ぴんよろ日記
DiaryINDEX|past|will
油断したら、ツルンと木曜日。 そして5月も終わり。 明日は小屋入り。 夏が始まる。
同じホテルに泊まっていたおばちゃんたちと、 マシンガントークな朝ごはん。 ベーコンとソーセージとスクランブルエッグ。 そんな「普通」の食べものに、いちいち感動する。 ベーコンの脂身なんて食べたのは、いつだったろうか。
さらにそのまま、キャナルシティで、お昼をごちそうになる。 おばちゃん2人を駅に送り、ダンナとぼっちゃんは車&バイク屋めぐりへ。 私はジュンク堂へ。 人の多さと本の多さに、意識を失いかける。
日曜日ということもあったのだろうが、 とにかくたくさんの人がいて、しかも、どこかテンションが高め。 人がたくさんいる街で、自分を保つことは、それだけで大変だろうな、と思う。 本を一冊買うにも、 「この本を買う私」を意識したりしてそう、というか。 大変だ。 ジブンとかステキとかユメのカタチとかココロとか、 本来なら、それぞれがそれぞれに持ってればいいものを、 目に見える物や消費活動に変換しなくてはいけないように思っていそう。 大変だ。 もはや「自然体」「等身大」も「ナチュラル」も商品だしブランド化してるから、 ほんと、都会生活の網の目は狭い。 「手作り」だって、商品だ。 よりコアな自然素材の洋服や石けんや雑貨ををチェックし、ゲットし、 いかにハイレベルなナチュラルライフを送ることができているかを、 自分に問いただし続ける生活って、もう、それは倒錯の世界。
本を買い、お茶でも飲もうかと思ったら、 オープンエアのカフェが、気の毒なくらい混雑していて、 さらにはお店のお兄さんの物腰が、 これまた気の毒なくらい日本人じゃない動きを目指していたので、 ヘナヘナと気合い負けして、公園で水を飲みつつ読書。
ハトを異様に怖がる女子高生がいて、 その怖がりかたと逃げかたと、追っ払いかたのほうがはるかに恐ろしい。 そりゃ公園でフライドチキンとカップラーメンの匂いをさせてりゃハトも寄る。 さらには、まるで私のことが見えてないのか、というような、 私との距離の取らなさも、恐ろしい。 なんか生臭いような匂いのする制服のスカートが、 何度も本や私の頭をかすめる。
夜は諫早のかんしゃくへ。 これまた2年ぶりにラーメンのスープを気の向くままに飲む。 より脂分が強化され、濃くなっている気が。 そして帰りの車では、明らかに肌がつるっとした。 脂分とコラーゲン…。
2007年05月26日(土) |
たとえ似ていても、それはそれ。 |
妹の結婚パーティ。朝から福岡へ。 場所こそ古いレストランで、料理はフレンチフルコース。 いわゆる「いかにも結婚式」ではなかったが、 そこに流れる空気は、やっぱり結婚式の特有もので、 「花嫁の父の涙」ほか、 書いてしまえば陳腐になる要素はいくらでもあるけれど、 陳腐上等、この日この時この場所にあるのは、 この世にふたつとないものなのである。
もう何年ぶりに会うのかさえもわからない親戚と話すうち、 お互い、長年刺さったままだった、チクリとしたわだかまりさえも溶けていく。 そういうことも、きっとよくあることなんだろうけど、 その人の心に刺さっていた、そのトゲは、とにかくそのトゲなのである。 似たようなトゲが世界各地で100万本溶けたからといって、 そのトゲが溶けない限りは、そのトゲは存在し続けるのだ。
バタバタするぼっちゃんを交代で遊ばせつつ、 約2年ぶりのクリームソースのかかった料理や、ステーキを堪能する。 ビールもワインもどんどん飲む。
夕方からは、親戚との2次会。 会場は全国チェーンの居酒屋であったが、 それはそれで、だれに気兼ねすることもなく、楽しいひとときだった。 終わりごろ、妹から電話があり、会おうとしたけど、 タイミングや場所が合わないようなのであきらめたが、 10時ごろにホテルの近くのうどん屋へ繰り出していたら、 さほど人通りもない道で、新郎新婦とばったりと会った。 あまりにもびっくりしたけど、そんなものなのだろう。 いい気分で、冷や酒を飲みながら、熱いうどんをすする、花嫁の姉であった。
