ぴんよろ日記
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2006年08月31日(木) ガツガツと

最後の日になってノッてくる夏休みの宿題のように、
昨日思いついた作業をガツガツとやる。
なぜかお昼寝しつづけてくれる豆太郎。
コロンブスの玉子じゃないけど、
なぁんだ、早くこのやり方でやってみればよかった〜、と思う。

今日もぜんぜん外へ出ず。
すごい大雨も降ったらしいが、
作業に熱中していて、そこまでとは思わなかった。

朝はスマイルベ−カリーの紅いもロール。
昼はナスとトマトと青じそのスパゲティ。
夜は麻婆ナス豆腐、エビシューマイ、山芋ステーキ、ゴーヤのかつお節かけ。
この5日くらいの間で、買ったものと言えば、塩焼きにしたアジくらい。
でもなんとか普通なごはんは作れている。やればできるものだ。


2006年08月30日(水) 理想郷を覗く

だましだまし寝ぼけて乳をやりながら、昼まで眠る。
異様な眠り加減だったのだが、
マッサージに行って何日かは、こんな感じだ。
体の奥からモワーンとコリがにじみ出てきて眠くなる。

ひとつ、ラチがあかんなーと思っていたことについて、
思いきって方法を変えることを考えついたので実行に移してみるが、
豆太郎が、なかなか集中を許してはくれない。
でもそれは、今はもう仕方ないし、できるだけのことをするだけだ。
イライラしたって、もったいない。

夕方、突然の来客。
困った問題などについて話を聞く。
私も思うところなど言ってはみるが、神のみぞ知ることだろう。好転を祈る。

夜は実家に行くことになって、
ちょっとでも作業できたらなぁ、と思って、
バッグにパソコンとノートとペンケースと参考資料など入れた。
その、バッグの中に収まったものたちの集合体を見て、
とーっても好きな光景だ!と、しばし見入って写真にも撮った。
好きなのだ、これらとともに時間を過ごし、なにかを作りだすことが。
ここが理想郷だ。

でも、ハタから見てると、バッグを覗いてうっとりしている女。


昼は、鶏そぼろ、たぬき丼、みそしる、キュウリの醤油かけ、など。
夜は実家で、お刺身、ゴーヤチャンプルー、きんぴら、鶏のトマト煮込み、
めかぶ、タイのあら炊き、タコとゴーヤの酢の物、など。


2006年08月29日(火) おしゃべり豆太郎

ぼっちゃんの手が、デスクトップパソコンのキーボードに届き、
ふと見ると、マウスが机からダラーンと垂れ下がっている今日この頃、
ノートパソコンを作業机に設置する。

10ヶ月検診へ。
かなり「おでこちゃん」なぼっちゃん。
先生から「前頭葉が発達してるんです。おしゃべりになりますよ。予言します」
と、予言される。
「こぶりで、活発。おしゃべり豆太郎ですね」とも。
おしゃべり豆太郎…ステキなあだ名をありがとうございます…。
頭がでかいので、つまりは打ちやすいということで、
ぐるりとクッションの帯の付いた帽子をすすめられる。
「かぶっててよかった!と思うことがきっとあります」らしい。
たしかにありそうだ。いや、かなりありまくりだろう。
歩き出したらかぶせよう。

豆太郎は現在7キロだが、おなじくらいの女の子で、12キロっていうのもいた。
自分で歩かないうちから12キロもあったら、母の腰はやられっぱなしだろうな…。
よかった、豆太郎で。


◇◆◇


朝はまんじゅう、巨峰、豆乳プリン。
昼は、昨日の夜のおかずをお弁当にしたもの。
夜はアジの塩焼きなどする予定。


2006年08月28日(月) バカバカバカバカ

バカバカバカバカ…!と、何度書いても足りないことと言えば、
館内の土神堂の横のすばらしい道を、
取って付けたような中華風にしようという計画。
今度のプレスに完成予想図が載っていたのだが、
しばらくバカバカバカバカ…!と言いながら、身をよじっていた。
もうっ!やめてっ!

ほんともう、どんだけ壊せば気が済むのか。


◇◆◇


終日、家で過ごした。

朝はハチミツトースト、豆乳プリン。
昼はぼっちゃんと2人して眠りの国へ行ってしまい、3時ごろ、残りものでごはん。
夜は鶏そぼろ、すり身揚げ、南関揚げ、小松菜おひたし、焼きなす、味噌汁、
白菜とナスの漬け物、レバーの醤油煮。


◇◆◇


口当たりは軽く見える本を1冊読み終わったが、
書いてあることは、その軽さも含めてスペシャルなものだった。
ブツブツイヤなことを考えているヒマなどないはずだ!と、襟を正す。
赤子がいて体がヘロヘロだろうが、笑っちゃうくらいお金がなかろうが、
やるべきことと、守るべきやりかたはあるのだ。
たしかに最近疲れすぎていると自覚しているが、
それとはぜんぜん違う次元で保つべきモチベーションまでも忘れてはならぬ。


2006年08月27日(日) バランス

マッサージへ。
指のケガで体全体のバランスが崩れていた模様。
今までにない感じの、腰その他の状態だった。
つらいと言えばつらいんだけど、人ごとのように、
へー、こんなふうになるんだー、と興味深い部分も大。

