ぴんよろ日記
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2007年08月31日(金) |
イカ、片付け、生春巻き。 |
イカ入りペペロンチーノを食べたりしながら、ひたすら片付け。 たった、自分の部屋だけなのに、いざやりだすと、恐ろしく片付かない。 でも、一山、一隅ずつやっていくしかないので、がんばってみる。 今回の片付けのモットーは「火事で焼けたつもりで」なのだが、 そうは言っても、なかなか。 今はCDや書類などを手がけているが、本と服が正念場であろう。 気合いを入れてやりぬきたい。
夜は、カレーとイカのバター炒めと、生春巻き。 生の唐辛子と、国産のニンニクが効いたのか、イカが異様においしかった。 こないだシーフードドリアを食べながら、 「こんな時はエビに目が行きがちだけど、おいしいのはイカだったりするよな」 と思いついてから、ちょっとしたイカブーム。
イカのおいしさって、安心する。 ウニやイクラといった、珍味系の強烈なうまさとも違うし、 カツオや昆布の、ヘタなことしたら辰巳芳子先生に叱られそうな気構えも、 さほどいらない。 研ぎすまされたピンポイントなうまみ、というより、 面で展開する、おおらかなうまさだ。
昨日、ダンナから、 「しもづー(私)の生春巻きっておいしいけど、最近作らないね」 と言われて、 「たしかにそうだ、手がかかるものは、極力作ってないのだ、 でも、大好きな生春巻きさえ作らない生活は間違っている!」と思い、 意地でも作った。 アルファルファ、キュウリ、蒸し鶏。 小さめのライスペーパーを買ってみたら、作りやすくて良かった。 生の唐辛子があったので、スイートチリソースも作った。 優しくって、強烈で、これもまた良かった。
好きなものを作って食べる。 その時間もない(と思ってしまう)生活は、やはりよくない。
ずーっと前からあった、大波止の鳥屋さんがなくなっている。 鳥屋さんと言っても、食べる鳥じゃなくて、チチチ…と鳴くような趣味の鳥。 店にはたくさん鳥かごが積み上がっていて、 それぞれに、機敏な動きの小さな鳥たちが入っている。 お客はだいたいおじさん。それも、初老以降、というふうな。 その手のおじさんの趣味って、なんとなく、アジアっぽい。 鳥とか、虫とか、そういう小さな生きものを、趣味として育てる感じ。 ちょっと閉じた世界の中で。
しかし、その鳥屋さんは、なくなってしまった。 そのもっと前には、昔のユニードの近くにあった山野草屋さんもなくなった。 こちらも、小さくて細くて、でも、好きな人には大きな価値を持つのであろう、 野山の草花がマニアックに売られていた店だ。
私の中では、おなじカテゴリーに分類していた、2つの気になるお店。 あの店々に通って、ひとときの心の安らぎを得ていたおじさんたちは、 いまどうしているのだろうか。
もう、そういう「趣味」のありかたって、なくなりつつあるのだろうか。
私にとってみると、 長崎の町の、ひとつの「細やかさ」が失われたようで、寂しい事件なのだった。
うちのネットの機械が不調なので、 いつものように機械自体の電源を落としていた。 (使うときだけ入れる。熱を持つと、すぐ切れるので) つまりはネットにつながらないはずのまま、 朝からパソコンを開き、仕事をしていた。 そしたら、 メール到着のお知らせ音(ビンを開ける音に設定)が「ボン!」と鳴った。 「?」と思い、ブラウザを開いたら、つながっている。 しかも、いつもよりスムーズに…。 どこかのだれかの電波にタダ乗りしているのだろうか。 ただ、すぐ隣にある別のパソコンでは、つながらない。 たぶん、窓際のこの場所が、絶妙に電波を拾っているのだろうが、 うーむ、よくわからない。
