ぴんよろ日記
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2008年03月31日(月) 根っこにずっと。

1年半前の入園のときからヒコがお世話になっている先生が、
今日で保育園をやめてしまわれる。
先週末に初めて知ったのだが、自分でも驚くほど寂しい。
生まれてから1年半、圧倒的に私と過ごしていたヒコが、
私の次に長い時間を過ごした人だ。
先生と過ごす中でどんどん成長したヒコ。
そのヒコと接することは、先生と接することでもあった。
毎日の連絡帳には、私が知らないヒコが楽しそうに笑っていたし、
先生がヒコをどれだけ見ていてくれるかが伝わってきた。

今日の夕方はお迎えに行けないので、
ささやかなプレゼントとお手紙を渡して、ヒコと写真を撮らせてもらう。
でも、ヒコはぜんぜん笑わない。

家に帰って、写真を見てみる。
絵に描いたように寂しい顔をしたヒコ。

これから大きくなればなるほど、ヒコは先生のことを忘れるだろう。
だけどそれは、意識の表面から消えていくというだけで、
この1年半のあいだに先生と過ごした時間や、優しくしてもらったことや、
困らせてしまったことは、ヒコの根っこにしっかり存在し続けるだろう。

ありがとうございました。どうぞお元気で!



2008年03月30日(日) 交差点で眠る

うちに来て初めて、はるちゃんのうんこが出て、よろこびに包まれる。

日に日に増殖していく、我が家のミニカー。
数年前、小さい息子を連れた友だちと会った時、
「どうしてそんなにミニカーを持ち歩くのだろう?」と思ったが、
そういうもののようだ。
しかし、コレクションが増えるのはかまわないのだが、
なぜ、一緒に寝ようとするのだろう?
その日の気分に合わせた10台ほどが布団に持ち込まれるのだが、
日によっては私の体の上に並べるのが困る。
動いて落とそうものなら、眠たい不機嫌もあいまって、猛烈に怒られる。
この年になって、こんな形で女体盛りを体験するとは思わなかった。

ミニカーは、寝返りを打った時に踏んで痛いくらいで、まぁ、いいが、
つらいのは、音の出る車である。
緊急車両好きのヒコ。
うとうとしかけたところに、突然サイレンが鳴り響き、
「交差点に進入します」だの「道をあけてください」だのと、起こされる。
心と体がもっとも安らぐはずの場所が、常に非常事態。
サイレンがかなりリアルなのも、
つらいのを通り越して、笑うしかないのであった。


2008年03月27日(木) 命は、つぶつぶ。

1年ぶりくらいに、夜中に起きて授乳する。
はるちゃんは、見るたびに大きくなっていく。
よたよた歩くのも、その、あまりの頼りなさに見入ってしまう。
もぎくんが来た時よりも小さい。

その小ささを抱っこするたびに、
よくぞまぁ、ここにこうして生きているなぁ、と思う。
いつからあの車道に落ちていたのかわからないけど、
ちょっと左寄りに運転するクセのある人が通ったら、いちころだった。
手のひらサイズのはるちゃんは、今ごろおせんべいだ。
私が拾ったとはいえ、これが違う日だったら、仕事へ急いでいたりして、
気にはしつつ、戻らなかったかもしれない。
たとえ戻ったにしても、
そのとき、一台前に左寄りに運転するクセのある人がいたら…。

じつに命は、一瞬のつながり(のように見えるもの)なのだと思う。
つながりに見えるけれども、
よく見ればそこには、小さな瞬間の粒子がひしめき合っている。
粒子だけど波…光がそうであるように。

なにはともあれ、よかった。
「近くにお母さんがいたのでは?」という思いは消えないけれど、
彼女が来るのを待つために、はるちゃんを置いておける場所もまた、なかった。
はるちゃんを抱っこした瞬間、はるちゃんが小さな声を上げて、
その次の瞬間、遠くで猫の声がした気がして、
しばらく探しまわったのだけど、それらしい姿も見えなかった。
はるちゃんをショールでくるんで助手席にのせ、車を運転しながら、
「あの声は、どんな意味だったのだろう?」と、
頭の中で、いろんな訳例を並べてみたら、
「おねがい!」
が、いちばんピンと来た。
もちろん、「そう思いたいだけ」という可能性が高いけれど、
こうなったら、そうなんだ、と思って、
「よし、がんばろうね」と、
まだ「はるちゃん」と呼ぶ前のはるちゃんに言ったのだ。