朝はハチミツトースト。
昼は実家で納豆、カボチャの炊いたの、かまぼこ、など。
夜は友だちの家でバーベキューやそうめん流し。
卓上そうめん流し機が準備されていて、
最初見たときは「なにもそこまで…」と思ったのだが、
実際に食べ出すと、とても楽しく、おいしかった。
友だちのお父さんの昔の話などを聞きながら、ワイワイ食べる。
ぼっちゃんもいろんな人からかまわれて楽しそうだった。


2006年08月26日(土) 新しい道具。

ついにガスコンロを替える。
今までは、妹が大学の時に使っていた、いかにもひとり暮らし用なものだった。
料理が好きとか言いつつ、魚焼きグリルすらなかったのだった。
新しいものは普通のサイズなのだが、今までが今までだっただけに、
お店の厨房になったようにさえ見える。
ありがとう、今までのコンロよ。
近ごろは、かたっぽがほとんどダメになっていたが、よくがんばってくれた。
最後にお茶を沸かしてもらい、きれいに拭いて、お別れした。

朝はバタバタと食べず。
昼もなんだかんだと時間を逃し、開いているお店をいろいろ考えたあげく、
1年ぶりくらいに共楽園のちゃんぽん。
こないだお笑いライブに出ていた人たちが、
やたらここのちゃんぽんを食べた話をしていたので、ずっと食べたかったのだ。

夜はダンナ母が来て、鶏の焼いたのや、小松菜のおひたし、ササミの湯引き、など。
せっかく「グリル」というものがやってきたので、焼きなすも作った。
グリル機能にも感動したが、「ごく弱火」が気を使わなくてもできるのでうれしい。
前のは小さくしすぎると消えていたので。

道具は大切だ。


2006年08月25日(金) さっさと

昨日見た夢。
ぼっちゃんを保育園だか幼稚園だかに預けて空いた時間に、
かなり重い精神病患者の世話をすることになってしまっていた。
護身用にナイフまで持たされる。
「なんでまた…」と思いつつ、逃げられないようなので、
「ぼっちゃんの世話と似たようなものだし…」
と、あきらめの境地へ。そしてなんとか務めを果たしている。

夢の中ではいつも、夢を見ていることがわかっているのだけど、
さすがにこの夢は「夢ながら大変だ…自分」と思った。
ひととおりストーリーが終わったら、味わいなおすことなくさっさと起きた。
うれしい夢だと、しつこく見続けるのだが。


◇◆◇


朝はぶどう。
時々行くスーパーの産直コーナーにあった巨峰。
そこには例年、大好きなロザリオ・ビアンコ(マスカットの一種?)が並ぶ。
他のところでは、けっこうな値段がするロザリオ・ビアンコだが、
そこのはフレッシュでおいしいのに安い。
巨峰が出たから、きっともうすぐだ。楽しみ。

昼は雑誌で見た韓国料理屋さんに行ってみたが、いまいち。
「タレやナムルは手づくりで『合成保存料、着色料は使っていません』
 と自慢気に書いてはあるが、化学調味料を使ってないとは書いていない」
というような味。

夜は、とある町の夏祭りで焼き鳥や焼きそばなどを楽しくつまむ。
小学生のラムネ早飲み競争などが開催されていて、極楽な感じだった。
男の子を2人連れた同級生に声をかけられたので、
素直に「尊敬する〜」と言ったら「うん。もうこれ以上は…」と素直に返された。
やっぱり大変なのだろう。じゅうぶん想像を絶する。


◇◆◇


ちょっとへこむことがあって、暗い波に呑まれそうになっていが、
本屋さんでなんだか呼ぶ声がするので、見ると、大好きな人の本が出ていた。
心からありがたく思い、即買って、じっくり眺める。
その人に関する展覧会が、この秋からいくつかの場所であるというのにも仰天。
いちばん近いのは、来年早春の四国だったので、
それを目標にがんばろうと思う。
行きか帰りには、大分でふぐを食べたい。もちろん肝付きで。


2006年08月24日(木) 百万回でも

缶詰で胸焼け。
夜、大好きなお店にお刺身を食べに寄ったら、
お刺身も揚げ物もぜーんぶ売り切れてて、
缶詰でビールを飲んだのだが、見事に胸焼け。
あとからもうひとり来るかもと思って、2缶開けたのが災いした。
イワシのトマト煮と、赤貝。

明日と明後日、やっとダンナが休み。
うれしい。
ぼっちゃんに泣かれずにトイレに行ける。
ぼっちゃんを気にせずにシャワーを浴びられる。
ぼっちゃんを抱っこして買い物しなくていい。
ぼっちゃんを何度も部屋に連れ戻しながら料理しなくていい。
ぼっちゃんを…

こう書くと、すごい手かせ足かせみたいだけど、
まぁ、その時々では、そりゃそうだけど、
日増しに表情も豊かになり、じゃんじゃんかわいくなるぼっちゃん。
食べ物を食べだしたというのも、大きい。
食事をともにするというのは、大人の世界でだって、なかよしの基本だから。
もっともっと、一緒にいろんなものを食べたい。
おいしいねー、って、百万回でも言いたい。

朝は、悲しいかな、今日でおしまいの、餅あんまんじゅう。
また来年の中国盆でも買わなくては。

昼は、あれっ?とぼっちゃんが昼寝してしまい、食べそびれ、
夕方、平井でミックスサンド。
ぼっちゃんにも、パンをちぎって具をのせて、
ミニチュアみたいなオープンサンドをいろいろ作って食べさせた。
途中から、作ることに熱中している自分に気づく。
最初はポテトだけ、オムレツだけ、だったのが、
小指の先ほどのパン切れに、数種類の具を巧みに乗せていく私。
しかもバリエーション豊富に。

