ぴんよろ日記
DiaryINDEXpastwill


2008年10月31日(金) いつまでもこの人たちを

 昼、ついに「おくりびと」を観て、こないだ借りた本を300ページほどコピーしていたら、あっという間にお迎えの時間。大充実の午後。映画って、どんなに好きな感じのものでも、だいたいは心のどこかで終わる時間をカウントしてたりするんだが、「おくりびと」は、いつまでもこの人たちの様子を見ていたいと思った。あと3時間くらいは余裕で見ていられる感じ。だからといって「薄い」わけじゃなくて、濃いんだけど丁寧だから、いつまでもその世界にいたい、というか。そして今更ながら、山崎努って、いいなぁ。あれがたとえば緒形拳だったら、あの世に傾きすぎちゃうだろうけど(ほんとにあの世に逝ってしまわれたが)、山崎努の現世感が絶妙なバランスだった。個人的にはあまり得意でない「ヒロスエの透明感」も、あの映画の中では、ありだった。


2008年10月30日(木) すべてオーライ

 沖縄行きの予約をしに、旅行屋さん(?)へ。すごくさばけるお兄さんだった。日にちがギリギリだったのだが、「間に合いますか?」って聞いたら、絵に描いたような間髪入れなさで「行けますっ!」と言われ、その瞬間、この旅のすべてがうまくいくような気にさえなった。その後も、まったく無駄のない動きで、あっという間に最善のプランが決まった。感謝。そしてついに妹の息子…甥っ子が見られる!楽しみだ〜!


2008年10月29日(水) それ、当てる!?

 どうしても保育園へ行きたがらないヒコ。もう1日休息が必要な感じもしたので、仕事をキャンセルしてもらい、一緒に眠る。今はそういう時期なのだろう。これが過ぎれば、またパワーアップ…。事実、おととい、眠っているヒコが妙に大きくなった気がしていたのだが、昨日、父に会ったら、どう考えても大きくなっている気がすると言う。おしゃべりもバージョンアップしている。さらには横になると足の「成長痛」とやらを訴えるヒコ。やはり大きくなっているのだ。
 車関係については、もう私の認識を大きく超えている。何十台もあるトミカは、もはや何を持っているのかわからない。道を走っていて「あのトミカ、ヒコ、もっとるよ」と言われて「えー、そうやったかなぁ、買ったっけ?」と反論して、私が正しかった試しがない。昨日などは、夜、実家から帰る時に、向こうの道を一瞬走り抜けた車を「いわい(岩屋。ダンナの実家)のバーバのくるま。いろちがいの」と言うので、まさかと思って追いかけてみたら、本当に同じ車種の色違いだった。夜だったのに!しかも黒だったのに!そのうち、エンジン音を聞いただけで車種を当てるようになったりするのだろうか(ダンナはそうだったらしい)。

 ひたすら眠るヒコ。ゆっくりお休み。



2008年10月28日(火) ひそめる

 こまごました用事を済ませ、買い物をして家に戻ってひと息ついていたら、ピンポーンとインターホンが鳴った。「電話の鳴り方で、死にそうな人からか、そうでない人からかわかった」のは、昨日の日記にも書いた野口晴哉氏だが、私もなんとなく、玄関のピンポンだけは、自分にとっていいものかそうでないものかは、わかる。鳴り方が…なんか、あるのだ。これまで、イヤだな、と思いつつ出ると、まずロクなことはなかった。今日のも、出るべきじゃなさそうだな、と思ったので出なかった。その後に続いたノックの音も、もう一度押されたピンポンも、去っていく足音も、やっぱり触れたくない感じだったので、あぁ良かったと思いつつ、じっと息をひそめた。なんだったのかはわからないけど、たぶん、出なくてよかったのだろう。
 …というよりも、マンション生活においては、事前の連絡もないいきなりのピンポンに、だいたいロクなことはない。

 静かな午後。今日は早めに迎えにいこう。



2008年10月27日(月) 少し困りますね。

 ヒコと二人、完全休業日。発熱と下痢を経過し、ひたすら眠り続けるヒコ。この秋さまざまに蓄積した疲れや不満や寂しさ諸々を一掃している感じだ。眠るヒコの傍らで、しみじみと野口先生の「風邪の効用」を読み返す。

