ぴんよろ日記
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2009年01月31日(土) かたづけ

 おびただしい数のミニカーやらレスキュー基地やらで、部屋が絵に描いたようなブタ小屋になっていたので、久々の「しかぶり」シーツの大洗濯などといっしょに、2時間ほど炊事掃除洗濯。これでも少ししかすっきりしないのが悲しいところだ。台所の床をせっせと拭いたりしたが。

 ずーっと白ワインが飲みたかったので、昨日は茹でたてのジャガイモと半熟卵とレタスをサラダにしてみた。塩こしょう&オリーブオイルもおいしかったけど、家なのでオーロラソースの気楽な味も。そしたら、どうやらヒコに大ヒットしたらしく、飲むようになめていた上、大人が使う事を激しく阻止。よほど琴線に響いたらしい。

 よく見ているブログに、正義感あふれる嫌味なコメントがたくさんあって気の毒だった。ほんと、ヒマな人たちだなぁ、と思う。正しくってヒマな人って、それこそ気の毒だ。なるべく関わらないようにしたい。



2009年01月30日(金) 寝そびれ3時

 ただいま午前3時前。
 ものすごく久々に寝付けなくて、今に至る。眠くなりそうな古い本を選んで開いたら、それがやけに面白かったのが敗因。明日も保育園だから、いつもの時間には起きなくちゃいけないのだが。
 昨日の夕方は、しばし油絵に没頭した。モチーフも構図も色もヘンな絵…。でも、今、いちばん愛しい存在かも。夢の中で見ていた光景が、ほぼイメージ通りに出現しているという不思議さもあり、ついしげしげと眺めてしまう。
 寝なきゃ…。


2009年01月29日(木) ワインと最終バス

 油断していると、すぐに木曜日になる。
 木曜日の朝にケーブルテレビのミーティングがあるのだが、ほんと、油断してると「え?もう?」という感じでやってくる。
 ということで、木曜日だ。
 お昼はダンナが休みだったので、家の近所にできたパスタの店へ。夜のメニューを見たら、カルパッチョやラムの焼いたの(密かな好物)もあるし、ワインもおいしそうだし、ヒコには「カルボナーラ黒胡椒抜き」を取れば良さそうなので、今度、2人の夜があったら行ってみよう。なにしろ家から歩いて下って10分ほどだし、帰りは家に帰るバス(1時間に2本。9時最終)の停留所が目の前。こういうのって、大きい。そんなふうに気軽に行ける範囲に、このジャンルの店ができてうれしいが、それはかなり限られた範囲の人の便利さ(つまりこの近辺)なので、どうかお店が成り立っていきますように…。

 ランタンが始まったけど、あまりにこの町の空気に似合うので、いっつもこの景色だったかな?と思う。特別な感じがしない。


2009年01月26日(月) 新年好的編集中毒。

 午後は「ペコロスの唄地図」編集。ランタンにちなんで館内へ行ったはいいが、その変わり様をしみじみと嘆く二人…。しかし今更ながら、ビデオの編集って面白い。削れば削るほど良くなるこの感じ。でも、もちろん、あまりにも削りすぎると意味が分かんなくなるから、そのギリギリのところまで行くのが、なんというか、一種の快感。そして時々起こる、インサート映像やBGMがあまりにもハマった瞬間の、人知の及ばない感じ…。なので、やりすぎは体に毒だ。編集ジャンキーになるし、妙な全能感みたいなものにも取り憑かれたりする。自分がやってる仕事の中で、いちばんおそろしいものだと思う。魔性がひそみやすいというか。
 今日からランタン。妙にでっかくなっちゃって、イベント臭さも鼻につかないことはないけれど、なにしろ街が赤や黄色やトボケた動物でいっぱいになるので、それだけでうれしい。新年好!



2009年01月25日(日) ねむる薬

 おとといヒコ様が実家にお泊まりして、本を読んだり絵を描いたりもしたが、結局は、ゆっくり眠ったということに尽きた。それで身体がゆるんで疲労倉庫の鍵が開いてしまったらしく、昨日は足湯して早寝、今朝は10時半すぎに起き、それでもなにか風邪の前のようなだるさがあったので、お昼を食べて、また眠る。眠れる間は、眠りが薬だと信じているので、とにかく眠る。夕方、ヒコとダンナはどこかへでかけていたようだが、私はとにかく「ねむる薬」に身体を浸し続けた。5時頃起きると、かなりスッキリしていて、掃除と炊事をする気がわき起こり、夜はおいしい生姜焼きを作った。そして、これがとどめとばかりに、9時半に寝た。