夜は胸焼けした胸を抱えたまま、
鶏だんごのダシに玉子を落として、丼にした。
胸焼けを、その時だけは吹き飛ばすおいしさだった。


2006年08月23日(水) ダラダラにも

朝から打ち合わせ。
仕事があるということは、本当に、心にとって、ありがたいことだ。
しかも、作っていったものを喜んでもらえたので、なおさらだった。

今日はなんとかイラストを描く。
絵はがき用に、くんちの鯨と川船。
原画より、刷ったものの方が好きだ。
小さいころから。
印刷フェチ?
就職活動って、ひとつもしなかったけど、
唯一、資料請求のハガキを書いたのは、印刷会社だったのをおぼえている。
「会社」には興味がなかったけど、
「印刷」というものがどんなものか、印刷会社に入ったら見れるなぁ、
というような気持ちで、キリトリ線を折ってみたのだ。
出さなかったけど。

新しいプリンタで刷ると、悪い意味でのホームメイド感がグッと減った。
前のプリンタでは、どこかしらインクの汚れがかすってたり、
線がにじんだりしていたから。

朝は中国盆で買った、餅あんまんじゅう。
ぼっちゃんもパクパク食べる。

昼は、本当はアフタヌーンティのエビのパスタが食べたくなったんだけど、
駐車場がいっぱいだったので、しょんぼり家に帰って、昨日の残り。

夜は絵はがきを配達して、ダンナを迎えに行ったら、
ダンナがおごってくれるというので、いつものお店へ天ぷらを食べに行った。
そもそもエビ天定食(エビ4本)、しかも大盛りだったのだが、
ダンナがエビを1本くれたので、5本も食べた。
いま思えば、昼に食べたかったエビパスタの分を取り返したのか?

中央公園で、鯨の練習があっていたので、しばし見入る。
夜はちょっと涼しくなってきたので、他の町の練習も見てまわりたい。

それにしても昨日はどん底にローだった。
今日はこれだけダラダラ日記も書けて、よかった。
ダラダラするにも、体力と気力がいるのだ。


2006年08月22日(火) 読めず書けず描けず

真剣にぼっちゃんを預けることを考えつつ、
本日も、読めず書けず描けずに過ぎていった。
かなり、ロー。
やわらかめの本を選んだつもりだったが、頭が受け付けない。
ペン入れするばかりに下書きしていたイラストも、手を付けられず。

朝は食べられず。
昼はゆで鶏を焼いたもの。
夜は別の鶏を焼いたもの。鶏だんごとゴボウの炊き合わせ。豆腐、ニラ玉。
ナスの塩もみ。


2006年08月21日(月) 吸い込む

中国盆。
どうしても、あの「腐敗一歩手前臭」を吸い込まないと、夏が終わらない。
去年は臨月腹を、今年は汗まみれの赤子を抱えて、崇福寺の階段を昇る。

朝はりんご。
昼は岩川飯店に行こうかと思ったら休みだったので、急遽かんしゃくへ。
でも、かんしゃくは、どんどんかんしゃくから遠ざかっている。
もはや全然別物の味だった。

夜は実家で皿うどん、スパゲティ、親子丼。
みんなで「多国籍料理」と称してみる。
妹に釘付けのぼっちゃん。若いお姉さん好き。


2006年08月20日(日) 小学生並み

お笑いライブを見に行く。
(小学生多数)
お目当てはアクセルホッパー。
(小学生並み)
ポンポンスポポンポーン。
思っていたとおりのつまらなさ、舞台での間の持たなさ加減、
すぐ消えそうさ加減だった。
桜塚やっくん狙いのお姉ちゃんたちの、今に生きてる加減も微笑ましかった。

朝はハチミツトースト。
昼はトマトソースのスパゲティ。(アンチョビ、エリンギ、たまねぎ、枝豆)
夜はいつもの焼鳥屋さんへ。今日は牛タンがヒットだった。
ぼっちゃんも、焼きなす、鶏肉、レバーなど食べる。


2006年08月19日(土) 踏み外した。

昼ごはんを作りに実家に行ったつもりが、
思わず昼寝してしまった。

朝は種なしぶどう。
昼はざるそば、ごはん、すり身揚げ、モチウオフライ。
夜は、昨日の鶏、昼のすり身揚げ、納豆ごはん。
ダンナが遅く帰ってくる取材だと知らなくて、ペースを組み立てられなかった。
7時半ごろ「今から佐世保を出る」なんて聞いてしまい、
あると思っていた階段が1段なくて、踏み外したような気分になったのだ。


2006年08月18日(金) でもでも

昨日の打ち合わせで、
私は紙のリーフレット要員として出席したのだが、
HP作成要員として来ていた女の人の空気が、
日々の大半を、何の疑いもなく仕事に費やしている匂いだったので、
(どっかの会社員だから、それが普通なんだろうけど)
あぁ、私も心おきなく仕事がしたいなー、と、しみじみした。
向こうから見たら、私の空気は、なんかわけわかんない感じだったろうな。

