ぴんよろ日記
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木曜と金曜は、小国の友人一家が来訪。茂木に行ったり、朝日屋でトマトのおでんを食べたり、うちで茂木で買った刺身を食べながらしゃべったりして、のんびり過ごした。チビ助ふたりが、かなりふたり同士で楽しそうに話したり遊んだりできるようになったのが、なんともかわいらしい。もちろんうるささも二倍、いや、二乗。そして数時間に一度は勃発する、物の取り合い。 茂木では、地元の小学生の女の子二人を、懸命にナンパしていた。それがまた本当に懸命だし、ふたりの性格が出ていたし、男は生まれつき男だと納得。ヒコのほうが、よりご執心で、足についた海の砂を洗い流していた女の子に、靴下をささげ持って渡していた。そんな2歳児もどうかと思うが、女の子も女の子で、「こんなことしてもらったの初めて〜!」と喜んでいた。しかも、たった4年生だというのに、ヒコたちを見て「このころに戻りたい」とも。戻ってどうする! 今日は部屋の片付けや洗濯をしたら、なんだかくたびれて昼寝して、夜は親戚一家とごはん。これまた久しぶりにいろいろしゃべる。 夜中、突然ダンナが見たいというので、ダンナが5年くらい前に作った番組を見たら、あまりの編集の突拍子もなさに、ふたりして酔いも目も覚めた。なにも考えてないように思われがちなダンナも、かなり進歩したんだな…。
こないだ買ったサンダルばっかり履いている。 ビルケンシュトック(だったかな?)という、ドイツの古いメーカーのもの。1万円くらいした。見た目は3000円くらいのものとあまりかわらないけど、履いた感じがぜんぜん違う。もう、本当に、ぜんぜん違うのだ。まさしく「似て非なるもの」である。どんどん重くなるヒコを抱っこして歩くので、靴は大切。これから暑くなるので、その任務に堪えうるサンダルを探していたのだ。 はじめは試しに家の中で履いていたのだが、靴下をはいている時よりも足が冷えないので驚いた。肩こりすらも軽減した感じ。土踏まずのところに、絶妙な盛り上がりがあるので、それが効いていたのだろう。外で履きだしてからも、多少肌寒い日であっても、玄関では、つい、サンダルに足が向く。履いてると冷えないのだ。不思議…。 浜の町の雑貨屋さんで買ったが、どうやら新大工の靴屋さんにあるというので、昨日ちらりと覗いてみたら、雑貨屋さんでは見なかったデザインのものもたくさんあった。まぁ、それでも、自分が買ったのがいちばん好きだからいいけど、もう一足欲しくなって困った。
昨日は猛烈に部屋を片付けた。 いつしか「物置き」としか呼べない状態になっていたが、すっかり部屋に再生。机やパソコンや周辺機器の配置を使いやすいように変えた。まだ整理するべきものや、改良点はあるけれど、とにかく空間が生まれたのが嬉しい。じゃんじゃん仕事できる感じが漂っている。机の前には、ベタだけど、保育園でヒコくんが描いてくれた「おかあさんのかお」を貼る。でも、ヒコはこれを見るたびに「だれ、もらったと?」「ヒコだよ。上手だね〜!」「ねぇ!」という念押しを欠かさない。 夕方、そんなヒコくんが消防車を見たいというので、バスででかける。消防署でじーっと見ていたら、消防のお兄さんが消防車に乗せてくれた。お兄さんが「これに乗る?」というものには乗らず、「はしごしゃ!」「おおきいの!」と、やりたい放題。結局4台の消防車に乗せてもらった。 どこからか太鼓の音がしてきて、敏感に反応するヒコ。「どっか、たいこのおとするよー! いってみようか!」と、音を探すと、中央公園で、くんち小屋入りの打ち込みの稽古があっていた。「たいこだよ、たいこだよ、どーんどーん、うっはぁ〜」と大興奮。今年も夏が近い。