 「だから風邪の経過を本当に考えるとなると、やはり体だけでなくて、その人の深層心理の動きといいますか、私の病気を安く見積もって失礼しちゃうなどという、その奥の心も見なければならない。
 そういう心が起こると、それが抵抗になり風邪がなかなか治らないのです。…欲しい物が貰えなかったり、よそに注意が行って自分には注意が向けられないと思っている子供達が風邪を引いたりしたような時は、そういう機会にそういう要求を果たそうとする動きが起こる。」

 でも、

 「言い忘れましたが、不平とか不満とか、或は反抗とか、そういうことが風邪になることがあるとしても、それを除かなければ風邪が治らないのではないのです。…相手が甘えたがれば充分に甘えさせるとか、…風邪を引くような心に同調する必要はないということです。それに同調しようと思ったら大変で、…風邪を治すために腕時計を買ったなどという人がありましたけれども、…それが叶えばまた次の不満が出て来るのです。…むしろ風邪によってそういう不平や不満も治ってしまう、自分から気落ちしてしまうような心まで治ってしまう、そういうように空想の方向づけを行うことが大切です。」

 風邪、深い…。

 でも、今回の再読でいちばんグッと来て、なおかつ爆笑したのは、

 「刀によって一気にバサッと斬ってしまうようなことは本当ではない。神経痛の痛みを止めることだけでも、いろいろな薬を使って一気にバサッと止めようとします。京都でイルガピリンを使いすぎて死んでしまった人がおりましたが、死ねば確かに神経痛はなくなるでしょうが、少し困りますね。バサッと一気にやろうとすることは、殺すにはよいが、活かすには向かない。…」「パッと良くするということにはどこかにインチキがあり」「一気呵成とか、快刀乱麻とかいうことを求めて処理しようとすることは、活かすことの逆の方向に向かせてしまうことが多い。」

 「少し困りますね」というところが最高!



2008年10月26日(日) 税金

 昨日から、小国の友人一家のところへ遊びにいったが、いつも行く焼肉屋さんが貸し切りで入れなかったのをはじめとして、第二候補のホルモンにも第三候補の豚足にもフラれるなど、様々なトラブルが生じた。しかし、それはすべて、ひょっとしたら私たちを家まで無事に帰すための「税金」であったのかと思うほど…車の調子が危うい。来年2月の車検までは、と思っていたが、それまで持たないかも、という結論に達しつつある。近所に、まったく同じ車種のものが一台あって、それなんか野ざらし駐車場なので、ボンネットなんてもはやガサガサのベラベラになっていて、それに引きかえ我が家の彼はまだピカピカなのだが、まさか先に事切れるとは…。とにかく毎日乗るものなので、切実だ。どうなるんだ。
 小国では、本当なら、フリーマーケットで、手作り石けん屋「MOGGY SOAP」と、料理本だけに限定した、食いしん坊のための古本屋「HAL BOOKS」をオープン予定だったのだが、雨とヒコと車の不調で実現せず。でも、友人一家と、おいしいものを食べながらいろいろ話せたので、この旅は良しとする。


2008年10月23日(木) それで飯食うな

 昨日から今日にかけて、いろんなできごとやらお知らせやらが、流星群のように現れるが、うれしかったのは、POPを持って訪ねた好文堂で、2位の記念写真を撮ろうと思ったら、なんと1位になっていたことだった。私、市川森一、東野圭吾、五木寛之…である。今のところ、2度テレビに出していただいただけで、中央橋に立って街宣したわけでもないのに、ありがたいことです。
 それにしても昨日は、長崎の町歩きの取材のようなものに同行したのだが「昼の時点でカメラのメモリ残量が怪しくなり、小さなデジカメで撮影。あげくの果てはライターさんが記録用に撮ってるのを見て『あ、撮ってるからいいや』と一人言で豪語」するカメラマンを初めて見た。そして「何もディレクションせず猫ばかり追いかけ、時々的外れな思いつきをデキる女風に言い放つ」編集プロダクションのねーちゃんという人種とも初接触したが、こんな人たちとも付き合わなくちゃいけない都会のライターは大変だ…。用事もあったので、途中でライターKさんを残して去ってしまったのが心残りだった。申し訳ない!