まぁでも、今はぼっちゃんとの時間を味わおう。

でもでも、1週間のうちの2日の5時間ずつくらいは、没頭したいなぁ。

台風が近づいている。
遠くに旅行しているハハと妹、今日の飛行機で帰ってくるはずなのだが。


朝は…忘却の彼方。
昼は…も、忘却の彼方。たぶんチンしたごはんとか。
夜は鶏と白菜のオイスターソース煮込み。ダンナは豚しゃぶ。


2006年08月17日(木) じっくり大晦日に

やっとケント紙が買えた。
新大工でササッと買い物をすることになって、
そのついでに文房具屋さんを覗いたら、
こないだ私の注文をぶっちぎって、
「あら、やだ、きゃぁ、いや、もうっ」
とうろたえていた「少女おばさん」がいなかったので、
今だ!と、脇目もふらず紙の棚を目指したら、あった。
100枚の包みを買う。
ホッとして店を出たら「少女おばさん」がどこかから戻ってくるのが見えた。
セーフ。

朝はハチミツトースト。
昼は冷やし中華、昨日のササミゴーヤ炒め。
夜は実家でイワシの塩焼き、アジの刺身、鶏の照り焼き、水菜のおひたし、
キュウリとワカメの酢の物、玉子焼き、板付けカマボコ。
ここ数日体調を崩していた父が一段落回復したので、父好みメニューを。
でも酢の物に対して「もうちょっと甘味が…」と言われ、
私としては父好みバージョンで自分の基準より甘くしたつもりだったので、
「これ以上は甘くできん」と言い放ってしまった。

夕方には、新しい仕事の打ち合わせに出た。
仕事、したいなぁ。じゃんじゃんと。

キズパッド、貼り替え日。
だいぶよくなっていた。
縫った方がよかったかもしれないけど、縫いようもなかったかもしれない、
という、どっちつかずな結論も出す。
そしてそれをダンナに説明しようとしたのだが、
私もまだ詳細には話したくないし、
ダンナもあまり聞きたそうではなかったのだが、なぜか
「よし、大晦日にじっくり話そう」
ということに決まった。



2006年08月16日(水) 120才

(現在、翌日の、しかも夜)
なにをしたんだっけ…。
思い出せない。

朝…ダンナがわりと遅くに出てよくて、
チーズトーストを…いや、それは今日作ったんだ。
真剣にわからない。

昼…冷やし中華は…、今日か。なんだっけ。
味噌汁は食べたと思うが。あ、レバーの残りとか。

夜…は、冷やし中華と、ササミとゴーヤの炒め物、
エビシュウマイ(出来合いの)、だったような。

ううう…行動としては、なにをしたんだっけ…。
夢彩都には、たしか、行った。少しだけ。

脳年齢って、たぶん、今の私は120才くらいじゃなかろうか。


2006年08月15日(火) 微妙な間違い

精霊流し。
私は特にさだまさしのファンでも何でもないけど、
ことあるごとに、時として苦情のように言い立てられる、
「さだまさしの歌と、実際の精霊流しとのギャップ」
については、
「見かけの音がうるさければうるさいほど、
 本当にその人が死んで悲しかった人は、
 あの歌にも負けないほどの静けさを味わっているものだ」
と、但し書きを付けたい気持ちになる。
…って、前も書いた気がするが、毎年言われることなので、いいか。

朝は…ばあちゃんのおはぎ(ここ数年来の最高傑作)。
昼は、いろんな要因が重なって、リンガーのちゃんぽん。
その後、親戚の集まりに参加し、楽しい話や、ヤバイ話や、怖い話など聞く。

夜は疲れの波が押し寄せ、下ごしらえしたササミを炒める気力がなくなり、
さらに、ごはん粒をぜんぜん食べる気になれず、
ひとり、台所のカウンターで立ったまま、レバーやキュウリやトマトなどつまむ。
途中でゆで玉子が食べたくなったので、ゆでた。
でも黄味のほとんどはぼっちゃんに食べられ、満足感はほとんど無し。

夜中は、お楽しみの「精霊流し中継録画番組」を、
ものすごく突っ込みながら見る。

ダンナは島原の精霊流しの取材へ。、
長崎の精霊流しに慣れていると、
カメラマンへの攻撃の微少さに気が抜けたようだった。
長崎では、カメラを持っていると、爆竹をどんどん投げつけられるのだが、
島原では、ひとり、ニコニコしながら、
そっと足下に爆竹を置いていった人がいたくらい。
まぁ、それはそれで、間違ってはいる。

さらに(?)有名な具雑煮屋でトンカツ定食を頼んだら、
ソースが焼肉のタレだったので、
お店の人に訴えようかどうか悩んでいたが、悩むうちに食べてしまい、
食後は、トンカツを食べたはずなのに、焼肉のゲップが上がってきて、
複雑な気分の食後だったらしい。
これも、間違っているようないないような、でもやっぱり間違いだろう。

ぼっちゃん、10ヶ月。


2006年08月14日(月) そがん年やもん。

昨日の夜は、途方に暮れていたさまざまな懸案事項だったが、
一晩眠って起きて、断念することが許されそうなものはすることにしたりしたら、
むしろのんびりとさえ過ごしている。
「とりあえず考えずに寝る」というのは、なかなか使える解決法だ。


朝は白玉ぜんざい。
昼は、昨日の夜ごはんを作った時に詰めておいたお弁当。
ぼっちゃんに攻撃されながら、いくつものおかずを出さなくていいし、
これはかなりのヒットだ。片付けも簡単。これからはこれにしよう。


