ぴんよろ日記
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2007年12月31日(月) ハムかつの

たっぷり眠って、角煮の味付けをし、
ハムサンドとスープとりんごを食べ、
ダンナとヒコ氏はまっつんを送っていったので、
昨日録画していた「イカ天スペシャル」を見ながら片付けなど。
私の永遠のアイドル・ヤナちゃん(たま)…若い。録っといて良かった…。
ハハがダンナを初めて見た時の感想は「ヤナちゃんそっくり」だったが、
ああそうさ、どうせああいうのが好みですわい。

でも、見た目もそうなのだが、やはり「声」なのだ。
ただ、その声を出すのは「骨格」でもあるのだから、
見た目に心ひかれる人は、声も似てるし、
いいな、と思った声の人同士は、見た目もなんとなく…なのだろう。
あ、でも、ひとり、声はなんとなく似てるけど、見た目は違う人がいるなぁ。

…それにしても、イカ天キング5週目は「まちあわせ」だったのか!
すごすぎだ。

  粉がついてる 口のまわりに ハムカツの


今年もふけゆく。年賀状は真っ白。でも、いい年だった。




2007年12月30日(日) 連チャン

昨日は、久々に飲み会らしい飲み会を堪能した。
ほどほどに酔っぱらったところに、隣のテーブルのオッサンと、
これまたほどほどないざこざが発生したあたりも、
実に飲み会らしくて楽しかった。
その後カラオケへ行き、順番待ちをしていたら、
夕方のマッサージ効果だと思うのだが、
突然、体の中がバラバラに散逸しそうな感覚に襲われた。
かかるはずのない遠心力がかかったような、
体の皮膚の中身だけ、脱水機にかけられたような…。
体育座りをして、それをギューッと押さえてしのぐ。
その後、もはや懐メロと化しているのであろう、
ブルーハーツなど、20年ほど前の歌を歌ったりして、ディスイズ忘年会。
家に着いたのは3時ごろだったが、
それからまた5時ごろまで缶チューハイをチビチビ飲みながら、語る。

昼ごろ起きて、泊まり客を送り、ヒコ氏をお迎えに。
今度はまっつんを迎えにいって、角煮を仕込み、
夜はまた、いつもの焼き鳥屋さんで忘年会その2。
さすがにビール一杯しか飲めなかった。



2007年12月29日(土) なかなかどうして

怒濤の12月をなんとか過ごし、
ようやくたどり着いた感のある、今日。
実家でお昼を食べ、ヒコ氏を託して、家に戻る。
遠くの友だちに、一通、メールを書いて、これを書いて、
簡単に掃除をして、マッサージに行って、忘年会。
そう思ってみれば、なかなかどうして、年の暮れ。

今年について思うところは、いろいろある。
あったこと、なかったこと、できたこと、できなかったこと。
だけど、まずは、掃除をして、マッサージに行って、
愛する人々とお酒を飲んで、ぐっすり眠ろう。

そして明日また起きて、お正月の角煮を仕込むのだ。


2007年12月28日(金) おばた連射

今日の夕方、どうしても行かなくてはならない仕事があり、
それを済ませてからお迎えに行くと、普段より1時間ほど遅くなる。
「今日はいつもよりお迎え遅くなるけど、いいかな?ごめんね」
「…」(その時は返事せず)
しばらくして、「さぁ、保育園行くよ」と声をかけると、
断固として「いやいやいやーーー!」。何を言っても「いや!」
大好きなお友だちや先生の名前を出しても「いや!」
抱き起こそうとしても、てこでも動かない。
そして「かーさん、おばた(おバカ)、おばた、おばたーーー!」
しょうがないので、
「じゃぁわかった。バーバさん(ダンナ母)に来てもらおう。
 そんで、いつもより早くお迎えに行くよ。
 母さんは仕事に行くけど、その間はバーバさんと遊んどいてね」
と言うと、「うん」と言うが早いか、さくっと起き上がり、スタスタと歩いた。
お迎えが遅くなるというのが、大変に不満だったらしい。
すさまじい抗議だった。
子どものすべての行動には理由があるのだ。
でも、あそこまで「おばた」を連射されると、へこむ。

首から肩が鋼鉄のようになっているので、明日のマッサージの予約を入れ、
それを励みに、仕事に励む。
そのあとの忘年会も励みに、仕事に励む。

マッサージのあとに忘年会。回りが早そうで怖い…。
しかも、ダンナともうひとり以外は、
彼らの同僚とはいえ、ロクに話したこともない人…。
私にとってそれは、忘年会と呼べるのだろうか???


