ぴんよろ日記
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2005年08月31日(水) 即席インチキスイートパンプキン(煮物リサイクル)

今日は中国盆の写真を撮りに行こう。
おもちゃカメラで撮りたいので、まずは昼の部を。
私が10年くらい前に買ったおもちゃカメラが、今はやっているらしい。
雑誌にも載っていたし、熊本のビレッジヴァンガードにも山積みされていた。
そう聞くと、あまのじゃくなので使いたくなくなるのだが、
今はどうしても、そのカメラで撮った写真を使いたい目的があるので、
そんなことは気にしない。
何年も気になっていた、近くの和食屋さんでお昼を食べてみよう。
料理屋さんとして、私が好きになれない要素も噂では聞くので、期待せずに。

昨日は本をたっぷり読んだ。ほぼ3冊。
しかしどんな本を読んでいるときも、
頭も心も、その時々で読みたいものを読み取っていく。
結局は、いま自分がやりたいことや考えていることを強化したり、
別の角度から見たり、自覚してなかったことを明らかにしたり、そういうことだ。
「なんかわからんけど、この本を読んだらいい気がする」
という勘はまことに大切で、昨日もまさに、
ジャンルは違うけど、読みながらみんなそう思えた。
「おぉ、ここでこんなふうに勇気づけられるとは!」という時が何度もあった。
だからこそ、読みたくない本や、理屈で「読まなきゃ」と考えた本は読みたくない。

朝はスイートポテト的なものが食べたくなり、
しかしサツマイモは無く、でも食べたいし…と考えたあげく、
かなり薄い砂糖醤油味のカボチャの煮物を思い出した。
ダメモトでココナツミルクと砂糖をかけてチンしてつぶしてトースターへ。
くくく…おいしかった。
でも「多すぎかな」と思ってかけた砂糖では、
甘いものをさほど好まない私の基準からしたってちっとも甘くなかったので、
世の中のお菓子には、いったいどれほどの砂糖が入ってるんだろうと、気が遠い。


◇◆◇


昼は結局、家でスープカレーを作ってみた。
夜は鶏のオイスターソース炒め、ニラ玉など。


2005年08月30日(火) 余地

またうなされて起きる。
今朝のは、昨日見た原爆のドラマによるもの。
いろいろ突っ込みつつも、最後まで見てしまい、
そしてストレートにうなされた。単純。

最大の突っ込みは、
最後に西田敏行の平和への熱すぎる語りが、
彼のドアップとともになされたのだが、
「それを、そんな顔した人がグジャグジャ力説せずに伝えるための、
 今までのドラマの時間だろ!」
というもの。
語りすぎは、語り足りないのよりも、受け取る方にしてみればマイナスだ。
余地がないところには、居場所や新しいものを作ることができない。

まぁでも、それにしても、あんな時代に生まれなくて良かった。
今だってほめられた時代じゃないけど、
死ぬことや、なにかを強制されることが、
あからさまに当たり前じゃないだけ、まだマシだ。
赤紙が来たダンナを笑顔で送り出すなんて、私にはできない。

朝はクロワッサンサンド。梨。豆乳。さいきん豆乳好き。

すっかり朝晩の気温が下がってきた。
コーヒーを飲みたくなるくらいに。


◇◆◇


昼は駅前食堂でとり天。今までで最もおいしかった。
用事をすませ、公園で何本かの仕事の電話をかけ、
ずっと会いに行かなきゃ、と思っていた人にようやく会い、
ピンと来た本を買って、平井でアイスティーオーレを飲んで帰る。

夜はダンナが急に飲み会になったので、鶏肉を焼くのはやめて、
小さなお好み焼きとトコロテン、きゅうり。

ひたすら本読み。


2005年08月29日(月) とらわれるとわかりやすくなる。

久々に思えるわが家。
短い旅だったけど、深かったので、遠くまで行ってた気がする。

その人の気持ちのあり方や過ごし方で、
時間の長さなど、どれだけでも変わるということは、本当に驚くほどだ。
だからたとえば「旅が好き」という人が、
回数や長さを問題にする感じって、ちょっと警戒する。

それにしても昨日のお昼は、両極端でもあり、同じでもあるような人たちを見た。
まずは、
「小国にある、いくつかの水源や神社にお参りすると宝くじが当たる」
などということを言ったり仕掛けたり報じたりする人がいたみたいで、
ギラギラした普通の人がたくさん歩いていた。
唐津の沖にある小さな島が、ちょうど同じような名所になってしまったが、
ここもそうなってしまうのだろうか。
昨日は、そのスポットのうちのひとつに行った。
カレー屋さんが「あと30分待っててー」と、とぼけたことを言うので、
散歩がてら行ってみたら、それがそこだった。
「これを捨てると運を捨てることになる」というような、
呪いじみたことが書かれたチラシに、いくつも「喜びの声」が載っている。
「神社の向かいのタバコ屋で宝くじを買ったら100万円」とか、
「水神さまにお参りしたらナンバーズが100万円」といったようなもの。
おかしかったので、それをつい声に出して読み上げ、クスクス笑っていたら、
私たち以外にそこにいた人は、みなさんそれ目当ての「マジ組」だったので、
テヘヘ…お呼びでない?と、植木等のような心境にもなってしまった。
スタンプラリー付きの呪いのチラシは、もとあったところに丁重にお返しした。

さらにその後、カレーを食べていたら、今度は、
ラブ&ピース、おれらは何にも縛られず、何ものも縛らないぜ、
大きな宇宙の意思に今こそ気づくべき時…ブツブツ…
というような人たちが、大声で歌いながらやってきて、
こないだ参加したイベントが、いかに心豊かなものだったかなどを語りだした。
彼らのスタイルで心豊かに生きていない者の被害妄想かもしれないが、
こちらをチラリと見る彼らの目は、かわいそうな者を見る目だ。
「まだ気づけてないんだね、君たち」というような。
うるせーな。
スッピンでインド綿の服着て、麻のゾーリ履いてりゃ偉いのかよ。
どっちかといえば、そっちに転ぶ危険性があったと自覚しているので、
余計に悲しくなってしまう。

なにかにとらわらていること。
なにかにとらわれないということにとらわれていること。

どちらにしても、とらわれている人は、わかりやすい。いかにも、だ。

あまりにも両極端なグループを、数分差で目の当たりにできてうれしかった。


◇◆◇


お昼は蕎屋でソバ。
こまごました買い物や足もみをこなす。
夜はあっさり鶏だんご鍋の予定。


◇◆◇


買い物しながら、この日記にとっては、とてもタイムリーな人を見た。
スーパーの魚売り場で、新サンマを売っていたマネキンのオバサン。
すごーく声が通るんだけど、その声がたまらなくイヤな感じを発している。
遠くにいるときから、「イヤだなー、近づかないでおこう」と思って、
独自の遠回りルートで買い物を進めていたのだが、
お客のおばちゃんをつかまえて話をしているのを聞いてしまった。
「信用できるのはお金だけよ!人は裏切るけど、お金は裏切らない!」
それを、とてもよく通るイヤなダミ声で、ホントにイヤな感じで説いているのだ。
なんだかサンマが汚染されているような気さえした。
その後、若いお姉さんがサンマを悩んでいたら、グイグイッと近寄って、
どんどんサンマを選び、ビニールに入れて押しつけていた。
おもしろいのを通り越して、おそろしかった。
怖いもの見たさで近づくことすら、発想できなかった。


2005年08月28日(日) カレー食べ納め。

夜ふかししたので、9時半ごろ起きる。
コーヒーを入れてもらって、マンガを読んだりしゃべったりする。
はからずも、
私がいまやろうとしていることについて関わりのある本や話が出てきたりして、
いろいろ思うところ多し。

お昼は今回の旅の目的でもある、カレーの食べおさめへ。
なす、オクラ、チキン、インゲン、など。
トマトチャツネが大好き。チャイも飲んだ。
これまででいちばんたくさん食べて満足しつつも、寂しい。
大学のころから食べてきた、その人のカレー。
どんどん味やスタイルは変わったのだけど、もうかれこれ15年も、
その人の作るカレーを大好きに思って食べ続けてきたのだ。
熊本、小国と、2度目の店じまい。
別に経営が苦しくてやめるわけじゃないので、それはいいんだけど。
これからはイベントなどの時に出没する、移動カレー屋をやるらしい。
ひょっとしたら、小屋がけみたいな店だったら、またやるかも、と。
だから、いつかどこかで、また食べる可能性はおおいにあるんだけど、
行けば食べられる!という状態にないのは、やっぱり寂しい。
でも、それを強いることはできない。