数日前からやっている「肩甲骨を背中からはがす」動きや、首をほぐす動きの効果が出ているのか、肩がだいぶ軽い。今朝などは、寝返りを打った時に、「パキーン!」という音(寝ぼけてたから感触だったのかも)がして左の肩が、なんか変わった。 これまでずっと右の肩や首のコリがひどくて、ほぐす時も、当然、右が厄介だと思っていたのだが、いざやってみると、右は派手に音が鳴ったり、ビリッと痛かったりしたのだが、左はそれほど賑やかなことはない代わりに、むっつりと鈍いまま。右の痛みを引き受け続けて、いつしか深手を負っていたのだろう。 身体はおもしろい。
2008年05月25日(日) |
おかあちゃんを幸せに |
ずーっとチケットをもらってたのに行きそびれていた福山雅治の写真展に、ようやく行く。 なんせ最終日だ。 午前中だというのに、どっさり人がいる。1枚チケットがあまっていたので、小さい子を連れた若夫婦にプレゼント。やたら喜んでくれた。 次々と写真を見る。福山が軍艦島を撮ったのはピンと来なかったけど、いろんなところに旅に出て撮った写真は、プロでもなく、でも、アマチュアのいやらしさもさほどなく、「有名人が撮っただけだろーが」なんてひがみではとらえきれない魅力があったように思う。まぁ、これを県美術館で開催することについては、なんだかなぁ、と思わなくもないけど、そんな声は、入場者数の多さでかき消されるであろう。 いろんなカメラマンが撮った福山の写真を見ていると、「なるほど、かっこいいなぁ。こりゃ長崎の財産だのう…」と、単純に感心。大人の男なのに、なんか子猫みたいなフレッシュさを持ち合わせてるのが、たぶん希有。「子猫みたい」というのは、なんともクサい表現だが、福山の顔や目を見てると、どうしてもはるちゃんとだぶったので、仕方ない。さらに、年を取るほどに、かっこよさがしぼむことなく展開してきた様子も、尊敬に値した。いろいろ大変だろうな…。 写真展を見に行って良かったのは、植田正治さんの写真があったこと。しばし山陰を思った。壁いっぱいに砂丘の写真があって、その下に砂が敷いてあったので、係のお姉さんに「これは本物ですか?」ってたずねたら「いや、人工の砂です…」と申し訳なさそうに答えてくれた。 福山のファンとして訪れている感じの女性は、なんというか、すごーくオシャレっていうのでもなく、生活感の漂う人が多いような気がした。小さな子どもを抱っこした、「ママ」というより「おかあちゃん」な人が、子どもから「これだーれ?」「これは?」ときかれるたびに「ましゃだよ!」「これもましゃ!」と、ウキウキしていたのを見て、じーんとしてしまった。 福山のかっこよさって(幸か不幸か私のセンサーは振れないのだが)、日々を懸命に生きる大勢の女性たちを幸せにしているということは、素晴らしいことだろう。 カフェでは、この写真展限定のパフェが飛ぶように注文されていた。
午後は茂木に行き、海で遊び、刺身を買って帰った。キビナとアジの盛り合わせで350円。うっとりするほどおいしかった。こないだ買ったタコなどは、いつも食べてるタコがなんなのかよくわからなくなるほどのおいしさだった。
2008年05月24日(土) |
濃く深く静かな青空あるいは水底 |
