ぴんよろ日記
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コツコツと、長崎もののイラストを描く一日。 低気圧のせいか、昨日はご機嫌斜めだったぼっちゃんがよく眠っているので、 なんとかはかどっている。うれしい。
朝はたまごごはんとほうれん草のおひたし。 昼は納豆ごはん、ウインナー、鶏とタマネギのサラダ。
地味…。
昨日の夜は鶏を焼いて、柚子ごしょうを効かせたソースで食べた。 ゆで鶏とオニオンスライスのサラダには、ディルをたっぷり。 ディルが大好き。これからもちょくちょく買おう。
◇◆◇
ぼっちゃんを見ていると、 赤ん坊って、育てたら育つので、 逆に、赤ん坊が捨てられたりするニュースを見ると、やけに悲しい。 単に「かわいそう!」っていうよりも、 「育てれば育つのに!」という、一種のもったいなさ。 だからこそ、育てたのに育たなかったというのは、無条件に悲しい。
そしてまた、育てなかったら育たない、はかない存在。
でも、はかないくせに、傍若無人。 (昨日の低気圧ぼっちゃんには、本当に疲れた。。。)
◇◆◇
夜はショウガ焼き。鶏と豆のスープ。ポテトサラダ、アボカド。
結局大小合わせて11点のイラストを描いた。がんばったと思う。 卓袱料理よりも、ちゃんぽんと皿うどんの方が、つらかった。 描きわけようにも…ほぼ同じじゃん!
あと1点あるが、明日描くことにしよう。
昨夜は仕事を大量に残したまま、ぼっちゃんを寝かしつけつつ、爆睡。 今日はぼっちゃんに少々泣かれてもがんばろう…。 という、マイナス地点からのやる気にあふれた朝は、はちみつトーストと紅茶。
昨日本屋で、細木数子さんの占いの「何星人」かを割り出す紙を見つけた。 それだけもらってきてやってみたら天王星人(+)だった。 さらにネットでちらりと見てみたら、占いとしてはあまりピンと来なかったので、 やはり細木さんは「人生相談好きな飲み屋の豪傑ママ」ということで落ち着く。
◇◆◇
私の携帯に、ものすごく微妙な間違い電話がかかってきた。 「もしもし、…トウさんですか?」「カトウですけど」 「サトウヒロユキさんの電話じゃないですか?」 「え?カトウヒロユキ?」 「サトウヒロユキ」 「…。カトウヒロユキなら私のダンナですが」 「いや、サトウヒロユキ。間違えましたー。すみません」
よりによって、なぁ。
全員、昨日の疲れもあってか、お昼まで眠る。 老李でごはんを食べ、平井でコーヒー、新大工で買い物。 友だちがチラリと来て、もう一度外に出て、帰って、 新大工で買った、鯛のあらを焼く。 フライパンで焼いたのだが、焼いたあとのこびりつきがおいしそうだったので、 酒とバルサミコと醤油を注いで、ジュワーッとソースを作る。 くくっ、おいしかった。 あとは、コチの刺身、あらオンリーでダシを取った味噌汁、ほうれん草のおひたし。
そしてこれから仕事をがんばる。
わりと淡々と過ぎたけど、でも、好きな感じの一日。
こないだこすった車の塗装ができたというので、 昨日から泊まっていた人を送りがてら、代車を返しに行く。 この代車が2〜30年前のBMWだったのだが、いやはや、良かった。 「メカ!」って感じで。 日本車のような気のききすぎる機能はほとんどないのだが、 走り心地やシートの座り心地などが、なんとも高密度なのだ。 昔の車のデザインに心ひかれるが、なるほど、中身もいいのだな…。 車検があと2か月くらいしか残っていなかったので、 ダンナと「これはもう捨てられるんだろうか…」と心配したが、 返しに行ったときに持ち主に訊いたら、 彼も気に入っているらしく、車検は通すというので一安心。 別に、買おう!とかじゃないんだけど、捨てられると思うと忍びなさすぎて。
まぁしかし、愛車が戻ってきて数日ぶりに乗ったら、 やっぱりこれまたいい感じで、空も青いし、ちょっと山でも越えるか、 お昼は拓どんでうどんでも食べようか、 なんて言いながら、勢い余って福岡まで行って帰ってきた。 何をするわけでもなく、行って帰ってきただけ。 帰りに地鶏食堂で、石焼きの地鶏を、麦ごはん2杯とともに食べた。
前は、毎日のように見ていた、どんとのHP。 管理人が変わってから雰囲気が変わってしまい、 滅多に開かなくなったのだが、久しぶりに見てみる。 …と、今日は、どんとの命日だった。 七回忌らしい。 私がどんとの唄を聴きだしたときには、すでにどんとは死んでいたので、 逆に言うと、最初から「生きてる歌」だけと付き合っているので、 死んでるとか、死んだとか、あまりよくわからない。 どんとは死ぬことを「情報化」って言ってたらしいけど、なるほどな、と思う。
朝からバタバタと風呂に入れたり入ったり洗濯したりしながら、 クロワッサン&メロンパン。
今日はどんとの情報で部屋を満たそう。 助けて!フラワーマン
◇◆◇
夜は、思い起こせば、すでに足かけ3年、コッコデショの番組の、 社長賞受賞ありがとう飲み会を、紅灯記で。 カキの天ぷらなど食べながら、なごやかに飲み食い。 いろんな話をしたり聞いたりして、なんだか、いい時間だった。
帰ってさらに飲み直す。私はお茶だけど。
昼まで眠りの国へ。 朝一度起きて、朝ごはんまで食べたが、 昨日までの微妙に降り積もっていた睡眠不足が一気に押し寄せ、昼まで眠る。 ぼっちゃんともぎくんも、つられたのか、付き合ってくれたのか、 3人でひたすら眠った。すっきりした。 起きたときは、足腰が猛烈にだるいようなきしんでいるような感じだったが、 ちょっと動いたら、ウソみたいに軽くなった。 奥にたまっていた疲れを、眠りが揉み出してくれているところだったのだろう。