阿蘇を眺め、熊本の町をプラリとして、フェリーにギリギリ間に合って、長崎へ。
出島ワーフの紅灯記に行こうかと思ったけど、
近くで夏祭りがあっていたらしく、おそろしい人の波があふれていた。
けっきょく、なぜか、家の近くのリンガーでちゃんぽん食べて帰る。


2005年08月27日(土) くだものに想う

桃をむく。2つ。
1個は買ったもの。1個はもらいもの。
どちらも甘いが「きめ」がぜんぜん違う。
細やかさということについて、
読んだり考えたりすることがあったので、妙に納得した。

大好きな種類のぶどう、ロザリオ・ビアンコも買ったのだが、
これもまた、産直で買うのとは違った。
こっちは鮮度の問題だろう。やっぱり暑い時期の露店は難アリか。
いや、それ以前に、育て方に由来するような、なんかちょっと雑な味だった。

鮮度と言えば、こないだのいちじく。
スーパーの産直コーナーで買い、帰ってすぐ食べたときには、
土の匂いというか、庭の匂いががすめた。
たぶん朝採ったものだったのだろう。
ふっと、成っている光景が想像できるような味だったのだ。
次の日に食べたときも、じゅうぶんおいしかったのだが、
庭の匂いは、もう消えていた。
「いちじくにもいろいろあるが、昔住んでいた家の庭のがいちばんだった」
と、以前ハハが言っていたのを思いだした。

ハハと、死んでしまったその父(ジジ)は、くだもの好き。
くだものに関する選択眼への自信は、他の者の追随を許さない。
そして実際においしいのを選ぶ。

今日と明日はちょいと遠出。


◇◆◇


もぎくんも乗せて、いざ出発。
お昼は「郷ちゃん」のお弁当にした。そして小国を目指す。
夜はお楽しみの焼肉。「彦しゃん」で。
昼は「郷ちゃん」、夜は「彦しゃん」。
みんなおいしかったけど、レバーが素晴らしかった。エッジが立ってた。
軽く焼いてどんどん食べた。
その後、杖立温泉でお風呂タイム。
とてもあっさりした共同浴場に入ったが、お湯も雰囲気も好きだった。
洗うためのお湯の蛇口も特になく、浴槽のそばに座って洗う。
私は髪も体も顔も、すべてを1個の石けんで洗うのだが、
その簡単さとお風呂のシンプルさがマッチしていて、うれしかった。
これがシャンプー、ボディソープ、洗顔フォームと別れている人なら、
それらを置いておく場所もないし、ちょっとイラついたかもしれない。
身軽で良かった。

その後、小さな夏祭りで、プラカップのビールをクイッとしたあと、
友だちと遅くまで話す。おいしいチーズを食べながら。



2005年08月26日(金) ツボを押されて。

おとといから読んでいる本の続きと、新しい本を読んで眠ったら、
その2冊があまりにもピンポイントでなにかのツボを押したようで、
まだ暗い明け方、ものすごくうなされた。
ダンナも気づいていろいろ話しかけてきたが、
夢とうつつが半々で、わかってはいながらも、うなるしかない時間が続いた。
驚いただろうな。
半分眠り、半分考えながら、いろんなことがわかり、片づけられた。
起きたらとてもスッキリしていた。
あんまり長く寝てないはずなのに、眠くもない。野菜ジュース一気飲み。
今日もコツコツやっていこう。


◇◆◇


一歩も外へ出ないまま、本を読んだり、作業をしたり。
やりだすと、いろいろわかる。
頭で思っていたやりかたがまずいことも、新しいやりかたも。

昼は妹が家から持ってきたお好み焼き。
夜も…それ。と、崎陽軒のシュウマイ。

明日とあさってはごちそうを食べるから、これくらいでちょうどいいのだ。


2005年08月25日(木) 運を見る。

寝しなに読んだ本にいろいろ励まされた気がして、
本はいいなぁ、と、しみじみ。

コッコデショの番組の審査について、
「審査員がかくかくしかじかな人たちだったから九州では通ったのだ」とか、
「これこれのテーマじゃなかったから全国では通らなかったのだ」とか、
そんなことを言われてもみたのだけど、
たぶんそれは、小さいところではそうだろうけど、大きいところでは違うと思う。
そんなことはどうでもいいことだ。
そんなことをひっくるめての、あの番組の力だし、力のなさだったのだ。
それぞれを単独のパーツとして捉えてしまえば、いくらでも理由探しはできるけど、
必要以上に頭の中で突きつめた理由やルーツに、希望なんてひとつもない。
人に運としか呼べないものがあるように、作られたものにもそれがある。
さらに「運」の中には、賞をとるような分かりやすいものもあれば、
関わる人や作った人の心の奥底で本当に愛されているか、
また、誰にどういう作用を引き起こして、
その未来に影響を与えているかというような、
分かりにくいものもある。

脳天気な意味ではないところの「運」を、もっと見たり信じたりしていきたい。

…というふうに考えられる感じで、本から励まされたのだ。
別にそんなつもりで読んでたわけじゃなかったんだけど。本はいいなぁ。


◇◆◇


ランチ。人と会う。鴨とコーンのトマトソースパスタ。
その人との話の中で、私を「NBCのテレサテン」と呼ぶ人がいたということを聞き、
なかなか愕然とする。ははは。

コツコツと作業モード。


◇◆◇


タイカレーを食べて、スカッと発汗。
香典返しでカタログが届く…。うぅ…。
こういうカタログが苦手なのだ…。これまで2回ほど送りそこねた。




2005年08月24日(水) 季節の終わりの、次の季節の。

うなされるようなイヤな夢(天変地異系)を見て、
忘れるためにも朝ごはん。ハムサンド、キッシュ、梨、レモングラス水。

さらに若さあふれるYMO(ごく初期のライブ)を聴く。
リアルタイムではサカモトLOVEだったので、彼しか見えていなかったが、
聴けば聴くほど、YMOはユキヒロ氏の力が大きい。
おっそろしーほどの、このドラムだけでも、あまりある価値。
もちろんホソノさんがいなくてもYMOは存在しないけど、
ユキヒロさんの価値たるや。
これをしみじみ思うとき、自分も年を取ったな…とわかる。
それにしてもライディーンの最後のピッコロ音は、いつ聴いても泣きそうになる。
季節の終わりにかぐことのできる、次の季節の匂いのような音。

今日はついに、ある計画に、具体的に着手する。
わくわく。
そして信じてやっていこう。
やりかたと材料を揃えれば誰でもできるかもしれないけど、
今のところそれをやろうと思い、やりつつあるのは、自分だけだということを。
さらに、手持ちのものでやろうじゃないかという、一種の割り切り。


◇◆◇


いろいろ書いたり考えたりしつつ、妹が来たので昼は冷やし中華を作る。

夜は久しぶりに人が作ったおいしいごはんが食べたくて、リーフへ。
イワシ刺身、チャーシューポン酢、ロールキャベツ、シーザーサラダ、
鶏の炭火焼き、カレーなど食べる。どれもおいしかった。
ダンナがいい気色になってしまい、ベラベラとしゃべっている。
そして帰ってきたら、電池を抜いたように、コトンと寝ている。

しかし私のテンションは基本的にややマイナスだった。
なぜなら、リーフに行く前にダンナを待っているとき、
コッコデショの番組が、
全国審査では一番にならないことが確定したと聞いたから。
まぁ、戦後60年の今年、
戦争物の番組がドカドカ集結するジャンルでの戦いだったので、
九州で一番だったことだけでも良しとするしかないか。
でもくやしい。
だいたい九州で一番になったお祝いだって、私はしてないのに。
まぁ、もう今さらいいけど。フッ。
そうやっていろんなものごとは、流れていくのさ。




2005年08月23日(火) 手作らない率

昨日の夜、ダンナは遅かった。
水族館に泊まってみよう、という、子どものためのイベントの取材で。
そして驚いて帰ってきた。
子どもたちの夕ごはんは、親が持たせたお弁当だったらしいのだが、
数人は明らかにホカ弁、他の子もお総菜パックそのまま、
あるいはどう見ても冷凍食品というのが、かなりの割合でいたらしい…。
「夏休みの思い出がないとかわいそうだから」ということで、
そのイベントに参加させている親もいたそうだが、
それ以前にかわいそうなことがあるような気がするんだが。
唐揚げ弁当をあてがわれた子どもは、けっきょく一口も食べないまま、
体調が悪いと言って帰ってしまったらしい。

