ぴんよろ日記
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2005年04月30日(土) ひさびさひとり。

ひさしぶりに、家でひとり。
洗濯して、掃除しよう。
気が向いたら、港の帆船が帆をあげるのを見に行って、本屋に行こう。
買いたい本はあるけど、置いてあるかな。
暑くなったら、グアバジュースかジェラートを買おう。
夕食は、なんにしようか。
洗濯物が乾くまで、雨にはちょっと、待ってほしい。


◇◆◇


などと思っていたら、とても眠たくなり、昼前から眠ってしまった。
途中で雨も降っていたようだ。湿りながら揺れる洗濯物…。
そしていま、夕方6時半。掃除&片づけの途中。
気づいたらお昼も食べずに眠っていた。
買い物に行かなくちゃ、おかずがない。


2005年04月29日(金) 飛び込んでくるもの

さて今日はいよいよ年に一度の陶器市の日だ。
この一年、いろいろな物の見方が変わったというか、
違う景色が見えるようになってきた気もするようになっているというか、
まぁそんなとこなので、
どういう器が自分の目に飛び込んでくるのか楽しみ。


◇◆◇


そういえば昨日、新しい美術館に、ちょっとだけ寄ってみた。
どれくらいちょっとだけかというと、展示は全然見ずに、
ミュージアムショップとカフェとトイレだけだ。
いやー、どうなんだ、あれ。
新しく、しかも、みなさんに開かれていて、
デートにだって使っちゃってくださいとまで言い切る美術館のカフェが、

こ、これ?

気は確か?

…ということで、辛口魂が炸裂寸前だが、もう出かけます。
いや、辛口なんかじゃ全然ないよう!あれがひどすぎるんだよう。


◇◆◇


陶器市。収穫多数。

さて。
毎年、本会場を散策したあと、深川製磁のチャイナオンザパークに行くのだが、
一企業の展示館であるあそこのカフェ&トイレにすら(比べるのが失礼か…)、
長崎県美術館のそれは、背中が見えないくらい離されている。

誰だ、あのカフェにオーケーを出したのは。
オーケーを出した上に、さもステキな場所のように胸を張るヤツは誰だ。
あのロケーションに建てておきながら、窓からは港どころか工事現場しか見えず、
通路の半分を使っているから、通る人からジロジロ見られてまったく落ち着かず、
テーブルはせまく、テーブルの間もせまく、テーブルの数も少なく、
とにかく突っ込みどころ満載のカフェを「オシャレスポット」と言い張るヤツは!
チャイナオンザパークのトイレのラベンダー石けんで顔洗って出直してきなさい。

期待してただけに、がっかりが大きい。
とりあえず、今年のがっかり大賞にノミネート。
コングラッチュレイション!


2005年04月28日(木) おこたりたくない。

4日間、のんびりした。
こんなにキーボードに触らなかったのも、どれくらいぶりだろう?
少なくとも半年は無い。
さっきメールを書きながら、
あまりにもキーボードを打つのが遅いのと、
言葉がいつものように出てこないのとに驚いた。
ハタから見ていたらあんまり変わらないとは思うけど、
自分の中ではあまりにも違っていて。

小学生のころ、なにを血迷ったのか、バレエを習いたいかもと思ったことがある。
たぶん「ベルサイユのばら」が好きだったので、宝塚に…?
今の自分から思えば、百万光年くらい開きがあって笑うしかないが、
それでもやっぱりとっかかりを、
「『バレエ入門(小学館の入門百科シリーズ)』を買う」
というところから始めるのが、三つ子の魂百まで。
本を読んでも手や足は動かないというのに…。
しかしそこで衝撃的な一文に出会った。今でも忘れない。

「練習を一日おこたると自分にわかり、二日おこたるとまわりの人にわかり、
 三日おこたるとお客さまにわかるといわれています。」

バレエ…オレにはできねぇ、と、その時確信した。

ほんとうにそうだ。
3日文章を書かなかった自分には明らかにわかった。
なにかが詰まってしまっているのを。
さらに、こうして日記を書いている今、それが溶けていっているのも。

でも、バレエを「おこたらないこと」は、
瞬時に「できない」「したくない」って思ったけど、
文章を書くことに関しては、今朝ますます「おこたりたくない!」と思った。
だから自分に関しては、今のところ、こっちに来たのは間違ってなかったようだ。

それぞれにきっと、おこたりたくない!と思えることがあるんだろう。
それが何かは、慎重に、そして直感に従い、自分で探すしかない。


◇◆◇


数ヶ月ぶりに会う人と、昼から夕方までしゃべっていた。
年は離れているけど、会うと延々と話してしまう。
今日もいろんな話をした。

ある人としかできないような、他の人にはスッと通じないような話を、
スイスイとたっぷり話すのは、とっても楽しい。
友だちなんて、多けりゃいいってもんじゃないって、しみじみ思うのであった。

それにしても今日は、いろんな人と出くわした。
見かけた人も含めると、ざっと10人ほど。
あんまり出くわすので、最後はいつもの喫茶店に逃げ込んでしまったが、
フルーツヨーグルトを食べながら、ふと窓の外を見ると、
その一瞬に、また知ってる人が通った。

帰りのバスの中で、オウムの指名手配のポスターを見た。
3人の写真と「現在のイメージ画」というのが並べてあった。
でもわざわざ別に描くほどかけ離れていなかったし、
なによりイメージ画の3人が、とてもふくふく&はつらつした顔なのが笑えた。
もう何年も潜伏して暮らしてるのに、あんな明るい顔してるわけないだろう。
それとも修行を積み、ステキな境地に至っているという深読みによるものか?

などと考えながら揺られていたら、知っている人が乗ってきた…。


◇◆◇


明日は陶器市。
年に一度のまつりだ。


2005年04月27日(水) 旅メモ

朝ごはん。
また、おいしいけど、多い…。

朝風呂に入って、ログハウスのウッドデッキでコーヒー。

宿を出て、長湯温泉を眺める。

小国に帰り、友だちとそばを食べる。

熊本に寄って帰ろうかと思ったが、冷静に考えると、
すぐに帰っても夜になることがわかったので、菊池、山鹿を通ってフェリーに乗る。

もぎくんのエサを買って、実家に寄って帰宅。

もう何もごちそうを食べたくないので、カップラーメンとカップうどんを食べる。


2005年04月26日(火) 旅メモ

友だちは朝からお仕事へ。

友だちダンナがサンドイッチを作ってくれる。

そのへんをドライブ。
名前の通り、マジでぬるい、奴留湯温泉に入る。ぬるい。さむい。

カルカッタでカレーを堪能。

黒川温泉を、悪態をつきながら通過。(だって嫌いなんだもん)
黄色い桜を見る。

ガンジーファームでソフトクリーム(ヨーグルト掛け)。

今夜の宿、「翡翠の庄」に着くと、安い長屋の部屋を取っていたのに、
急にキャンセルが出たとかで、ログハウス一棟が与えられるが、
本心を言えば、広すぎてもてあました。

いいお湯だった。

ごはんは、とってもおいしかったけど、私たちには量が多くて、
途中から気が遠くなった。

あまりの満腹さに、ラウンジに行くこともできず、部屋で仮眠。

ヨロヨロとお風呂に入って、部屋でくつろぎ、眠る。






2005年04月25日(月) 旅メモ

ちょっと寒くて、朝方目が覚める。
夜明け前の青い空に浮かぶ由布岳がきれい。

「無量塔」のアルテジオの美術館で、
ロールケーキと、声がデカイなまぐさ芸術家のビジネストークを堪能。

「玉の湯」の葡萄屋でおいしいお昼ごはん。親戚カメラマンとばったりびっくり。

「亀の井別荘」の天井桟敷でコーヒー。

…ということで、いやらしく「湯布院御三家」を回った。

でも結局は、どんなにコテコテでも、中途半端な店に行くより楽しいのだ。

小国に戻り、今はやりのコイン式個室露天風呂に入る。
お湯が強烈で、ふたりとも髪がゴワゴワに。

「彦しゃん」で魅惑の肉食ディナー。

友人宅でちびちびチーズなどを食べながら二次会。

寝ようとしたらダンナが「コワイ話をしよう」と、小学生のようなことを言い出す。

言い出した本人による、
「小学生のころ、友だちのナガオくんちに行った時に起きたあまりにも恐ろしい話」
を聞いてしまい、あまりの恐ろしさに固まる。
本人もあまりに恐ろしかったので、これまで話さなかったらしい。
ほんとうに恐ろしかったので、ここには書きたくない。