朝は、ごはんと味噌汁と「細木」など。 「細木」は、昨日久しぶりに作ったが、今まででいちばんいい出来だ。 昨日の夜は一人で鶏など焼いた。 ジャガイモとタマネギを細切りにして、弱火で気長に炒めたものが付け合わせ。 これが食べたくて、大義名分として鶏を焼いた感あり。 かぶとラディッシュのサラダは、バルサミコとオリーブオイルで。 前に使っていたバルサミコの倍くらい高いバルサミコを買ってみたら、 これがまたおいしくて、毎日でも食べたい。
昼は、こないだ行った食堂を思い出しながら、焼きめし。 食堂のおばちゃんよりもハムをケチったみたいで、 明らかにハムをケチった味になってしまい、ちょっと後悔。 今度はもっと気前よく切ろう。
それにしてもあの食堂はおいしかった。 ぼっちゃんが大きくなったら、あの食堂に行ってごはんを食べ、 ペンギン水族館で遊んだりしよう。(ふたつは近くにある)
2006年01月25日(水) |
極端から二番目の現実化 |
もう抜け出したかったんじゃないか、ホリエモンさんは。 強い想いは現実になることが多いし、 想いを現実にする能力が高かったからこそ、一旦は成功したんだろうし。 などと、思うともなく思っていたら、 「財布は持っているとなくしてしまう。10個はなくした」という、 以前のインタビューの映像を見かけたので、こりゃ間違いなかろうと確信した。 お金の力を見ることができたばっかりにここまで来たけど、 見ることができるほどには好きじゃなくて、 (霊能者が、好きで霊能者になるわけじゃないのと似てるかも) しかもどんどんいろんなものごとがくっついて膨れあがってきて、 能力がコントロールできるキャパシティの崖っぷちも見えるし、 もう離れたい、と、どっかで思っちゃったんだろう。(選挙あたりと見た) そしたら現実化してしまったのだ。 デーッカい財布をなくしたようなもんだ。
ま、極端な現実化と言えるんじゃが、 すばやく逮捕されたのは、消されるのを防ぐためという説もありますからな、 それを思えば極端から二番目あたりの現実化じゃったですな、お若いの。
…と、今日もブツブツじいさんになったところで、 朝はトースト(レバーパテ、ブルーベリージャム)。 昼はおでんやスープやほうれん草のおひたしや山椒ちりめんなど。
お出かけ日和だが、仕事。
バスに乗って、紅灯記にゴハンを食べに行く。 気持ちを外向きにしたかったのと、週末の集まりの予約を兼ねて。 乳のため、ヘルシーに汁ビーフン…などと考えていたが、 スーパイコの文字を見たとたん、即決でスーパイコ。 紅灯記のランチがスーパイコだったときに即決しなかったことは、 記憶の限りでは、ない。熱烈歓迎紅灯記的酢豚。 脂身もそんなになくて、乳も大丈夫だった。 なによりおいしかった。もりもり夢中で食べた。
昨日の夜は鶏の中華炒めで、今日の昼はスーパイコで、今週末も中華。 ノープロブレム。アイムチャイニーズ。
帰りのバスで、鍵を落とした。 今日はオバサンに一瞥された。 世知辛いのか、それとも私が一瞥されやすいのか…。
「内容がわかってなくても、読んでやれば喜ぶ」と、何かで見たので、 ぼっちゃんに簡単な絵本を買ってみる。 耳、目、鼻と、徐々にパンダが姿を現すというもの。 ゴキゲンなぼっちゃんの横に寝ころんで、読んでみた。 表紙、耳、目、とページをめくるごとに、じーっと釘付けになっている。 おぉ!楽しいのか!と、思っていたら、それは固まっていただけで、 鼻のページをめくった瞬間、「うわぁ〜ん!」と泣き出した。 なんだなんだなんだ?怖いのか??? 赤ん坊には、ちょっとしたことが、とんでもない刺激なのであろう。
残りもののつくねバーグなどでお昼ごはんにしたあと、ひとつ、打ち合わせ。 帰りに紀伊國屋に寄って、本を買う。 レジでお金を払っていたら、隣には、 長崎にしては、まあまあの給料をもらってそうなスーツ姿のお兄ちゃんがいた。 予約していた本を受け取りに来たようだったが、そのとき、 荷物置きに乗せていた私のバッグが、ドサッと逆さになって落ちた。 ちょうどお金のやりとりをしていた上にぼっちゃんを抱えていたので、 ちょっとあたふたしつつ、バッグを拾おうとしたら、 そのお兄ちゃんがサッと渡してくれた…んじゃ全然なくて、 彼は微動だにせず、私とバッグを一瞥した。 別にバッグを拾ってほしいと思ったわけでもなくて、 「一瞥」って、こういう視線のことなんだ〜、と、感動したのだ。 冷たい、ともまた違う、シャットアウトな感じ。 瞬間無視、か。
夜は、鶏とナスの中華炒め。かなりハイレベルにできた。
なにかその子にとって、指摘されると不快なことを「やっただろ」って問うと、 「それ、何月何日何時何分何秒?」って得意気に聞くクソガキがいるが、 一連のITとか株長者くんたちを目にすると、どうしてもそれを思い出していた。 どうして思い出すかという筋道をここで書こうとしていたのだが、 ホリエモンくんも捕まっちゃったし、もう、いいや。
さて、ぼっちゃんも無事寝たし、「新・夢千代日記」第6話でも見よう。
のんびりと休み。 ぼっちゃんの世話がエンドレスに続くから、 純粋にのんびりってわけじゃないが、 世間もダンナも休みで、友だちも一緒に、休みな一日。 友だちは昨日の夜から泊まっている。 手羽中の焼いたのや、じゃがいもとにんじんの煮物、焼きナスなどを作った。 私より、ちょうど一回り若いのに、なぜか煮物などが好きらしい。 ダンナはあまり食べないので、その友だちが来ると作り甲斐がある。