昨日、ばあちゃんのとこにちょっと寄った。お盆だし。
3才で死んじゃった、ばあちゃんのお兄ちゃんの話になる。
うちのぼっちゃんとよく似たその子だが、
タンスか何かの空間に入りこむのが好きで、
そこに入るとごきげんでニコニコしてたらしい、というのを聞いて、
そのニコニコを見ていたひいばちゃんが、
どんなにかわいく思っていただろうと、泣きそうになった。
初めての男の子だったし、死んじゃったときは、たいそう悲しかったらしい。
そりゃそうだろう。
ひいばあちゃんは、そのあと、男女2人ずつ、4人も生んで育てた。
一番上のおばちゃんを合わせて、5人。
ひとりのぼっちゃんでヘトヘトになっている自分が情けないが、
それにしてもタフ…。
そして、その子は死んじゃったけど、
あとの5人がガッチリ元気に健在なところがすごい。フルハウス状態。

でも、
「3才の時に死なんで生きとっても、
 たぶん兵隊に取られて死んだやろうね。そがん年やもん。」
というのが、ガツーンとショックだった。
結局は若くして死んだ可能性、特大。
悲しすぎる。

ほかにも、ひいばあちゃんのお母さんが、原爆で黒こげになった話など。
毎日のように、お母さんの家(松山町!)に行っていたという、ひいばあちゃん、
あの日も行くはずで、頼まれていた薬も準備して仏壇においていたが、
なぜか行かなかったらしい。
こういう時の「なぜか」の力って、測りようがない。

遠い親戚だか知り合いが、長大の病院で診察を受けていて、
目の前のお医者さんは死んだのに、
その人と、ひざに抱っこしていた娘は生きていたというのも、
あまりの紙一重さにおののいた。
隣の家とかならまだしも、目の前。紙一重ですらないのでは。


◇◆◇


10秒単位の奇跡的な偶然が重なり合い、
あきらめていた「『親戚集合in墓』への参加」が実現。
しかも例年では考えられないくらい遅い時間に、みんなが集まっていた。
いちいち「これは誰かね?」と確認するほど暗い墓で、
約20名がひしめきあい、ビールを飲んだりおにぎりを食べたり、
暗くて見えないけど子どもを見せあったり、
年を言い合ってはしみじみしたりして、
「生きてる者だけが人間だなんて、そんなの嘘っぱちに決まってるさ」
という時間を過ごした。
ワイワイしていた今日の墓地は、つまりはあと100年もしないうちに、
そっくりそのままあの世で再現されるのだ。
今日はもう暗かったから見えなかったけど、
ずーっと階段を昇った上の方にあるお墓にいて、
登ってくる親戚を見つけては「あ、○○ちゃんの来た」「おじちゃんも来よる」
などと言ったりしている光景って、すごくあの世っぽい。
死んでる人から見たら、生きてる人って、あんな風に見えてるのかもしれない。
墓参りは、あの世体験だ。

そうか。今あらためて思ったけど、今日行った墓には、
80年ほど前に3才で死んじゃったあの子も入っている。
サンキュー!登ちゃん。みんなと会わせてくれてありがとう。

そんなこんなで充実の墓参りを済ませ、
夜は駅前食堂でしょうが焼き定食(という名の、肉野菜炒め定食)。



2006年08月13日(日) 振り切れ

ただでさえオーバーヒート気味のぼっちゃんの世話をベースに、
この1週間、これでもかといろんなことが起こり、
これはちょっと、レッドゾーン、振り切れてるかもしれない。
どうやってここ数日を過ごしていいのかもわからない。
明日のことすら考えきれない。
でも、死なない限りは過ぎていくだろうから、
なんというかもう、じっと過ぎていくのをそばで見ていよう。
自分のことだけど。

朝は…忘れた。だいたい寝たのも5時ごろだったし。
昼は…3時ごろ、通りゃんせのラーメン。
夜は、鶏とエリンギの甘辛いためなど。

指のケガによるキーボードの打ちにくさも、
肩と心の両方に、じわじわ効いてきた。

今日はいつだろう?明日って、何だろう?


2006年08月12日(土) ひき肉マン

すごーく久しぶりに、ひとりでコーヒーを飲みに行った。
週刊文春の書評欄をぐーっと読みながら、
意識が深ーいところで回転したのがわかった。
そうそう、ほんとはこの部分の回転を使って、読んだり書いたりしてたよなぁ、
と、あらためて今の環境の特異さを思う。
いつも頭のどこかで、
ぼっちゃんに呼ばれるのを覚悟しつつ、ビクビクしながらやってるので。

(そしてこれを書いている今、まさしくタイムリーに中断)

朝から夢彩都へ行く。
どうしても買っておきたいものがあったのだが、
ただでさえ混み合う土日。しかもお盆前なので、早めに行く。
11時過ぎに着いたのに、もう駐車場は6階だった。
バッテラとケーキを買って実家へちょっと寄るつもりが、
いろいろあり、なんだかんだとあり、
ぼっちゃんが寝たので見ててもらうことにして、ひとりで出かけたりして、
夕方帰る。
夜は玉屋の焼鳥、そば、ざる豆腐、たぬき丼、キュウリ醤油掛け、
昨日の残りの、ナスと豆腐。
豆腐の炒め物のひき肉あんかけの部分を、ダンナがノドにひっかけて爆発させた。
「小学生だったら、あだ名になってるよね」
というくらい派手にひき肉をまき散らしたので、
今日の間だけ「ひきにく」と呼ぶことに。
途中から「ひき肉マン」になった。
「ひき肉マン、それ取って」などと言って、小学生気分を味わう。

