ぴんよろ日記
DiaryINDEX|past|will
2008年01月30日(水) |
なぜ知っているのですか? |
ヒコ氏、絶賛発熱中なので、病院へ。 ヘルペス口内炎だった。 誰しもが通過する道らしい。 ヒコ氏は比較的軽めで、すでにピークは過ぎているのだそうだ。 「私にもうつりますか?」とたずねたら、 「お母さんは、とーーーーーーっくの昔にかかってますよ」 らしい。 一度かかったその「菌」を一生持っていて、 疲れたりすると、出現するのだとか。なるほど。
そう思って最近の体調を振り返ると、 不調な時に出る顔のかゆみがあったような…。 「私にもうつりますか?」じゃなくて、私がうつしたようだ。
夜は、冷凍食品じゃない、自家製餃子。 これはもう、数日前から決めていて、すでに餡を作っていたのだが、 今朝、小児科の先生に、 「口の中がしみますからね、そういうものは食べられません。餃子とか」 と言われたので、一瞬、目が点になった。
昨日のヒコ氏の連絡帳に、ちょっと高めの熱が記されていたので、 どうしたんだろうな…と思っていたら、今朝はドドーンと39度を越えていた。 しかし、ほんとうに、ただそれだけで、動きの激しさはまったく変わらず。 でも、さすがに保育園に行かせるわけにも行かないので、休ませる。
朝も昼も、ごはんをモリモリ食べたのに、夜は食べたがらない。 見ると、口の中に口内炎ができていた。
だけど、今夜も夜中まで遊びまくる彼…。
私が畳に座っているとき、 膝に乗るでもなく、横にぴったりと、もぎくんが並ぶ時がある。 それはまるで、お稲荷さんの狐みたいな、 頼もしい「お使い」がいてくれるようで、 自分が、なにか、陰陽師とか、妖術使いになったような気にさえなる。
…と書いている、いま現在のもぎくんは膝の上。 この一週間は、わらわらとよくわからないまま過ぎて行った。 一週間のできごとというよりも、 去年の後半に受けた様々な刺激や衝撃や痛手などなどが、ここへ来て、 もわーんと昇華したり、気持ちのケリがつきそうな目処が立ったりして、 ようやくまた雲を抜けられそうな、 でも、その、抜ける前の揺れ、という期間だったような気がする。 何をしていても感覚は遠く、能率もまったく上がらず、 わけのわからない夢ばかり大量に見て、けっこう難儀だった。 でも、なんとなく、次の空の光が見えてきた気がするので、 そちらに向かって進もうと思う。
今朝は、ヒコ氏を送り、パスポートを作りに行った。 2月の末に、仕事で上海に行くことになったので。 外国は10年ぶりくらいだ。 窓口にて。 「すみません、前のパスポートがどこにあるのかわからなくて…」 「こちらでお調べしますよ」 「あ…結婚前だったので、名前が…」 「下妻さんでしょ? お母さんにはお世話になって〜」 「あ、そうですか、どうも、こちらこそ…」 たしかに母は、長年、ここで働いていたのだ。 そしたら、さらに、隣のブースの人が 「あら、下妻さんとこのみどりちゃん! ○○だけど…覚えてないでしょうね〜」 どうやら小学生くらいで私に関する記憶が止まっているようだ。 うぅ、もう37です…。子どももおります…。
大黒市場で買い物して、今日はもちろん、明日の昼夜までの料理を下ごしらえ。 家でどれくらい効率よくおいしいものを食べられるか、もっと考えていく予定。
昼はレバーの甘辛煮、お刺身、豚団子スープ、 レンコンきんぴら、えんどう塩ゆで(これは昨日の残り)。 豚団子には、昨日買った雑誌を参考に、レバーを混ぜ込んだ。 これならレバー嫌いの男どもも気づくまい…。
テレビのことを、ひとからげにして馬鹿扱いするおじさんに、 猛烈に抗議する夢を見て起きた。 最近変な夢ばっかり。 いや、変というか、ずーっと昔から気にかかっていたことなどを、 夢のレベルで解決していこうとしている感じ。 具体的には説明がつかないけど、どうもそんな気がする。 パソコンで言えば、ハードディスクを整理してるような。 これと似た感触の「シリーズ夢」を、妊娠中にもよく見た。 もう会わなくなった小さいころからの友だちが、当時の姿で出てきたり。 その時のほうが、もっと肉体的な記憶の整理で、 今回は、もう少しアタマのこと、という印象がある。 どちらにしても夢のことなので、確証はないが、 とにかく「さかのぼって整理」しているようなのだ。