ほんとうにひさしぶりに、 朝から家で、コーヒーとパイナップルマフィンなど、ゆっくり食べる。 8時間近く眠ったら、顔のできものが、薬を塗らなくても消えていた。 やはり体が資本。健康第一である。 だましだましやっていくことはできるけど、 それはどうしたって、だましだましだから、 つまりは、そんなだましだましの体でやった仕事なども、 だましだましなものになってしまうことだろう。
さしあたっては、必要量眠ることを心がけよう。 ほんの数日、なんとかちゃんと眠ってみて、 これまでがいかに危なかったかわかってきた。 よく倒れなかったと思う、というより、 実質、倒れてたんだけど、無理矢理動いてたのだ。 そしていつも「自分がどれだけくたびれているか」ということばかり、 頭に浮かんできていた。 払いのけても払いのけても、ベタベタと襲いかかってきた。
まぁでも、それもいい経験だったと思える。 こんなヘトヘトも、そうないことだろう。 この先、人生の問題はいろいろ降りかかってくるかもしれないけれど、 基礎体力的にこれほど大変なことは、大病でもしない限りないと思う。 大病だったら寝ていられるから、その点ではある意味、楽だし。
「そんなにきつかったのなら、早くおっぱいやめりゃよかったのに」 と言われるかもしれないが、それとこれとはまったく別の次元の問題で、 でも、問題は別だけど、体はひとつしかなかったということに尽きる。 なにもかもをやっているうちに、 またこれがスレスレのところでやれたように見えたもんだから、 いつのまにかじわじわと、本質的には倒れていたのだ。 自分がひとりしかいないことを、意図的に忘れていた。
断乳から10日間、 それまで出るのを我慢していたかのように、 顔はかゆく腫れ、濃い鼻水や痰が出つづけた。 長く眠るたびに軽くなる体や、 頭や口からスムーズに現れる言葉を見るにつけ、 すまんやったですなぁ、と、感謝。
2007年05月24日(木) |
ヘビーローテーション |
時期的なものなのか、 乳が終わって、めきめきと人間になっているのか、 日々知恵がつくぼっちゃん。 ここ2日くらいで、だっこ&おんぶしてほしい時には、 スリングやおんぶひもを持参し、促すようになった。 これはさすがに無視できない。 そして、妹の結婚式のビデオが大好きなようで、10回ほど見る。 汽車、トラック、動物が出てくる絵本も持参し、ヘビーローテーション。 笑うツボが決まっていて、そこへ来るとゲラゲラ笑ったり、 声を合わせて読んだりしている。 暗記力が、ほとんど無いに等しい私も、さすがに文面を覚えつつある。
昼は仕事先の近くの、渋いお寿司屋さんにチャレンジしてみる。 1000円で、ほどほどのにぎりと味噌汁とサラダ。
夜はぼっちゃんと二人、ヒラスの塩焼きや玉子焼き、味噌汁など。 自分の分は、おんぶしながら食べる。
断乳後2度目の乳マッサージへ。 思ったより溜まっていなかったので驚かれる。 「もし今、また飲ませたら出るんですか?」 「100%の量は出ないけど、出ますよ。断乳してだいぶ経って、 養子をもらった人が飲ませても出たそうですから」 「断乳に失敗するって、あるんですか?」 「乳腺炎になっちゃうと、子どもに『お願い!もう一回飲んで!』って頼んで、 2〜3週間飲んでもらって、また断乳するんです。 2回目は、わりとすんなりできるんですけどね」 などという、驚愕の断乳ばなしを聞く。
昼はありあわせ。 夜は、妹の結婚式のウエルカムボードを作りに実家へ。 アクリル板を父にカットしてもらい、接着。 ちょっとしたお店のプレートみたいに仕上がってうれしい。 ごはんは、ヒラスのあら炊き、鶏肉ソテー、味噌汁、インゲンおひたしなど作る。
