ぴんよろ日記
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2008年08月31日(日) 小さじに

 こんなに秋って早かったかな、と思いつつ、過ぎていく夏。やはり本を作ることが、本当におもしろかった。今回はある程度のベースがあったが、次はもっと漠とした段階からやってみたい。
 簡単でおいしそうなホットケーキのレシピをみつけたので、これから作ってみようと思う。ヒコも好きだし。「『ベーキングパウダー 小さじ1』って、うちにあったかな」って、一瞬思ったけど、よく考えたらそれは重曹のことで、だったら、10kgくらいあるので、それもなんだかなぁ、と苦笑い。小さじ何杯分だろうか。

 新聞の集金が来る。こないだ変えたので、引き落としにはなっていない。「これまでも何度も来たけどお留守でした」とのこと。「引き落としにしたいんですけど」というと、「銀行で3ヶ月、郵便局で2ヶ月かかります」らしい。すごいな、それ。1年単位の契約について、自動振替の手続きに3ヶ月もかかるなんて…。しかも申し込み用紙は販売店に送らなくてはいけないらしい。なんというか、いったいどんだけ効率悪いんだろう? 購読料のうちのいくらが「お留守なので何度も来ました」の人件費なんだろう? ちょっと気が遠くなってしまった。集金のおばさんもぞんざいな感じで、毎月会わなくてはならないかと思うと気が重い。あと3回は仕方ないとして、がんばって通帳印を探そう。



2008年08月30日(土) らせん

 実家にお泊まりしていたヒコを迎えにいくと、いつも、前会った時よりも、会話が達者になっているのでおもしろい。いままでは「なんでかな?」って質問すると、100%「なんで?おかあさんおしえて」って聞き返してきたのだが、今日は「うーん、うーんとね、…」と、答えを考えることがたびたびあった。まぁ、私が「おかあさんにもわからないんだ〜。ヒコおしえて〜」ってしつこく聞いたのもあるんだろうけど。そのうち、こちらが教えようとしても、ぜんぶ自分が答えようとするようになるのかもしれない。
 稲佐山の公園で遊ぶ。いろんな遊具が付いた、大きなすべり台で。「こんなとこも登るの!?」というところにも、どんどんチャレンジするヒコ。そういえば、1歳になるかならないかの時に、初めて、公園で遊ばせてみようかと連れてきたのがここだった。その時は、よたよた歩いて、他の子どもに近づいていってみるのが精一杯な感じだったが、約2年経ち、こうしてひとりでバンバン走り回るようになっていた。途中、チリンチリンアイスも一緒に食べた。私も小さいころから食べていたチリンチリンアイス。自分の子どもと、自分が子どもだったころに食べたものを食べたり、見ていたものを見たり、遊んだ場所で遊ぶというのは、なにか「強いらせん状の力」のようなものを感じる。自分というものが、いったい、いつ、どこに生きているものなのか、一瞬わからなくなる。離れているはずの時間が重なって感じられる。
 そうして、木陰の風に吹かれながらアイスひとつでトリップしていたら、知らない子の車で勝手に遊んでいるヒコの姿が見えた。なるべく穏便に引き離すが、眠たいのもあって大号泣。車でしばらく走っていると、「ひとの(車)がよかった〜」と、最後の一声を残し、そのまま夕方まで爆睡。

 夜はダンナを迎えにいき、そのまま久しぶりの諫早かんしゃくへ。
 ここ数日、かんしゃく気分が盛り上がっていたダンナ。大将から「かんしゃくの新しいバージョン、試してみません?」と言われ、うなずいてはみたものの、やってきたのは「担々麺」。つまりはナッツ風味の肉味噌入りで、これはこれですごーくおいしい担々麺だったのだが、これまでのかんしゃく魂とはぜんぜん違うものなので、「かんしゃく気分満タン」の人にはかわいそうなことになっていた。帰ってきて眠る間際まで「不完全燃焼…」とつぶやいていた。


2008年08月29日(金) 反応。

 この日記の下の部分にさりげなく挟まれている広告が、いちいち、日記の単語を拾って選ばれてるんだろうな、と思わせるものなので、けなげ&不気味だ。日によっては「どの単語に反応したのだ?」と笑えるものもあるが、だいたい不気味だ。「子育て」と書いた日に「子育ては、住まいから」っていうのが登場するのはわかりやすい。「職人」という単語が入ってる日に「天職探し」、「山の中」が登場する日には「田舎暮らし」も、まぁ、わかる。しかし昨日の広告は「便秘に悩む人の最終手段」と「肝臓の健康が気になる人」になってるけど、何に反応したんだろう?「粗相」?