発疹が出たぼっちゃん。
どうやら突発性発疹の2回目だったようだ。
一回かかればもうかからないと思っていたけど、
どう見てもこないだの発疹と同じだったのでちょっと調べたら、
2回かかる子も20%くらいいるらしい。
誰に似て過剰なんだか…。


2006年08月11日(金) 全ヤメ

ぼっちゃん回復のため、様々な予定を全部やめる。
発熱であまり眠れない夜を過ごしただけあって、
午後は時々起きながらも、眠りっぱなし。
そしてすべてが決着したのか、明らかにパワーアップして起きた。
顔や発声までもが変わっていた。

朝は、昨日ハハからもらっていたおにぎり。
昼は、刺身のヅケとモヤシの酢の物、納豆。
夜は、買い物に行かなかったので、豆腐の煮込みやナス炒めをしていたら、
急に人が来たので、魚肉ソーセージも焼く。シブイ!
アボカド、ところてん、キュウリ醤油掛け。

明日は買い物に行かなくては。
野菜入れには、ニンジンとゴボウしかない。


2006年08月10日(木) 直結しすぎ。

ケガをしたり、忙しかったり、疲れたりした乳ばかり飲ませたからか、
ぼっちゃんが少々発熱。
あまりにも直結しすぎて怖いくらいだ。
気がけて休まなくては。難しいけど。

それにしても、ちょっと前までは「赤ん坊」というかたまりだったぼっちゃん。
もう、かたまりではなく、小さな人間という感じになってしまった。
ここで「はやいよねー、育つのは」と思ってしまうのだろうが、
じゅうぶん遅い。
二人っきりでいる時間が長いからかもしれないが、
ものすごーく遅い。
産んだのなんて、100年前みたい。
でも、過ぎてしまった時間のことって、
つい「あっという間だった」などと言ってしまいがち。
私も、新しく子どもを産んだ人に向かって、
「赤ちゃんのころなんてすぐ過ぎちゃうよ」なんて言わないようにしよう。
言うとするならば、
「ぎっちり大変で長く感じるだろうし、味わう余裕もないだろうけど、
 こんな時は、またとない。育ってしまって離れていくのが寂しくないほど、
 たらふく味わっておくがいい」
くらいか。
…つまりは、今の自分に言い聞かせているんだが。


朝はスープとパン。ヨーグルト。
昼は昨日のイトヨリ、モヤシのあえもの、なすの塩もみ。
夜はダンナが遅い取材だったので、実家に行って、イワシの塩焼き、
レバーの甘辛煮、かぼちゃの煮物、けんちん汁、ゴーヤの甘酢、刺身。



2006年08月09日(水) 月のつかの間。

只今、午前3時半。
ダンナは原爆の日なのでさっきご出勤され、
なんとか仕事のめどを付けた私は、これからシャワーに入って眠る。
まんまるな月の下で、昨日の人と今日の人が起きている、つかの間。


◇◆◇


11時2分。
ぼっちゃんは眠っている。
原爆が落ちるということは、
もし、今が61年前だったら、ぼっちゃんも私も一瞬にして死んでるってことだ。

しかし…、今日ふと思ったのは、
原爆が長崎に落ちていなかったら、私は生きていないかも、ということ。
私ひとりじゃなく、長崎中の人があやうい。
人の縁というのは、とても微妙な奇跡のバランスの上にあると思うので、
たとえば、じいさんばあさんの誰かが、
本当なら原爆で死んじゃった人と結婚するはずだった、というのは、
さほど不思議な話じゃない。
すると、もう、私は生まれてこないわけだ。
もちろん、すべての人について、
そういう縁の曼荼羅のようなことは言えるんだけど、
原爆って、やっぱり強烈な要素だし、
長崎の人なら、たいてい親類縁者に原爆で死んだ人がいるからダイレクト。
原爆が落ちたから自分がいる、という一面は、なんとも複雑なのだった。


◇◆◇


朝はフムスとハチミツとパン。
お昼は実家からもらっていた鶏のトマト煮込みなど。
夜はイトヨリのソテー、鶏のスープ、なすの塩もみ、モロヘイヤ、
オクラの焼きびたし、アボカド、スープのだしがらの鶏とモヤシをみかん醤油で。

とても疲れていたので、グッと詰まったスープが飲みたくて、
いい鶏肉を惜しげもなく炊きまくった。染みた。

みかん醤油のみかんは、薬味用のもの。
たぶん間引きというか、摘果したやつなのだが、
袋一杯で百円だった。種もないし、とってもフレッシュでいい香り。
じゃんじゃん、何にでも絞っている。


2006年08月08日(火) 元は取る。

と、とにかく仕事しなくちゃ…と思いつつ、キズパッド交換。
本当はもっと貼りっぱなしにしといた方がいいのだが、
ちょっとはげてきていて、そうなるとバイ菌が入ったりするので、
そういうときは交換するべきらしい。
慎重にパッドをはがし、おそるおそる傷を見てみる。
完治には程遠いが、なるほど、治りつつあるのはわかる。
「事件」直後は、… という状態だったのが、少しおさまっていた。
「…」の部分は、これ以上ない形容を思いついてるんだけど、
まだ文字にしたくないのだ。自分で書いたものすら見たくないというか。
指先を切っただけでこうなのだから、
原爆の時のことを何十年も話せない人がいても、
まったく不思議じゃないのだとわかる。
そして、切った直後は、キズパッドを買いに行くためもあったけど、
とりあえずは一刻も早く家から出たかった。
「そこ」にいたくなかったのだ。自分を「そこ」から切り離したかった。
指先を切っただけでこうなのだから、
なにか大きくつらいことがあった人が、
その現場に何年も足を向けられないなんてことが、
まったく不思議じゃないのだとわかる。