お昼は、その友だちが中学生のころから通っているという食堂で、 お好み焼きと焼きめしを食べる。 かなり理想的なお好み焼きだった。 豚、魚肉ソーセージ、イカなどが入ったミックスで350円! 魚肉ソーセージの部分を食べるときに、 アメリカンドッグの味がして、なんだか得した気分になった。 焼きめしも、チャーハンじゃなくて、あくまで「焼き」「めし」の、焼きめし。 ハムや卵やピーマンやタマネギが、ていねいに刻まれて入っている。 作っているのは、すごーく腰の低いおばさんで、 腰が低いというか、いい人というか、「食堂のおばちゃん」というよりも、 むしろ「シスター」って雰囲気だった。 また行きたい。 私とダンナ以外は、みんな顔見知りのようだったが、 あの店なら、ひとりでも大丈夫な気がする。
ちょっとドライブして、のどが渇いたので、モスの「山ぶどうスカッシュ」を飲む。
夜はブリの照り焼きの予定。
昼寝。 ぼっちゃんは、私が横で寝に入ると、魔法のように眠る。 おー、かわいいかわいい、と思わなくもないが、 その逆もまた真なりで、いつもならすんなり眠る夜中でも、 あまりに私が違う意識地帯にいると、なぜか目が開いている…。 ということで、昨日の夜、ぼっちゃんをようやく寝かしつけて、 楽しみにしていた「夢千代日記」を見ていたら、1本目の途中で見事に起きた。 ふたたびしばらく寝かしつけて、2本見たところで、3時。 泣く泣く切り上げる。 3シリーズ目の「新・夢千代日記」なのだが、やはり面白い。 あと8本、ぼっちゃんがいなければ、飲まず食わず寝ずで見ただろう。 しかし昨日見た回では、 夢千代さんのところに住み込んでいるおばあさんが、 満州を引き上げるときに小さい息子を殺さざるを得なくなった過去を持ち、 でも殺したと思ったその息子は生きていて、残留孤児として会いに来るという、 いまの私にとっては、泣きのツボが巨大な地雷と化すような話だったので、 たっぷり泣いた。 それにしても残留孤児の役がせんだみつおで、 番組冒頭の出演者クレジットを見たときは、 「ナハナハ」とか言ってダンナと笑っていたのに、 彼がまたうまくハマっていて、すっかり泣かされた。
眠る前に、ぼっちゃんを熱く見つめる。
10時に起きて、11時に予約していた美容院へあわてて行く。 3ヶ月ぶりに髪を切ってスッキリ。 切った髪がワサワサとあって、小さめの動物なら1匹作れそうだった。
昼は焼きそば(目玉焼き乗せ)。
そして昼寝していたら、警察が来て、「お変わりありませんか」と言う。 名簿みたいなのをあらためて書いてくれっていうので、 ぼっちゃんの名前を書き込む。 前回は去年の6月にまわってきたとか言っていたが、 半年にいっぺんも確認してるのか? 今回も携帯の番号を教えるのは断る。 訪ねてきたのは人の良さそうなおまわりさんだったが、 こんなふうに把握されるのが生理的に苦手なので、ヘンな寝起き。
表面張力の針が振り切れる瞬間を見る楽しみ。 ものごとのほとんどは、それが実現した後に気づかれて、 「いつのまにか」存在していることが多いが、 時計の数字が変わる瞬間を目撃すると、なんだか楽しい気持ちになるように、 本当は、この世に出てきた「瞬間」がある。 それは膨大な、一見変化がないと思われる時間を費やしていると、 ごほうびのように見ることができる。
つまり、ぼっちゃんのことを、疲れていようがイヤだろうが、 日がな一日付き合い、見続けていなくてはいけなくて、 しかし、そうやっていると、新しい音の組み合わせが口から出る瞬間とか、 昨日まではなかった手の動きが生まれる瞬間などを目撃する特権が与えられる。
うんこ、明らかに増量、とか。 目やに、劇的に減量、とか。
ささやかすぎるかもしれないが、 「育児の楽しみ」があるとするならば、 これはけっこうな部分を占めているのではないだろうか。
◇◆◇
いろいろ用事をすます。 お昼は、初めて行く平和楼で、エビチリ定食。 まずいわけじゃないんだが、強烈な調味料パンチをくらう。 夜は、豆乳湯豆腐、豚の焼いたのプチトマトとバルサミコと醤油のソース、 マッシュポテト、厚切りかぶにパラリと塩、こんにゃく刺身と小ネギのぬた、 かぶの味噌汁、漬け物、など。 豆乳湯豆腐に入れた下仁田ネギが、感動的に甘かった。
最近、バルサミコでソースを作るのがお気に入り。
いま、朝の3時半。 今日だけど、まだ昨日。ようやく昨日片づけたかった仕事が終わった。 昨日はぼっちゃんが一日グズグズくんで、けっきょく仕事ができなかったのだった。 まぁ、こんな日もあるさ、と言いつつ、ホントはそんなもんじゃなくて、 夕方には、あまりの疲れと仕事のできなさでけっこうキレかかり、 すると、ぼっちゃんがその気配を感じて、ますます口がへの字になって、 最後は二人して泣いたのだった。 まぁ、こんな日もあるさ。 でもぼっちゃんの泣き方を真似して泣いてみたら、 コーラスみたいになって、それはそれで、泣きながら面白かった。
今日はこれから眠って、楽しみにしていたものを見にいく予定。
◇◆◇
