ぴんよろ日記
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2005年12月31日(土) 軽くなりながら

最近、ごく個人的にせつなかったお知らせ。
長年使ってきた使い捨てコンタクト(というのも、なんかヘンな感じだな)が、
製造中止になるという。
今ならかなりの数を買っておくこともできるらしいのだが、
どっちにしても変えなきゃいけないのは目に見えている。
いまある分を使ってしまったら、違うものにしようかな…。
思いきって1日使い捨て(いまは2週間タイプ)にするという手もあるが、
さてどうしたものか。

昨日の夜は、妹も呼んで、久しぶりにまともに家のごはんを食べた。
体調が悪いのに、なぜか外で食べることが続いてしまった。
かぶやレンコン、野菜スープ、そしてもらいもののウニなどを、
特にウニに恍惚としながら食べた。
その表情が笑いものになるくらい。

大晦日。感無量。
とにかく「今年いっぱいを乗り切るのだ」と思ってやってきた甲斐があった。
今年は、ずんずん身重になって、産んで身軽になれるかと思いきや、
産んだら産んだで、その百倍くらい心身ともに身重になった。
しかし2ヶ月半経った今、ぼっちゃんもだいぶ育って、
1人でブツブツ言いながら過ごしてくれる時間も増えたし。
それでも以前に比べたら、とんでもなく重たいが、
産まれてから掛けられた負荷があまりに大きかったので、
日に日に軽く思えてくる。

ようやく軽くなりながらの大晦日。
あー、よかったよかった。
またいろいろやっていこう。


◇◆◇


よいお年を!



2005年12月30日(金) しみじみ2キロ

年の瀬。
新大工に行くと、大賑わい。
バッタリと会った知っている人同士や、
お店の人とお客さんが「よいお年を」などと挨拶しているのを聞いて、
またひそかに、涙ぐむ。
しみじみとした気持ちで、角煮用の肉を2キロ買う。
「しみじみ」と「肉2キロ」は、ちょっと遠い。

お昼はこれまた大賑わいの「喜助」で、月見うどんといなり2個。
ダンナはたぬきとじ丼とかけうどんだが、
喜助は天かす入れ放題だから、かけうどんはたぬきうどんだ。
うどんに天かすを入れようとしているから、
「丼もたぬきじゃ…?」と制してみたが、
天かすが大好きなのでいいのだと返される。いや、好きならいいんだが…。

昔ながらの市場がすごく賑わっていて、
人々がニコニコと挨拶や売り買いのやりとりを交わし、
買い物の途中でうどんをすする。
これ以上の生活の本当が、いったいどこにあるだろう?
たったこれだけのことが日常になり得ない国や町で、
いくらお金を稼いでも、それはいつまでたっても、何も満たされないままだ。

さて、2キロの肉で角煮を仕込むか。


2005年12月29日(木) 隠居魂

朝起きたら風邪がぶり返していたが、無視して行動。
無視したら、あきらめてどっかいった。

昼は福岡からやってきた人と、ざるそば。
その人は長崎の食べものネタをリサーチしに来たのだが、
そういう仕事に関して私はすっかり隠居状態なので、
なんか妙に燃えてしまって、いろいろ提案してみた。
その、自分の中での燃え方が、
ほんとに、ジイサンが「ワシもまだまだ現役じゃワイ」って言ってる感じだった。

平井でコーヒー飲み納め。
この1年で、何杯飲んだだろう。

車が故障しているのだが、結局年内には部品が間に合わず、
ショボい代車で年を越すことに。
その部品も国内に残り1つだったというから、あぶなかった。
ものすごくマイナーな車ってわけでもないのだが、
いろいろ突きつめていくと「国内に1個」などという世界になってしまうのだな…。

ここ1週間で、いつもやっている仕事の存続があやぶまれたり、
長年担当してくれた人が会社を辞めそうになっていたりして、
来年もまた、いろんなことが変わっていくのだろうと思わせるに充分だ。
だけど、どう変わるのか、どんな人や仕事が現れるかは、今はまだわからない。
予想が付くのは、予想も付かないほど変わるだろうということ。
どう変わってもいいように、どんなことにもさっと対応できるように、
様々な力を養っておきたい。
それは外からのことだけでなく、自分の思いつきに対しても。

予想するのは楽しいけど、想定するのは、つまんない。
すべてが「想定内」の人生なんて、死んだ方がマシだ。


◇◆◇


夜は、こぢんまり忘年会第二弾で、五島本陣食べ納め。
お孫さんの1歳の誕生日なんだとか。おめでとうございます!



2005年12月28日(水) 即、採用!

何週間か前に、車で1時間ほどの町のコンビニで道を尋ねた。
道を尋ねるだけだったので、レジのお客さんが途切れるのを待っていた。
レジのお兄さんは、発している言葉こそマニュアルのものだったが、
たとえ子どもに対しても、心から接客している感がみなぎっていた。
それは私が道を尋ねたときも変わることなく、
しかもその道の教え方と来たら、わかりやすく、丁寧で、もう、びっくりだった。
こんな人がまだいるのか…という、不思議な気持ちにさえなった。
私が人事担当者なら即採用だ!と思ったが、
採用しても、どう働いてもらいようもないのだった。
だいたい何に採用するのだ…。
そしてたぶん、お兄さんが採用される以前に、
私が「人事担当者」というものになる可能性は、ほぼゼロに近いだろう。

でもあのお兄さんなら、大抵の仕事はこなすと思う。
いいものを見た。


◇◆◇


朝は、昨日むいていたりんご、豆乳。
昼は、ハムとタマネギとキャベツのクリームスパゲティ。
胡椒をたっぷり挽いて、おいしかった。


2005年12月27日(火) ふと、救い。

夫婦揃って、腹風邪。
昨日の夜から今日一日苦しんだあげく、
しかし夜は、こぢんまりとした忘年会で、おでんなど食べて復活。
ダンナに至っては、たに川でトンカツ定食を食べていた。
復活しすぎとも言える。

お店を出るとき、「よいお年を」と言い合うのが、
毎年のことながら、キュンとする。
ニュースではつらい話ばかりが行き交うけれど、
全国各地で交わされる、いくつもの「よいお年を」に、
きっと救いは息づいていると信じている。

