ぴんよろ日記
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朝ごはんは、すいか、豆乳プリン、コーヒー。
さっき、腹の底で、むくむくっと野望のようなものが動いた。 やろうと思いつつ、ずるずる先延ばしにしていたことを、 いよいよやろうかというスイッチが入った感じだ。 それは、別の、もう私の手を離れた仕事のことを考えていたときに、 「あれがあそこまで行ける、行こうとしているのなら、 これだって、きっと行けるのではないだろうか」 と思えた、ひらめいたからなのだが、さて、どうなるだろう。 どうなろうと、やってみるまでは気が済まないだろうから、やってみることにする。 ひとまずのタイムリミットも設定しつつ。これ重要。
それにしても昨日は福岡の本屋でボーっとした。 あまりの本の多さに。 先日、5〜6冊ほどの候補をメモして長崎の本屋を探したが、あえなく全滅。 しかしその本が、昨日の本屋さんには平然と置いてあった。 たしかにベストセラー本ではなかったが、 とりつくシマもないほど、マニアックなものでもない。 全滅したのはメトロだったが、後日、紀伊國屋に行っても同じことだった。 紀伊國屋は、ちょっとは信頼してたんだけど、模様替えしてからは、もう…。 しかし、ああいう店にはきっと「売り上げによる店舗展開マニュアル」 みたいなのがあるんだろうから、ちょっと込み入った本が、 つまりは売れなかったんだろう。あっちも商売なんだし。 ということで、メトロのキャッチフレーズを、いまいちどかみしめる。
「この街だから この書店」
2箇所の「この」のあとに「程度の」を入れるとわかりやすくて、涙。
◇◆◇
昼はどうしても焼肉とごはんが食べたくなり、敢行。 「文化祭系」の雰囲気がイヤで行かなくなった新しい方の金剛園に、 昼ならいいか、と思って行ってみる。 くやしいが、やっぱり旨い…。ううう。夜も行ってしまうかも…。
口直しに出島ワーフでジェラート。 でも、買った直後に電話がかかってきて、 しかもその電話が10分もかかって、 ようやく切って、ダンナから渡されたものは、もはや悲しい姿になっていた。 電話じたいも楽しいものではぜんぜんなかったし。 なにかの呪いかと思った。
夕方から、ついにパソコンの中の写真整理を、敢行。 しかし1万枚以上もためこんでいたので、 データを写したり消したりするのに、途方もなく時間がかかる。 現在10時半で、まだ終わってない。残りは明日やることにする。
データをDVDに焼いたりする時間に、 どうしようもなくて、机の片づけなどしたら、わりと片づいて一石二鳥だった。
こんな些細なことだが、 今朝むくむくした「野望」は、こうして体を動かすレベルまで達したようだ。 しめしめ。
写真整理に挟み込むように食べた夕ごはんは、 昨日、実家からもらっていた「樹」のミートソース。 あのハンバーグのお肉で作ってあるので、当然おいしかった。 昨日実家の人々がごはんを食べにいったら、分けてくれたらしい。 かれこれ30年近く通っている我が実家だ。 小学生の、まだ小さいころ、家族で食べに行って、 あまりにもお腹いっぱいになって動けなくて、ひとりだけ後で帰ったこともある。 (当時はお店と家がワンブロックしか離れていなかった) その時、他の人が頼んだ、ステーキの付け合わせのもやしが焼けるのを、 ものすごくじっと見つめていたりした。 食べ物や工芸品ができていくのを見るのが大好きだ。昔も今も。
2005年05月30日(月) |
ありそうでない長い休日。 |
昨日は、またサッカーを見に行ってしまった。 気楽な4人で。 特にサッカー好きでもない。あえて言うなら「現場好き」のほうが近いか。 試合は負けてしまったけど、お弁当やパイシューを食べたり、 日に照らされたりしながら、目の前で行われているものを見るのは楽しい。 試合も、負けはしたが、私でも見入ってしまうくらい、おもしろくもあった。 また見に行きたいが、今度は7月の末。暑いだろうな…。
島原だったので、帰りは雲仙を通って帰ることを提案。 ミヤマキリシマがちらほらときれいだった。 山のもっと上の方が、たぶんいま、盛りなんだろう。 ロープウェイの駅あたりがピンク色だった。
温泉玉子を買うついでに、地獄を少し散歩して、 そのおもしろさと、空と山のきれいさに見入る。こんなにきれいだったかな。 地獄なのに、極楽みたいだった。
白雲の池で、玉子を食べる。 玉子自体があんまりおいしい玉子じゃなかったのだが、 雲仙に来て、池のそばで温泉玉子を食べるということが重要だったので、 味のことは追求しないことにして、楽しく食べる。 でもやっぱりあんまりおいしくなかったので、 寄ってきたカモ一家にだいぶ分けた。
いままででいちばんおいしかったのは、夢千代日記の舞台、湯村温泉の玉子。 そんなにいろんなところで温泉玉子を食べたわけでも全然ないが、 これまで食べたゆで玉子の中でもダントツぶっちぎりのトップだ。 唯一「もう一個食べたい!」と思ったのだ。 (基本的にゆで玉子がそんなに好きじゃない)
気持ちよくドライブして帰っていたら、偶然知り合いが後ろに並んだ。 「こんなとこで!」というような、マイナーな道だったので驚いた。 噂の人が横に乗っていた。若いなー。
K-1を見ながら、焼きナスをつまむ。しめじとソラマメのおひたし、 イワシの刺身、トマト、キュウリなど、シブシブ路線。 最後の試合がすごかった。見ながら、気づいたら息を止めていたことが何度も。 2人ともフランス人だったが、事前映像での服装などが、 フランス人にもこんな人がいるのか…というくらい日本のヤンキーみたいで、 そこでも息を呑んだ。 「マルセイユのワル」みたいな紹介のされ方だったが、石けん製造者としては、 「やっぱりワルくんたちも、マルセイユ石けんを使うのかしら。スベスベ。」 なんてことを考えてしまう。
息詰まる試合のあとは、肩こり解消の番組を見ながら、体操などする。
その後、思い立って、石けんのプレゼントを箱詰め。 気づいたら1時になっていた。あとの2人はすでに眠っていた。
…と、長々と書いてみたくなるような、平和でのんびりとした休日だったのだ。 人に説明したら、そんなこといちいち書くなって言われそうな、 でも忘れないでおきたいような、 でも、でも、書いておかないと忘れちゃうようなことがたくさんあった日は。
こんな日は、ありそうで、あまりないのだ。 人生は、おびただしい数の「一日」で、できている、はずなのに。
2005年05月29日(日) |
あまりにもそれぞれ。 |
大切に食べてきた「マルセイバターサンド」が最後の一個。 紅茶を入れて、いまお気に入りのカップを置いて、 そのそばにマルセイサンドを置いたら、あっ!マグカップと同じ色づかい! 思わず写真に撮る。
写真といえば、ズボラしてパソコンに写真をためすぎたみたいで、 写真管理のソフトが重くて重くて動かない。 いい加減、気合いを入れて整理しなくては、ひどいことになりそうだ。 たぶん猛烈にやっても1日仕事だろうが、これはやっとかないといかんだろう。
朝、ある人からメール。 去年の夏から秋にかけては、毎日のように会っていた人だ。 そのころを一緒に過ごした人の近況を伝えてくれた。 私自身は、その人たちとはあまり直接は話さなかったけれど、 ひところ、同じ時間と空間にいた人たちが、いま、あまりにもそれぞれなことに、 途方もない気持ちになった。 ほんとうに、いいことも悪いことも、あまりにもそれぞれだった。
でもたぶん、ある時点で一緒にいたような、 ひょっとしたらいまも一緒にいるような人たちも、 ひとつの地点を基準にして見てみれば、程度の差はあっても、そうなんだろう。 自分一人とってみても、去年の今ごろとは、ぜんぜん違う。 まったく想像がつかなかったくらいに。
私の近況もメールした。 そしたら、去年その人から予言されていたことがあったのだが、 「ほら、当たった!」と、すぐさま電話がかかってきた。 たしかに当たっていた…。そういえばそうだった。 言われた時は「そんなことないでしょー!」と笑って返していたけれど。
開いてた…。 ダンナの同級生がやってる、大好きなお店が移転オープンしていた。 西彼町にあった「リーフ」だ。(漢字になってた。利伊風…だったかな…) うれしい。 これでまたあのタンシチューやハンバーグやカレーが食べられる。 以前はレストランだったが、今度はランチ&飲み屋さんになっていた。 しかしオープンして2週間弱だが、ランチはあっという間に売り切れるらしい。