2008年10月22日(水) 「キ……イ?」

 毎日、朝が早い。遅くとも6時半には、飢えを訴える2匹の生き物が私を囲み、しつこく肉球パンチ(時々爪)が繰り出される。2匹は、普段はさほど仲が良くないくせに、この時だけは結託し、1匹に背を向けると、寝返ったその目の前にはもう1匹が殺気だって座っているという始末。イヤでも起きざるを得ず、それならば、と、仕事したり、本を読んだり、こうして日記を書く時間に当てることになっている。今朝はこれから、書店用のpopを製作する。昨日描き上げて、カラーコピーしてきたので、段ボールに張る作業だ。
 昨日、どうせまた夢彩都に連行されると思っていたので、紀伊国屋の分だけは作って持って行った。しかし、突然、暴れる子どもを抱えて髪を振り乱した女(その前に寄った文房具屋で、家にある色鉛筆を買いたがって一悶着)が、封筒にも入れない段ボールを2枚差し出し、「あそこに本を並べてもらっている者ですが、これ、どうぞ使ってください」と訴えてきたら、まずは「キ……イ?」と思うであろう。最初はかなり怪訝そうな顔をしていた店員さんであったが、間抜けな龍の絵を見るうちに合点が行ったらしく、最後は笑顔になってくれた。使ってくれるかどうかはわからないが。



2008年10月21日(火) なんとまぁ、あさってだ!

 どっさりと後回しになっていた用件をこなす。ひとつひとつは小さいが、積もりだすと、意外に心に重くのしかかる。今朝は、1週間ほど前にヒコの手によって、いわゆる「あさっての方向」にねじれたメガネを、メガネ屋さんに持って行った。そしてあまりの「あさってっぷり」に、店内がなごむ。でもなんとか直りそうで良かった。
 この調子で用件をこなしていこう。

 


2008年10月20日(月) 商売は難しい。

 朝から入れていた仕事が後日になったので、今日が最終日の対馬展とくんち展、常設展に古写真展…と、まとめて2時間ほど見る。最近、あれやこれや、今まで考えもしなかったことが心に引っかかっているのだが、その目で見ると、見たことあるものでも、まったく違って見えた。だからやっぱり、すべてのことは、目の前にあるのだ。ぜーんぶ目の前にあるのに、見てないだけなのだ。
 「見えてない」といえば、博物館のショップに私の本が並んでいて、カステラ色だけにかなり目立っていたのだけど、ちょうどそこにいた中年夫婦の目にはまったく止まらなかった様子。夫は文献社の「旅する長崎学」シリーズをブツブツいいながら物色し、妻は「美味しんぼ」の長崎の巻を何度も手に取っては戻して…を繰り返し、結局買わず。見てもらうのは、難しいなぁ。
 買い物をして、さえないランチを食べて、テレビの音がうるさくて早くお店を出たかったのでバス停に行ったら、あと20分バスが来ないので、久しぶりに図書館に寄ってみた。そしたら思いがけず、館内専用だと思っていた本が貸し出されていたので、嬉々として借りる。



2008年10月18日(土) あれはやはり特別だった

 もう何年も使ってきたヘアクリームが新バージョンになっていた。これまでもパッケージのデザインは何度も変わったけれど、今回は「無香料」だったのが「微香性」に変わっていて、かなり動揺した。この手のものが無香か微香かって、ものすごく大きな差だ。安っぽいピーチみたいな香りがするので、なんだか自分が色気づいた女子高生にでもなったかのような気分がして落ち着かない。よりによって2本も買ってしまったが、いつか慣れるのだろうか。私はまだしも、ダンナもこれを使っているのが、ちょっと笑える。ピーチな36歳。

 午前中はヒコの運動会。まだ眠たかったのか「泣きわめいて私にすがりつく」という、いちばん悪いパターンに陥る。それでもなんとか走ったり行進したり。とにかくなんとか乗り切った。これを思えば、くんちの朝のあの立派さは、やはり子ども心にも特別なものを感じたからこそだったんだな、と、あらためて感じ入る。



2008年10月17日(金) 森一と寛之のあいだ。

 朝、親戚のおばちゃんから息を切らせたように電話があった。お隣さんに「長崎迷宮旅暦」をプレゼントしてくれたらしいのだが、その人が「好文堂(浜の町の老舗書店)の週間ランキングで2位です!」と電話してきたというのだ。おおおおお!しかも1位は市川森一さんの「蝶々さん(上下)」、3位は五木寛之さんらしい。なんという渋い顔ぶれ…。「蝶々さん」は2冊同時発売だから、そうじゃなければ…なんて欲張りはさておき、単純にうれしい。来週はPOPなど作ってみるつもりだ。
 午後は西日本新聞の取材を受ける。話し始めるとどんどん大風呂敷になってしまい、たぶん、なにがなにやら、という感じを受けられたであろう…。