親も忙しいだろうし、その家にはその家の事情があるし、
ホカ弁だって、時と場合によってはおいしい。

でも、個々の事情はおいといて、それだけたくさんの子が集まる場、
しかも日常ではなく、遠足的ハレの日での、
その割合の「手作らない率」の高さというのは、どうだ。
これから考えると、日常でもたぶんかなりの高さだ。

ちゃんとごはんを食べることより忙しがらなきゃいけないことって、なんだろう。

ちょっと暗い気持ちになったが、
とにかく自分は、できるだけちゃんと食べていこうと、再決意。

朝はこれからハムエッグと、ニュー長のコーンパン、梨、桃、豆乳などを。


◇◆◇


おととい、クリモトさんから電話がかかっていたので、電話してみる。
(クリモトさん…説明するとすごく長くなってしまう、難儀な人生を歩む人)
いま大阪らしい。高野山を目指す途中。
それから伊勢神宮に行き、最終的にはスマトラへ行くのだ。
地震と津波の復興支援に。(以前住んでいたことがあるという理由で)
日々野宿。時々は、見知らぬ人からのおにぎりやお茶の差し入れもあるという。
毎日午後8時には、私にも、良い念だか祈りだかを送ってくれているとか。
あいかわらずな感じだった。元気そうでなにより。

でも、中途半端な知り合いや友だちが100人いるより、
遠い空で、クリモトさんが私に幸あれと祈ってくれる方が、どれだけ素敵だろう。

さっき、8時だったので、そう思いながらボンヤリしてみたら、
ちょうど8時に、気持ちのいい風が、フワーッと吹いてきた。


◇◆◇


お昼は昨日の夜の残り。
味噌汁はタマネギ、人参、大根、豆腐、ネギ、ダシのいりこと具だくさんだが、
具だくさんの味噌汁が好きなときと、そうでないときがある。
どちらか選べといわれたら…具が少ない方が好きかもしれない。

午後、用事を済ませてバスを待っていたら、偶然ハハと会った。びっくり。

夜はタイカレーを作ろうと思ってたけど、急にひとりになったのでやめて、
築町のお肉屋さんの餃子と生春巻き。
餃子と生春巻きって、本質的には同じ食べ物のような気もするが、
どちらも好物なので満足した。
生春巻きにレモングラスの刻んだのを入れたのが、さわやかだった。


2005年08月22日(月) なにかを戻す場所

昨日の情熱大陸を見ながら、
自分が長崎のことをあれこれ考えたり書いたりしながら、
長崎に暮らすことが平気な理由のひとつがわかった。
やっぱり山陰があるからだ。
長崎とはぜんぜん違う場所に、ひとつ、心の置き場所があるからだ。
…ということは何年も前に一度、タウン誌のエッセイに書いたことがあるんだが、
昨日はそれを強く思いなおした。
情熱大陸では、福山雅治(長崎出身!)のことを、
彼が大好きだった植田正治という写真家とからめて作ってあったが、
その植田正治さんは、私がおもしろがって本籍を移した、鳥取の境港の人だ。
ダンナの生まれたところでもある境港には毎年行くので、
植田さんのお宅も偶然見つけたことがあるし、美術館にも行ったし、
福山さんがインタビューを受けていた車が走っている道路や、
植田さんに写真を撮られていた海に、行けと言われればすぐ行けるし、
訪れていた植田さんのお墓は、カトウ家のお墓があるところと一緒だった。
「あ、あのいちばん端っこのとこだ!」とか言いながら見た。

福山さんが「山陰は第二のふるさと」って言ってたけど、すごくよくわかる。
たぶん彼にとっても「ただ単に好きな場所である」というより、
山陰が与えてくれる、いつも自分がいるところから、フウッと離れた実感や、
そこから「いつも」を眺める感じ、
熱しやすい何かを心地よくニュートラルにできることなどが、
そう言わせているのだと思う。
他にも好きな場所はいろいろあるけれど(彼にはもっとあるだろう)、
山陰のその力は、独特だ。

私にはこのところ、土地の違いやそれによって生じている力の存在が、
とても大きなものに思えてきているので、なおさらそう感じた。

もちろん誰もが山陰にそういう気持ちを抱けるとは思わないけど、
そういう気持ちを抱く人は、どうにかして、山陰にたどりつくんだと思う。
私はもともと心ひかれていたのに加え、フタを開けてみたらダンナが境港生まれ。
福山さんは、植田さんと出会った。

そういう、別の土地を必要とする心のあり方、ってあるんだろう。
そしてそういう人は、きっと、そこにたどりつくんだろう。
それがどうしてなのか、なぜそこなのかは、たぶん探ったところで、
笑うタイプの人には笑われるような理由に突き当たったりするんだろうけど、
自分にとっての、なにか戻すべきものを戻せるような、そういう土地が判明して、
時々行けて、一息つくことができるのなら、こんなにいいことはない。

そういう場所が、外国の人もいるだろう。

◇◆◇


と、朝から考え詰めていたら、野菜ジュースしか飲んでなかった。
今日はガシッと仕事だ。パンでも食べよう。


◇◆◇


久々に「同級生シリーズ」。

ニセ募金のリーダー。(三度目の逮捕)

…。


◇◆◇


パンを食べるのはやめて、早めに昼ごはん。
鶏そぼろ丼、水菜サラダ、らっきょ、松浦漬け。


◇◆◇


ググッと仕事に集中して、それを持って、そのまま打ち合わせに。
そしてまた別の打ち合わせにも行って、あとはボンヤリタイム。
カフェ平井で桃プリンとコーヒー。桃プリン…大好き。
平井の食べものは何でもおいしいけど、桃プリンは、私の中でかなりのヒット。
プリンと言っても、桃のペーストが生クリームなどと、
ゆるやかに固められているものだ。桃より桃な桃というか…。

何冊かの本と、パンなど買って帰る。
買い物をしながら、そしてバスに乗りながら、
頭や心の中にうごめいていた「やりたいこと」に関する、
具体的な方向性がどんどん固まる感触がわいてきた。
今日でちょうど近い〆切がある仕事が終わったのも、いい流れだ。
うれしい。そしてがんばってみよう。

夜はごはんと味噌汁と、豚の焼いたの。水菜のおひたし、南瓜の煮物など。




2005年08月21日(日) 快眠

布団を変えた。
かなりのせんべい布団になっていて、快適な眠りからほど遠かったので。
よく眠れた。
朝はぶどう、いちじく、梨。

昨日の夜は、知り合いの人の家に行って、ごはんを食べながら話した。
ジャガイモがたくさんすりおろされたチヂミがおいしかった。
1歳半の息子ちゃんが、いきなり縁側から落ちたときはビビったが、
しばらく泣いて、あっさりと復活したので良かった…。

キュッとおいしいものが食べたい。
サラリと手が込んでいるようなものを。


◇◆◇


と言いつつ「がっつり」気分が盛り上がり、昼はアストリアのトルコライス。
アストリアは、新大工のほうがよりB級な味で好きなのだが、
開いてなくて、浜の町へ。えらく繁盛していた。

「びわっちファーム」で野菜を買って、アイスを食べる。南国しろくま。

夜は友だち(と言っても一回りも下だが…)が来た。
手羽とジャガイモの煮物や、鯛のバター焼き、ニラ玉などを作る。


2005年08月20日(土) やれよバカバカ

雨で涼しい。
足裏マッサージで体も軽い。
ノドもだいぶ良くなった。
昨日会った人にもらった葉っぱをもんで、
そのエキス空気を吸い込んだのが良かったみたい。
…って言うと、すごくアヤシイ葉っぱみたいだが、
タイ料理の食材としてもらった、レモングラスなど。
もらうときに「ノドが痛いときがあったら…」と言われたので「まさに今!」
と、食いついたのだった。
その人とした「やるべきことがわかってんのにやらない自分よバカバカ」話が、
あまりにも身にしみたので、やっぱりちょっとがんばってみようかなと思う。

