ぴんよろ日記
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2007年04月30日(月) ロストデー

「預かるよ」と言われていたので、
ぼっちゃんを預けて仕事をしようと、またまた実家へ。
しかし、昼ごはんを食べたあと、ぼっちゃんを昼寝させつつ、
自分も昏睡状態におちいる。

失われた1日。

夜は煮魚、グリンピースとじゃこのサラリ煮、味噌汁、など。


2007年04月29日(日) 目は体

陶器市へ。
1歳のぼっちゃん、すでに今年で3回目の参加。
(腹の中、0歳、1歳)
今年は子守役で、ダンナも参加。
しかしやはり、まったく集中できず。
というより、このところの体力低下で、
物を見て反応したり、良し悪しを判断する能力が落ちていて、
どうにも使い物にならなかった。
物を見る時に、
「風邪を引いていてもいけない、腹が減ってもいけない、満腹でもいけない」
ということを、私が好きなジイちゃんは書いていたが、
今年の自分を見ていて、それがしみじみわかった。
目は体である。

朝は普賢饅頭。
昼はハハが作ってきてくれていたお弁当を、陶山神社で。
夜は実家で焼肉。


2007年04月28日(土) 食傷!

午後に行った取材で、あまりにも自分から言葉が出てこないし、
目のまわりは腫れてるし、そもそも肩や首がガッチンコなので、林治療院へ。
かなり詰まっていると言われ、ゴリゴリボキボキやられた。
目のまわりの腫れも、頸椎のどこぞが詰まっていたからなので、
これで治るだろうとのこと。信じよう。
腫れはどうなるかわからないが、視界は明らかに開けた。
このところ、ずっと灰色の薄雲がかかっているような感じだったのだ。

朝はオートミール。
昼は、駅前の、比較的新しい中華屋さんへ。
ちょっと小じゃれているが、味はたいしたことないんだろうな〜、
でも、もしおいしかったら、めっけもんだからな〜、と思ってみたが、
案の定、たいしたことなかった。いや、むしろまずかった。
隣のテーブルには、相撲界に知り合いがいるらしいオッサンが、
「オレの行きつけの店」での「トークwith力士」を、大音量で披露していた。
耳から口から、アブラっこいものが入ってきて、食傷。

夜は、預かっていてもらったぼっちゃんをお迎えに実家へ行って、
結局そのままごちそうになる。

家に戻ったら、港では、ちょうど花火。
ぼっちゃんは、じーっと見ていて、大きい花火の時に、ワー!などと言っている。

ぼっちゃんの一才半現在のボキャブラリーは、
(もちろん赤ん坊発音ではあるが)
バイク、自動車、電車、バス、サンキュー、どうぞ、ただいま、ちんちん、
父ちゃん、マンマ、おっぱい、バイバイ、など。
使用頻度は、「バイク」がぶっちぎりの1位。




2007年04月27日(金) 矛盾なく同居

朝から取材。弁当たべて、作業。
夕方、ささっと平井へ行って、シフォンケーキとコーヒー。
シフォンケーキって、あまり好きじゃないけど、
なんとなく頼んだら、さすが平井さん、しっとりしていてとてもおいしかった。

さらにささっと本屋へ行き、2冊買う。
身軽なころなら今日中に読んでしまったであろう、
私にとっての「即買い即読み」本だが、もちろんそうは問屋が卸さない。
でも、帰りのバスの中で、数ページだけでも無心に読む。
ちょうど降りるバス停が近づいたので、あるページで本を閉じたのだが、
家に戻って次のページを見たら、かなりおかしいことが書いてあって吹き出した。
バスの中じゃなくて良かった…。

ダンナは飲み会と聞いていたので、実家へ。
お刺身やモチウオの唐揚げ&煮付けなどを猛烈に食べる。

あっという間に過ぎる、とても長い一日。

一見反対向きのような「あっという間」と「とても長い」が、
とにかく矛盾なく同居している日々だ。


2007年04月26日(木) うしろ姿

ミーティング、取材、打ち合わせ、作業。
で、一日が終わった。
ぼっちゃんを迎えにいき、なりゆきで実家へ。
刺身や焼き鳥、アサリの味噌汁など。
ハハが出張みやげに買ってきていた赤福も食べる。