お昼間、ぐったり横になっていたら、
上の階の人が、どうやら大掃除をしている…そんな物音にも、
おなじようなものを感じる。

どこにだってあるのだから、見つけていかなければ。


2005年12月26日(月) 旅の人

クリモトさんと、数ヶ月ぶりに会った。
相変わらずと言えば言えるし、変わったといえば変わっていた。
人は、本当は、いろんな意味で旅をしていなくてはいけないのだろうけど、
多くの人が、それをせずに生きている。
だけどクリモトさんは、バカ正直に、人生を旅しつづけている。
クリモトさんが真顔で話すことは、
ところどころ、世間的には受け入れられない部分もあるけれど、
それが、クリモトさんにとっての本当ならば、
ひょっとしたら世間の方が間違っているんだから、それはそれでいいし、
幸か不幸か、私もおなじようなことを思っていたりする。
それを真顔で人に言うか言わないかってのが、大きいのだろうが。

とにかく、クリモトさんはいつも、正しく旅の途中。
いつ会えるかわからないけど、お互いに旅をしていれば、いつかは会える。
ぼっちゃんがクリモトさんのことを激しく見つめていたのがおかしかった。
会わせられて良かった。

昼は法事で、はやかわの中華。
夜はそんなこんなでクリモトさんを囲む会で、福来魚。
昼夜、コース料理だったというのに、
こんな日なんて、1年に1度あるかないかだろうに、
ダンナと揃いも揃って風邪気味で、100%は堪能できなかった…。
修行不足。


2005年12月25日(日) 「やること」と「やりかた」

「やること」と「やりかた」は、おなじくらい大切だと思うのだが、
「やること」が正しい、あるいは良ければ、
「やりかた」が少々まずくても、
「いいのよ「やること」が正しいんだから」、
という考え方でオッケーとする向きも多い。
でもそれは「やること」がいかに正しいかわかったり信じたりしている
「やるほう」の理屈であって、
「やりかた」のまずさというのは、
「やること」の正しさや良さを伝えられないということだし、
「やるほう」に対する「センスないんじゃない?」に始まる不信感を芽生えさせる。

というようなことを、昨日は思いながら「すばらしいぶどう汁」を飲んでいた。


◇◆◇


ぼっちゃんは、外に出たり、人に会ったりすると、明らかに成長する。
昨日は大勢の人に抱っこされたり、話しかけられたりしたので、
今朝見たら、やはり成長していた。
「吸収体」って感じだ。

話しかけたり笑いかけたりすると反応するということは、
それをしないと反応しないということなので、
日々の積み重ねの大切さを思うのであった。



2005年12月24日(土) すばらしいぶどう汁

おいしいワインが出てくる集まりに参加してしまったので、
ついついワインを飲んでしまった。フフフ…。
まぁ、ワインではなく、「すばらしいぶどう汁」を飲んだということで。
(誰に言い訳してるんだ?)
ぼっちゃんもご機嫌なのでいいだろう。

「すばらしいぶどう汁」だけじゃなく、
「牛の乳がステキに固まってカビなど生えたもの」も食べたりしたが、
ぼっちゃんもご機嫌なのでいいだろう。

それにしても、その集まりに出てくるワイ…、おっと、
「すばらしいぶどう汁」はあまりにすばらしいので、
年に1、2回のその集まりでしか、
「すばらしいぶどう汁」を飲まなくてもいいくらいだ。

そのほか、牡蠣やナマコ、ブリ、鯨など、
旺盛にナマモノ欲を満たした。


2005年12月23日(金) 多すぎ?

もうすぐお正月。
私は特に餅に執着する人間ではないが、
お正月には、ひとつふたつくらいは食べている。お正月気分で。
が、餅は、乳に影響する食べものの大御所であるので、
こないだのマッサージの時に、お姉さんに聞いてみた。
「お正月でお餅を食べちゃって、あわてて来る人って、多いんですか?」
「いないことはないけど、お正月のお餅より、クリスマスケーキが多いねー。」
「なるほどー。お餅って、やっぱりダメなんですか?」
「あぁ、加藤さんはダメだろうね〜。」

まぁ、一年くらい餅が食べられなくても、どうってことはない。
でも、お正月にこれを食べられないのは寂しすぎる!と思うものについて、
念のために聞いておくことにした。

「ナマコって、どうなんでしょうね」
「ナマコ…うーん、(乳に悪いとは)聞いたことないけどねー。
 そんなにたくさん食べなければ、大丈夫なんじゃない?」
「ほっとくと、ど、ドンブリいっぱいくらい食べるんですが…」
「え…」


◇◆◇


朝はクロワッサン2個。
昨日作ったレバーパテを試食してみた。う、うまい…。
ただし、クロワッサンにレバーは合わない。
明日行われる予定の、集まりへ持って行くためのもの。
付け合わせのタマネギとキノコのマリネも、なかなかステキな仕上がりだ。
これでワインが心おきなく飲めればなぁー。


◇◆◇


ぼっちゃんに関する勘違い。
HGさんがテレビに出ている時に…。

わかりやすすぎて書く気になれない…。


2005年12月22日(木) それかよ!

勘違いは、育児の重要な励みだろう。
一般的には親バカなどと呼ばれたりもする、アレだ。
容姿系、行動系、言語系などに分かれるが、
中でも言語系は、ときめき度が高いのではないだろうか。
ご本人はそんな意味で言うつもりがまったくないのに、
「ま…ま…」
などと聞こえるような音のつながりに、狂喜する人も多かろう。
私も少しばかり言葉には関心があるので、
ぼっちゃんが、いったいどんな言葉を、最初に聞かせてくれるだろう?
(勘違いも含め)と、楽しみにしていた。
それがついに、2日ほど前にやってきたのだ。
もちろん、勘違いだ。たまたま、そんな音の組み合わせが、口から漏れただけだ。
それはわかっている。くれぐれも、勘違いだ。
でも、あんまりのことに笑うしかなかった。
洪水のようなうんこにまみれたオムツを替えているときに、
彼はニコニコと微笑みながら、こうつぶやいたのだ。

「…ぅん…こ」

それかよ!それなのかよ!もっとほかに言うことは!


