト3くらいには入るのではなかろうか。くすん。もう来ないかも。長崎。
 しかしコンサート。「戦メリ」聴きにきた人には残念だっと言うしかないが、一瞬たりとも目と耳が離せなかった。ピアノの一音一音、バックに流れる英文のフォントの選び方まで、すべてが研ぎ澄まされていた。そして、いま自分の中で考えはじめていることの方向性について、「そう、それでいいんだよ」と言われているような気がして(もちろん勝手な妄想なんだけど)、勇気づけられた。このツアーでは、毎日その場の気分で弾く曲を決めているらしいのだが、どうやらこの日は「イタリアもの」になったらしく「なんでかな。ポルトガルとかスペインなら長崎と関係あるんでしょうけどね。イタリア…カトリックの総本山があるってことで…」それまでの演奏を聴きながら、なんとなく、目の前に見えてるお客さんだけじゃなくて、むしろ、この土地で起こったいくつもの恐ろしいことで命を落とした人たちにも向けられてるんじゃないかという気がしていたので、勝手に、ひょっとしたら坂本さん本人よりも納得。そう思うと、以前、除霊の番組で見た、霊の仕業でやたら咳き込む相談者と観客が重なり…これは完全に妄想し過ぎだが。
 感慨深く会場をあとにして、奮発して「上にぎり」を買って帰る。折り箱がツアーパンフの大きさとちょうど一緒だったので、並べて写真を撮った。


2009年04月07日(火) 片付け。

 展示の準備期間以来、大変なことになっていた自分の部屋を片付ける。以前の片付けの時には「いる」と思って残していた資料なども、けっこう捨てる。テレビ時代の原稿もいくつか出てきたのだが、「ほー、こんなことしてたんだー。意外とがんばってたんだなー」と思うようなものも。秒単位でコメントが書いてあったりして(当然なんだが)。
 さて、この状態、いつまで持つのか…。

 以下、備忘録。

 金曜夜。東京に行ってしまうJちゃんの送別会。全員が「今日は深酒しない」「電車があるうちに」というつもりで集まったはずなのに…(以下略)。

 土曜日。部屋のあちこちに転がる人々を踏み越え、ヒコの親子レクレーションへ。いくつかのグループに分かれてゲームをするのだが、「オロナミンC早飲み競争」や「風船膨らませ競争」といった、昨夜飲酒したものにとってはいささか難儀なプログラムにおののく。私のチームは「箱の中の不気味なものを触ってそれが何かを当てる」という、胃腸胸焼け的にはさほど問題ないものだったので幸運だったが、触らされたのは「カツラ」で、まぁたしかに不気味ではあった。
 午後はケーブルで、新大工の曳壇尻の番組ナレーション入れなおし。夕方、たこ焼きを食べて6時過ぎには眠る。

 日曜日。いつものように「レスキューフォース」など観ながら過ごし、お昼は久しぶりの「まるみ」へ。ペンギン水族館近くの、裏通りの、小さなお好み焼き屋さん。ヒコのアイドルMっつんも一緒に、大豪遊して二千円ちょっと。でも、ここのお好み焼きよりおいしいお好み焼きって、あんまりない。お好み焼きは、こうであってほしい、という理想像。
 午後は美術館で松尾薫さんのピアノを聴く。そのままみんなで立山公園へ行き、ちょっとお花見。咲いている花びらより地面に散っているもののほうが多いくらいだったけど、これで心残りなし。寒かったり雨が降ったりで、でも、桜はずっと咲いていたから、お花見したくてたまらなかった。ヒコは当然のように、花を見るより、いろんな段差からジャンプしまくっていた。花よりジャンプ。

 月曜日。ちょっと試したサプリメントがヒットしたのか、すごく眠たくなってしまい、昼寝。枕元に置いていた電話のメール音(シャギリ)が聞こえないくらい深い眠りだった。昼は町家、夜は我が家で。

 さて、今日はこれから教授(坂本龍一)のコンサートへ。昨日、FMに出てらしたのを聴いてたら、長崎に来たのは23年前らしい。ふふ。行ったとも!高校生だったなぁ…。


2009年04月03日(金) せんばよ。

 ついに今朝、ヒコから「おかあさん、おけしょうした?」と聞かれた。「うーん、クマ隠しだけは塗ったけどね…お化粧せんばかな?」「せんばよ。」(標準語では「しないとね」)

