ぴんよろ日記
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2009年03月31日(火) 桜は木である。

 桜って、ちっとも気に入った写真が撮れない。寄っても引いても斜めにしても、なんか陳腐。桜って、私くらいのレベルでは写せないものなのだろうかと思っていが、ヒコを送っていった保育園の庭の桜があんまり満開なので、つい携帯を取り出した。私の携帯のカメラの実力は、ほぼトイカメラ。でも、ハッと、撮れてしまった。人が見てもたぶん「これのどこが?」と思うようなものだろうが、私にとっては始めて「あ、桜だ!」と思えた1枚。そこには幸か不幸か、そしてモチャいレンズのおかげで花なんかちっとも「キレイ」に写っていなくて、むしろ黒ーい幹が浮いている。それでわかった。

 あぁ、桜って、木なんだ。

 桜って、桜って言わなくても「花」と言えば桜を意味してきたように、ほんともう、花なんだけど、でも、それは「木」なのだ。桜の花が、葉っぱもなしにバーッと咲いて、みんなが浮かれる。それは花を見ていることでもあるんだけど、「そこに木がある」のを思い出すことなのだ。意識的に自然大好きとかエコとかいう人じゃなくても、やっぱり自然というものは体が必要としていて、それは樹々や草花が日々黙って存在してくれるだけで無意識のうちになんとか補えているのだけど、花が…特に桜が咲いちゃうと、うわっ!桜だ!という気持ちにつられて、そこに偉大な木がいてくれていたことを思い出す。そして木の下にブルーシートを広げ、飲食放歌するなどして、生きているよろこびを再確認するのだ。
 桜は、木なのだ。桜が木なのだと思ってまわりを見渡すと、他の木もたくさんある。こんなにも樹々たちは、いつもそばにいたのだ。



2009年03月30日(月) オノゴロ以前

 無事に展示が終えられたお礼も兼ねて、おすわさんへ。いつにもまして、すっきりとした気持ちになる。大好きな本殿横のクスノキを見上げていたら、ちょうど拍手してくれてるかのように揺れたので、目頭があやしくなった。
 撤収して、平井でコーヒーを飲んで、50周年記念号の週刊文春を読み込んでいたら、あっという間に時間がすぎた。あわてて夢彩都に行って、立ち読みと買い物。
 
 いまは、いろんな意味で、何もない。オノゴロ島ができる前の、ドロドロ、ぐつぐつ。 
 しばらくは、仕込みの期間になるだろう。四月末の小国のフリマにむけて、石けんの材料も注文。これもまさしく仕込みだ。石けんのタネをぐるぐるかき混ぜながら、本を読んだりするのだ。



2009年03月29日(日) おわった…。

 いつもあると思っていた「旅暦展」も、今日で終わり。昨日は小国から、今日は福岡から友だちが駆けつけてくれた。
 本を出したことで、あの中にあることは、ひとまずは自分の中で区切りがついていたのだけど、今回、あんな形で写真やイラストを展示したことで、あらためて「こんなことだったんだー」と思ってもらえたのかもしれない。たしかに、本を作る時に、自分では写真もじっくり見て選んで、どんな意味を持つ写真なのかという気持ちを込めて載せたけれど、サッと読む人にとっては、小さな丸抜きの写真なんかはもう、よほどのマニア(?)でもない限り、まじまじと見たりしないわけだから、そういう写真やイラストをあらためて見てもらえたのは、とっても良かった。
 これでもう、ひとまずのところは、本当に成仏、だ。次へ行くのだ。

 閉店間際の豆ちゃんに行き、ひとり、しみじみとビールで打ち上げ。その後、ダンナとヒコと、家の近所のパスタ屋さんで打ち上げ。

 ありがとうございました!