雨も降ってるし。

昨日の夜中、読み終わった本。「ナツコ 沖縄密貿易の女王」。
面白かったけど、けっきょく主人公のことは、なんかつかめずじまい。
なんだろう、この感じ。いくら資料が少なかったとしても。
たぶん書いた人が、終始どっかであきらめてたんだろう。
「どんなに人に話を聞いても、資料を集めても、結局はわからないんだよな」と。
キミがあきらめてどうする!
あとは人間のタイプがあまりにも違っていて、同調できなかったか。
あぁ、それかも。いくら入れ込んでも、どうしようもない部分。
男と女の違いもあるし。

難しいな…。


昼はなぜか大波止のターミナルのうどんと親子丼。
おいしかったけど、うどんの天かすを食べながら「油…」と思ったら、
案の定、家に帰り着くまでに、口のまわりにブツブツができた。



2005年08月19日(金) 目覚まし以前

図らずも、目覚ましよりも早起き。
というより、4時ごろから断続的に起きている。
「もぎくんえさやれ攻撃」「もぎくん朝からうんこ攻撃」「ノド痛ぶりかえし攻撃」
などなどで。
しかもようやく寝付いて見た夢は、マディソン郡の橋をもっとダサくしたような、
四流中年男女ドラマのようなものだった。
しかもそれを舞台で上演しなくてはいけなくて、
私は台本を書き直したりしている。なんじゃそりゃ。

今日は昼寝する時間もないのになぁ…。一日持つだろうか。
とりあえず景気づけにYMOを聴きながら野菜ジュースを飲む。

友だちが目も開かない猫を拾ってしまったらしい。
もぎくんを連れてきたときは、目は開いていたから、それよりも小さい。
がんばれ…。

何日か前のスーパーのチラシに「冷蔵庫満タンセール」というものがあった。
お盆のおもてなしなどで空っぽになった冷蔵庫を満タンに、ということか。
冷蔵庫というのは、満タンの状態が普通とみなされているのだな…。
私は空っぽに近いほど落ち着く。
中身が多いと、悪いことをしてるような気にさえなる。
生ものは、本当ならば冷蔵庫に入れる前に、
つまりその日の分だけその日に買って、使い切ってしまいたい。
冷蔵庫に入ってるのは調味料だけ、というのが理想。
でも2人暮らしだと、どうしても豆腐一丁を一日で食べるとすれば、
冷や奴と麻婆豆腐とか、メニューに無理が来るので、渋々入れている。
肉や魚は、わりと「その日その日」だ。冷凍もしてない。

バジルが生活に浸透してきた。
ベランダに植えて数ヶ月、朝のボンヤリ頭でも、
体が勝手に取りに行くようになってくれた。
以前はスパゲティを作っても、
食べてから「しまった!」と気づくことが多かったので。
同じ時に植えたパクチーは、使いすぎて無くなってしまった。
あまりに好きすぎて、根絶やしにしてしまった。

朝のサンドイッチは、ハムとチーズとバジル。
梨、巨峰、いちじく。トマトジュース。


◇◆◇


あぁもう、日が暮れるとすっかり涼しい。
うれしすぎる。
ビチビチに若くなくなってから、ようやく夏が好きになったが、
しょせんは秋生まれの秋好き。
この体の奥底からわき上がるような喜びよ!

足裏マッサージに行ったら、痩せたかと思うほどスッキリ。
すごく汗をかいていた。
途中、眠ってしまったときに、何かおいしいものを食べそうになって、
「あむー」っと口が動いたのがわかって、ひとりで恥ずかしい思いをしつつ、
頼まれもしないのにごまかしておいた。
口が動いたのもごまかしたのも、神のみぞ知る。

夜は、ひとり。
豆乳粥、焼き椎茸、シューマイ、らっきょ。
お粥で舌をヤケドした。


2005年08月18日(木) なめ寝で治す。

3日前くらいから続いているノドの痛みがピークを迎え、寝苦しい夜。
しかもダンナが朝5時前に仕事に出て行ったので、思わず目が覚める。
うがいして、タオルを首に巻いて、梨を食べて、のど飴をなめながら寝る。
起きたらだいぶ良くなっていた。「のど飴なめ寝」が効いたみたいだ。
私はノドが弱いので、なにかあると、すぐノドに来る。
だから自分なりの治し方をいくつか持っている。
でもこれは、眠りながらもずーっとのど飴を気にしながらいなくちゃいけないので、
子どもや老人には勧められない治療法だ。
それこそアメをノドに詰まらせると、ノドだけの問題では…。

2度目に起きて、新聞を見て失笑しながら、野菜ジュースと、梨。
この面構えで「国民新党」って…失笑しない国民がいるんだろうか…。
どう見たって「オレらの旧党」。

一度用事を済ませ、どっかで昼ごはんを食べようかと思ったが、
けっきょく家に帰ってスパゲティをゆでる。
なす、シイタケ、バジル、タマネギ、生ハムなど。
アボカドも切った。


◇◆◇


また用事で外に出て、しかし途中から朦朧となってしまって、ヘロヘロと家に帰る。
熱があるような気もするが、うちには体温計がない。
でも、どうしても書かなくてはいけないものがあったので、書く。
すると、なぜか体がスーッとして軽くなった。ノドの痛みも少し減った。
エネルギーがあまってたのかも…。

夜はやきそば。
野菜をじっくり焼いて、天かすを入れた。テキ屋っぽくていい味だった。
冷や奴、牛タタキ、トマト、など。



2005年08月17日(水) ほんとは3分の2

お盆って、なんとなく一年の半分のような気がするけど、
実際は12分の8、つまり3分の2が終わりつつあるので、
あら?っと1年が過ぎるようなしかけになっている。
ということで、気づいたら、カレンダーの残りは4枚半だ。
この間に、かなりデカイ山を越えなければいけないのだが、
しっかりやっていこう。やり過ごせることはやり過ごしながら。

朝は豆乳と完熟バナナマフィンの残り。巨峰。マフィンは私には甘かった。
昼は昨日の天ぷらの残りを卵でとじたものや、鶏そぼろ、味噌汁、ところてんなど。
ミシンを使いに来た妹と、地味だがおいしいごはん。


2005年08月16日(火) トンネル抜けて

静かに晴れて、暑くないと言えるギリギリの気温、時々の風。
そこにサンディーさんのCDをかけると、一瞬、ぶわっと多幸感に襲われてしまい、
自分の中のなにかが新しい段階に上がった気すらした。
単純だのう…。

そんな単純な朝は、おいしいパン、ハム、チーズ、アボカド、
完熟バナナマフィン、パインジュース、巨峰。

サンディーさんのCDは2枚しか持っていないけど、
いまかけているの(「Lemurian Heart」)が、
けっきょくはいちばん好きだろうという、強い予感がある。
カバー集なのだが、私はカバー集やライブ盤が好きだ。
その人のいいところが出る気がするので。
その人の意思が及ばない要素があればあるほど出る、いいところって、ある。
もちろん、その人の意思がびっちり通った創作物の良さもあるけれど。

このCDでは、ジャネット・ケイさんの「SILLY GAMES」が大好き。
本人が歌うのよりも好きだ。
そしてこの曲は、なぜか、あるタイプの気持ちの節目に聴いてしまう。
…というか、この曲を聴いた自分の気持ちの反応で、
その時、節目にいることに気づくというような感覚か…。

あまりにも気分がいいので、髪を切る予約をした。
「何時ごろがいいですか」って聞かれたので、
いま空いてるって言われたら、すぐ車に乗ってでも行こうと思って、
「早ければ早いほど!」って答えたら、1時間半後という、
まことに絶妙ないい時間だったので、ますます気をよくした。
この勢いだと、たぶん短くしちゃうな。

なんだ、どうしたんだ、お盆が終わって、なんかトンネルを抜けたのか?