2008年03月26日(水) はるが来た。

朝、すごい拾いものをしたからなのか、
ちょっとだけ外に出たら、
「針の穴に糸を通す」ようなタイミングで、次々と知っている人に会った。

咳き込むたびに走る、脇腹の激痛がやまないので、ついに病院へ。
ノドの花粉症らしい。咳で肋骨を折る人もいるらしい。

すごい拾いもの…。
それは、車道の、今にもはねられそうな場所に転がっていた。
最初は死んでいると思ったが、
どうしても気になって、戻ってみたら、生きていた。
鼻血が出ているように見えたので病院に連れて行くと、外傷の血だった。
先生は「落とされたのかもしれません。かわいがってね」と、
体をチェックしたり目薬をさしたり、おしっこさせたりしてくれた。
とりあえず、春に拾ったから、はる。
(ダンナの「道で拾ったから、みち」は却下)

本屋で、子猫の育てかたが書いてある猫雑誌を立ち読みしたら、
いちばん最後に「すてきな出会いは突然やってきます」と書いてあった。
たしかに突然だったが…。

はるが入った箱を、不審そうに見つめる、茂木で拾ったもぎくん。
「もぎが大事だよ、かわいいよ」と、言い聞かせる。

はる…ミルクを飲んで、よく眠っている。


2008年03月22日(土) 軽の疲れ

昨日から、ようやく自分ちの車(オペルのオメガ)に乗っている。
今まで黒かったラインを、ボディと同じ色に塗ったりして、
なんだか実物大の模型みたいになって帰ってきた。

軽のほうが燃費もいいし、「軽」って書いた駐車場にも止められるけど、
やっぱりなじんだ車がいい。
ガソリン代はたしかにつらい。
満タンの値段は、本当に倍だし、それでおなじくらいの距離しか走らない。
でかいので、狭い駐車場はダメ。
低いので、立体駐車場はダメ。
車道からの入り口が盛り上がったコンビニには入れない。
でも、どっしりと安定してるし、ステレオの音もいい。
ちょっとした便利さとか「走ればいいんだ」という基準では、だんぜん軽だけど、
しばらく乗っていると、じわじわと疲れてくるのがわかる。
それはたぶん、最初から軽だとわからない疲れだ。「こんなもんだ」と思うから。
そう思う人に言わせれば「いい車」に乗ることは、バカバカしくさえあるだろう。
(10年前のオメガがいい車かどうかは意見が分かれるだろうが)

乗り心地にまつわる疲れもさることながら、
ステレオの音の悪さが、なんとも、真綿で首を絞めてくる感じだった。
ということは、街中やお店に流れているBGMによって、
人はどれだけ疲れているのだろう。
いらん音をカットしてくれる機能がiPodなんかについてたらいいのに。
イヤホンからは何も鳴ってなくて、
電車の音や、お店のおばちゃんの声は聞こえるんだけど、
割れたスピーカーから出る音は聞こえなくなる、とか。

今回、2回続けてぶつけられたおかげで、すっかりきれいになったが、
もう勘弁してほしい。


2008年03月21日(金) バイバイは降り積む

沖縄から妹がやってきた。
この日を楽しみにしてきたヒコ氏。
夜、ようやく会えたときには、ものすごいテンションになってしまい、
オッパッピーや浅田真央の真似、もちろんウンコチンコなど、
様々な技を取り混ぜながら、爆走アピール。
友だち一家の時もそうだったが、
「今は目の前にいない誰かと会うことを心待ちにする」
ことに関しては、大人並み、いや、それ以上かもしれないというところまで、
気持ちが発達したのだな、と思う。

そして、バイバイの寂しさと、
それをきちんとできないことが、もっと寂しいということも。

いつまで経ってもハイテンションのままだったけど、
もうそろそろ帰らなくちゃいけなくなって、
ただ「帰ろう」と言っても、「いや!」と言うばかりだった。
だから
「さっちゃん(妹)は、もうお風呂に入るから、
 ちゃんとバイバイできなくなるよ。ちゃんとバイバイしてから帰ろうよ」
と言うと、すんなりバイバイできた。