2009年03月27日(金) 霧は晴れても

 野球で日本が勝ってもちろん良かったし、私もその瞬間は、なぜか「豆ちゃん」で、向かいの電器屋さんのテレビに見はまり、歓喜したのだけど、なんというか、野球に限らず、いや、スポーツにも限らず、日本のあちこちでスポットが当たるものごとに関して、もぞもぞと割りきれない気持ちがあったのだが(くんちにさえ、ムクムクと立ちこめはじめている)、今朝、甲野先生のHPを読んで、その霧が晴れた。

  それは、勝って、その喜びを爆発させたいという思いで、その事をやっている、つまり勝つことで喜びという報酬(金銭的なものはないにしても精神的満足感)を得たいという目的がある場合と、そのやっている事そのものに本当に自分を没入させているかどうかの間には、非常に大きな違いがあるという事である。(「随感録」3月25日付)

 感動欲しさにがんばるって、どこかやっぱり不純だし、気持ち悪いのだ。
 よく「最後はみんなで感動したい」なんてことが恥ずかしげもなく語られるけど、その時点で、その「感動」には、まがいものの血が入っている。

 しかし、私の霧は晴れたが、世の風潮はますます「感動屋さんはびこる」であろう。

 


2009年03月26日(木) どん兵衛と…

 ここ数日、くんち漬け。去年の新大工の曳壇尻の1時間番組を、30分に縮めた。ケーブルの番組コンクールに出すらしい。今日は最後のツメのツメ。夜中まで、ディレクターのF嬢とがんばった。編集に関してはしつこい2人。内心「あー、そんなとこ気にすんの、私らだけだと思うけどね」という部分を作り込みつつ、しつこさ2乗で時は過ぎ行く。
 とりあえずすべてを終えて、ヨロヨロしながら桜町のローソンにたどり着き、なんとなく、どん兵衛とシャンパンのミニボトルを買う。どん兵衛とシャンパン…レジのお兄ちゃんも見たくない組み合わせだろうなぁ。

 放送は月曜日。「なんでんカフェ」内で。コンクールでどう評価されるかはわからないが、やれるとこまでやった。



2009年03月24日(火) 手の内

 昨日、父から「展示がすごく良かった」という電話が。本を出したときよりも、むしろ情熱的に。3月2日、壁に写真を貼りながら、「見る人がこんな気持ちになってくれたらな」と思っていたことが、そのまま感想としてかえってきた。どうもありがとうございます。
 ほかにも、ここ数日、展示や本に関して、うれしい言葉をいくつかいただいた。この「込めた思いが届く感じ」は、何物にも代え難い。

 4月から、また新しいことが始まる。なんとなくわかること、全然わかんないこと。
 やってみようなんて思ってもみなかったことのお誘いがあって、でも、それを見た瞬間、やってみっか!と思って申し込んだりして。展示も終われば、春は本当に未定。手の内にないことこそ、やってこい。


2009年03月23日(月) 言ってはみたものの

 今日は、3時の約束まで自由だ、と思って、朝っぱらから料理などしていた。ヘチマをいためたり、パパイヤをおろしたり、卵をむいている手にどんどん電話がかかってきて、あっという間に多忙な人に。そういえば、明日はヒコの遠足だった。水筒を探して、レジャーシートを買いに行かなくては。しかも、気のむくままに食べたい料理を作ったはいいが、ヒコが食べるものはひとつもない。さて、どれをどういう手順で片付けるべきか…。

 昨日は、金曜日の夜中に生まれたという友達の赤ん坊を見に行ったが、肺に具合の悪いところがあり、遠目にも見ることができなかった。両親でさえ、1日1回しか会えないらしい。しかも保育機越し。「そのうちうんざりするほど一緒にいれるよ〜」と言ってはみたものの、会いたいだろうな、触りたいだろうな。はやく良くなれ!