2007年12月27日(木) 今宵も

今宵も消防署の前をうろつく、不審な母子。
紅灯記でちゃんぽんを食べ、またうろつく。
本当は、動く所を見たいが、消防車や救急車が動くことは、
本来は、あまりよろしくないことなので、こらえる。
それでも、出払っていた救急車が帰ってくるところが見られたので、
ヒコ氏としては、よかったようだ。

言葉がだいぶ通じるようになったし、
以前ほどは予測のつかない動きを連発することもないので、
ヒコ氏と二人きりで過ごすにあたっては、けっこう楽しくなってきた。
しかし、この1週間はダンナが遅く、いくら楽しいとはいえ、
ふと覗いた鏡の中の自分の疲労の色が濃くて笑った。
子育ては体力だ…。特にヒコ氏は…。

お昼は豆ちゃんの角煮カレー。
白髪ネギが乗っているのが、よかった。
こんどのお正月の角煮には、白髪ネギを添えてみよう。


2007年12月26日(水) 不審車両

消防車、それは最強の切り札。
ヒコ氏が、どんなにダダをこねて道ばたで寝転んでしまおうと、
「消防車見に行こうよ」のひとことさえあれば、
彼は、それまでのことをさっと水に流し、いそいそと歩き始める。
そして昨日も、消防署の前を何度も徐行しつつ通った。
さらに警察署にも行き、パトカーを見るというオプションもつけた。
そのうち、不審車両として登録されるかもしれない。

あまりにもやるべきことがあり、逆に、ぼんやりしてしまう。
さすがに年賀状は買おう。


2007年12月25日(火) きっぱりうだうだ

今年も、あと一週間。
しかし、なんにもできていない。
年賀状にいたっては、買ってもいない…。
途方に暮れながら、なぜか朝っぱらから、昨日の残りの皿うどんを食べる。

今日の夢見は、つらかった。
薄々「これ、やめたほうがいいのかもな…」と思ってること(仕事関係)を、
きっぱりやめるというものだった。
夢の中では啖呵切ってやめられることを、しかし、現実の自分は、うだうだと。
すぐにとは言わないが、いつかちゃんとケリはつけよう。
やりかたを変えるとかして。

昨日の夜から、衛星放送で「夢千代日記」が始まった。
もう、何度見たかわからないのに、つけていると、つい見入ってしまう。
「市駒さん、帰ってきたらいけんよ」
「名前も、聞きませんでした」
「みちづれ、という言葉を思い出しました」
「うちは黙ってトルコに行けばよかったとですよね」
などなど、いろんなシーンの、あらゆるセリフを思い出しながら。
あぁ、山陰に行きたいな。寒いだろうな…。


どうしても今日やっておきたかった用事があり、街へ下る。
用事を済ませ、小腹がすいたので、豆ちゃんでランチ。
年末に向けてやるべきことや、割り切って、年始の休みに回すことなど、
スケジュール帳に書き付けていく。
こんなふうにぼんやりする時間の、あまりにも大切なことよ…。

ヒコ氏の服でもないかな?と、リサイクルショップに寄ったら、
パッと好きなセーターが2000円ちょっとだったので、つい購入。
マックスマーラ・ウイークエンド、というタグがついていた。
ということはつまり、マックスマーラで通勤着を買うような人が、
週末にようやくリラックスした気分になりつつ、着るという設定か。
すんません、ウイークデーも着させてもらいます…。

帰りのバスを待っていたら、同級生の家とお店があった所に、
大きなマンションが建ちつつあった。
おなじ街に長く暮らすということは、ひとつ、こういうことなんだろう。
ハルピンも、こないだついに壊されて、駐車場になってしまった。
通った小学校は、図書館になった。
その近くにあった、別の同級生の家も、駐車場になった。
グランドホテルも、いままさにガンガン壊されていいて、
看板を見たら、どうやらマンションが建つらしい。
子どものころの自分が暮らした家だって、とっくの昔になくなって、
今はマンションになっていて、ついでに、その向かい側にあった空き地も、
これまたマンションになっている。(よくバトミントンなどしたものだ)
新しいマンションと100円パーキング。
そこにかつて何があったかということを、
できるだけ覚えておきたいと思う、年の暮れである。


2007年12月24日(月) その歌は!