 三歳児からオシャレ不足を指摘される人生。めげずに生きよう。

 石けんの材料が届いたので仕込む。今日はひとまず4本を目標に。あ、コーヒー入れなきゃ。夏のコーヒー石けんは、パッと聞くと暑苦しそうだけど、すっきりします。今回はレッドパーム油を使った、鮮やかなオレンジ色のものも仕込む予定。これまた暑い季節にはぴったり。プルメリアや、葉っぱ系のさわやかなエッセンシャルオイルも買ってみました。
 …なんだか、ステキライフを送ってる人のようだが、さっきからいつもよりお肌がすべすべすると思ったら、お昼はトンコツラーメンだった。どんなクリームより、豚の脂がてきめんに効く38歳である。


2009年04月02日(木) 真綿攻撃

 今日にでも新しいテレビが来る。今のテレビは私の実家のお下がりで、たしかに画面が暗くて、心霊ものの番組などを観ていても「○の中をもう一度ごらんください」と言われて凝視したところで、何の影も姿も見えず全然怖くないというものだが、映らないというわけではない。しかし、一度火がついたダンナの購買欲には、どんな懐柔もイヤミも通じない。ここ2週間ほどは、来る日も来る日もネットを見たり、電気屋さんに行ったりの比較検討(と、ここまで書いたところで到着。で、デカイ…)が続き、口を開いたかと思えば、テレビの話。「テレビを買えば、どんなふうに楽しいか」的なことを、時にあからさまに、時にサブリミナルに唱え続けてきた。「月々たった三千円」とか、こうなるともはや高田社長の分身である。ジャパネットに魅入られた人は、多かれ少なかれ、家族に対しては自分自身がプチ高田社長になり、説得するのであろう。「『たった三千円』って言うなら、もう小銭をせびって行かないでね」と念を押し、ついに了承するにいたってしまった。
 とにかくあの、一度買うと決めた物を買うエネルギーには恐れ入る。ダンナについて「優しそうでいい人。奥さんの尻に敷かれてるんでしょう?」と言われることも多いけど、いい意味でも困った意味でも、それはかなり違うということを、ここに記しておく。あの、見た目はちっともギラギラしていないのに、いつの間にか真綿で獲物を締め上げている特異な攻撃性はすごい。この能力は「人に物を買わせる」ことにも遺憾なく発揮され、これまで何人もの人たち(含む私)が、幸せな気持ちのまま(ここが恐ろしいポイント)車やカメラやパソコンなどを購入したものだ。つるかめつるかめ。

 


2009年04月01日(水) 私にこそ

 ヒコ、ついに今日から制服。大きいサイズを買っているので、二人羽織みたいにガパガパ。保育園に行ったら、おなじようにガパガパの同級生たちが遊んでいた。
 制服というものが、ちっとも好きじゃないし、それがあるっていうだけで中学や高校には戻りたくもないけれど、こうして、ヒコの成長の節目として見るぶんにはかなり強烈なインパクトを受けた。たとえ大変な出来事に対してでも「信じられな〜い」という気持ちを抱くことはまずないのだが、今朝はちょっとだけ、目を疑った。ヒコが制服…。
 「制服はイヤだ」「自分で自分の服を選ぶのって、子どもにとって大事なことなんじゃ?」と、口ではいいつつ、自分自身のオシャレ指数は限りなくゼロに近い。このところの寒さに何を着ていいのかわからず、さらに服もあまり持っていないが、さすがに四月になろうという時期にセーターを着るわけにもな…という「分別(?)」は残っているので、15年前に買ったウインドブレーカーなどを着て、しのいでいる始末だ(オシャレの角度からは決してしのげてない)。
 ダンナに「毎日服を考えるのが面倒。」「この人生ではおしゃれをするように生まれついていないようで、すみませんね。でももうちょっと洒落た方がいいかな」と、出口のない質問をしたら、それぞれに「制服でも着たら」「まずはスカートから始めてみれば」と、鬼のように的確な答えが返ってきた。そうか、私にこそ制服か!



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