そのまま寝るのが怖かったのもあり、友だちと別の話を始めたが、
今度は人間界の魑魅魍魎の話になり、別の意味で恐ろしくなりつつ、2時半に寝た。



2005年04月24日(日) 透明のクッションが…

ただいま草木も眠る丑三つ時。
明日(今日)からちょいと遠出するので、たんまりと仕事を片づけたところだ。
旅の用意は、まったく手つかず。いつものことだし、大した用意もしない。

深呼吸して早く寝なくては。

久しぶりに会う人と会ったが、うまくしゃべれなかった。
久しぶりじゃない人とも、そううまくしゃべれるわけじゃないから、まぁいいか。
本当はもっとしゃべりたかったし、
会ったら話そうと思っていたこともいっぱいあったが、そう思えば思うほど、
ぐぐーっと透明のビーズクッションのようなものに包まれたようになってしまい、
息苦しく、どんどん気が遠くなるのであった。

こんなのでよく生放送に出てたと思う。
慎重なようで、かなり身の程知らず。

でも、前にも書いたが、人よりはカメラの前の方が気は楽。
心の不思議は果てしない。


◇◆◇


朝。
眠い…と思ったら、あんまり寝てないんだった。
干していた洗濯物をたたんで、そのまま袋に詰めてでかけよう。
晴れている。山はきれいだろうな。
明日の朝は、目が覚めたら大きな山が見える、はず。




2005年04月23日(土) 11時間

自分の意思によらなかったもの、
意思を通り越してそうなってしまったものほど、
手や頭の中や、身体のまわりにしっかりとくっついている。


◇◆◇


昨日は取材の疲れと、そのあと行った足裏マッサージでドドーッと来てしまい、
ごはんも作れなかったので、
安くておいしく、うんちくをたれない天ぷら定食を食べに行って帰ったら、
とにかく立っても座ってもいられないほどボンヤリしてしまい、
ちょっとだけ横になって、それから本でも読もうと思っていたが、
そのまま朝まで気を失った。
でもさすがに9時から眠っていたので、6時ごろ目が覚めた。
それでもまだ体が重かったので、8時まで寝て、ようやく楽になった。
11時間寝た。

足裏マッサージが、最近よくあたっていたお姉さんではなく、
グイグイガンガンツボを押してくるお兄さんだったので、
あまりにも効いてしまったのかもしれない。
なんかゴリゴリしているところもいっぱいあったし。

今日はがっつり仕事して、美術館のオープニングライブを聴きに行こう。


◇◆◇


天ぷら屋さんで「警察24時」みたいなのがあっていて、
帰りに市警の前を通った。

私「やっぱり警察の人は『警察24時』を見るとかな」
ダンナ「どうやろう」
私「でももし『報道カメラマン24時』があったら見たかやろう?」
ダ「うーん、見るかも」
私「『フリーライター24時』は面白くなさそう」
ダ「特にしもづー(私のこと)のはね。家にこもってる映像ばっかり」
私「あとはボンヤリ散歩して、本屋に行って、食べものを買うくらい」
ダ「まだ『カメラマン24時』のほうが面白かやろう」


2005年04月22日(金) おそろしい才能

おそろしいものを見た。

昨日、立て込んでいた仕事の最後のものとして、
ある食べものメーカーが作りたいというので頼まれた、
こども向けのお話を考えていた。
まだ使われるかどうかもぜんぜん未定だし、
基本的には使われたとしても、それこそ「クライアント」さまの意向で、
お話そのものがどんどん変わることだってあるだろう。
まぁしかし、第一段階としては、純粋に自分の頭の中から出てくるものを、
大きめのクロッキー帳に、登場人物の絵も交えながら書き付けていった。
最初はストーリーだけでいいって言われていたんだが、
書き出してみると、どうしても、ある程度は物語な感じで書き進めなくては、
自分にだってどんな話かわからなかったので、どんどん書いていった。
そしたら、本当に、出てくる人たちが、その世界の中で勝手に動き出すのだ。
私にはそれを見守ることしかできない。
書くことで見守るというか、書くことで覗かせてもらっているというか…。
とにかく、書いているのは自分なんだけど、
書かれていることも自分の頭から出てきたことなんだけど、
そのコントロールのきかなさというか、「走り」のスピードに、まずは驚いた。

いつも文章を書いて暮らしてはいるけれど、
こんなタイプの、つまり頭の中から取り出すだけの文章を書くことはあまりない。
見たり、歩いたり、食べたり、感じたりして引き起こされた思いや考えを、
なるべく慎重に書きうつしていくか、
あるいはまったく「機械的」に近い形で、具体的な要素は決まっていて、
それを文章に組み上げるという、技術的な作業に近いものがほとんどだ。
だから昨日の、ほんの小さな、
しかも結果的にはその食べものの広告でもあるけれど、「お話」を書くことは、
いつも乗っているのとは、ぜんぜん違うタイプの車に乗ってしまった感覚だった。
アクセルやブレーキの加減がわからないし、
目の前に見えてくる景色もぜんぜん違う。
いちど走り出したら止まらなくなる。

楽しくはあったけれど、怖いような気もしながら、どんどん書いて、
最後の景色まで見えてきたところで、やめることにした。
もうそれが見えたから、ひとまずは戻りたかった。

そして眠った。

そしてやっぱり、夢を見た。
そのお話を書いたからとしか思えない、
大切なような、おそろしいような夢を見て、泣きながら起きた。

すごくわかった。
人がどんなに自分のことを平凡だと思っていても、
書こうと思えば、絶対に「お話」は書ける。
脳味噌の中は、知らず知らずのうちに、
目もくらむような量のイメージをため込んでいるから、
お話を書きたかったら、それを引き出す状況…
つまり、心の芯から「書くぞ!」と思って、
紙の前に座ってみること(これがなかなか難しいけど)をしてみればいい。
もちろん、文章を書く上での技術的なことは置いといての話だ。
そしたらきっと、お話は出てくる。
自分が鉛筆を動かすスピードの遅さにイラつくくらい出てくるかもしれない。
でも、これを職業として成り立たせるのは、
ものすごくタフで特殊な脳味噌が必要だろう。
脳味噌がため込んだイメージを出し入れするスイッチを、
その時の気分や体調を乗り越えて切り替えることや、
頭の中だけの世界と、身体を使った世界とを同時に生きることや、
しかも「現実社会」では、いわゆる普通の「社会人」として、
各種手続きなどもこなしていかなくてはならない。
時として、いちばん見たくないものである、自分の頭の中を覗いたまま、
あるいは開頭手術の途中の状態のまま、暮らさなくてはいけない。

私が普段書いている文章は、
特に広告系のものの場合は職人技の部分が大きいから、
逆に「字を書けるから書けると思ってもらっても困る」
と啖呵を切ることができる。
金槌やノコギリを手に持てるからって、家を建てることはできないように。
でも物語を書くって、その金槌やノコギリで、何をしてもいいのだ。
ビューンと投げてしまってもいいし、
仕事のデータがたくさん詰まっているパソコンを破壊してしまってもいいし、
神棚に祀ってもいいし、布団で抱いて眠ってもいいし、
大切な人の頭めがけて…。

おそろしい。おそろしすぎる。

それでもまだ、自分が生きているのとあまり変わらない世界を書くなら、
まだ、まだ、生きやすいかもしれない。
しかし昨日私が2ミリだけかいま見てしまった、
純粋「オハナシ」の世界となると…。

ひところの少女漫画家や、こども向けファンタジーを書いたりする人が、
どう見たって似合わないのに、物語のような格好をしているというようなことが、
とにかく今日、ものすごくわかった。
敏感だから書いている人は、そうすることでギリギリ身を守っているのだし、
鈍感だから書けている人は、そういうことが平気だから書けているのだ。
(こっちの方が才能としては強そうだ)

どちらにしても、物語を生み出しながら、
現実社会的にも「狂ってる」と言われないコンディションを保ち続けるのは、
まったくもって、それこそが才能だ。

おそろしいおそろしい…。こんな境地、凡人は見ちゃなんねぇずら。


◇◆◇


こないだダンナは、職場のおねえさま(女)に連れられて、
おねえさま(男)のいるお店に行ったそうだ。
そしてわりとごきげんになり、普段は下を向いてモジモジ君のくせに、
双方のおねえさまがたの前で、楽しいトークを繰り広げたらしい。
後日「カトウくんって、あんなにしゃべる人だったんだ〜」と、
おねえさま(女)のお一人から含み笑いで言われたというので、
いったいどんな楽しいトークだったのかとたずねてみたら、
「よくは覚えてないけど『あらそぉ〜お?』とか『いやだわ、もう』とか、
 おねえさま(男)のようなしゃべりを混ぜ込んで、受けたような気はする」
と言っていた。(誤解を恐れずに言うと、すごく上手)
そして昨日、お店のおねえさま(男)から、
「カトウくんは元気〜?」というメッセージとともに、
職場のおねえさま(女)に、大量のカレーパンが差し入れられたという。

好かれたのか? それともスカウトか?