2009年01月24日(土) 消音風景

 雪。
 なにかの種を運ぶ綿毛にも似た軽い雪が、無数に舞う一日。あんまりふわふわなので、冷たささえも感じられないくらい。小さな雪のひとつひとつが、少しずつ街の音を吸い込んでしまうのか、目に見える景色に対する音のボリュームが絞られているような感じ。
 そんな雪の中を歩いていると、妙な浮遊感に包まれて、夢の中にいるよう。雪に焦点を合わせて歩こうものなら、ひっくり返ってしまいそう。


2009年01月23日(金) 乾かない

 油絵はちっとも乾かない。描き込みたいのに許されず、じっと見つめては「あぁ、あのあたりをもっと青に…」と、狂おしく待つばかり。
 描いているのは、これまで夢の中に登場した「異なる時空に存在する長崎」の風景の中の2つ。不思議なカーブの屋根が続く遊郭街と、町のはずれの小さな岬のさらに先端。「そうそう、こんなだったよな〜」と思いながら描いていると、どんどん時が経つ。今日は本屋さんで油絵の本を立ち読みして「ナイフで塗るとゴッテリ感が出せる」「白を置けばハイライト」などという、たぶんアホみたいに初歩的な知識を仕込んだ。
 今日はヒコが実家でお泊まり、ダンナは仕事&飲み会なので、夜も描ける。でも絵を描いていると時間がどんどん経つわけで、この貴重な一夜がまたたく間に過ぎてしまうということでもある。


2009年01月22日(木) とにかくパンツ

 初めて行く町で「地元の人しか行かない店」をネットやガイドで調べまくって行きたがるのって、品がないのでは?と思えてならなかったのだけど、それって、初めて会う人に、いきなり「あなたの顔とか服とか話には用がないです。とにかくパンツ脱いでくれればいいから。だってそれがあなたの本質だもの」っていうような、わかったようなわかんないような、失礼なくせに、したり顔してるっていうような、そんな匂いがする。たまたま目についた店がそうだった、というのは、その町が招いてくれたんだからいいんだけど、まずは順を踏めよ、と思う。それに、コテコテの店って、それはそれで案外面白かったりおいしかったりする。旅人にも、分相応ってのがある。身の丈を超えて地元ヅラするのは恥ずかしい。小さなちゃんぽん屋で、「るるぶ」を丸めてるくせに「こういう店が旨いんだよ」なんて言うのは止しましょう。


2009年01月21日(水) へい、すんません。

 ついに油絵をはじめる。高校の授業で描いて以来なので、ぜんぜん描きかたも覚えてない。なんか決まりごとってあったかな。基本的なルールみたいな…と、よくわからないまま、固くなってしまっている筆でごねごねと描きはじめる。頭の中にある仕上がりの色合いとは全然違う色で描いているのだが、それは「最終的な色は違うんだけど、最初に塗り始めるのはその色」っていうのが、なんだか決まっているようなので、その内なる意思に従って描く。形も。…うーん、とにかく、この油絵に関しては、あらかじめ決まっているものを現しているだけという感じがして、線も形も、勝手なことは許されなくて、なんか違っていると、どっかから「違う!」というお達しが飛んでくるので、私自身は「へい、えろうすんません、こうですか?大将?」と、おうかがいを立てながらがんばっているというところ。こう書いちゃうと、ほとんどキチ……。
 でも久しぶりに嗅ぐ油絵の匂いは、とてもいい匂い。


2009年01月20日(火) 9分の4

 昨日の夕方は「たけやま」でお酒を買い、夜は「魚和」の刺身を食べ、今日のお昼は「紅灯記」でスーパイコ、その足で「平井」のコーヒー…と、「長崎迷宮旅暦」に紹介した9軒のお店のうち、4軒を、1日足らずの中でまわる。まったくもって狭い日常だが、これで充分なので仕方がない。身体も胃袋もひとつだし。「広い世界を見てみたい」と旅暮らしする人の方がもっともらしいけど、今の私にとっては、目の前にある「長崎」があまりに面白く、見ても見ても見足りないので、あぁ、住んでて良かった。わざわざ出かけなくてもいい。そして生理的に、長崎より大きい町に住める気がまったくしない。都会志向ゼロ。自給自足タイプの田舎志向もゼロ。
 朝からはヒコのしかぶりと、突然の「どん兵衛食わせろコール」、それが不可能(どん兵衛は無い)ということを知らせるために食品保管戸袋を開けて見せたはいいが、そこにはもうひとりの横綱「うまかっちゃん」が存在したための「そんならうまかっちゃん作れ大号泣」などが次々に押し寄せ、本当に頭が割れそうに痛くなった。平井でコーヒーを2杯飲むころ、ようやく治まった。