今日もあっという間だった。
目のまわりは、ガビガビなまま。

ちょっと込み入った話をしようとしても、
言葉が思うように出てこない。
慢性疲労か、栄養不足か、脳みそのどこかが、休業している。
「脳内ことばハンター」が、的確な言葉を探し当てる前に力尽き、
とぼとぼ歩く、うしろ姿が見える。


2007年04月25日(水) 赤い…。

朝起きたら、目のまわりが泣きはらしたように赤くなっていた。
心身のいろんなものが、飽和状態にあるんだろう。
それでもやるべきことはあるので、コツコツ絵を描いたりする。
かゆいのがいやだ。

朝はレーズンパンとコーヒー。
昼はごはんと味噌汁と、魚肉ソーセージの焼いたの、その他、ありものいろいろ。

午後は、打ち合わせと取材だったが、打ち合わせは、キャンセルになった。
ボーッとしたり眠ったりすればいいものを、結局、掃除したりしてしまう。

今日はダンナが遅いので、腹をくくってぼっちゃんの相手。
夜は、ごはんと味噌汁と納豆と、何日か前に「あっ!忘れてた!」と、
冷凍庫で発見した、もらいもののカニ。焼きガニにした。

気づいたら、もうすぐ5月。
今ひとつ暖かくないので、そんな気はしない。


2007年04月24日(火) まずは眠れ

今朝はもう、眠たかった。
ぼっちゃんを送って帰ってきてからも、
いつもだったら眠気を二の次にして、なんだかんだと動くのだが、
とにかく眠たかったので、いろいろほっぽり出して寝た。
今朝届けた仕事に、ダメ出しの電話もかかってきたが、力尽きた。
1時間ばかり、なんとか集中して眠った。
最後は、午後に行くはずの取材場所に遅刻する夢を見て起きたが…。

しかし、やはり眠りというのは偉大である。
目のまわりのかぶれがちょっと引いたし、
異常なまでの肩こりも、少し…まさに1時間分くらい軽くなった。
もっと眠れればいいのだろうが。
逆に、まずは眠れなければ、いくら薬やマッサージをほどこしたところで、
本末転倒なのだろう。
体の不調を治したいなら、まず眠ってみることから始めるべきなのだ。

それが、なかなか難しいのだが。

起きて、おかきをポリポリ食べる。
そして、納豆ごはん、小松菜おひたし、ナスの焼きびたし、など。

午後は取材と打ち合わせ。

夜は手羽中のグリル、ほうれん草炒め、大根葉の味噌汁、半熟煮玉子、板わさ。


2007年04月23日(月) にゃるほど〜

全国の選挙速報をずっと見ていると、
こんなにも全国には人がいて、
そのほっとんどはまったく知らない人で、
市や町の名前すら知らないところだっていっぱいあって、
なんだこれは、知らない人が知らない町でモリモリ生きてて、
選挙で争ったり、当選したり、落選したり、
そのまわりで笑ったり泣いたりしているのか。
と、気が遠くなってきてしまった。
こりゃもう、自分ができることをやって生きていくしかないじゃないか…。
人をうらやんだり、自分を探したりするヒマなんて、ほんと、どこにもない。


さて、選挙から一夜明けて、
「娘婿」が受かんなくて良かった、田上さんはいい人だもんな〜。
という気持ちは変わらないものの、
田上さんが立候補した時に「急だけど、事務所って、あるんだろうか」
と思ってみたら、橋本商会んとこだったので、
「にゃるほど〜、大人の世界は深いにゃ〜」と感じたことを思い出したりした。
深読みかもしれないけど。
まぁ、すべてのものごとは、一筋縄ではいかないのであることだよ。