 夕方、「ペコロスの唄地図」がオンエアだったのであらためて見たら、これまた喋りまくっている自分がいて、軽く「誰だこれ?」と思う。自分にとっての自分像は、何を聞かれてもポツリ、ポツリ、と、熟慮しながら話す人なのだが…。



2008年10月15日(水) 最善

 昨日の夜は竹ン芸を見に行った。駐車場がなかなか空いていなくて、着いたらもう始まっていたし、人も境内からあふれていたけど、ヒコも肩車して、なんとか見ることができた。肩車って、自分のほかに女の人がしているところを見たことがない。その姿で知っている人に会うと、大抵、驚かれたり笑われたりするけど、時と場合(人ごみの中で見物するときなど)によっては抱っこより楽なので、活用している。
 車のおもちゃが壊れたので、針金で修理。たぶんこれも、世の「お母さん」はあまりしないことなのかもしれない。「お父さんに頼みなさい」と言うことが多いタイプのことかも。ただし、私は「お母さんぽい」ことの横綱である「お菓子づくり」にあんまり興味がないから、ヒコにとっては「ママの手づくりお菓子」や「一緒にお菓子づくり」方面が望み薄、だ。すまないねぇ。

 午後、保育園でお誕生会。王様のようにステージに座り、全部の組の子たちから歌を歌ってもらったり、おめでとうを言ってもらったりするヒコ。「ありがとう」もはっきりちゃんと言えている。ちょっと目頭が危なくなった。お誕生会もありがたいけど、こうして親を呼んでくれるところが、さらにうれしい。お茶とおやつも出してもらい、ヒコと並んで食べる。うるうる。

 夜はジージと3人で誕生会。おいしいお肉を食べて、ケーキを吹いて、これまたご満悦のヒコ。ダンナも仕事で遅く、バーバは沖縄。なかなか意外な面子での誕生会だったが、とても楽しかった。誰かがいない、とか、何が足りない、っていうようなことを嘆いても仕方ない。いるもの同士が、あるものを十分に楽しめばそれが最善なのだ。



2008年10月14日(火) 石の上から

 3年前の明日、ヒコが産まれる。
 …ということで、ヒコの大好きなシュークリームのケーキを予約し、3年前の今日を思い出しつつ、その日食べたアフタヌーンティの「小エビのグリーンソースパスタ」を、ひとりしみじみ食べに行く。たいしておいしくないが、感慨が深いので、そういうおいしさだ。店とメニューがなくなっていなければ、来年もたぶん食べるだろう。

 東大合格者のノートを集めた本と、「ほぼ日」手帳の本を買う。別に東大に合格したいわけでもないのだが、「ノートが埋め尽くされている光景」というのが、自分でも理解不能なくらい好きなので、それを堪能するために。まぁ、もちろん、それだけだというと変態に近くなるので、これからの勉強や出力に参考になれば、とも思って。自分自身の「ノート」に関する能力については、イマイチだってことがよくわかっているので、できれば改善したい。これからやってみたいことは、たぶん、ノートを必要としていると思う。ヒコが3歳になる…石の上の3年が過ぎたとともに、私もなにかをスタートさせようとしているようだ。

 今、夕方4時。3年前の今ごろは、部屋の片隅でうなっていた。陽射しの傾き具合や、部屋の空気の湿度や温度が、まるで3年前なので、その時のことをいっそう思い出す。どんどんお腹が痛くなり、ヘロヘロとシャワーだけ浴びて、ひたすら丸まってうなっていた。…そんなことを、朝、ヒコに話したら、とても喜んでいた。「ヒコ、うまれたと? おぎゃー、って?」なんて言って。今夜は竹ン芸を見に行く約束をした。