2009年01月19日(月) 悶絶白子フライ

 先週から持ち越していた仕事を終わらせ、昨日買った本を読む。畳にごろんと転がっていたら、猫が2匹ともくっついてくれて、至福のひととき。猫がくっついているところって、ホワンと力が抜けて気持ちがいい。
 夜は久しぶりの魚和道楽。白子をフライにしたらおいしいと言われたので、実行。いやはや、悶絶ものであった。さっくり、トロッ!旨味大爆発!あまりのおいしさに手足をバタバタさせる私を見て、ヒコも喜んでいた。



2009年01月18日(日) 歩きながら

 毎年恒例、ダンナと友だちが福岡の「オートサロン」(車のドレスアップのモーターショーみたいなやつ)に行くというので、便乗して福岡へ。ラーメンを食べると息巻いている男組(含ヒコ)と別れ、久々にタイ料理屋さんに行く。タイ料理を食べているときって、自分はタイ人じゃないかと思うくらいうっとりしてしまう。大名の「ジャミン・カー」は、いい意味でシンプルになっていた。「美美」でコーヒーを飲み、アップルストアで新しいMacBookに心動かされ(外見とキーボードがモロに好み…)、丸善とジュンク堂で3時間立ち読みした。丸善では古本市があっていて、川原慶賀の植物画集が200万くらいで売ってあって、「え…本当に売ってあるんだ…」と驚く。
 大きな本屋で長い時間立ち読みすると、あまりにも世の中には本がたくさんあるということにめまいがして、却って「小さくても狭くてもいいから、自分が受け持ったと思うことをがんばろう」という思いが強くなる。前から「いつか読もう」と思っていた鶴見良行さんの本がずらりと目に飛び込んできた。対話集「歩きながら考える」を1冊買う。机に座ってばっかりの人の話は、もういい。私も、もっともっと、歩きながら考えよう。
 帰りは喜々津の浜勝へ。遠くに出た日に、選択肢がどんどん無くなってしまったあげく、もう少しでイライラしそうになるくらいお腹減ってしまった時に食べる浜勝の一口目って、素晴らしくおいしい。でも、勢いつけて食べ過ぎて、家に帰るころには吹き出物ができた。


2009年01月17日(土) ホメオパシーの町

 ハンバーグと海老フライ、という、ベタなランチを食べて、館内へ。「ペコロスの唄地図」収録。館内ともランタンとも微妙に違う話をゆらゆらと。唄は天后堂で。カメラに映り込まないように遠くで聞いていたが、お堂に音が響いていい感じだった。天后堂には何度も行っているけれど、建物の裏に回ったのは初めてで、誰が座るんだろう?という白いベンチと、緑色のコケと、赤いレンガが、まるで映画のセットのようだ。それにしても、行くたびになんか壊れてる館内。今回は、中ほどにあった古い市場がドッカーーーーンと更地になっていた。そしてまた、写真の中にだけある長崎が増えていく。
 だけどそういうことは、住んでもいない人間が絶対的に否定もできないし、名残りや残り香をたどることで初めて、見えてくるものもある。薄まれば薄まるほど(ホメオパシーのように)、それを探す者や必要とする者にとっては、強烈に感じられることもある。
 というような、逆説的な楽しみを見つけるしかないような、崩れゆく街と記憶。


2009年01月16日(金) 秘められた破壊力

 今日も家にこもる。読みかけの本を読み終わってうれしい。雑炊を食べ、コツコツと消しゴム版画を彫り、頼まれていたラベルを作る。消しゴム版画も今やすっかりメジャーな存在となり、大きくて彫りやすい「版画用の消しゴム」が売られているので、形の制限無く、いろんなものが彫れる。前は「300円の大きな消しゴム型」が最大で、つまりは長方形だし、他の形のものを作りたくても、それより小さいものしかできなかったのだ。今はハガキ大のものが普通に売られているので助かる。消しゴム版画といえば、以前は「ナンシー関!」だったが、今はなんだか、犬猫やハートを布にスタンプしたりして「暮らしをカワイく楽しく系」にカテゴライズされているようで、ちょっと寂しい。手軽に強い存在感を醸し出せる消しゴム版画には、もっと秘められた破壊力があるのだが。