ヒコ氏がまだ、立つことはおろか、座りもしなかったころ、
それでも布団の中でバタバタするのは大好きだったので、
よく、手や足を持って、体操みたいに動かしてあげていた。
それを今日、ごろんと寝転がっている時に再現したらとても喜んだので、
「覚えとる?ヒコがちーーーいさい時、これやってたよ」と言うと、
「うん」と答えたので、ふーん、そうなのかな、と思っていた次の瞬間、
「ダンダダ ダンダダ ダンダダ…」と歌ったので、びっくり!
それはまさしく、左右の手を交互に上げたり降ろしたりしながら歌っていた、
私が適当に作ったリズムの歌であった。
その時期が過ぎ、這ったり歩いたりとなれば、もう、歌うことはなかった。
なのに、覚えていたのである。
3カ月とか、4カ月とか、そのころのことを。すごいなぁ。

昼は、たくさんのプレゼントやチキンなどを持って、親戚一家が来訪。
「ぼーぼーしゃ」やパワーショベルをもらって、かなりご機嫌なヒコ氏。
みんなが帰ってからも、みんなの名前を反復練習したりしていた。

夕方は、お肉とケーキを買いに、バスで街へ。
築町のお肉屋さんで、ローストビーフを10枚買うと、
その直後から「おにく!おにく!ちょんちょん」と、
地べたに座り込んで、ここで食べると主張するヒコ氏。
それはちょっと…と、「平井に行こう!せめてそこで食べよう!」
と、平井へ。
喫茶店にローストビーフを持ち込むなんて、幼児でなければ許されないぞ…。
カルピスまで出してもらい、次々と、3枚も食べてしまった。
私はそれを前に、ビールを飲む。
妙な2人のクリスマス・イブ。



2007年12月23日(日) ほうじ茶ばかり

昨夜はワインを飲みっぱなしだったのに、珍しく、二日酔い値はゼロ。
でも、7時前に目が覚めてしまったので、ほうじ茶を飲みながら、
親の年賀状をプリントしたりする。

いま8時過ぎ。ヒコ氏はまだ眠っているだろうな。(実家にお泊まり中)

数日前に買った湯のみ。
あまりにも「家でほうじ茶を飲む」ということにぴったりなので、
そのぴったり感がおもしろくて、ほうじ茶ばっかり飲んでいる。
お客さんに出すのでもなく、コーヒーでもなく、緑茶でもいいけど、
でもやっぱりひとりでしみじみ、ほうじ茶、というたたずまい。

そして、湯のみを買った時に「うわ、これは…」と思った器がひとつ、
ずーーーーーっと頭から離れない。きっと買ってしまうのだろう…。


そういえば、昨日、家のガレージで車をぶつけられた。
私がガレージに入ったら、その車がいて、
当然、その車が前に進めてどけるべき状況だったので、それを待っていたら、
なぜだか、本当になぜだか、ブーッとバックしてきて、ゴオオーン。
バックしてくる途中も、ぶつけられた時も、不思議すぎてよくわからなかった。
でも、相手のおじさんが車を降りてきて、
いきなり軽い調子で「どうもなっとらんですね、なんもついとらんですね」
とか言い出したので、私の怒りのプラグが激しく点火してしまい、
「なんもなっとらんわけがなかでしょう!」と、応戦。
ダンナに電話したりなんだりしつつ、話を進める。
車は、「どうもなっとらん」ことはなく、しっかり傷ついていた。
ひょっとしたらボンネットがゆがんでしまったかもしれない。

厄落とし、厄落とし…。



2007年12月22日(土) 鯨のように

今夜は、年に一度の「鯨飲会」。
すばらしくおいしいワインを飲める日。
この日に飲むワインがあまりにおいしいので、
あとの364日、ワインを飲まなくても平気なくらいだ。

午後は、親の年賀状を作成。版画をゴリゴリ彫って刷る。
今回は、もう、これしかないだろう!という絵柄だ。
思いついた時には、あまりの「これしかないだろう!」具合に震えた。
そして、なかなかの仕上がり。
自分の版画人生(?)としても、ひとつ上の次元に行けた気がする。