今日は自由行動(?)の日。 ぼっちゃんを送って、お諏訪さんにお参りしてリフレッシュし、 平井でサンドイッチを食べ、キャパ展を観て、ドリアを食べ、 紀伊国屋で立ち読みして、部屋の片付け。
昨日は「ぢゃ」を見に行ったが、休みだった。 そのまま一杯飲んで帰る。 「ぢゃ」への想いがますますつのるぼっちゃん。 夜中まで龍踊のまねをして騒いだあと、 寝言でも「ぢゃ、ぢゃ〜!」と言っていた。
朝はぶどうやコーヒーなど。 お昼に出勤するダンナと長浜ラーメンを食べ、私も仕事へ。 早めに終わり、半月ぶりくらいの平井でコーヒーを飲んで帰る。 バスの中で、これからやりたいこと、やるべきことをメモ。
夜は実家へ。 朝からぼっちゃんに「行くよ」と告げると、 愛しの「ばーば」に会えるとあって、 「ぶあ〜ばぁん」と、身をよじって喜んでいた。ラブ…。
昨日、小国の友だちとも話していたのだが、 今年の夏は、 「梅雨が明けてお盆までは、なにか、『夏じゃない何者か』が挟まっていて、 お盆が明けてから、ようやくいつもの夏が来ている」 ような気がする。 その「夏じゃない何者か」は、小国では「ぜんぜん暑くない人」だったらしく、 例年ならもっと早くに出回るはずの、 ぱっつんぱっつんのナスビなどが、今出ているらしい。 長崎における「何者か」は、 「これまで見たことないほど、マッチョに暑苦しい人」だった。 とにかく、いままでやって来ていた「夏の人」とは違う顔をしていた。
でも、その「マッチョな暑さ」って、どっかで会ったことある…と考えていたら、 10年くらい前に行った、タイの暑さとよく似ていた。 思い当たって、すっきりはしたけど、それはそれで、怖い気がした。
昨日今日は、 9月の大仕事(番組づくり)を前にダンナの休みも最後ということで、 急遽、小国の友だち一家のとこへ行く。 会うごとに、一緒に遊べるようになっていくぼっちゃんたち。 お互いの言葉も、コミュニケーションの細やかさもレベルアップしていた。 そしてやっぱり、あっちもイヤイヤマンだった。
いつもの、安くてうまくて、 そこにいる人が全員、宴会中の親戚みたいに思える焼き肉屋さんで、 ぼっちゃんを追いかけ回しながら、汗だくになって肉を食べたり、 あいかわらずパワーみなぎる温泉に入ったり、 焼酎をチビチビ飲みながらいろいろしゃべったり、 いや、もっとしゃべりたかったのに、ぼっちゃんパワーに負けて撃沈したり、 朝起きてトマトやキュウリやパンやくだものを食べたり、 家の前の川で遊んだり、 町はずれの小さな食堂の、薪の火で煮込んでいるらしいホルモンを食べたり、 大きな川で遊んだり、 帰り道でぼっちゃんたちは眠りこけて、 家に着いたら激しく夕立がやってきて、 その涼しい風が、ざあっと部屋に吹き込んで来たり、 …と、まるで夏休みを絵に描いたような時間を過ごした。 笑ったりお腹が減ったりする、その強さが、ほんとに腹の底からだった。 陣痛にも、強い陣痛と弱い陣痛とあって、強い陣痛がいい陣痛と言われるけれど、 まさにそんな感じ。次のアクションへの弾みが違う。
友だちの家は、大きな川のすぐそばにあって、 バーベキューができるくらいの庭がある。 でも、庭、という言葉の響きとは、ちょっと違う。 山があって、空があって、川があって、土があって、 そこに家が建っているから、 家のそばには、当然、家が建っていない部分の土があって、 草が生えているし、小さな花が咲いている、という具合。 朝、バーベキュー用にドスンと置かれた四角い石に座って、 ボーッと草を眺めていたら、あまりにも自分の眼が、 自分の意志とは関係なく、眼そのものが笑い出したように喜んだので、 ほほう、と、驚き、自分が住む環境について、ちょっと考えたりした。