2009年01月15日(木) 幸せは安上がり

 昔は今日が成人式だったような。今日だったら寒いけど晴れていたのに、こないだは雪だった。3連休、というのは、暴れん坊の小さい人と暮らす人たちには、ちょっとした恐怖だろう。週の中頃の1日ならば、腹をくくって公園にでも行くか!と思えるけれど、3日も続くと、こちらの体力にも限界というものがある。正直なところ、こう年に何度も連休があるのは、ありがた迷惑である(祝日が何にちなんだものかも、ハッピーマンデーなんて言われちゃったら、もはや分からない)。これは「子どもと過ごす時間が幸せかどうか」という次元の話とは全然違うところにある、どちらかと言えば肉体的な問題だ。どんなにおいしいお肉でも「1キロ食え」と言われたら拷問になるのとおなじだ。

 いろいろやりたいことが目白押しなので、家にいるのが楽しくてたまらない。仕事もあるが、家であれこれやってるという状態が幸せの極み。外をウロウロしていると、どうしても小銭を使ってしまう性分なので、安上がりでもある。

 お昼はのだ屋で和風メンチカツ。野田くんのハンバーグもそりゃおいしいけれど、メンチカツのおいしさは、ちょっとよその店では食べられないおいしさだ。真のスペシャリテはメンチカツかもしれない。そしてここがポイントだが、ハンバーグは家でも作ろうと思うけれど、メンチカツはさらにもうひと手間なので、なかなかそこまでは行かないし、揚げ具合もむつかしい。ということで、メンチカツを食べたければ、のだ屋ということになってしまったのだった。


2009年01月14日(水) そういうことも

 朝からヒコと大げんか。大の大人が大げんかするな、と思いもするが、彼と毎日暮らしてりゃそういうこともあるさ…と、ようやくの帰宅後、ホットカルピスでひと息つく。今日はこまごました仕事を一気に終わらせよう。



2009年01月13日(火) 出張所あります。

 数日続きの雪。積もるかと思って…保育園に行けないかも…と覚悟していたが、そうでもなかった。でも、日々の寒さが地面や床の奥深くに層をなしてきた感じ。ストーブのぬくもりかたが遅い。
 去年の末に船に乗って以来、天気が悪い日ほど、あの日の空のありがたさを思う。「今日だったらもっと良かったのに」と思った日が、1日もない。いろんな意味でベストの日だった。そしてあれ以来、たびたび海を思う。いつも目の前に広がっている海だけれど、「思うところあって、身銭を切って船に乗った」ことで、私の心の中に「海の出張所」を作ってもらえたような気がする。これは、「長崎、長崎」と言いながら、ひそかに本籍を置いている「山陰」の存在とも似ている。

 昼はまた、みほさんの店へ。今日はアツアツの鍋だった。ちゃんぽん入り。



2009年01月12日(月) 言葉が聞こえてくる

 「顔立ちよし、愛嬌よし、手ざわりよし、鼻息荒らし。トイレはアバウト、食欲強大、テーブルの上の食べ物は食い散らかされますのでご注意!先住猫との仲は保証しかねます。」

 はるちゃんを道ばたで見つけたとき「とにかく後で里親を探すとしても、いま助けなくては!」と思って拾った。結局はすっかり家族の一員となってしまったが、これからもし里親を探すとしても、このような条件ではなかなか見つからないだろうな…。
 
 なんとなくお別れ足りなかったので、昨日に引き続き、お葬式にも行く。セレモニーって、特に葬儀関係は「死んだ人はわかりゃしないんだから、いっそのことやんなくたっていい」っていう「合理的」な意見が語られたりもするけれど、たしかにご意見ごもっとも、死んだ人のためじゃないと言えばその通りなのだが、その「死」によって、生きてる人が気持ちの整理をしたり、人間関係を構築しなおしたりする…「こんなことは無駄だ」という、その「無駄」以上のものが発生する場なのだから、そんな目の前の尻の穴だけを勘定するようなことは、つまんない。「葬式でもなきゃ会えない人」っていっぱいいて、じゃぁ、それだからまったく関係をなくしてしまった方が「合理的」かっていうと、たとえば天変地異があったときに、全然知らない人よりもスムーズに助け合える確率はかなり高いはずで、だから「年賀状だけの付き合い」っていうのも、まったくもって「合理的」だと思う。

 夜、自分が出たラジオを聞く。なんか「おっとりした変わり者」って感じだった。ライディーンという選曲は、なかなかよかった。嬉しかったのは、塚田さんが「変わった視点なんだけど、それが、ただ『変わってる』だけじゃなくて、『あぁ、わかる!』に結びつくものなんです」というようなことを言ってくださったところ。塚田さんには、塚田さんだけが持ちえている「いやみのない正しさ」があって、それが大きな魅力だ。そしてラジオって、当然かもしれないけど、言葉が聞こえてくる。それがとてもいいなぁ、と思った。