バイバイって、思っているよりも、大事なことのようだ。
「さよならだけが人生」なんて言うけれど、
大小さまざまなバイバイをきちんと積み重ねられるというのは、
そういう意味では、もっと前向きなことなのかもしれない。


2008年03月20日(木) 抜けはじめ

朝起きてみたら、明らかにのどの調子が良くなっている。
きっと、昨日おとといと、楽しかったからだし、
(咳き込みながらも)友だちと話せたことの中に、
このところモヤッとしていたものを、スッキリさせてくれることがあって、
それが大きい気がする。

今回ののどの不調の大きい部分が、
そのモヤモヤから来ていることは感じていたのだが、
それを受けとめた体がいかんせん弱っていて、
自分なりに気持ちを変えようとしたけれど、受けとめきれなかった。
一生、深呼吸もできず(一定以上息を吸い込むと咳き込むので)、
一分以上続けてしゃべることはできないのかと思いかけていた。
(そういう意味で、心と体の順応性はすごいと思うが。)

でも、もう、このトンネルは、抜けはじめた。


2008年03月19日(水) 「だいすき」な人たち

昨日はチビちゃんたちを大きな公園でたっぷり遊ばせ、
夜は家で、沖縄料理やお刺身を、どんどん食べた。
お酒とチーズでのんびり飲めたけど、
私を筆頭に、大人4人中3人が咳き込んでいて、
いろいろ話そうにも話せなくてくやしかったが、
「いちばん先に寝た人の顔に落書きしよう!」とダンナが提案していたので、
その通り、ダンナの顔に落書き。

朝、ゆしどうふ(沖縄の朝はこれで始まると言うが、本当か?)などを食べ、
昼は岩川飯店で鳥皿や皿うどんを食べ、ペンギン水族館へ。
このところ、ヒコ氏が「ぺんぺん見たい〜」と言うので、立て続けに行くが、
行くごとにペンギンを好きになる自分に気づく…。
今日はついに、リアルなペンギンの人形を買ってしまった。
「こんどはひとりで来て、スケッチしたい」などという気持ちが湧いてしまう。

危険な(買いたくなるものが必ずある)うつわ屋さんに行って、
友だちも私も、やっぱり買ってしまい、
お諏訪さんのとこの酒屋さんで、ちびっこたちが揃って眠っていたので、
奇跡的にゆっくり話しながらコーヒーを飲み、
のだ屋でごはんを食べて、高速の入り口まで送る。
そしたら、帰り道の車の中で、突然ヒコ氏のテンションが下がり、
今にも泣きそうな顔で、「バイバイしたかった…」と繰り返しはじめた。
たしかに、高速の手前でもう一回話そうと思っていたのだが、
信号も青で、ビューンと帰っちゃったのだ。
ヒコがあまりにも落ち込んでいるので、あわてて車をとめて、電話する。
「ばいばーい、ばいばーい、またねー」と、何度も言い、
電話を切ったあとは、いつも通りのテンションに戻った。
すごい。
もう、こんな感情まで、あるんだ。

寝しなにも、ひとりひとりの名前を挙げて「だいすき」と言っていた。
親以外にも「だいすき」な人が、ひとりでも増えてくれればいい。
それは(特にヒコが小さいうちは)、私たちがどれだけの人と、
「だいすき」と言えるような付き合いをできるかにかかっている。
やみくもに多くの人と仲良くなることは性格的にもできないけど、
ヒコも一緒にいい時間を過ごせる人を、大切にしていこうと思う。


2008年03月18日(火) 人の振り見て…

昨夜ゆがいておいたラフテー(沖縄の角煮)用の豚肉。
お正月に仕込む時は、一晩置いておけば、ゆで汁に脂が白く固まっていて、
パカッと取り除けるのだが、今朝は固まっていなかった。
春なのだ。

身内同士で褒めちぎりあうのって、気持ち悪い。
とにかく近づかないようにするだけだ。くわばらくわばら。
そして、そういうことを見聞きするにつけ、
もっと勉強しなくては、と思う。

さぁ、今日から3日間は、完全休暇だ!