昨日の夜、ちょうど外に出ていたので、 ダンナの仕事が終わっているなら一緒に帰ろうと思い、 職場の方にトコトコ歩いていたら、小さな中華料理屋だった店が変わっていて、 見たことのある人が店の前にいた。奥さんだった。 「えーっ!ここに!」とビックリして、すぐ入って、ダンナを呼んで、 ちょこちょこ食べて、焼酎もキープしてしまった。 ダンナの職場から徒歩1分…。場所良すぎ。(私たちにとって)
最後にカレーを食べようと、こそこそ相談していたら、 おばさん2人組に先を越され、なんとごはんがなくなってしまっていた。 ルーがなくなっているのではと懸念していた私たちは、 その意外な展開に大きく落胆してしまった。 カレーがなかったら「タンシチューとごはん」という手も考えていたが、 ごはんがないので、その野望も打ち砕かれた。 本当は夜はカレーは出さないらしいが、頼むと出してくれるらしい。 でも、狭い店だし、1人に出すと、あのおいしそうな、 そして飲み進んで空いた小腹にはたまらなく魅力的な匂いが立ちこめてしまい、 「我も我も」と収拾がつかなくなるという。そりゃそうだろう。
家に帰って、からすみパスタを一口作って食べ、私はコトンと眠ってしまったが、 ふと異様なまでの食べ物臭がするので朦朧として起きたら、 残っていたウナギ一切れとそのタレを、 ごはんをチンしてかき込んでいる男がいた。 やはり一度付いた「ごはん欲」は、パスタなんかでは打ち消せなかったようだ。
夜もカレーは正規メニューとして出すべきだと、今度行ったら言おう。
それにしても、カウンター席がメインなのだが、店主のノダくんは、 「こんなふうにお客さんと話しながらっていうのをしたかった」 と話してくれて、そうか、人と話したい人は、人と話したいんだ! と、たいへんな感慨にふけった。 だから私みたいに人と話せない人がいてもいいじゃないか! と開き直ったというか。 そういう性分は、そういう性分なのだ。 必要な時になんとかなるくらいのものがあれば、 それ以上無理をしてまでがんばらなくてもいいだろう。 そのぶん、得意なことをどんどんやっていくことにエネルギーを使えばいい。
ほんと今週は、そのあたりのことでちょっと悩んじゃってたので、 あらためて開き直ってみた。
◇◆◇
留守電に「おかあさん、何時?電話してー」って入っていたが、 どうすればいいんだろう。
2005年05月27日(金) |
5月26〜27日、雑感。 |
今週はなんだかバタバタしていて、 人と会ったり、やりとりすることも多くて、正直言って疲れた。 さらに私の心の中ではすでに「まったくどうでもいい部屋」に入れたことについて、 返事をしてこない人がいて、返事の来なさかげんもいい気持ちではないが、 その人はクイックレスポンスの人だと思ってたから、意外性も相まって、 あぁ、もうほんとうにその人とこの先付き合っていくことはないだろうと思う。 最初の印象で、なんとなくわかってたから、驚いてはいないんだけど。 それにしても「考えてるフリ」って、いちばん印象悪い。 ダメならダメって、言やぁいいのに。あー気持ち悪い。 (返事は来た。ふふん。 別にだれもそんなこと訊いてないし、たぶんホントはそれじゃないだろ、 っていうような理由が付いていて、気の毒だったな、って気にさえなった)
さてこれからは、ジャムパンを食べて、残っている仕事を終わらせよう。 そして「ひとりタイム」を堪能したい。
◇◆◇
昨日のお昼はカレーだった。毎日ゆっくり大切に温めなおしていたので、 かなりおいしく熟成されていたが、いかんせん残りごはんの量が少なかった。 つのる思い。 夜はうなぎ。急に食べたくなったので、ふんぱつしてみた。 白ごはんを炊いたら、ダンナが「わっ!白いごはんだ!」とビックリしている。 いつも雑穀系のものを混ぜているので、銀シャリはほとんど見られない我が家だ。
マンガの「真夜中の弥次さん喜多さん」を読む。 いろんなシーンで、いちいちジンとしてしまう。 もちろんそのあと眠って見た夢は、モロその世界だった。 なぜか海のそばにある雲仙の宿の中に迷い込んだら、 白州正子さんのなりそこないのクローンオバサンが大量にウロウロしていて、 でも彼女たちを案内しているのは、実在する雲仙の旅館の若女将だったりして、 現実とそうでないものの入り混じり方も、まさにあの世界だった。
白州正子さんのなりそこない…いっぱいいそうだもんなぁ。自称も含めて。
◇◆◇
いつも一通り日記の文章を書いたあと、タイトルを付けるのだが、 今日は思い浮かばない。雑感だから、雑感だ。
と書いたところで「雑感だから雑感だ」にしたくなったけど、 なんのことかわからなくてもいいようなわからなさなので、やめた。
◇◆◇
行ったことのない食べもののお店に行くことを、 少しずつ再開してみたりしている。 一時期はどんどんいろんな店に入ってみたりしたものだが、 あまりにも全体的に感動しないので、やめていた。 自分で作る料理の方が好きというのもあるが、 とにかく、大多数の店が漠然とした「どうでもよさ」に覆われている気がして、 それはその店の人が「がんばってます!」「こだわってます!」というのとは、 まったく関係のない次元の話で、 つまりは世の中全体のことみたいな感じなのだが、 やはり食べものは、体にダイレクトにつながるものだから、 そういう、ある種の「低さ」のようなものを感じるのがイヤになったのだった。 特に「味が第一」と思っているような店に行くのがつらい。 わかっててやることの嫌らしさ。確信犯的メニュー。頭の食べもの。
でも食べることは、やっぱり楽しいので、 ややこしく考えることを、考えつつも、いったん棚に上げて、 新しい味を探検するよろこびを、求めてみることにした。
パーフェクトなものも、また、そうそうはないのだから。
◇◆◇
お昼は残りものオンパレード。 特筆すべきは、昨日も夢中になって食べた、 「うなぎのタレ&とろろかけごはん」だ。 食事のフィニッシュをそれで決めたのだが、あまりのおいしさに、 しばらく倒れて、余韻に浸った。 とろろに、たたき昆布を入れ、ほんのり甘酢味にしていたのが、大ポイント。 これが醤油味とかダシ味だと、うなぎとケンカしただろう。 昆布じゃなくて、かつお節でも、もちろんケンカ。 すばらしいカップリングだった。
音浴博物館の栗原さんについて、また考えたりした。 ものすごい分量の物々に囲まれながら、 「物にねー執着はないんですよーハーッハッハッハ」 と笑い放っていた栗原さんだが、 だとすると、長崎になんのゆかりもない彼が、 今となっては死のほんの数年前に大量の物とともにやってきて、 さらにまた大量の物が集まって、 その物々と人々が自由に混じり合った空間を作ったということは、 つまり栗原さんは物から選ばれちゃったんだろう。 蓄音機で聴く大昔のレコードなど、あまりにも自由に扱えるもんだから、 「もうだいぶ盗まれちゃったみたいだよーハーッハッハッハ」 ということにもなったけど、それは、善悪の問題はさておき、 盗むほど欲しい人のもとへ、栗原さんを介して渡っていったということだから、 ひょっとしたら物自身にとっては、 よりよく生きながらえる道を通っただけなのかもしれない。 盗むまでとはいかなくても、蓄音機の針だってじゃんじゃん替えて、 貴重な盤だろうがなんだろうがどんどん聴かせて、 「すり減ったらすり減ったで、それがその物の持つ運命だし、 聴けるときに聴かなきゃ意味もないし、なおしこんでてもしょうがない」 と、次から次に聴かせようとする栗原さんは、 やっぱり物たちに動かされていたとしか思えない。 LP盤をステレオで聴いていたとき、 「そんな小さな音じゃダメダメ。わかんないよ」といって、 爆音レベルまで音量を上げて立ち去っていったが、 たしかに、爆音の中にだけ見つかるような、微妙な音があった。
こうして思い出すと、妙に栗原さんの言葉って、覚えてる。
あれだけ多くの物を、いちおうはひとつの空間に置きながら、 そのありかたを、盗みたいと思う人がたやすく盗めることも含めた、 じつに様々な要素にゆだねさせるということは、 普通に言われている意味で物に執着のある人にはできないし、 しかし、物を愛していない人にもやはりできない。