2008年10月13日(月) さびしい消防署

 数日前から母が妹のところ(沖縄)に行っている。今月いっぱい帰ってこない予定。ヒコにとっては、つまり「大好きなバーバの長期不在」である。日を追うにつれ、そのことがジワジワと察せられたらしく、今朝も「バーバんとこ行く」と言うので「バーバはね、ちょっと、しばらく、いないんだよね〜。遠くに行ってるの。お仕事…みたいなもので…」とお茶を濁していたら、ついに「さっちゃん(妹)とこ?」と、核心を突かれた。昼間、実家でジージと遊びつつも、「バーバにあいたい」「さびしい。ヒコ、ないちゃいそう」と、バーバが聞いたら即号泣的な発言を繰り返し、眠さもあいまって、ご機嫌の雲行きは暗黒状態。そこで、これはもう、あと半月も隠し通せるわけもなし、ちゃんと話せばわかってくれるに違いないと腹をくくって、すべてを話すことにした。話さないほうがいいかな、と思ったのは、一週間ほど前、実家で妹の子どもの写真を見ながらワイワイしていたら、翌日、思いがけず保育園で荒れまくった事件があり、それがどうも、ヤキモチから来たものだったからだ。でも、その時もちゃんと「みんなヒコが大好きなんだ」と話したらわかってくれた。だから話すことにした。「ヒコが大好きなさっちゃん」が赤ちゃんを産んで、赤ちゃんを産んでしばらくは体がとてもきついので、ごはんを作ったりお掃除したりできないということ。だれかが手伝わなくてはいけないということ。さっちゃんはバーバの大切な子どもだから(ヒコがかあさんの大切な子どもだってことと同じように)、バーバがしばらく手伝いに行ったのだということ。さっちゃんは飛行機で飛んでいく遠いところにいるので、行ったり来たりが難しいので、しばらく行ってるんだ、ということ。また帰ってきたら、たくさん遊んでもらおうね、ということ。
 ヒコはジーーーーッと口を結んで聞いていて、わかった、と頷いた。そのあとMrMaxに行ったら、トミカの消防署を離さなかったので、「今日は、ちょっと寂しいのが大きかったから、特別だよ。いつもは小さいトミカひとつだけだからね」と釘を刺しつつ、購入。こんな理由で「安易に物を買い与える」と非難されるならば、いくらでも受けて立とう。「ヒコね、さびしかったけん、しょうぼうしょ、うれしい。バーバね、さっちゃんとこに手伝いに行ったとよ」とダンナに話すヒコは、間違いなく一回り成長したと思う。えらいぞ、ヒコ。



2008年10月12日(日) 牛歩ながら

 昨日の夜は、いつもの焼き鳥屋さんで、ささやかに打ち上げ。ヒコもラムネで「おくんちおつかれさま〜」と乾杯した。

 コツコツと部屋を片付け中。あまりにコツコツすぎて、散らばるミニカーや猫たち爆走による散らかりに追い越されつつ。お昼にはテーブルも到着予定だし、牛歩ながらも、暮らしやすい部屋に近づきつつある。読みたい本も、撮ってみたい写真も、書いてみたいこともたくさんだ。この秋冬を、じっくり過ごそう。



2008年10月11日(土) 無防備なおこもり感

 7〜8年ぶりくらいに、パーマをかける。くんちに向けて伸び放題だった髪だが、伸びてみるとそれもまたいいかな、なんて気になり、そんじゃまぁパーマでもかけてみようかな、という気になった。
 朝から電話したら、10時が空いているというので、ヒコを送って、そのままいつもの美容院へ。雑誌などを見ながら、美容師のお兄さんと「これくらい?」「もうちょい強めかなぁ…」などと探していたら「無防備な色気のヨーロピアンウエーブ」という、書いていて気恥ずかしくなるようなコピーが付いているものが、いちばんイメージに合っていたので、そんな感じってことで、巻いてもらう。グルグルと熱をかけられている間、久しぶりにホットペッパーを熟読。写真の使い方やコピーの斬新さに、思わず笑ってしまっていたら、お兄さんが「ホットペッパーで笑ってる人、ほんと、初めて見ました…」と、かなり怪訝そうにしていた。だって、個室の説明に「おこもり感」なんて書いてあるんだもの。いいなぁ〜「おこもり感」。かまくらの中にいるみたい。ちょっと息苦しいくらいの密着度だ。イヤな奴とは絶対に行きたくないな。
 などと、非建設的なことを考えていたら「無防備な色気のヨーロピアンウエーブ」が完成。なかなかやる気ない感じの、ぐだぐだした髪になった。
 お昼はばあちゃんに会いに行く。新大工の市場で買い物する難しさについて、深く語り合う。(ちょっと馴染みになっちゃうと、買わない日は遠回りしなくちゃいけなくなったりして、道順を考えるのが大変、など)