2008年03月17日(月) ピリオド

朝からひとつ仕事をして、机の掃除。
ふと、封を切っていない確定申告の袋をみつけた。
ペリペリ…はがしてみる。
ふ…今日までか…。
その時までは、やれるとは思っていなかったが、
封筒から用紙を取り出したとたん、ムラムラとやりたい気持ちに。
こないだの残りのラムの煮込みにスパゲティをぶっこんでかきこみ、
早く終わらせてマッサージに行くことを目標に、猛然と計算。
去年までちまちま書き込んでいた必要経費などの紙がなかったので、
なんとまぁ、終わってしまった。うれし〜!

咳がまだ止まらないので、時々中断して集中できなかったが、
マッサージも受け、このところの超ハード月間に、一応のピリオドを打つ。

夜はヒコ氏の強いリクエストにより、実家へ。
急に訪れたので、「ごはんがなくてごめん!」という思いをさせてしまった。

明日から、友だち一家が来るので、ラフテーを仕込む。



2008年03月16日(日) 無事、おバカ道。

親バカではあるが、
ヒコ氏は、なかなかのビジュアルで、
「黙っていれば」ちょっとした気品のようなものさえ漂っているので、
(言っとけ言っとけ)
ひょっとしたら、
子ども…とくに「男子」が発するバカバカしいことを、
言ったり、したりしないんじゃないか、なんてトチ狂ったことを思っていたが、
そんなことはまったくなく、無事、「うんこちんちん」の世界を生きている。
外に出て、ちょっと好みのお姉さんがいれば、
変な顔を作り、唐揚げを食べて興奮した野良犬のようにグルグル回りながら、
「うんことしっこ、たべる〜」を連発。しまいには地べたにゴロゴロ。
まったくアピールになっていない。

でも、これこそが、男の子を産んで、見てみたかったことなので、うれしい。
自分もわりとバカ路線を生きてきたが、
(タモリ教授の真似をする小学生の時の写真が残っている)
やはり男子のそれは、吹っ切れの次元が違うと思っていたし、
小さい男の子のおバカは、見たことがなかったから。

このおバカは、いつまで続くのだろうか。
中学生や高校生になっても、
「加藤くんって、結構カッコいいのに、バカだよね…」
と、女子の間で言われるよう、精進してほしいものだ。


咳が止まらず、花粉もピークのご様子。
漢方でお茶を濁しているが、のどがあまりにつらいので、
ついに普通の鼻炎薬を飲んでみた。
鼻と目の不調は不気味なくらい止まったが、のどはあまり変わらず。
花粉由来の不調ではなかったようだ…。じゃぁ、なんだ?



2008年03月15日(土) 発散

通勤仕事もようやく昨日で一段落したので、
ヒコ氏を実家に託し、たまっていた家での仕事をコツコツと。
久しぶりに、集中して文章を書く。
すると、みるみる頭の中の重い雲が抜けるのがわかる。
絵に描いたような、集中して発散するタイプ。
帰ってきたダンナへの対応が、われながら爽やか。
いつもは、つい、自分の心の不完全燃焼ガスをふっかけてしまうので。

夜は二人で駅前食堂。見たら頼んでしまうカキフライ。


2008年03月14日(金) 通えない

道を歩いていて、
いつもだったら遠くからでも走っていって声を掛ける人が見えたけど、
声も体も動かなかった。

以前、曲がりなりにも、ひとつのところに通っていたことがあったが、
それを終わるときに、
「もう、自宅以外に自分の机を作るのは止そう」
と、強く思ったのを思い出す。
そして、異様に気持ちが晴れたのも。

今週一週間は、仕事の都合で、どうしてもひとつの場所に通っている。
しかしどうも落ち着かず、
日に日に、ことあるごとに、体が動かなくなっていくのがわかる。
通えない体…。
自宅の仕事場に「通う」生活に、早く戻さなくては。