2005年04月21日(木) みっちりと

もんやりとした天気。
霧でもないし、でも澄んでないし。(黄砂でした)

港にはサファイヤ姫がおでましだ。何度見ても大きいなー。

今日はみっちり仕事がそびえ立っている。
夜までに終わらせたい。

奇跡的に夕方までに終わったら、念押しの整体に行こう。


◇◆◇


これとは別の日記を人知れず書いているが、
それとこれとを足しても、書いていない部分はたっぷりあって、
人間というものは、底知れないな…と実感する。

だから世界になんか、余裕はいくらでもあるのだ。


◇◆◇


昨日は取材で疲れてしまい、夜は外食に5000点だったが、
食べたいものが「あっさりめのまともな和食」で、
そう考えていくと、高いところしか思い浮かばず、
結局は大フェイントで鯛のアラなどを買って帰り、作って食べた。
アラと真子とタケノコを炊いたのが、大変においしかった。
いつものあら炊きは甘辛くしてしまうけれど、
昨日は酒と水と江島醤油でクールな味付けにしてみた。大正解だった。

でも「なんで、居酒屋じゃなく、ほどほどにまともな和食って高いんだろう」
って、作る前は思ってたけど、
昨日「和食だ!」と意気込んであれこれ作ってみたが、
しかし、気づいてみたら居酒屋みたいだったので、
なるほど、まともな和食には大変な手間がかかるんだ…とあらためて納得した。
上品な白和えとか、ナントカのしんじょとか、
そういうものを食べたかったんだけど、実際に作ったのは、

 ネギとショウガをたっぷりのせた牛タタキ
 揚げ出し豆腐
 鶏胸肉とキュウリのゴマあえ柚子胡椒風味
 鯛の頭の塩焼き
 タケノコと鯛のあら炊き
 お茶漬け

であった。完全に居酒屋だ…。
本当はこれにあっさり豚しゃぶ(野菜はあえて三つ葉だけ)もあったが、
お腹いっぱいになったのでやめた。
今日の夜にスライド登板だ。

しかし上記のメニューで、2人分1000円くらい。
和食の店に行って、調子こいて何杯か飲めば、その10倍はかかる。
まぁしかし、たまには、すがすがしい味の和食が食べたい。お店で。


2005年04月20日(水) 脳味噌のオッパイ。

いつものようにリアリティだけでできているような夢を見ていたら、
どうやら地震があったらしい。まったく気づかなかった。
しかし今、ふと部屋を見てみると、ぞんざいに積んでいた資料が、雪崩れている。
本当だったのか…。
地震の時に、家の中でいちばんいたくないのが自分の部屋っていうのも、
ちょっと悲しいものがある。
でも本の爆弾に打ち続けられるのはいやだ。
よく、本が大好きで「本に埋もれて死ねるなら本望」とかいう人がいるけど、
次から次に、それだけでは死に至らない衝撃が続いて、
その積み重ねが致死量に達した時に息絶えるってのは、死に方としてはどうですか、
ちゃんと考え直してみませんか、と問いたくなる。
私だって本が好きで、知らない世界が詰まってるから好きってのもあるけど、
字や写真がたくさん印刷された紙が束ねられているという、
物体としての本への偏愛もあるので、
それならば本に埋もれて死んでもいいと思うべきかもしれないが、いやだ。

本を読みながら、というのは大いに「あり」だと思うけど。


◇◆◇


本といえば、
「最近どんな本読んでる?」「最近何が面白かった?」
っていう質問には、ほとんど答えられない。
ほぼ絶え間なく読みかけの本はあるけれど、いつも答えられない。
こんなときに、
「あぁ、村上龍の新刊、厚かったけど一気に読まされた」
とか言ってみたいが、まず読んでない。

その時々の自分にとって必要と思う本を、
動物が薬草を探し当てるように本屋で探して、
ひっそりと読んでいる…というのがいちばんしっくり来るので、
本当に本当にイヤミな意味じゃなくて、
ほとんどは作者の名前や本の内容を言っても、
すぐにわかってもらえるようなものは少ないし、
何冊もの、途切れない本読みの中の「文脈」で読んでいるので、
それ一冊を「今読んでる」って答えても、
時として人格を疑われそうなヤツもあるし、
あと、やっぱり、感覚としては、
「あなたのオッパイ見せてください」
って言われるのとおなじような気がするってのがネックだな。

なんか恥ずかしいのであった。脳味噌の裸を見せるみたいで。
あるいは、まだ未消化の、胃の内容物とか。


◇◆◇


暖房をつけなくてもいい気候になって、楽。
見たくないテレビが始まったら、すぐ自分の部屋にこもれる。
前はダンナも、
私のそういう明らかな行動が気にさわらないこともなかったようだが、
今はだいぶ慣れたようで、いろいろ言わない。
私も当然のようにスッと出て行く。
仲が悪いわけではないんだけど。見たくないテレビを見るのは本当に疲れるのだ。

ダンナは時々オバサンみたい。
人の色恋沙汰の話をワクワク聞いていたりするし、テレビドラマをよく見る。
私はどっちも興味ない。


2005年04月19日(火) ついに来ず

依然として肩はこっているが、
今回の異常事態の前…つまり普通の状態である、
「こってるなーと強く思いつつも、机には座って仕事をしていられる」
ところまで戻っているのでうれしい。
今日は急ぎの仕事もあるし。

花粉症、今年は全然たいしたことなかった。
「例年の30倍!」とかいっておどしたのは、どこのどいつだという感じ。
本当のところはどうだったんだろう。
私の体質が変わったのかな?と思ったりしたが、
同じくらいひどい人も、たいしたことないって言ってたし。
いつも見ていた花粉情報も「非常に多い」日は何日もあったけど、
今日か明日かと恐れていた「猛烈に多い」日は、ついに来なかった。


2005年04月18日(月) 飛び越えてくるんじゃない。

今日は知らない人に、知らない分野のインタビュー。
そしてそれをすぐにまとめる。明日にはまた持って行く。

長崎は狭いから、すぐ知っている人に会う。
昨日も正面切って会った人が2人、見かけた人が、あと数人。
音楽を聴きながら、うつむき加減に歩いていたというのに、この人数だ。
本当はたぶん、もっと会っていたのだろう。
人が多いところに行ったとはいえ、たった2時間ほどの間だったのだが。

昨日の朝は、平和だったはずだが、
ダンナの方の親戚からの電話を取ってしまい、
「お嫁さん?」
って言われて無性に腹立たしかったので、平和じゃなくなった。
ずっと前に「息子の嫁です」って紹介された時も、
そのへんにあったものを蹴り倒して帰ろうかと思ったほどだ。
やっぱり「結婚」には向いてないのだろう。
制度に対するどうのこうの、というよりも、
普段からあまりに「人はひとりひとりである」ことを思っているから、
(孤独がいいとか、他人を信じないということとはまったく別)
たとえば慎重に、あるいは強い直感で、
ひとりの人と付き合っていこうと思った時に、
自動的に、その人のまわりの人と同じ濃度で付き合うことを要求される、
というのがまったく理解できないのだった。

それって、当然みたいな扱いをされているけど、私は違うと思う。
やっぱり、どんな人でも、関係は一から組み上げて行くしかない。
誰かの家族や友だちだからって、
ひょいひょい飛び越えてぶつかってこられても困る。
そしてそういう「ぶつかり」のだいたいは、
「…をしてほしい」というタイプのものなので、よけいに困る。


◇◆◇


おとといくらいから、鰻が食べたくて、ずーっと頭から離れなかった。
ようやくさっき買ってきた。
それにしても、おとといは居酒屋でごはん、
昨日は焼肉、今日は鰻…。ギトギトのおやじみたいだ。
しかも今日はついにあんま屋さんに行ったし。
もまれた感じでは、やはり、右の肩が史上最高にコッていた。
腰も首もバキバキに鳴らされてスッキリした。