本日はヒコ氏デー。 近来まれに見る強力さだった。 アーケードで、絵に描いたように寝転んで泣きわめいてくれた。 道ゆく人も大注目。 そうさせてしまった原因はわかっているのだけど、 それはもうどうしようもなかったことなので、おさまるまで待った。 中央公園で2時間近く遊んだら、帰りの車で眠り、そのまま朝まで。
でも、夜中に一度起きて、夢かうつつか「お肉食べる!」と言い出すので、 「お肉ないよ〜。明日買っとくから〜」と答えると、 「お肉食べる! お肉食べる! お肉〜!」と、ずっと泣いていた。 すごく貧乏なうちみたいだった。
「プロフェッショナル」で、 玉三郎とイチローが2週立て続けにあった。 二人とも、とんでもない才能やら努力やら心がけやらの上に、 大変な場所で日々を過ごしているのだということが、 今さらながら伝わってきたが、 二人を並べてみると、玉三郎が持つ「純粋さ」が、きわ立った。 玉三郎のあとにイチローを見ると、おなじ番組なだけに、 イチローの雑味というか、不純物というか、迷い、若さ、などが、画面に漂う。 それは、いい悪いではまったくなく、 けっこう単純に、年齢の違いのようなものに由来しているのではないだろうか。
ジャンルは違えども、 その道における、似たような深さ、高さの絶対値に向けて進む二人。 (玉三郎もイチローも、自分が見ようとしているものは見えず、 しかし、あるのは間違いがない、というようなことを言っていた。) でも、どんな天才だろうが努力家だろうが、進むには時間がかかり、 その道のりの中には、似たような浮き沈みや迷い道や落とし穴があるのだろう。 凡人にはわからないレベルのものも多数あるに違いないし、 ひょっとしたら、凡人の前にだってあるものだけど、 それに気づくか気づかないか、気にすることができるかできないかが、 凡人かそうでないかをわけるのだ。
と、そのような道のりを歩むにあたって、 玉三郎は、いまイチローが取りまかれているような「もや」のある場所からは、 幸か不幸か、もう抜けてしまっていて、またその先の、 これまたそこにはそこにしかない、 かなしいまでに美しくこまやかな光にあふれた場所で、 なにかを見つめつつ、肉体を生きる自分と折り合いをつけているようだった。
玉三郎という人生を引き受けるというのは、どんな魂なのだろうか。
2008年01月25日(金) |
取っとけば良かったと |
たとえばヒコ氏がこの世からいなくなってしまったら、 これまでのヒコ氏に関わる自分の行動、 そのほとんどすべてを後悔するんだろうな、と、思う。 そして、それはそうなっちゃうのが自然なのだろうけど、 だからといって、 「そうならないように、ひとつもイヤなことをしないでいよう」 (たとえば叱ったり)と思うのも、 また、それこそが、間違いであろうと、気持ちを持ちなおす。 その手の後悔は、しだせばきりがないと予測がつく。 ひとつを「そうじゃなかったんだ」と思うことができても、 際限なく湧いてくるしかけになっているはずだ。 だから、逆に、果てしなくどうでもいいようなことについて、 「これだって、そういう状況になったら、後悔の種になるんだろうな」 ということに気を止め、 「これが後悔の種になるんだから、どんなことだってなっちゃう。 その時々のレベルで悔いのないよう、思うようにやっていこう」 と心がける。
…という、時々思うことを、今朝、ヒコ氏のハナクソを取りながら思った。 「もしヒコくんがいなくなったら、 あのハナクソも取っとけば良かったって思うんだろうな」って。
しょうもないけど、そういう気持ちがグルグル回るのが、 親になるってことか、なんて、しみじみ。
ヒコ氏の保育園へ、保育士体験に行く。 保育士体験をしながら、先生たちとゆっくり話ができるいい制度だ。 これが面談だけだったら、話しそびれることも多そうだし、 先生たちのこともよくわからないままだろうから。