◇◆◇


朝&お昼は、お取り寄せのおいしい豚肉を焼いたのや、
スナップエンドウをゆがいてナンプラーをかけただけのもの、
たまご入りの味噌汁など。

夜はクロの煮付けにするつもり。

昨日の夜は、なぜか雪の中、季舟屋にお好み焼きを食べにいった。
眠っていたぼっちゃんがぐずりだしたのだが、
顔を出してやったら落ち着いた。
今まではスリングの中におとなしく閉じこめられていたのだが、
どうやら外の世界を見たい気持ちが大きくなっているようだ。

さて、おやつの焼き芋でも食べよう。


2005年12月21日(水) かぶが背中を押したので

どうしてもの買い物などがあったので、バスに乗る。
車は故障中。
たいした量じゃなくても、ぼっちゃんを抱いていると、
それだけで5キロなので、しんどい。
ということもあって、
こないだお試しセットを買ったネット販売の食材に、かなり心が揺れ、
ついにさっき、入会した。
お試しセットに入っていたかぶのおいしさに背中を押された格好。
さらに家で食べることがとても増えたので、
たびたびの外食を思えば、おいしい野菜を取り寄せる贅沢もありだろう。
贅沢って言うほど、そのへんのスーパーに売ってるのと比べても高くないし。
が、生協を断った理由の大きなひとつがそうだったように、
案の定、選ぶのにヘトヘトになった。
なのでつい、乳に良くないとわかっていながら、
お試しセットに入っていた、山陰の牛乳をあっためて飲む。
勢いあまって本籍を山陰にしたほどの山陰好きなので、
山陰産のものって、それだけでおいしく感じる。
あの空や海と、つながっていられるような。

まぁとにかく、考えすぎない程度に買っていこう。

昨日の日記に「岡野さんの漫画自家製本計画」について書いていたら、
なんと岡野さんのHPがあって、そこにバックナンバー分があると、
この日記を読んでくれているという人からメールで教えてもらった。
インターネットの良さを、しみじみ感じる瞬間だ。ありがとうございました。

昼は久しぶりに、駅前食堂の「ショウガ焼き定食」。
あいかわらず「肉が多めの野菜炒め定食」だった。
しかも隣のおじさんが、正真正銘の野菜炒め定食を食べていたが、
肉も3切れくらい入っているようだったので、
これからは私も野菜炒め定食にしようと思った。


◇◆◇


今年が暮れてゆく。

朝、目を覚ますたびに、横に寝ている小さい人間を見て、
なんじゃこりゃ?って思う。
日を追って、謎は深まるばかり。


2005年12月20日(火) ここは見ません。

マイナーがメジャーな顔をするいやらしさ、というのがある。
それを知っていること、わかることが偉いのだ、とでも言いたげないやらしさ。
メジャーなものを、メジャーだからということで小馬鹿にするような。
たしかにマイナーなもののおもしろさってあるんだけど、
それはそれぞれの項目ごとに語られるべきであって、
「あれよりこっちが知られてないから、こっちを知ってる方がツウ」
というような語られ方は、その物事にとっても不幸せだろう。
だれもが知ってる店と、いわゆる「隠れ家」的な店。
それはそれぞれの良さがあっていいわけで、
隠れ家が、隠れてるから偉いってことになったら、いやらしい。

昨日の新聞に「SRK博(仮名)」のボランティアガイドが、
観光客を引きつれてグラバー園の横を通り、
「ここは見ません」
って言う場面が書かれていた。
そこに居合わせたわけじゃないから、
これだけをどうこう言うべきじゃないとは思うんだけど、
「SRK博(仮名)」の一面が、とてもよく現れている。
たしかにグラバー園はまごうかたなきメジャーだ。
「町歩き」っていう長崎の楽しみ方をするならば、
訪れる優先順位は、ドーンと落ちてしまうだろう。
だけど、今となってはどんなにつまらない観光地に見えても、
長崎にとっては重要な人が住んでいた、大切な場所なはずだ。
別に見なくてもいい。
でも、自分たちが推し進めるものの面白さを強調するために、
わざわざ「見なくてもいいもの」として引き合いに出すのは、
なんと悲しくて、愛のないことか。

とにかく、キューンとつらくなったのだ。
それがいいことであるかのように、より楽しみを知る一歩であるかのように、
何かを見ないことを踏み台にして、何かを見ていこうという姿勢が。

SRK博(仮名)に、どうしてもなじめない理由が、またひとつわかった。


◇◆◇


朝&昼は、昨日のお昼の残りの魚肉ソーセージの焼いたのや、
たべものの通販のお試しセットに入っていた、しらすなど。
しらすがおいしくて、ごはんを追加チンした。


◇◆◇


こないだ本屋で、長崎の新しい雑誌を見かけた。
悲しいかな先日なくなってしまった「ナイト長崎」から、
飲み屋さんの紹介と、お姉さんの写真をとっぱらって、
銅座のワインバー「INK(仮名)」の台所で煮詰めたような本だった。
その顔ぶれと内容から、パラリとめくっただけで、
「INK(仮名)」のカウンターに5時間ほど縛り付けられたような気分に。

この中の誰とも個人的な関係のない人が、か、か、買うのかな?

でもあいかわらず岡野さんの漫画はたまらなくせつなくて、大好きだった。
図書館で「ナイト長崎」のバックナンバーを引っぱり出してきて、
漫画だけコピーして自分で製本しようかと思いついたほどだが、
図書館に「ナイト長崎」のバックナンバーはあるのだろうか。


2005年12月19日(月) ほんとに日記。

あっ!あと2分で今日が終わる!

今日は乳マッサージへ行った。
家事をたくさんした。
仕事もした。

これじゃほんとに日記だ!