2008年08月28日(木) それでも?

 こないだ一緒にキャンプに行った人たち(子どもあり)から、ヒコのことについて「ありゃ大変だ〜」と言われているらしいダンナ。ははは。やっぱりか。そう言っていただくと、むしろ気が楽になる。こんなに疲れたり大変だと思うことについて、つい、自分の根性がないからだとか、ヘタすりゃ愛情不足だと自分を責めがちになってしまうので。私もヒコも、お互いを換えることはできないし、換えようなんて思わないけど、疲れは疲れとして認めることも大事だと思う。そうしないと正常に処理できない。「これくらいは我慢しなければならない」と思い込んで、ため込むのは、単なる疲れよりも心身に悪そうだ。
 それにしても、「朝、少し粗相をしたパンツを、本当ははきかえたくなかったのだ。取りに帰れ」と、保育園へ送る車の中で激しく泣きながら訴えられた時は、どう対処すればいいのだろう。「これなら食べてくれるだろう」と思ってあれこれ料理していたら、戸棚の奥にしまっていた「うまかっちゃん」を取り出して「これだけが食べたいのだ」と大号泣されたら、どうしたらいいんだろう。お風呂に入って「気持ちよかったね〜」と、一瞬なごんだかと思いきや、またもや「朝、少し粗相をしたパンツをはきたいのだ」とわめき散らされたら、それでもおだやかな顔をしていなくてはいけないのだろうか。正直なところ、今日は疲れたが、だいたい毎日、わりとこんなふうだ。


2008年08月26日(火) 0とおなじ。

 保育園の行き帰り。道ばたの桜の葉に、日ごと、黄色いものが増えてゆく。人間だったら「白いものが目立つ」ところだが、木々は赤や黄色で、シャレている。
 こうして毎日おなじ道を通り、おなじ木を見るともなく見ることができるのは、贈りもののような、ありがたいことかもしれない。仕事をしたり、本を読みながら「あぁ、もうお迎えの時間だ…。これがなけりゃ、あと少しで終わるのに…」と思うことも多々あるけれど、実は、そんなことよりも、もっと多くのものを受け取っているのかもしれない。
 今日はいよいよ、本の最終校正が届く。明日、渡してしまったら、ひとまず私の手からは、離れてしまう。そしてどんなふうに飛び立って行ってくれるだろうか。
 今回、本を作ったことで、直接間接に、いろいろな変化があった。とにかく目に見えるものにすることでしか動いていかない部分というものがあるし、それは動いてみるまで、「これは動かすべきだったのか!」と、自分にもわかっていないことが、多々ある。そして「100」のことを頭の中で考えてる人って(自分も含め)、人が目に見える形にした「50」のことを、いいとか悪いとか(多くの場合、悪いほうに)すぐ言うけど、「100」があるのはその人の頭の中だけの話で、そんなものは「0」に等しい。出してから言え。


2008年08月25日(月) 虫眼鏡

 かゆい。

 おとといから昨日にかけて、「ダンナの職場の人およびそのご家族とキャンプ」という、私の性格上は実現不可能と思われたはずの2日間を過ごした。しかし行ってみれば結構平気、いや、むしろ楽しいものだった。「子育てブログ」の方にも一度書いたことがある、「生き物ネット」が密な状態だったので、楽だったのだ。わらわらとたくさんの人が(たとえ初めて会う人でも)いることで、子どもも手があいた人が見てればいいし。すべてを自分で背負い込まなくていいというのは、こと、子育てに関しては、それに勝る解決法は無いのじゃないだろうか。奇しくもおとといの新聞に、習い事や勉強を、ひとりの子に集中させたいから、二人目を作らない人の話が載っていて、そのお母さんは、自分のすべてをも、子どもに注いでいるらしい。これはいろんな意味で危ないだろう。一人っ子は、うちだってそうなる可能性はあるわけだし、ダンナだってそうだし、それはどうしようもないことだが、自覚しながら「すべてをひとりの子どもに集中させてます」っていうのは、なんというか、生き物に必要な「光」も、虫眼鏡で集めちゃうと火事に、という危なさをはらんでいると思う。勉強は、する子はするし、しない子はしないし、できる子はできるし、できない子はできない。これは、自分が子ども、あるいは中学高校生だったころを思い出せば、すぐわかる。そして、ある程度までは他人が引っぱることはできるけれど、その「引っぱり」が生む「ひずみ」もあることや、引っ張ってもダメそうなら、他の道があることを教えるのが先のような気がする。