キズパッドを貼り替え、一安心。あとは時間にまかせよう。

ケガは痛かったけど、いろんなことを考えられたりして、
我ながらタダでは起きず、元は取っているような気が。


◇◆◇


昼は冷やし中華。
ゆで鶏とキュウリだけのシンプルバージョン。
ぼっちゃんの相手と、ケガの疲れではかどらないながらも、仕事。
体へのダメージって、かなり心にも来るのがよくわかった。

だから、意を決して「フムス」を作る。
ずーっと作ってみたかった、ヒヨコ豆のペーストだ。
これを作ろうとして、ケガしたのだ。
すり鉢とすりこぎで作る。
はじめからこうしておけば…。
できたフムスは、思っていたよりもはるかにおいしかった。
これからもたびたび作るだろう。
嫌いにならずによかった。

夜はフムスとパン。
これにチーズとワインでもあればいいんだろうけど、
哺乳類はがっつり食べないと倒れるので、ちゃんとごはんも炊いて、
豚となすの炒め物、オクラの焼きびたしなどもする予定。

今夜こそは仕事を決着させなくては…。


2006年08月07日(月) 癒し月曜。

終日、指の傷を癒すことに専念。つまりは休む。
癒しって言葉は、
もはや温泉旅館のマッサージ椅子みたいな扱いになってしまっているが、
今日のこの状態は、癒しているとしか言いようがない。
キズパワーパッドも2日目を迎え、パンパンにふくらんでいる。
そして少しずつ、再生されている感じがする。
ある動作をして、痛かったものが、大丈夫になったりして。
さらにキーボードの指運びが、だいぶスムーズに。
メンバーが欠けたプレーに慣れてきたとでも言おうか。
人の体の能力の柔軟さに感心。

しかし、非常事態であることには変わりなく、
〆切目前の仕事に手を付けられなかった。
さて、どうする。

朝は豆乳。
昼は鰹の煮付け、キュウリの塩もみ、玉子入り味噌汁、いりこと昆布のふりかけ。
夜はダンナがようやく帰ってきたし、
傷を再生させるために、焼肉屋さんに行って、ホルモンを食べた。


2006年08月06日(日) 指切り日曜

指を切った。
左手の人差し指を、バーミックスでザックリと。
一瞬、なんのことかよくわからなくて、「え?え?」とか言ってたが、
血がどんどん出てきて、手当たり次第に止めた。
「縫う」とか「病院」という字もよぎったが、却下。
自然治癒力を高めるというキズパワーパッドを買いに走り、
あとは気合いで治すことにする。

キズパワーパッドは、すごい。
貼っただけで、痛みも軽くなったし、
書いてある通りに、傷口からの液がとどまっているのが見える。
たしかに、転んだキズくらいならすぐ治るだろう。
鮫に皮を剥がれたウサギって、これを教わったんじゃないのかな。
キズをいったんよく洗って乾かして、パッドを貼って、
傷口から出てくる体液のうるおいと力をキープする方法。
湿潤療法というらしい。
ガマの穂は、天然キズパワーパッドだったのかも。
さらに、笑うと痛みがグッと遠のくのが、あなどれない。

そのまま実家へ行き、ごはんを食べたり、眠ったりする。
レバー甘辛煮、そうめん、かぼちゃの煮っころがし、ゆで鶏。

そしてどうしても家に帰りたくなって、ぼっちゃんを預けて帰ってきた。
ひさしぶりにもぎくんと二人。
こうして日記を書きながら、ケガのショックを癒しているのだった。

キーボードが打ちにくいが、なんとか打てることがわかってホッとする。


2006年08月05日(土) 祈っている。

親しい、とまでは言えないけれど、
とても大切に思っている人の体の具合が、どうも悪いようだ。
こないだ、ダンナと二人、その人のご主人にチラリと話を振ったとき、
「説明してくれた言葉よりも実際には良くない状況にある」
という印象を二人ともが受けてしまい、
家に帰って、やっぱりそうだよね、と言い合った。
それからたびたび、その人の顔が浮かんでは消える。
とにかく私たちの印象が外れていることを願っているし、
当たっているにしても、どうか回復しますようにと祈っている。
決まり文句ではなくて、本当に、祈っている。眠る前とか。


◇◆◇


新しいプリンタを購入。
速い、きれい、静か、インク汚れなし、紙詰まりなし、ストレスなし。
す、すごい…今までって、いったい…。
まぁ、結婚前から使っているプリンタだったので、寿命はまっとうしたと思う。
ありがとう、お疲れさまでした。


◇◆◇


朝はメロンパンふたかけ。
昼は何日か前の鶏の焼いたの、鰹の煮付け、キュウリ塩もみ、納豆、味噌汁。
夜は実家で刺身、鶏のトマト煮込み、味噌汁、漬物。


2006年08月04日(金) 埴輪のころから

じわじわとやるべき仕事がたまりつつある週末だが、
体の訴えに耳を傾け、今日までは休む。
昼寝の途中で足を動かしたら、右足の付け根が「がっぽん!」といって、
骨がはまりなおした気がした。

