ぴんよろ日記
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2008年02月29日(金) 再確認

来週は来週で、またいろいろあるが、
今日はお昼で、とりあえず一段落。
先週の今ごろは上海にいたと思うと、日の経つ早さにめまいを覚える。

お昼ごはんは、天ぷら。
安くておいしいと思っていた店だけど、今日はなんだかもたれた。
衣がコストダウンされた気がする。
食べものに気を使い始めると、加速度的に外での食事がつらくなるのがつらい。

天ぷら屋を出た足で、カフェ豆ちゃんに行き、シナモンロールとカフェラテ。
天ぷらでもたれていたが、ひそかに「食べ過ぎる」ことを心がけているので、
おやつを頼んでしまった。
ダイエット希望の人に罵られても、もう少し太りたいのだ。
シワはともかく、スタミナ不足がつらい。
燃やすものがない。明らかに自分がスカスカ。自転車操業。

昨日だかおとといだかに、テレビで辰巳芳子さんを見て、
「おばあさんになるまで生きる」という目標を再確認した。


2008年02月28日(木) 組み合わせ

ようやく風邪が収束したと思ったら、花粉が飛んでいる。
かなりハードな日々を送る私の鼻粘膜。気の毒だ。

久しぶりに新大工で買い物。
今日の生ものは、ナマコ、ひらす、アンキモ。

ヒコを迎えにいったら、保育園の先生が黒い服を着て、
昨日亡くなった子のお通夜に行くところだった。
保育園の先生と喪服…なんと見たくない組み合わせだろうか。
小さい子どもが死んでしまうと、親や親族が悲しいのはもちろんだけど、
(考えただけで発狂しそうだ)
親よりも長い時間を一緒に過ごしているかもしれない先生たちの悲しみもまた、
どんなものだろう、と思う。


2008年02月27日(水) あまりにつらい

家でごそごそしたり、
仕事の調べものをしに図書館に行ったりなんだり。

夜、家の電話がやたら鳴るので、半分くらい取らずにいた。
ヒコと遊んでいたら、
「すずちゃん(同級生の女の子)、ヒコ、ブーブー、どーん、いたいっ」
とか、
「おかお、ごっちん、いたいの」などと言うので、これは、
保育園の庭にある車のおもちゃのところで小競り合いにでもなり、
ヒコがすずちゃんを「どーん」と突き飛ばしてしまい、
顔にケガでもさせたのかな…と想像して、
明日先生にでも聞いてみようと思っていた。
そんなところへ、また電話。
取ってみると、保育園の、しかも園長先生からだった。
…うわっ、これは、ちょっと、思っていたよりもひどいケガを負わせたのか!?
と、暗い気持ちになったが、話を聞いてみると、もっとつらいことだった。
ヒコともおなじ部屋で過ごしていた、1つ下の組の子が、亡くなったと…。
つらい。あまりにつらすぎる。10月生まれ。ヒコとちょうど1つ違い。
小さい子の命が不安定だというのは、頭では知っているけれど、
身近に起こると、あまりにもショックだ。
もしヒコだったらもしヒコだったらもしヒコだったら…と、グルグル回る。


2008年02月26日(火) 生ものパレード

取材経費の精算などをこなしたあと、買い物と立ち読み。
紀伊国屋で本を選んでいたら、猛烈な咳き込みが襲ってきて、
涙と鼻水ダラダラでトイレに駆け込む。あーびっくりした。
ノドの状態がかなり悪くなって、治りかける時って、1度はこうなる。
今回も「あー、来た来た」とわかりつつ、でも逃げようもないので、
ぐじゃぐじゃに咳き込み続けた。
こんな時って、頭は冷静。

何も考えず食べたいものを買ったら、
夜はカツオのたたき、馬レバ刺し、クロの刺身…と、生ものオンパレード。
ダンナも遅かったので、ヒコにはお肉を焼いて、モリモリ生ものを食べる。
お酒も飲んでいたら、ヒコがそのコップを取り上げ、
わざとツバを垂らそうとしたので(最近よくする汚いこと)、
それまで友好的だったムードが一変。
私が玄関でしゃがみ込んでいたら、ちょうどダンナが帰ってきて困惑していた。