 直売所で買い物をすると、野菜の元気さにつられて、がぜん、料理したくなる。大根の葉っぱも「無駄にしないからね!」と誓わされるくらいの勢いだったので、にんじんやタケノコや椎茸、昆布、油揚げなどとともに、炒め煮にした。その他いろいろ、まともなごはんを食べた。



2009年03月21日(土) ノドのつまりが

 昨日は、昼から夜にかけ、福岡からやってきてくれた「同業者」Kさんと、いろんな店で、いろんな話をする。最後には「町家」で酔っぱらってしまい、あられもない話にまで…。「豆ちゃん」にいる時には、何人もの知人が見に来てくれたり、通りすがったりして、はからずも長崎の「狭さ」を体感してもらうことになった。
 あんまりしゃべりすぎたのか、朝起きたらのどが痛くなっていたが、ヒコは実家にお泊まりなので、気の済むまでウトウトしていたら、ある瞬間、バン!とよくなった。いろいろ思うことを口に出したから、ノドのつまりが取れたのかもしれない、と思ってしまうくらいだった。


2009年03月18日(水) 半ドン

 昨日、保育園の桜のつぼみが、朝と夕方では全然大きさが違っていたのだが、今朝、ついに咲いていた。あちらこちらの山には、ポツポツと山桜が見える。
 昨日の夜はコロッケを作った。小さめのを、18個。ほかにたいしたおかずを作らなかったので、みんなパクパク食べて、残ったのは4個。ヒコも4つは食べていた。私はついおかずを作りすぎるので、いろんなものがちょこちょこ余ってしまう。最近はついにぬか漬け道へも足を踏み入れてしまった。なすがおいしい。
 ペコロスの唄地図。夜中起きだしてしばらく編集したので、あとはスーパーのみ。久しぶりに外でお昼を食べて、半日、自分に休暇を与えて散歩でも。半ドンだ。半ドンって、まだ言うのかな。
 今日の夜は、昨日の残りのコロッケや、買っていた太刀魚やソーセージを焼いて、キャベツいため、味噌汁とご飯、というような消化試合だ。無理はせず、でも、家で食べることを心がけよう。


2009年03月17日(火) 恐ろしい世界

 ボクシングの辰吉の「復帰戦ドキュメント」を、たまたま見てしまった。おなじ番組で「新宿の母」をやっていて、これまた、たまたまついていたのを、(私は「新宿の母」みたいな物言いをする人が苦手なので)、変えたい、消したい、と思っていたのだが、なんとなくタイミングを逸したまま辰吉が始まり、最後まで見てしまった。
 辰吉…なんと同じ歳(ひょっとしたら1歳下)。ものすごくつらそうなトレーニングや減量や、これまた半端じゃなさそうな奥さんや友人たち。これ以上は1ミリもがんばれなさそうなところまでがんばったのに、結局、試合では全然ダメで、ヨロヨロのメタメタ。あんっっっだけがんばっても、その試合の映像だけ見たら「まるでダメ男」なのである。20歳くらい下のひょろりとした選手の前で、「なにやっとんじゃい、眠たいんかいオッサン!はよ帰ってシッコして寝えや」と言われても仕方ないような動きにしか見えないのだ。なんと恐ろしい世界なんだろうか。人はどうして年を取るのだろうか。
 たまさか私の選んだ道は、年の取り甲斐もあるものだが、それにしても、もう少し厳しく生きなければ、と自戒。辰吉さん、これからどうされるかわかりませんが、心から応援しております。




2009年03月16日(月) あとは、あとから

 ずっと持ち越してきてしまっていた仕事と、確定申告がついに終わって、心が軽い。明日は「ペコロスの唄地図」編集に打ち込み、それが終わったら、ひとまず、〆切のあるものはない。ちゃんと読むこと、書くこと、そして休むことを、やっていこう。はっきり言って不安。これから考え、書いてみようとしていることは、今のところ「一銭にもなりゃしない」。どっかで連載するわけでもないし、形になったところで、またもや自家製本かもしれない。まぁしかし、そんなこと考えても始まらないので、とにかくやってみよう。あとは、あとから付いてくるだろう。とりあえず日々のビールと刺身は買えてるのだから、やりたいようにやるだけだ。


