ぴんよろ日記
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ここ数日の睡眠不足や疲れが、じわじわとボディーブローだったので、 今日は休みを決め込んで、お昼前からさっき(3時)まで眠った。 ダンナの「弁当おいしかった。合掌」メールで起こされた。 そうだろうそうだろう。昨日の私の晩ごはんに、 お肉用のマヨネーズと卵焼きを付けた「男子バージョン」だから、そりゃうまい。 昨日、お肉を食べながら、 「これにマヨネーズを付けたら、昇天だな」 と思ったのだった。案の定だ。 昼寝でかなり体は軽くなったが、まだ腹に「おつかれ斑点」が出ている。 昼ごはんを食べそびれているが、どうしよう。 朝はピザとメロンを食べ、さっき起き抜けにシュークリームを一口食べたが。
こないだ食べたばっかりだけど、また天ぷらが食べたい。 でも今日もまたひとりだし、出かける気にもならない。 さらに揚げ物は、ひとりの時に作る気になれないし…。 こんなとき、白馬に乗った王子様が 「さぁ、天ぷらを食べに行きましょう、セニョリータ」 といって現れてくれたら…あぁ、でも知らない人が苦手…。
◇◆◇
夜は結局、カレー。 でも今度のカレーは、野菜だけしか入れてないのに、大変にうまい。 何が良かったんだろう。カボチャ?
朝からネットがつながらなかった。 以前のように、回線の弱さのようなものが原因だと思って、 明日にはつながるさ、とあきらめ、 でも念のために…と、さっきAirMacのベースステーションをリセットしたら、 あっけなくつながった。 夕方には、メールで送るはずだったデータをMOで渡しに行ったりしたのに…。
昼寝を挟みつつ、仕事をしていた一日だった。 ちょっと寝不足が続いたので、30分だけ…と思ってアラームもセットしたのだが、 気づいたら1時間半も眠っていた。 ちょうどその時だけ晴れていて、いい風も吹いていたし。 寝不足なのは、ここ数日、ダンナが編集で夜中に帰ってくるからだ。 編集して帰ってくると、どうしても頭が冴えて眠れないので、 しばらくチビチビ飲みながら起きていることになる。 しかしつまりはこの1〜2時間と、朝の10分くらいしか会わないので、 私もついついいろんなことをしゃべってしまう。 そう思えば、曲がりなりにも、夫婦の会話というものをしているわけだな。 内容はともかく。
今朝の「内容」…こないだ駅で下半身を白日の下にさらした男の話など。
だいたい今朝は怖い夢を見て、まだ薄暗いうちに泣きながら起きたのだ。 かなり長い間、泣いていたような気がする。汗もいっぱいかいた。 でも泣きながら、「これは何か良くないものを出している涙だ」とわかっていた。 だから、怖かったけど、悲しくはなかった。 起きてみると、あることについての気持ちの「焦げ」みたいなものが、 少し取れていることに気づいた。
朝は、昨日のピザ。マダーボール。 昼は、野菜たっぷりカレー&ばあちゃんのらっきょ(あらためて旨さにうなる)。 夜は、豚肉のにんにく醤油炒め、小松菜おひたし、 もずく、じゃがいも煮っころがし、トマト。 ふと食べたくなって、豚の角煮も簡易バージョンで少量仕込んだ。
キュッと、毒の気配が感じられない人とは付き合いづらい。 漠然といい人っぽい人や、すべてをいいほうにとらえようとしすぎる人など。 毒のない人なんて、そうそういるもんじゃない。 どんな人にも、鉄くさくてドロッと赤い血が流れているように、 おもてには見えていなくても、あるべきところには、あるものだ。 しかし、ちゃんと血抜きをすれば、白い身はプリッとおいしい。 逆に、血抜きのタイミングを逃すと、くさみは全身にまわり、 どうしようもない味になる。 漠然といい人って、つまりは血抜きに失敗した魚みたいな、 食べられないってわけじゃないけど、 全体的にうまみのない人に仕上がっているのではないだろうか。
毒だらけってのも危険だが、それだって慎重に向き合えば、すばらしい味が。
フグはおいしい。
フグの毒は死ぬが、内臓や血にもまた、別のおいしさはある。
やっぱりたちが悪いのは、いい面ばかりを見よう、出そうとして、 その結果、魂のメリハリをなくし、そうとは気づかないまま、 毒を全身にまわしちゃってる人だろう。
◇◆◇
朝はまたもやピザトーストとバナナジュース。 送られてきた、さくらんぼ(上等)。 上等の果物で、特に上等さが効くと思うのは、さくらんぼと桃だ。
果物…いま冷蔵庫に入っているスイカは、今年初のハズレだった。
◇◆◇
なぜか生乾き臭が漂いがちな状況に立たされる星の下に生まれた ダンナのパンツがあるのだが、 今日こそは、その悲しい運命を変えてやらなくては!と思い、 いつもより広いスペースを使って、なるべくお日様のほうを向くように干した。 でも、さっき見たら、風のせいで日陰サイドに回り込んでいたので、 少々情けない気持ちも交えながら、あわてて戻してやる。 パンツよ、もっと胸を張って生きるんだ!
と書いたそばから、また日陰に…。うぅ…。
◇◆◇
昨日に引き続き、いまひとつ食欲がないが、 思いきって台所に立つと、体が勝手に野菜をむいたりしてくれる。 ちょこちょこ残っていたナスやカボチャやにんじんで、カレーのベースを煮る。 動物性のものを何も入れてないのに、すごくいい味が出ていた。 カレーもさぞやうまかろう。 お昼には、豚肉とキャベツ炒め。山芋たんざく。 夜は妹がピザを作るというので、呼ばれるつもり。 ダンナは番組の編集が続いているので、夜はしばらくひとりだ。 手みやげ用に、蒸し鶏とバジルのポテトサラダを作る。 牛乳プリンも作ろうかな。
◇◆◇
ピザ…かなりおいしかった。 いろんな材料を組み合わせて、7種類も作った。 これから季節ごとに「ピザまつり」をしようと話したくらいだ。 妹が作った生地に、私が具を乗せていく。 ごはん食いの妹と、おかず食いの私の連係プレー。 私は料理をするのが好きだが、 パンを焼いたりピザの生地を作ろうとは、あまり思わない。 炭水化物をこねるより、肉や魚や野菜を切ったり焼いたり煮込んだりしたい。 でも妹は炭水化物が大好き。 夜中にパンを焼いて、うっとりしたりしているようだ。 あまりの分業体制に、ハハが「いいコンビだ…」とつぶやいていた。
湿っている。 しかし、湿っているだけ。 雨は降りそうにない。
朝はピザパン。 昨日の情熱大陸でチーズの焼いたのがおいしそうだったので、 チーズをいつもより厚めに切って乗せた。
天気のせいだろうか…ぐーっと心が沈む。 後戻りのできなさなどを、考えてしまったからだろうか。 後戻りしたようにも見える、新しい位置に行くことはできるが、 後戻りそのものはできない。 積極的に後戻りしたいことがあるわけではないのだが、 あぁ、できないんだなぁ、と思ってみた。
◇◆◇
長年、しかもリアルタイムで読み続けてきた本のシリーズが、ついに終わった。 何日か前に、その本の広告を見たとき、そこに付けられていた一文を見て、 「あ、終わるのかも」 と予感がよぎっていったのだが、当たっていた。 そして今日、実際に読み進めながらも、 「このシリーズをずっと読みたい気持ちはあるけど、 もう終わってる気もする。出がらしというか、出切ってる。」 と思っていたら、最後の方で「終わる」との宣言が。やっぱり。 でも、これを書いた人がひと区切りついて、次に何を出してくれるかが楽しみだ。
◇◆◇
いつもは8時半に鳴る、五島からのフェリーの汽笛が、今夜は9時だった。 風が強かったから遅れたのだろう。 ということは、揺れたのだろう。 早く終わってほしいつらい時間のはずなのに、反比例して長かったのだ。
ずいぶん前に、ものすごく揺れる高速船に乗ったことがあって、 その時は、普通の倍くらいの時間がかかった。 酔いたくなかったので、ずっと気を張りつめさせて、 「私は海の女なのだから酔わないのだ」などと、ウソの思い込みを繰り返した。 いちおう、酔わずに済んだ。 その航路は、今はもう廃止されている。 もしあったとしても、行く用事もない。(当時はしばしばあった)
◇◆◇
私が関わった人の中でも、 とりわけ考えていることがよくわからなかったり、 予想をくつがえされたりした人の1人と、言葉を交わす機会があった。 そしたら、またよくわからない言葉を返してきたので、 あはは、この感じこの感じ、と、おかしくて笑った。
◇◆◇
今日はあまり食欲がない。 お昼は昨日の残りのうどんを、鍋焼きうどんにした。 湿気が体を冷やしている気がしたので。 夕方、プリンなどをちょこちょこ食べた。 夜はまだ(いま9時半)食べてない。 1人だし、本を読んだばっかりだし、あまり食べる気がしない。
いま食べたいもの…強いていうならば「たに川」のおにぎり。 「ごぼうきんぴら」と「葉唐辛子」。
3時ごろまで本を読んでしまったが、9時には目が覚めた。 起きたら、冷たい湿気。 でもじゅうたんは乾いていた。よかったよかった。
昨日はギョウザを作ろうとしたら、あると思っていたキャベツがなかった。 「鶏とピーマン炒め」のピーマンは買い忘れ、ギョウザのキャベツは無く…。 でも鶏はナス炒めにしておいしかったし、 ギョウザもネギをどっさり入れて、これまたおいしかったのでいいのだ。 臨機応変だ。
ゆで鶏を作っているので、朝はそのスープで鶏がゆを作ろう。
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長崎では、そこの仕事をわりとよく見かける、デザイン会社がある。 「そこのだ」って言われると「あぁ、そうだろうな」って思うような。 でも私はそこのデザインがあまり好きではない。 デザインとしては、私が好きでもおかしくないのに、好きではない。 悪くは、ない。 でもなんか違うのだ。 どうして違うんだろう…?と考えて、たぶんこれだな、っていうのは、 それぞれのデザインを心底「好き」でやってない気配がするということ。 「うまく今風を取り入れる」ことを第一にしている感じなのだ。 さらに「長崎だったら、この程度で喜ぶだろ。ネタ元も知らないだろうし」 っていう匂いもする。 もちろん商売なので「好き」だけじゃダメだし、今風を取り入れるのも大事だ。 でも、いちばん奥底に持ってなくちゃいけないものが、どうも違っている様子。 このことは、そこがデザインしたある本が、 思いっきり「あの雑誌(ちょっとマニアックな)のパクリだな」 って気づいちゃったことと、そのパクリ方に、 なんというか「必要な恥じらい」のようなものが感じられなかったことで、 「あ、なんかイヤだったのは、このへんか」とわかった。 さらにこないだ、はからずもそこの人に会うことがあって、 その、いかにも「ぼくちんクリエイティブ系でござい」っていういでたちから、 ははーん、と確信したのだった。