2008年03月12日(水) 腹筋には

花粉がピークなのかなんなのか、
しかも鼻よりもノドに来ていて、咳き込む日々。腹筋には良い。
今週は、ずっと、家ではできない仕事をしに出ている。
ということは、家でするべきことがまったくできない…。やばい。

夜は発作的にラムをトマトで煮込む。


2008年03月09日(日) 内臓も

ヒコ氏を実家に預け、家で仕事、のち、マッサージ。
これまでの最高記録な感じのコリだった。
もまれながら、こりゃどうしたことだ、と思う。
機械で言えば、まったく「遊び」がない感じ。パッツンパッツンだった。
「食欲はどうですか?」
「風邪も引いたから、あるとは言えないですけど…」
「こんだけ体が固まってたら、内臓も動けなくて、食べられなくなるんです」
なるほどー。たしかに食べなくても平気だった。
そして、マッサージが終わるころには、ぐんぐんお腹が減ってきたのだった。


2008年03月08日(土) おやま!

昨日の夜は、ダンナも風邪引いていたらしい。
夕方急に具合が悪くなったとか…。
どこか変なとこに行って、なんか拾ってきたのかなぁ?

ヒコ氏が、こないだ亡くなった子のことを、突然話すことがある。
「○○くんとあそんだの。おててつないだよ」
生前だろうか、それとも最近…?

それとは少々違うが、これまた突然、
「うまれてくださーい」「うまれてくださーい。ひこ、じゃんぷ!」
なんていうので、
「ヒコくん、『うまれてくださーい』って言われて生まれたの?」
って聞くと、ホントかウソか、「うん」。
「ほかのおともだちもいたの?」
「いっぱい。」
「どうやって生まれてきたの?」
「ひこ、はしって、じゃんぷ!」
「へー! じゃんぷしたんだ!」

ここまで来てしまうと、興味を押さえきれず、聞いてみた。
「生まれてくる前はどこにいたの?」
「おやま〜」

おやま!

なんか、リアリティあるなぁ…。


2008年03月07日(金) 一寸先は這々の体

ヒコ氏をお迎えに行っていると、突然具合が悪くなった。
その突然具合と来たら、一寸先は闇、というような感じ。
まさしく「這々の体」で家に帰り着き、布団を敷いて、
ダンナに「自分のおかずだけ買ってきて〜」とメールして、寝る。
ヒコ氏は、こんな状態にまでなれば、割とわかってくれる。
ごそごそ自分で遊んでいた。
8時くらいから、とにかく眠った。


2008年03月06日(木) 職場もないしおじさんでもないし

終日出ずっぱり。
お昼は、初めての定食屋に行ってみたが、いまひとつだった。
特にまずいわけでもないし、
自分がもしそのへんに職場のあるおじさんだったら、たびたび行っただろうけど、
私はそのへんに職場もないし、家庭料理に飢えたおじさんでもないので、
もう行かない。
そもそも、店の外観から、
私くらいのお姉さんたちがやってるのかと思っていたら、
おどおどしたおじさんがやってた(奥にはおばさんもいたけど)。
店に入ってそれを確認した時点で「しまった」と思ったのだった。

撮影の帰り、浜口を通っていたら、パトカーがたくさんいて、
立ち入り禁止のテープも貼られていた。なんだったのだろう。

夜は実家へ。
午後の取材分を、即原稿化しなくてはいけなかったので、
お迎えも頼んで、仕事を一段落させてから行く。
ヒコ氏は坂道で派手に転んだらしく、おでこやほっぺたをすりむいていた。

帰り道、消防車を見たいと言うので、あちこち回るが、
時間が遅かったのか、中央消防署まで閉まっていた。


2008年03月05日(水) 限界超え

いまお迎えに行こうかとしているときに、保育園から電話。
お昼寝の時に、大量に吐いたという。
うわ〜、いまさら嘔吐下痢症か〜? と、保険証を持って出る。
行ってみると、でも、元気。
先生が「たくさん吐いて、匂いもあって…」と言うので、
「どんな匂いですか?」と聞いたら「レバーみたいな…」とのこと。
なんかそれもやだなあ、と思いつつ話を聞くと、
どうやら給食にレバーが出たらしい。そりゃレバーみたいな匂いもするだろう。
「お昼ごはん、好きじゃなかったの?」
「うん。おいしくなかった…」
帰って献立を見てみたら、お魚のあんかけとか、なめこ汁とか、
うちでは逆立ちしても食べないようなものだった。
保育園の名誉のために書いておくが、給食はとてもおいしい。
ただ、今日のメニューは、
ヒコ氏の「嫌いなものもカッコつけて食べる」限界を超えていたようだ。