2008年02月25日(月) 休み。

ヒコも休ませて、一家の休日とする。
結婚記念日でもあるし。

中国から帰った翌日だというのに、岩川飯店で皿うどんを食べ、
(ノドが痛かったので、中華料理不完全燃焼だった)
ぶつけられて修理に出している車にCDを取りにいき、
(私が上海に行った日に、信号待ちでドカーンとやられたらしい)
ペンギン水族館でなごむ。

夜はお寿司を奮発して、家で食べる。
塩とダイダイのかかったイカが最高だった。


2008年02月24日(日) しみこむ

朝から昼過ぎまで取材して、3時ごろには街を離れる。
寂しい。
やはり旅はいい。
旅そのもの、というより、旅に出るとその状態になりやすい、目と頭の感じ。
長崎にいる時も、できるだけその状態にあるように心がけているが、
あまりに疲れると、どうしても鈍る。
でも、もっと研がれて、かつ身軽でありたい、と、上海は思わせてくれた。

土地の…気…は、ほんとうに、短い滞在でも、身体にしみ込む。
顔を洗う水と、川の水の匂いが同じであることが、
細胞レベルで身体を上海に染め変えていく感触が、とても心地よい。

夜、福岡着。さらにJRで長崎へ。
ホームの売店で買った「日本『黒幕』列伝」を読みながら電車に揺られる。
政財界の「わるもの」や、あやしい人々がいっぱい。
でも、もう死んだ人ばかり。
私はかなりの人を生きていた人として覚えているけど、
10歳若い人は、ほとんど知らないだろう。
それも寂しいことだな。
戦前戦後、上海で活躍(暗躍?)して、大もうけ、という人も数人いて、
旅のつながりを味わう。
「どんな悪人でも老いや病気には勝てない」
というような言い方が、よくされるけど、貧乏くせー、と思う。

ちょっと違うけど、こんな言い草を目にすると、野口晴哉氏の、

 「ひどい人は『胃癌になるといけないから胃袋を除りました』と言う。
  胃袋さえなければ胃癌にならないと……。
  それなら首を切っておけば万病にならない。」

を思い出す。
何度読んでも大好きな一文。

夜中過ぎ、帰宅。
ヒコが起きていた。
うれしかったが、嵐のような抱っこ要求に、倒れそう…。


2008年02月23日(土) まともさん

終日取材。
その中に「一般家庭にお邪魔して、料理を作ってもらう」というのがあった。
若い新婚さん。料理は夫の母が作ってくれた。
ちょうど、一人っ子政策が始まったころの若夫婦は、
たぶん、いい暮らしをしている人たちというのもあって、
日本人並みにぬるい顔をしていた。

夜は、今回の取材で、いろいろ巡り巡って、
なぜか一緒に仕事をすることになった、10数年来の友人イマムーと、
レポーターのFさんと3人で、火鍋を囲む。
あいかわらず声が出なくて、しゃべりたいのにしゃべれない。
途中でFさんが私のことを、
「もっとまともな人だと思っていた」というようなことを言ったので、
2人とも大ウケ。
どうやら私が「色街を歩くのが好きだ」とか、
「喉が痛くなかったら、ザリガニもカエルも食べたかった」と発言したり、
(すごく辛そうな料理だったのだ)
火鍋の薬味のコリアンダーを、
常軌を逸しているほどてんこ盛りにしているのを見て、
それまで日本で接していたイメージに疑問が生じてきたらしい。
イマムーが、
「この人はね、変なねーちゃん。いや、ほとんど男」と解説してくれていた。