ダラダラと書いちゃったけど、ひとことで言うならば、 「いろんなこと、バカにしてるでしょ。」 ってことだ。 その人にとっての、その人自身のことも含めて。 「こころざしが低い」 と言いかえてもいい。
そして…人の振り見て、我が振り直せ、なので、気をひきしめて行こう。
◇◆◇
お昼は安くておいしい天ぷら屋さんへ。 おいしく食べていたら、天かすをくださるという。うれしい。
新しいフライパンを購入。 前のはテフロンがくたびれてきていて、そろそろだな…と思っていたら、 昨日のギョウザが焦げついて、フライパン購入欲が爆発したのだ。 今までのより、一回り大きく、上等なのを買った。
夜は生の讃岐うどん麺を買って、おろしうどんに。 もちろん天かすてんこ盛りで! フライパンを使ってみたかったので、タチウオを焼く。 宇野千代さんの料理の本に載っていた、 簡単なレモンバターソースがおいしかった。
そうそう、ちょっとアミュに寄ったら、ちょうどかもめ広場で松千が唄っていた。 生で見たのは初めてだったが、すごい声だった。ドラマの主題歌などに合うと思う。
人は見た目によらないとはよく言われることだが、 根拠があろうとなかろうと、私自身は、 私にとっての「その人」を、最初に見た一瞬で判断する。 その人がどんな仕事をしてて、肩書きを持ってて、お金を持ってて、 などは関係なく、どちらかといえば、 「動物的に、上か、下か、同じくらいか、 避けてた方がいいか、付き合うか、どう付き合っていくか」 というのが、皮膚感覚として一瞬で決まる。犬猫みたい。 これは自分の意思とは関係ない。 (たぶんだれでも動物だから、本来はみんなそうなんじゃないかと思うのだが。) さらにその判断が「間違いだった」と思ったことは一度もない。 さほど強い印象を持ってなかった人と、思いがけず、 関係が強くなったり深くなったり続いたりということは時々あるが。
昨日の夜は、知らない人がたくさんいる集まりに参加したので、 そういう自分の習性を、あらためて思い出した。 自分から知らない人には、絶望的に声を掛けることができないという習性も。 「あとひとこと出せば、もうすこし話が弾むのに出せない」加減も思い知らされた。
でも久しぶりに大人数の飲み会を目の前にして、 大人数の飲み会ならではの時間の経ちかたや、音量の上がりかた、 酔っぱらった人が移動したり腰を落ち着けたりする様子を味わった。
◇◆◇
仏教の本を読んで寝たら、出家する夢を見た。 でもあんまり今の生活と変わったところはなくて、気が抜けた。
◇◆◇
お昼から、もらったチケットで劇を見に行ったが、 その直前にうどんといなりを食べて、ほどよくお腹いっぱいだったのと、 なんかちょっと疲れていたこと、静かな劇だったことが災いし、 幕が開いて10分ほどで気を失っていた。 一幕目が終わるときの拍手で目が覚めた。 うーむ、二幕目だけ見るのもどうか…と、いさぎよく(?)出る。 結果的にはうどんを食べに行っただけだった。
本屋に行って、買い物して帰る。 鶏とピーマンの炒めたのが食べたかったのに、ピーマンを買い忘れた。 ゆで茂木エビ、鶏とナス炒め、ギョウザの予定。中華気分だ。
朝からYMO気分。 このところ、さほど音楽は聴いていなかったが、 ライブ・ベストを聴きながら、ホットケーキを食べる。 今日は作業に打ち込もう。 これで何がどうなるかなんてわかりもしないけど、 これをやることしか考えつかないし、幸い時間もあるのでやりとげよう。
本を読むこともそうだが、このところ、なにかを最後までできることが多い。 買った野菜を食べきるとか、作業を終わらせるとか、 逆に、ネットをダラダラ見ないとか、些細なことなんだけど。 やらないならやらないまま、自分の気持ちはいささか後ろめたくなるけど、 人に言わないならそれでうやむやにできていたようなこと。 自分でも、やれなかったことを忘れてしまうようなこと。
でもそれをやるかやらないかは、きっとじわじわと効いてくるはずだ。
◇◆◇
お昼は、昨日のアジを酢魚にしたもの、とろろごはんなどで、 またもや健康的に。夜が飲み会料理なので、ちょうどいいだろう。
懸案事項であった「じゅうたんを洗う」も、遂行。 「梅雨の晴れ間に」と思っていたら、どうもずっとそうみたいなので、 思いきってやってみた。すっきりした。
朝5時、もぎくんの空腹に起こされる。 しばらく寝付けないので本を読み、また眠る。 もぎくんに起こされる前には、ボガンボのライブの夢を見ていた。 生きているときには見たことのないどんとを、 夢でリアルに見るのは、これで何度目だろう。 いつも近くで見ることができる。 今日もステージかぶりつきだった。 ナマの夢。 ありがたいことだ。
もういちど起きて、バナナラッシーとおいもパン。小さなドーナツ。
◇◆◇
お昼はハハと、時間が止まったような、でも見晴らしのいいお店で、 ハンバーグとエビフライのランチ。コテコテの懐かしい味だった。 その後、妹と会い、あれこれ話す。 アフタヌーンティの喫茶店(カフェっていうのかな)は、 入る前は、なんか、長崎弁でいうところの「きゃーぶり」かと思ってたけど、 そうでもなくて、感じもよくて、でも、最終的には、 たとえば「アフタヌーンティさん」と飲みながら話すと、 根本的なところですごく違和感を感じたまま別れそうなんだけど、 まぁそんなに深く付き合うわけでもないし、と思いつつ、 「アフタヌーンティって、入ってみたら思ってたより好きだ」って言ったら、 そういえば妹は大学の時に福岡のアフタヌーンティでバイトしてたのだが、 「あなたはこのお店を愛せてないでしょう?」みたいなことを言われたという。 猛烈に腑に落ちた。 そういうことをすごく言いそう。違和感のありか、突き止めたり。
◇◆◇
夕方、いつもの気楽な美容室で髪を切る。 気楽だけど、ちゃんとスタイリングの仕方などを教えてくれる。 (真の意味で実践的に。) そんなお兄ちゃんの今日の名言は、 「夜シャンプーすることが多いので、朝からイマイチ決まらない」 に対する答え。 「いま『乾いた』って思ってる状態より、 もう一段階よく乾かせば、それはかなり改善される」という、 真っ当なアドバイスに加えられた、ひとこと。
「それか、乾くまで起きててください」
さらに、ワックスのつけかたを教えてもらっているときに、 鏡の中の自分があまりにも「実験に失敗した志村けん」みたいだったので、 「ドリフみたいですね…」と笑ったら、真顔で
「そう、ドリフみたいにやってください」
とても勉強になった。がんばってみます。ドリフで。
◇◆◇
さて、ごはんでも炊こう。 今日は地味に、アジの塩焼き。
ダンナが急に飲み会へ。 ますます地味に、ひとりでアジの塩焼き&刺身などを食べる。 健康的な食事の見本のようなごはんだった。
2005年06月22日(水) |
大丈夫か…いや、それは。 |
今日は一日出ずっぱりで、いろんな資料館などを見てまわった。 ひとことで言えば… 長崎、大丈夫か、大丈夫じゃないかも。 というところ。
夜は久しぶりに行く焼鳥屋さんで、初孫のかわいさなどを聞く。 ふだんあまり口数が多いわけではないご夫婦なだけに、 なるほど、こりゃ想像を絶するものが…と、わかった。
それにしても今朝ダンナが食べたカレーパンの空洞加減はすごかった。 「一口香じゃなかとぞ!って日記に書いとって」 と言われたので書いておく。 ポンパドールの海軍さんのカレーパンだった。
焼き鳥を食べて家に帰って、お風呂に入ったら思ったより熱くて、 とにかくのどが渇いてしまい、黙々とスイカを食べた。 味が、というより、渇きが収まって気が済んだ、というおいしさだった。
キューピーマヨネーズの絞り口は、 いつから星形じゃなくなったんだろう? などと思いながら、アボカドと生ハムとチーズのサンドイッチを作る。 今の絞り口から出てくる形状って、ちょっと寂しい。 マヨネーズを使うときの、楽しいような若いような気持ちが半減してしまう。 他のマヨネーズは星形なのかな。 でもうちのマヨネーズはずっとキューピーだったから、 こればっかりはキューピーじゃないと、マヨネーズを食べた気がしないのだ。 他の調味料は有機野菜がどうのこうのとか、無添加とか、 そういうものを選んでるけど、マヨネーズだけはダメだった。 同じキューピーでも、ハーフじゃダメ。ノーマルキューピーじゃないと。
今日は夏至だ。
◇◆◇
ここ数冊、本をちゃんと最後まで読んでいるので達成感がある。 しばらく、つまみ読みや尻切れトンボが続いていたので。 昨日の夜読み出したものなどは、半分くらい読んで寝ようと思っていたが、 あんまり面白かったので全部読んでしまった。 内容も面白かったが、 今の自分に、一冊の本を一気に読むだけの勢いがあったのが嬉しかった。
◇◆◇
昨日の夜、テレビでチラリと見たローストビーフが、たまらなくおいしそうで、 自分で作ろうと思ってお肉を探したけど、いまひとつピンと来ず、 そういえば妹がおいしかったと言っていた、築町のお肉屋さんのを買ってみた。 一瞬、私にとってはオオッという値段だったが、 どうしても食べたくて、「焼き肉屋に行ったと思えば安い」とか、 いろいろ自分に言い聞かせて買ってしまった。 とてもおいしかったので、後悔はしなかった。よかったよかった。
つけあわせに、ナスとピーマンとエリンギとトウモロコシを網で焼く。 オリーブオイルをちょっと塗って。 その網で、一瞬だけ、切り分けたローストビーフをあぶったのは正解だった。 あとは、コールスローとトマト。 そう!コールスローを作るとき、マヨネーズの新しいのを出そうとしたら、 なんと、星形の絞り口があるのを発見した! そこへさらに、もうひとつ、細く絞り出すキャップがついているのだ。 ズドーンと、日本人の過剰な細かさのようなものを見た気になって沈む。
昨日の夜といえば、10時半ごろ、港で花火が上がっていた。 なんだったんだろう?