去年は入ったばっかりで、ヒコ氏のことしか知らず、目にも入らなかった。 今年は連日お遊戯会のビデオを見せられていることもあって、 ほとんどの子の名前がわかってたし、他の子を見る余裕も生まれていて、 なかなか楽しかった。 自分は子どもになつかれないと思っていたのが、 みんなけっこう寄ってきて、中には抱っこされたがる子もいて、 両手に他の子、背中にヒコ氏という、まさに保育士な瞬間もあった。 ヒコ氏はどうやら、私がいることで、いつもと態度がまったく違うらしく、 「おうちではこうなんですか…?」と心配げな顔をされたので、 「いや、もっと、ですけど…」と言うと、 明らかに「そりゃ大変だぁ!」という表情をされてしまったが、 だからといってヒコ氏はヒコ氏なので、このままがんばるしかない。
給食を食べて、保育士体験は終わり。 午後は、そんなヒコ氏とみっちり過ごす。
夜は何日も前からしつこくリクエストされていた諫早かんしゃくへ。
昼から出勤だというダンナが、ごはん食べてから出るというので、 急遽、昨日の鶏団子のたねを、照り焼きつくねバーグに。 玉子焼き、大根塩もみ、ポテトサラダも作り、定食に仕立てる。
家のごはんを食べたい気持ちが、最近、いっそうふくらんでいる。 外で食べるのも大好きだけど、家のごはんのおいしさは、また格別だ。
午後は仕事があったので、ヒコ氏を実家に預け、また新大工に寄る。 魚フライが食べたくなり、ワセという白身の切り身を買う。 魚フライって、独特の存在感だ。 強烈な主役にはなりがたいけど、時々、おいしそうだな、と思う。 でも、いざ定食屋のイスに着いた時には、 空腹度が魚フライのキャパを超えているので、 メニューの隣に並ぶ、もっとガッツリしたものを、結果的には頼むのだ。
家に戻り、勢いのあるうちに、揚げるばかりに調理。冷蔵庫へ。 仕事していたら、どうしても食べたくなり、ひと切れだけ揚げる。 レンコンの南蛮漬けも、ついでに作る。 狂おしいほど食べたくて、ひと切れだけ揚げ、皿にも乗せず、口へ運ぶ。 あまりにもおいしい。 間違いなく、これがいちばんおいしいだろう。
もうひとつ、ごはんの時の楽しみは、さよりのお刺身。 いつも行く魚屋さんに、時々ある。 さよりのお刺身って、ピンと来ない感じだけど、一度食べて虜に。 今日は大好きなヒラスもトロカツオもあったのに、 さよりを見たら買わずにはいられなかったのだ。
今日はおいしいものばっかり食べてるなぁ。
鶏団子鍋を食べたくなり、ヒコ氏をお迎えに行って、一緒に新大工へ。 新大工の鶏屋さんのひき肉しか、もう、好きじゃないので、どうしても。 でも、お金を払う、その数秒で、ヒコ氏は弾丸のごとく、走り出す。 (やはりバックス向きか…) 鶏屋さんと魚屋さんにしか行かなかったのに、へたり込むほど疲れた。
しかし、買い物の甲斐あって、ヒコ氏は猛烈に団子を食べてくれた。 味噌仕立てにしたが、スープもどんどん飲んでいた。
ミーティング、取材、と、今日の夕方までがんばれば、 ここ1週間ほどの山は越えたも同然だったので、 夜はつい、飲みに出た。 初めて行く立ち飲み屋さんだったが、ヒコ氏がやたらかわいがられた。 ご主人がラグビーをするらしく、「動き屋」のヒコ氏を、しきりに誘う。 「お、君は走りがいいからバックスだな」等。 勝手に決めないでくださ〜い! どっちかというと、私ら夫婦は苦手で〜す! 「4歳になったらスクールに来いよ」と、ボールまでもらった。 一緒に飲んでいたAさんと「おそろしい片道切符ですよね…」と、おののく。 その後、ダンナの上司でもあるYさんが、 「私たちはもう一軒行くけん、カトちゃんは帰らんね!」と、言い放ち、 男二人はラーメンを食べて帰った。 YさんAさんと3人で飲みはじめたが、言い出しっぺのYさんが突然帰り、 Aさんと「私たちって、なんでここにいるんだろうね」と、しみじみ飲む。
〆切、取材、〆切、と、まるで忙しい人みたいな1日を過ごした日。 夕方のお迎えはダンナに行ってもらい、仕事に打ち込む。 ヒコ氏が帰ってからも、私は部屋にこもり、いないふりをしていたが、 どうしても、ドアのすりガラスから光が漏れるし、 たぶん、母ちゃんの気配を幼児が察しないわけがない。 すりガラス越しに「かーしゃーん」「かーしゃーん?」「かぁしゃぁぁぁん」 という声が、続々届く。 これまでも似たようなことはしていたが、 ただの泣き声だったので、なんとか知らないふりもできていた。 しかし、「かぁしゃ〜ん」と言われてしまうと、 つい、扉を開けたくなるのが人情である。 ずるいぞ、言葉を覚えたての幼児たち! 君たちの言葉は、 君たちが思っているよりもはるかに、大人の心をつかんでいるぞ!