ということで、大村まで「小梅太夫」を見にいったのだ。 ひと月ほど前だったか、競艇のイベントに来るとわかった瞬間、 ダンナにメールして休みを取ってもらった。 でも、結果的には、 「知事選公示の日、曲がりなりにも報道カメラマンをやっている人間が、 仕事を休んでまで競艇場に小梅太夫を見にいく」 という構図になってしまい、申し訳ない。 小梅太夫は、見たことのあるネタばっかりだったけど、 ナマの「あれ」が、目の前にいるというだけでおかしかったし、 いわゆる「育児で忙しい毎日」を振り切って、 「あれ」を見にいったというのが、なんともバカバカしくて、楽しかった。 しかし予想よりはるかに小梅太夫ねらいの人が多く、 ステージ近くの席はすっかり埋まっていて、 思っていたよりも遠くからしか見られなかった。 バカは私だけじゃないんだ〜、と、これまたおかしかった。
行く前に大村公園の「大吉」でラーメンを食べていたら、 お店の人が「今日は誰か(競艇のイベントに)来とるとかな」 「来とるごたるよ、チカショーさん、やったかな」 という会話をしていた。 たしかにすぐ近くの看板には、小梅太夫の写真に、 「小梅太夫」の文字よりもはるかに大きく、 彼(彼女?)の決めゼリフである「チクショー!」と書いてあって、 文字の具合で「ク」が「カ」に見えないこともなかった。
そして何より、初めて行った競艇場が大好きだった。 むせかえるほどの「昭和感」にあふれていて、異様に居心地が良かった。 くんちのお旅所の出店の裏あたりの、 買い食いをしている人がダラダラとたまっていたりする空間の密度を、 うんと濃くして大規模にしたような感じだった。 しかも、こう言っちゃなんだが、 外の世界では「ダメ人間」の烙印を押されかねない香ばしい方々が、 真剣な顔でボートを見つめたりしているのも、なぜか希望を感じさせる。 人が間違った隙にクリックひとつで何億も稼ぐ人より、よほど正しいというか。
今度はうどんなど食べに行きたい。
◇◆◇
夜は大好きなお店で、 カキや地ダコ、甘鯛フライ、コロッケ、おでん(!)などつまむ。 お昼のラーメンが、なんだかもたれていて、それくらいの量がピッタリだった。 本当にあの店はすばらしい。 あの店で飲んでる時って、純粋に「人生の喜び!」って、思う。
いつも読んでいる、とあるブログに、 どうしてもじっくり読み返したい文章があったので、プリント。 そのブログの文章の大半は本になるが、 いま、この時から持っていて、読み返したいと思って、プリント。 プリンタには、いつこういう気持ちになってもいいように紙を突っ込んでいる。 それが、イラストの試し刷りの裏紙だったりするのだが、 今日は3枚プリントして、3枚目がまさにイラスト裏紙で、一枚だけが異様に厚い。 保存用としてはどうかと思うが、 ありがたい興福寺のイラストだし、まぁいいだろう。
今日はひとつ仕事を仕上げて、そしたら当面の〆切ものはなくなるので、 実現させたい本作りに向けた作業にかかろう。 ぼっちゃんがいるので、 これまでの3倍や4倍や5倍や10倍は時間がかかるかもしれないが、 そのぶんできるときに集中しようと思うし、 家にいる時間は、以前の何倍もあるわけだから、 ひょっとしたらひとりでやるよりできるかもしれない。 そういう数字って、どうにでもなる。 どうしようもない部分もあるけど、どうにかしようと思うことで、 あっけなくどうにでもなる方が多い。
朝はフレンチトースト、豆乳、キウイ。 昼は、昨日の夜のハンバーグを1個残していたものを食べようかと思ったが、 ダンナが食べたがっているようなことを言っていたので、じゃこメシでも食べよう。
ハンバーグは、合い挽きバージョンと鶏ひき肉バージョンと作り分けたが、 (乳に響くので) 鶏は鶏で、遜色なくおいしかった。
◇◆◇
株って、つまんなそう。 見たり触ったりできないもので稼いだお金って、ちっともうらやましくない。 そういうことをできる人が「勝ち」なんだろうけど、 全然負ける気しない。
〆切のものを、なんとか片づけていく日々。 でも、そんな中でこそ、いろんな発見があるので、やっぱり仕事はやめられない。 仕事をしなくて良ければ、目の前の時間は楽ちんだろうけど、 大きな人生の流れとしては、つまんない。
そして仕事って、人に雇われるだけじゃない。 そのことはもっと大切で当然のこととして扱われるべきだし、 自分で仕事を作っていくやりかたのもとになるようなものこそ、 学校で教えられるべきものだろう。(教えたくないから教えてないんだろうけど) …と、おとといの夜中に見た番組の、 38歳だか39歳だかで餓死してしまった人のことを考えながら、思っている。 何かを固く抱え込んだままのような格好で死んでいた彼の姿が、頭から離れない。
仕事って、外からのものだけじゃなくて、 もっと自分の中から湧いてくるもののはずだ。 湧いた仕事を、人に雇われる形を取ってやる場合だってもちろんある。 表現系の仕事ばかりが「自分らしさ」として語られるけど、 そうじゃない仕事にも、たっぷりとやり甲斐やよろこびはある。 仕事の種類やありかたはいろいろだろうけど、 それが「湧いた」ものかどうかの差は、人生にとって大きい。
彼の中には、彼も気づけなかった「仕事」が眠っていたのかもしれない。 考え方ひとつで、それは目覚めたかもしれない。 少なくとも、死ぬことはなかったかもしれない。
◇◆◇
昨日の夜は、キャベツとハムとネギで、チープなお好み焼きを作った。 やっぱりお好み焼きはチープなほどおいしい。 実家からもらっていたおでんもおいしかった。 おとといの夜は、訪ねたお宅でおでんだったのだが、 自分ちの味とぜんぜん違うおいしさだったので驚いた。 ちなみにその前の日は、五島本陣でおでんを食べていて、 どうしておでんって、続くときは続くんだろう???