2005年12月18日(日) 親類縁者

今日は、ジジの十三回忌だった。
ぼっちゃんが寒いので、寺でのお経タイムは免除され、会食だけ参加。
ジジの娘と息子家族…つまり私のハハとハハの弟の家族が集まった。
ばあちゃんを入れて10人。そしてぼっちゃん。
当然のことなのかもしれないんだけど、年齢層がすごく厚い。
性格も仕事もさまざま。
いつもはバラバラの、でも、いざとなったら、
こうして集まる多種多様な人間の束。それが親類縁者。
ジジとぼっちゃんは、会ったことないけど、たしかに親類縁者。
次々に編み出されていく。

次はお正月か。

昼はそんなわけで、ニュー長の和食。
ベビーベッドを頼んでいたら、
ピシッと糊のきいたシーツで、大人並みにベッドメイキングしてあった。
それがやけに赤ん坊と微妙に笑える違和感を醸し出していたので、
妹と「お!社長!糊がきいてますな」などと声をかけた。
ぼっちゃんはご機嫌だった。


2005年12月17日(土) 素晴らしき今日。

もう明日だけど、つづいているから今日ということにしよう。
いま、今日なはずの、実は明日の朝7時。

明日じゃん!

まぁいいや。今日と言ったら今日なのだ。

今日、は、福岡へ行った。
万障お繰り合わせて、多くの人(約3名)の助けを借りつつ。

行けるかどうかわかんないな、と思いながらも、
でも、行けたら行こう!と思って買っておいたチケット。
それは坂本さんのピアノコンサート。

す、すばらしかった…。

なにかを作り続けながら肉体を生きていけば、
このようなところにも達することができて、
なおかつ人にそれを伝えることができるのか…。
そしてテレビなどに映っているのを見て、
勝手にイメージしていたものの百倍くらい、ていねいにピアノを弾いていた。
(幸いなことに、ド正面の5列目だったのでよく見えたのだ)
早く弾く部分でも、ものすごくゆっくり弾いているように見えた。
ゆっくり…その1音を弾く動作に、たーくさんの情報量が詰まっているというか、
解像度がものすごく高いというような感じ。

一曲聴くごとに、自分の中にあるいろいろなものが、
どんどん呼びさまされるような感じでもあった。

いつまででも、いくらでも聴いていたかった。
それは会場全体がそうだったみたいで、
アンコールが3回終わって、会場が明るくなっても拍手がやまなくて、
もう1曲あったくらい。

(かなり)無理してでも行ってよかった…。


2005年12月16日(金) キャラ姉さん

今日はぼっちゃんと二人で、夢彩都などに行く。
お昼はどうしてもうどんが食べたくなって、
仲正でうどんと玉子丼のセット。
隣では、保険会社の人らしきお姉さんが、ちょっと偉そう&猛烈な早口で、
クレーム処理や社内の人間関係について、後輩らしき人にレクチャーしていた。
私が入ったころには、すでに食べ終わっていたのだが、
私がうどんを待ち、食べ、お茶をすするころまで、レクチャーは続いた。
あまりによどみない語り口と、びゅーびゅー吹きまくる先輩風、
レクチャー終盤で同時上映された絵に描いたような化粧直しによって、
彼女の存在が、現実の人じゃなくて、なにかのキャラみたいで、
途中から、友近さんのコントを見ているような気分になってしまった。

紀伊國屋で、ジャガーさんの新刊を発見。嬉々として購入。

さて、版画でも彫るか。

夜はタチウオの塩焼き。ダンナには肉。

キャラといえば、昨日の夜は親戚一家と「たに川」でおでんなどつつきながら、
お金の匂いについて話した。
お金持ち、というか、お金に執着してお金を持ってる人って、
お金の匂いとしか言いようがない空気をまとっているという話だ。
「私らは無臭だね」というのが、せつない笑いの渦を刺身の上に作ったが、
ほんと、どうしてなんだろう。
なんとなくの「小銭オーラ」もだけど、
脂ぎってる人が多いような気がするのは、なぜ?
心と体は思った以上につながっているので、
小銭のことを考えすぎると、皮脂の分泌が活発になるのかも。
それとも単に、小銭を持ったうれしさで、
サシの入った肉を食べ過ぎているのだろうか?


2005年12月15日(木) はしゃぐダミ声。

こないだの女神大橋の開通イベントのニュースを見ていて、
ライトアップのカウントダウンのかけ声が、
誰だか知らないけど、ダミ声のおっさんだったのがおかしかった。
ああいうのって、
ウソでも元アナウンサーとかレポーターのお姉さんだったりするのになぁ。
しかもオッサンの声はとってもはしゃいでいたから、
なんか、ほんとに誰だか知らないからこんな憶測はしちゃいけないのかもしれないが、
あの橋でオイシイ思いをした人なのかな、なんて思ってしまった。
それくらい違和感を感じたのだった。

ぼっちゃん、今日で二ヶ月。
新生児用のおむつも小さくなって、次のサイズへ。

朝は「スマイルベーカリー」のコッペパン。
昼は、昨日の鍋の残り、「細木」、など。

夜はこれからおでかけ。
ここ数日、あまりにも外に出なかったからか、
昨日なんだか鬱々としてしまい、おかしい精神状態になったので、
寒いけど出る。


2005年12月14日(水) 弾けるか〜!

よくわからんニュースが多いが、
今朝の新聞の片隅で見つけた、
「50代半ばの男が70代後半の女性に抱きついて強制わいせつで逮捕」
っていうのには、なんかまた別の次元の気の遠さをおぼえた。

朝は、はちみつトースト。
はちみつって、赤ん坊には与えちゃいけないらしくて、
それでなんとなく、食べなくなっていたのだが、
そういえば私が赤ん坊なわけじゃないな…と思って再開している。
はちみつ好きなのだ。

しかし昨日の夜はビーフシチューだったのだが、
肉を食べなくても、シチュー部分の肉エキス&脂で、ほんのり乳が不機嫌に。
体って、もろに食べ物なんだなぁ。

今日の夢はいきなり人前でピアノを弾くというもので、
しかも直前に渡された楽譜は「ラ・カンパネラ」で、
しかもしかも、夢の中だから、ちょっとはピアノを弾ける私として出演している…
と思ったら大間違いで、
「ねこふんじゃった」すら弾けやしない、まったくいつもの自分だった。
弾けるか〜!
しかもホールにお客は7人くらい。
さらに現実くさいことに、その半分は親戚だった。

たのむ!いま睡眠時間は貴重なので、もっと楽しい夢を!