◇◆◇


鰻…おいしかった…。
鰻と白いごはんを口に入れた瞬間って、頭の中が真っ白になるけど、
それってやっぱり、なにか脳内物質か何かが出てるんだろうか。

私がおいしいものを食べることが大好きなのは、
めんどくさいことを、頼みもしないのにノンストップで考えてくれやがる頭が、
たとえばこの鰻と白いごはんの作用のように、
ひととき休まるからというのもとても大きいのだが、
それならもし、おいしいものを食べている時に出ている物質があるとして、
その物質をアロマオイルみたいに使えるのなら、
ポワンとしたい時にできるようになるのかも。

…って、もうあったりして。しかもアブないクスリだったりして。


◇◆◇


昨日の情熱大陸は、栗原はるみさんだった。
本屋でチラリと見た時もそう思ったが、この人の料理って、
あんまりおいしそうだと思えない。作ろうと思ったこともない。
そして昨日、
自分のことを「ただの」とか「普通の」ってわざわざ言う人だとわかり、
それで、なるほどなー、と納得した。
「私って、変わってるんですぅ〜」の別バージョンだからだ。

その人が、
「ただの」「普通の」あるいは「変わっている」何者かであるということは、
見る人、受け取る人が決めることであって、自分で言うことではない。


2005年04月17日(日) 平和な朝、その2。

昨日仕込んだ石けんが固まりすぎている。
なにを置いても早く型入れしなくては…と思いながら、
こうして日記を書いたりしている平和な朝、その2。
平和な朝だなんて、わざわざ2日も続けて思ったのは、
ひょっとしたら、生まれて初めてのことかもしれない。
さほどいつもと変わりはないけれど、どうしてなんだろう、
といいつつ、ちょっとだけその理由を思いついたりしている。

それを書かないところが、この日記が日記じゃないところだ。

昼はハタ揚げでも見に行こうかな。


◇◆◇


でもなんとなく、山じゃなくて海を見たい気持ちが強まって、
買い物がてら、大波止の方へ下った。
海か山のどちらか選べと言われたら、だんぜん海だなぁ、などと思いながら。
小さいころ、先祖は海賊だったかもしれないという、
冗談なのか本当なのかわからないような話を聞いた時、
わけもなく「そうだろう!」と思ったし。

海の匂いがうれしかった。


2005年04月16日(土) 平和な朝

朝、今日はもっと眠っていようと思ったのに、
出かけていくダンナから、
もしそれが本当なら、
あまりにもビックリしてうれしいような楽しいような、
友だちに関することを聞かされ、
マンガのように目が覚めた。
自分の目が、絵に描いたようにバッと開いたのがわかった。
そしてビックリしたまま起きてしまい、洗濯を始め、顔を洗い、
ショウガの効いたチャイを入れ、妹に速報のメールを打ち、
昨日の夜炊いた、ジャムにはほど遠いイチゴ(密かな好物)を乗せたパンを食べ、
ピンポ〜ンと狙ったように石けんの材料が来たので、
ええい、こうなったら勢いあまって作ってしまえ〜、という、平和な朝だ。


2005年04月15日(金) チンピラ仙人

17枚で4300円。
かなりたまっていたスクラッチくじの微妙な当たり券を換金した。
うれしいのかむなしいのかよくわからない瞬間だ。
あぶく銭と言えば言えるし、そうでないような気もして処遇に困る。


◇◆◇


書いてる本人とは会ったことがないんだけど、
出てくる人たちは時々知ってる人だったりする、
しかも読んでいると、かすかにムカつく日記があって、
でも、そのムカつきが「くくっ、今日もムカつくなぁ」と、
妙な楽しみになってしまって、毎日読んでいる。
「あー、こういう人や人たちが、世の中の目に見える部分はまわしていたり、
 まわしていると思って生きていたりするんだろうなぁ。ほほえましいなぁ」
という、人によっては「お前のほうがよっぽどムカつくよ」と言われそうな、
仙人めいた心持ちで読んでいる。

たぶんいつかどこかで本人と会いそうな気もするし、
会おうと思い立てば会える範囲の人なんだが、
会うとリアルにムカついてしまい、
この毎日のかすかなバーチャルムカつきを楽しめなくなりそう。
特に酒場で会ってしまうと、たぶん頭からビールをかけたくなるだろう。

仙人といえば、こないだ初めて会った人(50歳超)から、
「枯れてますね」と言われた。
まぁ、そういう言い方もあるか。
でもわりとケンカっぱやいしなぁと思っていたら、

 チンピラ仙人

という言葉が浮かんできて、これかも!と苦笑い。


◇◆◇


お昼に天ざるを食べたら夜までもたれて、
ずーっと天ぷらのゲップが上がってきて困ったので、
ダンナは飲み会でいないし、りんごを半分食べて夕食とする。
でも今さら(10時過ぎ)お腹が減ってきたりしていて、これまた困っている。


2005年04月14日(木) こんなところで春。

朝から急ぎの仕事をひとつ終えて、
さてもうひとつの急ぎの仕事をする前に腹ごしらえ、と思い、
昨日のおいしいおいしいポタージュを食べようとしたら、傷んでいた。
ショック。
こんなところで春など感じたくないものだ。

お茶漬けでもするか…。


◇◆◇


いつもの気楽な美容院で髪を染めた。
気楽さが受けているのか、次々に予約の電話や来訪がある。
今回も3度目の正直だった。
あの兄ちゃんには、
「私のテクニックとセンスであなたの魅力を最大限に引き出します!」
というようなものがほとんど感じられなくて、そこが気楽だ。
でもアドバイスは的確だし、いい感じかつ扱いやすく仕上がる。
特に髪型などで「新しいワタシ」を求めたりしていないので、
こういう美容院はとても助かるのだった。

昨日のやりとり。私はドア越しに果物屋さんを見ていた。

「なんか見えますか〜」
「ミカンがうまく積んであるなぁと思って」
「積んでありますね〜」

 (会話終了)


◇◆◇


仕事がひとつ終わって、
その名前を書いたポストイットを、
パソコンからはがすときの快感よ…。

とりあえず、あと3枚。

潜在的には、あと5枚。


◇◆◇


夕食は、
昨日から狂おしいほど食べたかった、
おろしハンバーグと豆腐の味噌汁。
キュウリの塩もみ、トマト。
ハンバーグは鶏と豚のひき肉を合わせて、すりごまをたっぷり入れた。
大根おろしには、これまたたっぷり、しそを刻んだ。



2005年04月13日(水) 港にサヨナラ

ついに女神大橋がつながってしまう。
この部屋から見えるので見ているが、
いつもよりクレーンがニョキニョキとあって、
どうやら本当にもうすぐらしい。

あーぁ。

できはじめたらできはじめたで、
ニュースも新聞も、なんの疑いもなくニコニコワクワク笑っているが、
私は港がぶった切られるので嫌いだ。
どうしてこんなものを作ろうと思ったのか、理解に苦しむ。
なだらかな山が迫る、深くて美しい長崎の港。
それはこの街が少々どうしようもなくなっても、
じゅうぶん帳消しにできるほどの力を持っているものなのに、
「鶴の港」の首根っこをギリギリ締めつけるなんて、どうかしてる。

その昔、この港を出て、ずっと渡っていった先に、もう日本はなくて、
つながっているのは世界だったなんてことを思ってみるにしても、
あんなのがドカーンとあったんじゃ、難儀な話だ。
いや、そんなこと思わないなら思わなくてもいいけど、
一方ではその時代のことをウリにされておられるような気もしなくもないので。

だいたいだれが通るんだろう。三菱の人?

とりあえず私には、あの橋を渡るような用はない。
か、観賞用…?