今日はベランダの百合の花が咲いて、蝉もどこかで鳴いていた。
5時ごろ、もぎくんのうんこに起こされる。 もともと夢見が悪かったので、そのまま寝つけず苦しむ。 妙な汗などかいたりして、しばらくうなりながらゴロゴロする。 昨日、濃いものを食べすぎたからかも。 昼は「かつ吉」のミックスかつ定食(ヒレカツ、エビフライ、メンチカツ)で、 夜はブタニラナスキムチ炒めを作ったのだった。 ブタニラナスキムチイタメ…なんだか呪文みたいだ。 ニンニクとショウガを効かせたとはいえ、わりと薄味に仕上げたし、 玄米やアボカド刺身やカボチャの炊いたのも一緒に食べたのになぁ。 味噌汁は長ネギと薄揚げにした。 しかし体に対する濃い薄いは、さまざまな条件によって変わるから、 昨日の私には、濃かったんだろう。
雨がちっとも降らない。 「晴れているうちに」と思って洗濯をしていたら、 このところほとんど毎日洗濯している。今日もするつもり。シーツなど。
夢にも現れていたが、 自分が自分にかける、ある部分のプレッシャーが増加している。 必要な強迫観念とでも言うべきか。 これをうまくエネルギーに変えてやっていくのだ。
◇◆◇
スプリンクラーの点検が夕方あるというので、掃除する。 気にしだしたらきりがないので、あきらめも肝心だ。 お昼は簡単にスパゲティ。アボカド、生カラスミ、タプナードで。
◇◆◇
強迫観念がエネルギーに変わったのか、 今日終われればいいな、と思っていた作業が、なんとあっさり終わった。 これでまた次の段階へ行ける。 これからが長いが、ひとつクリアーできて、勢いは付いた。
◇◆◇
夜は麻婆豆腐ナス。 どっちも入ってるのがミソだが、今朝のテレビでやってておいしそうだったので。 トマト玉子炒めも作り、中国のおうちごはんという趣に。
朝ごはんをあまり食べすぎると、昼ごはんが入らない。 当然と言えば言えるが、この前にこりたので、軽くトウモロコシとスイカ。 トウモロコシはゆがいて網で焼く。 醤油の焦げるにおいが、またまた出店臭を醸し出す。 トウモロコシと、スイカ。 縁日と、縁側。
掛け布団のカバーを洗う。もう使わないだろうから、晴れのうちに。
いま重曹を使った掃除に凝っていて、 特に水回りのものに対する効き目には、しみじみ見入ってしまう。 これからの季節、除湿・防臭剤としても使えるらしいということで、 ネットで10キロも注文した。ホームセンターなどを探してまわったけど、 キッチン用の小さなものしかなかったので。 みんなが重曹の良さに気づいてしまったら、洗剤は売れなくなるだろう。 あの、用途別に細分化された洗剤たちは…。
2005年06月18日(土) |
あえて言うなら希望、か。 |
ネットラジオのレゲエをかけながら、 ホットケーキを焼いて食べる、天気もぼんやりとした朝。 ハハが作ったいちごジャムとマーマレード。 いちごジャムに、マーマレード用の甘夏がひとスライスまぎれこんでいた。 たぶん、同時に作ったときに入っちゃったんだろう。 赤く染まった、ほろにが甘い、薄い物体。
午後は、ちょっと離れた町にひとりででかける。 お昼はなにを食べようかな。
昨日の夜は、買い物をして、ダンナと帰ろうかと思ったら、 案の定(なんとなく予感がしていた)、一杯飲みに行くことに。 豚バラとナスビと玉子を持ったまま。 何人かでサラリと飲んで、いい感じだった。 いまは離れているけれど、 昔は一緒の職場にいた人たちが集まっていたのもおもしろかった。 懐かしい…とも、ちょっと違う、でも、懐かしいという言葉が近い空気。 衣替えをしているときに、 「去年はなんとなく出さなかったけど、今年はまた着てみようかな」って、 2年分タンスくさくなっちゃってる服に袖を通したような気分だった。
でも、よく考えたら、昨日そのテーブルにいた人たちとは、 もう10年近い付き合いになる。 それぞれが10年前とは(たとえば家族構成とか)ぜんぜん違うとも言えるけど、 だれも変わっちゃいなかった。 新たな出来事や身辺の変化の話も聞いたし、私も話したけど、 でも、だれも、その人であることには変わりがなかった。 それはあえて言うならば、希望…というような感触だった。 なにがあっても、息も絶え絶えになっても、 それらが、そっと世界に散らばっていることが救いになりそうな。
◇◆◇
お昼は「拓どん」の「お楽しみうどん」とおにぎり1コ。 「お楽しみうどん」は、つまり「肉天ぷら月見わかめうどん」ってことで、 かなり節操がないとも言えるが、おいしいのでいいや。
小國雅香さんのコンサートへ。 久しぶりにあの、気づいたら息を止めて見てしまっている正確さというか、 ヒョウとかチーターが獲物に向かって走っていく時のような指づかいを目にする。 でも、1時間のステージの間中、 複数のなにものかがフラッシュを光らせていたので、 パチンコがあったらやっつけるのに、とか、いやいや、それじゃ当たらない、 エアライフルがあれば高校の時やってたからちゃんと当てられる、とか、 でもあの玉が目に当たったら失明しちゃうからな、とか、 いろいろとよからぬ雑念がわきでてしまって集中できなかった。 帰りに受付の人から「お疲れさまでしたー」って言われたのも、 よくわかんなかった。きゃ、客なんですけど…。
実家に寄って、お茶を飲んで帰る。 スイカとカボチャをもらった。西瓜と南瓜、だ。
◇◆◇
大好きな「銀座24時」ものの番組をビデオに録ろうと思ったが、 オープニングを見てしまい、そのまま最後まで見はまる。 「自分を美しく見せる努力を惜しまない」 「人との会話が仕事」「マメに電話」「人間関係複雑」など、 私が持っていないものや、ものすごく苦手なものを駆使して、 バチバチに日々を生きている彼女&彼らの姿に、とてもひきつけられる。 私が持っているもので、唯一使えそうなのは「酒が飲める」ということだけだ。 でもそう思っている人ほど、自分の肝臓能力を過信してダメになるということも、 これまで何本も、この手の番組を見てきたのでわかっている。 ということで、ぜんぜんダメだ。 それ以前に、ムカついたら顔に出るので、まったくダメだ。
時に拍手をしながら番組を見たあと、お好み焼きを作る。 天かすと紅ショウガを入れたので、出店みたいな香りが立ちこめた。
ホットケーキ、うどん、お好み焼き。 今日は粉ものばっかりだった。
ドリームジャンボは見事に300円オンリーだった。 薄くて硬めの紙を丸めたもので遊ぶのが好きなもぎくん。 ハズレくじをキュッと丸めて投げると、喜んで追いかけていった。 1コ300円の紙玉だ。贅沢だね〜、大将っ!