夜はいよいよ鯨飲会。
刺身やナマコや鯨を皮切りに、さまざまなおいしいものとワインが並ぶ。
私は毎年、レバーパテを作っていく。
今年はそれに加え、長ネギマリネ、かぶマリネ、にんじんのクミン風味サラダ、
セロリの塩きんぴら、冬至だったので、ゆずのパイ。
世間一般的に知られている「えらい」人がいたりもするが、
そんなことはおかまいなしに、みんなでどんどん食べて飲んでしゃべる。
知らない人が来るパーティなんて、だいたいは避けて通っているが、
この会だけは、主催者ご夫妻にお会いしたいこともあり、皆勤賞。
今年も楽しかった…。



2007年12月21日(金) 宿題。

作ってから、もうかれこれ3年が経とうとしているのに、
「太鼓山の夏」について、ひとり、カメラの前で5分間語るという、
なんともおっそろしいことをしなければならなくなり、
(誰にもそう見えないのが悲しいが)がっちり緊張して、がんばった。
気がついたら、ベラベラと時間オーバーでしゃべっていた。(だからか…)
その後、プロデューサーO氏においしい天ぷらをごちそうになり、
ようやく緊張もほぐれた。

今回のために、思うことをババッと走り書きしてみたが、
やっぱりこれは、ちゃんと書いてみたいな、と、強く思った。
くんちについて、コッコデショについて、
たぶん、これまで誰も言わなかったようなことや、
思ってたかもしれないけれど、そんな書き方では書かれなかったようなこと…、
誰がどう読むかはわからないけど、
少なくとも私は、くんちやコッコデショについて、
こんなふうに書かれたものを読んでみたいな、というようなこと。

あらためて、冬休みの宿題をもらった気分だ。


2007年12月20日(木) 不気味、のち、帳消し。

バス停で読みかけていた本を、バスの中でも読み続けた。
とても入り込んで読んでしまっていたので、
それ以外の意識の使い道は「乗り過ごさないように」という点だけだった。
降りるバス停にはほど遠い所から、黒い服を着た女の人が乗り込み、
私の後ろの席以降に着いたようだ。(ということくらいしか覚えてない)
そんなことは気にもとめず、本を読んでいた。
そしたら、私が座っていた二人がけのシートの、いちばんくぼんだ端っこに、
ぬらり、と、手だけがあらわれた。
その手は、ぬらり、ぬらりと動いて、また、ぬらり、と消えた。
なんだか気味の悪いものを見たな…と思って、でも、気にせず本を読んだ。
その女の人は、私が降りる前に、どうやらどこかで降りたようなのだが、
それすらも気づかないほどに、本を読んでいたのだ。
私が降りるバス停が近づいてきたので、手の中に握っていたお金を見た。
100円、と、整理券。あれ?50円は?
どうやら、バスに乗ってすぐ、手の中に用意したのはいいけれど、
本に夢中になって、50円玉がすべり落ちてしまったらしい。
キョロキョロ、ゴソゴソ…。あ、そうか!
あの、ぬらりと出てきた手は、私の50円玉を取っていった手…。

うう…。

今日、私のオーバーのポケットには、50円玉が2枚あった。
保育園の帰りに、ヒコがよくジュースを買う。
そのおつりの50円玉が、2日分。
だから、あの手が取っていった50円玉は、
ヒコくんのかわいらしい手が、自動販売機のおつりの出口から、
ニコニコと取り出して、私に渡してくれたもの。
それを、あんな不気味な手に持って行かれてしまった。すごく申し訳ない。

しかし、こんな薄気味悪い気持ちにさせられるのも珍しいので、
厄落としにでもなったのだろうと、気を取り直す。
なにか悪いものを、あのぬらりとした手が、持って行ってくれたのだと。

外での仕事を終え、
昨日、通りすがりの民芸品店でちらっと目に入り、
今朝になっても、
こないだ遊びにきた友だちがくれたほうじ茶を飲みながら、
「あれに入れたら、もっとおいしいだろうな…」なんて、
悶々と思い出していた湯のみを見にいく。
以前から気になっていたお店ではあったが、入るのは初めてだった。
湯のみはやっぱり気に入ってしまったし、そのほかにも、
久々に物欲が暴れそうになるほど、好きなものが並んでいた。
湯のみは「使っていくと、貫入が入ってきますよ。茶色が深くなって…」
ということで、使い込まねば!と、鼻息も荒くなる。
オーナーらしき女性としばらく話す。
そしたら、ひところは、作家さんを訪ねるのも兼ねて、
毎月のように山陰に通っていたというほどの「山陰フリーク」であることが判明。
しばし、たぶん、長崎ではいちばん高濃度であろう、山陰話で盛り上がる。

…と、すごく楽しかったので、
不気味な手のことは、帳消しだ。
イヤなことは、いいことで塗り替えるのだ。



2007年12月19日(水) フリル!!!