あの橋が、日本の中でどれだけ長いかとか、
ベイブリッジよりどうのこうのとかいうけど、
たったそれだけのために、ここにしかない、
この出来過ぎのように美しい港が台無しにされるなんて、
長崎のおめでたさも、またワンランクアップしたなと思うばかりだ。

昨日みつけてうれしかったユキヒロさんのもう1曲が、なぜかピッタリ。


 こんなに いい天気に
 君に サヨナラ…

 〜

 ちぎれる程 手をふる君
 僕はきっと 大丈夫
 悲しい程 明るい中で
 君にサヨナラ…
 明るいサヨナラ 明るいサヨナラ

         「サヨナラ」



◇◆◇


佐世保を発ったというクリモトさんから手紙が来た。
歩いて伊勢まで向かっているクリモトさん。
1〜2年は戻らないらしい。連絡の取りようもない。
でもまた会える気がする。
もし会えなくても、私がクリモトさんと話した、
クリモトさんとしか話せなかったことが消えるわけじゃない。


◇◆◇


夜はなにかおいしいものを食べに行くか作るかしようと張り切っていたが、
ダンナが急に飲み会になったというので、
別にそれが悪いわけじゃないのだが、
ちょっと悲しいような腹立たしいような気持ちになり、
こうなったらヤツの好物を一人で食ってやれと思い、
昨日の鶏と野菜の赤ワイン煮を随所に利用しつつ、
オムライスとポタージュを作った。
やっぱりケチャップだけで作るより、赤ワイン煮の濃いスープを足すと、
オムライスが格段にレベルアップする。
一人で食べるにはむなしいくらいおいしかった。

仕事でもするか…。


◇◆◇


そういえば昨日、ユキヒロさんの曲のことを検索していたら、
坂本さんがDJだった番組のことを書いてあるページに行き当たった。
そこには数回分だが、当時のテープが起こしてあって、
しかもそれは、私もテープに録り、何度聞いたかわからない回だったので、
字を見ただけで、声の感じとか間合いがよみがえってきた。
機械で声を変えたりしていたから、書いた人が、
「(残念ながら、この雰囲気は活字では表現不可能です・・・・)」
とコメントしていたが、私にはバリッバリにわかってしまった。
YMOの3人が出てきた回で、コントみたいなことをやって、とてもおかしかった。
そういえば「ひょうきん族」にも、浪人役かなんかで3人は出ていたことがある。
テープ起こしをしてある回は少なかったが、
ほとんどの回の曲目リストは揃っていて、マニアとネットの力を感じた。
時々ネットで見かける「実生活には百害あって一利なしだろう的熱意」だ。

この回じゃなかったようだけど、
「散開」が決まってから3人が揃って出た回があって、
だれがどれを発言したかはあやふやだけど、
「YMOがなくなるって、どういうことなんでしょう。」
「たとえばここにコップがありますね。そしてコップを取ってみます。」
「はい、なくなりました。ちょっと寂しいですね。」
「なるほど、YMOはコップだったんですねー」
というようなやりとりがあったのを覚えている。

こんなことをウダウダ書いていることこそが、
「実生活には百害あって一利なしだろう的熱意」か…。


2005年04月12日(火) 軽めの地獄で昼食を

昨日の昼食は、軽い地獄だった。
テーブルがいくつかある大きめの個室にしか席がなく、
私たちは、その最後の2席についた。
そして見渡すと、あとの席はすべて、入学式を終えた親子たちが座っていた。
とてもイヤな予感がしたので、席は他にありませんかと聞いたけど、なかった。
お店に入ったとき、
ありがちな安っぽいクラシックのBGMの音量が大きすぎるな、と思ったけど、
子どもたちの、どんどん上がっていくテンション&歓声に、
それはすぐにかき消されていった。
小学生とはいえ、ほんの1ヶ月前までは幼稚園児だった彼ら。
そして昼食会をするくらいだから、仲良し同士なのであろう、母親たち。
それはもう、ものすごい音量だった。
料理が出されても気はどんどん遠くなり、味はほとんどわからない。
何度か母親たちが注意する声も聞こえたが、焼け石に水滴だった。
一度だけ、歩き回った男の子の体が私たちのテーブルに当たった。
それはほんのちょっとだったけれど、
その瞬間、「チッ、もっと激しく当たってくれれば、ブチ切れられたのに」
と思ってしまったのも大いなる事実だ。
私たちは黙々と(だって自分たちの会話が聞こえなくなることもたびたびだった)
料理を食べ、コーヒーを流し込み、当時の子どもたちの要求であった
「バニラア〜イス!バニラア〜イス!バニラア〜イス!」の大合唱に送られて、
朦朧としながら店を出たのだった。

外は、車道に面していたけれど、極楽のように静かだった。


◇◆◇


昼前に打ち合わせ、1件。
終わったあと、そこの隣にあるリサイクルショップを覗いたら、
CDコーナーに、聞いてみたいと思いつつ、なんとなく時が過ぎていた、
高橋幸宏氏のソロのCDが怒濤のごとく並んでいた。
ユキヒロファンが失踪してもう何年にもなるので、
あきらめた家族が売りに出したかというほど並んでいた。
ので、3枚買う。
そして近ごろすこぶる調子が悪いステレオのアンプなのだが、
これまた前から好きだったメーカーのものが、狙ったように予算内で出ていた。
アンプを見つめながら、打ち合わせはこのためにあったのだろうかと勘違いした。

そして今、スピーカーに規格が合うかどうか確認したところ。
…あ、合ってる…。

グラグラ…。


◇◆◇


笑っちゃうほどビックリとうれしい知らせがあって、笑っちゃうほどビックリした。


◇◆◇


ユキヒロ氏のCD…たぶんカセットテープで持っていた、
当時のラジオのYMOの番組でも録ったと思われる、
とにかく、何度も何度も聴いて、
現在に至っても時々頭の中に流れていた曲が2曲も入っていた。
歌詞カードを見たときには、ブブッと涙が出そうになった。
ずっと、また聴きたいと思っていたのだが、
タイトルは覚えていなかったので、頭の中だけの曲で、
ユキヒロさんが歌っていたことだけはわかっていた曲だった。
「YMO現役ファン」だった当時(小中学生)は
バリバリの「龍一派」だったので、ユキヒロさんがフニャ〜っと歌う、
さらにソロアルバムの歌を好きだと思うことを認めたくなかったのだろう。
若いということは、必ずしも柔軟性を伴わないのだな…。

しかも2曲のうちの1曲、しかもより好きなほうは、坂本さんの作曲だった。


 今でも 僕は一人 思い出す
 色あせる 古い話 見なれた この場面

 水辺にただようような まぼろしよ
 おぼろげに 草の中に ざわめく 悲しいほど
 あの頃は 毎日が 夢のようで
 いつでも 花の陰に かすかな 甘い香り…

                 「FLASHBACK」


2005年04月11日(月) じわじわプツプツ

肩こりまつりはあまりにも継続中で、
仕事はあるのに、どんどん机の前に座っていられる時間が短くなって、
書いてはイスから離れ、また少し書いては寝ころび、という感じ。
ついに、できれば今日届けたかった仕事が仕上がらず。
今日はこれから出かけなくてはならないので、タイムアウトだ。
この5行を書いた時点で、すでに体は勝手にぐにゃぐにゃとよじれ始めた。
どうなるのだ…。

でも日記を書くのは途切れさせたくないので、よじりよじり書いている。
かれこれ半年近く、毎日書いているが、やはりなにかが違ってきていると思う。
文体が!とか、大仰なことじゃなくて、じわじわと小さな部分のリズムや、
ものを見るときのほんのささいなところが、
自分でも「ここ!」と言えないほどだけど、しかし確かにプツプツと。


2005年04月10日(日) 肩こりまつり

昨日は強烈な肩こりに見舞われた。
体操をしても(普段はこれで治る)、6億年塩の風呂に入っても、
さらに体操しても、治らない。
椅子に座ったり、同じ姿勢をとっていると、すぐに体がもどかしくなり、
じっとしていられない。
仕事をするのはあきらめ、さらにお灸をしてもらって眠った。
でもいままたこうしている間も、ちょっとモヤモヤしてきたような。
肩こり歴は長いが(小学生から)、今回のはちょっとすごすぎる。
今日も仕事ができないようなら、整体に行った方がいいかもしれない。

しかし新たなコリが生じたと言うよりも、
今まで体の奥底にまでこびりついていたものが、表面化しているという感じ。
泉のようにわき上がるコリ。いやだ〜。
でもこれを出し切ることができたら、あとは新しく生まれたコリを、
その都度やっつけていけばいいわけだから、いいのかもしれない。


◇◆◇

港には、クリスタルハーモニー。
サファイヤプリンセスと比べると、ずいぶん小さく見える。
クリスタルハーモニーだって、できた当時は大変に大きかったのに。
この船を作る過程を追ったドキュメンタリーで、
なによりも心奪われたのは、お守りのコインを封印するところ。
船を壊さない限り二度と光が当たることのない小さなコインが、
大きな大きな船を守っていくのだと、たとえ形の上にせよ信じられていることに、
ささやかな、この世の余地のようなものを感じたのだった。


◇◆◇


空からは、街のギリギリまで雲が降りていて、眠っているような風景。



2005年04月09日(土) 満開の夜

今日がお花見には最後の晴れだったはずだが、思いっきり湿気ている。
昼はかろうじて大丈夫だろうが、夜は持たなさそうだ。

ということで、昨日の夜は夜桜見物。
その前に、サファイヤプリンセスをどうしても見に行きたかったので、
6時の出航を目指した。
わかってはいたけど、プリンセスはとてもとても大きくて、
汽笛が鳴らされると、涙が出てきた。
こんなに大きくて美しいものが、こんなにちっぽけな港で作られたのは、
なんて不思議なことなんだろう。