トンネル抜けて…ボガンボの名曲だ。


◇◆◇


髪をスパーッと切った。
いつもの気楽な美容院のお兄ちゃんと、ヤクザの話などしながら。

お昼は仲正でそばと唐揚げ。

仕事しつつ、高校野球を見ていたら、ものすごい雷が鳴っていた。
野球は負けた。残念。

夜はブタとイカと玉ねぎとジャガイモの天ぷら。
いま黒米入りのごはんを炊いているところ。とってもいい匂いだ。
いりこでダシをとった、ジャガイモの味噌汁も楽しみ。






2005年08月15日(月) だだをこねている

よく寝た。
昨日の夜、お風呂に入って、布団を敷いたはいいが、
枕とタオルケットを取りに行く間に、一度ゴロリとしてしまい、
そのまま1時間くらい寝ていた。
眠りながら、枕とタオルケットのことを考え続け、
意を決して起きて、取りに行って、またすぐ眠った。
いやー、よく寝た。

すっかり朝は涼しい。さすがお盆だ。
今日もてんこ盛りに朝顔が咲いている。

昨日もらってきた、ばーちゃんのおはぎを食べよう。
ばーちゃんのおはぎがいちばん好きだ。
というよりも、ばーちゃんのおはぎしか好きじゃない。

山陰に行きたい気持ちに、ずーっとあきらめがつかない。
山陰の空気を充電したい。
10年近く毎年行き続けていたので、1年の体のリズムとして組み込まれている。
今年は、いつものようには行けないことが、だいぶ前からわかってたんだが、
それでも体がだだをこねている感じがする。「どうしてどうして?」って。
山口くらいまで行くことを、やっぱり真剣に考えてみようかな…。


◇◆◇


ばーちゃんちに、じじ(じいちゃん)のお参りをしに行く。
そしたらおはぎが出てきた。
昨日の夜、今日の朝、そして3個目のおはぎだったが、おいしくいただく。
その後、駅のアミュで、なぜか串揚げ定食。
暑さにぐったりとしながら家に帰り着くと、
本読み椅子に、もぎくんが大量の液体を…。
ぐったり10倍になりつつ、いま、カバーを洗濯中だ。
干したら夜の精霊流しまで、ちょっと眠ろう。


◇◆◇


ダンナのオヤジさまの船を松山に流し、リンガーでちゃんぽんと餃子。
どうしても県庁坂の精霊流しが見たかったので、行く。
松山とは比較にならない爆竹の音。くーっ、これこれ。
今日しかない音と空気を体中に浴びて、生き返る。
そしてまた、長崎に育って良かったと思うのであった。

さらに、耳鳴りを感じながら、夜中の中継録画を見るのが至福の時間。




2005年08月14日(日) めぐりめぐる

朝から爆竹の音。涼しい。
やりっぱなしの朝顔がまっさかりに咲いている。
涼しいけれど、起き抜けの体にはやはり熱がこもっているので、
野菜ジュースを飲んで、シャワーを浴びて、朝ごはん。
高校野球を見ながら、ラッシー、ぶどうパン、巨峰。
…ぶどう過ぎやしないか? と思い、途中からスライスチーズをかじる。

高校野球って、大昔からぜんぜん変わらない。
どこが勝っても負けても、同じ風景だ。
応援歌だって、山本リンダとピンクレディーばっかり。
見たことないだろうになぁ。

今日はこれから、ほぼ20年ぶりに会う友だちとごはんを食べる。
小学3年から中学3年まで、みっちり一緒に過ごした人だ。
あまりにも久しぶりなので、ウソみたい。
人生はめぐりめぐる。

そして夕方には墓参り。
年に一度しか会わない親戚と会ったりするんだろう。
人生はめぐりめぐる。


◇◆◇


そういえば私はスターバックスと相性が悪い。
おいしかろうと思って頼んだものは、必ずマズく、
無難に頼んだアイスティーは水みたいに薄く、
私が頼んだものについて、
作るの担当の人とレジの人が「言った」「聞いてない」でケンカしたりする。
簡単なものでも、なぜかかなり待たされる。(次の人のが先にできたりして)

どうしてだろう。

私がスターバックスをさほど好きじゃないことを見抜かれているのか…。

でも塩梅いいとこにあるんだよなぁ。場所も時間の流れも。


◇◆◇


濃かった…昼も夜も…。
昼は、時々「このまま窒息するんじゃないか」と思うくらいの笑いを挟みながら、
いろんな話をした。
今やブツブツ小言めいた文を書き散らしてはいるが、
自分の基本は、ある種のお笑いというか、芸に近いものだと再認識。
圧巻は、その友だちのお母さんが保管していたという、
小学生時代の私たちが取材・編集・執筆した、近所のガイドブックだった。
今の自分と、恐ろしいくらい同じ目線とタッチ。
良く言えば、一貫性がある。
悪く言えば、成長してない。

いつも一緒にいた当時はわからなかったけど、
今現在の、人や世間との距離の取り方などが絶妙に似ていて、
あぁ、だから一緒にいれたんだな、とわかった。
小学生や中学生の時って、無条件に人と行動を共にしないといけないから、
持って生まれたそういう距離感って、なかなか顔を出す機会はない。
でも無意識の部分では、嗅ぎ分けているのだ。

本当は、まだ話せっていわれたら、
当時のことだけでも一晩中話せる気もするが、
昔話を延々とする、ということについての情熱のなさもたぶん似ていて、
名残を惜しみつつも、またいつか会えたら会うことにして別れた。
そして家に帰ってから気づいた。
電話番号はおろか、なんと、今の名字すらも聞いてなかったことに…。


◇◆◇


夕方は墓に行く。
親戚がゾロゾロ集まって、おにぎり食べたり花火をしたりしゃべったりする。
これだけでも、長崎に育って良かったと思う。
次から次に墓地を覆う、爆竹の音、矢火矢の音、煙の匂い…。
ほかの町の人がこの状況を体験できるのは、
もはや戦場に行くしかないんじゃないだろうか。


2005年08月13日(土) またこれか…

昨日遅くまで読んでいた本にホロスコープのことが出ていたので、
さっきなんとなく無料サイトで自分のホロスコープを出してみた。
会員登録しなくても、基本的な運勢だけは占えるというもの。
そしたら、また出た。
仕事は自営で、と。
占いを信じる方でもないが、あっても悪かない、という程度の気持ちで、
たまーに本で見たりするけど、いつも出てくるのは、それ。
どんなやりかたで見ても、よほど勤め人に向いてないのか…。
まぁその通り、勤めることなくやっとりますがな、とは思うが、
こうたびたび言われると、社会的失格人間の太鼓判を押してもらった気もして、
ふっ、と苦笑い。

でも面白かった。
このところモヤッとしていたことを指摘するようなことが、
なるほど、と思えるような感じで書いてあった。
書いたほうはそんなつもりじゃないかもしれないし、
そもそも純粋に私のために書かれた文章ではないが、
私は私の境遇に当てはめて読むことができて、なるほど、と思えたのだ。
占いって、そういうものだろう。

さて、健康に注意するため、豆乳でも飲むかな。


◇◆◇


お盆。
爆竹と矢火矢の音。
ぐったりするくらい暑くても、夕暮れは確実に早まっている。

終日、冬に死んだダンナのオヤジさまの精霊船を作っていた。
オヤジさまに関しては、いろいろ事情心情があるので、
どうせ自分が作ることになるとはわかっていたけれど、
素直に作りたいと思っていたわけではない。
ダンナにも作るとは言ってない。(かなり驚くに違いない)
でもまぁ、事情心情はひとまず置いておいて、
「死んでしまった」という、のっぴきならないことに対する、
私なりの供養だと思って作った。
オヤジさまにいろいろ文句も言いながら。
お昼ごはんは食べそびれ、3時半ごろピザトーストを食べた。
作り終えてシャワーを浴びて鏡を見たら、やけに顔がスッキリしていた。
手を動かすというのは、やはり理屈を超えた力があるようだ。
それで事情心情が解決したわけではないんだけど、
持っててもしょうがないなにかを、捨てることができたような気もする。

これから墓参り。



2005年08月12日(金) 押しのけて迫ってくる。

寝苦しかった…。
体にものすごく熱がこもっているのが分かる。
体操してシャワーを浴びて、パインを食べよう。

気づいたら、もうお盆だ。
長崎の8月は、ほんと、死んだ人たちのものだ。

たくさん読みたい本があって、おぼろげに優先順位もつけているのだが、
なぜか上位の本を押しのけて「読んどきなよ」って訴えかけてくる本がある。
こういうときは、そっちを信じた方がいいんだろうな。


◇◆◇


昼はインドカレーを食べにいった。
カレーとナンはおいしかったけど、ごはんが普通の白ごはんでしょんぼり。
お店やお店の人の感じもいまひとつだったので、
つまりはテイクアウトの店と考えたらいいかもしれない。

とぼけた写真が撮りたくなったので、
キーホルダーにもなるおもちゃのカメラのためのフィルムを買う。
昔よくあった、コンパクトカメラというか、ポケットカメラ用の。
でも24枚撮りで420円もした。
もう、フィルムのカメラは道楽品だな。