朝、ヒコ氏とゴロゴロしていたら、
服の襟ぐりを、ビローンと引っぱって、手を突っ込んできた。
「あらあら、エロガッパくん」などと言っていたら、
ブラジャーのストラップを指差し、「なあに?」と聞くので、
しかし、「ブラジャー」って言うのも、37歳にもなって、なんだか恥ずかしく、
「うーん、おっぱいの…」と、口ごもっていたら、
ニッコリ笑って、

「フリル」

だと!
た、確かにそうだが、一体どこで覚えてきたのだ…。


2007年12月18日(火) やりがい

昨日は2カ月ぶりくらいに、マッサージへ。
終わってみたら、
首がちゃんと回せたり、息が胸の奥まで入って行くので、おどろく。
「お客さんの体にとっては、
 ちょこちょこほぐしてコンディションを保つのがいいんですけど、
 でも、ひどい状態のをほぐすのも、やりがいがあるんですよね〜」
と、喜ばれた。良かったのか悪かったのか…。

そして夜中、もう眠ってしまってから、ようやくダンナが帰ってきたようだ。
お疲れさん…。

1日目に泊まった、古いビジネスホテルのすごい話など聞く。
出てきたおばあさんが、
ドリフの「もしも…」シリーズの志村けんみたいだったとか、
ドライヤーが火を噴いた、とか。

昼は、ダンナの食べたいものを何でも食べていいことにしよう!と思ったら、
諫早のかんしゃくまで連行された。予想はしていたが。


2007年12月17日(月) だからこそ

ダンナの姿が見えなくなって、ほぼ3日。
ヒコ氏にちょっと、影が落ちはじめている。
「とーさんは?」と聞くことも多くなってきた。
さすがに今日は帰ってきてほしいものだ。

昨日の夜は、ヒコ氏が早く眠ったので、
体操をしたり、テレビを見たり、本を読んだりできた。
情熱大陸に出ていた棋士と、BSで見た生前のパヴァロッティが、
おなじこと…難しいことにこそ、挑戦したいのだ…を言っていた。
身を引き締める。

ヒコ氏を送って、さくっと買い物。
鍋の残りの最後のスープで、うどんを作る。
ここ数日食べたかった牡蠣も入れた。
「日本全国漁師の鍋!」というような番組を目にすることが多く、
中でもやたら牡蠣に心ひかれたので。


2007年12月16日(日) 耐性

今夜も、あのライフル野郎のせいで、ダンナは帰ってこない。
ようやく両親の風邪が回復したので、久々にお世話になりに行く。

やはりどうしても、あのライフル野郎のことについては、
「私はまったく彼のことを知らない」と、言い切るのは、
なんとなく、フェアじゃない気がする。
もちろん、直接的にはぜんぜん知らないんだけど、
そして、おなじ歳だから、というだけの問題でもないんだけど。

ニュースに出てくる、殺したほう、殺されたほう、どっちの顔つきを見ても、
「ほら、7組におったたい。そうか、校舎は違っとったもんね」
と言われたら「あ、おったかなぁ、そう言われれば、見たことあるかも」
って、思ってしまいそう。

長崎と佐世保の、それぞれの気質というか、メンタリティみたいなものって、
同じ県とはいえ、あんまり地続きではないような気がするのだけど、
だからこそ、たとえば同じ事件が長崎で起こった時よりも、
佐世保の人が受けるショックのほうが大きいんじゃないかと想像する。
長崎の奥底には、なんともいえない暗い沼みたいなものがあるから、
何が起こっても…たとえ市長が撃ち殺されても…そんなこともあるか、
と、どこかで思っているような、…イヤだけど…、たぶん、そんなところがある。
佐世保の人を、たくさん知っているわけではないけど、
なんだろう…邪悪さや残酷さへの耐性が、低い気がする。
それはもちろん、人としては、そちらのほうが真っ当なのだけど。

とにかく、あの野郎のおかげで、いろいろ考えてしまう。


2007年12月15日(土) ライフル野郎!