 いや、それはそれとして、かゆい。
 キャンプは楽しかったが、ブヨだかアブだかに足や顔を何カ所も刺されて、熱を持って腫れ上がっている。これを機に毒を出せ、ということか。



2008年08月24日(日) かなわない

 島原半島の山奥…ってほどでもないくらいの、山の中のコテージに泊まった。朝起きたら晴れていて、近くにある草花とキノコから、遠くの天草の山影までがいっぺんに目に入ってくる。特に、遠近取り混ぜた木々を見ていると、目玉に流れ込んでくる情報量がものすごく多いということが、しみじみ感じられた。どれほどごちゃごちゃした町の景色だって、この、言ってしまえば緑のグラデーションでしかない風景には、かなわないのだ。「町も自然だ」ということはできるけれど、自然そのものの自然には、ぜったいにかなわない。人が作ったものにも、それにしかない良さがもちろんあるけれど、それだけで割り切ったり解決できるほど、甘いもんじゃないと思う。木々や海や空のあわいに、見るべきものはまだまだ潜んでいる。


2008年08月23日(土) 一瞬で!

 一瞬だった。
 新しいデジカメには、パノラマ機能というものが付いている。撮る時に「パノラマ設定」にしておいてパソコンに取り込み、ポチリと押すと、パノラマ写真になるらしい。いま試しに、家からの眺めでやってみたら、本当に、ほんの一瞬で4枚の写真がつなぎ合わさった。
 パノラマ写真は、今度の本に載せるものも含め、コツコツと手作業で作ってきた。それが、ポチリと一瞬である。うれしいやらせつないやら。ワープロの出現と写植職人という感じか。
 しかしこれで見つかるものが、いろいろありそうだ。ふふふ。



2008年08月21日(木) 申し訳ないほど

 いったい何日ぶりだろう。暑くて目が覚めなかったのは。今朝はむしろ、寒くて目が覚めた。
 暑くても、寒くても、とどめは毎日、猫パンチ。
 
 新しいデジカメが、これまでのものより格段に暗さに強く、近くに寄れるのでうれしい。そして、まじまじと軽い、薄い。「枚数残高」も、よく見たら4000枚くらいだった。4000枚って…。

 涼しい。なにかに対して申し訳ないほどだ。今は朝の7時前だからだろうか。お昼になったら、いつものように暑くなるのだろうか。今日はあちこちで仕事。持っていく資料を作ろう。





2008年08月20日(水) 秋の探検隊

 朝から、明らかに、秋風。
 ヒコがどんどん近づいてきた…出産が近づいた…身体の記憶もあいまって、秋の気配に包まれると、なにかが始まるような気分になる。自分も秋生まれだからというのもあるし、くんちが近づくというのもあるだろう。私にとっては、春よりも秋のほうが、始まりの季節だ。

 だからなのかどうなのか、本のことがもうすっかり手を離れようとしているからか、頭の中は、もう次のことでいっぱい。どんな形でアウトプットされるのかはわからないが、本棚の片隅に忘れていた本を引っぱり出したり、あらためて町を眺めなおしてみたりして、脳内探検隊は大忙しだ。

 新しいデジカメを買った。今使っているものが、レンズの中にゴミが入っているようで、青空など写すと、思いっきり糸くずみたいなのが映り込む。そしてヒコと一緒に行動するには重い。一眼レフはちゃんとあるので、普段使いのものとして、とにかく「軽い薄い」をモットーに探した。そしたら、いちばん軽くて薄くてデザインも好きなものが、さらにいちばん安かった。2GBのカードを付けても、1万5千円。今使っているものを5万くらいで買ったことを考えると、隔世の感がある。画素数も2倍近い。ほどほどの画質(とはいえ、現在の倍)に設定したら、3500枚くらい撮れる模様。それって何枚…? マクロがかなりきくのもうれしい。

 今回の本で、今まで何気なく撮っていた写真が、使わなかったものも含め、かなり大きな役割を果たしてくれた。これからももっと撮っていこう。





 