今、まじりけのない夏。
夏だ夏だと言ってはみても、まじりけのない夏は、ひと月もない。
梅雨が明けて、お盆まで。
だからもう、今年の夏は、あと10日もない。
とんぼがスイッと飛んだら終わりだ。
夏にくらべたら、まだ春のほうが長い。

今夜は取材で仙台にいるダンナ。
牛タンのお店に入ったけれど、さほど感動はしなかった様子。
ラーメン屋にいたっては「ゲロマズ」だったらしい。
地域の違いだろうか、それとも絶対値的なものだろうか。


朝は板付カマボコとごはん、ゴーヤの塩もみ、玉子入り味噌汁。
昼はそぼろごはん、キュウリの塩もみ。
夜は父とぼっちゃんと、なぜか茂木の飲み屋さんで、
刺身、メバルの煮付け、タチウオの塩焼き。
あまり期待はしなかったが、おいしかった。


◇◆◇


壱岐で気が遠くなったことは、田んぼの、田んぼ歴の長さだ。
千年万年単位で田んぼな田んぼ。
毎年毎年米を実らせては、その時々の生活や政治や経済を支え続けた。
遺跡の場所はもはや遺跡と呼ばれて過去を見せているけれど、
田んぼは田んぼのまま、とにかく田んぼであり続けていて、
のどかというより、凄味だった。
私自身は、たぶん、先祖や前世も田んぼとはあまり縁がなかった気がするので、
よりいっそう、恐ろしいほどの、風にそよぐ青田だったのだ。

埴輪のころから、米は米。
パソコンになっても、米は米。

その途方もなさが、島という限られた土地では、ぐいぐいと目に迫る。



2006年08月03日(木) あまりにも遺伝

(またもや翌日記す)

翌日に日記を書いてばかりの、お疲れさん。
乳マッサージでも眠ってしまった。
そしてけっこうマズイ乳が溜まっていたようだ。

朝は、ダンナも休みだったし、朝っぱちからスパゲティを作った。
冷たいうどんでも…と青じそを刻んだら、たくさんになってしまって、
それを見ていたら、スパゲティを食べたくなったのだ。
シメジとトマトと青じそのスパゲティ。
最後にオリーブオイルをまわしかけたのが、かなり正解だった。

昼は、朝からなぜか炊いてしまった薄揚げをのせて、きつねうどん。
鶏そぼろと炒り玉子の「親子そぼろ丼」とともに。

夜は、鰹のたたき、豚のショウガ焼き、壱岐で買った「かじめ」の味噌汁、
ザッコエビのゆがいたの。
「英才教育」と称して、エビをむいてぼっちゃんにやると、どんどん食べる。
ショウガ焼きの肉も、ニャンニャンしてやると、どんどん食べる。
ごはんをやると「エビと肉はどうした!」と言わんばかりに怒る。
壱岐では生ウニをするすると食べていたし、
磯もの好き、おかず食い、あまりにも遺伝。

(それにしても、とにかくこの日は、いろんな面でローテンションだった。
 長年使ってきたプリンターすら壊れた。どうしよう…)


2006年08月02日(水) 海はバサバサ。

本の海。
本の海が広がっている。
バサバサバサバサ…。

本棚の下から2段を、しつこくぶちまけるぼっちゃん。
今日はせっかくマッサージに行ったので、
この海の現状と今後の展望については、明日考えることにする。

朝は納豆ごはんなど。
昼は東長崎で写真の追加撮影があったので、
そのへんの、ほどほどに感じの良さそうな店に入ってみる。
予想通り、ほどほどに感じは良く、味もそのようなものだった。
近くにあったら時々行くかもしれないが、近くにはないし、
そこを目指して休日のスケジュールを組むかと言われたら組まない、
というような店。

写真を撮り、平井でコーヒーを飲み、マッサージへ。
今日はとにかく肩から頭にかけてがゴチゴチで、視野すら狭かった。
終わって目を開けたら、世界が広がっていた。

夜は手羽中をこんがり焼いたもの、ヒラマサの刺身、冷や奴、
キュウリ、トマト、ゴーヤ、鶏そぼろ。


2006年08月01日(火) ウニまつり

7月30日に食べたもの。

朝。ほっかほっか亭のおにぎり弁当みたいなの。
1個付いていた唐揚げを「ダメダメ、こんなの食べたら乳が!」と思いつつ、
どうしてもあらがえなくて、一口食べたら、めまいがするほどおいしかった。

昼。壱岐でウニ丼。ウニがひと瓶ぶんくらいのっている。
念願の「ノリ抜き」で頼んでみた。

夜。民宿のごはん。舟盛りのおさしみ、たっぷりのウニなど、
刺身断ちをして望んだ甲斐があった。

7月31日に食べたもの。

朝。民宿のごはん。ごっちりした島の豆腐がおいしかった。

昼。肉食ダンナチームは壱岐牛の店へ。
その後、哺乳類チームは「はらほげ食堂」で、うにめし(またか!)。
ぜんぜん飽きない、うに。

夜。長崎に帰ってきて、駅前食堂で鳥天定食(ごはん大盛り)。
車の中で乳を吸われすぎ、口もきけないくらい消耗していたので、
ごはんをガンガン押し込む。

とにかく、食べたものだけは記録しておこう。
食べたものさえ思い出せれば、ほかのことも、ほぼ忘れてはいないから。

それにしてもウニまつり。


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