朝起きたら、目のまわりを中心に、顔がぼわーっと腫れていた。 ダンナ曰く「昨日試合だったボクサー」。 昼になっても引かないので、ついに病院へ行く。 「いつから出てると?」 「今日がいちばんひどいですけど、ちょこちょこなら、1年くらい前から…」 「早く来んばね〜!」 つい気合いで治したがる性分が、今回は裏目に出たようだ。 薬をもらい、実家にぼっちゃんを託して、家で強制睡眠。どっさり寝汗。
まぁ、これでいろんな意味で「底打ち」ってことで、 あとは良くなるばかり、と思っておく。
なかなかハイレベルに不可解なことに出くわして、 それがあまりにもわからないもんだから、 ひょっとしたら、うちの台所の掃除が足りないからかしら? なんて、突拍子もないことを思いつき、床を磨く。 もちろん台所とそれとは何の関係もないけれど、 とにかくなんでもいいから、すっきりしたかったのだ。 おかげで、台所はきれいになった。
一週間ぶりに、ハハと会う。 ぼっちゃんを見てびっくりしていた。 この1週間で、あまりにも成長していたから。 毎日接している私でさえ、変わっていくなあ、と思っていたから、 久しぶりに会う人は、そりゃ驚くだろう。 そして、抱っこしたときにかいだ頭の匂いから、 明らかに乳臭さが抜けている。
今朝6時に起きて、一日昼寝せず、 夕方5時ごろから眠り続けているぼっちゃん。 このまま朝まで眠るのだろうか。 長い眠り…乳児から幼児への、体の変化に対応しているのかもしれない。
昼は桜馬場の大ちゃん弁当のとりめし弁当。 夜はダンナが遅いので、眠るぼっちゃんをおんぶしたまま、 豚ヒレじっくり焼き、地ダコの刺身、味噌汁など。 豚と一緒に焼いたスナックエンドウとシイタケが、むしろ肉よりおいしかった。
しかし、乳がもう張らない感じだったし、 脂身も少なかったので豚肉を食べてみたが、 思いっきり張ってきた。しまった!
ついに、ぼっちゃんが夜中起きなかった。 朝はちょっとぐずったけど、あっためた牛乳を少し飲んだら、ごきげんになった。 乳も、まだ少しずつ溜まってはいるが、格段に落ち着いている。 越えた…山は越えた。
そして、出産前の眠りの浅さも含めると、 ほぼ2年ぶりに、夜から朝まで続けて眠った。 起きた時、とても不思議だった。 「え?一回も起きなかったけど、朝を迎えちゃっていいんすか?」 と、どこか半信半疑だった。 夜通し寝た…って、変な言い方だが、そんな感じ。
朝から打ち合わせ。 昼を食べる間もなく、取材へ。 夜は鶏の照り焼き、その横でじっくり焼いたナス、ほうれん草。 ジャガイモと玉ねぎの味噌汁。 ジャガイモと玉ねぎの味噌汁って、本当はあまり好みじゃないんだけど、 今日はやけに食べたかったのだ。
そういえばぼっちゃん、 今日は何度か、「まんま」を言った。 でもそれはもう、生々しい意味を含んだものではなくて、 本に挟んで忘れていたはずの押し花が、 ふとした時にハラリと落ちてきた、というような響きだった。 言ったあと、自分でもなにか思うところあったのか、 少し恥ずかしそうにクスッと笑って、「うぅん」と否定しながら、 寝そべっていてめくれていた私のシャツの裾を、引っ張ってなおしてくれた。
もう、乳はあまり張らない。 すこーしずつ溜まっているような気はするけど、 忘れていられる程度。 ぼっちゃんも落ち着きつつあるようだ。 朝、車に乗せる時、やけに抵抗。 保育園に着くまでの間に眠ってしまっていたので、眠たかったのだろう。 こんなことも初めて。やはり彼なりに疲れたり、睡眠不足だったりするのだな。
打ち合わせ、月見茶屋でうどん、図書館で調べもの。