2005年12月13日(火) ふたたびサーキットへ

ようやく本当に、スピード、内容ともに、
以前と変わらない感覚で本を読めるようになってきた。
これまでは時間があっても、なんとなく体が受け付けなかった。
最初の何週間かは、手に取る気にもなれなかったし。
また、読み始めても、目や頭が文をとらえきれなかったり、
噛み砕けなかったりしていた。
そして、そんな感覚がもどかしかったので、新しい本は読まずにおいた。
しかし昨日本屋に行ったら、前みたいな感じで本を買う気になって、
買う気になったと思ったら、ぶ厚いのを買ってしまって、
今朝からもう5分の2は読んだ。
いままで読めなかったのは何だったんだろう?というくらい。
一緒に買った薄いのは、当然のように、昨日の夜には読んでしまった。

ぼっちゃんがおでましになって、あさってで2ヶ月。
この10日ほどで、明らかに笑ったり受け答えするようになったが、
こっちのアタマの回復にも、2ヶ月かかったというわけだ。

回復というか、慣れ。
車の運転を習っているころは、運転以外の何もできないけど、
運転が体に身に付いてしまえば、音楽を聴いたり、歌を歌ったり、
いろんな考え事をしたり、しゃべったりできるのと一緒だろう。
ぼっちゃんのいる暮らしが身に付いてきて、
本読み車が、やっと元通りに走り出してくれたのだ。

出産で強制ピットイン&工場入り、その後試運転、
そして今また、サーキットへという感じ。

今日は時々雪。
朝はハチミツトーストと紅茶。
昼はごはんと味噌汁とたまご、ソーセージの焼いたの、数の子など。
皮がパリパリするソーセージをトースターで焼いて、
醤油をちょっとかけて、ごはんのおかずにするのが大好きだ。


2005年12月12日(月) つぎはぎ

今日が始まって、3時間半。
外ではいかにも寒そうな風の吹く音がする。
仕事をしているが、あと3行書いたら、
もうあとは明日っていうか、
今日なんだけど、気分的に明日に思える明日にしよう。
そして眠ろう。1時間したら坊ちゃんに起こされると分かってはいるが。
最近、1時間でもありがたく眠れるようになった。
つぎはぎつぎはぎで、1日のトータルで睡眠時間を計算して、
とんとんなら(何に対して???)それでいいのだ。
もう慣れたさ…。


2005年12月11日(日) いるから、いる。

今日もあっという間に過ぎた。
久しぶりにピアノを聴きにも行った。
そのあと、これまた久しぶりに、
よく一緒にごはんを食べたり飲んだりしていた人たちとごはんを食べる。
よくある感じだが、ぼっちゃんがいるのが違うような、違ってないような。
まぁ、いるから、いる、という感覚でやっている。

朝は、あわただしくクロワッサン1個。
昼は、すり身揚げや、つくねバーグや味噌汁など、いろんな残りもの。
夜は、そんなこんなで、鯛の鍋物。通販で買ったというネギがおいしかった。
家に帰って、もらっていた焼き芋や、帰り道に買ったおにぎりを食べる。
哺乳類なので、なんか、食べ物が入る。

そしてこれから仕事する。


2005年12月10日(土) 無念すぎる!

えっ!土曜日?

…ということで、ようやく日が経つのが早く感じられるようになってきた。
1ヶ月前くらいは、永遠に今日は今日かと思っていたから。
「ワールドカップのころにはだいぶ大きくなってるだろうな」
なんて思う心の余裕も出てきた。
1ヵ月前くらいは、年も越せないと思っていたから。

日が経つのが早くなってきたということは、
〆切もすぐに迫ってくるということで、今日は仕事して、明日はゆっくりしよう。

朝は、またクロワッサン。りんご。
休みのダンナが朝っぱらからチャーハンを食べたいというので作ったが、
さすがに一口食べただけだった。

それにしても昨日は、無念さで身がよじれた。
先の民放祭で、
わが「太鼓山の夏」をさしおいて最優秀賞をとった番組が放送されたのだが、
これがもう、見てびっくり。
設定と取材のやりかたなどだけ聞けば、
「なるほど、良さそうだ、これに負けるのなら仕方ない」
と思って、楽しみに見はじめた。
でもぜんぜん面白くなかった。途中で風呂に入ったくらいだった。
編集はわざとらしいし、出てくる人もそれほどまで魅力的に見えないし、
同じようなインタビューばっかりだし、涙多すぎだし、
構成もわけわかんないし、音楽入れすぎでうるさいし、
とにかくもう、途中からは小梅太夫(知らない人すみません)状態で、
「チックショー!」の連発だった。
審査員、本当にこれを見たのか?
設定だけ読んで投票しなかったか?

とにかくあの、できそこないの「窓あけ」を水増ししたような番組には驚いた。
久しぶりに本気で腹が立った。
作ったヤツは言うに及ばず、(フジテレビの、できるディレクターらしいが)
審査員と一人ずつ、タイマン張りたいくらいだった。

あぁ、思い出しただけで、私の中に、また小梅太夫が降りてくる…。
バカーッ!



2005年12月09日(金) 交渉

昨日の夜は、米もなくなっていたので、
もう、外で食べることに決めて、いつもの焼鳥屋さんに行った。
そこのご夫婦にもぼっちゃんを見せたかったし。
とても喜んでもらって、風邪の心配もしてもらって、
熱い味噌汁を食べるときには、くれぐれもこぼさないようにと、
目を光らせてもらった。
久しぶりに食べる焼き鳥も、とてもおいしくて、漬け物までおみやげにもらった。
すっかり気持ちと体が軽くなって、
コップ一杯分くらいビールを飲んだから乳の心配をしていたが、
むしろここ数日でいちばんいい状態になったのだった。
ぼっちゃんも、外の空気でいい具合に活性化したのか、
いつになく飲みっぷりが良かった。
やっぱり時々は外に出て、大好きな人たちと会ったりしなくちゃ。