また、昨日とは違う店で足裏マッサージ。
とても上手だった。


2008年02月22日(金) 上海へ

上海へ。
300キロだか400キロだか出るリニアモーターカーに乗った。
「10年くらい前に行った」というと、
いろんな人から「上海はすごく変わったよ。ぜんぜん違うはず」
と言われ続けていたけど、そうでもなかった。
たしかに目に見えるものは、
ドンガラガッシャンニョキニョキドカドカ変わっていたけど、
そこは揺るぎなく中国だし、洗練されたやさぐれ感を持つ上海だった。

直前までの風邪、野口整体の原則としては、
熱が出て、下がって、本当なら「平熱以下になった時だけは安静に。」
なのだが、肝心の「平熱以下」になった時に、どうしても安静にできず、
さて、これがどう出るんだろうか、と思っていた。
この安静をおろそかにすると、変に風邪が残ったり、別の形で出たりするらしい。
果たして…見事に声が出なくなった。
身体の具合は悪くないのに、声が出ない。
「伝えられない」ことの悲しみを、冬の上海で味わう。

仕事が終わり、少しでも身体を治そうと、ホテルの近くのマッサージ店へ。
人生初めての「カッピング」をしてみる。
背中にガラスの壷みたいなものを吸い付かせて毒を取るとかいうやつ。
思っていたより熱くも痛くもなかったが、
毒はたっぷりあったようで、背中に恐ろしい色の丸がいくつも出現。
もはや、デザインの域に達していた。



2008年02月21日(木) 経過

昨日はついに史上最高の39,9度を記録したので、
さすがにインフルエンザじゃないかと思って、病院に行った。
幸いなことにただの風邪だった。
それならば野口整体式に風邪を経過してリフレッシュしたいと思ったが、
いまここで薬を飲みなさいと言われて、しぶしぶ飲む。
しかし結局は、熱冷ましの頓服が切れたであろう時間に、
布団かぶって寝ていたにもかかわらず、猛烈に寒くなって、震えた。
決死の覚悟で起きて、しっかり足湯してみる。
そしたら、こないだ熱が出た時にはそれほどまでに感じなかったけれど、
今回は、前回の分が下地になっていたのか、
…つまりは、「分割払い」じゃないとほぐれないほど、身体が固まっていたのか、
背骨の芯のほうから、じわ、と温まったことがわかって、
そのままじーっとしていたら、身体の内側がぐおーっと熱くなって、
まさに滝のような汗が出てきた。
麦飯石サウナに入ってるような感じ。苦しくないことはないけど、気持ちいい。
風邪を健康法ととらえるならば、
麦飯石サウナは、人工的に風邪の状態を作り出しているとも言える。
野口氏が「うまく風邪をひけば、ガンだって治る」というのも、
なんだかわかる。

厚手の寝間着を、汗で2回ザブザブにして、朝起きたら、すっきり。

風邪よありがとう。


2008年02月20日(水) また

また風邪。
昨日と今日、強いて言えば休める日だな、と思っていたからだろう。
なんとなくそういう予感はしていたが、見事に発熱した。
明後日から上海に行くので、今日には治さなくては。
(たぶん、それは身体もわかってのことだろう)


2008年02月18日(月) 糸から人へ。

日に日に、言葉の発音がはっきりしていくヒコ氏。
自分のことを「いと」と言っていたのが、ここ数日で「ひと」になった。
「こ」って難しいのかな。
そういえば「うんと」「ちんと」だし。
どんどんしゃべれるようになるのが、ほんとうに目を見張るほどだ。
こっちが言うこともすぐに真似するから用心しなくてはいけない。
何日か前には「ぼちぼちいこうか〜」と言われておどろいた。
そして、赤ん坊の時に私が適当に作って歌っていた歌を、
またまた覚えていてくれていたようで、よく歌っている。