2008年10月10日(金) 近づくことは近づくことに過ぎない

 ただいま朝の9時前。ヒコはまだ起きない。3日間、がんばったからなー。起きるまで寝かせてよう。
 部屋が荒れ放題。明日がっつり掃除しよう。そして、あさって、テーブルが届けば、そこからまた、新しい日々が始まるのだ。
 くんちは、神さまたちがリフレッシュする時でもあるけれど、私の中の何かも、生まれ変わった気がする。祭りはやはり、それをする人たちのものだ。チョロチョロと子どもに付き添っただけなのに、これまでとはまったく違う感覚に包まれた。関わった時間から言えば、コッコデショの時のほうが断然長いし、密度も高かった。でも、ものすごく近づきはしたけれども、それは限りなく近づいただけで、その「内と外」には、途方もなく大きな隔たりがあったのだ。くんちのことだけでなく、「近づく者」は、自分が近づけたことに重きを置くけれども、それは時に大きな思い上がりだ。巷にあふれている通りすがりのような取材と出力は、むしろ、罪だ。

 


2008年10月08日(水) 少しだけでも

 くんちの3日間、ダンナも撮影&抱っこ要員で付き添っていたが、ここへ来て初めて「出たいと思う人の気持ちが少しだけわかった」らしい。これまで10年以上、中継や取材で、それこそ毎年のように「諏訪の本舞台」に居合わせたダンナは、それゆえに「くんち=仕事」だったし、長崎で生まれ育ったわけでもないから、つまりはいくら私が「そばで見られるなんて、うらやまし過ぎる〜っ!」と地団駄踏んでも「こっちは仕事!」と言い返されるのがオチだったが、仕事ではなく、そして町の人に近いところで(最終日など、背中に「龍」と書かれた町のTシャツを着て参加)過ごしたからか、ジワッと来るものがあったようだ。来年以降の取材にぜひ活かしてくだされ!



2008年10月07日(火) あたたかい真空

 3時過ぎに起きて、着付けへ。いよいよだ。6時にヒコとダンナと合流。いつもは8時になっても9時になっても起きないヒコだが、耳元で「くんちだよ」とささやいたら、ガバ、っと起きたらしい。
 諏訪町へ着くと、もうたくさんの人が来ていた。本番の前のそわそわ。踊りの瞬間だけでなく、このそわそわも、祭りの醍醐味だと思う。テレビを初めとする、様々な「伝えるもの」は、どうしてもこの部分を切らざるをえないという運命にある。「見るのとするのじゃ大違い」とは、よく言われることだが、この時間を味わうことこそが、参加者の特権かもしれない。中落ちやまかないの旨さ、にも、ちょっと似ているかもしれない。
 赤いターバンを、町の人に巻いてもらう。他の子どもたちも、どんどん巻いてもらっている。その光景を見ているだけでも、胸に迫るものがある。親や先生以外の大人から、こんなにも掛け値なく子どもたちが接してもらえることは、どんなにか宝物だろう。夏の間の厳しい練習を、ともに過ごした人間同士として、ひとつもお互いの顔色をうかがうことなく、変な期待もせず、見返りも求めず、ただひとつの目標に向かって、すがすがしく笑い合いながら、ターバンを巻き、巻かれる。もう、この時点で、涙腺が危ない。
 静かにシャギリを聞き、お諏訪さんまでの道のりへ出発。ヒコも神妙に歩いている。普通だったら「はいどうじょ(ヒコ語で「抱っこ」の意。自分自身を「はいどうぞ」と差し出している)」が出てもおかしくない距離なのに、そんなそぶりは見せない。
 踊り馬場のソデに着くと、心臓はかなりバクバク。ヒコの手をしっかり握りなおして「がんばろうね!」と言うと、頼もしげにうなずく。争奪戦のジャンケンに負けたので孫龍は持てないけれど、くんちの諏訪の踊馬場を踏む時が、ついにやってきた。
 踊馬場の三方は大観衆。すり鉢の底が、踊馬場だ。これまで、観客席にも中継席にも出演者のすぐそばにもいたことがあるけど、出演者としてこの場に立つと、風景はぜんぜん違っていた。予想していた厳しさや恐ろしさ、人が迫り来る感じ…とはまた別のもの(もちろん、私はただ子どもの手を引いて歩くだけだから、演技をする人とは全然違うとは思うのだけど)に包まれた。それは、なんともいえないんだけど、強いて言うならば、「あたたかい真空」みたいなものだった。人肌くらいの、そんなに湿り気はなく、濁りもなく、騒々しいんだけど静かで、人の顔すべてがはっきりと見えつつ、でも、識別できない…。とにかく、目の前にあるんだけど、ない、っていうような…。
 階段を下りたら、龍囃子が聞こえてきた。あぁ、終わったんだな。遠くでうねる龍をバックに、ヒコの写真を撮る。「たけやま」さんに寄って、人心地。