2009年01月11日(日) 「おうち」

 男同士、仲良く出かけた親子を見送り、さて片付けや仕事をしようかと思ったが、異様な睡魔に襲われて、結局3時間昼寝。心のどこかに「眠ってもいい。眠った方がいい」と浮かんではいたので、よしとする。夜は、コッコデショの取材でお世話になった方が亡くなったので、お通夜に行く。当時の町内会長さん。取材をはじめたのはいいものの、どう取材していいのか悩みつつ、とにかく毎日通っていたら、ある日、ニコ〜ッと近づいて来られて「みどりちゃんは、皆勤賞やね」と言ってくださった。そのとき、それだけでなんだか力が抜けて、自分がギラギラとどうのこうのしようということじゃなく、まずはとにかく、ずっとそばで見続けてみようと思えた。長崎の、ちょっとした、古くてお金持ちのお家のおぼっちゃま。卓袱料理を気負わず何度も食べたことがある感じ。そういう人だけが持つ、おっとりとした独特のチャーミングさ。都会の大金持ちには、また違う空気があるんだろうけど、長崎の、そういう次元に生きた人には、やはりそこにしかない匂いがあるのだ。
 長崎弁で、「あなた」のことを「おうち」って言うことがある。字で書くと「おうち」なのだが、発音はもっと微妙で、「おぅち」と「おぉち」が混じったような、さらに「おーち」と、延ばす要素もあるんだけど「ー」って延ばしちゃうと、ちょっと長い。若い人で使う人はまったくいないし、年配の方でも…私の祖母ですら、言わない。でも、一度入院されたときにお見舞いに行って、別れ際に「お大事にされてくださいね」と言ったら、会長が「おうちもがんばんなさいよ」って言ってくださって、それがもう、自然かつ完璧な「おうち」、しかも自分に向けられたものだったので感動してしまって、でも、その瞬間、もうお会いできないような気がよぎってしまって、やはりそれは当たってしまった。元気になったら、昔の話を聞かせてくださいね、と言っていたのだが、最後はとても安らかだったとお聞きして、それだけが、よかった。


2009年01月10日(土) 実はかっこ悪い。

 どんな職業でも身体を使うことに変わりはなく、そこには「あるべき使い方」が存在する。どんなに世界的なスポーツ選手であろうと、「たびたび故障する」というのは、その使い方が間違っているということに他ならない。「だからそういう意味では、タイガー・ウッズだって、プロとは認められない」

 年末に甲野先生の講習会に行って以来、肩のコリが激減したのだが、その大きなひとつは、間違いなく、この話を聞いたからだ。「たくさん仕事をしたから身体がつらい」というのは、まったく自然に語られがちな話だし、逆に「勲章」みたいに思わせたり思ってもらえたりすることの方が多いけれど、それはものすごくかっこ悪いことなんだ、と。デスクワークをして肩や背中がガチガチです、っていうのは、つまりガチガチにならない使い方ができてない、ってことだし、そりゃデスクワークは目も肩も疲れがちだけれど、その疲れが小さいうちにコントロールできてない、ってことだ。解消する方法はいくらでもあるのに。さらには、そんな状態の身体や頭からは、デスクワークだからこそ、ロクなものは生まれて来ないだろう。私が仕事で根詰めるたびに「背中がパンパンだ〜」と言っていたのは、なんとかっこ悪いことだったんだろう!…と気付いた途端、ぱかっと楽になった。曲がりなりにもプロであるならば、仕事をすればするほど調子よくなる(少なくとも不調にはならない)、ということが本来の姿なのだ。
 もうひとつ、肩こり激減の大きなわけがあるが、それはまだ…なんとなく言えない。とにもかくにも、身体の奥深さよ…。