あそこにある物たちは、かしこい。 いい人を選んだ。
2005年05月25日(水) |
ひょーひょーコツコツの人。 |
昨日ふと 「いろんなことが起こって、信じられないとかありえないとか人は言うけど、 信じられなくてもありえなくても、起こってるものは起こってるじゃないか。 たとえば意外な人が死んじゃうとか。 だからこれからも、意外な人が死んじゃうことが、たびたびあるんだ」 ということを、自分の中であらためて思い直していたら、 今朝、まさにそういう知らせがあった。
その人は最初からちょっと仙人めいたところがあったので、 最近その人と会った人から「仙人度が増していた」と聞いたときも、 さもありなん、としか思ってなくて、 こないだ、会おうと思えば会えた時も、またゆっくりした時に来るつもりで、 会わずに帰った。 しかし仙人度が増していたのは、病気が進んでいたからだったようなのだ。 だからこないだも、会えたかどうかはわからないけど。
最後に会ったのは、1年以上も前だ。
でも不思議と、もっと会っておけばよかったという感じでもない。 実際に会えた時間の中で、充分「こんな人が世の中にはいるんだ!」と思えたので、 その時間があったことと、その人がこの世にいたことを大切にしておく。 そして、その人が作った空間を、こんどこそ近いうちに訪れよう。 その人の気配が残っているうちに。
音浴博物館の栗原さん、あの世でも、ひょーひょーコツコツ生きてくださいね。
◇◆◇
昨日に引き続き、帰宅後、グッタリとへたりこむ。 とある慣れないことを2日続けてやって、しかもその成果はないに等しく、 得たものと言えば、 「この手のことは2度とするまい。たとえ霞を食ってでも」 という教訓であった。 苦手なことは、人ぞれぞれ。 苦手なこともやらなければダメだという風潮があるが、 いろいろなことを考え合わせると、 ダメージや、それによるマイナスの方が大きいので、 今日のようなことに関しては、もうやらないことに決めた。 得意なことの範囲で、やりたいことがたくさんあるから、 それをやってるヒマもない。
気を取り直して、夜は鶏の照り焼きにしよう。
無性に数の子が食べたい。 ダシに浸かってなくて、塩抜きしただけのを、醤油でパリパリと。
いくら天気予報が太陽一個の晴れマークでも、 起きてみると、なんだがぼんやり曇っている。 梅雨が近づいているのがわかる。
朝ごはんには、ごはんと玉子入り味噌汁を食べよう。 ずっとパンだったので、ごはんは久しぶり。 玉子入り味噌汁を食べたかったので、昨夜、味噌汁を多めに作っておいた。 夜は不思議と玉子入り味噌汁を食べる気にならないし、 玉子入り味噌汁は、「昨日の味噌汁」で作るのが好きなのだ。
味噌汁。 東京かどっかの方の人は、おみおつけ、って言うんだったっけ。 そのことについて、ずいぶん昔に、 「『みそしる』の『しる』という部分が下品な気がする」 と「おみおつけ圏」の人が言ったのを読んだか聞いたかしたことがある。 そんなもんなんだろうなー、とは思うけれど、 私がこれから食べるのは、やっぱり「おみおつけ」なんかじゃないな。
おみおつけ、って、必要以上に具が多そうな響きだ。 玉子なんて入れる余地がなさそう。
◇◆◇
いろいろ用事を済ませ、昼ごはんをどこで食べようか悩んだあげく、 家に帰ってきて、スパゲティをゆでる。 あさりバターの汁のみ(数日前に作ったのを、どうしても捨てられなかった)と、 トマトと、アンチョビ。かなり完璧に近かったが、ほぼ食べ終わったころ、 ベランダのバジルの芽を間引いて入れれば良かったと気づく。
ほうき屋さんが下の道を通っている。 「ほーうきはいりませんかー」と、歌うように言いながら。 10本くらい、いろんな大きさのほうきを、肩にかけている。 ほうき…あるもんなぁ…大きいのも小さいのも。 なかったら買ってみたかった。ほうき屋さんからほうきを。 1日に何本かでも売れるのだろうか?
さて、取材に出かけよう。
◇◆◇
夜はハンバーグが食べたくなって、合い挽き肉を買ったはいいが、 取材でものすごく疲れてしまい、台所に立つこともままならない。 誰か作ってくれー。
いくつかのことが停滞している。 ハッキリ言って、たいしたことないことが。 だから今日は解決したい。サバサバしたい。
たいしたことないことと言えば、 昨日の情熱大陸で黒木瞳さんが、たいていのことはたいしたことない、 というようなことを言っていた。 そういう言い方は、受け取る人によっては誤解を招くので少々危険だが、 わりとそうだ。 人から見たら大変なこととか、重要と思わなくてはいけないとされていることほど、 たいしたことはない。 そして、一見共存しない、共存させてはいけないとされている、 「たいしたことない」と「大切である」は、けっこう共存できる。 というより、本当は、大切にすればするほど、たいしたことではなくなるのかも。
小さなことだけど、この日記もそう。 毎日書くのって、私にとってはすでにたいしたことじゃない。 でも書かない人からすれば、 大変になにかを犠牲にしているようにすら見えるかもしれない。 でもたいしたことじゃない。 でも、でも、とても、大切に思っている。
◇◆◇
お昼は、スープの残りで作ったカレーを軽く。 最初からカレーと思って作ったカレーもいいけど、 スープの残りで作ったカレーの複雑な味わいも好きだ。
夜はアジの塩焼き、お刺身、カボチャの炊いたの、 ポテトサラダ、味噌汁…などの予定。定食屋みたい。 アジは中くらいの大きさのものが4尾300円だった。 1尾お刺身で、3尾焼く。どうせもぎくんが4分の3尾は食べるだろうから。
ほかほかごはんと魚の塩焼きが、ちょっと流行り中。
◇◆◇
カボチャの皮だけは、皮むき器でむくのだが、どうもあの道具が苦手で、 今日もとまどっているうちに、親指をザックリ…。ううう…。 包丁では年に1度切るか切らないかだが、 皮むき器はいつも使わないからバカにされているのか、かなりの率でやられる。 今日のはこれまでの中でもかなり…。 あまり細かい描写も迷惑でしょうから、やめときます。
でもカボチャの炊いたのが食べたかったので、とてもおいしかった。 アジもうまく焼けた。こないだのイワシは焼きすぎて悔しい思いをした。
あー、指がジンジンする。
せっせと作った絵はがきを、 「善は急げですから!」と、お店に持って行ったら驚かれた。 「いままで声をかけた人の中でいちばん早かった」らしい。 そこには陶器やら小物やら人形やら、そういうものがいろいろあって、 つまりは「作家さん」の作品なのだが、だいたいは、 「『置いてみない?』って声をかけて『持ってきます!』って元気に答えて、 早い人で1ヵ月くらいかな…」 ということだ。 たしかに私が好きな感じのグラスを作る人のことを話していたとき、 「あの人はいくら言っても持ってこない。いつ来るかわからない」と聞いて、 今どきそんなことで成り立つのか…としみじみした記憶がある。 彼らに比べたら、私の社会性もまだまだ捨てたものじゃないかも。
というより、ほんとにその場で感じたのは、甘さ、のようなものだった。 すごくいじわるに言うと、その人たちは何様のつもりなんだろう、ということ。
まー、それで成り立ってて、満足してるんなら誰も口出しできないけど。
そしてちらりと、そういう人ほど、飲むと世の中へのグチが多そうだな、とよぎる。
そういう場で登場する「世の中の悪さ」って、 時として「世の中へのアプローチのまずさ」だったりするからなぁ。 自分のことも含めて。
◇◆◇
冷蔵庫には、大好きな「マルセイバターサンド」。 北海道展がある時だけのお楽しみ。
◇◆◇
閉店のお知らせがあった銀嶺へ行ったら、 日にちを勘違いしていて、もう閉まっていた。ショック。 「休業」という言葉に望みを託しつつ、思い出の牛肉弁当よ、永遠なれ。
お昼はトンカツに変更。かつ吉。メンチカツで舌にやけど。
そういえばサッカーやってるなぁ、と、競技場へ。 Vファーレン側に「小嶺魂」と書かれた国見カラーの横断幕があった。さすがだ。 三菱側には「俺にはゴールなど見えない。グランドの鉄砲玉・○○○○」 というようなものも。(○○○○は人の名前。覚えてない) いくら猪突猛進型かもしれないが、ゴールだけは見えていた方がいいのでは…。 「スッポンディフェンス」というのもあった。 気持ちはわかるが、カッコいいかと言われたら…悪いかも…。