お弁当は、唐揚げと卵焼きとおにぎりとキュウリ。簡単に。
立山公園は最高潮にお花見の人々で賑わっていた。
いきなりおばさんたちのグループが、声を揃えて歌っていたりして。
広いビニールシートの合間を縫って、二人分の場所をみつける。
見上げると、とにかく満開。
つぼみが残るでもなく、風が吹いても散ることはなく、満開の頂点だ。
桜と花見客を眺めながら、おにぎりがおいしい。
これがあと1週間もすれば、この時間にはだれもいなくて、真っ暗なのだろう。
花が人を引きつける力の大きさよ…。

帰って6億年の塩風呂であたたまり、
私が唯一平気なドンパチものの映画をやっていたので観る。
人が死んだり手に汗握ったりする映画が苦手でしょうがないが、
なぜかスティーブン・セガールのものだけは観てしまう。
それはもう、セガールだからとしか言いようがない。
映画の中で、とんでもない設定やシーンが出てきた時に、
「大丈夫、セガールだから」と、合いの手を入れるのも好き。
小さいころ「ゴルゴ13」が大好きで、
猫(♀)にまでゴルゴと付けたくらいなのだが、
ゴルゴを読んでいる時の感じに似ているかも。
あのバカバカしいまでの強さや、シチュエーションの無理加減が。

さらに「ニュース23」を久しぶりに見た。
最後にクドカンさんが出てくるようだったので。
「真夜中の弥次さん喜多さん」の話を、クドカンさんと、
原作者のしりあがりさんと、筑紫さんと、なぜか糸井重里さんで。
でもバカみたいだった。
筑紫さんはしょうがないとしても、
糸井重里(あえて呼び捨て)は完全に終わっていた。
どうして出したんだろう。
筑紫さんよりも年寄り臭くて偉そうだった。
前はこんなじゃなかったろうに。いつからこうなっちゃったんだ…。
たぶん「ほぼ日」などでいろいろやりすぎてるんだろうと思う。
おもしろがることを自分に課しすぎて、惰性で回っているのだ。
そしてあまりにもいろいろやってるから、
なんでもわかってる気になってるのだろう。
最初の紹介VTRで、いまだに「おいしい生活」の掛け軸が飾ってあって、
あぁ、本当は閉じてる人なんだな…とせつなかった。
そして、楽しみにしていたクドカンさんは、ほとんどしゃべらなかった。
バカな企画…。
特にクドカンさんを熱烈に好きというわけではないのだが、
たしか年も一緒だし、なんとなくいいなぁ、と思って、目に付いたら見る。
しかし昨日発見した。
彼の手が、すごく好きな感じの手だったのだ。
だから途中から、話もつまらなかったし、ボーッと手だけ見ていた。

つらつらと書いてしまったが、なかなか濃い夜だ。満開だ。


2005年04月08日(金) 足りてなかったようだ

ふと思い当たった。
「ずっと体がだるいことの原因のひとつは、食べ足りてないのかも」と。
毎日この日記にも、飽きずに食べもののことを書いてはいるが、
実際に食べている量は、自分でも少ないと思う。
ここ半年くらい、意識的にもセーブしてきたし、
心身の調子から、自動的に食べられなくなったことも多かった。
1年前に食べてた量から考えれば、たぶん半分くらいしか食べてない。
お腹いっぱい食べるということも、ほとんどしない。
たしかに身が軽くなっていい感じだし、お腹いっぱい食べることが続くと、
これまたよろしくない心と身体になるのはわかっているのでしたくないが、
あまりにも食べなさすぎたような気がしてきたのだ。特に家で食べるとき。
そう思ったらなぜか「今日は自分が作ったものは食べたくない!」と思い、
昨日の夜は、大好きな中華屋さんに行った。
前菜、餃子、豚肉クレープ包み、酢豚にごはんにスープと、お腹いっぱい食べた。
家に帰って、苦しくて、横になってそのまま眠った。
そして今、やけにやる気。体も軽い。
ひょっとして、軽めの栄養失調だったのか?


◇◆◇


それにしても昨日、そのお店には、みなさまの非民放局の人がいてうるさかった。
(モロわかりじゃん!)
別に楽しく食事をしているだけなら、それでいいんだけど、
そこの人たちって、だいたい共通している感じがあるのだ。
おおざっぱに言えば、自分たちを、ひとつ、高みに置いてる。
取材をさせてもらう人たちからも、他の同業者からも。
取材の時に一緒になっても、まずあいさつしないし、
自分たちしかいないような感覚でしか行動しない。
コッコデショの取材の時は、ずいぶんイヤな思いをした。
毎日のように現場で接しているダンナたちも、いつもそんな目にあってるようだ。
こちらがどんな思いでやっていようと、取材をするというだけで、
相手には思ったよりも大きなプレッシャーを投げつけている。
なのに、それを「してやってる」というふうなのは、どうよ。
しかも俺らが最優先で当然みたいな態度は。

もちろん、いい人もいるし、全部が全部、そうじゃないし、
みなさまの非民放局に限ったことでもないんだけど、
肌で感じる傾向としては、そうなので仕方がない。

これまたある種の無邪気度が高いのだろう。

最近「無邪気さ」が気になっている。
普通は「無邪気」だとカテゴリー分けされないような軽めの不快さに、
「これは無邪気なのでは?」と当てはめると、すっきりすることが多い。


2005年04月07日(木) 甘いものだらけ

いま、うちには、甘いもの大量にある。
昨日お客さんが来ると思って、桜もちを買っていたら、
その人がワッフルをおみやげに持ってきてくれて、
そういえばおととい発作的に作ったプリンもあるという状態。
それぞれを少しずつ食べはしたが、かなり残っている。
まるで甘いものを好きな人の冷蔵庫みたいだ。どうしよう…。

しかし昨日のおいしくなかった甘酒は、その後、妙に体がだるくなり、
夜になってお腹が痛くなるという事態を引き起こした。
決して腐っていたわけじゃないんだけど、体に合わなかったんだろう。
やはりまずいものは、体がイヤだからまずいって思うんだ。
まずいものはますます食べないようにしたい。

こんな日はおかゆでも食べに行きたいが、おかゆ屋さんは閉まってしまった。

まだダルい…くーっ、甘酒のヤツ…。


◇◆◇


「お料理はできた順にお持ちしてよろしいですか?」
こんなことをわざわざ聞かれたのは初めてだった。
昨日お昼を食べた、諫早のそば屋での話だ。
頼んだのは、私の天ざる(その店では「上天せいろ」と呼ばれるもの)と、
ダンナの親子丼&かけそば。
一瞬なんだか意味がわからなくて「どういうことですか?」って聞いたら、
「えぇ、できた順に持ってきてもよろしいですか?ということなんですが」
うむ。そりゃそうだ。その通りの意味しかないだろう。
そして「はぁ」って答えて、
「どういうことなんだろう。20分くらい時間差があるんだろうか」
なんて話すか話さないうちに、かけそばが来た。
もう、いきなり来た。
ダンナが面食らいつつ、かけそばを食べ出す。
食べる。ちょっとゆっくり目に、食べる。ズルズル…。
半分くらい食べたところで、私の天ざるが来た。
私はもう、目の前に自分の食べものが置かれたら、それに集中してしまうので、
無心で食べはまる。たぶんこの店でいちばんおいしいのはこれだと思いながら。
そしてついに…ダンナはかけそばを食べ終わってしまった。
なんともジワーッと、つらい空気。
やがて親子丼がやってきた。
かけそばと別々に食べるには、なかなかつらそうな量。
量はおなじでも、2つ同時に食べればすんなり入るのだろうが…。
しかも親子丼、そばほどはおいしくない。
そばがおいしいんだから、無理してださなくってもいいのにというレベル。
シイタケとかタケノコとかよけいなものも入ってるし。

ということで、諫早の「戸隠」で「できた順にお持ちしてもいいですか」
って聞かれたら、
「できるだけ一緒にお願いします。特にかけそばと親子丼は」
と答えたほうがいいのであった。


◇◆◇


だるさが取れず、昼過ぎまでむりやり眠って汗をかく。
風邪も引きかけていたのかもしれない。
起きてヨーグルトを食べたらすっきりした。
遅いお昼は、昨夜のボンゴレ(具のみ)とアスパラベーコン炒めの残りで、
リサイクルスパゲティ。ホールトマトを入れて、新たな味で。

なぜか昆布と鰹節で、大量の出汁をとる。
何を作りたいのだろう?