朝はスマイルベーカリーのパン。 (現在長崎玉屋の催事場で販売中。私の絵はがきの新作3種もひっそりと販売中) 昼はこれから、イワシのみりん干しなど。
◇◆◇
知事選。 敵の敵は味方。 三つ巴って、よく言うけど、「三つ」が拮抗していることは、まずない。
2006年01月16日(月) |
本家の婆さんと分家の三男坊 |
京都という街は、おっとろしいところだ。 お昼に、もらいものの京都の漬け物を食べながら、 そのおっとろしさをポリポリと噛みしめた。 食べたのは、有名な千枚漬けや、しば漬けや、大根、かぶ、白菜の、 あっさりとしているくせに、それぞれの味がしっかりと違う5種。 これら全部をおなじ味で漬けたっていいのに、違う。 他にもいろんな野菜のいろんなバージョンがあるわけだから、 それだけでも、京都って、なんてとこだ!と、うならされる。 文化って、目の前の物事を細分化して、それを使いこなす能力の高さだと思うので、 (雨の多い日本に、雨の呼び方がたくさんあるように) しかもこの感じが、漬け物だけじゃなく、 生活全般のあらゆるものに行き渡っているわけだから、 いやはや、京都って。 「ここが都である。日本一である。」と思われ続けた街のすごみ。
長崎なんか、変わり者だが、かわいいものだ。 京都が脈々と続く本家の婆さんだとすれば、 長崎はどっかの分家の三男坊が国際結婚して、 なにやら怪しい輸入品を売って小銭を稼いでるらしい、ってとこか。 それはそれで魅力的だが。
順調に、自分の子がかわいくなってきているので、ホッとしているところ。 かわいいと思えなかったらどうしようという、一抹の不安もあった。 しかし、めでたくかわいい。 時々はイラッとすることもあるが、これまた思っていたより少ない。 昨日、さしあたっての育児方針が思い浮かんだ。 「よく見る、くらべない、そばにいる」 だ。 「くらべない」ってのは、よくあるパターンだし、 ぼっちゃんを他の人の子と比べないってことは、ずいぶん前から思っていたが、 ぼっちゃんだけじゃなくて、 自分を「前の自分」「産んでない自分」などと比べないってことも入っている。 「前はこんなことも簡単にできたのに」 なんて、思い出したらキリがないし、 今は今なのだから、今を今として最大限に味わいたい。
朝はクルミパンと豆乳。 昼はスープの残りなどを活用したスパゲティ。
夜は、ぼっちゃんを見せたかった、あるお宅へ、ようやく行く予定。 その前に、おいしい焼き芋を食べて、ひと仕事。
2006年01月14日(土) |
今日でなくてもいい、まぎれもない今日。 |
季節が冬でなくとも良いような天気。 夏の匂いすらした。 冬の沖縄にも似ていた。 さらに、昼間だというのに、夜を思わせる空気があった。 今日はそういう日なんだろう。 いろいろ混ざって、わけがわからないような、今日でなくてもいいような、 だけどこんな日は一年のうちでも、一日あるかないかのような。
昨日の夜は実家へ。 渡したいものがあると言ったら、あれよあれよと、ごはんを食べることに。 つまりは、ぼっちゃんの孫パワーであるが。 着いたら、ハハの帰りが遅かったということで、吉宗の茶碗蒸しが取ってあった。 この、こんな場面でさらりと吉宗が取ってあるところに、長崎を感じる。 ふるふると、おいしくいただいた。 ぼっちゃんがもてなされている隙に、集中してイラストを描く。
ぼっちゃん、ようやく三ヶ月。 長かった…、というか、長い…。 でもこれで、外に連れて出ているときに、 「まだ早いのでは」と言われなくなるだろう。 もう少し首がしっかりすれば、ますます楽になる、はず。
今朝も、嵐のように働き、動き回る。 仕事も立て込んできた。
小泉チルドレンって、なんだ? チルドレンって、パッと思い浮かべる意味は「子ども」なわけで、 でも政治家って、できればいちばん「大人」な人がなってほしいもので、 そりゃまぁ、実情は違うってのは誰もがわかってるけど、 それにしたって、チルドレンって言われて平気な人が政治家をしてるってのは、 ただ単に、気持ち悪い。 まだチルドレンがチルドレンになりきる前、 彼らは「刺客」って呼ばれてて、その時は「刺客なんて呼ぶな」って、 親元からお声がかかったみたいだけど、チルドレンは問題ないのか。 だって、つまりは「ガキ」って言われてるのに。 まぁ、アホな親ほど子どもはガキのままのほうがいいのだろう。 刺客なんておだてると、いつその刃先が自分に向けられるかわからないし。
しかし選挙では、 そのガキか、銭ゲバ亡者の餓鬼が、選択肢のほとんどってとこが悲しい。
「ガキ」と「餓鬼」のどっちにしますか、って言われても困る。
と、今日も世の中を憂えたところで、とぼけた絵はがきでも作ろう。 とぼけてはいるが、大切な家計の足しなので、心を込めてやるのだ。 おっと、その前にぼっちゃんが泣き出した。
昨日の「オーラの泉」があまりに強烈だったからか、 (オダギリジョーの悪霊祓い) 私がもし江原さんに会えるとしたら聞いてみたいことを、 そのまま夢に見て泣きながら起きた。 それは12年前に死んだ「じじ」についてのこと。 本当は死んでしまう前にもう少し会っておきたかったのだが、 ちょっと顔を見せる間が開いて、次に行ったときにはもう意識がなくなってて、 結局そのまま死んでしまった。 私が行かなかった間に、私のことを話していたということも聞いたし、 それからずーっと、うっすらと後悔したままだったのだ。 今日の夢では、またもや、まさにじじは死にかけていたのだが、 私はそれに間に合い、手を握った。 その手の感触が、妙にはっきりしていて、 あぁ、間に合った、間に合いなおすことができた…と思ったところで、 びゃんびゃん泣きながら起きたのだった。
こういうことがホントかウソかは知らない。 知らないけど、人から見たら悔やんだって仕方ないことについて、 ようやく気持ちがスッキリしたのだから、それはそれでいいだろう。 ありがとう、オーラの泉。 江原さんの夢の本も、買った甲斐があったというものだ。
◇◆◇