「うんとの においが いたします〜」

うんこのおむつを換える時に歌っていた歌…。


2008年02月17日(日) 撤回

大フェイントで、熱がぶり返したヒコくんと、終日みっちり過ごす。
みっちり過ぎて、最後は呼吸困難に。
2月に入って、家族全員がベストコンディションだった日は1日もない。
だいたい、寒いのだ。
もう寒いのは飽きた。
寒さに対しては、ほんと、へなちょこ。
長崎より寒いところに住むのは無理だ。
山陰が大好きだし、松江なら住んでもいいかな、と思ったこともあるが、
撤回撤回、無理無理。

夜は、ラムの焼いたの。バターライス。
昨日のしゃぶしゃぶのダシを使った野菜スープ。にんじんとレーズンのサラダ。


2008年02月16日(土) 予想通り

これを書いているのは、翌日。
だけどもう、この日、何があったか、パッとは思い出せない。
夜に黒豚しゃぶしゃぶを食べたのは覚えているが…。

あ、そうか、ひこくんの保育参観だった。
お店屋さんごっこのようなものが各教室であっていて、遊びに行くのだが、
ひこくんは行く先々で、様々なものを破壊したり、コースを逆走したり、
まぁ、予想通りの展開だったのだった。


2008年02月15日(金) 今日のリズム

朝から晩まで出ずっぱり。
つかの間の帰宅は、1時間。
さむがりもぎくん、すきあらば膝に。
夜までの締め切りが、もうひとつ。
ひこくん、今日で2歳4ヶ月。
おめでとう、あぁ、おめでとう。

一日の仕事を終え、数人で飲む。
なんだか根っこな感情がぶわーっと湧いてきて、
しまいにゃ私のタクシーに乗りかけたダンナすら降りさせて、
ひとり、家に帰ってきた。

なんだかなぁ、もぎくんを抱っこして、チョコでも食べよう。



2008年02月14日(木) しわよせ

おとといは、保育園から「発熱です」と呼ばれ、昨日は休み。
今日はいつもより2〜3分熱があったが、
元気は標準値をはるかに越えているし、いちかばちか送り出した。
こうして、さすがに2週間非常事態が続くと、
「外に出るお仕事」をとにかく遂行するのがやっとで、
「家でやるお仕事」に、かなりのしわ寄せが来るが、
今日はさらに「今日が〆切でした」というものが1件やってきて途方に暮れる。
そもそも、明日〆切のものがあと2つ3つあるが、またいつものように、
馬鹿力でなんとかしてしまうのだろう。
この点では、自分を信用している。

でもさすがに今月はこたえている。
まだ月半ばだが、1月がいつだったのか、よくわからない。
下旬には上海取材もひかえているのに…。

ほんと、健康第一だ。今回は自分が倒れたのがつらかった。
つらかったが、たまっていた毒を清算できたということにしよう。


2008年02月12日(火) この場所こそが

ようやく風邪の終わりが見えてきた。
親知らずの腫れも、ほぼ、引いた。
だからお昼は、栄養補給と称してのだ屋に行って、
普段は頼まないチーズハンバーグにした。超こってり。
キーマカレーを、おまけで少しもらった。
カレーを食べられるようになるなんて、2日前には想像もできなかった。
まだちょっとしみたけど、おいしくいただいた。

資料の本を買って、家の机に座る。
強い安らぎに包まれる。
あぁ、ちっとも座ってないけど、この場所こそが、いるべき場所だ。
できるだけここに座る時間を増やしていこう。

今日は晴れていて、日差しだけ見れば春みたいだが、とにかく寒い。


2008年02月11日(月) なんか怒りっぽい休日

建国記念日にアメリカの軍艦がやってくるというので、
ダンナは4時に起きて佐世保へ行った、ようだ。(知らないうちに出て行った)
安保条約や日米関係を語る度量はないが、
佐世保の基地の前を通るたびに眼に入ってくる、あの、
鳥居をデザインしたステッカーみたいなマークには、腹が立つ。
飾りじゃないっつーの!
ああやって、世界各地で、
その土地の人が大切に思うものを基地のステッカーにしてるんだろうな。

昨日は報道特集をじっくり見た。
これまでの原爆症認定の基準には、そりゃもう驚いた。
認定されるには「1キロ以内での被爆」が、かなり大きなクリア基準らしい。
1キロ以内!
まず8月9日に死んどるっちゅうねん!
その基準を作った人は、
原爆が落ちたあとの写真の1枚でも見たことがあるのだろうか?