夕方しばらく眠って、夜はナスの肉そぼろがけなど。
親戚一家が訪れて、しばらくしゃべる。
いつもは見ない報道ステーションを見ていたら、
音浴博物館の栗原さんのことが紹介された。(5,6月に死んだ人として…)
けっこう長く、そしていい感じに。

こういうことがあると、
たとえせっせと情報収集していなくても、
見たいものはきっと見ることができるようになっているのだと思う。
だから「いつ必要な情報や出来事と会うかもしれないから」って、
あれこれ常にギラギラ目を光らせておくのは、疲れるし、時間の無駄だ。
ギラギラさせておくべき部分は、もっと奥の方にあるはず。


2005年08月11日(木) 楽に、早く。

毎日すごい湿気だ。
晴れて切羽詰まった仕事も終わり、開放的な気分。
切羽詰まっていたからかもしれないが、
自分の中から文章が出てくる感じが、これまでよりパワーアップしている気がした。
1時間かかると思っていたのが30分で書けたし、
15分だと思っていたのが、7分くらいだった。
日々精進。
泳ぐのだって、週に一回でも泳いでいたら、どんどん楽に泳げるし、早くなる。
それと同じことだろう。
いつもやってるか、やってないか。

どれくらいのレベルのことを、楽に、早くできるかが、その人の力量だ。

しかしここ数日、さすがに根詰めすぎたかも。眠い。

朝はピザトーストとトマトジュース、りんご。
お昼はダンナの強いリクエストにより、岩川飯店でちゃんぽんと、とり皿。
夜はそばが食べたくなったので、生麺を買ってきてある。
ササミを焼いて、かんずりを乗せて食べよう。
そば屋みたい。冷や酒がほしいところだ。玉子焼きも作ろうかな。


2005年08月10日(水) 暴走中

昨日に引き続き暴走中。
朝はピザトースト、メイプルパン、梨、ラッシー。
腰が痛いが気にならない。
今日もひたすらやっていこう。

…と言っても、ハタから見てればのんびりしたもんなのかもしれない。

コッコデショの番組の、審査員評が書かれたものを読んだ。
ちゃんとやれば、わかってもらえることも多いんだなぁと感慨。
わかってもらえることのうれしさの意外なほどの大きさにも感慨。
どっちかといえば「わかってもらえなくても、やりたければやる派」だけど、
そうすることによって表したかったものを誰かとやりとりできることに、
やっぱり最終的には行き着きたいからこそ、
多少、当面、「わかってもらえなくても」いいというだけなのだ。
絶対的にわかってもらえないことがわかってたら、そりゃ寂しくてやれないだろう。


◇◆◇


作業に熱中していたら、時間がどんどん過ぎていく。
仕事を2つ思い出し、あせっているところ。
お昼は鯛茶漬けと納豆ごはんがいっぺんに食べたくなり、
2つの茶わんにごはんをよそう。
さすがに一緒にはできにくいので。
おやつに巨峰。

夜はダンナが外で食べてくるようなので、このまま引き続き家にいよう。
さっき洗濯物を取り込みに外に出たら、殺人的な湿気だった。
なにを食べようかな。煮物のラストで地味に行こうかな。

それにしても仕事…。徹夜とまでは行かないだろうが。


◇◆◇


手と頭をギンギンに使っていると、食欲がなくなるんだな、と、
10時半ごろ「赤いきつね」を食べながら思う。
食欲がなくなるというよりも、おいしいものを食べることに注ぐ神経が閉店する。
「いま、町内の祭に出店を出しているので、通常の営業はしておりません」
という、こないだのお好み焼き屋さんみたいなことだ。

あと一仕事したら、もらっていたおいしいクッキーを食べよう。



2005年08月09日(火) 3つと5倍

各種創作欲が炸裂中。
体3つと時間5倍くらいほしい。

寝苦しくて寝汗もたっぷりかいた朝は、スイカ。
シャワーを浴びて、打ち合わせや用事を済ませる昼間だ。
あぁ、時間を5倍に…。


◇◆◇


私がいてもいなくても良かったような打ち合わせを終え、
クリームコロッケが食べたいな、と思いつつ、町を歩く。
ポロリと入ったお店のランチが、ハンバーグとクリームコロッケだった。
すごーく素性のしれた(つまり業務用食材屋に売ってあるということだが)
クリームコロッケだったが、食べたかったのでおいしかった。
店内やかかっている音楽も貧乏くさくて、調和していた。

今日は8月9日なので、町にはピースな人がたくさんいた。
昨日もいっぱいいた。
なぜみんな「じょたくれた」Tシャツを着てるんだろう。
(じょたくれた…くたびれた、ちょっとのびたような、そんな感じ)
短パンに長めのソックスのおじさんも多い。信念的長髪のおじさんも。
信念的というより、「30年前に切りそこねた」ってとこかな。

今年見た中で、いちばん大きな入道雲。


2005年08月08日(月) 気持ちいいから

気持ちいいからやっていたということを忘れていた。

…ということを、昨日の夜読んでいた本で思い出させてもらった。
私にとって気持ちがいいこと。それは文章を書くことだ。
文章を書いているときは、快楽っぽい気分になる。
気分もだが、肉体的に気持ちいいとも言えて、
つまりはジャンルが違って、方向性や強度が間違っていたら、
変態と呼ばれてしまうような気持ちよさを感じてしまっている。
(だから、たとえそれが、会社案内やマンションの説明であってもいいのだ)
まぁもちろんパソコンを前にヨガったりはしないが。
そりゃそういうのとも違うんだが。
でも、作文の時間が苦痛だった人には、
そんな感じを想像してもらってもいいくらい。理屈じゃなくて、体質。

しかし幸か不幸か、それを「仕事」にしてしまっているので、
頭のほうがゴチャゴチャ理屈をつけてくる。
「仕事というものはつまらないものなんだから、いま読みたい本を読んだり、
 あるいは昼寝したりしたほうが気持ちいいんじゃない?」なんて。
仕事っていうことの意味を、低い次元に組み替えてしまっているんだけど、
やはりナマケモノでもあるので、つい、ついて行きやすい方に行ってしまう。
ただ、わかっているのだ。
本当は仕事だろうがなんだろうが、昼寝よりも散歩よりも、
脳内物質を出しながら文章を書いていたほうが、
もっともっと気持ちのいい時間を過ごせたことを。
だからいつもモヤモヤと後悔している。

仕事をするということに対して、自分をもったいつけてたというか。

でもそれはやっぱり違う。
気持ちいいことをしていこう。

こうして毎日、日記が続いてるのも、体操みたいなもんなのだ。
気持ちいいからやってしまうのだ。
だから毎日もっと大きく深く、気持ちのいい世界に踏み込んでいこう。
だれも私に「文章書いて生きてって」って頼んだわけでもないんだから。
気持ちいいことを選んできたら、こうなっちゃってるわけだから。


◇◆◇


と、決意した朝は、トマトジュースとメイプルパン。洗濯。

昼は妹と、前から行ってみたかったホテルのバイキングへ。

夜は角煮(でも野菜いろいろ)。すこぶるおいしかった。もやし炒め、キュウリ。







2005年08月07日(日) ペーロンの朝

港からペーロンの音が聞こえてくる。
ペーロン自体は、あまり馴染みなく育ってしまったのだが、
祭というのはやはり、ワクワクする気持ちが伝染する。
なんといっても、あの、港に漁船で乗り付けて応援する風景が最高だ。
クーラーボックスいっぱいのビールと、どっさり作ったお弁当。
いつか、だれか、ペーロンを出す地区の漁船持ちの友だちができたら、
ぜひ乗せてもらいたいと思ってしまう。
レースが終わって、さっそうと帰っていく感じも素敵だ。

ペーロンの音を聴きながら、地味に掃除や洗濯。
朝はスイカとブドウとクッキー。
お昼は、お刺身の残りを甘辛だれに漬けておいたもので、タイ&ハモ茶漬け。
しそとゴマをたっぷり乗せ、柚子ごしょうも少し。
「本当は、ダシをかけるんだろうけどな」と思いつつ、
タイとハモの力を信じて、お湯だけをかけてみたが、それで良かった。
じゅうぶん味は出ていた。
キュウリ、冷や奴、らっきょ。

茶漬けを食べながらテレビを見ていて、長年の疑問が解決した。
「るり色の砂時計」のレポーターと説明する人の会話って、
外国語の教科書や教材とそっくりだ。
あの独特の会話というか、言葉づかいって、なにかに似てるって、
ずっとモヤモヤしていたのだ。
レポーターさんのしゃべりのスローさも「教材っぷり」に輪をかけている。