2005年04月06日(水) プリペイド式感謝

ここ1年近くだろうか、
新しい言葉の傾向として気になっていることがある。
勝手に先手必勝宣言…とでも言おうか、たとえば…

スーパーやサービスエリアのトイレに入ると

「いつもきれいにご利用いただきありがとうございます」

バスの後ろを走っていたら、ふと見ると

「バスの運行にご協力いただきありがとうございます」

このたぐいのものを見るたびに、ぬらーっと気持ち悪くなる。
初めて行く場所の、初めて行くトイレで「いつも」って言われるのもヘンだし、
これから「利用」しようというときに「ご利用いただき」って、
なんか終わっちゃってるのもこわい。
バスに至っては、時としてあまりに強引に入ってくるようなバスだったら、
無視して入れたくないから入れないことだってあるし、
つまりは協力してなかったりするわけだから、
そんな私にとっては、もはや事実と反することが目の前に貼られている。
そしていきなり有無を言わせず「ありがとうございます」だ。
感謝されるようなことを、まだなにもしてないのに、
先物買いというか、プリペイド式感謝っていうか、とにかく気持ち悪い。
実体のない感謝だけがそのトイレに充満していて、
入ってくる人をジッと取り巻き、行動を縛る。
トイレをきれいに使うことも、原則としてバスの運行に協力することも、
この社会ではいいことの部類だから、
たぶんこの文章群が問題にされることはないだろうが、
これって、本質的には「呪い」とおなじだ。
だからうっすらと気持ちが悪くなるんだろう。


◇◆◇


夜は人が来るので、新大工の市場で買い物。
大好きな茂木エビが出ていた。まだまだシーズンに比べると倍くらいの値段。
でも見てしまったので、誘惑に負けて、私にしては、少しだけ買う。
魚はあまりなかった。海の調子が悪いのだろうか。
たけのこやトマトなど、野菜もいろいろ買った。
あとは鶏肉。お刺身。あさりなど。
いったい何人来るのだ…それは2人。明らかに買いすぎ。
明日以降の料理にまわそう…。

甘酒を、いつもとは違う店で買ったら、あんまりおいしくなかった。ショック。


2005年04月05日(火) ひとりのバカとして

今年のくんちの踊町が正式発表された。
そのことについて、ひとりごとともつかない感じで語ったり、
ドンドコスットンジャーパ、ピャ〜ピャララ〜、ピャ〜ピャララ〜、などと、
龍踊の囃子やラッパを口まねしていたら(こうして書くと危ない人みたい…)、
ダンナが「ここにくんちバカがいる…」と、ひとりごとで応戦してきた。
こればかりはどうしようもないので、どうしようもないのだ。

この稼業を始めてから、もうかれこれ10年近く、だいたい取材がらみで見てきた。
去年などはその最たるものだ。猛烈に見た。
「見た人ランキング」があるなら、町の人の次は自分だと言い切れるほど。
いいことばかりじゃなかった。
でも、つらいこともありながら、なおもそばに居続けたから、
かけがえのない人間関係が、ごほうびのように残ったのも、ほんとうだ。
こないだ番組を見せたある人から、
「よくできてた。ここまで入りこむのは、特に女性だったから大変だったでしょう」
と言われて、すごくうれしかった。
その人自身も、古い集落などで調査をしたりするので、
ひとつのかたまりとしての多数の人の中に、
異質な1人として入っていくことにまつわるいろいろなことを知っているから。
さらにもうちょっと前、道でバッタリ会った担ぎ手さんと話しているとき、
あるコメントがとても良かったと言われ、
そのコメントは、他の担ぎ手さんからもジンとしたと言われたので、そう伝えて、
「でもあれは、すごく考えて書いたわけではなかったんですよ」
って言ったら(ほんとに。他の部分のコメントと比べたら、あまりにさらりと)、
「ずっと付いてきたからこそ、自然に言えたんじゃない?」と言われ、
かなり泣きそうになった。報われるとはこういうことかと思った。

…とまぁ、いまでも語り出したら止まらないほど、去年は濃く見たわけだが、
今年は自分の事情もあって、取材としてはくんちを見ないことにしている。
かなり久しぶりに、1人のくんちバカとして見るのだ。
それがとっても楽しみ。
小屋入りから行こう。
あの、長坂を上がっていく行列を見るのも好きなんだ〜。
(あぁバカ〜)


◇◆◇


近くに用があったので、お昼はまたもや「Toki」に行ってしまう。
カナリーホールのカフェと迷ったが、食後のハーブティに心ひかれて。
でもまぁ、結果的には失敗だった。
オードブルのテリーヌを食べながら、
「あいかわらずカマボコ味だよなー。」と思いつつ、
それはわかっていたことだからいいんだけど、
メインの「諫早豚のコンフィ蒸し野菜添え」の豚肉ときたら、
すんごくしょっぱくて、豚くさかった。
けっこう大きなひときれだったが、7分の5ほど残してしまった。
つまりは「蒸し野菜の塩豚添え」を食べたわけだ。
向こうのテーブルにはおしゃべりなおじさんがいて、
店員さんに料理の感想や自分のうんちくを語っていたのでうるさかったが、
どうやら私と同じものを食べたらしく、皿を下げられるときに、
「これはちょっと『ソルティー』だったと言っておいて。」
とおっしゃったのには、心の中で拍手喝采だった。
(そりゃ『ソルティー』って言い回しにはクスッとしたけど)
でもあそこの店員さんは、シェフには言わない気がする。
そう思わせるところが、あの店のダメなところだ。

だいたい5つのランチメニューから、わざわざ豚肉を選んだ客が、
その豚肉をほとんど残してるってことが、気にならないのだろうか?
しかも朝から養豚場の番組を見てしまい、
「これから豚は残さず食べよう」と決意したばっかりだったというのに…。

あの店には他にも、私の基準ではダメなところがいろいろあるんだけど、
でも、それはもっと良くなるはずのベースがあるから、目につくとも言える。

でも当分は行かないかも…。今日のはちょっと懲りた。


◇◆◇


夜は1人なので、昨日作っておいたカレーを食べ、
石けんを2つも仕込み、
おまけに材料も注文したりして、局地的な石けんブーム。
混ぜすぎで肩がこったので、
大昔の塩と、石けんを作った残りのビワ茶のお風呂をわかしているところだ。
6億年前のものらしい塩は、温泉みたいな匂いがして、異様にあたたまる。



2005年04月04日(月) おかゆまつり

朝からおかゆ。
昨日の夜の残りだ。
昨日は一日家にいたので、
夕食はおいしい外のごはんを食べてもいいかな、と思ってみたが、
なんとなく体調も優れなかったし、おかゆまつりをすることにした。
雑穀入りのお粥を、鍋物をする土鍋でたっぷり炊いて、
ちょこちょこしたおかずを並べる。それがおかゆまつりだ。
卵の黄身に醤油をかけておいたもの、辛子明太子、
じゃがいもとにんじんの煮っころがし、ダイコンの塩もみ、
イワシの缶詰、魚肉ソーセージ炒め、アオサのあっさりつくだ煮など。
あんまり豪華じゃないものを揃えるのがポイント。
食べているうちに、やはり体調が良くないことが明らかになり、
(お粥は2杯食べたけど)
昼寝をしたにもかかわらず、またすぐ寝た。

11時に起きて「情熱大陸」を見たら、ちょっと眠れなくなった。
年間600冊を作るという、装丁家の日々。
普通の人から見ればすごすぎることが、本人の基準ではそれが当たり前という、
すがすがしい一流の人に漂う感じが見られて良かった。
情熱大陸で見たいものは、その一点に尽きるような気がする。
「どうしてそんなに作れるんですか?」という質問がされていたが、
たぶん、次々と作っているから、次々と作れている部分が大きいと思う。
他人が「放電」と思っていることで「充電」しているのだ。
バッテリーは、走らないとダメになる。
思いつきは、形にしないと腐る。
もう何冊装丁したかわからないほどの村上龍と、
直接には一度も会ったことがないというのも素晴らしかった。
生身で会わなくても良い関係って、絶対ある。

机の片づき具合もググッと来た。
彼の性格や精神のあり方も関係しているのだろうが、
いるかいらないかわからないようなものを積み上げているヒマはないのだろう。
なんにつけ「とりあえず」が存在していない。
即断即決即行動。


◇◆◇


ローマ法王が亡くなった。
ほんの2ヶ月ほど前に、彼が登場する文章を書いたばかりだった。
「長崎よりみち散歩」にも収録した、「FINE」という情報紙の連載で。
会員さんに配られるだけのものなので、ここに再録しておきます。