口の中がオール口内炎&親知らず腫れで、
木綿豆腐が、もはや固すぎて食べられない。
素うどんが、固さも塩気も許容量マックスである。
そして自動的に痩せている。フラフラである。
「ダイエットしたい〜、でもできない〜」って言ったり思ったりしている、
真性のデブでもない人々よ、それはものすごく贅沢なことだぞ。
細い服がモデルみたいに着こなせないことが当たり前ってことくらい、
猫でもわかるわい!
そして痩せたらシワだぞ!

栄養失調だろうか。怒りっぽいな。



2008年02月10日(日) えーい!

治らん!
笑うしかないほど、風邪が治らん!
親知らずも腫れっぱなし!
えーい、どこまで続くか見せてもらおう!


2008年02月09日(土) 日々変化

日々、苦しかったり痛かったりする風邪だが、確実に状況は変わっていく。
今朝は、この風邪いちばんの大汗をかいた。
もう熱は下がっていたから、汗をかくとは思っていなかったので意外だった。
体はかなり軽くなってきたが、今度はどうやら、ノドの腫れが親知らずへ。
何年も前に一度腫れて「こうなったら抜くか…」と歯医者に行ったが、
「腫れが引かないと抜けない」と言われたので、どうしようもなかった場所だ。
だから、今日も、薬を飲むなり塗るなりして、やり過ごすしかない。
が、しかし、痛い。痛いが、たぶんこれが過ぎれば、ゴールは近いはずだ。

血液検査の結果を病院に尋ねると、
今回の風邪にまつわる炎症反応以外は、何の問題もないらしい。
肝臓も腎臓もコレステロールも。
肝臓はどうかな、と思っていたけど、コレステロールはないはずだ。
むしろ栄養失調なのだから…。


2008年02月08日(金) ゴロゴロ…ジリリーーーン!

昨日は、とうとう病院に行った。
あまりにも口の中が腫れていたので、
「やっぱりヒコのヘルペス…?
 脳みそまで菌が行ったら、バアさんになっても文章を書きたいという夢が!」
と、暗い気持ちになったのだ。
でも結局は、とにかく疲れた風邪と言われ、薬をたくさん出された。
かなり気持ち悪い感触の、口の中用の塗り薬も。

薬を飲んで塗って一晩眠ったが、思ったよりは良くなっていない。
ベースが悪すぎるのであろう。今日は養命酒でも飲んでみるか。

仕事の合間に、昔の赤線の本を読みながらゴロゴロしていたら、
住んでいるビルの非常ベルが鳴った。
別になんでもなかったようだが、状況が状況だったので、
怒られているような気になって、部屋に干していた洗濯物を、わけもなく取り込む。

健康第一。早く治りたい…。

ヤナちゃんの新譜を聴きながら仕事していたら、
不意に泣き曲が現れて中断してしまった。
去年の夏、東京で聴いて泣いたやつだった…。


2008年02月06日(水) 成長した

汗もかいたし、治ってるだろうと思って起きようとしたが、
ぜんぜん治っていなかった。
なんとまぁ、風邪らしい風邪だろうか。
でも、約束はあるし、ヨロヨロしながらも出かけては、なんとかこなす。
まるで入れ替わるかのように、ヒコくんが完治したのが救いだ。
昨日の夜は「熱があるのでよしよししてください」と言ったら、
「だいじょうぶ〜」と言いながら、頭をなでてくれた。
成長したなぁ。

食べものを目の前にしても、ちっとも食べられないが、
頭の中には江戸善の唐揚げとか、焼き肉などがちらつく。
どういうわけだろうか?