2008年08月18日(月) 立ち読み党

 今日は半分休日ということにして、少し昼寝したり、データの確認を兼ねてごはんを食べにいったり、コーヒーを飲んだり、新しい仕事のための資料探しを兼ねて立ち読みしたり。普段は「目指す本を買ってそれで終わり」なことが多いので、思ってもみなかったコーナーに迷い込んだりできないが、今日は、なんとなく迷ってみると、読んだことないジャンルの、でも心ひかれる本が見つかった。立ち読みは大事だ。立ち読み党があるのなら入ってもいいくらいだ。そして読みたい本は買わないと気が済まないので、立ち読み党身銭切り派だ。



2008年08月17日(日) 禁断症状

 日記をぜんぜん書いてないことに今気付いた、お盆休み最終日。「お盆の間に」という仕事がいくつもあったので、いつもより忙しかった気がする。今日は鼻血が出そうになるくらい集中して、本の校正をした。初校終了。ひとまず山は越えたので、これから焼肉で乾杯。新大工に買い物に行ったが、今日まで魚市が休みなので、お刺身はナシ。明日は魚和に行かなくては。刺身禁断症状が…。



2008年08月14日(木) 無限の朝

 今日からヒコはお盆休み。ダンナも今日だけは休み。私は仕事にでかけるが、朝寝坊のヒコを無理矢理起こし、あれこれなだめすかしながら準備しなくていいので、朝の時間が無限に感じられる。笑っちゃうくらいおなじポーズで眠る父子を時々写真に収めながら、布団の中で本など読む。

 港を出ていく五島のフェリーが、いつもより重そうに見える。

 私も今日は墓参りだ。



2008年08月13日(水) 我が家は…。

 あいかわらずモクモクした入道雲だけど、立秋を過ぎ、線が細くなった。二番成り、という感じ。
 夏休みに入って、住んでいるビルの子どもたちが昼間も大騒ぎ。なぜか私が住む階がメインの遊び場になっていて、時々、歩行も困難。こないだは、水鉄砲で水をかけられた。それが、なんか、ふざけてるわけじゃなくて、嫌がらせでやってる感が漂っていたので、思いっきり睨みつけてしまった。ダンナもそうだったらしい。「ママ」同士も仲が良さそうなので、我が家はイヤな奴らになってるんだろうなぁ。「ママ」のひとりが、大家さんと話しながら、ちらっと私を見て、話をやめたこともあるもんなぁ。何だと思われてるんだか。でもこの部屋は好きなので、そんなことはどうでもいい。どこで何を言われていようと、そんなことはどうでもいいのだ。

 お盆だけど、今日までは仕事。そしていよいよ、本の初校が届く。これまでは自分のプリンタの出力しか見ていなかったので、とても楽しみだ。心してかかろう。



2008年08月12日(火) 模範囚

 数日前、思い切って髪を短くしたダンナだが、結果的には「初めて見る人の笑いを誘う」、という事態に陥っている。イメージとしては、模範囚。社会復帰に向けて、中途半端にのびてる感じ…。
 明日は、もうお盆か。今日は「ペコロス」の編集をがんばろう。やたらと墓場になじんでいる岡野さんと私。もはや住人のようだ。



2008年08月11日(月) 先へお行き〜。

 ここ数年、必要だと思って続けてきたが、どうも違和感をぬぐい去ることのできなかったことをやめることにして、気が軽くなった。
 8月は、いくらか時間に余裕ができると思ったけれど、気がついてみたら、お盆まで予定がみっしり。今日は、ふたつ大仕事。水木しげるロードで買ってきた「べとべとさんTシャツ」を着てがんばろう。
 誰もいないはずの夜道で足音だけがついてきたら、それは「べとべとさん」なので、「べとべとさん、先へお行き〜」と、やり過ごせばいいらしい。なるほど。応用は効きそうだ。