昨夜は、カフェ豆ちゃんで松尾薫さんのピアノを聴いた。 「ショパンのみ」「20席限定」という、すごい設定のコンサートだった。 演奏を聴きながら、「曲って、人の思いから生まれてるんだな」ということを、いまさらながら思った。言うのも恥ずかしいような感想だし、もっと、なんか、「人間以外の偉大な存在からのインスピレーション」とか、そういうことも言いたいような気もするんだけど、それもひとつの面ではあろうけど、だからこそ、それを受けえたショパンが、ショパンという「ヒト」に生まれて、もうひとつさらにショパンという「人間」になって、さまざまな思いを駆け巡らせながら生きていく中で曲を現しつつ、そしていよいよ生身のショパンは滅びながらも、その音楽はこうしてありありと姿を見せる、そのことについて、「『人間以外の偉大な存在』は、たぶんいらっしゃるんだろうけど、ここは今一度、それを受けた『小さき人間』の、ひょっとしたら(大きな存在を軸にして見てしまえば)副産物にしか過ぎないかもしれない『「思い」という鍵』で開く部屋にあるものを大切にしたい」というようなことを思いながら聴いた。 薫さんのピアノは、もうかれこれ、何度聴いたろう。はじめは「親戚のお姉ちゃんが弾くから聴いてみよう」からのスタートだった。それから数年、コンサートに行ったり、飲んだり、いろんなことを話したり、近い時期もあれば、なんとなく遠い時期もあったりした。そして半年ぶりくらいに聴いた昨日の夜は、格段に進化しているのが、ぐわーんと伝わってきて、その追求と精進を思った。私は普段からクラシックを熱心に聞いているわけでもないけれど、どんなに激しく聴こえる部分を弾いていても、そこには前よりもずっと確かな「嵐の雲の上の濃く深く静かな青空あるいは水底」が感じられて、「身体の動きをコントロールしている内部の様子の想像のつかなさ」とともに、演奏が終わったときには、すっかり放心状態に陥ってしまったのである。
すっかり5時台に起きるのが日課になってしまった。そのぶん夜も早く落ちてしまうが、一日が長くなったようでうれしい。 昨日の夕方思い立って、それまで頭の中にあったものを形にしだしたら、人はどう思うか知らないけれど、一見、面白くて気軽で、でもそこにはとても大切なものが含まれている、というようなものが現れてきたので、よっしゃ!と、一気に作ることにする。日の目は…見るかどうかわからないけど。 昨日のお昼、「豆ちゃんでカフェラテを飲みながら外を見ていたら、こーちゃんが通る」という瞬間に遭遇して、ひとりで笑った。「こーちゃん」は、かつて「銀馬車」で歌い、美輪明宏さんの店でも働いていたという、とても歌のうまいおねえさん(男・中年)だ。「豆ちゃん」と「こーちゃん」には何の脈絡もないけれど、たった2〜3秒の自分だけが目撃した瞬間の中で、思わぬ韻が踏まれていたことに、すてきな拾い物をしたような気持ちになったのだった。
2008年05月22日(木) |
1秒の長さ、1時間の早さ。 |
出版に向けての作業をしたり、また新たなものを作り始めたり、ほっとくと籠りすぎるので、あえて外でご飯を食べたりと、その時々には、わりとじっくり行動しているのに、気づいてみたら「あれ?」っという感じで時が過ぎている。1秒の中は長いが、1時間は早い。 この春は、ほんの少しだけお金に余裕があって(それでもたぶん、おなじ歳の公務員にくらべたら、遠く遠くはるかに及ばないが)、調子づいていたら、これまた「あれ?」っという感じで、いつもの綱渡りに戻りつつある。入ってくれば、出るものも多し。普段ないような出費もドスンとやってきたりしたものなぁ。狙ったかのように。でも、ここで「いましめか?」なんてケチな思いに流れると、人生が必要以上に渋くなるので、そんなことはしない。 多田容子さんの「自分を生かす古武術の心得」(集英社新書)に載っていた「背中から肩甲骨をはがす」動きをやってみたら、嘘のように背中が軽い。まだまだはがれない部分も残っているが、しばらく続けてみよう。腕を前に出して、手先と肘と肩甲骨が一直線上にあるものと感じつつ、そのまま後ろにスライドさせて、その棒が背中からにゅーっと出てくるイメージで。