2009年03月15日(日) 「いいや、もう」の回は、時々当たり。

 昼は植物園に行ってヒコをごってり遊ばせたので、こちらも早く眠ってしまったが、11時には、ドラクエ中のダンナに起こしてもらって「情熱大陸」を見る。松本隆。ぼやぁぁぁぁ〜ぬぼぉぉぉぉ〜の見た目に隠された途方もない鋭さが、じわっとにじんでいる。「情熱大陸」に時々ある「頭でっかち若造スタッフにはとてもとてもその人がつかみきれなくて、全体像を描こうなんて全然あきらめちゃった。日常の風景のしかもほんの少しと、なんか絵になるイベントがひとつあればいいや、もう。」的な作りが、いいほうに出ていた。松本氏の「不自然」を忌む姿勢に、深く感じ入る。


2009年03月14日(土) はぐれもの

 落とし穴のように寒い朝。
 夕方になるにつれ、あたたかくなって来たので、きっと今日が「寒さの最終日」なのだろう。これからまた、ぐいぐいと春になるのだ。
 お昼は岡野さんと撮影。本当は昨日を予定していたが、大雨で今日になった。丸山をゆらゆら歩きながら、ゆらゆら語る。これまで1年近くいろんな話をしてきたが、これほどまでに長崎について話す二人なのに、なんというか…長崎の、たとえば「町づくり!」に熱心な一群からすれば、一種の「はぐれもの」である点が共通していて、おもしろい。だからこそ続いているのか…。
 


2009年03月11日(水) 遭遇しすぎ

 昨日新しく買ってみた薬もぜんぜん効かない。
 腹をくくって耳鼻科へ。
 「はい、鼻の中を見せてくださーい。…うわぁ…」
 薬ももらった。眠れない夜とはもうお別れ!のはず。
 そして残ってしまっている仕事もがんばろうと思うが、ちょっと眠くなるという薬が、ここ数日の寝不足を直撃しないことを祈る。

 ふだんは、ちょっぴり自然派で薬なども飲まないが、この時期だけは宗旨替えだ。

 最近やたらと、消防車や救急車、パトカーなどと遭遇する。
 何日か前には、バス停で座っていたほんの5分ほどの間に、救急車と消防車が通ったかと思うと、なんと覆面パトカーまでがサイレンを鳴らしながら走っていった。これを書いている今朝も、信号待ちをしていたら、消防車が現れた。
 霊能者と一緒にいると、たいして見えなかった人にも「見える」ようになると聞いたことがあるが、それはどうやら「そういうもの」以外にも適応される法則ではないか。ヒコという熱狂的な「サイレンカー」ファンと暮らしているから、私の前には次々と特殊車両が現れるのだ…。

 いかん…眠たくなってきた…。


2009年03月10日(火) 小細工どころか

 完全に鼻が詰まって苦しい。口でしか息ができないというのは、なかなかつらい…。そして完全に詰まっているならそれでおとなしくしといてくれればいいのに、詰まりをキープしつつ、流れ出る鼻水。郵便局でずっと鼻を押さえていたら、気の毒に思われたのか、ティッシュを2つもくれた。
 それにしても、詰まりながら流れているとは、なんという矛盾!医学的な解明が待たれる…という問題では、まったくないのだろうが。

 とにかく口と肩で息をしつつ、仕事する。2つ片付けたかったが、息が苦しくて、1つがやっと。途中、「旅暦展、自分にはピンと来なかった」という電話もあったりして。その人は、本が出た時、「写真がいい」と言ってくださっていて、それを「小細工」したのがもったいない、とのこと。うぅむ。たしかに細工はしまくりだ。小細工どころか大細工である。しかしあれは写真展ではなく(そんな畏れ多いことはできないし)、私の「長崎観の具体化」なので、やはりあの形が自分にはしっくりくる。でもそれを言ってくれるというのはありがたいことだ。