ダンナが朝早く出かけて行った。 佐世保のライフル野郎が暴れたスポーツクラブが再開するので、 そこへやってくる人たちを待ち受けるのだという。 それを聞いたとき、一瞬、吐き気がした。 なんと悪趣味な…。 どうするんだろう、そんなことして。何を聞くんだろう。 「泳いでる間、事件のことは思い出しませんでしたか?」とか?
ひゃ〜。
歴博近くの、昔からあるお寿司屋さん。 昔住んでいた家のお向かいにあった井手さんち(古い町家)。 KTNギャラリー前の、古いミシンでいつも何か縫っているところが見えてた家。
何日か前、車で走っていたら、これらの全部が取り壊されているところだった。 どれも、私の中では好きな風景を作り出していてくれていた建物。 さすがに1日のうちに3軒も発見したのはショックだった。
いつだって街は移り変わって行くけれど、 最近それがやけに激しい気がする。
ダンナとヒコ氏と、唐八景へ。 ハタ揚げをしているおじさんたちが楽しそう。 風がない時は、ぼやーっとしゃべったりしているが、 誰かが「来た!」と言うや否や色めきだち、 どんどんハタが上がっていく。 横で口を開けて見ていたら、高ーく上がったハタを、 「揚げてみんね」と渡された。 素手で!?と思ったけど、風が安定している時は、 指に食い込むこともなく、ふんわりと持っていられた。 あぁ、この、ハタや凧を揚げる時にだけ味わえる空っぽ感よ…。 「ハタ揚げ名人になりたい」という、時々よぎる野望が頭をもたげる。 しかし、いかにも下手そう…。勝負弱そう…。
昨日の夜は、ヒコ氏とデートだった。 バスに乗って消防車を見て、ちゃんぽん食べるコース。 消防署に着くと、いきなり救急車が出動して、大興奮。 こないだも私たちがいるときに出動したので、なんだか後ろめたい気もした。 そのうち「あの親子が来たら出動」というジンクスにならないといいが。
紅灯記がいっぱいだったので、老李へ。 ヒコ氏を抱えてちゃんぽんを食べさせながら、 ピータンで生ビールを2杯飲んだ。 やけに楽しかった。 こんなことは、今だけだろうから。
「息子」って、もう、見ているだけで、息詰まるほどせつない。 女の子を産んでないので、多くは語れないのかもしれないけど、 男って、ある意味、存在自体が「打ち止め」なわけで、 そういう人をまた一人、この世に存在させてしまった感慨が、 最近やけに大きいのだ。 だからこそ、彼が、彼自身によって刻み、広げる世界のひだが、 どうか彼だけにとどまらず、すばらしいものになりますようにと、祈るばかりだ。
昨日は、新しい図書館に行ってみた。 当然だけど、新しかった。 そこに時々、やけに懐かしいパーツがはまっていて、変な気分になる。 原爆の時の救護所再現コーナーには、 新興善小学校の壁や柱などが使われているのだ。 じわっと熱くなるほど懐かしい、うすみどり色の板。手すりの丸み。 「触らないでください」って書いてあったけど、 こっそり触った。
新しい書棚は、まだ空っぽの部分が多いくらいだったけど、 それがむしろ、うれしい気持ちにさせられた。 開架の部分しか見てないけど、私の本も、そこそこ役に立つだろう。 基本的に、本はグイッと広げないし、折らないし、線も引かない。 唯一手を加えるのは、紐のしおりのおしりを結ぶことくらい。 そしてついに「本を寄贈したいんですけど…」 と、相談してみた。 「それでしたら、これにタイトルなど書いていただいて…」と、 お姉さんが、10冊ほどのデータを書き込む書類を持ってきてくれた。 「あの、ちょっと、量が多くて…」 「何冊くらいですか?」 「段ボールに10箱ほど…に、2〜300冊…」 「…」 「…」 「ちょ、ちょっと待ってくださいね…」
でも、つまりはやはり、 全部のタイトルと著者名をリストにしなくてはならないようだ。 そしてどうやって図書館まで運ぶのだ!