2008年03月04日(火) ほど遠い

卵、小麦、牛乳。
よくアレルギーの話で出てくる方々だ。
子どもに与えすぎると、どうのこうの…とか。
しかしヒコはこれらが大好き。
これらのものプラス、肉とごはんがあればいい。
というよりも、うちではこれしか食べてくれない。
野菜や渋い料理は、保育園ではカッコつけて食べているらしいが、
うちではまったく召し上がらない。
大好物は、うっかり食べさせたのが運の尽き、「どん兵衛」と「カール」。
「どん兵衛」を食べさせろと号泣することが、週に1、2度はある。
正直、かなしい。
安全な食べものとか、おいしいごはんについて、
われながら気と金を使っているが、子どもがこれでは立つ瀬がない。
昨日も野菜を細かく刻み入れたつくねバーグを作ったが、
一口も食べてくれなかった。
作り甲斐、ゼロ。
もう少し大きくなったら食べてくれるようになるのだろうか。
それ以前に、食べる間はテーブルに着いていてくれるようになるだろうか。
どんなに言い聞かせても、叱っても、なだめても、
一口食べては遊びに行ってしまうヒコ。

食育…か…。ふっ…。ほど遠いな…。

まぁ、「燃費」は異常にいいから、食糧難になった時は生き抜けるだろう。
あぁ、そうだな。非常時に強そうだよ…。



2008年03月03日(月) どこか違う街の

今まで見た中で、いちばん濃い、黄砂。
外が、ほんとうに黄色く煙っている。
高いビルの輪郭だけが、その中に立っている。
旅の窓から見ている景色のよう。
どこか中国の小さな都市、と思って見るとしっくり来る。

ヒコを送って、新大工で買い物して、軽く掃除。
本を読んでいたら、とても眠くなった。
今日まではかろうじて休めるので、お昼も食べず、割り切って眠る。

起きたら雨。

夜はつみれハンバーグの予定。照り焼き味の。


2008年03月02日(日) うなる。

ぶつけられた車がまだ修理中なので、代車(軽)ぐらし。
バイパスに乗ると、途端に息があがるが、まちなかは軽で充分だ。
いや、むしろ、いい。狭い駐車場にもポイッと駐められる。
ということで、ばあちゃんちに行く。
家の前の道が狭いので、いつもの車だと路駐もできないし、
近くにパーキングもないから、なかなかゆっくり行けない。
ハハとヒコと3世代で訪問。ばあちゃんを入れて、4世代。
そして久々にばあちゃんの作ったオムレツや煮物を食べ、
あまりのおいしさにうなる。
なんなのだろう、あの絶妙な味は。
甘さ、まるみ…。
たぶん、作ろうと思ってもできない。
店にももちろん売ってない。
ダンナにオムレツをもらって帰った。うなっていた。


2008年03月01日(土) メリットは?

ダンナがトンコツ欲を押さえきれない様子だったので、
かんしゃくに行こうかと思ったけど、休みだし、もちょっと遠くへ、と、
諫早の、もちょっと遠くの、小長井へ行く途中の道沿いにある、
久留米の大砲系の店へ行った。

けっこう混んでいて、待っている人も。
あいかわらずバタバタするヒコを、ダンナと交互に連れ出しながら座っていると、
なにやら店のおばさんがいらだっている。
早く来た順に、奥から座るルールになっているのに、
私たち(3組ほどの待ちグループ)がごちゃごちゃに座っているかららしい。
「奥の方からご案内するんですからっ!」とか怒っている。
そりゃあんたのルールだろ。