2008年08月10日(日) 真っ先に

 朝起きたら体があまりに重かったので、途中、リゲインを飲み、栄養剤を買って、実家へ。こういうものに頼るのは、本当はイヤなのだが、どうも必要な気がして買う。
 「子どもがいない人にはわからない」というような言い方は、かなり良くないと思うけれど、それは、どうしたってあると思う。こんな疲労感があるなんて、まったく知らなかったもの。
 「子どもがいる人にはわからない」ことも、おなじようにあるだろうし、子ども以外のことも、なんだってそうだ。誰もがすべてのポジションに立つことはできない。
 誰もが子どもを生むとは限らないが、誰しもが誰かの子どもとして生まれてきた。それはもう、どうしようもないことだし、ありがたいことだ。だから、好んで死んだり殺したりせず、生きていくしかない。生きるために死ぬとか、そういう状況も極限ではあるとは思うが、生きられる限りは生きたいと思うし、そういうことを言い出す人に限って、よく起こりうる些細なこと…赤ん坊の絶え間ない後追いが、どれほど人の心を追いつめるか、などには、冷淡な反応を示したりするのだった。「幸せなことじゃないか」なんて、のんきなこと言ったりして。真っ先に拷問に負けるタイプだ。という私も、まったく自信ないけど、こればかりは、これもまた、わからない。


2008年08月09日(土) 重しを外したとき

 昨日の夕暮れ、稲佐山の向こうに大きな入道雲があって、それがまるで、原爆のキノコ雲みたいなタイプだったので、「あんなのが一瞬で立ちのぼったんだなぁ」と思うと、また恐ろしくなった。精霊流しの爆竹の「箱燃やし(段ボール箱に大量の爆竹を入れて一斉点火。すごい火柱が上がる。つわものは、それを頭上で行う)」でも、近くにいれば熱風が吹いて来るのに、原爆って、ほんともう、想像がつかない。
 だけど、前にも書いたけど、原爆がなかったら、いま長崎に生きている大半の人は生まれてないはずだ。人の縁のきっかけの些細さと来たら、それはもう、電車が1本遅れたとか、そういうもので変わるのだから、あんなにあからさまに人々の暮らしの頭上で大爆発したものが、その後の人間関係を一変させないわけがない。おばあちゃんが結婚したいと思っていた人が死んだとか、お父さんのお兄さんが死んじゃったから、「もうひとり」と思って、お父さんを生んだとか、そういうことは、山ほどあるはずだ。そうなると、めぐりめぐって、「原爆のおかげで自分はここにいるのだ」ということになる。だから原爆がいいってことには、絶対にならないんだけど、そのへんも含めてもういちど考えていかないと、8月9日は、これからますます、ただのイベントになってしまう。
 広島や長崎の人が原爆に反対するってことは、ある意味では、自分を生んでくれたものを否定するということだ。それは非常に微妙でつらいかもしれないけれど、そこにしかない力もまた、あるはずだと思う。

 県庁舎に移転の動きがあるが、あの場所は長崎が開かれて以来、岬の教会、奉行所西役所、海軍伝習所、と、その時々の「重要機関」が置かれ続けてきた。その「重し」が外れたとき、あの場所の持つ力は、どう作用するのだろうか。跡地って、何にするつもりなんだろう?




2008年08月08日(金) だって楽しそう

 朝から打ち合わせのためにバスに乗ったら、「平和な人たち」が広島から大移動してきているようで、渋滞しいていた。昨日の夕方も渋滞していた。申し合わせたように、短パンに靴下、よれよれTシャツの上にウエストポーチ&首にタオルの「平和な人たち」だ。
 私よりもはるかに明らかに、「ナガサキ」のことを考えてくれているはずの彼らのことを、どうしてこんなふうに、ちょっと意地悪に書いちゃうんだろう。いかんなぁ。てへ。

 だって楽しそうなんだもん。

 本の作業も、いよいよ追い込み。お店ページや目次などのレイアウトが、次々と送られてきては、また返す。編集のIさんと、メールチャット状態。表紙も決定。そしてついにはイラストマップも描き上げ、終了。あとは文字校正を残すのみ! プリントアウトしたものを束にして、しみじみ眺める。濃い!濃すぎだ!

 夜はケーブルの暑気払いに参加。大勢の人の宴会だと聞いたので、断ろうかと思っていたが、こんなものに参加することもそうそうないので、社会勉強のつもりででかける。いやはや、なにか映画の中でしか見たことのなかった「会社」や、その宴会などが、絵に描いたように目の前に広がっていて、大変に有意義な時間だった。そうかー、社会人というか会社人というのは、こんな世界を持ってるんだなぁ。お酌したりされたり、社員バンドで盛り上がったり、みんなで勢いづいたりして、それはそれで、楽しいだろうな。まぁ、私はこの先も、ひとりや少人数の世界でコツコツ生きて行くだろうが。どちらがいいとは言えない。合う方にいればいい、合わない方にいるのはつらい、ということだ。
 伸びざかりの会社の女子社員たち(「なにを基準に選んだのかな?」と突っ込みたくなるような美人さんが多い)が、高給を活かしてオシャレしているさまは、なかなか目の保養になった。私でもそうなので、関連会社のおじさんたちは、さぞ暑気払いになったであろう。