かなり食いしん坊の、はるちゃん。 エサを皿に入れる音がするが早いか、どこからともなく駆けつける。近くにいたもぎくんよりも早く。たとえそれが、もぎくんについだエサで、もぎくんが食べ始めていても、身体が小さいことをいいことに、もぎくんの横や下からぐいぐい割り込み、ついにはもぎくん退散。はるちゃんが食べ終わるのをじーっと待って、ようやく食べ始める。人の食べ物にも、もぎくんの100倍くらい興味を示すので大忙し。肉や魚はもちろん、誰かが食べているとなると、(これはさすがに食べなかったけど)キムチにだって顔を近づけてくる。 動きの質も、相変わらずバカっぽく、しかし、なんとも言えないかわいらしさがあるから、見ていると明るくなごむ。つまりは「癒し系」とでもいうべきものなのかもしれないが、それにしても食いしん坊なので、うちでは「いやし(い)系の、はるちゃーん!」と呼んでいる(あくまで二つ目の『い』は小さく発音)。
土曜日から昨日にかけての3日間は、最近の中でもとにかく「濃い」ものだった。1ヶ月ほども過ぎたかという感覚で、その前の金曜日がどんな日だったか、今はパッと思い出せない。 土曜日は、甲野善紀さんの講習会を受けに、佐世保にでかけた。前回は初めて参加する緊張もあり、なかなか積極的に体験することができなかったが、今回は自分でもおかしいくらい前に出て、技もどんどんかけていただいた。甲野先生の動きは、何の武道もしていない私にも、たった半年前の前回とはまったく違うことが伝わってきたが、その「進化っぷり」というのは、ちょっともう、どういうことなんだろう。 甲野先生とその講習会がすごいと思うのは、ただ何かの術とか方法が繰り広げられるのではなく(それを求めて参加する人には、むしろ期待はずれだろう)、「自分にとっては切実なんだけど、意識的無意識的どちらも含め、どう改善したらいいかわかってなかった身体(それはそのまま心につながる)の使い方」へのヒントをもらうことによって、思わぬ「身軽さ」とでも言うべきものを得られることだ。今回もそういうことがいくつかあったのだが、そのひとつが「こどもを抱っこしたまま立ち上がる」動きにまつわるもの。動きとしては、とにかく「すべてのことを極力同時に行うこと」…つまりは「腕でどっこいしょと抱いて、次にまたどっこいしょと膝を立てて、さらにどっこいしょと立ち上がる」のではなく、そのすべてを体全体で同時にやってしまう、というようなことなんだが、そのとき大事なのは、抱っこすることや子どもの重さをいとわずに向かっていくこと。逃げれば逃げるほど重くなる仕組み。重さを動きに利用すること…等々を教えてもらったのだが、そう思って帰ってきてみたら、今まで「だっこだっこ」って言われると、時にはイライラムカムカしていたのが、「お、来ましたか。どれどれ、どう動けばスッと立てるかな?」なんて、逆に楽しくなったし、なぜか劇的にヒコをかわいく思う気持ちが増していた。たぶん「逃げない」というあたりに関係してるのだろうけど、そんな理屈はさておき、とても不思議な感覚だ。
さて、ばりばりやろうかね!
朝からヒコを送り、バスで福岡へ。 この半月ほどであれよあれよと決まった、本についての打ち合わせだ。 先月連載を終えた「ナガサキ観光さんぽ」をベースにした、長崎を旅する本。 つまりは「ながさきエッセンス・ぜんぶ版」みたいなもの。 打ち合わせも、あれよあれよと進み、予定ではお盆に出ることになった。 「いつ出そうか」という話になった時、 「連載も終わって、もう成仏させたいんで、お盆はどうでしょう?」 と提案したら、すんなり決まった。 「材料はもうあるから、あとはデザイナーさんだね」と話し始めて1時間後にはもう、第一候補のデザイナーさんがやってきてくれて、さくさくと打ち合わせて、バスの時間にちょうど間に合うころ、「それではよろしくお願いします」と、話は終わった。 ほかにも、とにかくすべてが絶妙な間合いで進み、本を出版社に紹介してくれたライター・Kさんと、思わずクスクス笑ってしまうようなこともあった。 こんな時って「怖いくらい」って思うのかもしれないけど、そんなことは全然なくて、「なるほど、物事が進む時って、こうなんだろうな」という感じ…と書いて、頓挫したら笑うしかないが、「彼ら」が成仏したがってるのが伝わってくるので、私としてもベストを尽くしつつ、供養しようと思う。