ぼっちゃんの1歳半検診に行く。
1時間待って、1時間かかった。
たまたまダンナが休みだったので一緒に行っていたからよかったようなものの、
ぼっちゃんから2時間も自由を奪うなんて、体力的に無理である。

朝は、ぼっちゃんが握りしめて放置していたパン。
昼は、出勤したので、ブリの塩焼き定食。
夜は久しぶりにおうちごはん。
ごぼうやにんじんやたまねぎ、インゲンも入った、ジャンボつくね焼き。
玉子をたくさんもらっていたので、半熟煮たまごを作る。

よく行くスーパーで買い物をしていたら、
いつも行く焼き鳥屋さん(スーパーの隣)の大将とお母さんに呼び止められ、
新ジャガとタケノコとフキの煮物をいただいた。
これがもう、素晴らしくおいしくて、ついビールを2本飲んでしまい、
ちょうど私の財布をぶちまけていたぼっちゃんが出した千円を、
気前よくダンナにやってしまった。
オヤジのチップか!



2007年04月22日(日) それ、あり!

選挙、あぁ、よかった。
これって、これからの長崎にとって、あんがい大きいかもしれない。
一長さんは本当に気の毒だったが、
こんなリセット感って、長崎にはあんまりないことなんじゃないだろうか。

いや、本当に、死んでしまうというのは気の毒すぎるのだけど。

田上さんは何度かお会いしたことがあるけれど、
まさか市長になるなんて思いもしていなかった。
が、立候補したと聞いた時には、すごくピンと来た。
「ものすごーく意外だけど、それ、あり!」って思った。
これからに期待したいし、
期待したいっていうよりも、なんか一緒にやれそうかも、って思わせる。
そんなところが、「それ、あり!」の正体だろう。


朝は、メロンパン、焼き芋。
昼は、ぼっちゃんを実家に預けて、ダンナとふたり、静かに老李。
夜は実家で、お刺身や鴨つみれの煮物、オムレツ、スープなど。

髪を切ったが、予想をはるかに超えて、短くなってしまった。
が、とてもさっぱりした。


2007年04月21日(土) それを流すな

昼過ぎまで仕事に出かけ、ようやくひとつ、大きなものが終わった。
スタッフと、月見茶屋でうどんと玉子丼を食べる。

ぼっちゃんの鼻水を取りにいき、
新しい市長候補の事務所の前を通ってみたりしながら、
なんとなく町なかをドライブ。
そしたら、「世襲」候補の選挙カーと並んだ。
本人は乗ってなかったけど、
やたら泣きながら手を振ってる女の人がいたり、
最近はやりの「私の〜お墓の〜前で 泣かないでください〜」
とかいう歌が流れていたりして、ヤなセンスだなぁ、と暗い気持ちになる。
それ、いちばん流しちゃいけない歌じゃん。

とても喉が渇いていたので、
「ひょっとしたらぼっちゃんも、5分くらいだったら座っていてくれないかな」
と甘い期待をしつつ平井へ行って、オレンジジュースを頼んでみたが、
ジッとしていてくれたのは、オレンジを手にした、ほんの1分弱だった。
500円のオレンジジュースを一気飲みして、5分で店を出る。