佐世保のライフル野郎、おなじ歳。うーん。
37で、仕事してなくて、親と住んでて、親の退職金で銃まで買って。
うう…。
でも、どっかで、なにかをすごく共有している気がするのだ。
世の中の人が「信じられない」「わからない」と言い放ち、
突き放すであろう部分の中に、まぎれもなく自分の中にもあるであろう、なにか、
というようなものを。

それにしても年の瀬に、バカヤロウ!である。

つーか、ダンナは徹夜だ!
朝帰ってきて、1時間眠って、これからまた出かけるぞ!
そしてまた今夜は帰ってこないぞ!
でてこい!このライフル野郎!死んでんじゃない!
子守りしろってんだ!



2007年12月14日(金) 声とは?

声…。
声って、なんだろう。
声…。
急に、声の不思議さに、頭を取り巻かれた。
身体にまつわるすべてのものは、そうなんだろうけど、
声という存在の独特さは、思えば思うほど、恐ろしいほどだ。

ずーっと前から、折にふれて読み続けている本に、

「だが、陸公(むうこう)はこの頃声が良くなって来た。不思議なことだ、声の色が良くなつてくるなぞと言ふことが、年をとつてあるものだらうか。調子の低い新しい声が私には聞える。」

というところがあって、忘れられないでいる。
だけどこの「陸公」という女の人は、結局、自殺してしまった。

そういうところとは、また別のものなのだろうか、声、は。

…などということを、ぼんやり考えている暇はない、締め切りデーの今日。
3分の1が終わったところで、トマトスープと、ベーコントースト。


2007年12月13日(木) 誰と

軽く二日酔い。
そんなに飲んだつもりはなかったが、
いま、いちばん気のゆるむ面子だったこともあり、陥落。
やはりお酒は、誰と飲むかだ。

両親が、ここ2週間ほど風邪をこじらせてしまい、ヒコ氏と会っていない。
この、言葉の増え方には、きっと驚くだろうなぁ。

明日締め切りの仕事が、重なっている。がんばろう。


2007年12月12日(水) あらくれの血

午前中、仕事をひとつ済ませ、帰宅。
休みのダンナが、どこかで昼ごはんを食べようとスタンバイしていたが、
家にいたかったので、サーモンクリームスパゲティを作る。

まだ浅い冬の、霧雨の日。
こんな日は、極力家にいて、書きものなどしていたいものだ。

昨日読んだ本が良かったのか、椅子の高さを調整したのが良かったのか、
今朝は起き抜けに、背骨が派手な音を立てて動き、
このところ悩まされていた右肩のこりと痛みが、少しやわらいでいた。
身体にとって意識は、本当に大切だし、その意識は、心から来る。

心…キングオブ・やっかい。しかし、それが、ある意味、すべて。

ヒコ氏の言葉が、日々、明瞭になっていく。
いままでできなかった発音ができるようになって、
こちらに意味が通じていることがわかると、とても嬉しそうだ。
しかし今朝は、
「おいく」とも「ぼいく」ともつかない言葉をしきりに訴えてきて、
しばらくなんのことかわからなかったが、
「おにく?」「うん!」「おにくたべるの?」「うん!」
「昨日のお肉がおいしかったの?」「うん!」
…ということで、朝っぱらからアグー豚を焼き、居酒屋臭に包まれる我が家。

目が覚めてすぐに、ごはんをかき込もうとするヒコ氏の、
その、食の性癖のようなものはなんだろうと思っていたが、
ダンナによれば「そりゃ漁師だ」ということで、不本意ながらも納得した。
そして、ヒコ氏の動きのありようも、やはりそのへんから来ているのだろう。
3年前に死んだ、ダンナ父。元は、境港のイカ釣り船の漁師。
冬の日本海で、拿捕すれすれにあらくれてきた血が、
あぁ、確実に流れていることだよ。


2007年12月11日(火) おなじことが

外での用事は何もない、静かな一日。
昼ごはんを食べに行こうかとも思ったが、
まてよ、こんな日はそうそうない、と思いなおし、
昨日のササミフライの残りをあたためたりして、昼食。
本を3冊読む。

自分が求めているものが目に入ってくるだけなのか、
それとも(こんな言い方は安直すぎるけれども)、どこからか、
なにかが私に伝えられようとしているのか、
ここ最近、まったく違うはずの本を読んでも、
結局は、おなじことが書いてある。