2009年01月09日(金) それは何だっていい

 昨日までは自分のことをヒマだと思っていたが、ふと手帳を見直してみたら、けっこうやることが詰まってきていた。放置するところだった。
 お昼はまた、休みのダンナとみほさんの食堂へ。おととい私が書いた黒板が、店の階段の前に出してあった。今日のランチは、牛すじハンバーグとマッシュポテト、しじみのみそ汁。でも、それは何だっていい。他の店だったら、今日のメニューが何かということはとても気になるけど、みほさんの料理を食べたい時は、ただ「みほさんの料理」が食べたいだけなので、目に見える中身は何でもいい。お母さんに「今日なに?」って聞いて、聞くだけは聞くけど、基本、出されたものを食べるつもりで家に帰る、って感じが近い。ダンナに「牛すじカレー大盛り」を注文したら、しばらくして厨房の方からクスクス笑い声がして、どうやら「この量、ついではみたものの、多くて笑っちゃう」的な会話がされていた。果たしてやってきたのは、なかなかの量のものだったが、私も結構食べたので完食。
 豆ちゃんに行き、半信半疑だった「旅暦展」について聞いてみると、ついに3月と決まった模様。うわー。去年チラッと話をもらってから、結構何度も、夜眠れなくなったりしているが、もう腹は決まった。いいものにしたい。
 ということで早速、大きく飾りたい写真を、キンコーズに託す。半分興奮したまま本屋に寄ったら、文庫本を4冊も買ってしまう。そして「本を出して以降に考えたことを、3月までに自家製本でまとめてみよう。」と思いついてしまう。バスまでの時間があったので、無印をウロウロしていたら「これを買えば、すこし生活が心地よくなりそうなグッズ」が山のようにあって「目に止まったものを全部買ったら、どんだけ心地よくなるんだか」と思うが、それも窮屈そうだ。あったかそうなスパッツをひとつだけ、買う。


 


2009年01月08日(木) 長い枕

 朝から昼過ぎまでは、ケーブルでミーティングなど。
 私はひとりで仕事をしているので、「こないだ話したはずのことを、スタッフ間の連絡不足でもう一度話しなおす」なんていう、「組織」ゆえの効率の悪さがもどかしい時がしばしあって、ついお小言ババアになってしまう。
 夜はダンナの誕生会を、久しぶりの焼肉屋さんで。ハラミがおいしかった。

 新聞の1面下のコラム欄を読むと、いつも損した気になるのはなぜだろう。本題に行くまでの枕の長さが腹立つ。あれだけのスペースしかないとわかっていながら、延々とたとえ話みたいなのが続く。それがなんか、「筆者の教養の高さ」を褒めてやらなくちゃいけないような気分にさせられてしまうのだ。「おぉ!この話を、このニュースに結びつけなさっただか!さすがは旦那さまでげすな」てな感じで。
 その一方で、この半年くらい、新聞の小説を楽しみにしている。明治時代の(たぶん)架空の町を舞台にした、実在の人も出てくる物語。途中から読み始めたのでわからない部分もあるのだが、どんなに慌ただしい日でも、それを読む時だけはグッと入り込み、明治の空気にひたる。最近の幸せタイムの大きなひとつだ。


 


2009年01月07日(水) すでにそのひとり

 朝から消防局に電話。「おたずねしますが…、出初め式は、今日ですか?」
 そして保育園に電話。「もも組の加藤ですが…、出初め式なので、お休みします」

 去年も「連れて行ったら喜ぶだろうな」と思いつつ、丸1日ヒコと二人きりというのが、正直なところ本当におそろしかったので、行けなかった。今年はなんとか大丈夫な気がしたので、がんばってみた。初めて行く消防出初め式は、予想通りおびただしい数の消防車が並んでいて、賑やかな行進なんかもあって、ヒコは大喜び。「これはこの世の光景か?」とでも言いたげな顔をしている。そして一斉放水。驚いたことに、ふんどしや腹掛けの消防団員が、ずらりと並んだ消防車の上に乗り、江戸時代の火消しもかくや!と、まといを振りながらの放水であった。すごいものを見た。二丁目方面の人がこれを見たら失神するかもというような…。

 料理冒険家・みほさんの食堂でランチ。まだ看板も何もない、某所にてプレオープン中の食堂。いろいろ縁あって、メニューの紙を書いたりしている。ソファーがあったりして、かろうじてヒコが居やすいのもうれしい。今日はランチメニューをお知らせする黒板を書いた。今はまだ、みほさんの知り合いしか来ない店だが、本格的にオープンしたら、みほさんのごはんを必要とする人が、ひとり、またひとりと増えていくのだろう。すでに私もそのひとり。

 そして今日は、ダンナの誕生日。このところお肉屋さんで買いがちだった餃子を手づくり。ニラ玉が、いい焼き加減でできた。



2009年01月06日(火) ああ人生のライディーン

 日常、2日目。
 ヒコは写真撮影なので早く来てくださいと言われていて、しかしあまりにも起きないので、朝からかなり険悪なムードで送り出す。
 昼はこれからラジオの収録へ。本の紹介がてら出演させていただくことになったが、本来は人生について「人生の1曲」とともに振り返る番組らしい。タイトルは「あの人この歌ああ人生」。……。どうなるんだろう。私が出ちゃっていいのか?ちなみに「人生の1曲」に選んだのは…ライディーン…。YMOの中でいちばん好きというわけではないが、いろいろ話がつなげられそうだったので。どんな話だ。送られてきた進行表を見たら「女の履歴書」とかいうコーナーもあった。そんなパンチのきいた人生は送ってないが…。とにかく塚田さんにゆだねよう…。