 「7日の朝のお諏訪」が特別…むしろそれがすべて…だってことは聞いていたが、確かにそうだった。公会堂、お旅所、八坂神社…それ以降の場所は、とても楽しんだ。7日の夜の公会堂では、念願の「玉」を持って、かなりご機嫌のヒコ。深々とお辞儀をして、笑いを誘っていた。8日の夜は、お旅所に遊びにさえ出かけた。9日のヒコに至っては、慣れとくたびれで朝も起きられず、行かないと言い出す始末だったが、この日の「孫龍争奪くじ引き」では、ジャンケンに弱い母とは逆に、みずから「頭(!)」を引き当て、玉とはまた違ったよろこびを感じていた模様。

 夜は、アーケードへ。かなり電池切れな感じのヒコだったが、そこはお祭り男。川船の姿が見えると、がぜん元気になり、龍と一緒に町へ帰るころには、ずっと踊っていた。最後のシャギリを聞いて、みなさんと乾杯。本当にありがとうございました!


2008年10月05日(日) 様々なこまごま

 昨日届いた100枚の手ぬぐいを折ったり、それに付けるのし紙を買いに行ったりの雨の日。のし紙は、数日前に別の文房具店に寄ったら「今売り切れました」と言われた。くんちでは膨大な数の手ぬぐいが渡し、渡されるが、そののし紙だけでも大変な需要である。おとといの庭見せでも、贈り物に付けられた膨大な数ののし紙を見たし、「花紙」だって何万枚だろうし、とにかく、くんちにまつわる「様々なこまごま」って、すごい数だ。ヒコの衣装の腰に巻く黄色い布(しごき)も、浜の町の呉服屋さんに行って、それらしきコーナーを見ていたら、「黄色のしごきですか?」ってすぐ聞かれた。のし紙、ご祝儀袋、衣装、洋服、着物、Tシャツ、靴、会合飲食費…いったいどれくらいの「様々なこまごま」があるのだろうか。
 「様々なこまごま」。それぞれはいくらでもケチれる。のし紙だって安いのも高いのもある。のし紙自体、いらないものと言えばいらない。ご祝儀袋だって、つまりはお金さえ渡せばいいのなら、茶封筒だって文句は言えないし、裸銭でもいいのである。子どもたちの付き添いをする親の着物だって、本人が思うほど誰も見ちゃいないので、安物でいい。そんな考えで行けば、なーんにも意味がない。誰も見ちゃいない着物を3日それぞれに変えるなんて、バカ以外の何者でもないだろう。
 でも、じゃぁ、そんな考えのもと、「様々なこまごま」を、片っ端から安物にして、簡略化して、合理化してしまったらいいんだろうか。演し物さえそこそこなら、付き添いのお母さんが普通のブラウスとスカートでもいいんだろうか。それはやっぱり違うと思う。そんなこと言いだしたら、突き詰めればくんちそのものが無意味なことになってしまう。
 意味があるとか無いとか、もー、そんな野暮なことは言いなさんな、と思うけれど、それでも「意味」にこだわるとすれば「無意味なものにお金と時間をかけることだけが、もうひとつ上の次元の意味を生み出すことができる」と、手ぬぐいを折りながら考えたりもした。(しかし手ぬぐいは、買ったのし紙とサイズが合わず、100枚全部折りなおし。涙。)


2008年10月04日(土) 「玉」取れやぁ!