生の現場は、いろいろあっておもしろい。また行きたい。
夢彩都に用があったので、その前に出島ワーフでお茶でも飲むかと思ったら、 明日オープンの紅灯記がお披露目パーティのようなものをしていて、 ちょっと呼ばれてしまったが、お腹にはまだトンカツが充満していて、 でもマーラカオなんかも出されてしまい、苦しくなりながらもいただく。
さすがに夜は抜き。でも、ワーフに紅灯記ができてうれしい。
これまで描いたイラストから絵を選んで、 ハガキ用にレイアウトして、プリントアウトして、 一枚一枚袋に入れた。10種類を10枚ずつ。100枚。 見本帳も作る。えらく楽しい時間。 業務用のパッケージ屋さんに行ったのも、とってもワクワクした。
ふだんは、文章や写真のデジタルデータを送り、 つまりそれを「売って」暮らしているわけだが、 どんなに小さくても、目に見えて、手にさわれる形があるものを作り、 ましてやそれを売るというのは、くやしいが、かなわない楽しさがあるようだ。
そういう意味でも「本」という「もののあり方」はすばらしいものであるよ。
絵ハガキを作って、ますます、また本が作りたくなった。
◇◆◇
さわる、さわることができる。そのかけがえのなさ。
人(あるいは動物)の生き死にで、その人の価値が変わることはないけど、 生き死にはやっぱり途方もなく大きくて、その大きさは、そのあたりにに尽きる。 親しければ親しいほど。 いくら目の前にいても、知らない人をさわるわけにはいかないから、 「さわれる人」というのは、がぜん近さが増す。 いつだって自然にさわれる人や、 さわろうと思えば、 さほど不審がられずにさわれる人が死んでしまうと特別に悲しいのは、 さわることで自分とつながることのできる、 自分の指先のその先の肉体がちぎれてしまうからだろう。 肉体の痛さや喪失は、いつだって悲しい以外のなにものでもない。
朝っぱちから、どっかで人が人を刺したとかいって、 昼前に出社予定だったので、のんびり朝ごはんを食べていたダンナが、 急遽、駆り出されてしまった。 ダンナの消化に悪いので、長崎の人は、人を刺すのをやめてください。
昨日は昨日で、 ダンナの仕事でつながりのある、若い人が亡くなったと聞いた。 病気だったらしいが、そういう話は、本当にやるせない。 人はいずれ100%死んでしまうとわかってはいても、 やっぱり「そりゃないだろう」と思わされる死があるのも事実だ。
ここには書かなかったけど、ちょうど5日前には、 20歳で死んじゃった同級生の誕生日だったことを、ぼんやり思い出してていた。 小学生のころは健康優良児で表彰され、剣道が強く、 どちらかというと殺しても死なない感じの男だったが、死んでしまった。 たった20歳で。
死ぬまでに、どこまで行けるだろうか。
◇◆◇
午後はこまごまとした用事を済ませる。 種をまく…ほどまでは行かないが、畑を耕しているような日であった。
「御飯」で昼ごはんを食べる。 と、書くぶんにはわかるが、 会話の中では「ごはんでごはんを」ということになり、ややこしい店でもある。 今日は吉村さん(店主)がいなかった。鯛飯の布教活動らしい。 吉村さんがいないと、料理のそれぞれが、キャラの強い味になる気がする。 ふだんは、いい意味で、もっとどうでもいい料理が並ぶような気が。 ホントに、いい意味で。
たとえば今日のお昼の定食は、 鶏の唐揚げ(ショウガ醤油味)、鯖の軽いみりん干し(筍の炊いたの添え)、 小さな海老を炊いたの2匹と、その汁で和えたナス、 ハモの梅肉和え&キュウリ、冷や奴、白和え、もずく酢、漬け物、 などがちょこちょこと並んでいる。それに、魚の出汁の味噌汁、ごはん。 これはこれで、とてもおいしかったのだが、なんとなく顔ぶれが濃かった。 吉村さんがいるときは、鯖は普通の塩焼きだったり、 鶏にたいした味が付いてなかったり、ナスがただの蒸しナスだったりするような。 あとは、「えー、それってタダじゃん」って突っ込めそうな、 八百屋のおまけで付いてきた菜っ葉の塩もみで、 この中の1品がまかなわれていたりとか、そんな感じ。 私は「御飯」のごはんのそういうところが好きなので、今日は良すぎた。
商売は難しい。
◇◆◇
絵はがきを100枚作った。 10種類を10枚ずつ。 中通りの「想い出」というお店で売ることになったので。 今日「置いてみたら」と言われて、 その足でハガキと袋を買いに行き、いま作った。 こういうことは勢いだから、そうと決まったものは、早く手放したいのだった。 1枚100円です。
2005年05月19日(木) |
男のロマン(小さめ) |
「男のロマン(小さめ)」について、時々考えてしまうのだが、 ずっと前から軽く引っかかっていた言葉遣いが、 「あ、これって『男のロマン(小さめ)』ではないか!」と合点がいった。 その言葉遣いとは…
「あそこはうまい寿司を食わせるんだよ」
の、特に、
「食わせる」
の部分。
「あそこの寿司はうまいんだ」でも、 「あそこの寿司が今いちばん好きなんだ」でもない。
細かく見ていくと、
「ちょっと食べものにはうるさいオレが、路地裏にできた目立たないけど『匂う』寿司屋に入ったところ、無口な大将がなぜか、ほかの客には出さなかったネタをそっと握ってくれたりしちゃってね。やっぱわかる人にしかわからないことってあるんだよ。こんどお前も連れて行こうって思わなくもないけど、オレほどに味がわかるかどうかは、わかんないぞ」
というようなことが漏れ伝わってくる。 この、どのへんが「男のロマン(小さめ)」かというと、 「食わせる」という言葉遣いに見られる通り、寿司屋の「大将」さえも、 自分よりうっすらと、しかし意識的に下に置くことによって、 「ボクちゃんはこの世界を掌握してるんだい!」感を醸し出しているあたりにだ。 それは客だから偉いとかじゃなく、 どちらかというと「味にうるさい」付近にあるのがポイント。
いろいろジャンルはあるが「男のロマン(小さめ)」って、 だいたいこの点に集約される。
そして、付き合わされると、わりと難儀。相手は大将より偉い王様だから。 (そのツボを押さえれば、扱いやすいとも言えるが)
どうして男に「男のロマン(小さめ)」が発生しやすいかというのも、 根元的な理由でピンと来たけど、それはまた別の機会に。
「男のロマン(小さめ)」で、すぐ思い浮かべてしまうのは、 ビンの中に船の模型を作るやつ。極めれば極めるほど、閉じていく。
◇◆◇
あ、今日は19日だ。いつも行く足裏マッサージが割引だ。 (誕生日と同じ日は「私の癒しデー」らしい。私は19日。)
ぜんぜんロマンチックじゃないなー。
すごい風。 台風をも思わせる。 そんな中、ベランダには、新しいイスのカバーが、 バホバホに風をはらんで干されている。 …そう、昨夜、ほんの5分目を離したすきに、もぎくんが小さい方を。 座らないときは、もぎくん用の布団を乗せることにしているのだが、 ついうっかりしてしまった。 席を立ったときは、別の部屋にいたのも、気のゆるみを呼んだ。 これまでは自分でもやりすぎだと思うくらい、気をつけていたのに…。 ダンナとふたり、猛烈に怒った。 その後しばらくは、近づくだけでビクついていたが、 やさしく頭をなでたら、膝に乗って長々と毛づくろいして、普段の顔へ。
油断大敵おしっこジャージャーだ。
これからはますます気をつけたい。
◇◆◇
朝からグイッと仕事を済ませて、お昼は外に出る。 ダンナも一緒だったので、 漠然と、トンカツかトルコライスに決まりかけていたが、 行きの車の中で、鮮烈に「紅灯記のスーパイコ」が頭に浮かんだ。 ランチがスーパイコだったら、それにしよう!と、 なかば強引に、店の前へ確認しに行くと(週に一度あるかないかなのだ)、 はたして、黒板にはスーパイコの文字が!!! 大ビンゴで、急転直下スーパイコを食べる。
こんな超能力なら大歓迎だ。霊は見えなくていいので。
◇◆◇
夜はイワシの塩焼きとお刺身、大根葉と豆腐の味噌汁などで、地味に。 イワシは4匹で150円ほど。3匹焼いて、1匹お刺身に。 焼いた3匹のうち、ほぼ1匹は、 うっとりした顔をして鼻をくんくんするもぎくんのお腹に収まった。 お刺身用にショウガをすろうかと思ったが、なんとなく江島醤油だけで食べる。 そして、あらためてこの醤油のすごさに、うなる。 細やか、かつ、さまざまな醤油自体の味の粒が、口の中でパアーッと広がりつつ、 イワシならイワシのいい味を、おもてにスルスルと引き出してくれる。 食べ物に関して注意深くなればなるほど、この醤油を、おいしく感じる。