そして、ドキドキのお迎え。 断乳してから、お迎えはずっとダンナに行ってもらっていた。 断乳前は、すぐに車の中で乳タイムだったから。 保育園から駐車場までの間には、 ずーっと「まんま!まんま!」と言いっぱなしだった。 「お迎え」と「おっぱい」は、 寝かしつけと同じくらい、強力にワンセットだったのだ。 さて、どうなるか。 迎えに行って、いつものように抱っこした瞬間、 ハッと顔を曇らせるぼっちゃん。 条件反射で出てきそうになった言葉に、 「しまった!そういえばこの状況ではこれしか思いつかない!でも言えない!」 と、戸惑っている様子だ。 この3日間で、かなりいろんな場面の「まんま」をクリアしてきたので、 もう大丈夫と思った矢先の出来事だったかもしれない。 耳無し芳一のお経書き忘れのようなものか。
「まんま」を飲み込んで口をつぐんだまま、駐車場に着く。 「何して遊んだ?」「空が青いね」という問いかけにも、返事はない。 金曜日までは、遊びながら何度もおっぱいを飲んでいた車の中でも、 ついに一度も「まんま」は言わなかった。
なんなのだ、この、赤ん坊の大人具合は! 酒もタバコもパチンコも火遊びもやめられない大人がゴマンといるのに、 生まれてこのかた絶対的な心と体のよりどころだったおっぱいに、 たった数日でお別れできるなんて。
夜は酢魚、味噌汁、ニラチヂミなど、残りものリサイクル。
断乳3日目。 朝起きたら、ますます固くて痛い乳。 保冷剤を当て続ける。 仕事もたまっているので、がんばる。
食欲は、乳が痛いのもあって、ガクーンと落ちた。 哺乳類の食欲のまま焼肉屋に行くのが楽しみだったのに! 死ぬほどギョウザを食べたかったのに!
昼は、5連休最終日のダンナと、ミランのカレー。 連休は、すっかり断乳大作戦に付き合わせてしまったが、 そうじゃなかったら、もっとつらかったと思うので、深謝。
午後、やっとマッサージへたどりつき、2時間かけてほぐしてもらう。
夜は鯛の湯引き、スナックえんどうのおひたし、など。 もう、ぜんぜん入らない。 「おっぱい止めたら、ごはんがすごーくまずくなります」とは言われていた。 まずくはないんだけど、とにかく入らない。 入らないというか、元に戻っただけなのではあるが。
そして、夜。 私が隣の部屋で仕事をしていると、 少しだけグズグズ言う声がしたけど、 「まんま!」とも言ってはいたけど(ダンナには、時々明るく言い放つ)、 そのうち静かになって、なんと、眠ってしまっていた!
ぼっちゃん、今日で1歳7ヶ月。断乳2日目。 まさに、大人の階段のぼる〜、な日々である。 今朝も、喉元まで「まんま」が出かかっているのが、わかった。 でも、彼はそれをぐっと飲み込んで、明るく保育園へ行った。
こちらはしかし、乳が石のようにガッチンコに。 キャベツ湿布をして、お昼ごはんを食べに街へ降りる。 その名の通り、キャベツを乳にかぶせるのである。 長崎広しと言えど、キャベツを胸に隠し持ったヤツも、そうはいまい。
夜は、ぼっちゃんが好きな鶏だんご鍋。
そしてまた、寝しなに号泣。 抱っこすれば落ち着くのだが、乳が痛くて抱っこできない。 なんとか眠り、2時間ほどして、また号泣。 目はつぶったまま、「まんま〜」と、一度だけ言う。 そしてまた私も悲しくなり、 「ここまでしてやめる必要があったんだろうか…」と自問自答。 どうにか体の横側に抱っこしたら、すぐに眠った。
明け方、もういちど起きる。温めた牛乳をゴクゴク飲んで、また眠る。
2007年05月14日(月) |
そんな問題じゃないんだ! |
いよいよ断乳の日である。
朝のおっぱいのとき「これでもう最後だね〜」と言うと、 ぎゅーっと抱きついてくれた。 これまで一度もそんなことなかったのに。 そして、猫と象の顔を乳に描いて、見せた。 これまた、いままで見たことなかったような渋〜い顔をして、 部屋の隅まで後ずさり。 「バイバイ」など言う。 保育園へ送ると、わりとあっさり行ってしまった。
お昼は、そば屋さんに行く。 気のせいかもしれないが、「大盛り欲」はまったくなし。 普通のざるそばを食べたら、それでお腹いっぱいになった。 大盛り生活とも「バイバイ」だ。