 人数揃い。初めて衣装を着て得意げなヒコだったが、私が「7日の朝のお諏訪で孫龍を持つ権利争奪ジャンケン大会」で見事に負けてしまい、よって、今日の行列の孫龍も持てないとわかり(初めは7日の朝に持つ子が持つことになったので)、突然不機嫌に。暑さもあって、終止むっつり。しかし懸念されていた抱っこ攻撃はなかった。彼なりに歩かなくてはならないという自覚があったのだろう。町内をかなり長く歩いたけれど、一度も抱っことは言わなかった。途中、孫龍の交代があったので、すかさず走り、玉を持たせる。ヒコはとにかく「玉」希望の男だったので、みるみるご満悦の顔に。よかった…。一生恨まれるところだった。
 「7日の朝」は負けたけれど、その日の夜の公会堂は「玉」を取った。ふふふ…ケーブルで中継されるのだ。
 それにしても、慣れないヒールを履いてアスファルトや石畳を歩いていたので、終わるころには全身に痛みが走った。いつもヒールを履いてる人は大丈夫なんだろうか。夕方、オヤユビキングに駆け込み、なんとか事なきを得る。
 夜は朝日屋で一杯。最高に気持ちの良い季節だ。



2008年10月03日(金) がっちりごっちり

 清原が引退した。なぜかたまたま引退セレモニーを見ていて(ダンナがチャンネルを合わせていたのだが)、思いがけず、喪失感というか、やめちゃうんだ…と、寂しい。妹がファンだったので、西武時代に平和台に見に行ったこともあるな、そういえば。近年は、がっちりごっちりたくましすぎるほどになっていたけど、最後の挨拶では妙に朴訥で、あぁ、こういう人は大変だな…自分が自分であるために、逆に自分をがっちりごっちり武装しなくてはならないことも多いんだろうな…でなければ、イチローのように別次元にそよぐしかないのだろうな、と思う。

 夜は庭見せ。全町まわったが、その間、ヒコ氏は一歩も歩かず。新大工では肩車。あんまりだ…。



2008年10月02日(木) そのどちらもが

 あいかわらずメールの着信音はシャギリで、その音を聞くとヒコは「とうさんだよ」と言うようになった。(メールを送って来るのは、ほぼダンナなので)
 しかし、昨日、突然ググーーーーッと秋めいた空気の中で、メールが届いた…つまりシャギリが鳴ったのだが、いやはや、ほんと、シャギリはこの空気の中で聞いてこそだな、と、単なるいつもの着信音なのに、じわっと来た。秋の空気だけがあるのでもなく、シャギリだけがあるのでもなく、秋の空気とシャギリがあるのである。
 というわけで、明日は庭見せ。あさってはいよいよ人数揃いだ。



2008年10月01日(水) 3日分。

 なんだかちょっと、めまぐるしい昨今。
 月曜日は、朝からテレビに出た。本の紹介をさせてもらう。終わったあとに番組のプロデューサーと話しているとき、本のベースになっている姿勢について「正面から入りつつ、今まであまり見られて来なかった部分を書いてる」というようなことを言ってくれたのが、とてもうれしかった。だいたいいつも「斜に構えている」と言われがちなので。でも、私の中では…特に今回の本は、私なりの「正面」から入ることを、本当に心がけたのだ。
 午後はテーブルを探してうろうろ。しかし、テーブルを買う前に部屋を片付けなくては!と、ごそごそ模様替え。そしてこの部屋に住んで初めて、寝室を移動した。遮光カーテンも付けて、ぐっすり眠る。
 火曜日には、ココウォーク(デカくて新しい商業施設)のプレオープンに行ってみた。新聞にチラシが入っていて、「近隣の方だけにお配りしております。チラシをご持参ください」みたいなことが書いてあったのだけど、思いっきりチラシを忘れ、でも取りに帰るのも面倒だったので、ダンナと「免許を見せれば『近くに住んでます』ってわかるさ」とか「どうしてもダメって言われたら、バスターミナルだけ見て帰ろう」などと小心者感あふれる会話をしていたが、まったくノーチェックで入れた。商業施設だけあって、とにかく店だらけ。「長崎初上陸ブランド」がいろいろあるらしいが、そもそも長崎にどういうブランドがあったのかも知らないオバハンにとっては、とにかく店だらけという印象。あれこれ見てはみたが、二人とも何も買わず、中途半端なインドカレーを食べて退散。靴を買うと意気込んでいたダンナだが、結局、夢彩都で購入。夕方、ケーブルテレビでまたもや本のPR。
 今日は朝から、取材させてもらったところへ、本を渡しに行ったり、こまごました買い物(くんち関係)を済ませる。いよいよだ…。

 ついつい、妹の息子の写真を見てしまう。なんとも言えないかわいらしさ。赤ん坊なのに、思慮深い顔つき。あ〜!実物を見たいっ!


トンビ |MAILHomePage