昨日の夜はダンナが遅かったので、実家でごはんを食べる。 ポルトガル旅行帰りのハハと妹が、 名古屋のセントレア空港で買ったちらし寿司なんていう、微妙なものなど。 どこかで見た「金のシャチホコ物語」に感動したといって、 妹は小さなシャチホコのレプリカを買ってきていた…。 デザートは伊勢の赤福とポルトガルのお菓子とか、これまた折衷な感じ。 全体的によくわからないメニューだったが、 ポルトガルのみやげ話など聞けておもしろかった。 ツアー客の名古屋のおばさんが、自分のバスに乗り遅れているだけなのに、 「あら、このバス、日本人が乗っているわ」と、優雅に手をふって見送った話など。
今日は晴れマークだったが、梅雨のお約束で、うすぐもり。
カーン(ドイツのゴールキーパー)好きな妹が、 ドイツの空港かどっかで、 カーンのチームの写真がプリントされたマグカップを購入してきていた。 (カーンが真ん中にいるにはいるが、全員並んでいるので心霊写真並みの写り) 「もっとグッズがあると思ったのに。下敷きとか」と言うので、 「ドイツ人が『カーン下敷き』とか『カーン定規』とか、 いかにも長く使えなさそうなものを作るとは思えない。」 と言ったら納得していた。発想すらしないと思う。
ダンナが職場で「タコにやられたんだって?」と、 この日記を読んだか又聞きした人から指摘されたらしい(6月11日参照)。 因果な妻を持ったものよのう…。
◇◆◇
昨日の夜、ダンナが又借りした(又聞きとか又借りとか…又つづき)、 走り屋のアニメ「イニシャルD」をなぜか見てしまう。 いろいろ突っ込みどころはあったが、 私自身、車の運転は好きだし、バイクも乗るし、 「ちょっとやってみたいこと」のひとつに、 「NSR50でガンガン飛ばす。カーブは膝小僧ベタ付け」というのが、 この年になってもなおあったりするので、 (NSR50…レーサーレプリカの小さなバイク。私が大学生のころ流行った。 250のNSRは「走る棺桶」と呼ばれていて、ある年から馬力が制限された) おもしろく見入った。中でも、相手のチームのリーダーの、 「どんなに天性のものを持ってるヤツでも、 毎日走り込んでるヤツの努力をくつがえすことは難しい。 少なくともオレはそんなもの一度だって見たことはなかった。」 というセリフにしびれた。 ますます毎日を毎日、注意深く見つめていこうと思った。
それにしても、ものすごい公道バトルの勝敗を決めたのが、 一瞬、ライバルの前を横切ったイタチだったというのは、オチとしてどうよ。 「動物注意」? それとも「人だけでは決まらないものがある」という深い教えが…?
ドリームジャンボが当たっていた。さっそくハワイ旅行を予約。 …なんて書いてみたいもんだが、そういえばまだ調べてなかった。 最近は宝くじをぜんぜん買ってなかったのだが、 発売終了まぎわのある日、もぎくんのウンコが手に付くという事件が発生し、 「ウンコ=黄金」理論を擁する私としては、 ついバラを10枚買ってしまったのだ。 あいかわらず、どうしても連番を買う気になれない。
朝はベーコンチーズオムレツ乗せのトースト、バナナジュース、とうもろこし。 とうもろこしは昨日も食べた。 らっきょを買おうと思って市場を歩いていたら、 3本100円のブリブリしたものを勧められ、つい100円出してしまった。 少なめのお湯でゆで蒸し。甘い。おいしい。 昨日の夜と朝とで、もう1本半食べた。 残りは網で焼いて醤油を塗ってあぶったりしちゃおうかな。
昨日の夜は、羽根アリが部屋に入ってきていた。 小さいころに住んでいた家には、年に一度、 やたらと羽根アリが入ってくる日があったような記憶がある。 「今年も来た〜」って思っていた。 そういえばネズミもいたあの家…。当時すでに80年とかなんとか言ってた。 つまりは、たとえば今、取材先の建物に「築百年ですか!」と驚いたところで、 そういや自分が住んでたじゃん、ということなのだ。
子どものころの「自分のまわりの世界が肌レベルで当然な感じ」には、 いろんな意味で大きな力がある。 しかもそれは、無意識にやっちゃう、言っちゃう部分に、 かなりの影響を与えてしまう。いいことばっかりでも、ぜんぜんない。 ぜんぜんないし、消すのも難しいけど、ちゃんととらえなおして、 わかった上で考えたり動いたりすれば、 より世界の面白さや素晴らしさに気づける。
私が長崎について考えたり書いたりすることが多いのは、 長崎が好きだからというわけでは、根本的には、ない。 いちばん近いのは、長崎で育っちゃったから、だ。 子どものころの無防備の肌に飛び込み、しみついた長崎と、 ああだこうだ歩いたり考えたりするようになってからの長崎を、 行ったり来たりしながら書けるからだ。 だから私は長崎マニアなんかじゃない。 歴史の裏話とか、路地裏の豆知識とか、 普通の「34歳、主婦」よりは知ってるかもしれないけど、 それは魚屋をやるに当たって、イサキとアジの見分けがつくというようなもの。 特にそういう小ネタを頭の中に増やすことが好きでもないし、 別に長崎じゃなくてもいいのだ。 でも長崎で育ったし、いろんなことを考えるきっかけになるものが、 幸か不幸か、この町にはゴロゴロしている。 日本語で育ったから日本語で書いているように、長崎のことを考えているだけだ。
…って、書きながら、どうしてこんなことを熱く語ってるんだろうと、謎。
◇◆◇
お昼はハルビンでレバースパゲティを食べようかと思ったが、 ひとりならカウンターと言われ、やめた。 いつもはカウンターで食べることにたいした抵抗はないんだけど、 今日は床に足をつけてゆっくり食べたかったし、 ちょっと見たらテーブル席がたくさん空いていたので、 なんか歓迎されてない気になってしまい、やめた。 もう時間もずれていたから、 あれだけのテーブルを埋める人々が来るとも思えないのになぁ。 目の前の一人客より、まだ見ぬグループ客が大事なんだ…といじける。 そしてまた1段階、ハルビンが好きじゃなくなるのだった。
けっきょく一度行ったことのあるソバ屋に入る。 天ざるにしようと思っていたが、ぎゅーぎゅー詰めのカウンターで、 長居もしたくなく、しかし出るわけにも行かなかったので、 つつましくざるそばにした。 おじさんは、ちょっとおしゃべりさん。 私ともなにかしゃべりたそうにしていたが、私は食べることに集中したかったし、 その時は誰ともなにもしゃべりたくなかったので、目を合わせないようにした。 よりによっておじさんの目の前の席だったが。 そばはおいしかった。 薬味として付いていた天かすが、つゆに入れてもなおカリッとしていて、 これに大根おろしもたっぷり入れて、おろしそばみたいにして食べた。 初めはわさびとつゆだけで食べていて、それだけで一枚食べたい勢いだった。 しかも「即席おろしそば」がおいしかったので、 大ざるにすればよかったと大後悔。 そば湯も別立てで、濃くていい感じだった。 でも、そば湯を飲んでいる間も、「しゃべりたい視線」を何度か感じた。 今度はなるべく隅っこの席に座って、大ざるにしよう。
そば屋はホント、難しい。 ちゃんとおいしくて、おしゃべりじゃなくて、押しつけがましくもなくて、 うんちくもたれることなく、打ってるオッサンの脱サラ人生なんて感じさせず、 ゆっくり食べさせてくれるそば屋に私はなり…たいわけじゃなくて、 食べに行きたいのだった。
2005年06月15日(水) |
いいことであればあるほど |
また夜ふかし。 2時まで仕事して、シャワーを浴びて、3時半まで本を読んだ。 でも9時過ぎに目覚める。 日々あたためなおし続けたスープに、ついにカレーを投入。 今回も、う、うまそう…。
昨日の夜はおろしハンバーグを作った。 レタスの粗い千切りをたくさん敷いた上に、 ハンバーグとおろしだれを乗せて、 レタスも一緒に食べるのがポイントだった。すばらしかった。 ゆでたジャガイモとズッキーニをオリーブオイルでじっくり焼いて、 塩とコショウをパラリとしただけのもよかった。
晴れているので洗濯。
◇◆◇
入試の問題に「ひめゆりの話が退屈」っていう「部分」があったので、 その問題を出した学校の人が沖縄まで謝りに行ったというニュースに、 なんだか釈然としないものを感じていたのだが、 さっきその「部分」を含んだ「全」文を読んで、すっきりした。 (ネットでちょっと探せば出てきます)
平和…というより、平和運動、ひいては 「人がちょっとやそっとじゃ口を挟むことが許されないような『いいこと』」 をやっていく場合に、それをする側の人が気をつけなくてはいけないことが、 今回の騒動には現れている。
自分が「これはいいことだ」と思うことをやるときほど、 客観的に見つめる目をどこかに持っていなくては。
時々かみしめる、 「地獄への道は善意で敷き詰められている」 というすばらしい格言が、またよぎる。
◇◆◇
さっき、なんとはなしに読み始めた本に、 今日、ひめゆり退屈問題で考えたようなことが、 まったくもってストライクに書かれていて、おぉ!と驚く。 やっぱりそうだよなー。
◇◆◇