朝は父の施設で作っているクロワッサン。
気取らず、気張らず、素直においしいクロワッサンだった。
こんなクロワッサン、ありそうで、ちょっとないと思う。
フランス人からは邪道だと言われるかもしれないが、
クロワッサンの甘いおいしさと、コッペパンの素朴さを掛け合わせた感じ。
純血種じゃないかもしれないけど、懐かしいおいしさだ。
なにもつけずに2個食べた。
あまり炭水化物ものに執着しない私にしては、驚異的。
なにもつけずにパンを食べるなんて、まずしないので。
長崎の福祉施設のバザールで「スマイルベーカリー」というのがあったら、
そこのパンです。
そしてスマイルベーカリーのロゴは、私が消しゴムスタンプで作ったのだった。
ちゃんと仕事で。ギャラももらって。いちおう…ぷ、プロなので…。

ギャラといえば、今朝、とある仕事のギャラの交渉をした。
ギャラの交渉というか、値段を決めるのは、かなり苦手だが、
最近はだいぶがんばれるようになった。
今日も、
「ひょっとしたら相手はもう少し安くでと考えていたかもしれないけど、形になったものだけじゃなく、これまでのあれこれを考え合わせ、さらにこれから先の展開も考えて、気持ちよく仕事をしていきたい」
という気持ちを込めて思った金額を伝えたら、通った。

自由業者に産休なし、と言ってみたところで、
一日出ずっぱりの取材ものなどはできないし、実際、いくつか断った。
ギャラのことだけ言うと、割が良さそうなものばかりだったので残念だが、
それはもう、仕方がない。
仕方ないっていうのは嫌いだけど、これはもう、仕方がない。
でもそれは、即、収入減。
自由業者に有給なし、なので、
この状態でもできる貴重な仕事の交渉は大事なのだ。
できる仕事でなんとか稼いで、がんばっていくのだ。



2005年12月08日(木) おなじようなことを、また。

ジョンレノンの命日なので、ジョンレノンのCDをかけてみる。
単純。
CDなんて聴くの何日ぶりだろう。
普段はあまり音楽を聴かない。
この日記だけ見れば、いつもいつも、YMOを大音量で聴いているかのようだが、
そんなことはない。
必要なときしか音楽は聴かない。
音楽を「流して」いることができない。
音楽を聴きたくなるとき…たぶんその時の自分の心には、なにか、寂しさとか、
どうしようもなさなど、プラスマイナスで言えば、マイナスの因子がかすめている。
マイナスの因子が嫌いなわけじゃない。ダメだと思っているわけでもない。
ただ、音楽によって、それをうまく深く味わえる気がするのだ。
音楽にはそういう力が、私にとっては、ある。
だからプラスプラス!元気いっぱい!エネルギー満点!なんて時は聴かない。
(あんまりないけど。そんな時は)
YMOを大音量で聴き続けてます、なんて時は、だいたい崩壊寸前だ。
食い止めてもらっているのだ。

でも今日はジョンレノンをかけておこう。
そんな人が、世界中に何人いるだろう?
それを知ったジョンレノンは、多いと思うだろうか、少ないと思うだろうか。
たぶん…多いとか少ないという世界にはいないのだろう。

ジョンレノンが死んだと知ったときのハハのショックの受けぶりを、
今でもありありと思い出すことができる。
ひょっとしたら、本人よりも。
私は10歳だった。
今よりももっと、途方もない考えごとばかりしていた。
生身の肉体をともなうものではなく、意識の中の、抽象的なことばかり。
そこに、会ったこともない外国人の死がやってきて、
自分の母親を悲しませているというのが、非常に衝撃的だった。
「これでもう、ビートルズが揃うことはない」と、ハハは涙ぐんでいたが、
誰の顔もない抽象世界で頭を満たしていた私には、
ひとつの肉体の死が、
交換不可能な穴を世界にあけるのだと実感したことが大きかった。
…なんて、きっちりと説明できたわけじゃないけど。さすがに10歳だから。
でも今になって思うと、あの瞬間をこれだけ覚えているというのは、
そんな理由によるものだと思う。
とにかく驚いたのだ。
「それを聞いた瞬間にお母さんが泣き出すことって、なんなんだ?」って。

私だったら…YMOの誰かが死んじゃったら、あんなふうになるのかも。
どんとはすでに死んじゃってるし、ヤナちゃんはまた、ちょっと違うし。

そして、ぼっちゃんもまた「なんなんだ?」と思うのかもしれない。
「これでYMOが揃うことはない…」と涙ぐむ私を見て、おなじようなことを。


◇◆◇


朝は、スープの最後の残りで、リゾット。

昨日の夜は鶏のササミでチンジャオロース。水菜サラダ、舞茸スープ、など…
を、なんとか作ったが、あまりにも家のごはんが続くから、
一瞬、なにを作っていいのか、ボーっとわからなくなった。
お肉やディープな油ものや極度のエスニックや乳製品を使ったものなど、
乳のために避けているものが多いので。

そろそろ外のごはんを食べたい。


◇◆◇


いま流行りのロハス。
テレビでロハスな人度を測るチェック項目をやっていた。
我ながら、かなりロハスだったが、
「高収入」
というポイントが致命的に外れていてせつなかった。




2005年12月07日(水) 濃い付き合い

外に出なくちゃと言いながら、寒いのにかまけて、もう3日は出てない。
しかしこの3日で「オフィス・角打ち」をはじめ、いろんな工夫ができた。
こうしている今も、立って書いている。
「だっこしなきゃ!そしてその間はなにもできない…」という時間が、
体力は使うけど、まぁ、戻ってきたわけで、めでたい。


◇◆◇


人との付き合い方というのは、まったくもっていろいろだ。
同じ私が付き合うのでも、あの人とこの人とでは、まったく違う。
仕事の上でとても大切に思っている人だからといって、
しょっちゅう飲みに行くわけでもないし、
飲みにはしょっちゅう行くけど、
昼間にコーヒーをしみじみ飲むなんて、そういえば一回もしたことない、など。
たまに会う人、週に一度は会う人、
ぜんぜん会わないけど、会えば、何年ぶりだろうが違和感なく話せる人。

ただ、ここで大切なのは、
誰一人として、自分が会おうと意図して会ったわけじゃないということだ。
どんなに大切な人であっても、
会ってしまってから、大切な人になった人ばかり、ということ。
たとえ通う学校を選んだとしても、そこで会う人までは選んでない。
でも、その学校で会った人と、学校を出てからも付き合い続ける。
「会いたい!」と思って会う人もいるけど、
自分とその人がどんなふうに付き合っていけるかは、
付き合ってみないとわからない。
そんな感じで、人との関係は始まり、つながっていく。
そんなふうにしか、人とは会えないし、つながっていけない。