ひとつ、大仕事が終わったので、疲れが出てしまい、意識朦朧。
夜は実家でお刺身や焼き魚などを食べる。


2007年04月20日(金) 晴れ具合

明日の昼までに、なにがなんでも作らなくてはいけないものがあるので、
途中、ぼっちゃんのお迎えと鼻水取りを挟みつつ、勤務先で一日中作業。

昼は、ゴボウ天うどんといなり。
夜は、ようやくめどがついて、夜中に帰り、吉宗の茶碗蒸し。
夜中に食べる茶碗蒸しも、またおつなものであった。

仕事は大変だったけど、
仕事ができずにウツウツしていた心は晴れた。
その晴れ具合に、逆に、子育てへの不向きさを感じてしまい、
軽く打ち消しつつ、眠る。




2007年04月19日(木) 夢の天文ショー

昨日から今朝にかけては、ぼっちゃんの鼻づまりで、ほとんど眠れなかった。
彼もツライが、私もなかなかどうして。
午前3時になっても終われない仕事を隣の部屋に置いたまま、
おんぶやらだっこやら。
かなりこたえた。
そもそも最近、満足に眠った記憶がないし…。
結局なんとか眠ったのは、5時すぎ。
でも、寝不足の脳みそがハイテンションになったのか、
部屋のベランダから、空いっぱいの大きさで土星や海王星が次々と見える、
という夢を見ることができた。
夢だということは夢の中でわかっているんだけど、
目の前には、天文写真で見るような土星や海王星が、
刻々と色を変えながら目の前に広がっていて、しびれた。
この世のものとは思えなかった。そりゃそうなんだけど。
そして「これだけ惑星が近くに来ちゃってるのなら、
そりゃぼっちゃんの体調も悪くなっちゃうな」という、妙な悟りも得て、
起きた時には、いい気分とまではいかないまでも、
これを見られたんだからよかったじゃないか、とさえ思えたのだった。


ぼっちゃんの鼻水取りと送りを、休みのダンナに託して、出勤。
夕方までコツコツと作業する。
昼は、会議で出たお弁当。ハンバーグ、唐揚げ、クリームコロッケと、
哺乳類にはかなり危険な弁当だったが、あまりの空腹に、だましだまし食べる。
しかもアイスのデザート付き。

夜はヘトヘトだったので、駅前食堂へ。とり天大盛り。
途中、「バイクン」を見に行きたがるぼっちゃんを抱っこして、
市長銃撃現場に近づいてみたが、まだ報道関係の人がけっこういたし、
なんか胸のあたりが苦しくなるような気がして、引き返した。
…とはいえ、あのバス停ではよく降りるので、困る。

市長選、さて、こりゃどうすんだ、誰に入れるんだ?と思っていたが、
前に仕事でお会いしたことのある人が立候補された。
パッと見は、さほどインパクトもないし、
弔い合戦みたいなドラマもないけど、この中ではベストチョイスだろう。
でも、おとといのことがあっての、日曜日なので、
やっぱり弔い合戦チームが有利なんだろうか。
それもまた「平和市長が二代続けて銃撃」アナウンスといっしょで、
本質とは違う話だと思うんだけどなぁ。


2007年04月18日(水) サテライトショップ

長崎は伝統的に、いろいろなものが「あらわ」になりやすい町で、
人間や自然のダークな部分が、様々な形でポロリと出てしまうことがある。
古くはキリシタン殺しまくりとか、
貿易で儲けてたもんだから、信念なき小金持ち感覚とか、
原爆とか水害とか、やりたい&やられたい放題である。
異様に賑やかな墓参りや精霊流しがお祭り感覚であるのも、
スコップでちょっと掘れば死の匂いが漂う、この町らしいと思う。
そして、長崎で起こった「ヤなこと」は、
規模の差やタイムラグはあるにせよ、だいたい日本全体の問題になる。
今は誰も長崎が最先端だなんて思ってないだろうけど、
あんがい、もっと違う次元で、
長崎はこの国のサテライトショップみたいな町なのだ。

というわけで、市長が撃たれて死んだ。
正直言って、第一報を聞いた時は「え?撃たれるほど、立派だったっけ?」
と思ってしまったが、えらい人が狙われるにあたっての、
「ある面ですごく立派→反対の立場の人にとっては万死に値する」
というような感覚は、もう古くなったのだろうか。
あるいは、すごーく大きなプロジェクトに関わることとか。
いま現在わかっている動機からすれば、
「なんとまぁ、そんなことで殺そうと思いつくなんて…」というレベルだが、
それでこうなっちゃったのだから、
この国では、やはり確実になにかが壊れているのだろう。