朝はハムエッグトースト。 昼は休みのダンナと定食屋へ。イワシのみりん干しとすり身揚げ。 夜は鶏とつけ合わせの野菜をじっくり焼いたもの、ミネストローネ、 茂木のザッコエビのゆがいたの、刺身、キャベツサラダ。 茂木のザッコエビは、昼間に築町で見かけてしまい、 夜の買い物に行ったストアーで活きたのがあった時点で、即買い。 あのエビを見てしまうと、食べずにはいられない。 でもまだ季節ではないのか、やけにあっさり味だった。 暑いくらいのころに、ビールと食べるイメージだ。
女神大橋を渡ってみた。 あそこからの景色では、長崎のひとつの本質のようなものが、よくわかる。 暖かくなったら、歩いて渡ってみよう。
ネットショップの食材が届く。 おいしいのだが、やっぱり微妙に間違ってる気も…。 でもおいしくて、そのへんに普通に売ってるのより安心なので買ってしまう。 特に根菜ものは、重いから助かるし、おいしさが歴然。 昨日は、じゃがいもを砂糖醤油だけで煮っころがしたのを食べたくて作ったが、 いも自体の味が、いもいもしてて、ニコニコだった。 こないだ買ったニンジンも甘くて、 「細木」を作るときに、いつもは少しだけ砂糖を入れるのだが、 ためしに入れずに作ってみたら、それでもいつも作るのより甘かったほど。
朝は、市場で買ったイモで、焼きいも。 一個はおいしかったけど、一個はハズレ。
本当は、目で見て、手にとって、市場などで買いたい。 でもいろんな事情や、確実な安全性とおいしさとをハカリにかけて、 クリックで野菜を買ったりしてしまう。ジレンマだ。
昼は、届いたばかりのしらすで、しらすごはん。 このしらすがおいしいのだ…。
午後は天気もいいし、取材がてら外に出よう。イラスト用の写真を撮りに。
相変わらず、朝ごはんのような昼ごはん。 ハムエッグと納豆がメインだ。 今日の納豆は、おまけのタレとカラシとネギのバージョン。 その日の気分によって、醤油だけ、醤油とカラシ、全卵、黄身だけ、 醤油じゃなくておまけのタレ、ネギいり、ネギなし、ネギも玉子も全入れ… などなど、入れるものの組み合わせによって、多彩なバリエーションが生まれる。 それはやはり、体が欲しているものが影響しているのだろうか? 今日はネギがやけにおいしかった。
昨日の夜は、ダンナ父の命日ってことで、紅灯記に行ったら休みだった。 でも、もう紅灯記の腹になっていたので、出島ワーフのレッドランタンへ。 小カキの天ぷらが、いつもながら、すばらしくおいしかった。 さくさくホロホロ…。いくらでも食べたい。 しかし、紅灯記とレッドランタン。 基本的には同じ味だが、やはりあのガシッと濃い父と、少々優しげな息子という、 キャラの違いのようなものが、そのまま出ている気がする。 そして中華には、どうしてもガシッとしたパンチが必要な場合が多々あるわけで…。 まぁしかし、どっちにもたびたび行きながら、楽しませていただこう。 昨日もメニューを選びながら、そして食べながら、 異様に活性化している中国人な自分を発見した。 何代くらい前なんだろう?明らかに中国人だったのは。 どこのどんな人だったんだろう?(すっかり決めてかかっている)
◇◆◇
2年ほど続いていた連載が、ひとつ終わることになった。 媒体自体の代理店が変わっちゃうことになったので、仕方ない。 でも、まだ全然どうなるかわかんないけど、 その連載の分もまとめて、なにか形に…つまり、また本を作りたいと思っている。 作る方向に気持ちを向けて、こんなふうに広言してれば、 実現しないとも限らないので、書いておこう。
朝からバタバタと風呂に入ったり、乳をやったり、うんこを片づけたり、 ごはんを食べたり。 鶏そぼろ丼だが、ひき肉が最初からイマイチで、あんまりおいしくない。 もう、よほど良さそうなものでない限り、あそこで肉を買うのはやめよう。 前はそんなに悪くなかったんだけどな…。
今日の夢は、苦手だと思っている人と、思いきってしゃべってみたら、 わりと親しくなれたというもの。 人のことをイヤだとか思うヒマは、やっぱり人生にはないはずだと教訓を得る。
昨日の「わらしべ長者」につられて思い出したこと。 ひとり旅には「これも使うだろう」「これも」「あ、きっとこれもあるといい」 というようなものをいくつも持って出たが、 3日目くらいに、「もういらない」と思って、家にいろいろ送り返した。 その中には、カセットで聴くウォークマンもあった。 旅先で音楽を聴くといいと思ったから、持っていったのだ。 だけどそれよりも、旅先の音を聴くほうが大切に思えた。 何度も聴いたことがある、自分の世界のカセットが、急に邪魔に思えた。 音楽というものに対する位置づけは、人それぞれだから、 たとえ着替えを送り返しても、ウォークマンは持っていたい人もいるだろう。 でも私は、ウォークマンを送り返して、さっぱりした。 これが今だったら、iPodだ。 カセットもいらないし、場所もとらない。 「この旅に、いつも自分が聞いている音楽が必要かどうか?」 ということを考えることもなく、ずっと持っていただろう。 雪の鳥取砂丘で、それらしい音楽を聴きながら、 閉じた世界にひたっていたかもしれない。 そしたら、観光馬車の呼び込みのおじさんの、 「こんなときに歩いていくのは時間のムダ!」 という、あまりに直接的で傑作なセリフは聞けないままだったろう。 エンドレスなあの声は、雪に吹かれながら砂丘を歩くには、最高のBGMだった。 「ムダ上等!」と、 その後に待つ、先行き不透明なプータロー生活への決意を新たにしたものだ。
iPodも携帯も、どんどん小さくなって、 持つことへのストレスは限りなく小さくなっているけれど、 そのぶん、本当の身軽さからは遠ざかっている。
だから逆に、最近のこの「ぼっちゃん」という負荷が、 当然つらい時も多いんだが、自分の中の優先順位を洗い直してくれているようで、 ありがたいと言えば、言える。 この状況でもしたいことは、よほどしたいんだろうし、 行きたいところは、よほどそこに行くことが必要なんだろうと思って味わえる。 深酒はできないけど、ビール一杯がたまらなくおいしい。
さて、今日は、なにをしようかな。その前に、まずは乳だけど。