読みたい本が、ざっと見ただけでも10冊はたまっている。
仕事や、やるべきことも、わりとたまっている。
ためるのは良くないので、どんどんやっていこう。
ひとまずは仕事に集中しよう。


◇◆◇


夜は茂木の花火大会を見に行こうと思っていたが、
ダンナの勤務終了直前に急な仕事が入って、けっきょく終わったのは8時過ぎ。
もう家を出ていたので、ダンナの職場で2時間ほど待った。
長崎新聞と朝日新聞と毎日新聞を3日分ずつじっくり読んだりしながら。
家庭欄で見た、手づくりケチャップのレシピをメモしたりしながら。

ワーフの紅灯記に行って、ネギそばなど食べて帰る。
やっぱり本店のほうが好きだな…とか思いながら。



2005年08月06日(土) ザラメと綿アメ

ザラメと綿アメ…のようなものか、と思いつつ、
昨日の夜中、テレビを見ていた。

アメリカのテロでダンナが死んでしまった人が、
長崎から広島まで、墓標のような石を引いて歩くというものだったのだが、
その人が長崎の被爆者と話をするシーンがあって、
どんなに体験を語っているときでも、いちばん悲しい気持ちは、
心の中の小箱に収めたままにしておく、というようなことを言っていた。
そうだろうな。
些細なことから、とんでもなく強烈なことまで、
だれかがあるできごとによって心に受けたことや、
そこから発生した気持ちの核心は、本当に個人的なことで、
突きつめてしまえば、人とは共有できない。
ダンナがテロで死んだ人の悲しみは、
たぶん、ダンナをテロで亡くしてみないとわからない。
(恋愛小説をいくら読んでも、実際の恋の破壊力には遠く遠く及ばないように)
でもそれを言っちゃおしまいだから、
それによって自分の心や行動に、どうしようもなく引き起こってしまうことを、
人に見せたり、伝えたり、共有しようとしたりしてみる。
固いザラメは心の奥底に沈めて、ブワーッと出てきた綿アメを手渡す。
受け取った人は、自分が持っている味覚の範囲でアメを味わい、
条件が整ってしまえば、自分の中にも、固いザラメができてしまうことを思う。
すると、本物のザラメには遠く及ばないけれど、小さな擬似ザラメが生まれる。
そしてもし、本物のザラメを発生させるような気配が立ちこめたとき、
擬似ザラメを持っているか持っていないかでは、
その気配への敏感さが変わってくる。
悲しいことに関してならば、危険への感受性が高まる。

個人的なことは、個人的なことに過ぎないけど、
でも、けっきょく人は、個人的なことしか身にしみてわからないし、
個人的なことに置き換えなければ、心からはなにも思えない。
だからそれぞれが、どんどん個人的になって、
お互いの個人的な部分に訴えかけていくしか、共感の方法はないだろう。
小さな擬似ザラメを作りあうことでしか、
本当のザラメを新しく作ってしまうことは防げない。

個人じゃなくて、社会とか世界とか人類とか、大きく語れば語るほど、
本当のところからは遠ざかっていく。なにかが見えなくなっていく。
でも、大きく漠然と捉えているほうが、格好が付いて見えたり、
いろんな意味での力を集めたり使ったりしやすいことも多い。
どんな方向を向いていようと、力の魅力と誘惑は、強い。



◇◆◇


朝はツナサンド。
卵を固ゆでにして混ぜようかと思ってゆがいて剥いてみたら、
絶妙に半熟だったので、混ぜるのはやめて、そのまま食べる。念願の半熟。
メープルパン、梨、みかん、野菜ジュース。


◇◆◇


人とのメールのやりとりの中で、お好み焼きという言葉が出てきて、
すごくお好み焼きを食べたくなってしまい、新大工へ。
みやちでお好み焼きを食べて、はるもとでかき氷を食べようと思ったのだ。
そしたらみやちは、夜市に出店するとかで、昼は休みだった。
しばらくショックで茫然として、本屋でボーっとして、
気を取り直して、アストリアでトルコライスを食べることを決めた。
ごはんを少なめにしてもらったら、とてもちょうど良かった。
ツル茶んのトルコライスが好きなんだけど、アストリアもいいな、と思った。
スパゲティのケチャップ具合が好みだった。
「こんなにおいしかったかな」と思いながら食べることができたのは、
たぶんごはんの量がちょうど良かったからだろう。

はるもとで蜜掛け。入れかわり立ち代わりお客さんは来るけど、
いつもひとつは大きなテーブルが空いてるという、
小さなテーブルにひとりで座っている私にもプレッシャーのない、
快適なデザートタイムだった。
最後の、溶けてしまった液体をスプーンですすりながら、
甘露、という言葉を思い出した。


◇◆◇


夜は豚の薄切りを焼いて、私はカボス醤油あっさりバージョン。
遅く帰ってきたダンナは、甘辛ショウガ焼きバージョン。
冷や奴、小ネギの一文字ぐるぐる風、ゆで玉子とアスパラ、など。

なぜか食べたくなったので、角煮を仕込むが、
大根も入れたい、卵もおいしい、人参だっていいはずだ、長ネギも、と、
角煮と言うより和風ポトフになってしまった。
お風呂に入っているとき、換気扇から流れてきたのは、ほぼおでんの匂いだった。




2005年08月05日(金) いかにもは熱弁だ。

ついにダンナがポツリと言った。
「脂っこいものが食べたい…」
お昼はなんか食べに行こう。

今日はどんととヤナちゃんの誕生日だ。
どんとの歌は、体の奥底にこびりつくまで聴いたので、
今はもう、あまり聴くこともない。
必要なときには自分の中で鳴るから、
わざわざ聴くこともない、というような感覚だ。
どんとがらみのライブやイベントは、まだいろんなところでやっていて、
今日もたしか、阿蘇で大きなものがあるはずだけど、行く気にはならない。
それをやってる人たちとも、いまひとつ肌が合わないし。
ラブ&ピース。「気づき」って大切だよね。さぁ手をつないで光のイメージを…。

いかにも、ってのが、ホント、苦手。
昨日書いた平和系のこととも共通してるけど、
「いかにも」な存在感って、「熱弁」とおんなじだから。

たぶんどんとも、そうだったんじゃないかな、と、
何日か前に、最後のライブ盤を聴いてて思った。
ボガンボをやめて、沖縄に行って、好きな人たちに囲まれて、
歌いたい歌を好きなように歌っていて、それはそれは楽しそうだ。
でも、飽き飽きしてるのもわかる。
これ以上のことを、もうこの世ではやりようもない。
この世でやるとしたら、また家族やなにやらを捨てて、旅に出るとか、
そういう感じが近いかもしれないけど、
それだって、行く先々では同じようなことにしかならない。
その時々の、いかにもな人に囲まれて、いかにもな感じで歌う。
だから死んじゃったんだ。
死んだって言うより、
神さまが見かねて「もういいから」って引き取ってくれたのかも。
さばさばしただろうな。


さて、エビとアボカド&生ハムとキュウリのサンドイッチでも作ろう。
トマトのハチミツ漬けも、もちろん昨日から仕込んである。
昨日は本を遅くまで読みすぎたので、朝のお腹の減りがいまひとつだったが、
そろそろペコペコだ。


◇◆◇


お昼はついに、リーフでハンバーグ。ダンナはハンバーグカレー。
午後は買い物して、取材して、
夜はおさしみと冷奴とアスパラなど。またヘルシーに逆戻り。
デザートは梨。



2005年08月04日(木) トマトジュース(生)

遠くに台風がある風。
遠くても、台風の風には、台風の風って書いてある。

いま私の中で爆発的に流行しているトマトジュースを飲む。
生のトマトに前日からハチミツをかけておいて、それをミキサーでガーッと。
中2個分が、ちょうどいい量だ。
たぶん切ってすぐハチミツとミキサーにかけてもいいんだろうけど、
なんとなく、前の晩からなじませておく方がおいしいように思える。
市販されている、あの、大嫌いな人も多いトマトジュースも好きだけど、
これはまったくの別物だ。
今日の分でトマトが切れたので買っておかなくては…。

さて仕事仕事。
急に忙しくなってきた。
そして気づいたらお盆までもが近い。


◇◆◇


ダンナが休みだし、このところヘルシーな家ごはんが続くので、
なにか肉の入った気のきいたランチでも…と思ったが、
仕事をしていたら、どこぞのお宅からナポリタンの匂いが流れてきて、
ダンナは昼になっても寝てるし、まぁ仕事も終わらないし、
急遽ナポリタンを作る。ベランダのバジルをどっさり入れた。
これはこれでおいしかった。


◇◆◇


夜はまたもや家で作った。
鶏のもも肉を焼いて、その油でもやしとニラを炒めて、おろしソースで。
うりの塩もみにごま油をたらしてコリアン風にしたら、
ただの塩もみよりダンナがよく食べた。

それにしてもヘルシーな日々…。
ここ数日の肉の量は、焼き肉屋1回分よりはるかに少ないだろう。
牛肉なんて一切れも食べてないし。


◇◆◇


原爆の日が近づいてきたので、
街にはハトやpeaceの文字をデザインしたポスターが貼られている。
毎年恒例。なんかの大会。
リュックを背負った、決してオシャレじゃない人たちの姿も増えてきた。
6日が過ぎると、ゼッケンを着けたような、もっと濃い人が増える。
これも毎年恒例。なんかの大会の人たち、か?