しかし「被爆地長崎の平和市長が!」的なアナウンスのしかたって、
ちょっと違うと思う。たぶんぜんぜん関係ないし。
「二代続けて!」っていうのも、本質的には「たまたま」だ。
でも、「被爆地長崎の平和市長が二代続けて銃撃された」っていうと、
なんか、いかにもそれらしいけど、でも、それをそれらしく方向付けるほうが、
結果的には恐ろしいことだ。

…なんて、国を案じているようでもあるが、
実際問題としては、案の定朝早くからダンナが出て行き、
またもやぼっちゃんとふたりきり、仕事もできず、泣きそうだ。
おい!人殺し!かり出されるカメラマンの家庭のことも考えてくれ!
せめて子どもが元気で保育園に行ける日にしてくれ!
と、卑近な感じにおちいる、雨の昼下がり、つかの間のお昼寝タイムである。

朝は鶏そぼろごはん、味噌汁。


2007年04月17日(火) ご託宣

朝になっても、ぼっちゃんの熱が下がらないので、
「は、は、肺炎再発?」と、ビビりながら病院へ行くが、
なんとか、こないだの肺炎とはまた別の、普通の風邪だった。
入院の際の血液検査で貧血が発見されたぼっちゃんは、
こないだから鉄剤を飲んでいるのだが、それを渡される時に、
「とりあえず1週間分お渡しして、うまく飲めているようなら、
一カ月分お渡しします。その時は電話でもいいですよ。
 あ、でも、たぶん、また一度風邪引くでしょうから、
 そのとき様子も見ましょう」
と言われていた。
恐るべし、小児科の先生。
これまでも、数々の「予言」をし、ことごとく当たってきた。
彼もそれが仕事とはいえ、実際自分の身に起こると、超能力者に見える。
そんな「予言者」先生の、今日のご託宣は、
「この風邪を乗り越えると、ぐっと元気に、そしてやんちゃになります」
であった。
せ、先生、もう、これ以上は…。

それにしても、入院からこのかたの仕事のしわ寄せが、
なかなかどうして細かいプリーツになっておられる。
前進あるのみ。そしてこんな日に限って、またもやダンナは仕事で遅い。

朝は唐あくちまき、ぼっちゃんの残りのオートミール。
昼はほうれん草ポタージュ、キビナの煮付け、スーパーのお惣菜セット。
お惣菜セットは、
本当だったらちゃんと作りたいような煮物やおひたしがちょこちょこと入っていて、
しみじみとありがたかった。

大量の鼻水を取ってもらい、すやすや昼寝するぼっちゃん。
隙を見て仕事。

夜は鶏そぼろや納豆で、ごはん。豆腐の味噌汁。

そして市長が撃たれ、当然のごとく帰ってこないダンナ。
しかし彼は、今朝3時に起きて出て行ったので、
かれこれ丸1日起きていることになるが、大丈夫だろうか。

市長…特に支持者ではないが、なんか、ケチな理由で撃たれて気の毒だ。
どんな理由でも撃つのはいかんが、
せめて主義主張信条あたりの理由にしてほしい。
…と考えたところで、
あらためて、人殺しの沸点が下がっていることに、寒い思いがする。


2007年04月16日(月) そして

またしこたまみっちりした1日。
昼はブリ大根定食。
夜は老李へ。

そして夜中、発熱するぼっちゃん…あぁ…。
もう何日も睡眠がとぎれとぎれで、夢の中にいるようだ。


2007年04月15日(日) 鉛人間

やるべきこともたくさんあったが、
お昼を食べて、ぼっちゃんに乳をやり、
気がついたら眠ってしまっていて、夕方だった一日。
しかしまだ、頭も体も、鉛のよう。

お昼は…ごはんを炊いて、…ダンナとぼっちゃんにはカレーを作って、
…自分は…豆、とか、塩辛とか、納豆、だった、かな。

記憶力もスカスカ。

夜は…夜も、昼とだいたい同じ。


2007年04月14日(土) 小粒セレブ

朝から夕方まで、またもやみっちり外で仕事。
長崎のお偉いさんなどが参加する行事の取材だったが、
地方都市の小粒セレブという感じの人がたくさんいて、微笑ましかった。
去年、八千代座の玉三郎公演で、
2日ともいい席に座っていた、かなり目を引くおばさまもいた。
てっきり福岡あたりの人かと思っていたが、長崎の人だった。
しかもよく考えてみたら、長崎のお寿司屋さんでも見たことがあった。
「私ったら、お寿司大好き人間だから」なんて言ってた人だった。