(放送は、1月12日、夜7時10分〜。NBCラジオ。長崎のみ。)


2009年01月05日(月) 渋いスタート

 日常、スタート。
 ヒコをビリッけつで保育園に送り、混雑を味わいつつお諏訪さんに初詣。3日くらいまでの「家族初詣」もいいけれど、今日みたいな仕事始めの日の、背広のおじさんがうようよしているお諏訪さんも好きだ。普段は「大勢のおじさん」は苦手だけれど、なぜかしら、今日だけはどことなく肩で風を切ってる感じの彼らは、信心とはきっと別の人が多いんだろうけど、わりとすがすがしい笑顔を浮かべて、破魔矢など持っている。「全社あげて!といっても7人程度」でやってきている団体がいれば、そこにはやたらコンシャスな制服姿の「紅一点」がいたりして、人間関係もいろいろ発生するんだろうけど、ひとまずはお参りしている。一人事業所の私も、数年ぶりに熊手など買い、大繁盛の「たけやま」でコーヒー。
 家に戻ったら、今日やらなくてはならないことが次々と発覚して、どんどん片付ける。外で食べようかと思っていたが、用事が終わらないうちにどうしても空腹を押さえきれず、去年のカレーをあっためて食べ始めるが、半分以上食べたところで「ギリギリ…やめた方がいいかも…」と思えてしまい、スプーンを置く。お腹はこわさないと思うが、なかなか渋い仕事始めである。



2009年01月04日(日) おさめ。

 思ったより早く目が覚めて、洗濯などする。
 昨日会った友だちとヒコとお昼ごはん。最初はハルビンへ行こうとしたが、ヒコを抱いた私を一瞥するなり、ニコリともせず「お食事ですか…。むつかしいですね。小さいお子さんは」と言われて吉宗へ。ここ数年のハルビンは、行くたびに何かしらがっかりするが、今日は入れもしなかった。ま、子どもに関してはお店の考えがあるからしょうがないけど。でも「むつかしい」って、なんだろう?ダメならダメでいいのに。
 茶碗蒸しを楽しく食べて、人町でコーヒーを飲んで友だちと別れ、実家とばあちゃん家へ。途中、また別の友だちが帰省帰りに実家に寄ってくれたりして、お年玉など渡し合う。夜は久々に家でごはん。なんとなく、正月おさめ。



2009年01月03日(土) つくづく。

 人吉温泉のお湯って、なにがどうなっているのか知らないけれど、私にはとても相性がいい。もう何年も前に泊まった時も、驚くほど身体が軽くなったものだ。
 国宝になったという、青井阿蘇神社へ。古い神社が建つ土地のおおらかさって、ある面では共通しつつも、それぞれの味がある。高速道路を走っていると、町村合併がある前には町の名前が書いてあったであろう「字が消された看板」がいくつもあるけれど、人が身体で認識できる空間はそんなに広いものではないのだから、くくりを大きくすればするほど、土地への愛着や責任感は薄れてしまうはずだ。愛郷心や愛国心を本気で養いたいんだったら「平成の大分割」をやりなおせばいいのに、と思う。
 球磨川沿いを、八代まで出る。ここでも思ったことは、風土の違いと、それによってそれぞれの土地に住む人の考え方や感じ方には、たぶん、驚くほどの違いが出るであろう、ということ。深い山をうねる川のそばに暮らす人と、日当りのいいお気楽な港町に暮らす人が、たとえ同じ言語を話していたとしても、では、おなじ感覚でおなじ意味を込めて話しているかといえば、おなじであるほうが不自然であろう。ただし、そこにはまた、入れ子のようにかわるがわる、いろんな次元での普遍性みたいなものがちらちらと見え隠れしているのもまた、本当なのだろう。
 いろんな事情がからみあって、お昼は玉名のお好み焼き屋さんへ。夜は高校の同窓会なので早めに長崎へ向かった…つもりが、事故の渋滞で大遅刻。最初は誰と何を話していいかわからなかったが、結局は、高校でも仲の良かった友だちと5年ぶりに会ったこともあり、3次会まで行く。話したことがなかった人とも話したりしたけれど、話が続いたのは「今のこと」を話せた人だけで、同窓会に行っておきながら、つくづく昔のことには興味がないんだな…と思う。ホッとしたのは、当時付き合っていた人が「子どもは小学2年生」と言っていたこと。まぁ、いろいろあったので、遠い日の肩の荷がおりた感じ。うれしかったのは、名前すらも知らなかった人から「ケーブル(TV)の、長崎弁の歌のコーナーが好きです」と言われたこと。ペコロスファンがこんなとこに!
 もう会うこともないかもしれない人たちよ、どうぞ幸せに!