志村けん。 最新のMacBookを買ったはずなのに、スリープから目覚める時の起動音が、絶妙に間抜けな「ホエホエホエホエ…」という、なんというか、志村けんが発声すると、いちばん似てるような音なのである。「アイーン」の余韻のような音。 だから、「さぁ、仕事するぞ」とか「あのメールの返事は来てるだろうか、ドキドキ…」という気持ちで立ち上げても、いきなり志村けんが「ホエホエホエホエ…」なので、まぁ、良く言えば、肩の力が抜ける。
朝、ヒコを送って、「たけやま」でコーヒー。すっかり素性も知れてしまい、いろり端には「ながさきエッセンス」も置いていただいている。お諏訪さんでお参りして、ここでコーヒーを飲んで、今日も一日がんばろう! と思う。
朝から番組のミーティングに出て、ようやくできた「ペコロスの唄地図」を放送用にテープに落とそうとしたら、ソフトやパソコンの相性なのかなんなのか、ぜんぜんうまくいかない。 昼には終わって、一息、ランチをゆっくり食べて、帰ってまた別の〆切を…と思っていたら、結局3時くらいまでかかってしまった。 でも、なんとか解決したので本当によかった。
「ペコロスの唄地図」。収録では、私も岡野さんもとにかく話しだしたら止まらなくなり、実際に使う長さは10分もないというのに、話だけでも40分くらいあった。 長崎の地形や、くんちのことなど、「長崎に暮らす人なら、言われれば、誰もが『そうそう』って言いそうだけど、こんなこと、何らかの形で見たり読んだりしたことなかった。」というようなことが、それぞれの思いや、実際の体験というかこれまでの人生のできごとを交え、でも、重くならずに繰り広げられていた。 岡野さんとは10数年前に、某タウン誌の編集部で隣り合わせ(ほんとに同時期に隣の席に座っていた)、一緒に「安くていい宿」の担当をしたときには、こんなことになるなんて思いもよらなかったが、長崎について考える、とても心強い同志を得たような気持ちだ。 カットした部分は、なにかの機会に公開したい気もするが、それよりも、ぜんぶ文字に起こして(柏手の音とか、鳥の声とかも!)読み物にしたら、それだけでひとつ、今までになかった長崎論になると思う。 と、思いついてしまったので、またもやプリンタと中とじホチキスの出番、か…? ひぃ〜。
終日編集。 新しいソフトにもだんだん慣れてきて、でも、そうなると凝りたくなってしまい、時間はどんどん過ぎていく。 新しいパソコンとソフトは、さすがに新しいだけあり、びゅんびゅんさくさくと動いてくれる。 たぶん、編集ジャンキー特有の、恐ろしいほどのやつれ顔をして画面に向かっていたら、「ながさきエッセンス」を送っていた友人から、手紙といわし明太子が届いた。手紙には、私がうすうす思っていた「私と長崎の関係」がズバリと書いてあっておかしかったし、なによりその手紙が着いたときにも、長崎濃度の異様に高いものを作っていたので、さらに苦笑。イワシ明太を見てムラムラッとスパゲティにしてかき込んで、また「長崎界」に戻った。
歌や踊りが大好きなヒコは最近めきめきレパートリーを増やしているが、 今日は「おかあさん」を歌ってくれた。 でも、
おか〜あさんって いいにおい〜
と歌ってくれた時、私はちょうど、キムチをほおばっていたところだった。 彼の夢は壊れなかっただろうか?