夜は、沖縄のアグー豚というものが売ってあったので、それを焼く。
たしかにおいしかった。ヒコ氏もパクパク食べた。


2007年12月10日(月) ほんもの

午前中、気がかりだった原稿を片づけて、
さらにもうひとつ仕事をして、平井でツナトーストを食べてボーッとする。
午前中の原稿が終わって良かった。心が軽い。

夕食の準備は、極力ヒコ氏のいないときにしようと思い、
ササミフライを揚げるばかり、味噌汁は味噌を溶くばかりにして、お迎えへ。
なるほど、大成功であった。

ヒコ氏がコッコデショの真似をするので、公式グッズのミニ采をプレゼント。
「これ、コッコデショのほんものだよ。
 ヒコがコッコデショ大好きだからあげるね」
というと、すごく喜んでいた。「ほんもの」という部分に。
それからしばらくは、
「ヒコ、コッコデショ、ほんもの」とつぶやき続け、
ミニ采をかざしては、私に「ほんもの」って言わせたがる。
そういうこと…言葉以前の意味って、やっぱり確実にあるし、伝わってるのだ。

ふふふ…ヒコくん、母ちゃんは、ミニじゃない、
本当に本物の長采(超非売品)も持ってるよ…。
もう少し大きくなったらあげようね…。

お迎えの時、保育園の近くに消防車が来て、ギラギラと見ていたヒコ氏。
去ったあとも収まりがつかなくなり、暴れそうになったので、
「消防車のおうちを見に行こう」と、消防署まで遠回り。ご満悦のご様子。


2007年12月09日(日) 大きな差

昨日の夜は、ヒコ氏のアイドルまっつんと、いつもの焼鳥屋さんへ。
コラーゲンを摂取するべく、豚足を一本食い。
ヒコ氏が外に出たがったので、散歩。
近くのお寿司屋さんの犬と話していたら、
ホストみたいなお兄さんから「おいくつですか?」と訊かれたので、
「まさか私の年のことではあるめーよ」と、「2歳です」と答えると、
「やっぱり!僕の子どもも2歳なんです!もー、毎日変化していきますよね!」
と、いきなり育児の醍醐味をもちかけられて、和んだ。

飲み屋街 あの兄ちゃんも 人の親

そして本日は福岡へ。
ダンナ、まっつん、ヒコ氏の野郎三人が、モーターショーを見に行くというので、
私は福岡の同業者の友だちと会う。
かなり数少ない…というより、唯一、いや、2人なので、唯二の同業者の友だち。
同業者、あるいは、似たような考えや暮らしぶりをしている者同士ならではの、
深みにはまりこんだ話を展開する。
「痛いほどわかる」ことがそれぞれにいくつもあり、
しかし、その痛さはそれぞれが引き受けていくしかないものでもあり、
しかししかし、だからといって、似たような痛みを知る人が、
「この世のどこかにいる」と思うのと、
「今日もあの街で生きてる」って思えるのとでは、
心強さの点で、大きな差が出るというもの。ありがたいことだ。

あまりに広すぎる雑貨屋さんで、
毎年使っている、でも長崎には売ってない新しいスケジュール帳を買ったり、
いろんなタイプの募金をしている人や、
宝くじの行列、大きな洋服屋さんなど、これまた長崎にはないものを眺めながら、
小さなひとり旅を満喫した。

夜は、三瀬越えの帰り道の、地鶏食堂でジュージュー。
最後の客になってしまい、プレッシャーがすごかった。
逆わんこそばみたいに、片っ端から皿を片づけられた。
でも、地鶏食堂だから、腹も立たなくて、むしろ笑えた。



2007年12月08日(土) 百悶着

なんだったんだろう、今日は、というくらい、
ヒコ氏にしごかれた1日。
とにかく何をするにも一悶着あるので、
一日の累積悶着数は相当な数にのぼる。百悶着くらい。
さすがに私もずーっといらつきっぱなしで、悶着スパイラル。
これなら、お互いのために、保育園に行かせれば良かった…。

しかしいつまで続くのだろうか?
フルチンで外に出ると言い張ったり、
チャイルドシートに乗せただけで、おろしたあとも延々と呪い泣きされたり、
いきなり叩かれたり、かみつかれたり…そういうことは。

夕方、ついに力尽きて眠ってしまい、
しかしふと起きると、部屋も布団も、マドレーヌの屑だらけで、
あまりの惨状に、また寝た。

育児に自信のない人選手権長崎市代表選考会では、かなり上位だと思う。
そしてヒコ氏のエネルギーを、
なにか、原子力に代わる発電とか、そういうことに活かしたりできないだろうか?