親子だってそうだ。

ぼっちゃんに対して、ますます「この人は私とは別の人間である」
という思いを深くしているが、つまりは、子どもって、
ある人とはコーヒーをしみじみ飲み、この人とはお酒を飲む、
というような「縁と役割」の濃くて深い同列に、
「腹の中に発生する」「産む」「育てる」っていうのがあって、
そのポジションにいる人なんじゃないだろうか。

人との付き合い方のひとつとしての「産む」とか「育てる」。
濃いな…。濃い付き合いだ。

少なくとも私は、
ぼっちゃんが、こんなぼっちゃんだと知ってて選んだわけじゃないし。
でも大切に思って産んだし、育てている。
将来、いろんなことを話したりするのを楽しみにしている。

あ、だけど子どもって、親を選んで生まれてくるんだったっけ。

物好きなヤツ…。


◇◆◇


朝はハムエッグとスープ。



2005年12月06日(火) office角打ち

快適なオフィスを求めてさまよっている今日このごろ。
ぼっちゃんをスリングに入れて、骨盤矯正ベルトをして、
なおかつ本を読んだりパソコンに向かったりするには、
どうすればストレスなくやれるのか、思案してきた。
中途半端に座ろうとするから、
ぼっちゃんは起きるし、腰や膝も痛くなる。
ということで、いっそのこと立ったままというのはどうだろうと思い、
台所のカウンター(普段は料理の材料を置いたりするところ)を片づけ、
パソコンを設置してみた。
いま、それで書いているのだが、うむ、いまのところベストだ。

かなりの困難の中のベストってことだけど。

そして、なにかこれと似た感じのものってある、と思ったら、角打ち…。

朝はハムエッグとキャベツサラダ。
昼はこれから、ここで「立ち食い」を試してみるつもり。
昨日の残りの、鶏の焼いたのタプナードソース、など。


2005年12月05日(月) 真理のありか

うまく言えないんだけど、
天皇が次から次に(「女性」と「女系」は違う)女でもいいっていうのは、
目に見えない次元で違うような気がする。
生理的に、というか、もっと、目に見えない生理、的に。

体をふまえた精神…目に見えないもの、というのは、たぶん、あると思うので、
「天皇が次から次に女でもいい」システムを作るなら、
男が子どもを産めるような技術や、女が人を孕ませられるような技術を、
セットで作らなくちゃバランスが取れないというか、
…いや、もっとなんか違う。

このあまりにデリケートな問題を、頭だけ、あるいは体だけ、
つまりは今の世の中で目に見えているものだけで判断するのは、どうか。
少なくとも、天皇という存在の方法が確立したころの常識というか、
感覚…目に見えていたものを、判断の材料や道具の中に入れなくては、
フェアじゃないというか、間違う気がする。


◇◆◇


ぼっちゃんを産んでしばらくは、どんよりとした気持ちが続いた。
ホルモンのバランスが崩れることでなるらしいのだが、
それに加えて体はボロボロだし、そのうえにぼっちゃんの世話だし、
しょっちゅう泣いていた。
「産後うつ」なんていうらしいんだが、
あんだけ体がきつけりゃ、精神的にどうだろうと泣きたくもなるわい。
でも「なるほどこれは精神的な不調でもあるな」という自覚もあった。
それは、
ぼっちゃんが腹にいるときに、
まさにその産後の暗い精神状態を改善させる「香り」を、
エッセンシャルオイルみたいなものとして製品化した大学の先生を取材して、
「じつは…」と話したら、「じゃぁ使ってみてください!」と、
サンプルを渡されていたのだ。
そしていざ暗い気持ちの波に襲われたとき、
「あぁ、あれがあったな」と思い出したのだが(入院バッグにも入れていた)、
手を伸ばせばそこにあるそのサンプルを、手に取る気になれないのだ。
それを使って改善しようという、その元気がないというか。

それじゃダメじゃん!

その後、暗いのは暗いんだけど、
手に取るだけの力は少し出てきたときに試したら、
たしかにとても落ち着いた。

本当に、そして肉体的な理由で気持ちの谷に落ち込んだときは、
上がろうとする気にさえなれないのだな…。

ということで、これからそのようなものを使ってみようという人は、
まわりの人に頼んでおくことをおすすめします。

ただ、通り過ぎてきたから言えることなんだろうけど、
ホルモンバランスが崩れてそんな気持ちになることって、
必要だからそうなっているという可能性は、ないのだろうか。
体や本能って、あまりによくできているから。


◇◆◇


と、ごちゃごちゃと考えた朝は、昨日の鍋のダシで、雑炊。
奈良漬けとのマッチングが絶妙だった。

体といえば、昨日の夜中、セルフ整体をしたら、
乳のコンディションが驚くほど良くなった。
体…つながりすぎ!すばらしすぎ!一生付いていきます。

目に見える体の、目に見えていない部分。
そのへんに人間の真理の多くが隠されているのだろう。

…べつに話を一貫させるつもりで書いたわけじゃないのだが、
なんかつながってしまっている。


◇◆◇


体といえば、健康診断の数値がイマイチだったダンナ。
1週間抜いて再検査に望むらしく、
かれこれ3日、ビールすらも飲んでいない。
そしたら見る見る顔や腹のたるみが減っている。
分かりやす過ぎ!




2005年12月04日(日) 紅白?黒白?