昼ごはんはダンナが休みだったので、ちょっと気になっていたお店へ。 でも店の外観からして「期待しちゃダメだ」とわかったが、 一度は行こうと思っていたので入った。 地鶏を焼いて食べるというのがメインの店のはずなんだが、 とにかくメニューがとっちらかっていた。 地鶏焼と唐揚げとおにぎりなどがセットになったのを頼んだが、 なぜか魚の刺身がついてきたりする。ダンナは親子丼。 にぎり寿司とセットになったのもある。普通の天ぷらもあれば、ラーメンもある。 次は炭焼きものやおにぎりなど、食べたいものだけを単品で頼むべきだね、 と語り合ってはみたが、次はもうないだろう。 民芸調の店内に延々とかかっているのがオールディーズってのも、なんだか。 別に「与作」をかけろとは言わないけど…。
で、なにがいちばんおいしかったかというと、 セットに付いてきた刺身だったりして。地鶏屋なのに。
夜はわが家のおいしいカレー。
そしてらっきょを1キロ漬けてみた。
いつもはほっといても8時半ごろ目が覚めるが、 今日は起きたら9時半過ぎていた。 たしか3時ごろまで本を読んでいたような気がする。
明日〆切の仕事を、今日これからがんばってやろう。 昼までにやろうと思っていることが仕上がったら、 なにか食べに行って、原稿に使う本を買って帰ろう。
朝はバナナラッシーを作った。 いつも入れるカルダモンを入れ忘れて、ちょっと間抜け。 カルダモンが大好き。
ダンナが昨日、 「もぎくんと同じか、それよりも大きいかもしれない、立派で、顔もいい猫」 を近所で見たらしい。 それを聞いた時に、自分の中でとっさにわき起こった、 「そんなことがあるはずがない。もぎくんよりも立派な猫がいるわけがない」 という感情の反射が、えらくおかしかった。親バカ純度100%。 冷静になってからも、 「それはアメリカンショートヘアが混じっているに違いない。だから立派なんだ」 とか、ブツブツ言ったりした。
近所といえば、何日か前に、近所の床屋さんにお客がいた。 その床屋さんには、いつもお客がいない。 いないというよりも、お客を見たことがなかった。 「お客がいない…」と意識して見るようになってから、すでに3年は経つ。 バイクで通りすがるときに「あっ!お客がいたっ!」って私が言ったら、 貴重な光景を目に焼き付けようと、ダンナはわざわざUターンした。 嘘じゃなかった。カットのようだ。 いつもつまらなそうにテレビを見ている床屋のおじさんが、 嬉しそうにハサミをあやつっていた。
◇◆◇
紅灯記でランチ。 黒板に、大好きな「鶏の唐揚げ薬味ソースかけ」の文字があったので、 嬉々として入ったら、なんと品切れだった。 汁に浸かった麺を食べたい気分ではなかったし、 中華丼は先週食べたし…ということで、初めて焼きビーフンを注文した。 ケガの功名、不幸中の幸い…すごーくおいしかった。
帰りのバスの中から、床屋のおじさんが耳をほじっているのが見えた。 今日はいつも通り、お客はいなかった。
いま読んでいる本に、 あまりにも自分の気持ちや思いが…時として一字一句たがわず書いてあるので、 いちいちグーッと沈み込んだりうわついたりして、読み進めるのが大変だ。
ひょんなものごとや気持ちが、 どこかでつながっているというのは驚くほどで、 風呂掃除を徹底してやりたくなることと、 ずるずる持ち続けていた想いの澱のようなものが薄れていくのが同時なのは、 ぜんぜん不思議なことじゃない。 そしてその2つを引き起こしたのは、また途方もなく別の何かだったり、 たったひとかけらのチョコレートだったりする。 でもそのチョコレートのことを、そんなふうに受け取ってしまうのは、 何年も前のある出来事に由来していたり…と、もう、なにがなにやら。
いちばん強い人が、いちばんさびしい。 いちばんさびしい人だけが、いちばん強くなれる。 強くなればなるほどさびしさは深まり、 さびしさが深まるほど、強さは増す。 それは、1から10まで強かったりさびしかったりというわけではなく、 「この面では、Aさんがいちばん強くてさびしいが、 また別の面では、AさんのそばにいるBさんが、いちばん強くてさびしい」 というような成り立ちだろうと思う。 でも、1から10までの、2と5と7の面はBさんが強いけど、 残りはぜんぶAさんだ、ということで、便宜上、 Aさんが「強い人」とみなされる…というのが世の中の大筋だ。
◇◆◇
朝は、昨日作っておいしかった、ベーコンとチーズ入りのオムレツ。 夜の残りのジャガイモも入れてみた。そして、スープとパン。
◇◆◇
ラッピングにものすごい時間がかかる、 フランスの古いものを置いていたりする雑貨屋さんがある。 どれくらい時間がかかるかというと、 妹に買ったピアスを、ちょっとかわいく詰めるだけで10分、という感じ。
ダンナがキーホルダーをほしいらしい。 その店にはフランスの蚤の市で仕入れたという、 何十年か前の、車や車用品やお酒のメーカーのおまけのものが並んでいる。 それを思い出して、一緒に行ってみた。 予想以上に悩んでいるので、どうしたのかと聞いてみたら、 いいと思うものが、ことごとく高いらしい。 私が見たのは、せいぜい1コ1000円くらいのものだったのだが、 ダンナがどうやらいちばん気に入ったのは、 タイヤかオイルだかのメーカーのマスコットのもので、 なんと8000円もした。 次に好きなのは4000円だった。 よりによって…。500円のとかもあるのに…。 ほかに「値段」と「好き」がうまく釣り合うものはないのかと探させたが、 どうもしっくり来ないらしい。 さらに、 「デザインは好きだけど、 自分の車やバイクやパーツのメーカーとの一貫性が保てない」 というような理由(想像だけど)で、やめたものもあったようだ。 「よく調べてから…ブツブツ…」とか言って。 女子のあれこれもめんどくさいけど、男子の道も大変だ。
◇◆◇
梅雨の晴れ間と空気の乾き具合がもったいなく思え、 (ばーちゃんはよく「太陽ば遊ばせとったらいかん」などと洗濯したりする) 2時間も風呂掃除をした。見て見ぬふりをしていたカビなどをやっつける。 そしたらギュンギュンお腹が減ってきて、 昨日の残りものを、いわゆる「ワンプレート」ってやつに仕立てて、 目玉焼きものっけて、ガーッとかきこんだ。 私はあまり、ワンプレートや丼ものを好んでは食べない。 天ぷら定食は好きだけど、天丼にさほど魅力は感じない。 でも、黙々と体を動かして減ったお腹には、 ごはんの上におかずが乗ってることが、すごく魅力的だとわかった。 狂おしいほどの気持ちで、ワンプレートにした。 ごはんとおかずをちょこちょこ分けて食べるなんて、考えられなかった。
いま、6月12日、0時1分。 やはり1分でも過ぎると、日記エディタは真っ白になっている。 昨日はあれだけ長々と書いたのに、真っ白になっている。 毎日毎日、新しいことができる。 もっといろんなことがわからなくなりたい。 わかればわかるほどわからなくなりたい。
◇◆◇
いろんな果物が、フレッシュなまま食べ切るにはちょっと多いくらいあったので、 (甘いものも果物も、そんなにワシワシと食べる方ではない) チェリーを赤ワイン風味で炊いて、ビワをハチミツ味のシロップ漬けにしてみた。 チェリーは明日の朝、パイにする。冷凍パイ生地だけど。 真っ赤な汁は、ヨーグルトに混ぜるつもり。 ビワは、ビワゼリーにしよう。 ほのかなカルダモンが吉と出るか、凶と出るか。
鶏肉や牛肉やハムや野菜も、なんだか中途半端に余っていたので、スープを作った。 最後はまた、カレーになってゆくのだろうな。
朝は、スープとチーズとパンと目玉焼きとヨーグルトとパイとコーヒーと… お昼を食べなくていいくらい、朝ごはん!にしよう。
いま、0時12分。顔を洗って本を読もう。
◇◆◇
ネットのモデムのお取り替えをした。心なしか早くなった気もする。 つながるようにはなっていたので、取り替えなくても良かったんだろうけど、 もう来ちゃったので取り替えた。 宅急便のお兄さんに連れられていくモデムくん。ありがとう。さようなら。
昨夜の↑予言通り、たんまり朝ごはんを食べたら眠くなって、 起きたら昼過ぎだった。そしてお腹は減ってないが、 でも夕方まで持つかどうか…という、微妙な腹具合。なんだかなぁ。
チェリーパイは、ちょっと焦げたけど、かなりおいしかった。
◇◆◇
2人乗りバイクで、また、ビワロードを走る。 ヘビを2匹見た。
夜はタプナードごはん、ポークソテートマトソース、スープ、 鶏とキュウリのサラダ、ゆでじゃが、鶏レバーの炊いたの、トマト。 トマトがやけに安かった。夏なんだなぁ。
静かな雨。 そういえば雨の日って好きだったな、と思い出す。
外国語で書かれて日本語に翻訳された本を、 わりと生理的な理由で読まずにやってきた。 しかし最近読んでいるのは、気づいてみたら、翻訳されたものばっかりだ。 このことに、ホントにさっき気づいた。びっくりした。 別に日本のものだからいいとかダメだとか、そういうんじゃない。もちろん。 いま現在、アタマや心や身体が必要としている、 文章から取れる栄養のようなものが、たまたま外国産のもの、 外国の人が書いたものだったというだけなのだ。