キムチはダンナの韓国出張みやげ。 初めてのパスポート&海外が、ジェットフォイルで釜山ってのもどうかと思うが、 帰ってきたのを迎えに行ったら、 ダンナが乗ってきた瞬間、車が焼肉屋と化したくらい、臭くなって帰ってきた。 いったい何をどれだけ食べればあんなことになるのだろうか。 ニンニク嫌いのうちの親なら、 「頼むから駅前のアパホテルにでも泊まってきてくれ」 とお金を渡すのではないかというくらい、臭かった。
しかし、白菜キムチには驚かなかったが、 切り干し大根のキムチは、ほんともう、泣けるほどおいしい。 韓国料理の奥深さを思った。
「ゲームもできるよ。」 その私の一言にそそのかされ、夏のボーナス払いでiPodを購入したダンナ。 お気に入りのCDを数枚と、テトリスを落として渡すと、すっかり虜に。 わかるよ〜、その気持ち。 iPodを最初に触ったときの、 「この、いろんなものが発達した世の中で、機械にときめくことがあるなんて!」 という驚きは、今でも忘れない。
母の日のハハには、 新しいパソコンに入ってた音楽ソフトでヒコの歌を5曲「レコーディング」し、 これまたiPodシャッフルに落としてプレゼント。 初め見たときは、それがなんであるのかピンと来なかったらしく、 「ありがとう…でも、これ何?」 と戸惑っていた。たしかに…。見た目はただのクリップだ…。 ヒコの声が聞こえてくると、よろこんでくれたのでよかった。 親バカながら、あまりにも可愛い声で、 最近保育園で歌っている歌や、「ばーばおめでと〜」なんて言葉が入っている。 簡単にこんなことができるのも、 (朝思いついて「レコーディング」し、昼買って、夕方には渡した) 考えてみればとんでもない。
夜、焼酎を飲みながらiPodをいじりつつ、 「うおー!なんだこれ!アップルすげー!」 とうなっているダンナ。 一瞬、あまりの感動からか、 おまけについていたアップルのロゴシールを携帯に貼っていたが、 さすがにそれは恥ずかしいと気づいたようで、 照れくさそうに、ヒマな時にでもはがそう…と言っていた。
新しいパソコンにとまどい中。 以前は当然のように付いていた機能やソフトが、 新しい方針のもと、クールに切り離されている感じ。 OS9のソフトが使えないのはもちろん覚悟していたけれど、 「別売りのソフトに比べたら使い勝手は悪いけど、そこそこ使える」ものが、 ばっさりとなくなって、できることとできないことの差が激しい。 ページレイアウト、ビデオ編集…「え?」っというくらい、機能がない。 いきなりソフトを買いそろえる余裕はないし、 なぜかメールの設定がどうしてもうまくいかないことがあって、 古い2台もまだまだ活用しつつ…の日々が続きそうだ。
去年の春ごろからケーブルテレビの番組を手伝うことをしている。 これまでは、そこの人たちとの関係づくりなどもあり、 「時々自分で作ったり出ることもなくはないが、根本的にはサポート」 という感じだった。 テレビの仕事に関しては、ものすごく自信や技術があるわけでもないから、 今も、これからも、その基本スタンスを変えるつもりはないが、 ここらでちょっと、自分が好きに作りたいものを作らせてもらおうかな、と思い、 今日はその撮影をした。 コーナータイトルは「ペコロスの唄地図」。 思い起こせば、かれこれ10年以上のお付き合いである、 漫画家&長崎弁シンガーソングライターの、ペコロスこと岡野雄一さんと、 長崎のあちこちを歩きながら、それぞれの思いなどを話し、 岡野さんの漫画も紹介しつつ、唄も歌ってもらうというもの。 いままでになく些末で皮膚感覚にあふれた、 それだからこそ形にされることのなかった「長崎」を、 目に見えるものにできたらな、と思っている。
コーナーは15分ほどを予定しつつ、 ちょっと話しだしたらあっという間に60分テープが回ってしまい、 どう編集するんだ、俺! と、自問。 でも、とても面白い話が出てきてくれた手ごたえがあって高揚したのか、 撮影を終え、勢いあまって、新しいパソコンを買った。 勢いあまり過ぎかとも思ったが、さくさく編集したかったし、 いまある2台が、どちらも、いつダウンしてもおかしくないので、 えいや、っと飛び降りてみたのであった。
2008年05月08日(木) |
あいかわらずぞんざい |