自然が大切とか自然と触れあうとかって、 頭でわかっているよりも、もっと違うレベルで必要なのかもしれない。
脳みそから腹の底までたっぷり充電して帰ってみたら、 なんと港では花火大会。やっぱり長崎も最高! ベランダから花火を堪能し、 テイクアウトしたインドカレーで、ディナー。
毎日通る道に、いつも新しい花束がある。 暑い日が続いても、枯れる前に、新しくなる。 そこで事故があったことは、よく覚えている。 死んだのは若い女の子だった。 もう何年も前の事故。 いつも新しい花束。 でも、毎日通っていると、もう、やめてもいいんじゃないかな、と思う。 命日くらいにしてあげたら、と思う。 なんか、逆に成仏できなさそう。次に行きたくても行けない。 引き止め過ぎ…というか。 忘れられないんだろうけど、 もちょっと忘れてあげないと、どっちもつらいままだろう。
人と会ったり、みっちり仕事したり、満腹な一日。 夜はダンナが遅いので、ぼっちゃんと鯱太鼓を見に行く。 (「ぢゃ」が休みだったので)
鯱太鼓…。 私自身が重度のコッコデショLOVEであることはさておき、 くんちの演し物としては、 若干、微妙に、ほんの少し、「日本&男」の要素が強すぎる気がする。 くんちの、着物を着てても、なんかどっか、日本離れした感じが少ない。 男くささ、という点でも、チョイ高。 そしてやはり、どうしたって、現代的。 これはもう、いいとか悪いとかではなくて、どうしようもない。 どれだけ同じように作ったつもりでも、 絵や焼物などに「現代臭」が漂ってしまうのと似ている。
いいとか悪いとかでは、ないんだが、 いやらしい言い方で言えば、非くんち的、か。
そういう意味では、とても新しい境地なのかもしれない。
稽古を見た帰り、中通りを歩いていると、若いお姉さん発見。 ニコニコ手を振るぼっちゃん。 ちょっと声をかけてもらえたので、 道にとめてあったバイクを指差し、「バイクん!」と、自分の知識をアピール。
昼過ぎまで集中して仕事して、 ふと、髪を切りにいく。 いつもの美容院のお兄さんと、いつもの気楽なトーク。 今日は、小さい男の子と「ちんちん」について。 以前、幼児男子の集団になつかれて、 店に入ってきてビデオを見ているくらいはよかったが、 しまいには、肝試しでもするかのように、 ひとりが(あとの子は店の外で見ている)店に入って来て、 おしりや「ちんちん」を出してみたりするようになったという話など。 「『オレ、こんなこともできるんだぜ!』って感じで、自慢げなんですよ」 らしい。 たしかにぼっちゃんも、ひとり「ちんちん」と言っては、くすくす笑っている。 性と笑い…か。
とにかく親子丼が好きなぼっちゃん。 ごはんになると、「どん」「どん」と、親子丼を要求する。 あと、好きなのは、そぼろごはん、麺類。 緑の野菜や、煮物などのしぶい料理のたぐいは、ほとんど食べない。 しかし、けっこう渋め&野菜たっぷりの保育園の献立。 なのに、連絡帳には毎日「完食」と書いてある。
「保育園では野菜食べてるよね」 「うん」 「なんで家では食べないの?」 「うーん(照れ笑い)」 「あ、保育園ではカッコつけてんだ」 「うん(強くうなずく)」 「見栄はってんだ〜」 「ふふーん(照れ笑い)」
昼はサンマの塩焼き定食。 夜は実家でちらし寿司、お好み焼き、お刺身、お、親子丼…など。
今日は出勤と思っていたが、 いざ行ってみると、機械が空いていなかったので、 急遽帰宅し、家のパソコンで作業。 あぁ…やっぱり家がいい…。はかどる…。