2008年08月07日(木) 人ごとではないぞ

 ミンミンを通り越して、ジャージャーと蝉が鳴く中、「ペコロスの唄地図」の撮影。墓やお盆について、墓場で。歌ももちろん、墓場で。「心中したのにお互い生きてたじゃん!」みたいな歌を、墓場で。
 というふうに、長崎の墓場は、ぜんぜん怖くない。景色もよく、木陰ではいい風が吹き、なくしたと思ったマイクの風防も探せば出てくる、優しい場所。今年も花火をしなくては。

 夜は、昨日スーパーで買った刺身があまりに不本意だったので、新大工の魚和で散財して、「こんな一先、なかなかないよ」と勧められた刺身と、キスとエビを5匹ずつ天ぷらに。それでも2000円。たしかに「なかなかない」おいしさの刺身だった。

 本の表紙などが、どんどんできてくる。ドキドキしながら、修正などする。デザインって、ほんと大事だ。ただ、長崎で売るには、ちょっとだけ定価が高い気がするのだが、原油高などでどうしようもないらしい。こんなところで原油高に影響されるとは思ってもみなかった。編集のIさんに「長崎人は、ちっとも本にお金を出さないので、そのへんがドキドキです」とメールしたら、「本に関してしぶいというのもわかってはいるのですが、…」という返事が来たので、人ごとのように笑ったが、まったくもう、人ごとではない。福岡や東京でも売れるようにがんばりたい…って、私がどうがんばりゃいいのかはわからないが。


2008年08月06日(水) おどりたかった…

 日曜日、ひとまず、いま揃えられる素材をCDに焼き、速達にて投函し、旅へ。校正など、まだ作業はどっさりあるけれど、ひとまずは、あとがきも書いて送った。
 小郡の大砲ラーメンで友だち一家と待ち合わせ、トンコツパワーを充填したのち、山陰へ。刺身、ゲゲゲ、植田正治、玉造温泉どじょうすくいショー、そしてメインイベントの出雲大社本殿拝観…と、2日しかないので、すごーくピンポイントに攻めた旅だったが、それがむしろ、あまりの濃さに現実離れ感満点で、3日後のいま、こうして家にいることが、よくわからない。

 もう何度行ったかわからない出雲大社だったが、これまで仰ぎ見ていた本殿は、また、まったく別世界だった。天井に描かれた八雲は、二百数十年前のもののはずなのに、くっきり鮮やか、描きたてのよう。そして思っていたよりも、ほんわかした空気が漂っていた。すごく暑かったけれど、境内には、後ろの山からの風が時々ぶわーっと吹いてきて、たいへんに気持ちがいい。出雲大社、ほんとうに大好き。

 旅の思い出はいろいろあるが、ホテルのどじょうすくいショーに見はまり、まねして踊っていたヒコが、その後、何度も「ぶたいでおどりたかった…」と訴えたのが、今後の彼の人生についても考えさせられる好事件だった。




2008年08月02日(土) ひとつとして使えません。

 明日からの山陰旅行に向けて、仕事の追い込み。港から響くペーロンの音を聞きながら、さしあたって蒸さないのでクーラーはつけず、やるべきものを書き出して目の前に張り、ひとつ書いては消しながら、ひたすらパソコンに向かう夏の日。
 う、次は「おせち/忘新年会」か…。この状況で、おせちのコピーはなかなか思い浮かばない。辞書でも適当に引いてみよう。パラ。「新明解国語辞典」736ページ。「す」。

 頭痛、スツール、すっからかん、すっかり、すっきり、ズック、すっくと、酢漬け、ずっこけ、ずっこける、すっこむ、ずっしり、すったもんだ、すってんころり、すってんてん、すっと、ずっと、すっ飛ばす、すっ飛ぶ、素っ頓狂、酸っぱい、素っ裸、すっぱ抜く、すっぱり、ずっぷり、すっぽかす、すっぽ抜ける、すっぽり、すっぽん、素手。

 …パタ。ふぅ…。

 とりあえず、追い込まれていた心は和みました。ありがとう。736ページ。



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