ふと見渡すと、カウンターの上のほうに、びっしり紙が貼ってある。
時間が書いてあるので、早食いの記録?と思ったが、よく見たら、
レジのところにルービックキューブが置いてあり、
「オレンジ一面53秒!」などという、客が挑戦した、その記録だった。
私はこういう「遊び心(っていうの?)」が好きじゃない。
(しかも台紙には、店主のハゲ頭がデザインされている)
こんな紙を貼り巡らせるスペースがあるのなら、
「お待ちのお客さまは
 順番にご案内いたしますので
 奥のほうからお座りください」
って書いて貼っといたらどうだろうか。

と思っていたら、店のあちこちや、メニューの1枚1枚に、
「当店には取り皿・分け皿はございません」
という主旨のことが、やたらと貼られ、書かれていた。
よほどイヤなことでもあったのだろうか?
1杯のラーメンを、10人くらいで分けられたとか?
あ、小さい子どもにはどうなんだろう…。一瞬にして、我が身の問題に。
そう思ってメニューを見ると、
「おこちゃまラーメン お顔のトッピング」なんてメニューが。
つまり、子どもは取り分けずに、これを頼めってことだろうか?
あー、なんかイヤになってきたなー、この「おこちゃま」の「ちゃま」もイヤ…、
と、食べる前からかなりブルーに。
些細なことだけど、私が飲食店でイヤな気持ちになるツボを次々に押さえてくる。
「おこちゃま」設定がされている割には、ヒコくんにお水は出てこない。
だからおこちゃまラーメンも頼まなかった。

「固麺で」と頼んだら、
「いいんですか! 固麺のほうが早くのびるんですよ。」
「…? どういうことですか?」
「中までゆだってないから、その分、スープを吸うのが早いんですっ!
 それでもお好きならいいですけどっ」
「いいです。固麺で。」
これまたなんだか「シロートが通ぶって固麺って言うけどね」
というニュアンスが漂っていて、ブルーに輪をかける。

ラーメンが来て、もちろんヒコくんの取り皿は出てこない。
頼む気にも、もちろんならない。
でも、大きい丼から直接食べさせることはできないので、
おにぎりの皿を使うことにして、
ダンナのおにぎりは、高菜が入ってきた小さな小さな皿に乗せ、
私のおにぎりは、ティッシュの上に乗せた。
私たちの席は、店のおばさんもよく目の前に来るし、
奥でラーメンを作る店主からも、見ようと思えば見える。
(そういえば彼は、あんまり客のこと見てなかったなぁ)
実際、おばさんは、ヒコがおにぎりの皿でラーメンを食べ、
私のおにぎりがティッシュに乗せられていたのを見ていた。
それでも、この店には、取り皿は「ない」のである。
冗談なのかなんなのか、替え玉を頼んだら、
ミッフィーちゃんの小さい丼で出てきた。
これだよ!これを貸してくれればいいんだよ〜!

「それでも、この店に取り皿がない」
ことが、この店にもたらすメリットはなんなのだろうか?
常識を超えた取り皿の使い方をする客が、
過去にいったいどれくらい押し掛けたのだろうか?
それとも何か、深い深いラーメン哲学に裏打ちされた取り皿廃止論者?
まさかとは思うけど、洗い物が1枚たりとも増えるのがイヤ?
だったら高菜とおにぎりは一緒の皿に出てくるだろうし…。
少なくとも、「おこちゃまらーめん」を頼むまでには至らない子どもがいる客は、
すごーく困っていると思う。
それとも、「子どもにも取り皿は貸していただけませんか?」と、
女王様に懇願するように頼めば貸してくれたのだろうか?

肝心のラーメンは、
それとこれとは別、と、つとめてフェアに味わったつもりだったが、
前食べた時よりもおいしくなかった。
ということで、二度と行かない店に決定。


口直しに、山の中にあるカフェを目指したら、
カフェの近くに住んでいる友人と車ですれ違った。
しばし一緒にお茶を飲む。
ラーメン屋の話をしたら、彼女自身は覚えてないけど、
一緒に行った人が「彼女が取り皿を頼んで、ひどく怒られていた」と、
いまだに言うらしい。
うわー、ひどく怒られるんだ…。

のどかな風景の中、彼女の子どもたちとヒコが、仲良く遊んでいる。
猛烈に素晴らしい眺めだった。
子どもたち同士って、いいなぁ。


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