ただどうしても翻訳された文章というのは、読むにあたって、 どうしようもない疲れが生まれる。 煮込んだり、よく焼いた料理ばかりを食べているような。 だから時々、刺身や酢の物として、日本人が書いた本を合間に読んだりする。 これがまたどうしようもなく、スッと入ってくる。 あぁ、いいなー、これこれ、しみるー、と思いつつ、 やはり今はまた、煮込みを食べに戻るのだった。
◇◆◇
こないだ、緑がかったヘンな色に染めたはずの髪だが、 どんどん黄色の要素が威張ってきてしまい、 たまに会う人からは驚かれたりしてしまう。ヤンキーとかサーファーとか。 自分は毎日見ているので、よくわからない。 黒いときもあれば茶色いときもあるさ、という程度。 飽きたら、またどうにかするだろう。
◇◆◇
昨日の夜は父とごはんを食べた。 父は障害者の授産施設の仕事をする人だ。 さいきん新しい施設ができ、そこでは「長」のつく偉いポストに就いたらしいが、 偉いとか偉くないとかいう次元で生きるような人ではまったくないのが魅力だ。 私と違って、人と話したり交渉したりするのが大得意なのも尊敬。
新しい施設に通ってくる人たちは、障害の程度がかなり重くて、 施設を始めるのはいいが、彼らにどんな仕事ができるんだろうと、 正直不安に思っていたそうだ。 でも、開所から2ヶ月ほど経ち、 はじめは何にも手に付かず、その辺をウロウロしていた彼らが、 今でははたくさんのパン生地を丸めたり、 小物を作るための端切れを、着物をといて作ったりしているらしい。 しかもすごく熱心に。休めといわれても休まないくらいに。 パンが焼き上がる時は、すばらしく嬉しそうな顔をするという。 父は、それが「仕事」だからだ、と力説する。 そのパンや小物が、趣味や教育のためのものではなく、 世の中に商品として送り出すもの、 つまり彼らの「仕事」として存在しているからだと。 仕事は、本当に、人間が生きていく上で必要なものなんだと。 お金をもらうもらわないということばかりが、 仕事を語る上で重要視されるけれど、仕事がもたらしてくれるものは、 そんな、お金だけにとどまるようなものでは全然ないということが、 彼らを見ていると、とてもよくわかるし、 父自身が「この仕事をして良かった」としみじみ思ったらしい。
仕事のよろこびは、 かなりお金の問題に邪魔されて見えづらくなってはいるが、 人間にとって、思っているよりもはるかに根元的なもののようだ。 仕事のよろこびは過小評価され、 お金のよろこびと、それを消費するよろこびばかりがもてはやされる。
そしてもうひとつ、障害者を、たとえばメディアが取り上げるときには、 どうしても「アート」か「スポーツ」なのが、これってどうよ、という話もした。 「障害者に仕事をさせるなんて」という意識がある一方で、 「障害者だから、この色使いが出せるんだわ」という幻想もある。 たぶん、どっちも的はずれ。
仕事の価値がよくわかんなくなっている今、 彼らの姿を通して見てみれば、それが大きく浮かび上がる可能性は高いと思う。 そしてこれは、彼らの表情が訴えるものが多いはずだから、 テレビの方がいいんだろうけど…「ブーメラン」があったらやるのになぁ。
◇◆◇
今日はダンナも休み。 起きてさっそくドラクエに励んでいる。 昨日どこまでやったかわからなくなっていたらしいが、 それを思い出したことが、大きな独り言で伝わってきた。
「あ、そうか、タコにやられたんだ」
タコに…。
◇◆◇
たぶん10数年ぶりに「ランドール」でカレーを食べた。 辛さを2倍にしたのだが、こんなに辛かったかと思うくらい辛かった。 普通に食べてた気がするんだけどなぁ…。 デザートのレモンブラマンジェに至るまで、味は変わらず。 また10年くらいは食べなくてもいいか、と思った。 飽きる味、というのでもないんだろうけど…。
昨日とおととい、私にしては社会と密に関わって過ごしたからか、 今朝やたらと体がカッカして、まだ暗いうちに目が覚め、しばらく寝付けなかった。 じっとり変な汗をかきつつ、何度も寝返りを打った。知恵熱って感じだった。 今日はひとりで取材や原稿書きなので、心静かに過ごそう。
昨日夜中に仕事から帰ってきたダンナ。 ドラクエの新しいのを借りたようで、夜中にピコピコやっていた。 私はもう眠っていたが、気配がした。 今日も11時に出勤とかで、朝からやってる。 でも、いちばん最初にドラクエをやっていたときのような、 あの、面白いくらいの病的な取り憑かれ方ではない。 免疫ができたんだろうな。
◇◆◇
取材から帰ってきたら、なんだかグッタリしていて、夕方寝。 起きたら7時過ぎていた。 ボーっとスイカを食べて目を覚ます。
お昼はちょうど東長崎方面にいたので、 以前から気になっていた「郷(さと)ちゃんのお総菜」へ。 ズラリと並んだ好きなおかずを詰めて、ごはんを詰めて、お弁当にする。 おかずは280グラムまでなのだが、けっこう入る。 唐揚げ1コ、小さなヒレカツ1コ、鶏レバーの炊いたの、 鯖の焼いたの甘酢漬け、ゴーヤとツナのマヨネーズ和え、 きんぴら、焼きナス、麻婆風ナス田楽、豚と野菜の甘辛いため、 さといも、カボチャ、にんじん、タケノコの煮物各一個、たくあん。 …だったと思う。これで書き漏らされたおかずは、ちょっと悲しいな。 あっ!あった。トロロ掛けのおくら。 ほかにも詰めたいものはいろいろあったので、また行こう。 ちなみにこれで500円だ。味付けもほどよくて、たいそう気に入ってしまった。
網場の海のそばで、じいさん2人の、ちっとも釣れない釣りを見ながら食べる。
今日もずっとカナさんと一緒だった。 カナさんと、みっちりいろんな人と会ったり撮影したりしながら、 最後は、ジャパニーズ・バル…私が大好きな立ち飲み屋さんで乾杯した。 駅で別れるとき、私にしては珍しく、ちょっとだけ泣きそうになってしまった。 バスに乗って家に帰って、パソコンの中をちょっと整理した。 たぶん、カナさんの、スペインでつちかわれたであろう、 余計なものの無さ、なにを優先させるかをきちんと選ぶこと、 それを実行することなどの積み重ねから来た波動のようなものに、 影響されたんだと思う。 もっともっとすっきりと、大切なものを大切にしながら進んでいこう。
いま、6月9日、午前1時半。 ネットがなぜかつながる…。どういうことだったんだろう。
昨日…というか、気分的に、今日は、たくさんの人と会った。 すごく久しぶりに会う人や、久しぶりに会う人や、 何日か前に会った人や、昨日会った人などなど。とにかくたくさん。 スペインからやってきたカナさんと、カナさんが出した本をPR行脚。 カナさんは長崎出身で、その昔、ライター仲間だった人の妹で、 彼女がスペインに移り住む前に、カラオケ屋さんで一度会ったきり。 でもなんとなくその後、メールなどやりとりして、 …あ、そうか、そういえば、直接会ってちゃんと話すのは初めてだ。 そんな気はまったくしなかった。 お昼ごはんを食べながら、三軒目の飲み屋でするような話をしていたような。 不思議。 でも彼女が今度出した本は、とっても良かった。 スペインのナショナルリーグで、日本人女性で初めて監督を務めた、 佐伯夕利子さんという人の半生(といっても、まだ31歳!)について。 彼女が持ってる、ビッカビカのイヤミのないパワフルさがグイッと伝わってきて、 読んでる方も「こうしちゃおれん!オレもいっちょやったるで」と思ってしまう。 「情熱とサッカーボールを抱きしめて」湯川カナ著。
夜はタイ料理を作って、サッカー観戦。 生春巻、グリーンカレー、トムヤムクン、ナスとピーマンの甘酢あえ、 カラスミパスタ、桃と桃ゼリーのココナツミルクあえ、など。
観戦を楽しみにしていたダンナは、突然、 「サッカーを観戦する人たち」の取材が入り、自分は観戦できず。
それにしても今日は、人と会いまくった。 明日もたぶん、たくさん会うのであった。
昨日の夕方、急にネットがつながらなくなった。 あれこれやっても、ぜんぜんダメ。 さすがに今日の朝、サポートセンターに電話したら、 どうも機械がいかれているか、 あるいはNTTからうちまでが遠過ぎて、これまでだましだましつないでいたのが、 (それを計る2つの基準値があるらしいのだが、どっちも悪くて、 ひとつの方なんか、つながってるのがありがたいくらいだった。 たしかに電話で話すときは雑音がひどくて、 「まだ盗聴されるようなことはしてないけどなー」と思いながら使っていた) なにかの拍子にほんとにダメになったか、という可能性があるらしい。 ということで、モデムが送られてくるまでは、家でネットが使えない。 それはそれで爽やかな気持ちですらあるが、仕事ができないとなると困るわけで、 ネットカフェにやってきた。初めて。 必要に駆られてやってきたのだが、この穴ぐら感…嫌いじゃない。 これからも仕事部屋に使うかも…。はかどりそう。制限時間もあるし。
ということで、これから「にわかオフィス」で仕事します。
◇◆◇
いくつか先のブースのお姉さんが、きつねうどんを食べている。 くー、お腹減ったー!