夢を気にしてみることにしたら、 単純なのか、それらしい夢を見る。 昨日は、亡くなった人も含めた親戚たちと、展示作品を作り上げるというもので、 今日は古くて大きくて立派だけど、気さくな寺へ行って散歩するというもの。 今日はこれからもういちど眠るので(いま、朝の6時。)、 またどんな夢を見られるだろうか。 (バーでノンアルコールカクテルを飲む夢だった…)
昨日の夜はすき焼きにしたが、私は鶏肉メイン。 牛肉も脂をよけて2枚ほど食べたが、やっぱりほのかに乳が不調だ。 チャーシューの脂身は平気なのに。豚と牛って、違うんだな。
◇◆◇
どっさりとやるべき家事があったので、 ぼっちゃんが泣いてもやるのだ!と、着手。 炊事、掃除、洗濯と、バリバリやっつける。スッキリ。 ぼっちゃんは、最後の方だけ泣いていた。
朝&昼ごはんは、おにぎり、味噌汁、玉子焼き、細木、など。 チラリと見たテレビに、おいしそうなおにぎりが映っていたので、 塩だけのと、昆布入りとを握った。 茶碗のごはんとおにぎりって、どうしてこんなにも味わいが違うのだろう。
おやつにはちみつトースト。
赤ちゃん連れ去り事件の赤ちゃんが見つかって、本当に良かった。 やっと産んで、さぁ退院という日に連れ去られたら、 ほんと、どこまでも追いかけていって、袋だたきにしたくなるだろう。 赤ちゃんの大切さという面はもちろんだが、 「オレの大変な痛みを無にするでねぇ!」という、腹立たしさも、かなり。
事件といえば、下関駅が燃えた。 大学を出る間際に、卒業旅行と称した山陰一人旅(…。)を終え、 最後の夜は下関に泊まった。 駅に降りたって宿を探しに向かう途中、 大学生らしき兄ちゃん二人に声をかけられた。 二人は、何かのおまけのような安っぽいバッグを私に差し出し、 「これと、これより少しでも価値が上だと思うなにかを交換してください」 と言ってきた。 その時すでに夕方だったが、彼らの野望は、それを繰り返すことで、 その日の夕食として「下関名物ふぐにありつく」ということだった。 わらしべ長者、ふぐバージョンってわけだ。 10日ばかりの旅を終えつつあった私は、 必要ないものや旅先で買ったものは家に送っていたので、 なにを代えてやりようもなかったのだが、読みかけの文庫本を差し出した。 それでも彼らは喜んでくれて、また次のだれかを探しに行った。
…ということを、下関駅、と聞いて思い出したのだが、 このことは年に一度くらい思い出していたことで、 思い出すたびに「結局は食べられなかっただろうな」って思ってたのだが、 今回は「ひょっとしたら食べられたかも。いや、あんがい食べられたかも」 と思えた。 「ヘンなバッグ→文庫本」 という「成長率」だけをたよりに計算すれば、到底無理だろうけど、 どこでどんな飛躍があるかはわからない。 お兄ちゃん二人のことを「面白い奴らだなぁ」と思って、 ドーンとふぐをごちそうする人がいたって不思議じゃないんだから。 思ったもん勝ち、やったもん勝ちがすべてではないにしても、 思わなきゃ、やらなきゃ始まらないし、 そこからは自分の物差しでは計り知れない要素がからんでくる。 だけどつい、自分の小さな物差しで計算してしまうので、 小さくまとまってしまうのだ、
「彼らはふぐを食べられた。」
そう、思っておこう。
2006年01月07日(土) |
ゴリッとしょんぼり…。 |
ダンナの誕生日なので、 ささやかなプレゼントを買いに行ったら、 駐車場で思いっきり、ゴリッと、車をこすってしまった。 ショック…。 プレゼントなんかよりはるかに高くつきそう。しょんぼり。
お昼は昨日のお昼の残り。 夜はこれから、すき焼きを準備する予定だが、しょんぼり…。
あのコーナーに駐めたのが悔やまれる…。
年末から続いているユウウツ。 それは魚が死に続けていること。 ダンナが安物の熱帯魚を買ってきてしまい、 どうもその方々が病気持ちだったようで、 この1年ほど平和に暮らしていた長老たちが、次々お隠れに。 新参者もほとんど病んでいて、最悪、全滅するかもという勢いだ。 安物買いの銭失いと言うが、この場合は命まで失っている。 持ちこたえてくれ…。
昨日の夜は、かんしゃくへ。 1ヶ月前なら、即、乳が張りそうなチャーシューなど食べるが、 どうやら安定したようで、何事もない。 そもそも豚肉は、あんがい平気だったし。さすが、元はたぶん中国人だ。 牛肉はどうだろう…。こわごわ。
かんしゃくの、つまみのチャーシューと煮玉子が好き。 マイナーチェンジしてからのチャーシューの、キクラゲと柚子の具合が。
朝は豆乳。
◇◆◇
昼は、今年初の「細木」や、魚肉ソーセージの焼いたの、など。 昨日のかぶが、浅漬けのようになっていて、数段おいしくなっていた。 そして、江島醤油をかけていたのだが、 なんだか海の気配のようなものが感じられた。 醤油の中に閉じこめられていた海の気配が、 かぶの水分と出会って開放されたというか…。 まぁ、そんなことはないのだろうが、そう感じたので、しかたない。
夜は、亜紗へ。 亜紗のお母さんから「いつの間に産んだとね!」と言われた。 カツオのたたきや、亜紗のいろいろなものを、パクパク食べた。
また寒くなってきた。 この冬は、真っ当に寒くて、それはそれでいいのかもしれない。
そういえば久しぶりに、一日中家にいる。 なんだかんだと外に出ていたので、とてものんびり。 でもまたこれが続くと、グラグライライラしたりする。
大晦日から昨日までは、なんとなく銀シャリを炊いて、 とってもおいしいなぁ、と思いながら食べたが、 今日からはまた、十二穀米が食べたくなって、入れた。
行ったり来たり、ジグザグ進むのが、楽しい。
お昼のおかずは、またもやアジの開き。 すばらしい具合に焼き上がったところで、 ぼっちゃんが無視できないほどに泣き始めて、ぬるいアジの開きに。 (昨日もだった) チンゲンサイのおかか醤油掛け、かぶの江島醤油掛け、など。 簡単な、朝ごはんみたいな昼ごはんだけど、とてもおいしかった。 朝ははちみつパンと豆乳。
◇◆◇