 雪で憶える。

 ひと冬で、片手にあまるほど。
 長崎で胸を張って「今日は雪だ!」と言える日は、きっとそれくらいのものでしょう。ちっとも積もらない小雨のような雪はたびたび降っても、朝起きた時に、しんとした静けさで町をおおうような量の雪は、なかなか降りません。毎日「寒い寒い」と思っても、長崎の冬は暖かい。白一色に閉じこめられることはなく、道ばたの花も、ついに途切れることはないのです。だからこそ、この町の雪は「できごと」です。いつもある当然のものではなく、降れば気を引かれ、積もれば騒ぎになります。よく「雪国の人が見たら笑うよ」と言われる交通の混乱だって、いいではありませんか。ここは雪国ではないのだし、年に何度かドキドキと混乱しても。学校や職場で「うちの方はこのくらい積もっていた!」「2時間かけて歩いてきた!」なんて話す人の顔は、ほら、楽しそうです。坂の町だから危ないところもあるけれど、天から降ってくるものについては、恨んだところで負けなのです。
 雪を見ていつも思い出すのは、ローマ法王が来られた日のこと。もう何年前になるでしょうか。私は小学生でした。とにかく寒くて雪が降っていて、たしか松山の競技場に全国からたくさんの信者さんが集まられて式典がありました。式典は、テレビで見ました。長崎の基準では「吹雪」と言ってもいい状態でしたが、法王が出てこられる時だけ雪が止み、日が差したと記憶しています。白いコート、赤い帽子、そして「せんそうはにんげんのしわざ」という日本語。私はクリスチャンではないのですが、こればかりは忘れられません。
 なんということはない日常の風景も、数少ない雪と合わされば深く心に刻まれます。この冬の雪は、どんな思い出に変わるでしょうか。



◇◆◇


夜は、チキン南蛮を作ってみた。
ソースも適当に混ぜて。なかなかおいしかった。




2005年04月03日(日) 仲間はずれのコーヒー

以前からフラれ続けている郊外のカフェに、ようやく行ってみた。
イギリス的なものがメインにあるようで、
紅茶はカバーの着いたポットで出てくる。お湯も足してくれる。
お皿が3段になってて、サンドイッチやスコーンやケーキが乗っているのもある。
でも昨日はお腹が空いていなかったし、
特に大量の紅茶が好きでもないし、コーヒーを飲みたかったのでコーヒーにした。
ダンナはチャイ。名物らしきスコーンを2人で1皿(2個入り)。

「もうひとつテーブルを減らした方がよくないか?」
という、雰囲気は「スロー」なんだけど、ひとりあたりの空間は狭い店内に、
わけもなく気取り合った学生さんグループ(男女5人)と、
漠然と「私らしい生き方」や「良心的な活動」には興味があるけれど、
気づいたら今日も家でテレビ見ながらお菓子食ってたという感じのオバハン3人、
感じのいい女の人2人(1人は赤ちゃん連れ。一度落っことした)、
派手な格好の母娘、そして私らがひしめきあっていた。
学生さんたちとオバハンたちの、中途半端なトークが聞こえてきてつらい。

スコーンはボロボロ崩れやすくて食べにくかったが、おいしかった。
バターを薄めたような味の、それだけなめてもおいしくないクリームと、
そもそもあまり食べないジャムの中でも、
さらにあまり好きじゃないブルーベリージャムが付いていたが、
一緒に付けて食べると、なかなかいい味だった。
イギリスの昔のばあちゃんって、こんなのを焼いたりするんだろうか。
うちのばあちゃんがぼた餅作るみたいに。

チャイもなかなかおいしかった。
やっぱりインドは植民地だったからかしら?などと意地悪く思ったりしてみた。
ほかのテーブルには、次々と、ポットの紅茶が運ばれていく。
たぶん、おいしいんだろう。

コーヒーだけが、仲間はずれのように濃すぎてまずかった。
この店の文化圏外の存在なのだろう。
紅茶はいろいろあるが、1種類しかなかったし。
紅茶を飲みたくて、あまり人がいないような時に行くにはいい店だ。
でも私はコーヒー好きなので、なかなかないかもしれない。
そしてちょっと、あの、イギリス的なものを目指している雰囲気って、
ここに限らず、なじめない。
イギリスとかアメリカの、カントリー&アーリーな感じというか。
そういう空間に自分の身を置くと、
このコーヒーみたいに、仲間はずれな気分になってしまう。


◇◆◇


見るべきものを見ていない上に成り立っている、無邪気さ、だろうか。



2005年04月02日(土) え、それも作れるの?

あんパンで驚いていたら、今度はメロンパンも作るという。
メロンパンが「作れるもの」という発想が、
自分にまったくなかったことに気づいた。
料理はかなり妙なものまで作るくせに、メロンパンで驚けてしまった。
やはり少しでもジャンルが違うと、想像力って働きにくくなるのか。
洋服を作っていたときも「洋服って、作れるんだ…」とびっくりしたけど、
世の中のものは、ほんと、買うようにできてる。
でも、ほとんどのものが、作ろうと思えば作れる。

さて、おいしいあんパンでも食べよう。


◇◆◇


ステキな同級生ウォッチングシリーズ

「市役所の福祉課でサバイバルナイフをちらつかせたり、机を叩いたり、
 『刺し殺す』などと職員を脅した男。これまでも数回同じようなことをした」

…。でもこれは久々にいい感じ。

「最優秀棋士に選ばれた、羽生善治さん」

おめでとう!


◇◆◇


それにしてもダンナらの給料のひどくなったことよ。
計算のしかたが変わったとかで、働いてる時間は変わらないのに、
驚きの低価格化が実現。
人によっては5万も6万も下がったというのだから仰天します。
「どこもおんなじだよ。長崎ではいいほうだよ」なんて言ってられないほどだ。
こりゃちょっと、本当になにかを考える時期に来ているのかもしれない。
30を過ぎた男が、技術と誠意を持ってやっている仕事の代価としては、
あまりにもあんまりすぎる。
どうなってるんだろう。

よくフリーターが責められたりするけど、
会社に属したところで、これだったら、バイトのほうがいいに決まってる。
能力でどうのこうのっていうのも、まったくの綺麗ごとだ。
だって彼らがどんなにいい番組を作ったり、賞をもらったりしても、
給料を決める人は、それすら見てなかったりするんだから。

雇われるって、つらいなぁ。


2005年04月01日(金) あんパンかわいや。

妹が作ったあんパンが朝ごはん。
あんパンなんてまったく食べない人生を送ってきたが、おいしい。
かなりおいしい。パン部分もおいしい。
もとになったレシピのパン屋さんのパンも食べたことあるが、
そこのよりもおいしいと思う。パン屋になればいいかもしれない。
お金の計算も私よりははるかにできる。

夜中、焼き上げたパンを前に「なんてかわいいんだろう」と、
しみじみしていたらしい。
お菓子やパンは「かわいい」って思いやすい。
私は料理をガンガン作るが、かわいいって思うことはあまりない。
「いい!おいしそう!」とは思うけど、
インドカレーや角煮を「かわいい!」とは、なかなか…。

人間のタイプとして、なにかを「かわいい」と思うことが好きな人と、
特にそういうことを求めない人に分けられる一面があるのかもしれない。
私はあまり、人にせよ、物にせよ、かわいいと思うことはないような。
明らかにかわいいものも好きではないし。

いや、あんパンがおいしかったというだけなのだが。


◇◆◇


昨日の夜はどっさり本を読んだ。
そして昨日決まった仕事のやり方について、かなり考えた。
相手の反応はどうかわからないけれど、
自分にとってベストの結論は出せたので、ぶつけてみよう。
仕事じたいは興味深く、ぜひ私が書きたいと思えたのだが、
スケジュールも含めたそのやり方が、
私にとっては、あまりに大きなストレスをはらんでいた。
それをうまく取り除きつつ、
よりよいものを作ることにもつながる方法を思いついたのだった。
これでやれなかったら、しかし、この仕事はちょっと難しいかもしれない。


◇◆◇


お昼はスパゲティ。
ニンニクと唐辛子とアンチョビとプチトマトとキャベツ。
コショウを挽くのを忘れたが、かえってそれが素直な味でよかった。
アンチョビは、食べるときにはもはや、細い細い骨が時々見える程度で、
身はすっかり拡散していた。

スパゲティも「かわいい」と思うにはちょっと難ありだろうか。
というより、料理の場合はお腹が減って切羽詰まっていることが多いので、
かわいいと思う余裕がないのでは…。





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