2009年03月09日(月) 二人の天才についての妄想

 お気に入りのコーヒーカップが帰ってきた。山陰、松江あたりの窯で焼かれた、コーヒー色とクリーム色のカップ。ある日コーヒーを飲んでテーブルにおいていたら、はるちゃんに落とされて、取っ手が根元から取れて、さらに3つに割れていた。さいわいパーツとして割れていたので、ホームセンターで接着剤を吟味し、3日がかりで取り付けた。
 壊れている間は、別のカップで飲んでいたけれど、どうも調子が悪かった。飲んだ気がしなかった。これを買う前にコーヒーを飲んでいたカップでも飲んだけれど、それでも、もう後戻りはできなかった。いま、心から、おかえり、と思う。

 忙しがってばかりで、本も読めていなくて、音楽だって聴いてない。それはまさしく、自分をないがしろにしていることだ。立ち読みする時間や、それで買って来た本や、録画しておいたビデオを見る時間、CDを聴く時間を、もうちょっとちゃんと作ってやらなければ…自分についてこんな言い方をするのはどうかとも思うけれど…気の毒だ。

 ということで、久しぶりにドラマを見た。ハッサクをむきながら。2回分録画がたまっていた「白洲次郎」。…肝心の白洲次郎役の人が生理的に苦手だけど、そしてもちろん「実話に基づいたフィクションです」という但し書きを頭に入れて見なくてはいけないけど、面白かった。岸部一徳が持つ、独特の「静けさ」を堪能。小さいころ、家にあった「一億人の昭和史」で、近衛文麿氏の死に顔も見ていたので、感慨深し。でも、いちばん楽しみにしていた青山二郎さんが、今のところトホホなキャラに仕立てられていて悲しい。あんなギャーギャーギラギラ言う人じゃないと思うけどなぁ…。ま、あのドラマの中では、ほんのスパイスに過ぎないってのもわかっちゃいるが。
 唐突だけど、青山二郎氏と野口晴哉氏の間に面識はなかったんだろうか、と妄想することがある。時代的にも、人脈的にもそれほど遠いものではないし、なにより天才っぷりに共通するものがなくもない。相性が良かったかどうかはまったく保証しかねるけれど、もし会ったことがあるとしたなら、どんな言葉が交わされたのだろう。…と想像してもわからない。




2009年03月07日(土) お歯黒

 昨夜は「カフェ豆ちゃん」で「バールタイム」が始まるのに合わせ岡野さんが唄うというので、かけつける。間が持たないかと思っていたヒコも、唄が始まると釘付け。もっと「豆ちゃん系」の濃い面々が来るかと恐れていたが、さほどでもなく、ケーブルの人も来てくれて、むしろなごやかだった。
 赤ワインをたくさん飲むと、唇の歯に近い部分が黒くなってしまうが、トイレの鏡でその顔を見るにつけ、なんというか、妙な怪しさ…魅力とまでは言い切れないけれど、視線を引っ張る力のようなものを感じるし、さらに「これってなにかに似てる…」と常々思っていたけれど、そうか「お歯黒」だ!とわかった。
 大盛況の思案橋ラーメンを食べて帰る。

 そして今日は、起きてみたら右の肩がまったくおかしいことになっていて、ハハにちょっと押してもらうけど「だめだこりゃ」って言うしかなかったので、素直にオヤユビキングへ。何日か前、ヒコにうっかりでんぐりがえりをして見せたら、嵐のようなリクエストに逢い(しかも斜めにしたマットレスの上から転がり落ちつつ)、何度もやってしまった。着地の際にお尻も強打してしまったし。
 ごってりほぐされた後、キング小林氏と話していたら「久々に『どっからほぐそうか』と迷いました」と、親指魂に火をつけたもよう。
 でも、来た時には気持ち悪く浮いていた歯も、うまく開かなかった目もすっきり爽快。帰りに見た夜景が「こんなにきれいだったっけ?」と思った。