夕方、保育園から帰って、私の顔を見ると、どうしても思い出すようだ。 飲みたい、でも飲めない…。 ぼっちゃんは、おっぱいのことを「まんま」と言っていたが、 何度も「まん…」と言いかけては、口をつぐんでいる。 はずみで「まんま」と言ってしまっても、すぐに首を振って否定する。
夜は、ぼっちゃんが好きな鍋物。ごはんもスープももりもり食べる。 1週間くらい前から「もうすぐおっぱい終わりだよ」と言い続けてきたが、 それと比例して、食べる量が増えてきた。
夜。 なかなか寝つけない。 ずーっとおもちゃで遊ぶ。 そしていよいよ大号泣。 「背中をトントンしたりして」と、本には書いてあったりしたが、 トントンしようにも、手は払いのけられる。 半月違いの子どもがいる友だちから、 「その涙は、おっぱいを欲しがる涙ではなく、 やめようと決めたのに、飲みたくなっちゃう自分へのもどかしさらしい」 とメールが来ていたのだが、まさにその通り。 こっちがなだめようとしても、 「そんな問題じゃないんだ!」と言わんばかりにバタバタと手を布団に叩きつけ、 自分と戦っている感じなのだった。
私もどんどん悲しくなってしまい、 「ここまでしてやめなくてもよかったのでは? 言い聞かせて聞くのなら、たとえば夜寝る時だけにするとかにして、 自然消滅を待ってもよかったのかもしれないのに…」 などと自問自答。 マッサージの予約を入れていなかったら、くじけていたかもしれない。
30分ほど泣いて、疲れたように眠った。
明け方も、もういちど泣いた。 でも、夜中は私に近づかなかったけど、 今度はひざに頭をのせたり、抱っこされたりしてくれた。
なにかが確実に進んでいるのだけは、よくわかる。
日記を何日も書きそびれたまま、 ついに明日を迎えることになった。 明日…それは、断乳大作戦の日。 まさかこの日がやってくるとは、今でも信じられない。 ぼっちゃんが生まれてこの1年半、 私とぼっちゃんの間には、おっぱいという強力な「ことば」があった。 他の人からしてみれば、超能力と言ってもいいほどの、 ハイパワーなものだった。 それを明日、封印するのだ。 時期や方法など、いろいろ悩みもしたけれど、とにかくやってみようと思う。 寂しい気持ちもいっぱいあるが、 志望校へ合格して入学が決まり、それは嬉しいけど、 卒業式は悲しい、というようなものだろう。 いつまでもここにいるわけにはいかないのだ。 とにかく、ぼっちゃんと手をつないで、エイッと飛び降りてみるのである。
昨日の夜食べたものが悪かったのか、 そういえば寝しなに悪寒がした気がしたから風邪をひいたのか、 よくわからないけど、とにかく具合が悪くて、 日中は仕事もあったし、なんとかだましだまし過ごしたが、 夜になって、起きあがれなくなってしまった。 ダンナとぼっちゃんが、 男二人、冷凍の茶碗蒸しやちゃんぽんを食べている声を、 意識の遠くで聞きながら、どっさり汗をかきながら眠る。
昼はアミュのうどん屋さんで、どうにかこうにかきつねうどんを1杯。 「うぅ…麺が多い…」と脂汗をかきながら食べ終わりかけていたら、 「感謝を込めて、麺を15%増量中!」という貼り紙が目に入る。 ひ〜ん。今日ばかりはノーサンキュ〜。
夜はお粥を茶碗一杯。
こまごました用事を、いろいろ片付けた日。 こまごました用事も、重なると1日仕事だ。
昼は、雑誌で見た新しいお好み焼き屋さんに行ってみた。 そこそこおいしかったが、2度行きたい気には、なんとなくなれない感じ。 続くかどうかは、微妙なところだろう。
夜は家で残りもの一掃ディナー。
「はい、どうじょ〜。」
ここ数日で、すっかりくっきりした、ぼっちゃんのひとこと。 言葉って、人とやりとりするためにあるものなんだということが、 あらためて思われる。
どうじょ〜、どうじょ〜、と、いろんなものを渡してくれるぼっちゃんの、 今日は2度目の端午の節句。 雨だけど、そう思えば、晴れがましい気持ち。