昼は取材弁当。
公園で食べていたら、犬が寄ってきたので、いろいろやる。

夜は久しぶりの「たに川」で、久しぶりに会う親戚一家と。
あまりに久しぶりすぎるのと、
その間、お互いに起こったいろんなことが多すぎるのと、
さらには昼間の疲れもあってボーッとしてしまい、
なにをしゃべっていいのかよくわからないまま、飲み食いして別れた。


2007年04月13日(金) みっちり

今日も今日とて、みっちり働く。

昼は「鯛の屋」のお魚定食。ごはん2杯。

夜は…思い出せない。(15日記す)


2007年04月12日(木) 八重桜の自由

みっちりめまぐるしかった一日。
お昼だけは、定食屋さんできっちり大盛りごはんを2杯食べた。

夕方、ぼっちゃんをお迎えに走っていたら、
もうすっかり葉桜の森になった立山公園の片隅で、八重桜が満開だった。
ソメイヨシノという若い子たちが、やたらと時間を気にしつつ、
キラキラきゃあきゃあと騒ぎ騒がれながら、あっという間に寿退社した後、
悠然と足を組んで、いい仕事をしているお姉さまという感じだ。
八重桜の自由、だ。


肺炎入院から復活して、めきめきと成長しているぼっちゃん。
本当に、朝と夕方では、明らかになにかが違う。
自分が思っていることを表現する力が、より的確になっている。
子どもの病気は竹の節のようなものだと、なにかで読んだが、
これを見ていると、納得だ。
いざその時はとても大変だが、ある程度は必要なことなのだろう。

夜は実家へ。
鶏や魚の焼いたのや、親子丼、ボラの刺身など。
ボラって、ドブ川の河口で群れをなして泳いでいそうなイメージだが、
(ごめんね、ボラ)
今日のは刺身になっているだけあって、立派においしかった。


そういえば先週の土曜日に、久々にかんしゃく(諫早)へ行った。
なんと近日中に「背脂入り」が登場するらしい。うひゃ〜!
今のスープでも、3すすり飲んじゃったら乳が不機嫌になるのに、
この上「背脂」だなんて、これはもう、即死だ。
さすがに乳が終わるまでお預けである。
しかし食べたい…。背脂入りかんしゃく…。


2007年04月11日(水) リンダリンダな朝

ぼっちゃんを送り、
忘れてきていたはずのカメラを実家へ取りにいく。が、なかった。
どうやらうちにあるようだ。
庭のミントとレモングラスを少々いただいて帰る。
さらに、仕事の資料を受け取りにいく。が、なかった。
連絡の行き違いで、あるべき場所にはなかった。担当者も不在。
しょうがないので、なんとなくお諏訪さんに行く。
素晴らしい青空と木々の緑が織りなす、高解像度の空気。
長坂をのぼっていくごとに近づいてくる、陽炎にも似た森の気のゆらめき。
頭と胸がスーッとする。

裏に回ると、遊女たちが願をかけたという狛犬のまわりに、
強烈に紅くて花びらの多い椿がボトボトと落ちていて、
なんとも、エロっぽいというか、濃い空間になっていた。

近くの酒屋さん兼コーヒー屋さんでコーヒーを飲む。
お店のお兄さんと話していたら、
突然ブルーハーツの「リンダリンダ」が大音量で流れてきた。
「この辺に住まれてるんですか〜?」なんて、なごやかなところへ、
いきなり「どぶねーずみ、みたいに〜」だから、ふたりして笑った。