晴れ。洗濯中。 洗濯って、思ってるよりきっと、生きるよろこびを左右している。 大昔から続いてきた「おてんとうさま次第」の感覚を味わえるからかも。 梅雨のユウウツさも「しょーがねーな」と思いつつ、 1シーズンに3回くらいコインランドリーに乾かしにだけ行くのも、 それはそれで楽しかったりする。 人工的だけど、ガンガンに乾く感じが、快感。
今日はよく乾きそうで嬉しい。
◇◆◇
お昼は、前から気になっていたお店に行ってみた。 味付けや料理の感じは好きだったけど、 ランチということもあり、メインの素材に「コスト考慮感」がみなぎっていて、 そこが少々残念だった。 だから夜行って、ちゃんとしたのを食べるとか、 予算を高めに設定して作ってもらうとかすると、かなりいいような気が。 酢の加減や、野菜の扱い方など、 味の些細なポイントが好みだったので、これからも行きたい。 これがピッタリ来る店って、なかなかないので。 家から近いっていうのも、大切なポイント。
◇◆◇
夜は、ナスと牛肉のグリーンカレー(タイ風)。 銅座町の露店で「朝採りなすび」を3本買った。 1本はカレーに、1本は焼きナス、1本は塩もみにした。 ナス三本、ナス三昧。 カレーには、さいきんグングン発芽しているパクチーの間引いた双葉を入れた。 双葉でも立派にあの匂い。
一緒に買ったトマトもおいしかった。 ほかに並んでいたのが、やけに赤々していて嘘くさかったので、 ちょっと青いところがあるのを買ったのが正解だった。 わざとらしくない味だった。 生のままでもよかったけど、ほんの少し、ナンプラーと砂糖と酢でタイ風にした。
2005年05月16日(月) |
1,2,たくさん…。 |
朝から、ためていた仕事をせっせとやる。 美術館関係者の方、次のプレスをよろしく。 でも、別に悪口とかじゃない。 思ったことを、冷静に正直に書いただけ。いいことも書いた。 本を出したときや昔の記事でも、 「辛口だ」「こんなこと書いて…」とか言われたけど、 これで辛口ならずいぶん甘ったらしい世の中だし、 こんなことも書いちゃいけないのなら、恐ろしい世の中だ。 オレは闘うね。…って、誰?
こんなことがあるからこそ、できるだけひとりでいたいと思う。 中途半端ななかよしに、厳しいことは言いにくい。
◇◆◇
そしてこうやって「ひとりでいたい」ということを、 私はよく書いたり言ったりするけれど、 だからこそ、どうしても会ってしまう人や、 生身の人間としての時間や空間がクロスしてしまう人のことが好きだし、大切だ。 そういう意味でならば、たくさんの人と知り合って、付き合いたいと思う。
まぁその意味での、私の数の概念は「1,2,たくさん」って感じだが。
◇◆◇
歯の検査に行った。 歯医者嫌いなので軽く2年は行ってないが、虫歯はなかった。 子どものころ「強い歯だね」って言われたことを思い出す。 ありがたやありがたや。
昼はたまごごはん。 おやつにカフェ平井のツナサンド。半分はお持ち帰りにした。 夜は宅配のお肉があるので、すきやきかしゃぶしゃぶにしよう。 ヘンなタレを何種類も作ってしゃぶしゃぶ、というのが、今のところの気持ち。
昨日は体調が大失速してしまい、けっきょく出なかった。 でもちゃんと食べてちゃんと眠って起きたら、やる気満々で、 私にしてはかなり珍しく、午前中から出かけるつもりだ。 「人が多くならないうちに」なんて発想、ほんと珍しすぎる…。
眠る間際、今年初めての蚊の音を聞いてショックを受けた。もうですか! そしてかまれた。かゆい! ダンナも眠りながらボリボリ掻いていた。
昨日の夕食で作った、 ジャガイモとソラマメと玉ねぎの、コーンクリームスープが異様においしかった。 昼はクリームスパゲティだったし、そういうものが食べたかったんだろうな。
◇◆◇
再取材、いろいろ収穫あり。 普通に訪ねていたらマイナスなことも、取材となれば収穫になるのが因果である。 お昼ごはん候補に2つともふられたので、出島ワーフの1軒に入る。 思ったよりもまずくなく、この値段でこれならまぁいいかという感じだったが、 「甘鯛ソテー」ってわざわざ書いてあったのに、 出てきたのは、どう見ても、どう食べても青魚だった。 (その後、隣のテーブルで「甘鯛が○○に変わりますが」という お店の人の声が聞こえたので、どうやら甘鯛が切れてしまったらしい。) 880円のランチだったから黙っていたが、 これが1500円のプチコースだったら、意見していたかも。 青魚の気分じゃ全然なかったので、そうと聞いていたらお肉のランチにしたのに。 甘鯛だったらちょうどいいはずの味付けが、 青魚にはぬるすぎて、少々生臭い一品に仕上がっていて悲しかった。
◇◆◇
それにしても美術館。 まぁ、この続きは、次のプレスで。
今日は机の仕事。がんばろう。
昨日は出歩く仕事だった。 あまりにもいろいろ歩いたので、いま思えば一日がすごく長かった。 しかもたいした収穫がなくて、効率も悪く、疲れた。 夜はチキンカツにした。それがうまく揚がったのでよしとしよう。 私にしては珍しく、ソースで食べた。(いつもはレモン醤油) 生のホワイトアスパラも、さっとゆがいておいしかったし。 相殺基準がおかしい気もするが、あんがいこんなものだ。
うーん、でもやはり昨日の取材では…取材対象では不十分だ。 悔しいが、もう一回行ってこよう。こんなことは珍しい。 なんなんだ、あそこの中途半端さは…。
◇◆◇
お昼はホワイトアスパラを使って、クリームスパゲティ。 ニンニクとベーコン細切りと玉ねぎスライスをいためて、 そこにちょっと小麦粉を振っていためて、牛乳を入れてソースを作る。 少々太めのスパゲティと、ホワイトアスパラの厚めのスライスをからめる。 塩コショウ。コショウは多めに。 アスパラは、昨日の残りだったので、すでにゆでていた。 昨日はレモンマヨネーズで食べたのだが、 端っこのほうにレモン風味がくっついていて、 それがやけに、ステキな感じで味のアクセントになっていた。 パスタに入れるためだけにアスパラをゆがいたなら、 レモンの味をつけることは、まったく思いつかなかっただろう。
さいきん作ったパスタの中で、1、2を争ううまさだった。 ホワイトアスパラの、 グリーンでも、ましてや缶詰ではまったく代わりができない、 さくさくとほろ苦いおいしさは、とにかくすばらしい…。
この気持ちは…ミョウガに対するときめきと、少し似てるかも。
「ときめき」なんて、何年ぶりに使う言葉だろう。しかも相手はミョウガ。
長崎を出たいと、あんまり思わない。 それは「いつも見ているはずのもの」が、 ふと、ぐにゃりと姿を変えて見せる瞬間が大好きだからだ。 いつも住んでいる町にいると、その瞬間が見つかりやすい。 旅に出れば、そりゃ発見の連続が起こって楽しいけれど、 いちいちいろんなことを考えがちな頭には刺激が強すぎるので、 たとえば「趣味は旅です」というペースで旅に出ることはないと思う。 でも「長崎が好き!」というわけじゃない。 いろんな意味で面白く、見続けるに値する町だとは思うけど、 「この町が好き!」というのとは、厳密に言えば、違う。
と、昨日、何度も通ったはずの道を歩いていて、 久しぶりだったこともあって、いろんなもの…これまでとは違ったものが、 見えたり考えを呼んだりして、ボーっとワープしてしまったので、 そんなことを思った。
しかし年を取るごとに、 どこにいても、どこに行ってもわりと同じ気持ちでいられる。 それは新鮮味が無いというのとはまったく逆で、 なにを見ても、新しく、不可思議なものに思えるようになってしまった。 これはかなり忙しい。 むしろ旅に出た方が休まる。
そんな中、最近行きたいと思ったところ…なぜか東京。 東京を、ローギアで歩いてみたい。
◇◆◇
昨日、石けんの材料が届いたのだが、 箱に「われもの危険」とおなじような感じで、 「見た目より重い場合があります」 と注意書きがしてあった。
そういうことって、たしかにある。いろいろと。
◇◆◇