昼間、予定したことが不発に終わり、ちょっと時間ができたので、 「そうだ、MrMaxで、猫の砂とか、大ざっぱな買い物をしよう! そしてPCデポでMacを見よう! おっ、そんな時はCoCo壱のカレーをかき込むのがよく似合う」 と、それなりの「おおざっぱな楽しみ」を構築しようとしてみた。 駐車場に着くと、 いちばん手前の、いつもは空いてないようなラッキーな所が空いていて、 素直に「ラッキー! いい調子!」と思って駐め、CoCo壱へ。 クリームコロッケをトッピングしたりして、いい気になって店を出たら、 MrMaxは、店休日だった。どうりで駐車場のいい場所が空いてたわけだ。 結果的に「車を飛ばしてCoCo壱のカレーを食べに行った」ことになり、 なんかそれも悔しいので、せめてMacだけでも見ようとヤマダ電機に行ったら、 Macの扱いがこの前よりもぞんざいになっていて、 「たとえ安くてもここでは買うまい」という決意だけはできた。 だいたいどこ行ったってMacの扱いはぞんざいだけど、 「この値札はどの商品のものですか?」というふうなディスプレイは、 もはや売らないほうがましではないかとすら思わせる。 それに比べたらiPodは、いい場所に並んでいるけれど、 それにしたって、なんか、本心じゃない感じがするような気がするのは、 Macユーザーの単なる猜疑心だろうか。 きっと、他のメーカーとは、些細なやりとりのしかたが違うんだろうな。 通じると思っていた「常識」が通じないとか。めんどくさいんだと思う。 ずいぶん前、ベスト電器で、 「Macのことは聞かれても困ります!」 というオーラがあふれまくっている店員さんを見かけたことを思い出した。 大丈夫。聞きません。値段のことだけ教えてね。
午後は、新しい仕事の打ち合わせ。 まだ先の話ではあるし、本当にすることになるかどうかもわからないが、 やれるのであれば面白そうだ。
夜はヒコ氏にごってり鍛えられ、落ちるように就寝。
連休疲れか、ヒコ氏発熱。 私もなんだかダルかったので、ふたりして休日とするも、 あちこちから電話やなにやらがあり、時々ばたばた。 あわてて取った携帯を落として、 充電する時に開ける小さなフタのような部品が飛んでしまった。 明日からはぽつぽつ忙しくなりそうだし、 まぁ、こんな日も必要なのであろう。
遠い親戚のご好意により、いちご摘み。 「前世があるかどうかしらんが、私の魂は農業したことないな…」 「農業がしかし、いちばん基本だし、強いな。食べものだし。もし戦争とかがあったら、なんか換えるものを持って、ここに頭下げて米をもらいに来るのかな…。戦争はいやだ…」 などと、変なところで戦争反対を思いながら、どっさりいちごを摘んだ。
2008年05月05日(月) |
「もっと聞きなさいよ」 |
実家に遊びに行って、 なんとなく、黒澤明関連のドキュメンタリーを立て続けに見て、 コテッとした肉料理を食べたような気分になる。 黒沢監督が亡くなった直後の淀川長治さんのインタビュー番組もあったが、 内容よりも、その、いちいちスパッとした答えかたが、印象深かった。 そもそもは1分も使わないコメントのためのインタビューだったから、 ディレクターは3つ4つの質問を終え、 「ありがとうございました」と言ったのだが、 淀川さんは「もっと聞きなさいよ。いろんなこと、もっと聞きなさいよ」と、 質問をうながした。(彼の死後、こうして1本の番組になるほどに) ちょっぴりのコメントを録るだけと思っていた取材者は、 一瞬たじろぎつつも、思いつく限りの質問をし、 淀川さんはそのすべてに、 ことごとく、編集いらずのまとまったコメントをバシバシと打ち返していた。 追悼コメントを録るだけと思っていたディレクターがその場で思いつく質問など、 たぶん、淀川さんにとってみれば、寝ていても答えられるほど、 黒沢監督とその映画については考えたのだろうけれど、それだからなおさら、 (彼がこのインタビューの2カ月の後に亡くなったことを思えば、さらに) 「もっと聞きなさいよ」だったのだろう。
黒沢監督や淀川さんに限らず、 ひとりの人間が、その人の中に、 膨大な「まだ見せぬもの」を抱えたまま生を終えることについて、 時々、立ちくらみのような気持ちを覚える。
昨日ようやく取り付けた鯉のぼりと武者のぼりが空によく映える朝、 またもや6時前に起きて、本を読んだりメールを書いたりしていたら、 仰天するようなメールがやってきて、ほんにまぁ、仰天した。 久しぶりに、パソコンに向かって思わず声を上げた。
受けとめるべきことを受けとめ、やるべきことをやるべく、 手はじめにゆっくりとお風呂につかり、洗濯をしてみた。 どんどん起これ、いろんなことよ!