「今日はガツーンと部屋を片付けるぞ!」と意気込んで家に戻ると、
ベランダで外壁工事の作業中。
しかも、まさに今日捨てようと思っていたゴミ袋がいくつもあるエリアで…。
どんだけいい加減な住人だと思われているだろう…。
カーテンをつけるのも間に合ってないので、とにかく息をひそめて過ごす。

なんか後手後手な一日の始まりだけど、
おかしくって、悪くない気がするのが不思議だ。

ところでカメラはどこにあるのだろう。

避難したはずの部屋の前でも作業が始まったので、
絶対に見えない台所の陰に隠れて、またもや息をひそめる。



2007年04月10日(火) 9月は越せない

打ち合わせのあと、久しぶりに、町を歩く。
何人もの人にバッタリ会ったり、
ふと入った店で、大好きな曲を誰かがカバーしたものが流れていたり、
それについてお店の人に尋ねたり、
ワゴン車コーヒーを飲んだり、カーテンの金具を買ったりした。
肉と野菜を買ってバスに乗り、本を読む。
ううう…なんとすばらしい時間であろうか。

午前中には、おっぱいマッサージに行った。
やはり、この半月の疲れが出ている模様。
あまりにもスカスカらしく、
緊急策としてカロリーメイトを食べることも提案された。
「小児科で「2歳になるまでキープしとくといい」と言われましたが…」
「うーん、今のままで、9月は越せないね。あなたが点滴しなくちゃいけなくなる」
「9月は越せない」というあたりに、妙なリアリティを感じてしまう。
まぁ、もともと5月に断乳するつもりだったわけだから、いいのだが。
しかし5月はいろいろ行事もあるし、
もう少し体が回復してからやめたほうがいいらしいので、
今のところ、6月の初めということにしておく。

いよいよあと2カ月弱か…。

朝は味噌汁ごはん。
昼はまたもや「納豆を食べて!」と言われたので、せっせと納豆を食べる。


2007年04月09日(月) 少なからず

朝起きて、
「今日はひどく曇りだな…」と思っていたら、
それは外壁工事のためのネットに覆われているからで、
外に出てみたら、さんさんとした春の日だった。
これからしばらく、…この、一年のうちでいちばん気持ちのいい季節に、
毎日が山陰の冬空のような室内である。

明るい外に出た時の高揚感が意外なほど大きかったので、
気候や風土って、少なからず人間を左右しているよなぁ、とあらためて思う。

朝はハチミツトースト、コーヒー。
昼は勤務先近くの居酒屋のイワシ生姜煮定食。
ごはん大盛りプラスおかわり。
大盛りもおかわりも割増料金を取られないので心苦しいが、食欲に負けた。


2007年04月08日(日) ベクトル

15分以上の静かな時間を、この2週間ほどは持てなくて、
さすがに精神的にこたえている。日記を途切れさせたのも悔しいが、
まだ、さかのぼって埋めていくだけの心身の体力がない。
しかし、なにが危ういって、言葉が出なくなるのがつらい。
口で話す言葉は、そもそも得意でもないし、当然詰まり気味になるが、
頭の中での言葉に不自由を感じだすと、こりゃ重症だということになる。
不自由というより、定型化というほうが正しいかもしれない。
ある思いや感情を、自分の中で言い表すにあたって、
言葉の選び方が雑になったり、
「鮎解禁!待ちかねた太公望たちが」「ニューアルバムをひっさげて」的な、
よくある言い方で済ませようとしたりする。
そこまでエネルギーが回らないというか。

それにしても「ひっさげて」っていう言い回しって、
カッコつけてる「アーティスト」にも普通に使われるけど、
なんかドサ回りっぽい響きって思うのは私だけだろうか。
くたびれた紙袋にCDをいっぱい詰めて、
一両編成の電車から無人駅に降り立った、というような光景を想像してしまう。
FMの、英語なまりの日本語を話すねーちゃんが何の迷いもなく言うのが、
またそこはかとなく貧乏くさい。