2009年01月02日(金) 宮崎ポカン。

 安さで選んだビジネスホテルは、どう見てもかつてワンルームマンションだった感満点だったが、期待していなかった朝ごはんがおいしかった。もちろん高い材料を使っているのではないのだが、作っているおばちゃんたちの人の良さが満ちあふれていた。オムレツはふんわりとろとろ。特にオムレツ好きじゃないにも関わらず、ぱくぱくと食べてしまった。
 宮崎神宮で初詣。宮崎らしく神武天皇が祀られているらしいが、驚いたのはそのポッカリ感。駐車場も広ければ、参道も広くて、階段を昇ることもなく、しかもあちこちの方向から参拝客がやってくる。これがお諏訪さんなら、押し合いへし合い長坂を昇るところなのに。いささか拍子抜けしつつ、おみくじなど引く。拝殿横では詩吟のステージ。どこまでもポカンとしている。ポカンと言えば、青い空。雲ひとつなく、やたらと空が高い。長崎の冬では、どんなに晴れてもこんな高さはない。おなじ九州でも、風土は様々なのだ。
 赤ちゃんに会いにいくと、もう、昨日の夜とは顔が違っていた。ほやほや湯上がりな質感も、少しだけ乾いていた。すごい、すごい。
 またもや男4人と私で、宮崎名物・チキン南蛮を食べに行こうとするが、おそろしいほどの行列。2時間近く車や徒歩でウロウロして、ようやくたどり着いたのは…正月早々…ラーメン…。宮崎まで来て、なぜラーメン?と自問自答しつつ、なかなか当たりの店だったし、風土同様、ラーメンの味も、北部九州では味わえないものだった。
 息子たちを移動牧場で遊ばせていたら、あっという間にお別れタイム。赤ちゃんと記念撮影。次に会う時には、もう名前もついているんだろうし、新生児でもない。もちろん大人だって、おなじ時は2度とないのだけれど、赤ちゃんは、それがありありとしている。
 夕焼けに浮かぶ霧島連山を見ながら、人吉温泉へ。古い建物の旅館に泊まる。私らの部屋は、その昔ここが料亭だったころ、政治家の談合などによく使われたという説明書きが。嬉しいような嬉しくないような…。
 


2009年01月01日(木) 濃い元日

 カーテンを開けると、雪。びっくり!
 実家でお雑煮とおせちを食べて、宮崎へ出発するころには晴れてきた。3時に出て、7時過ぎには到着。さっそく赤ちゃんを見に行く。素晴らしきかな、新生児。あの、見た目は小さいのに、無限のものが畳み込まれているようなたたずまいは何なのだろう?先生が「産ませ上手」だったのもあって、なんと「2いきみ」で産んでしまったという友だちは、産後の疲れも見えず、「なんかあったっけ?」って感じだった。夜は宮崎名物、地鶏の炭火焼を、友だち夫と息子と一緒に。「丸万」という有名なお店の支店が開いていた。昔、宮崎に来た時は本店に行ったが、ちょうど野球のキャンプがあっていた時で、巨人の中畑が、飲み屋のお姉さんらしき人たちとやってきていたのを思い出しつつ、久しぶりの炭火焼が異様においしくて、ビールも2杯飲む。
 友だちが入院している病院は、繁華街のすぐそばにあって、その「繁華街」も、飲み屋さんにとどまらず、特殊な浴場や宿泊施設などに隣接している。呼び込みのお兄さんや、くわえ煙草のおばさんの横を通っていくのだが、その人たちにヒコが「こんにちはぁ〜!」と挨拶したりして、頼もしい。ごはんを食べにいく途中では、ホストっぽいお兄さんに「ぼくイケメ〜ン!」と声をかけたので、一瞬ヒヤリとしたが、お兄さんは受けていた。元日の夜からネオンの灯るソープ街には、轢かれたてとおぼしき猫が転がっていたりして、宮崎おそるべし、である。
 それにしても元日から、濃い。


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