◇◆◇
ネットカフェでみっちり仕事したら、すっかりくたびれてしまい、 時間も遅くなったのでダンナと駅前食堂へ。 ダンナはハンバーグ、私はとり天。あの「いかにも」感にあふれた味は、しみじみ貴重だ。 でも、おいしくパクパク食べていたら、隣の席にすごく太った人が座った。 座った瞬間、気温が上がった。 そして腕を上げて伸びをしやがった瞬間、ガツンと食欲が減退する芳香が漂った。 楽しい食事中に、汗くさいdebuが隣に座ることが、こんなにも不幸なことだとは…。 涙目で、残りのごはんをかきこんだ。
家に戻ったら、消えていたモデムのランプが点いていて、直ったか!と思ったが、ダメだった。 やはり新しいモデムを待つしかないようだ。
そしてじゅうたんがめくれていたので、もぎくーん、また暴れたねーと笑いつつ戻した。 そしたら、ポロポロポロリーンと、いくつものうんこが転がっていた。 なにか気にくわないことでもあったのか、うんこが! うんこが! うんこが! ということで、これを機に、じゅうたんを洗うことにして、ベランダへ出す。
眠る前に「ムー」を読んだら、 自分の生首のぬけがらなどが出てくるステキな夢を見てしまった。 まぁおもしろかったので良しとしよう。
ときおり笑いながら「ムー」を熱心に読んでいたら、 ダンナから「ムー」を読む人を、私と会うまで見たことがなかったといわれた。 まぁ、電車で読むような本でもないし、読んでるって公言するような本でもないし。
あの、なんでもアリ、なようで、あんがい同じことの繰り返しな感じも、 マンネリが快感なドラマを見続けているようでおもしろいのだ。 ネタ自体は、私が小さいころからほとんど変わってない。 日本が世界の文明の発祥の地だったとか、フリーメーソンが世界を動かしてるとか、 火星に文明があるとか、雪男とか、このペンダントでモテモテですとか。
水戸黄門や「渡鬼」を見る、じーさんばーさんの楽しみと似てるのかもしれない。
この価値観がすべてだと思うと大間違いなところも似てる。
◇◆◇
面白いこと。
という言葉への違和感が、ずっと引っかかってる。 時と場合によっては、まったく問題なく聞こえるんだが、 本来の器よりも、大きい気持ちを背負わされている時もあるような気がする。
なにかがすでに形として現れていることに対して「面白い」って言うのは、 それはそうなんだから、すんなりわかる。 引っかかってるのは、 「なんか面白いことやりたいですよね」というような時の「面白いこと」だ。
「こんなことを面白がれるオレ」「やろうと思えば面白いことをやれるオレ」 っていうのが、ふと匂うと、もうたまらない。
これからやることが面白いかどうかは、人が決めることで、 やる方が気がけるべきことは、それが自分にとって大切なことかどうか。 自分でやることに対する評価を自分で下したり、 最初からわかっててやってる感じに、どうしても引っかかってしまう。
面白けりゃいいのかよぅ、と、からみたくなるチンピラなのであった。
◇◆◇
夕方、突然ネットがつながらなくなった。 (これは今、パソコンの中で書いている →そしてそれを、翌日ネットカフェでアップしている。) 電話とつなげる、なんだ、あれは、とにかくいろんな機械を、 いちどみんなコンセントを抜いたりしてみたのだが、 機械のひとつの、いつも付いているランプというかサインというか、 それが点いていないところがあって、だからきっとそれだと思うんだが、どうやっても点かない。 一晩、放っておいてみよう。
今日は一日家にいた。 昼はカレー。こないだのトマトスープの残りは、数日前、予定通りカレーに変身。 カレーに変身させることを考えて薄味にしておいた。すばらしくうまい。 ミスマッチかと思われたダイコンが、思わぬおいしさだった。 ジャガイモと肩を並べんばかりの勢い。
夜はショウガ焼き。ゆでインゲン添え。トマトサラダ。 何日か前にテレビで見ておいしそうだな、って思って、 その時の作り方を真似してみたのだが、私の好みのショウガ焼きより、 ちょっとだけヘビーで、もったりとした仕上がりになってしまった。 片栗粉を付けて焼くんだけど、両面だとクドい。極力薄くつけるべきだった。 ダンナは実家に行くと言っていたので、食べてくると思ったら食べずに帰ってきた。 カレーを食べるつもりで。 そしたらショウガ焼きも残っていた。どっちもすごく好きなメニューだ。 結果的にダンナの晩ごはんは、カレーとショウガ焼きという、 男子校の学食みたいなことになっていた。
あさっては北朝鮮戦だ。 バンコクでの開催にあやかって、タイ料理を作りまくるつもり。 燃える。サッカーよりダンゼン。本末転倒? あさってまでにパクチーがよく育つように、雑草を抜いた。
2005年06月05日(日) |
beautiful day |
出島ワーフの紅灯記で麻婆豆腐を食べていたら、 ヨットだかクルーザーだかに乗りに来てた白人のオジサンが、 誰かに「beautiful day!」って言ってるのが聞こえた。 ほんとにそう言いたくなっちゃう、日曜日。
ダンナのスクーターに2人乗りして、ぐるっと海の方にでかけた。 入ったことのない道を、ババババーッと降りていってみると、 かなり理想的な浜を見つけてしまった。 ほどよい広さで、ごはんや昼寝にいい木陰があって、 カッコいい岩場もあって、適度に石と砂が混じり合ってて、 車もそばまで行けて、止める場所も広くて、 なによりテトラポットが積んでない入り江。 これからはここに泳ぎに来ようと誓う。
しばらく走るとビワの無人販売があって、おいしそうなので買おうとしたら、 すぐ上で出荷作業をしていたお姉さんが出てきて、 買おうとしていた量と同じくらい、試食と称してビワをくれた。 ものすごーく甘くておいしかった。
またしばらく走ると、わりと知られた海水浴場が見えてきた。 男の人が早くも裸になっている。泳いでもいいくらいの暑さだしなー、 と思ったが、次の瞬間、あんまりのことに、もういちどよく見た。 男の人がふたり並んで岩場に立っていたのだが、 ひとりはなんと!後ろを向いているとはいえ、furu-chinではありませんか! ダンナに言うと、あわててバイクを止めて見ている。 なぜ?なんのために…?ホモ雑誌の撮影…?
またまたしばらく走って、もぎくんの生家の廃屋を訪ねる。 猫の親子がいた。もぎくんはひとりぼっちだったけど、今日は親子だった。 近くのお総菜屋さんで、エビフライと唐揚げなどを買い、ボーっとつまむ。 エビフライは揚げたてだった。
空は完璧な青、木々もはちきれそうに緑、ビワはたわわで、カラリと晴れて、 beautiful dayと呼ぶならば、やっぱり今日をおいてはないだろう。
2005年06月04日(土) |
学習してない。全然。 |
昨日の夜は「たこやきもぎちゃん」を開店させ、 (念願のたこ焼き器付きのホットプレートを買った) サッカーを見ようとしてみたが、早朝からの勤務だった者もおり、 「アラームをたくさんかければ大丈夫」との誘惑にかられてしまい、 もちろん全員撃沈。 どうしてこの手のことって学習しないんだろう。 テスト前日の「ちょっと寝てからやろう」という、 すばらしい思いつきが、何度、まったく実行されなかったことか…。 でもたこ焼きはおいしかった。
◇◆◇
いろんなやっかいさを持つ、いろんな人の話を聞いた。 人の家に馴れ馴れしく上がり込んでくつろいだり、 自分の力を他人に及ぼすことをよろこびとしているような人の話だ。 こんな話を聞くと、ますます人付き合いに関して慎重すぎることはないと思う。 しかしなによりも付き合いたくない人っていうのは、 自分が持っているエネルギーを、 自分の中の基準で、より自分を高めるために使うのではなくて、 仕事や表現に関する技術などについては現状で満足、あるいはあきらめてしまい、 他人の基準で自分を高めようとしたり(ウケねらい、と言い換え可能)、 さらにはまわりの人をどう動かすか、どう押さえるかにバンバン使い、 それをもって、自分のポジションを高めようとしている人だ。 「声の大きさ」や「押しの強さ」がひとつの技術だとすれば、 それはそれであっぱれなことであろうが、 特に、弾いたり書いたり描いたり作ったりといった、 いわゆる「表現」でメシを食ってる人間がそれを第一にするのは違う。
そういう人がいたり、世界があってこそ世の中はまわっているのだろうが、 そしてひょっとしたら、そういう部分の方が大きいのかもしれないが、 触れるのは極力避けたい。
さらに昨日は、そうとしか思えない人がピアノで出す音も聴いてしまった。 ヘタとかうまいとか、そんなんじゃなくて、ただただ濁っていた。 イヤーな音だった。
悪徳呉服屋のセールストークみたいな後味だった。
◇◆◇
夕方、家にいたら、近所の警察の人が住民調べみたいなのでまわってきた。 「去年とおかわりありませんか」とか言って。 あっちとしては正しいことをしているんだろうけど、 私はどうしても、生理的にこういうことが苦手なので、毎回ながらの生返事。 しかも今回は「ご主人が携帯をお持ちでしたら番号を教えてください」とまで。 「どうしてですか」って聞いたら、 「たとえばこの前ですね、駐車違反をされている方がおられて、 すぐに連絡が取れましたので、切符を切らずに済んだり、とかですね」 なんて応える。 しかしどうしても「お上」に対して素直な気持ちになれない私は、 「ぜーったいそんな善意からは来てねーな。事あるごとの指紋採取と一緒だな」 と思ってしまい、けっきょく教えなかった。 まぁ、あっちがその気になれば、ダンナだろうが私だろうが、 携帯の番号なんてすぐ調べはつくに決まっているが。
でも、ドアは少ししか開けないし、目は絶対合わせないし、 携帯の番号も教えない人間は、間違いなく要チェックだな…。
2005年06月03日(金) |
無数の破片、普通の破片。 |