最近、字が気になっている。 正確には、 去年オープンした長崎の歴史博物館の館長さんがニュースに出ていて、 目標だかなんだかを書いて、文化がどうのとか語っていたのだが、 その字が、あまりにも「文化」とはかけ離れた字だったので、 「あぁ、もはや字は文化的素養のひとつではなくなったのだな…」 と思ってからだ。 それから時々気をつけてみると、 テレビに出て、なにかの回答を書き付けている偉いはずの人の字が、 「そんな字を書いてて偉そうにするなぁ」というようなものだったり、 (たしか、片山さつきさんの字も、小学生男子みたいだった) 老舗と呼ばれるようなお店の張り紙の字が、とんでもないものだったりして、 ますます、字の価値の低下を思った。 別に誰もがお習字みたいな字を書くべきだとは思わないけど、 せめて、人前で字を書くことがある人、 それでその人の「文化度」なんかを計られるおそれのある人は、 もうちょっと、ツールとしての字を考えた方がいいんじゃないだろうか。 たとえば筑紫さんの「多事争論」は、あの字だからこそ、 続いているのではなかろうか。 あれが小学生男子みたいな字だったら、なんか説得力って、失せそう。
そういう私の字も妙な字だが、 自分のイラストにはいちばん合ってると思うので、良しとしている。 実はほどほどにちゃんとした字も書けるし。 あまり使う機会はないが。
朝っぱらから表彰されに行く。 コッコデショの番組が民放祭で受賞したりして、 それでもって、テレビ局の社長賞ということになって、そういうことで。 社員でもないし、テレビの仕事だって、いつもやってないのに、 なんだかすんませんです…という感じもしつつ、ありがたくいただく。 スピーチまでしてしまったが、 なにを言っているか、緊張のあまり、自分でもよくわからなくなった。 まぁ、原稿は書いていたので、ほどほどに読んだのだろう。 ぼっちゃんをいろんな人に見せられたのが良かった。
昼は、樺島町に報告に行った足で、紅灯記の麻婆豆腐。 カメラマンと2人、しみじみと食べる。 番組を作ったのは、もはや一昨年の秋。 「なにかと続きますね…」とか言いながら。
いま、ぼっちゃんに時間と体力を取られているからというのもあるが、 とにかく何かを作りたい気持ちが、悶々と増殖中だ。 グーッと集中して、作業したり書いたりしたい。寝食を忘れたりしながら。 ま、今はできないが。 それでも、虎視眈々な感じで、アイデア出しなどしていよう。
◇◆◇
ダンナは朝早くから、生月へ泊まりがけで取材。 ぼっちゃんを膝に乗せ、 年末に録画しておいた「オーラの泉スペシャル」を、じっくり見る。 クリスマスに放送されたものだからか、 戦メリの曲がBGMに使われていたのだが、 ひどく安っぽいアレンジになっていたのが気になって仕方なかった。 もっと気になったのは、 新庄選手が「夢をコントロールできる」と言っていて、 私もそうなので、それが「美輪・江原的にはどう解釈されるのか!」と、 興味津々だったのだが、それはカットされていたことだ。 あまり意味はないのだろうか…。
「オーラの泉」にいちばん出てほしい人は、やっぱり細木数子さんであろう。 「ズバリ言うわよ」に美輪さんが出るってのも見てみたいが。 黒柳徹子さんと合わせて、5時間スペシャルくらいで。
その2番組のどっちもに出た人っているのだろうか。
…と、平和なことを考える夜。アジの開きでも焼こうかな。
親戚宅で、新年の集まり。 ぼっちゃんもデビューを果たす。 当然ながら、注目の的。
80年くらい前に、3つで死んじゃった子がいて、 それはぼっちゃんから見たら、ひいばあちゃんのお兄さんなのだが、 おばちゃんが「似てる!」と写真を出してきて、 見てみたら、おでこのあたりなんか、そっくりだった。 キューンとした。 過去と未来は、思っているより近い。 そもそも、過去とか未来を思う時間の単位が、短すぎるのだろう。
自分がこの世からいなくなって、その80年後に、 自分のおでことよく似たおでこを持つ子どもが生まれるのだとしたら、 なんかもう、いろんなことが、いい意味で馬鹿馬鹿しくなる。
その上で、個々の子どもは、無条件に未来だ。とても開かれている。
断続的に、正月料理。
◇◆◇
家に帰って、自分が赤ん坊の時の写真を見てみたら、 そのまんま、ぼっちゃんだった。 写真の具合もあるのだろうが、同一人物に近かった…。
白菜を育てる。
…ひとことで言うと、これが今年の初夢であったが、さて、どうしたもんか。 意味があるようでないようで、せっかく寝しなに富士山の番組を見たのに、 富士山は一度も出てくることなく、とにかく畑と白菜であった。 ていねいに育てていたし、おいしそうだったのでいいのだが。
そしてなにより、昨日の夢が初夢と呼ばれなくて助かった。 あれが今年一年を寿ぎ、占う初夢なら、ちょっとイヤだ。 めでたくないことはないんだろうけど、これが自分の初夢となると、 避けたいと思うのが人情ではないだろうか。 どんな夢だったかというと、 「細木数子が妊娠。女の子。名前は愛里」 リモコンがあったら、変えたいタイプの夢であろう。
よかった、白菜で。
◇◆◇
お諏訪さんへ初詣に行き、やたらとすがすがしい気持ちに。 月見茶屋で、うどんを食べる。 あまりの混雑に、ダシを取る時間が追いつかなかったのか、薄かった。
大瀬戸までドライブ。タナカタケシさんの新春展へ。
夜はおせちなど。
2006年01月01日(日) |
知らない力、できないパワー。 |
お正月。 昼まで眠っていた。 ぼちぼちと刺身など食べる。 夜は実家へ行き、ぼっちゃん劇場炸裂。 たいした役者だ。
ぼっちゃんは、首がすわりかけているのだが、 すごく楽しそうに、首をグラグラと持ち上げる。何度も何度も。 飽きることはなさそうだが、その前に疲れてしまうようで、 文字通りガックリとうなだれて、エクササイズのワンセットは終了する。 でもとにかく楽しそう。 未知の領域を開拓するということがどれほど楽しいことかと、教えられる。
知らないからこそ、知ると楽しい。 できないからこそ、できると嬉しい。
「知らない」とか、「できない」って、いいことだな。
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