2008年02月05日(火) 風邪。

風邪。
熱。
どちらも久しぶり。
昨日は足湯と焼き塩療法を試みた。
ゆっくり過ぎて行っている感じだ。
仕事はたまっているが、なんとか折り合いをつけながらやっていこう。


2008年02月03日(日) 天職

「いと、じぶん。」

まだ「ヒコ」と発音できないヒコは、自分のことを「いと」と呼び、
レジでの支払いや鍵の開け閉めなど、
様々なことを、「自分」で成し遂げたいと主張する。
一日に何度、この「いと、じぶん。」を聞くことだろうか。
時には「そりゃ無理ですって」というようなことも断固としてゆずらず、
「いと〜ぉ、じぶん〜っ!」と泣きわめくこともしばしだ。

そんな「いと」がいない朝。異様に静かな我が家。
ダンナはお粥を食べ、ひたすら眠っている。
私も久々に10時まで眠った。

昨日の夜は、1週間ぶりくらいに、本を読んだ。うれしかった。
ずーっと持ち歩いてはいたので、何度も読み返したようにくたびれているが、
20ページくらいしか読んでいなかった。
読めないとわかってはいても、どうしても、読みかけの本を持って出てしまう。
いつどこでポッカリと読める時間があるかもしれないと思うと、
持たずにはいられないのだ。
その日の気分が文庫本なら問題ないが、単行本だといたずらに重い。
重いけれど、持たずにはいられない。

昨日、マッサージに行って、
「自分の読み書きができないと、体調も悪くなるんです。
 体はきつくても、集中して読み書きするとスッキリしちゃいます」
という話をしたら、オヤユビキング・Kさんも、
「僕もマッサージしてないと調子悪いですね〜」
と言っていた。
理屈や、才能や、世間的に成功するしないは別としても、
「それをしないと体がきもちわるい」ものって、一種の天職なんだろうと思う。
それをするように、体が生まれついているわけだから。


2008年02月02日(土) お茶目さん

ようやくヒコの熱も下がったと思いきや、今度はダンナが発熱。
あまりにも具合が悪かったらしく、
たぶん、いまの仕事に就いて初めて、途中で帰ってきた。
私は前から決めていた予定があったので、ヒコを実家にあずける。
迎えに行くとあまりにも眠っていて、
家に連れて帰っても、風邪のダンナが寝ているし、ということで、
そのまま泊めることになった。

なんだか、ポカーンと、自分だけ。

でも、この1週間でたまった仕事があるので、これを機に片付けることにする。


ある人について、
自分がこれまで見積もっていた値よりも、
その人が私のことを良く思っていない
(いや、ひょっとしたら心の底では嫌いなのかもしれない)と思えば、
時々不可解だったいくつかのことに合点が行くということに、
つい最近気づいた。
さらにそれは「私自身の行状や性格がその人にとってどうか」というよりも、
「なにかひとつのものごとや、ひとりの人間と対した時に、
 あの人ならば、これくらいの価値を置くだろう」
と予測していたものが、かなり誤っていたということだった。
つまりは、私がその人について、長年、判断を誤っていたということだ。
人間関係には、そういうことは付き物なのかもしれないが、
これまでの自分の中では、珍しいことだったので、少し驚いたのだ。

私のことをどう思っているかはさておいても、
思っていたよりも嘘つき、というか、
思ってもないことを、思っているように言える人なのだ。
その際の「本当は、ここまでは思ってて、ここからは思ってないだろうな」
という線が、こっちの見積もりよりも深いところにあったのだ。

しかし、なぜかそれがむしろ、
「なーんだー、そんなお茶目さんだったのかぁ」
と思わせるような人なのだから、おもしろいといえば、おもしろい。


2008年02月01日(金) おじさん(小)

うちには時々、
小さいおじさんが眠っていてびっくりするが、
それはだいたいもぎくんだ。
でも、ほんとうに「小さいおじさん」としか見えないので、
いちいち驚いてしまう。


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