どうすることやら。
◇
こないだ、車の修理の見積もりに行ったとき、 そこの大将や常連客と話していたら、 長崎ではわりと有名な洋服屋さんがお客さんにいて、 その人がいかに儲けているかということを聞いた。 だいたい、原価の10倍くらいで売っているらしい。 そして、 「商売人って、千円の物を一万円と言い切って売れる、その度胸だよね」 という結論に達していた。 確かに。 ぼったくる、という意味も軽くは含むかもしれないけど、 自分が選んで店に並べるということに、どれだけ価値をつけるかってことだ。 それを「度胸」って表現したところに、大将のセンスが光ったのであった。
のんきに本の整理などしていたら、 いつの間にか、仕事が詰まってきていた。 ちょっとあわてる。
そう思うと、なんだかガッツリしたごはんが食べたくなった。 こってりした中華系の炒め物など。 紅灯記のランチはなんだろう。スーパイコだと最高。
お腹が減ってると、食べもののことばっかり浮かんでくるなぁ…。 どうしてお腹は減るのかな…って、名言だなぁ…。
こないだ駅前食堂でごはんを食べていたら、 タクシーの運転手さん同士が、いろいろ話していた。 昨日乗せた革新系の議員が、とても「おおどかった(横着)」ことや、 駅か街か、どちらかでの客待ちシステムのことなど。 その客待ちシステムには、時間の制限があるらしく、 「残り2分で『もうダメだ』と思った時に、長距離の客に当たる」 ドキドキ感が、熱く語られていた。 それを聞きながら、あー、彼らは一種の漁師なんだなー、と思う。 時間や天候や人の流れを読んだり、時にはバクチに出たりしながら、 街という「自然」を泳ぎまわって、ひととき、客を乗せ、糧を得ている。
ダンナは、酔っぱらって乗ると、やたら運転手さんに話しかける。 「ろうですか!今度の値上げは。運転手さんたちに反映されとっとですか!」 などと、ろれつは回ってないくせに、妙に社会派になるのがおかしい。
昨日は、ひとまず、小ぶりの段ボール10箱分くらいの本を詰め終わった。 かなり思い切ったと思うが、 帰ってきたダンナから「本棚、あんまり変わってないけど…」と指摘される。 たしかに、それぞれの棚を「棚ごと」ではなく、半分ずつ抜いたような状態だし、 そもそも、それぞれの棚には、「定員」の2〜3倍ほどを詰め込んでいたので、 さもありなん。
本がたくさんある部屋が大好きなので、 こんなに手放す気になるとは思わなかった。 たぶん、自分が通っていた小学校の場所に、図書館が建ったからだと思う。 「あそこにいてくれるのなら」という、どちらかと言えば生理的な感情に、 本を詰めているあいだ、ずっと包まれていた。
とてもおもしろく読んだ本も、 ふたたび開く確率と、本が多すぎる憂鬱と、新たな読者との出会いを天秤に掛け、 ちょっとでも針が「詰める」に振れたら、詰めた。 意外な本で「これを詰めて、これを残すか…」という発見もあり、おもしろい。 好きなジャンルや作家でも、もう、通り過ぎたな、と思うものは詰めた。 長崎関係の本も、特に好きなものや古いものなどは残したが、 図書館ですぐ探せそうなものは、詰めた。 なので、なんだか、爺さんの本棚みたいになってしまった。
でも、これだけ詰めてみると、 どこかで何日間か「流しの古本屋」を開いて売ってみたい衝動に駆られる。 カウブックスほどオシャレさんな本は揃ってないが、 それなりにおもしろい本棚を作れそうな気がするのだ。 本屋さんの愉しみが、少しだけわかった。
◇
昨日、一盛り100円だったキビナゴを一夜干しにして、 朝から「収穫」していたら、ムラムラと食べたくなり、ごはんをあっためる。 もぎくんに2匹取られつつ、おいしくいただく。
新しいファンヒーターを買った。 そもそも、ヒコ氏が乱打したスイッチ類を中心に、調子は悪かったが、 昨日ついに「ぴゅるるる〜〜パンッ!」などという異音を立てて、 ウンともスンとも言わなくなった。 ヒコ氏をお迎えに行く直前だったので、店を選ぶ余地もなく、 滞在時間10分、夢彩都のベスト電器で購入。