昼はナスとエリンギのスパゲティ。 うっかり哺乳類期の感覚で麺をゆでてしまい、お腹がはちきれそうになった。
ぼっちゃんの寝言。 「いや!いーや!」 「こ!こ!」 (自分のこと。名前の一文字。なにかを自力でやりたいと主張している) どんな夢を見てるんだか…。
もちろん、起きているときだって、何を言っても「いや!」「こ!」。 成長したのだと喜んではいるが、時々はせつない。
朝起きて、大ショック。 昨日の夜、型入れするべきだった石けんが、ボールの中で固まっていた。 ぼっちゃんを寝かしつけたまま撃沈してしまった自分にバカバカ! なんとか練り直して、ホホバオイルを入れ、パプリカで色だけつけて、 型に押し込む。時間もなかったので、香りづけは今回なし。 でも、この固さが案外いい具合にマーブル模様をつけてくれるかもしれない。
ぼっちゃんを送っていくと、帰りは大雨。 涼しくなってくれるといいのだけど。
家に戻って、あんぱんとコーヒー。
ずっと、会う約束をしたまま、会えないでいる人がいて、 それはなぜ、会う約束をしたかと言うと、 大きな病気がわかったので、 (とてもつらい言い方だけど)今のうちに話をしておきましょう、 ということだったのだが、 体調がすぐれないまま、時間だけが過ぎていっている。 前に会った時の別れ際の、その人のことばに、 一瞬、「最後かも…」と思わされてしまったのが、とても気がかりで、 でも、時間だけが過ぎていっている。
ぼっちゃんを送って、読みかけの本を2冊読み終え、 昨日の残り物でごはんをさっと食べ、 またちょっと本を読み、石けんを仕込み、 マッサージに行って、休日終了。 しかし、久々にのんびりした。 マッサージでは、前回に引き続き、 ボディバランスストレッチ、というものをしてもらう。 関節も筋肉も、硬くはないそうなのだが、 私の関節は、どうやら「甘い」らしい。 それもなんか、情けないが。
夜はダンナが遅いので、家でハンバーグを食べた後、 ぼっちゃんと「ぢゃ」を見に行く。 このところ、ぼっちゃんの発語の大半は、乗り物の名前と、 「ぢゃ」(龍踊)「どんどん」「ぱーぁぱ」(ともに龍踊囃子)である。 ぼっちゃんが言うと、どうしても「じゃ」じゃなくて「ぢゃ」と聞こえる。
「そんなもん、いつ読むんだ!」 と突っ込みつつ、やたら本を買ってしまう、このごろ。 でも、まさに間隙を縫う感じで、読んでいたりする。 どうせまとまった時間なんて、あと何年も取れやしないんだから、 ゲリラ戦でやっていくしかない。
昼は、新しくできた、つけ麺のお店に行く。 なにやら、東京では有名なお店だったらしい。 チャーシューやその他の具が入った熱いスープに、 冷たい麺をつけながら食べる。 これはこれでおいしかった。 券売機には「長崎味」とあり、 元々の「関東味」にしたければ「辛」と頼むシステム。 初めてなので、私は「長崎味」、ダンナは「関東味」ということにしたが、 これはもう、本来の味である「関東」にするべきであった。 ちゃんぽんが「東京味」とかいって、醤油臭くなってたらしょげる。 それは当たり前のことだ。 ひとつ、確立したものは、本来の味で食べるべきだろう。
茂木までドライブがてら、買い物。 しかし、魚は全然なかった。 オロンのパンや、揚げ物屋さんのおかずを買って帰る。 もぎくんが鳴いていた廃屋が、すっかり壊れていた。
夜はダンナ母を呼び、茂木で買ったすり身揚げや唐揚げ、 かぼちゃの煮物、ピーマンじゃこ炒め、玉子焼き、味噌汁、など。
明日締め切りの仕事をやっつけたので、明日は休むのだ!