冬らしい音の風が、ゴーゴー吹いている。
洗濯物を部屋に干して、ぬくぬく。
ちょっと所帯くさくはなるけど、この湿気た温かさって、とても好きなのだ。

ここ数日の間に、
喪中ハガキと、ぼっちゃんのお祝いのお返しをいっぺんに送ったので、
送られた先では、たぶん「あそこはめでたいのかめでたくないのか…」と、
わけがわからないことになっているだろうな。

そんなわけで、気がついたら12月。腹一杯の一年だった。濃すぎ。

昨日、クリモトさんから詩集が送られてきた。
23歳の時に出した「処女詩集」らしい。
パラリと見てみた。
大変に若い。でも確実にクリモトさんだ。
思潮社から、ちゃんと出版されている。
ビニールカバーまで付いて。
40年前に詩集を出版するというのは、どういう経緯ならば可能だったのだろう。
クリモトさんは、やはり昔からクリモトさんだったのだな。

朝はトーストにはちみつ、いちじくジャム。
昼は、ずっと食べたかった塩シャケ、チンゲンサイのおひたし、味噌汁など。
夜はまたもや、こないだ細木数子さんが作っていた鍋にしてみよう。
豚肉と牡蠣をどっさり入れていた。



2005年12月03日(土) 音量

子どもがいると、ボリュームのスイッチって、壊れるんだろうか。

昨日、夢彩都で哺乳類していたら、
2つ先の哺乳類部屋(授乳室、ですね)に、
母子プラス祖母が入ってきた様子で、
祖母と言ってもシワくちゃ婆さんじゃなくて、
40代後半から50代くらいの人なんだろうけど、
すごく大きな声で「あんパン、食パン、カレーパ〜ン」(アンパンマンの歌?)
と、狂ったように繰り返し歌っていた。
孫をあやしているのだろうが、(そうじゃなかったら狂ってるわけだから)
まわりに人がいるというのが、まったく見えてない感じで不気味だった。

さらにその後、エレベーターに乗ったら、
何人かの、お揃いのバッグを持った幼児とその母親たちが別の階から乗ってきて、
これまた大音量で、運動会だか発表会だか知らないが、
子どもたちの衣装を何色にするかと語り合っていた。

いや、いいんだ。
子どもをあやすことも、子どもの衣装を何色にするかも、
そりゃ大事なことだろうから。
でもすごーく単純な問題として、
まわりに人がいるときの、適切な音量っていうものがあると思うのだ。

と、ここまで書いて、私がイヤだと思ったのは、
彼女らの音量の大きさというよりも、
授乳室までベッタリ入ってくるバアさんや、
中学生みたいにつるんでいるママグループの存在のありかたなのだと気づいた。

ブルブル…。


◇◆◇


朝はパンとハム、ほうれん草サラダ。
昼は鶏そぼろ、納豆、キャベツサラダ、「細木」…。
どうしても「細木」が食べたくなり、にんじん3本分作った。
鶏そぼろと一緒にごはんに乗せて食べると、また素敵な世界が開けた。

夜は鶏と白菜の煮込みを作る予定。
ほんのりオイスターソース味で、とろみをつけたりして。


2005年12月02日(金) 餌付け

今日は、外での母子行動のあれこれにチャレンジ。
なかなか学習した。
家にこもっているのも好きだけど、
気づいたら今日がいつなのかわかんなくなるし、
なんとなく、よどんでくるので、
特に人と会うのではなくても、つまりはいつものように、
外の空気を吸う必要が、私にはあるな、と思う。
ひとりでいることが好きだからこそ、というか。

朝はぜんざい。
昼は、乳の張りを恐れながらも、岩川飯店で皿うどん。

夢彩都で乳の中継ぎをしつつ、様々な用事や買い物をこなす。
ほんと、こりゃ夢彩都に子ども連れが多いわけだ。
あそこには素晴らしいものが売ってあるとか、そんなんじゃないけど、
「とりあえずあそこに行けば乳がやれる」というチープな安心感があるのだ。
街を泳ぐときの息継ぎ島みたいなもの。
「サービスでございます。これが売りでございます」
っていうような恩着せがましいものではなく、
スッと入ってスッと出て行けつつ、最小限必要なものがある、授乳室やトイレ。
しかし、それがどれだけ、乳の時間に追われたりというような、
普通は味わうことのない緊張に襲われている人間にありがたいか。
そして、乳をやる時期は1年で終わるかもしれないが、
「夢彩都をベースに行動する」という、
一種の餌付けに成功しているわけだから、その効果は大きいだろう。
さらに物心もつかないころから慣れ親しむ子どもたち…。

商売は単純なことに気づくことから、だな。

夜は、そんな夢彩都で買った、うなぎ。


2005年12月01日(木) 思い出の中

このところずっと、時間の感覚がいつもとはまったく違うからか、
変な言い方だとは思うのだが、
自分が、自分の思い出の中にいるような気がする。
ずっと先の方で、思い出している、その思い出の中の自分。
思い出しているのも、思い出されているのも自分なのだが、
とにかく、この、なんとも言えない毎日の感触を言い表すとしたら、
未来の思い出を生きている感じ、というのがいちばん近いのだった。

楽しいかつらいか、どっちか選べと言われたら…「つらい」に、ポトリと一票。

でも、この「つらい」の中のかなりの割合は、体力的に、かも。

金縛りって、体が疲れていて、脳みそが冴えているときに起こりがちらしいが、
いつも、ごく薄い金縛りにかかっているような感じでも、ある。


◇◆◇


朝は、ぜんざい少々。
昼は、魚肉ソーセージの焼いたのや、目玉焼き、うどん、など。

昨日の夜は鶏のもも肉を、油をひかずに、じーーっくり焼いてみた。
パッと焼くのとはぜんぜん違う味わいだった。皮もパリパリ。
脂に気を付けていたので、このところ胸肉ばっかりだったのだが、
どうしても、もも肉が食べたくなって、ダンナに買ってきてもらった。
「鶏のもも肉買ってきて」ってメールしたら、
普段はまったく料理関係にはタッチしていない人間なので、
頭がいっぱいになってしまったようで、
もうひとつ頼んでいた雑誌を買うのは忘れてきた。
思った通りだった。絶対忘れるだろうと思っていた。

細木数子さんのニンジン炒め…冷えてもおいしさは変わらず。
野菜にさほど執着しないダンナがやけに気に入り、
「細木」と命名して、うちの常備菜にすることになった。
さっそく「この『細木』食べてしまうね」といって、残りを食べ尽くしていた。

ダンナ話続きだが、こないだ「なつめ」でフカヒレが出てきたのだが、
「フカヒレって、サメの、どこ?」
って聞いたのがおかしかった。そりゃ、ヒレだろう。


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