その後、のだ屋でダンナの誕生日会を終え、家に戻ると、 やっぱり、ほれ見ろ、案の定、古いファンヒーターのスイッチは入った…。 「調子は悪かったし」「温度調整できなかったし」 「これで、私の部屋につけられる。やったー!」などと、 思いつく限りの負け惜しみを言う。 そんなもんである。 ま、調子は悪かったし………
今日もどんどん本を詰めよう。 売るのもなんだし、どうせ悲しくなるくらいの値段だろうし、 寄贈を受け付けているようなので、 新しい図書館に持って行ってみるつもりだ。 本たちよ、私を通り過ぎて、また新しい人に出会ってくれたらうれしい。
◇
心だけ、体だけ、それだけならば、それぞれ簡単だが、 それが混ざると、混ぜるな危険!になり、 しかし、だからこそ味わい甲斐があるというものだろう、 が、ニコニコおいしいことばかりではなく、小骨もあれば、スジもある。 ノドに刺さると痛いし、噛みっぱなしで過ごすことも。
仕事始め。 ヒコ氏を送ったあと、お諏訪さんへお参りに行く。 ダンナ母が佐賀の寺へ行きたがるのとどう違うのかと言われても困るが、 つまりは細胞のリフレッシュである。 本殿の向かって左側の大きな木を見上げていると、 なんだかスッキリするのだから仕方ない。
七草がゆが、残り5杯くらいだったので、ありがたくいただく。 しかし、やけに「ダシ味」だった。 もっとサラリと塩味なのかと思っていた。
参道脇の酒屋さん「たけやま」でコーヒーを飲んで、いろいろ考える。
今年は、より目の前のことをやっていこうと思う。 いつもなんだか、美化した遠くのことを見すぎていて、 「あれをやろうと思ってるステキな私なんだから、 (目の前の)このことがやれなくてもいいや」 というような、勘違いに逃げていた。 でもきっとそれは、大いなる間違い。 「その前に部屋を片付けろっつーの」、と、 きっちり自分に突っ込みながら歩んでいく所存である。
ということで、本の整理。
のんびり正月も、たぶん今日まで。 水仙、咲いてるかなぁ、と思いつつ、野母崎へドライブ。 お昼は途中のモスバーガーへ寄った。 久々のジャンクフードが非常においしかったが、海へ着くころには胸焼け。 幸か不幸か、この手の食べものに対しては、すっかり軟弱になっている。
水仙はまだまだ、半分といったところ。 脇岬でヒコ氏を走らせる。 海に入ると言って聞かないヒコ氏。寒いってば! 結局じぶんで裸足になって、時々波に足をひたして笑っていた。
でも、海はとても気持ちがよくて、 空には、龍や天女や鳥たちのような雲が、次々に流れていた。 今年はもっともっと、自然の中にヒコ氏を連れて行きたいな、と思う。
夜はお好み焼き。 最近どうも野菜不足だったので、 キャベツ焼きと言ってもいいほど、キャベツを刻む。 大根の塩もみ、にんじんとレーズンのサラダも作って、モリモリ食べる。
昨夜は、このところ飲む機会が増えたI氏と、さっそく新年会。 はじめしみじみ、その後ハイテンションな、いつものパターンで年明け。 あとふた月ほどで結婚生活も8年を数えるが、 そう思えば、「飲み仲間」にも変遷があるなぁ…。 ひところは「住んでるんじゃないか?」と思われるくらいうちに来ていた人と、 仲違いをしたわけではまったくないんだけど、もうぜんぜん飲まなくなったり。 そうやって時は流れて行くのだろう。 ひとりの人との関わり方にも、さまざまな形があるのだ。
昼前から、ダンナ母孝行と称し、佐賀方面へ。 ダンナ母がなにやら思い入れのある寺へ。 しかし私は波長が合わないので、どうもブルー。 本殿(?)が改装中とかで、その団体の信徒会館みたいなとこへ入った。 以前から薄々思ってはいたが、やはり一種の新興宗教であった。 敷地に入ったからって名前を聞かれるわけでも、勧誘されるわけでもないし、 年に1、2度ここに来ることで、彼女の気持ちが晴れるのなら、 あえて止めはしないけど、 「あなたもお参りしなさい」と言われたら、それはできない相談である。 (お参りしてほしいという視線が飛んできたけど、気づかないふりをした)