本音を言えば、小さいころから違和感をおぼえてきた。
なんというか…この人たちはどこから来て、普段はどこにいるんだろう、
というような感じ。
夏になるとこの街に集まってきて、なにごとかを終えて、去っていく。
やってることは、いいこと(少なくともその人たちにとっては)なんだろう。
でもなんか、空間を共有している気がしない。
わーっと来て、熱く声を上げて、わーっといなくなる。

いわゆる「平和」に向けてのことって、
突きつめていけば「声を上げること」とは反対のところにあるんじゃないか。
あえて声を上げなくても、それに向かって日々を過ごすことにつなげるために、
あくまでも、そのきっかけとしての「声を上げること」が存在するのであって、
(だからもちろん、いろんな活動を否定するのではないのだけど)
それが、特にそれをやっている人たちにとって「目的」そのものや、
「正しいこと」になった瞬間、
健康的な平和からは、ズレていくんじゃないだろうか。

熱弁…って、私にとっては、それがどんなに「正しい」ことでも、怖く思える。

だれかが自分を正しいと思っちゃうことから、いつも平和は崩れてきた。

夏は、あついなぁ。


2005年08月03日(水) クロワッサンさん

気持ちのいい朝。
ほんの少しの湿度と温度で、気分はいくらでも変わる。
しかし眠い。仕事はたんまり。
眠い理由はわかっているが、どうしようもないので、だましだましやっていこう。

朝はクロワッサン、ツナ、アボカド、ラスク、野菜ジュース。
クロワッサンのジュワッとしたバター味には、
いつも「日本の食生活がぐちゃぐちゃで良かったなぁ」と思わされる。
「日本人ならごはんと味噌汁」じゃないからこその、
特別じゃない朝ごはんとしての、パン。おいしいクロワッサン。
クロワッサンは、すでに「異国のミスタークロワッサン」じゃなくて、
近所の「クロワッサンさん」になっている。
これがたとえ「戦後のアメリカによる小麦市場拡大戦略」の結果だったとしても、
それは結果ではなくてきっかけで、
いろんなきっかけからいろんなものを取り入れていく、
いい意味でも悪い意味でもおめでたい日本人だからこそ、
いまだにパン食べてるんだろう。
これがフランス人だったら、ある事情で一時期コメを朝食にしていても、
あっという間に、パンに戻るだろう。


それにしてもここ数日、自分で作ったものばっかり食べている。
お昼は外に出ようかな。でも仕事が…。


◇◆◇


急遽やらなくちゃいけない仕事ができて、お昼は梨をむく。
仕事しながら、さくさくさく…。


◇◆◇


ひとつ、打ち合わせのために街へ出て、
さて、買い物して帰ろうかと思っていたら、
家へ帰るバスが目の前に現れてしまい、うっかり乗ってしまった。
1時間に2本しかないので、ついありがたい気持ちになってしまうのだ。
買い物をしなかったので、夕ごはんは昨日の残りものなどをアレンジ。
天ぷらの残りと、玉ねぎとニラの卵とじ。
魚肉ソーセージとししとうの焼いたの。
冷やしうどん。キュウリ。ゴーヤの味噌炒め。
書いてみると貧乏くさいメニューではあるが、非常においしくいただいた。
ごはんに掛けた卵とじには、特筆すべきものがあった。


2005年08月02日(火) すぐ来た

それはすぐにやってきた。
昨日の冷凍コロッケ、さっそく昼ごはんに2個揚げた。

本当は無性にうまかっちゃんが食べたくなり、
鍋でお湯を沸かしかけたのだが、一瞬、コロッケにムラムラっと来て、
鍋の火を止め、油の鍋を火にかけた。

たしかに、ちょっとした幸せを感じる。
おいしいものはうれしい。
うまかっちゃんでも幸せだったかもしれないが…。

朝から打ち合わせや用事をいくつかこなす。
午後もなにやらかにやら、いろいろだ。

そういえば朝ごはんには、久々にごはん粒を食べた。
昨日の残りもので。


◇◆◇


昼の用事を済ませて夕方帰ってきたら、また気を失ってしまった。
起きたのは9時過ぎ。
だいたい2度出かけて、2度とも携帯を忘れて出るくらいだから、
今日は最初からダメダメ星人だったのだろう。
ごはんも作ろうかどうしようか迷っていたが、
いわしを買ってしまっていたので、作ることにする。
ごはんを炊くにはちょっと時間が遅いと思えたので、
うどんをゆがいて、いわしは天ぷらに。
ミョウガ、ししとう、エリンギも揚げる。
あとはトマト、キュウリ、アボカド。

ひとりで食べ終わったころダンナが帰ってきた。
コンサートの取材だったようだ。
クラシックの。
出ている人をだれひとり知らなかったようだが、それなりに良かったらしい。


◇◆◇


体の調子が悪いと、気持ちもゆがむ、というのは、間違いなさそうだ。
今日の午後に行ったところで、これまでも何度か見かけていた人が、
どうやら事故にあったらしいのだが、
まわりの人にネガティブなことを言い散らかしていた。
(すごく真剣にアリを潰して弾いていたのも怖かった。
 弾いている、その延長線上に私は座っていたので、なおさら)



2005年08月01日(月) また呪いのパンツが。

寝たのは3時だったというのに、6時半ごろ、雨に起こされる。
はじめは「あー、また明け方に土砂降りだー。今日は雷は鳴らないなー」
と、のんきに構えていたのだが、ふと、恐ろしいことに気がついた。
「洗濯物っ!」
昨日のお昼に干して、夕方から晴れたのでほとんど乾いて、
夜は星だって出ていたから、「明日の朝の太陽で、もうひと乾きさせよう」
って欲張って干していたのだ。
あわてて起きて、取り込む。悲しく湿っていた。
そして、いちばん雨に近いところにいて、もっとも湿っていたのは、
ダンナの呪いのパンツ(6月28日参照)だった。
やっぱり何かある…。

朝はパンとソーセージ。ハチミツ漬けにしておいたトマトのジュース。
ラスクとホットミルクも。

本を読んだり仕事をしたりしていたが、案の定、気を失っていた。
2時ごろ起きて、カレーの残りを食べる。
うりとミョウガの塩もみも。さくさくと、どんどん入っていく。

ジャガイモがたくさんあるなー、と考えていたら、
猛烈なコロッケモードに入ってしまい、もうコロッケのことしか頭になくなる。
ひき肉を買いに出る。
なんとなく、鶏にする。鶏そぼろであっさり作りたくなったから。

コロッケ、うりとミョウガと大葉の塩もみ、シシトウ焼き浸し、トマト、
うりとゴーヤとピーマンの味噌炒め(残り)、ニラかき玉汁、キュウリ甘酢漬け。
そして納豆をたいへんに食べたくなったので、納豆。

コロッケは、全部で14個作った。7個揚げて、7個冷凍した。
この冷凍したのを揚げて食べる時って、どんな時だろう。
たぶん、冷凍したのを揚げて食べる余裕はあるけど、
一から食事を用意する気力や時間がないときだろう。
あるいは、ふいに人が来ることになったときなど。
それとも、ひとりの昼ごはんか。
いずれにしても「あー、このコロッケがあって良かったなぁ」って、
うれしい気持ちになる状況なんじゃないかと予想しているのだが。


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