一時期、多くのことを教わって、一緒に仕事をして、 人間的には「ほめられたもんじゃないかもしれないけど、憎めない」 というように思っていた人が、 そんな甘っちょろいことをはるかに超えて、 どうしようもないところに陥ってしまっていることを聞いてしまい、 なんとも味わったことのない、寂しさやかなしさを覚えた。 話してくれた人も、かなしそうで、 その人のかなしさもわかる部分がいくつもあったので、 余計にかなしかった。
2005年05月12日(木) |
MOGGY SOAP |
昨日のお昼は岩川飯店の「とり皿」。 その前に食べたカレーパン3分の1の油分で苦しんだというのに、 あの、アツアツ油がからまっている物体を食してしまった。 しばらくのどが渇いていた。
夜はそれを引きずっていたので、野菜たっぷりの味噌汁と、 十二穀米と、とろろ&たまご。ささやかに体を取り戻した。
寝しなに本を読もうと思っていたが、 散髪代と引き替えに契約した、ダンナによる足裏マッサージにより、 気を失うように眠った。 しかし、朝と昼の油でやられていたのか、胃のツボがかなり痛かった。 足裏もみ…あと9回あるのでうれしい。
今日は打ち合わせがひとつと、ひとり取材。 どこに行こうかな。でも空は怪しくなってきた。
◇◆◇
これまで、薬事法の関係で売れないと思っていた手づくり石けんが、 やけにネットでも店でも売ってあるなぁと思ったら、 どうやら「雑貨」「キッチンソープ」などとして売るという抜け道があるようだ。 ということで、たくさん作って売ることにした。 私が社長で、ダンナが社員。もぎくんは会長だ。 しかし100個売れても、利益は2〜3万てとこなので、 作ったり包んだりする手間を考えたら、原稿仕事のほうがよほど…。 ちなみに1度の仕込みでできるのは8〜10個。 道のりは遠い。 しかも、いま作っても、熟成期間が必要なので売れるのは1ヶ月後だ。 まぁでも、貧乏浪人が内職してるみたいで楽しい。 いちおうブランド名は「MOGGY SOAP」に仮決定。
さて、昨日仕込んだカモミール石けんを型入れするか。
◇◆◇
打ち合わせの帰り、てくてくと歩いていたら、 なぜかもやがかかったような空気の状態で、 スズメがチュンチュン鳴いていて、日も傾いていて薄明るく、 目に見える景色と音だけなら、朝のようだった。
ハトの巣の下に、小さな卵が落ちてつぶれていた。
アーケードの矢倉寿司の前を通ったら、 どうしても鯖寿司が食べたくなり、海老寿司とハーフでお持ち帰りに。 できあがるのを待つ間、その製作過程をじっと見つめる。 店のおもてにいた、先客の車いすのおばちゃんが、店の人と話している。 「あら、スズメの来よる。毎日来ると?」 「来ると。毎日。もらえるてわかっとると。3〜4回は来るね」 店の外に出ると、小さな皿にごはんつぶがちんまりと乗せてあった。
ギョウザの材料を買ってバスに乗る。
家に着いたら、もう、たまらなくなって、鯖寿司をひときれ。 たぶんこのひときれが、いちばんおいしい。
ギョウザと押し寿司。合わなそうで、合うはず。
か?
晴れ。 ダンナも休みだし、どっか行こう。 よって、今日は休み。 佐賀のカレーもいいなぁ…。これから行っても間に合わないかな。
さいきんカレー好き。
◇◆◇
昨日買ってたカレーパンを食べたので、カレーは却下。
うちではいま、プーアール茶ブーム。 ダンナはどうせあんな味は嫌いだと思っていたが、 こないだ台湾料理屋さんで私が飲んでいたのを一口飲んで、 「田舎のおばあちゃんちに来たみたいな気持ちになる」 とかなんとかメルヘンなことを言って、いたくお気に入りになってしまった。 私はもともと好きなので、しめた!と思って買ってきて、せっせと飲んでいる。
◇◆◇
きのうは2冊、本を読んだ。 ここんとこ、自分の中ではややこし気味の本ばっかり読んでて、 ちっとも読み進まなかったりしたのだが、きのうはややエッセイ寄りのもので、 同じ作者のものをググッと読んだ。 書き口はそんなにややこしくなかったが、いろいろ思わされるところがあって、 スタイルが軽いからって、重いこと、深いことは書けないというのは、 やっぱりぜんぜん違うし、むしろ逆だ、とあらためて思った。
軽くて軽いものも、そりゃーたくさんあるけど。
でもやっぱり、いまの気持ちとしては、ややこし気味の本を読みたいので、 今日からはまた戻る予定。
一息ついて新鮮な気持ちで。
きのうの夜は、とても疲れ、頭もドカーンという感じで泣いてしまい、 たぶん眉間にしわを寄せながら、たくさん汗をかいて眠った。 夢もちっとも楽しくなく、いや、かなりイヤな夢だった。 イヤだったけど、夢の中で通った、とても大きな木がある暗い森は、 少し湿った空気が生き物のように私を包んでくれて、ひととき安らいだ。 本当にあるのなら、行ってみたい。たしかあのへんという設定だった。
◇◆◇
情熱大陸。レオンの編集長。 「わかってて」やることの、ある程度の楽しさと大きなむなしさが漂っていた。 またひとつ、世の中の「まわりかた、まわしかた」をかいま見た。 私もたぶん、そんなふうにまわっている世の中にはいないと思いつつ、 多少は、いるのだろう。ささやかな規模ではあるけれど。 それにしても、むなしかった。 靴も、時計も、波乗りも、大きな犬も、すべてどこか、足が宙に浮いていた。
むなしさ…限界があること、か。
◇◆◇
新しい椅子に座っていると、 とても不服そうな表情で私を見上げる大きな猫がいる。 きみ、それはちょっと違うぞ。
イスがひとつ部屋にやってきただけで、 明らかに生活が変わったことが、まだ1日も経ってないのにわかる。 なんて、事は単純なんだ。 本を読むのが楽しい。文章に手を入れるのが楽しい。 いままではなんだったんだ。
◇◆◇
朝は、ハハが作った黒糖ぜんざい。 豆の粒が崩れすぎていなくて、そこがとてもおいしかった。
◇◆◇
昨日読み終わった本が、とてもおもしろかったし、勇気づけられたのだが、 これからは(もちろんやみくもに大人数がってことじゃないけど)、 いろんな人が空間的、時間的機会や場を設けて「集まる」ことが、 どんどん大切になっていくというようなことが書かれていた。 なるほど、とも思ったし、そういうことができれば面白いかも知れないけれど、 それよりもはるかに「それでも自分はひとりでやっていきたい」と、 反射的に思ったので、やっぱり大部分はひとりでやっていくだろう。 断絶したいというわけではないし、 一緒に何かやりたいと思う人が出てくればその時はやるだろうが、 ただ誰かと一緒にやるために、集まるためだけには、やりたくない。
「自分たちは少しでもなにかを考えて集まっている」 ということに酔ううぬぼれ集団には、間違っても属したくはないし、 属しているとも思われないよう、慎重に生きていきたい。
あと、そういうところにいがちなオシャレな人が苦手。 知ってる人ばっかりのイベントとかパーティも、最高に苦手。 そんな空間で花咲く、固有名詞をおりこんだ会話も。
◇◆◇
イス。 予想通りというか、案の定というか、ふと離れて戻ると大きな猫が…。 もうひとつ買うべきか、真剣に悩んでいる。
きのうプリントアウトした去年の自分の日記に、 わけもなく、校正や注釈やイラストを入れ続けている。 それが終わったら、写真も貼り付けるつもり。 たぶん本のような形にするだろうが、別にこれを出したいとかいうスケベ心はない。 (作り終えるころにそれが生まれないという確信もないけれど) だったらなんのためにと言われても、まったく答えに困るが、 しばらく前からどうしてもやってみたかったのだ。 ほかにもやろうとしていることはあって、そっちをやりはじめたりもしたが、 こっちが先だ、という気がどんどんしてきて、やってる。 たぶん昨日書いた「仕事としての考えごと」の確認作業だろう。
このような作業中は、生身の自分がごちゃごちゃしないので快適だ。
◇◆◇
昨日の夜は、豚しゃぶ。 うすーい豚肉をヒラヒラさせて食べたかった。 最後はそうめんをゆがいた。 鍋に入れようかな、と思ったけど、 ゴマだれを食べ過ぎたダンナが「スッキリしたい」というので、 夏のように、氷を浮かべて、ショウガを入れたつゆで食べた。 新鮮なおいしさだった。食べ過ぎた。
◇◆◇
無印に頼んでいたイスが届いた。 思いこんでいた値段よりも5000円も安くてビックリして、 「もっと高くなかったですか?」と聞いたけど、その値段だった。 なんであの値段だと思っていたのだろう???