2009年03月06日(金) ボンネットの魂

 ちょっと前に、近所の車のボンネットが新しくなったのを見つけた。
 それは、別にニュースでもなんでもないかもしれないが、その「車」が、紺のオメガワゴンだったので驚いた。我が家がほんの数ヶ月前まで乗っていた車。年式も一緒。我が家の「彼」は、しばらくは行きつけの整備工場に置いてあって、つい最近、解体通知が来たところ。
 その、近所の「彼」は、野ざらし駐車場なのもあって、気の毒なくらいボンネットはハゲハゲだった。塗装が皮膚だとしたら、ひどい日焼けをして、べろ〜んとむけている状態。そんなだから「うちよりは早く壊れるだろうね」と言っていたのだが、実際は違った。
 その、近所のオメガのボンネットが、ちょっと前に新しくなったのだ。これまでの「やりっぱなし具合」から思うに、わざわざ塗り直すとも思えない。ひょっとしたら、ひょっとしたら、知り合いの解体屋さんかなんかがいて「あんたんとこのオメガと一緒んとの来たばい。ボンネットはピカピカやけど、どうする?2万でよかよ」なんてやり取りが…。
 通るたびに見るんだけど、もちろんダンナも見たけど、よくわからない。そう思えば思えるし、違うと言われたら、そうかなぁ、と思う。それほどまでに、特徴的な傷もなく、きれいだったのだ。
 でも、そうだといいな、と思う。一度さよならしたはずの大好きだった車が、まったく他人のふりをして、ボンネットだけ近くに戻って来てくれたのなら、なぜかむしろ、あきらめがつく。



2009年03月03日(火) 「もう入っていい?」

 ついに「個展」スタート。

 昨日はダンナにセロテープ丸めなどをせっせと手伝ってもらい、半日かかってなんとか完成にこぎつけた。夜は宝雲亭で餃子。作業したので、ビール2杯がす〜っと吸い込まれた。

 お昼「豆ちゃん」に行ってみると「しいたけが届いてますよ〜」。???。なんとまぁ、小国の友人一家から、箱一杯のすばらしい原木椎茸が!花でも電報でもなく椎茸をお祝いにもらうとは、すばらしい幕開け。昨日できなかった「竹線香に葉っぱを飾る」作業をしていると、重いドアがゴロゴロ〜っと開き、松尾順造・薫夫妻が、いちばん始めのゲストで登場してくれた。「もっと増殖させた方がいいよ!天井にも!」と、心強い発言。材料は(案の定)まだあるし、作り出してない工作ものもあるので、じわじわ足していこう。

 こうして並べてみると、つまりは自分の中から出してみると、自分「本体」の方は、ぽかーんと空っぽになったようだ。そして、並んでいるものたちは私の中にある時よりも、落ち着いている感じがする。本と、展示とで、いよいよ成仏しているのかもしれない。

 夕方、少し時間ができたので、かなり久しぶりの本屋に行く。たくさん並んだ本を眺めていると、いろんな本が目に飛び込んでくる。「空き容量」がないときは、ちっとも飛び込んできてくれない。あぁ、確実に自分の中にスペースができたんだな(つまり、本と展示で出したものは、本本当に出て行ったのだな)と、実感。それと同時に、「もう入っていい?」と、本を出した後に考え始めていたことたちと目と合った気がして、少しだけ身震いした。



2009年03月01日(日) なんとか、とにかく、ここまでは。

 なんとか、とにかく、ここまでは、というところまで、展示の準備を終えた。たぶん、現場では「これはもう貼れないや。作りすぎっ!」となるのかもしれないが、同時に「これでもまだ全然足りないんじゃないか」という恐怖にもさいなまれる。が、とにかく自分の中でのひとつの基準までは準備ができた。欲を言えばきりがない。また明日、展示しながら思うところもたくさん出てくるだろうし、ひとまずは、ここまで。明日がんばろう。展示するのがすごく楽しみ。元・工作少女のおポンチなオブジェが、オシャレなカフェに気の毒な気もするが…。


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