おかげさまで二日酔い、というよりも、久々の牛肉に疲れた感じだ。 しかしなんとかして、歴史講座へ行く。 博物館の資料室の使い方や、どんな資料があるのかを教えてもらう回だったが、 いままで気にさえなっていなかった資料に、 見るべきものがたくさんあることがわかってよかった。 締め切りがないと、つい先延ばしにしてしまうが、 この部屋でコツコツ過ごす時間を、もっと作っていきたい。
ぼっちゃんを迎えに行くが、 どっぷり「ばーばLove」モードにあり、ぜんぜん取り合ってもらえなかった。
お昼は、出前のちゃんぽんと焼きめし。
夜は、ぼっちゃんと約束していたので、龍の練習を見に行く。 だいぶまとまってきていた。
帰りに、チェーン店の定食屋に入ってみたが、 あまりのまずさに、逆に驚いた。
ぼっちゃん、実家へ初のお泊まり。 ダンナとふたりで飲みに行く。 ディナーは焼肉。 パチンコも500円して、2年ぶりの夜遊びだった! 非常に楽しかった。
ボーッとお盆モードでいたが、 毎週木曜日はミーティング。 ぼっちゃんを実家に預け、出勤する。 いろいろ思うところあったので、けっこう率直に提案などする。 みんなにどう思われたのかはわからないけど、 腹にためておくと、この先やっていけない気がしたので、出した。
納得して引き受けた仕事ではあるし、 面白い部分もあるんだけど、 この、時間的にとても制限された生活の中にあって、 高い優先順位をつけるべきものかと自問すると、 このままの状態ならば、いささか疑問。
かなり疲れて、実家で夕方寝。
お昼にはカレーを食べて、ハハとばあちゃんのとこへ行き、 さらにダンナの方の墓参りへ行ったりして、 ぼっちゃんにとっては、祖母×2+曾祖母という、ばあちゃんデーだった。 回転していない回転寿司屋で寿司をつまみ、精霊流しを見に県庁坂へ。 ぼっちゃんがおびえたら、すぐに帰ろうかと思っていたが、 まったく動じないぼっちゃん。 爆竹の箱燃やしも、ニヤニヤ笑っていた。 さすが我が息子!と思った瞬間だった。
毎年恒例の中継録画を、昨年に引き続き、ツッコミまくりながら見る。 E中氏の今年の暴…もとい名言は「これは初盆の家でしょうかね」だった…。 それって、大前提過ぎる…。 でも、なんとかお元気そうで何より。来年もお願いします。
墓参り。 お盆の3日間は、長崎の町中、 死んだ人のために右往左往する人がいっぱい。 それだけでも、この町に住んでて良かったと思う。 生きてる人や、目の前にあることだけじゃなく、 もう見えなくなっている人や、あるのかないのかわからない世界のために、 たくさんの人が墓に集まって飲み食いしたり、花火をしたり、 汗を流して船を作ったり、それを見物したり、 また、それをダシにあの娘をデートに誘ったりすることは、 きっと、この町に住む(訪れる)人の心を、 深いところで安心させているはずだから。
墓に親戚と集まってビールを飲んでいる時間が、 今年もまた、泣きたくなるくらい幸せだった。 ぼっちゃんも嬉しそうに遊んでいた。
墓場に行くのが楽しみな日がある町って、なんてすばらしいんだろう!