今朝は、兵役を拒否して長崎にやってきたドイツ人のお兄さんの番組を見た。
番組自体もけっこう面白かったが、
そのお兄さんが、日本語で話す時と、
ドイツ語で話す時の顔つきや醸し出す雰囲気の違いに引きつけられた。
言葉というものがいかに人を作っているかを、まざまざと見た気がしたし、
受け手がいてこその言葉なのだな、と強く思わされた。
日本に来る前と来てからの、若い彼にとっての劇的な数カ月について、
たとえ話題そのものは、明るいばかりのことじゃなくても、
自分の言葉を理解してくれる人を前にしつつ、語るよろこびにあふれていた。

そして、(たぶん)欧米的な「言葉の力を信じている」、あの感じ。
どこまでも、どんなものも、ありありと言い表そうとするベクトル。
よく日本人はそれを無粋なものと言ったりするけれど、
それはかなり極まった部分についてのことであって、
大部分のものごとについては、
できるかぎりの言葉を尽くすことが、
ものごとへの、また自分自身への誠意だろうと思う。
それこそ「日本語はとても繊細なのだ」と自慢するのであれば、なおさらだ。


2007年04月06日(金) 午前九時の憂鬱

ぼっちゃん自宅療養中。
午前九時にして、早くもヘトヘト。
今夜はダンナも遅くなるし、どうなるのだろうか、自分。
ハゲなきゃいいが。



朝も昼も夜も、いや、毎日毎食、食べたものは写真に撮ってあるが、
それについて書く気力が残されていないようだ。
朝も昼も夜も、ぼっちゃんと2人。やはりそれは、いささかくたびれた。
ぼっちゃんは、夕食の途中でぐぜりだし、乳をたらふく飲んで寝た。
久々に、2本目のビールを開けた。
ひとりで飲むのって、そういえば好きだったな、と思い出す。


2007年04月04日(水) 自分ごはん

退院。
感無量。
「お昼まで食べて行きますか?夕方までゆっくりしていてもいいですよ」
と先生は言ってくれたけど、一刻も早く!と思ったので、昼前に退院。
病院のすぐ近くの市場でさっと買い物して、
もう、何日ぶりかの、自分のごはん。
鶏屋さんの焼き鳥と、ほうれん草とシイタケのソテー、じゃがいもの味噌汁。

おいしかった…。



2007年04月03日(火) 三日三晩

たぶん、最後の、たのむ!最後であってくれ!の、一時帰宅中。
今朝ようやく、ぼっちゃんの点滴が取れた。
超ハイパーターボアグレッシブぼっちゃんを24時間点滴につないでおく…。
こんなにも気疲れすることがあるのだろうか、という三日三晩だった。
もういいです。腹一杯です。

でも、同じ病棟には、長いこと入院しているような子もいて、
子どもは子どもで、悲しい目をしつつもなんとか順応しているが、
その母親の疲れっぷり、なにかをあきらめた感じは、私の比ではなかった。
そりゃそうだろう…。
せめて、1週間に一度でもいいから、
病院の中で足裏マッサージとかが受けられればいいのに、と思った。
でもたぶん、
「いいです。子どもについておかなきゃ」
と言いだしかねない精神状態に陥っているだろうから、
なかば強制的に「付き添いの母親ケアメニュー」を遂行する感じでやってほしい。
母親がどんよりしていたら、そのどんよりの矛先には、
病気の子どもがいるわけだから。


2007年04月01日(日) 月並みだが

またもや一時帰宅中。
つまりは、ぼっちゃんがちょっとした病気で入院していて、
当然、付き添い入院しているのだが、
まぁ、あと2〜3日もすれば退院できるし、
来週からは保育園にだって行けると言われたので、
病気自体に関しては心配はない。
が、自分自身はヨレヨレ。むしろ私に点滴してください…。
シャワーを浴びに帰る、ほんの1時間半ほどで、
車や、家や、もぎくんの匂いを充電して、なんとか乗り切っている。

月並みだが、家で寝起きできることが、なんと幸せなことか!



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