お昼は、福岡のライター・Kさんがやってきたので、 ダンナとヒコと老李でごはんを食べ、 ヒコくんのあまりの多動ぶりに驚いてもらったあと、 二人で喫茶店をハシゴして、 ふむふむという話、ドキドキする話…いろんな話をした。
彼女とは、私の人生の中でも、かなりのハードな体験だった、 「野崎島登山」を含む取材旅行で知り合ったが、 それが今もこうして付き合いが続き、時々話し込むようになるとは、 これまた縁の不思議さを思う。
長崎に暮らしていない人と長崎を歩くと、 また違うものがみつかったりするので、うれしい。 いつも飲むコーヒーも、あらためて味わえる。
夜は、まっつんも来て、浜口の初めて行く焼き鳥屋さんに冒険。 でも、あまりに「アウェー感」が強くて、ホームに帰りたくなり、 五島本陣で二次会。肉ものは食べきれなかったので、 いきなりししゃもや厚揚げを頼む。 すごくほっとしたけれど、一軒目の油が合わなかったらしく、 風邪引いたみたいになったので、帰ってすぐ寝た。
2008年05月02日(金) |
ご隠居さん、陶器市へ。 |
今朝も5時に起きて、洗濯や製本などを片付け、ハハと陶器市へ。 今年は初日にスケジュールが合わず、今日になった。 数年前に初日に行かなかった時は、店もお客もゆるい気がして、 ひどく気合い抜けしたのだが、今日はそうでもない。 やはり初日の雰囲気はなかったけれど、 もはや自分たちにギラギラしたものがないので、 それでちょうどいい具合だった。
陶器市も、かれこれ15年以上は、通っている。 すると、だんだん欲しいものがなくなってくる。 多少値の張る窯元であっても、どうしても好きなところのものは、 この15年で、ひとつやふたつはがんばって買っているし、 たとえ好きな窯元と言えど、その中でも自分がいいと思うものは、 そうザクザクとあるものでもない。 湯のみ1個、茶碗1個、皿1枚、そんなものである。 小さなところであれば、そう毎年新しいものを出すこともない。 そんなこんなで、年々ご隠居のように、しみじみと歩いて回るのであるが、 それでもなお、毎年なにかしら「あっ!やられた!」と思わされるのは、 今年もやっぱりもう、どうしようもなく、深川製磁であった…。
新しいところでは、有田の開祖・李参平の子孫だという人のお皿と猪口を買う。 そう思って見るからかもしれないが、「朝鮮成分」の含有量が多くて、 それが、毒々しい器も多く並ぶ(むしろそれがほとんど)中で、 優しく目を慰めてくれた。
濃厚な休暇を終え、今朝も早起き。 最近の明け方は、はるちゃんがヒコの手や足にじゃれついて、 ヒコが「いやだー!」と声を上げるので、だいたいそれで起きる。 昨日、眠ってしまってできなかった「青葉号」のプリントや、 発送のためのお手紙書きなどを、 ヒコが眠っているのをいいことに、どんどんやる。
ぜんぜん早起きじゃなかった人生だったが、 これもなかなかいいものだ。 なんといっても、ヒコは朝は起きないから…。
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