建物を出るとき、ドアの空いていた事務所では、 銀行かと思うような札束が数えられているところだった…。 せめてドアは閉めなさい。
鳥栖のアウトレットをぷらっとして、夜は駅前食堂へ。
昨日、仕事でお世話になっている人から、 家の整理をしていて出てきたという、長崎に関する本をたくさんもらった。 処分しようかと思っていたけど、私の顔がよぎったらしい。 持っている本もあったが、欲しかった本も、何冊も入っていた。
こういう「メッセージ」は、わりと受けとめてしまう。
そして今年は、もう少し、大変がらないように心がけたい。 大変なのはどうしたって大変なんだから、もっとそれを普通視したい。
寝正月も3日目。 気が緩んでいるのか、一家三人、猫までもが、10時を回っても起きない。 普段はなんとなく起きるのだが。
お昼はヒコ氏を実家に預け、ちょいと街へ行ってみる。 1月いっぱいで閉店するという、レストラン金子でランチ。 この店の味って、特に好きでもないのだが、 「自分が住む街に、こんなレストランが1軒くらいは存在してほしい」 という理由で好きだ。
古くからのダンナの友だち一家と、5分だけ会う。 男の子が3人。 「電話する」って言ってた時間になってもぜんぜんかかってこないので、 いったいどうしたんだろうと思っていたら、 勢いよく遊んでいた次男がおでこを切って、病院に縫いに行っていたらしい。 男の子…。 しかも3人…。 友だちがあまりにもデブになっていたので、 妻子の前だからこそ、「今まででMaxデブだ!」と忠告しておく。 ダンナより2つも下なのに、つまりは私より3つも下なのに、 子どもだって3人いるのに、あの太り方はいかんだろう。 でかいのは態度だけにしてほしい。 (あんなにさわやかに態度のでかい人間を他に知らない。すごい才能の持ち主)
でも、久しぶりに会えて良かったな、と思いつつ、靴下など買う。 てくてくと駐車場に戻っていたそばを、 猛烈なスピードで自転車が走りすぎて行ったのだが、 それはどう見ても「体と足を悪くして店をたたむ」はずの、 レストラン金子のおじちゃんだった。 すごい走りだったが、本当に悪いのだろうか…?
夜はおせちなどを、粛々と食べる。
ヒコ氏を寝かしつけたあと、いつもだったら自分も眠るが、 昨日、鼻血が出そうに集中してイチローの番組を見たあとだったので、 「1ページでも本を読もう」と向上心を奮い立たせ、読書。 いろいろ思いついたりしてしまい、眠れなくなった。
寝正月。 昼過ぎまでゴロゴロし、そばをゆがいて、天ぷらを揚げる。 鶏とイカ。 ヒコ氏には、大好物の玉子丼。とり天もぱくぱく食べていた。
お諏訪さんへ初詣。 人がたくさんいて、それだけで楽しい。 しかし噴水の池では、鯉が一匹死んでいた。 「どうぶつひろば」で、ウサギやサルを見て、 いつもはコーヒーを飲む参道脇の酒屋さんで、甘酒。
大小の造船所のクレーンを眺めながら、なぜか戸町のユニクロへ。 寝間着ズボンが欲しかったのだが、いまひとつ好きなのがなくて、やめる。 CMで見て、 「あー、CMはかっこいいけど、実物は結局安っぽいんだよなー、 でも、ひょっとしたら、今度ばかりは本当にかっこいいかも」 と思ってしまったパーカーを見たら、やはり、いつも通り、なんとなく買わず。
ヒコ氏が帰りの車の中で眠ってしまったので、 家に帰って、静かにハトシなど揚げ、ビールを飲む。
今年も2日過ぎた。
新しい年の夜明け前は、なさけないことに、 昨日の夜に食べ過ぎた何かがヒットして、ぐったりしつつスタート。 さらにその後、現実の腹は痛いというのに、 おいしい天ぷらを揚げる夢を見ていて、 しかもそれを、さぁ、今から食べるぞ!というところで、 朝の6時だってのに、ダンナに送られてきたメールの音で強制終了。
どんな年になるんだ? 一年の計が元旦にないことを祈りたい。
ひとまず昼まで眠り、なんとか体調を戻し、実家でお雑煮とおせち。 ベストコンディションではなかったが、鯨はモリモリ食べる。
その勢いで、年賀状を書き終えた。
|