組み立てのしあわせタイムを満喫した。
連休。 連なった休み。 今日は落とし穴。 私も仕事をしよう。
特に連休が関係ある職業のあり方ではないが、 世の中の「連休感」にとりまかれると、やはりなんとなく連休な感じだ。 打ち合わせなんかが、まずないし、電話もかかってこない。
しかしもう、あきらめてはいるが、 私はいつも年中無休、夢の中まで営業中だ。 たぶん死んでも休まらないだろう。
かなり最近まで、 「考えごとをするのが好きで、それをたまに商売に使えてよかったなぁ」 と思っていたが、どうも違う気がしてきた。 好きは好きなんだけど、 そして年中無休だからって大儲けしてるわけでもまったくないけど、 私にとっての「考えごと」は、好きとか趣味とかそんなんじゃなく、 もっと広い意味での「自分の仕事」だという思いが強くなってきてしまった。
これをさらに、よりよい形で生活する力へ結びつけていくのが、これからの課題。
◇◆◇
去年の日記を発作的にレイアウト&プリントアウト。 どうしたいのだ…。反省?
2005年05月05日(木) |
たとえばショウガ焼きのタレ |
昨日の夕ごはんは、友だちがひとり来て、麻婆豆腐とあっさり冷やし中華など。 ダンナはたいして食べない鶏とレンコンとごぼうの煮物(2日目)を、 その人がぱくぱく食べてくれてうれしかった。 やっぱり料理は食べて、食べられてナンボだ。 麻婆豆腐の肉みそ部分を中華麺とからめてみたら、 まさにジャージャー麺になって、あまりのおいしさに夢中になって食べた。
食べたあと、グッと眠たくなって、コロンと横になったら、朝だった。
今日はこれからホットケーキを作ってみる。 昨日のだんごはおいしかった。いいきな粉を買って正解。
食べ物の安いのと高いのって、目くじら立てるほどは違わない。 食べ残したり、冷蔵庫の中で忘れられて、いつか捨てられるのなら、 量は少なくても、いいものを買って大切に食べた方がよほどいい。
高い家をギリギリで買って、食費を節約するのもイヤだ。 こないだ郊外の業務用食材屋を覗いたら、 周辺のニュータウン(そのあたりには次々とできている)の 住民らしき家族連れがたくさんいて、添加物てんこ盛りの冷凍食品とか食材とか、 インスタントものを大量に買っていた。 いくら「健康住宅」に住んでても、そんなもん食べてたらおんなじこと、 いや、もっとひどいことなんだって、どうしてわかんないんだろう?
食べるものをちゃんとする道は、いくらでもある。 お金だってそんなにかかるものじゃない。 でも値段だけが安い怪しい食べ物をたくさん買うために、 手抜きが美徳みたいに言われるのは、こわいなぁと思う。 「ショウガ焼きのタレ」なんて商品を見ると、ボーっとしてしまう。 ショウガと醤油と酒、お好みで砂糖があればできるのに…。 でもこんなことを言うと「料理ができる人はいいわよ!私は忙しいのよ!」 っていうようなことを主張する人がいて(このへんはたとえ話でもあります)、 もう、それはそれで、そういう世界なんだろうけど、 私はこっそり、それは違うと言い続けよう。
◇◆◇
お昼は「拓どん」で、ごまみその入った肉うどん。 必要以上の「手打ち感」「こだわり」「男のロマン」が匂ううどんが嫌いだが、 ここのはギリギリセーフで、素直に好きだ。 私がおいしいと思ううどんの、世間的には最高レベルのものだろう。 うどんはチープでやさしいほどいい。 難しい顔した脱サラオッサンが人生をかけて打つ、 エッジが立ったゴリゴリのこだわりうどんと、 ふた昔前の高速のサービスエリアにあったような自販機のうどんなら、 迷うことなく自販機うどんを選ぶ。
自販機うどんを食べるシチュエーションが好き、とも言える。
どんな食べものも、シチュエーションが味を大きく左右するが、 うどんを、それもチープなうどんを食べる時って、 それしか選択肢がなかったりするような、独特のかなしさがあって、 でも、決して悪いかなしさではないような気がするのだ。
小さいころ、ひとりで泳ぎに行って、 プラスチックの食券と引き替えたプールのうどん。
風邪ひいたお昼に、近所のうどん屋さんから出前してもらったうどん。
もっと小さいころ、ケガをして入院してたとき、 数少ない楽しみのひとつだった、それこそ自動販売機のうどん。
バイクで乗った高速のSA。唐辛子をめいっぱいかけたけど、 それでも辛いと思えないくらい寒かった日のうどん。
心と身体が弱っていたとき、おなじような境遇にあった人と食べたうどん。
仕事と仕事の合間の時間が短くて、とりあえずかきこむしかないうどん。
普段はあるべき要素(時間とか元気とか)が欠けている状況の中で、 あたたかさや、ひとまずの栄養を与えてくれるものといえば、うどんだ。
だからそこに、必要以上の個性やうんちくや威張りん坊がやってくると、 消化不良になってしまう。
…というようなことを、前にも書いたような気がしてきた。 本を読むための椅子を探してまわったので、疲れたのかもしれない。 そう、疲れていたので、夜はインドカレーにした。ターメリックライスも炊いて。
私が行く範囲の店には、コリアンダーが売っていない。 時々たまらなく食べたくなる、あの、くーさい葉っぱ。 コリアンダーっていうより、パクチーと呼ぶほうがしっくりくる気がする。 前は大きいスーパーのハーブ売り場にあったのだが、 売れ行き不振なのか、もう売っていない。 エスニック系のカレーやスープに、心おきなく入れたくて、 こうなったらもう、ベランダで作ってしまうことにした。 おととい大規模なプランター模様替えを行い、種をまいた。 パクチーとバジル。 生物の成長は待つしかないので、楽しみに待っている。
「成長」という範疇はとっくに通り越しているだろうが、今日は妹の誕生日だ。 かなり数少ない「友だち」のひとり…。おめでとう!