昨日の夜のニュースで知った話は衝撃的だった。 原爆で妻と子が黒こげになったのを見てしまった人が、 とにかく「焼かれたくない」一心で、土葬を希望し、かなえられたというもの。 いろんな色や形の、その辺にあるような石が敷き詰められたお墓だった。 墓石が立ってるんでもなく、あからさまに土が盛られてるでもなく、 子どもが並べて遊んで帰った後のような石と簡単な十字架が、 その人の体を覆うように、かろうじてまわりの土地と墓を区別していた。
しかしなにより打たれたのは、 黒こげになった愛する人(今朝まで生きていた)を見ざるを得なかったことと、 死んだ後とはいえ、自分が「焼かれる」ことの我慢ならなさが直結し、 それが何十年も思い続けられ、家族に伝えられたということだ。 写真のおじいさんと、インタビューを受けていたおじさんは、そっくりだった。
おじいさんはただ、 それ以外には考えられなくて、そうしてほしかったんだと思う。 そしてそうなった。 それをずっと聞かされていた、まわりの人たちによって。 死んでしまってからのことなので、聞いたフリをするという手もあったはずだ。 土葬にするためには、たぶんめんどくさいことも発生しただろうし。 でもおじいさんの願いは叶った。
願いが叶う、ということは、普通、とてもいいことや嬉しいことだけど、 この場合は、その願いそのものが、強烈な悲しみから生まれている。 あまりにも大きく開いた穴を、もうこれ以上深くしたくはないから、 穴の底に、ささやかに盛り土をしてみました、という程度だろう。
それでも、せめて叶ってよかった。
原爆の話はいろいろ見聞きもしてきたけれど、 昨日の石ころのお墓には、思いもかけないストレートさで打たれてしまった。
おおぶりな平和運動とか大きな声の演説とか、 そういうものが目にはとまりやすいけど、 たぶん、こんなことでしか、人の心は動かせないと思う。
もう焼かれたくないから、土葬にしてくれ。
そんなことを言わせてしまう悲しみを、細やかに見つけて想像し、 味わっていくことだけが、そんな悲しみを新しく生まない唯一の方法だろう。
そんな悲しい破片が、いま目の前の窓から見える景色の中に、 思っているより普通のこととして、無数に刺さっている。 あの息子さんは、 「オヤジが好きだったから、お墓には饅頭をいつも供えるんです」 という感覚で、土葬について語っていたように見えた。 それはだけど、大変におそろしいことだ。 普通じゃないことが、普通の感覚でとらえられちゃっている。 たぶんあの石ころのお墓も、行こうと思えばすぐに行ける距離にあるんだろう。 土葬されたおじいさんとは、小さいころ、すれちがったことがあるかもしれない。 そっくりの息子さんとは、銀行で隣に座ったことがあるかもしれない。
この町の途方もなさに、あらためて途方もなくなってしまった。
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午前中に、ひとつ打ち合わせ。 お昼はおいしいものが食べたいと思い、ちょっとふんぱつした。 いくつか「これがこうだったら…」と思うところはありつつも、 カウンターの隅っこで、静かに、おいしくいただいた。 その店は、いつもは、 有閑マダムと書いて小銭持ちのおばちゃんと読む人々の話の花が咲き乱れており、 それが嫌いで足が向かないことも多々あるが、 今日は店の奥さんが「こんな、ポカンと空く日もあるんですよ」と言われた通り、 私がいる間は、私ひとりだけだった。のんびり食べた。 1時も過ぎて、席を立った時、ぞろぞろと有閑マダム(以下略)が入ってきた。 さぞ話の花が咲きまくることだろう。 満開レッドゾーン針振り切れの巻に違いない。
おいしかったのは、イトヨリのソテーの下にあったラタトゥイユ。 自分でも作れないことはないが、この軽さがプロだなー、と思った。 味付けや煮込み具合が、つい過剰になってしまうのが素人というものだ。
店においてあったワインの本を読んでいたら、 「ワイン好きと称している人の多くは、 目の前のワインの味を純粋に味わったり楽しんだりするのではなく、 自分の知識(何年もののどこどこ産のものは、こんな味がするとか)に 当てはまるかどうかで、そのワインの良し悪しを決めたりする。 だからたとえおいしいと思っても、知識に当てはまらないと、素直に喜べない」 というようなことが書いてあって、 私が「ワイン好き」の人に持っている、モヤモヤしたいらだちがスッキリした。
まー、つまりは「なんか言わんと飲めんのかい!」と小突きたかったのだった。
うんちくタレ蔵と飲むと、そんだけで味がおかしくなる気がするのでイヤだ。 グラスをグルグル回して「むふぅ…」とか言うのもイヤだ。
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かなり強烈に、みたらし団子が食べたくなってしまった。作ろう。
…と思って台所に立ったら、できたのはギョウザだった。どうして?Why?
今日で足かけ3日、パソコンの写真整理事業に取り組んでいる。 たぶん今日いっぱいはかかるだろう。 インデックスプリントの残りを終わらせるだけで、午前中はつぶれると見た。 DVDに落とした写真を一覧できるよう、 一枚の紙に66枚の写真をプリントしているのだが、 昨日の夜で90枚刷り終え、それがあと50枚くらいある。 かれこれ3年も4年も使っているプリンタにしてみれば、あまりにヘビーらしく、 黒のインクがないのに教えるのを忘れていて、摩訶不思議な色合いで出てきたり、 何度もヘッドクリーニングをしなくちゃいけなかったり、申し訳ない。
インデックスをプリントし終えたら、 いくつかのジャンルに沿って分けておきたい写真をパソコンのフォルダに入れ、 そしていよいよ、写真整理ソフトの中の写真を一気に消す。 1万枚の写真を削除する作業が軽く1時間、ヘタすりゃ2時間はかかるだろう。 消すんだから一気に消えて良さそうだが、あっちにはあっちの都合があるようで、 これまでも、たった30枚消すのに3分くらいはかかってきたから。
写真の作業をしだすと他のソフトがトロくなるので、それも困る。 できないというわけではないのだが…。
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朝はバナナジュースとハムサンド。 昨日の夜は「とにかくいろいろな野菜が入ったトマトスープ」を食べたくなり、 ちょうど、節操がないくらい「とにかくいろいろな野菜」があったので、 それらをどんどん入れて、鶏もも肉一枚とともにスープを作った。 「とにかくいろいろな野菜」の味がしておいしかった。 にんじん、たまねぎ、じゃがいも、ソラマメ、しめじ、エリンギ、だいこん、 ズッキーニ、トマト2種類と水煮缶、だったと思う。
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さて、作業にかかろう。
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いま夜の11時前。 パソコン側の作業は、ようやく終わりを迎えた。 あとはプリントした紙を、もう100枚、ファイルに入れる、だけ…。
夕方打ち合わせと買い物に出たが、けっきょく夕食を作る気力も失われており、 駅前食堂に食べに行った。500円のすてきな定食! 今日はショウガ焼きにした。ダンナはトンカツ。 横のテーブルでは、近くの公共放送関係者とおぼしき人々が、 ひと仕事終えた感じで、元気にごはんを食べていた。 元気だなー、と思った。大人数の元気さ。 めっきり、というか、 そもそも同じ時間に同じことをするチームで仕事をすることがないので、 なつかしい、でもなく、めずらしい、でもなく、 あぁ、大人数だとあるよな、こういうこと、という気持ちを味わった。 たまには楽しかろうな。あくまでたまには、だけど。
昼は、うにスパゲティを作って食べた。
作業がなんとか終わって良かった…。 明日からはまた、違う作業へと移れる。 もう少し、機械的じゃない作業へ。
今日は、くんちの小屋入り。 思えば、去年はコッコデショの取材初日だった。 なんとか午前の部を終わり、ごはんを食べて局に戻ると、 カメラアシスタント(三脚や荷物を担いでワシワシ走ってくれたりする)の まっつんがいなくなっていた。 別に逃げられたわけではなく…そう、佐世保に行ってしまったのだ。 あの女の子たちの事件が起こってしまったから。 カメラがたくさん並んだ部屋には、第一報のファクスが貼られていた。 まっつんが佐世保に駆り出されてしまったので、三脚は私が担いだ。 三脚は、以前まさにその「カメアシ」のバイトをしていたので、 重いながらもむしろ楽しかったが、いろんな意味で暑い夏の始まりだった…。
大変な事件だったので、ダンナも佐世保に行った。 そんな日に限ってものすごくあざやかなオレンジのTシャツを着ていて、 ニュースや新聞で、すぐ見つけることができたのが複雑だった。 殺人事件とオレンジのTシャツ…。
2年前には、もぎくんが来た、というか、茂木の廃屋から連れてきた。 思えば、当時は手のひらサイズだった。 それがいまでは…。
2年続けて、6月1日は忘れられない日になった。
今年の今日は、これから、ひとつめんどくさい連絡をして、メールを書いて、 洗濯物を干して、まったくの個人的趣味で小屋入りを見に行く。 ずいぶんと気楽だ。 お昼はなんにしようかな、なんて考えている。
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めんどくさい連絡などが長引き、小屋入りには間に合わなかった。 なにもないとわかってはいたけれど、踊町をふらりと歩く。 幔幕が張ってあって、紋付きの人も見たので、 「今日の空気を吸った!」という満足感はあった。
お昼は駅前食堂でとり天定食。 打ち込みのシャギリが聞けないかな、と思ったけれど、でくわさなかった。
ぼんやり歩いていたら、絵はがきの追加注文が! 店に置き始めのころは売れるらしいのだが、それにしてもうれしいことだ。
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