昨日の友好ムードが一転、 朝からぼっちゃんと調子が合わず、 ふたりとも保育園へ行く車の中でむっつり。 いつも止まる交差点で、ミラー越しに見ると(いつもは手を振りあう)、 やっぱりむっつりしてこっちを見ている。 このままじゃいかん、と思い、 にっこりして「おーい!」と手を振ると、 あっちも「おーい!」とにっこりして、いつものように、 道ゆく車を「ばす」「とらっく」「ぶーぶー」と呼んでいた。 こんなふうに、時々、この交差点には助けられる。 仲直り交差点だ。
でも、送ったあともなんとなく落ち込み続けてしまい、 新大工で買い物して、鶏ガラスープなど煮出してみる、お盆の朝だ。
今日はぼっちゃんデー。 お昼前に家を出て、夢彩都に車をとめて、美術館に行って…と思っていたが、 すでに夢彩都の駐車場は「満」であった。すごいぞ、お盆パワー。 かなり暑いので、ちょっと離れた屋根付き駐車場にとめて、 出島ワーフのレッドランタンで、ちゃんぽんでも食べようと歩く。 こないだのネギそばは困ったことになっていたが、 今日のちゃんぽんはおいしかった。きっとあれは、なにかの間違いだったのだ。
…と、そんなことよりも、なにが画期的だったかって、 今日初めて、ぼっちゃんとふたりで、お店でごはんを食べたのだ! 最近、すこーしだけ、ごはんを集中して食べてくれるようになったので、 (特に麺類)ひょっとしたら、ちゃんぽんなら、 ふたりきりでも食べられるかもしれないと思って、チャレンジしてみたのだ。 そして、食べた!ぼっちゃんは椅子に座り、麺をズルズルーッと、食べ続けた。 その間に私は、ちゃんぽんをガンガンかき込んだ。 最後はちょっとバタバタして、抱っこしながら食べたけど、 とにかく成功した!うれしい!
感慨に耽りながら、美術館の木のおもちゃコーナーへ。 ほかの子どもたちとも、時々やりとりしながら、1時間ほど遊ぶ。
よし、こうなったら!と思い、平井で「ふたりお茶」を敢行。 これもなんとか成功した。 ぼっちゃんは、いっちょまえにオレンジジュースを椅子に座って飲み、 私は、なんとか、なんとか、コーヒーをゆっくり飲んだ。
やればできるぞ!光は見えた!
家に戻って、今度はベランダでプール。 そしてお風呂に入り、そのころには、すっかり自分がヘロヘロだったので、 ここへ住んで7年目にして、初めて出前の寿司を取った。
先月、台風で中止になった郷土史研究講座へ。 ちょっとしたメモを発表したら、 「面白いので、もう少し付け足してまとめてみたら?」 と言われてしまい、上機嫌に。
お昼は、もう帰ってしまう妹たちと、樹でグリルチキン。
ぼっちゃんを親に見てもらいつつ、 ここ数日の念願だった、部屋の掃除(レギュラータイプ)をする。 根本的な大掃除に、早く着手したい…。
午前中、グッと仕事して、お昼は実家に寄り、 午後は家で仕事…と思いきや、一瞬、気をゆるめた隙に、睡魔にやられた。
夜は、沖縄から妹が帰ってくるというので、実家へ集合。 ばあちゃんやいとこも来たりして、ぼっちゃん大興奮。 なにより、もう100回は見たんじゃないかという結婚式のビデオに出てくる、 妹本人に、熱い視線を送っていた。
帰りの車では、いつになく大泣き。 ばあちゃんといとこを送ったのだが、 あまりの泣き声の大きさに、ひとことも話ができなかった…。
原爆の日。 11時2分は、仕事していて、でも黙祷。 私の中では、年々恐ろしくなる。 小さいころから、原爆が落ちた町に住んでいたので、 というか、それ以外の町に住んだことがなかったので、 極端に言えば、 「原爆なんてものは、どこの町にでも、ひとつくらい落ちたことがあるもんだ」 というような感覚で生きて来たような気がするのだ。 誰にだって、身内にひとりやふたり、原爆で死んだ人がいるし。 でも、それは、当然ながらぜんぜん標準的ではない。 そのことが、ようやくわかってきたものだから、 どんどん恐ろしくなっているのであった。