◇◆◇
おととい買い物をしていたら、突然だんごが食べたくなり、 だんご粉ときな粉を買った。黒みつも作った。 朝ごはんは、だんごにしてみよう。
あ、あごを虫にかまれてる。虫にかまれるなんて、春も進んだな。
◇◆◇
今朝はいろんな意味で怖い夢を見た。 戦争…というより、気づいたら日本の3カ所ほどに核爆弾が落ちて、 それぞれ何十万人も死んでいる上、残っている人もガンガン放射能にやられる。 私が住んでいるところもそうで、たぶん私ももうすぐ倒れる。 それなのに、英語の試験を受けなくてはいけない。 全部で5問。 でもちーっともわからなくて、時間はどんどん迫っていて、 放射能や死んじゃうことより、そっちのほうが怖いとすら感じる。 文法的には合ってないけど、単語を並べた叫びのような文章を書いて提出した。 空には、見たことがないような、輪郭だけの月が出ていた。
2005年05月03日(火) |
おねえさまと会ったが、会ってた。 |
昨日の夜は久しぶりに飲み屋さんに行った。 ダンナと、ダンナの上司と、ダンナと一緒に仕事をする記者と。 こう書くと、人が苦手な私がどうして行くのかっていうくらい、 すごくイヤな飲み会みたいだ。 でもその2人のことは大好きなので、いそいそと町へくだるバスに乗った。 そしていろんな話をして、2軒目は、なんと「カレーパンのおねえさま」の店へ。 おねえさまはとてもステキな人だった。 こんどはおねえさまからいろんな話を聞いて、すごく楽しくて、 帰って眠ってからも、夢の中でおねえさまと話していた。 また会いに行きたい。
私が時々行く、安くておいしい天ぷら屋さんに、 おねえさまは家が近くなので時々行くらしいのだが、 そういわれると、会ったことがあるような気がしてならない。 去年の、まだ暑いときに、あの席に座っていた、 あの派手なシャツを着ていた人に違いない。 なんと言ってもしゃべり方がおねえさまだし! 人のことなんてほとんど記憶しない私だが…そう、どんどん思い出してきた。 くんちの桟敷のチケットの話をしていたから覚えてるんだ。 そして昨日、去年もその前も、くんちを見に行ったって言ってた! あ〜、絶対そうだ。会ってたんだ〜。
◇◆◇
その、昨日の飲み会から帰ると、ダンナは自分の部屋で行き倒れになり、 運ぶのは重いので、そのまま毛布を掛けた。 そしたらもぎくんが「ほっといていいの?」っていう顔をしていたので、 「そばにいてやる?」って言ったら、本当に向こうに行ってしまい、 そのまま朝までダンナのそばにいた。すごい。やっぱり犬かもしれない。
◇◆◇
新聞を見ていたら「モーニング娘。」の表記が、 すでに「モー娘」ですらなく、「モ娘」と化していることに驚いたのだが、 それよりも驚いたのは「ギター侍」が「ギ侍」なことだった。
晴れると思ってお風呂のお湯も洗濯用に残していたが、深いくもり。 冬物洗濯計画挫折。
昨日のコロッケは、かなりイケていた。 (牛ひき肉と玉ねぎ。砂糖じょうゆとコショウ少々の肉じゃが味) 欲を言うなら、あと少し、じゃがいものゆで時間を短くするべきだった。 まだだと思って、ためしに竹串を刺してみたら、 「とっくにゆだってまっせー」と応えられてしまったので。 新じゃがだったからなー。
パン粉をつけてすぐ、ガマンできなくて1個揚げて食べて、 ごはんの時3個食べて、朝起きてすぐ揚げて1個食べた。 ダンナにはコロッケパンにして持たせたら、 どうやらおいしかったようで、すぐさまメールが来た。 あと4つ残っている。お昼に食べてもいいくらい、まだ飽きてない。 なんなら今すぐ揚げてもいいくらい。
ダンナといえば、コロッケパンならぬ、カレーパン事件。 (4月22日の日記参照) その後、お店に行った職場の人から、 「おねえさま(男)にキスしていたらしい」 という、真偽のほどと、その場所(ほっぺか?くちびるか?)は定かではないが、 かなり衝撃的な話を聞いて、ますますカレーパンが怖くなったようだ。 職場の人からも、含み笑いつきで「カレーパンごちそうさま…」と言われるらしい。 くくく…新しい道がひらけるのか…???
◇◆◇
今日は、さっき思いついたことを集中してやってみよう。
◇◆◇
お昼は納豆うどん。サイドメニューは、もちろんコロッケだ。
◇◆◇
友だちから電話。 たまにクロスワードのわからないところを聞いてくる。 「『ああ無情』って、映画になったりしたっけ」 「たぶん」 「主人公ばした俳優って、だれやったっけ」 (ちょうど家にいたのでネットで見てみる) 「何文字?」 「うーん、ジョン…なんとか、8文字、あ、でもところで、 レンコンを酢に漬けたヤツって、なんて言う?」 「何文字?」 「3文字」 「酢ばす」 「あぁ…じゃぁ、ここは『ば』…」 「ひょっとしてさー、小説の主人公の名前じゃ?」 「そうかも」 「あっ!ジャンバルジャン!」 「あぁ!それ!埋まった! ちなみに(クロスワード全体の)答えは『いのうえようすい』」
その時間の「瞬間最大しょうもない会話選手権」で、長崎一だと確信した。
ちなみに前回聞かれたときの答は「あさしょうりゅう」だった。
霧で真っ白。 港どころか、そのへんの家も見えない。 いつもは港からうちが見えるが、今はまったく見えないだろう。 帆船たちは出航できるのだろうか。
霧で真っ白といえば、昨日の夜「解夏」をテレビで見た。 長崎の景色がたくさん出てきていた。 「その階段の先に、あの墓はない」などと突っ込みながら見ていたら、 いつの間にか終わってしまった。 その、あまりのあっけなさに驚いた最後のシーンが、 大沢たかおの視界が霧の中に閉じこめられるように、真っ白になるところなのだ。 あの映画の見せ場をあげるとするならば、 ストーリーでもシーンでもなく、失明してしまうという設定だった。 それをいちいち説明するので、とても退屈なものに仕上がっていた。 素直なキャスティングも、退屈さに輪をかけた。 失明する主人公に「あなたの眼になりたいの」なんて言う彼女が石田ゆり子なんて、 あまりにひねりがなさ過ぎる。 「そりゃこの優等生ねーちゃんなら言うだろうなー」って感じが、 感情移入を遠ざけていった。
大沢たかおも、今まではわりと好きだったが、ランクが下がってしまった。 見た目は嫌いじゃないが、昨日、声が好きじゃないことに気づいたので。 私はもっと、ヘナチョコな声が好きだ。
◇◆◇
霧の中の出航を、見に行こうかどうしようか迷っている。 こんな時、大波止のインドカレーを食べようかな、と思いつくのだが、 どうもあの店の雰囲気が嫌いなので却下してしまう。 これまで何度却下したことか…。 それでもよほど食べたい時は入ってしまう。 そして味にだけ集中する。
◇◆◇
読んでいた本に親子丼が出てきておいしそうだった。 でも鶏肉がない。 タマネギとしいたけとみつばで玉子丼を作った。 おいしかったが、鶏肉が、せめてカマボコが入っていないと、 やっぱりときめかない。楽しくない。 ベジタリアンにはなれそうもないな、と確信した。
夜はコロッケにしよう。 サクサクホクホクの、小ぶりのコロッケを揚げよう。
◇◆◇
出港パレードは霧で中止だったが、 観光丸が出て行くところを見ることができた。 女神大橋も見えないくらい霧が濃くて、 消えていく観光丸が、映画みたいだった。
本を買って、買い物をして、コーヒーを飲みに行く途中、 さくらんぼがなっている木があった。 すぐ隣には、ビワがなっていた。こっちはまだ青い。 ビワはよく見るけど、さくらんぼがなっているところはあまり見ないので、 たくさん写真を撮って、こらえきれずに、ひとつぶいただいた。 雨上がりの水滴が付いていて、洗ったばっかりみたいで、 最高に熟れて、ちょっとはじけてさえいた、厳選のひとつぶ。 たいへんにおいしかった。
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