朝はハムサンド。 作りたてではない、しっとりしたハムサンドが食べたくて、昨日から作っていた。 4枚切りのパンだったので、ダンナと2切れずつ作っていたけど、 ぜんぜん足りなかった。 「8枚切りだと、2枚食べてる計算だし…」なんて、ケチったのが仇に。 自分が、かなりのハムサンド好きというのを忘れていた。
昼は親子丼。
ひとつのものごとに関する、人による受け取り方の違いは、愕然とするほどだ。 だからって、人との交わりを絶つことは、またぜんぜん違う話だし、 その受け取り方の違いを見せあうことこそが、 人と付き合うことの大きなひとつなんだろうけど、 あまりにその基準が「?」だと、どう返していいやもわからず、 そっと見えないところにしまいたくなる…という便りが舞い込む。 一理はあるのかもしれないが、 そもそものベースがぜんぜん違う気がする。 最終的にその人が「正しい」ことにしないと、永遠に収まらなさそうなのも嫌だ。
…あぁ!わかった!それが嫌なんだ。 便りに書いてある中身よりも、まわりに漂う、それこそが。 ひょっとしたら中身はたしかに「正しい」のかもしれないけど、 それが嫌だから、なにを言われても、ぜんぜん違う…響かない気がするのだ。
雨。 ぼっちゃんとふたり。 晴れていれば、公園にでも行こうかな、と思っていたけれど、雨。 ナスのミートソーススパゲティを食べたり、お昼寝をしたりして、夕方だ。
五月の連休らしい、晴れの日。 何年か前のちょうど今ごろ、出島ワーフにいたら、 通りすがりの外国人のおじちゃんが「ビューティフルデイ!」と言っていたのを、 どうしても思い出す。
午前中は、ちょっと仕事もあり、ぼっちゃん連れで出島へ。 ミニ出島のまわりの、古い石材の穴に、小石を入れて遊ぶぼっちゃん。 それを見ながら、 古い石や建物を、たくさんさわらせておいてあげたい、と思う。 そういうものと、通じ合える人になってほしい、というか。
小さいころのことって、ぜんぜん覚えてないけど、 いざ自分の子どもを見ていると、あまりにもたくさんのことを吸収しているので、 自分にも「覚えてないけど存在する基礎部分」が、 たーんまりとあるんだろうな、と思う。
昼は、びわっちファームのおにぎりと巻き寿司。
久しぶりに会う人と、なつめでお昼ごはん。 育児話など、たくさんしゃべる。 断乳体験談に、深く聞き入る。
夜は家で食べるつもりだったが、 買い物をしようとしたら、ぼっちゃんが暴れて叶わず、 急遽、駅前食堂へ。 とり天定食ごはん大盛りプラス普通盛り。 これまでの最高記録。さすがにお腹いっぱいになった。
いろいろなことを考えあわせると、 今月中頃に断乳するのがいいような気がしてきて、 これまでの乳人生が、走馬灯のようにかけめぐる。 後悔はないが、いざやめるとなると、寂しいものだ。
出勤。 最低限の作業を終わらせ、早めに切り上げる。
とにかく今日は、ちゃんぽんが食べたくて、紅灯記へ。 あぁ、もう、ちゃんぽんちゃんぽんちゃんぽん。 乳に悪かろうが、知るものか!と、かなりスープを飲む。
夕方は、かれこれ数年越しに「うかがいます」と言っていたお宅へ。 ぼっちゃんも、そこのお子さんたちに遊んでもらう。 みんなで近くの公園に行って、風に吹かれながら走ったり、犬を見たり。 ふと空を見上げた時に、一瞬、頭がスーッと空っぽになって、 とてもいい気持ちだった。
夜は、さすがに今日は行くつもりではなかったのだが、 ひょんなことから、またもや実家へ。 煮魚、うどん、ごま豆腐、など。
ぼっちゃんをお迎えに行ったとき、 先生がたが「どうかしたのかも…」と、 ちょっと心配した様子なので、どうしたのかと思ったら、 「ちゃんとイスに座って、集中してシールを貼ったんです」 とのこと。 普段、いかに多動児として認識されているかがわかって、苦笑い。
|