いま、9日の深夜。 もしも、62年前にタイムスリップしたら、 窓の外の景色は、みーんな瓦礫。 えらい人がどうのこうの言ったところで、 原爆が落ちるってことは、 私は黒こげになって、ぼっちゃんの手足は吹き飛んで、もぎくんは潰れて、 ダンナは私らを探したあげく、3日後に血を吐きながら死ぬってことだ。
…という光景が、そのへんにうじゃうじゃしていた、62年前である。
運転していて一番見たくないのは猫の死体であるが、 時々見かけて、妙にドキリとするのは、轢かれた蝶々である。 たとえばぼっちゃんを送るとき、 あれ?道の真ん中に蝶々が止まってる、と思って通り、 でも、帰りもおなじ所で、小さくキラリとした羽根が立っていたりする。 轢かれてしまえば、羽だって何だって粉々になりそうなものだから、 ひょっとしたら、生きていて止まっているだけなのかもしれないけれど、 そう考えるにもまた、無理がある場所なのである。 だから、羽根を残してプチッと潰されたのか、 それとも、焼けた道路に、ふと降りてしまった瞬間、 熱にやられて体が貼り付いてしまったのか、 そのへんの事情は、よくわからない。 よくわからないけれど、猫の死体を見てしまった時とはまた違った、 ほのかな悲しさがよぎるのだった。
お昼はダンナと、定食屋へ。ミックスホルモンハーフ定食。
夜は家で、連子鯛の塩焼き、あらの味噌汁、ナスと甘長とうがらしの焼きびたし、 ゴーヤの塩もみちりめん昆布あえ、シューマイ、キュウリ、など。
昨日と今日、マッサージに行った。 三十代も半ばを過ぎ、東京の疲れが、当日より昨日、昨日より今日と…。 あまりに歩きすぎたのか、かたっぽの足の裏を地面につけられなくなった。 いろいろ回りすぎたな。
昼は、人との約束の時間が行き違ってしまい、待ちくたびれの、食べそびれ。
夜は、鶏団子入りうどん。肉が食べたいらしいダンナには、小さなステーキ。
帰って来た。
お目当ての展覧会に並んでいたものがすごすぎて、 顔も首も体も足も洗って出直します、という気になった。 やはりさしあたっては、大掃除であろう。
そして、靴ずれになるまで歩いて回った。 人の多さと駅の広さには、なんどもくじけそうになったが、 それを耐え忍んだ先にある、東京ならではの、東京にしかないようなもの、 東京だから成り立っているような、人やお店や物事のありかたなどに触れ、 いい旅であった。
よく、東京から帰って来てから感じる「うへっ、長崎、ちいせぇ」感が、 今回はほとんどなかった。 問題は、そんなところにはない、ということがよくわかった旅でもあったからだ。
いかに、ていねいにピントを合わせていくか、だ。 そしてそこから、さらに、なにを見ていくのか。
トンビのピント…そんなことを言ってる場合じゃないが、そんなことだ。
これから飛行機に乗って、7年ぶりに東京へ。 ぼっちゃんが生まれて初めて、ひとりで過ごす夜である。 町もお店もいろいろ見たいし、行ってみたい食べもの屋さんもあるが、 東京って、人の多さに自分を切り替えるのが、まず大変だから、 どんな道中になるのかわからない。 とにかくは、お目当ての展覧会とライブを満喫いたそう。
一人慰安旅行、びゅーん!
朝、ちょっと仕事に行って、昼には家に戻り、 地味なごはんを食べた後、漫画読んで泣いて昼寝。
休みなのだ。
夜は実家で茶碗蒸し&幕の内。
仕事がようやっと、一段落。うれしい。 ちょこまかしたことはあるかもしれないが、 これから1週間ほどは、充電期間としたい。 さしあたってやりたいことは、なんといっても大掃除である。
お昼は定食屋さんで、イワシの生姜煮。
夜は、龍踊りの練習を見ながらビールを一口飲み、 そのまま、出島ワーフのレッドランタンに行ったが、 ネギそばが、なにかの間違いかというほどマズかった。 古い揚げ油が、知らない間に混入したような味であった。
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