2007年12月04日(火) そんな人が

遠方より友一家来たるで、
昼は紅灯記で麻婆豆腐やチャンポンや海老ワンタンを食べ、
伊王島へ船に乗ってお風呂に入りに行き、
夜は市場でお刺身を買って、「おうち卓袱」を実施。
お互い2歳児男子(半月違い)がいるので、これがいちばんであった。
角煮とハトシは作った。なかなかのものであった。
デザートは、おみやげの「アムプリン」!!!
クウネル系の方にはたまらないであろう、そのたたずまいと味。
場所(上層下層)によって、味がぜんぜん違うのが、
酔っぱらった舌と頭にもガツンとわかって、生き方さえも考えさせられた。
夜中、もっといろいろ話そうと思っていたのに、みんなあっけなく撃沈。

二日目は、のだ屋でハンバーグとメンチカツ、
興福寺に行ったり、お茶を飲んだり、街をぶらぶらして、
諫早のかんしゃくでラーメンを食べて別れた。

自分たちはのらり〜と変わらないように見えるのだが、
2歳児は会うごとに、その見た目もお互いの関わり方もまったく変化していて、
今回はやはり、「しゃべるようになっている」という、
とんでもなく大きな変化があっていて、
それぞれがどんな言葉を話すのかが、おなじとこ、違うとこ、
いろいろあって面白い。
乗り物好きというのが、やっぱり「男子!」で、
一緒に車に乗っていると、2人ともが「バス」「でんしゃ」「ぴーぽー」
と、大騒ぎしている。
個人的には、2歳児男子に「しもづー」と、あだ名で呼ばれたのが、
なんとも可愛らしいというか、
まさに親子ほども年の離れた友人ができたようで、うれしかった。
理屈は抜きに、なにかの時には力になりあえるような、
そんな人が、一人増えたというような。


2007年12月03日(月) 明日の…

サラリと終わらせようと思って仕事を始めたが、
雨や雷の音も、夜中の仕事には心地よく、
ついつい、しつこく考えたり書き込んだりしてしまった。
そして、明日の新聞が、靴音も高らかにやってきたのであった。

そういえば、「恐怖新聞」って、あったなぁ。

体力が続くなら、毎晩でも夜中じゅう書き続けていたいものだが、
ひとまずはおやすみなさい。。。(凡人)




2007年12月02日(日) さもありなん

ヒコ氏、おゆうぎ会。
去年は嘔吐下痢症で出られなかったので、初めての。
ゴリラの着ぐるみを着て、森のパン屋さんにパンを買いに行く役だった。
終始じいいい〜っと目がすわっていたが、泣くことはなかった。
舞台上の見せ場の一環で、名前を聞かれても答えなかったが、
「ヒコくんは、おくんちで何を見たのかな〜?」との問いにだけ、
「じゃーぱ!」と答えていた。
まぁ、シャギリの着メロ欲しさに携帯を変えるかあちゃんなので、さもありなん。

昼は大村へ。
福祉関係の催し物があり、父の施設も出店しているというので、ハハと。
うどんやおにぎり弁当などを食べ、ヒコ氏を追いかけたりしていたら、
平原綾香ミニライブがあるというので、見てみた。
他の歌ではよくわからなかったが、
「ジュピター」での音域の広さ(というのか?)は、
もはや同一人物とも思えず、うまいとかなんとかいうよりも、
ナンシーさんの一人デュエットかと思ってしまった。
(男だけど女のナンシーさんが、一人でデュエット曲を歌うすばらしい芸)

夜はスパゲティ。

明日あさって、遠くから友だち一家が来るので、仕事仕事。
でも、なにも設定を変えた覚えがないのに、なぜか変換システムが変わっていて、
すごく文章が書きにくい。いつ、だれが、なんのために???
カタカナが出ない!



2007年12月01日(土) 短い

仕事を気にしつつ、ものすごく疲れていたので、割り切って眠る。
起きたらだいぶさっぱりしたので、仕事する。

お昼は実家のカレー。

短い一日。


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